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外道の独り言 5 [無断転載禁止]©2ch.net
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0001パーピマン ◆hVgvvzQ7pw
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2016/06/19(日) 18:27:03.49ID:BsLbytQa
まず最初に断わっておきますが、「ここは誰もが好き勝手に書き込んで良い」
というスレではありません。 このスレの趣旨は、仏教に関する様々な論点に
関して、私が私見、疑問点等を提示いたします。まさに、「外道がぶつぶつと
独り言を書き散らしているスレ」だと思ってくれて構いません。
 勿論、それに対して異論、反論、疑義等は排除するものではありませんが、
極めて恣意性の強いスレであることを了解願います。
上げ ておりますのは、別段大勢の人たちに来てほしいからではなく、
(むしろその逆で過疎って欲しいくらいですw) 「真摯なる碩学」が、私の
書き込みを目に留め、その瑕疵を指摘してくれることを望むが故です。
自由に好きな相手と対論したいと思う人は、このスレを覗かずに他スレに移動
してください。
昨今、スレ立てが大変困難であり、好き勝手にスレを消費されことは大変
迷惑なのです。
0658宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
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2016/09/16(金) 04:03:40.86ID:oGCnIhC1
>>656
それは真我を実現している者からの視点(言い方)に過ぎません。
ギーターを読めばすべて分かります。その矛盾点についての理解は明確に説かれています。

 『(行為の)遠離と行為の実修とは、ともに至福(解脱)をもたらす。しかし両者のうちでは、行為の実
修が行為の遠離よりすぐれている。哲学サーンキャが得る境地は、実修者ヨーギンによっても達せられる。
哲学と実修とを(同じ結果を生ずる点で)同一であると見る人は、真に見る者である。しかし、力の強い
者よ、行為の遠離は行為の実修なくしては容易には達せられない。』
(『バラモン経典/原始仏典』ギーター第五章より/中央公論社刊)

では、今夜にでも「行為」と「行為者」との関係、
ジニャーナのようなサーンキャ(哲学の道)とヨーガ(行為の実修)の関係についてをギーターから取り上げたいと思います。
0659神も仏も名無しさん
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2016/09/16(金) 12:08:37.49ID:336GEL/Z
<ラーマクリシュナ>
長老は「空無辺処定」についての解説で、「私の誤解かもしれませんが」との断りつきで、
ラーマクリシュナについて次のように語っている。

「例えば、ラーマクリシュナの言葉を読んでみますと、色界第一禅定くらいは経験がある感じはしますが、
それでもまだ、「神がいる」とか、「魂がある」とか「梵天がいる」などという状態なのです。」(前掲書p.282)

「色界」というのは、「五感+意」が働いているところの「欲界」を超えた瞑想の世界。
しかし、物質(色)と心が、まだ結びついている世界とのこと。
長老は、ラーマクリシュナが6ヶ月もの間、相対を超えた「ニルヴィカルパ・サマーディ(無分別三昧)」に住していたことや、
ラーマクリシュナが語る神が、輪廻の中にある「天(神々)」を指しているわけでもないことを、ご存知ないのかもしれない。
http://blog.goo.ne.jp/benzo_k/e/62d8e9ea61defdcecf61f310be3274c5
0661宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
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2016/09/16(金) 19:47:03.25ID:oGCnIhC1
>>659
>それでもまだ、「神がいる」とか、「魂がある」とか「梵天がいる」などという状態なのです。」(前掲書p.282)

エーと、先日もこれをやりましたが...
要するに、断定的な偏見で見てるからそうなるのです。
恐らく二千年間ほど続いてる部派時代から生じた無我の誤解(無我についての間違った理解)がすべての元凶です。
彼らは、そういうものは「無い」と仏陀が教えたものと理解していますから、
「神」や「梵天」とか「真我」を実在するものとして語ってしまうと、もうそれだけで最初からアウトなわけです。
それは仏陀が戒めたレベルの低いものだとなる。
真実は、自分たちが勝手に仏陀の教えを誤認してるだけだというのに・・・。
まさに己れの無知誤解を棚上げしておきながら相手側を見下してくるとい最も悪いパターンなので、
こういう輩はもう手に負えません。

>長老は、ラーマクリシュナが6ヶ月もの間、相対を超えた「ニルヴィカルパ・サマーディ(無分別三昧)」に住していたことや、
>ラーマクリシュナが語る神が、輪廻の中にある「天(神々)」を指しているわけでもないことを、ご存知ないのかもしれない。

スマさんの場合は、
マハルシのように真我の意識そのものから直接に語ってくるのとは全然違って、
ただ単に、頭に叩き込んだ教義の塊と断片的な知識の継接ぎを以てして、
あれこれと右に反転して、今度はやれ左側へと反転して理屈を作り上げてるだけです。
スマさんはブッダについて語っていれば、やはりそこそこ素晴らしいものがあるとは思うけれども、
他の思想や流派に対する批判的見解を述べ始めた途端に、己れの無知と偏見からくる矛盾だらけのものとなる。
そのことは大乗批判とか般若心経批判なんかにも如実に現れています。
0662パーピマン-
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2016/09/17(土) 10:45:50.44ID:hFu5Vc02
・・・・・「思考の是非と言語の限界」について、資料を読んでた時
以下のレスを見つけたw
おそらく、4,5年前位のものかな?
どこのスレで誰に書いたのかも覚えいないわww 



>上記に「ブッダの沈黙」についてふれられていたけど、キリスト教の方
たちは維摩経という経をご存知でしょうか?
その中に「維摩の沈黙(一默)」というのが、あるのですが、基本、
ブッダのそれと同じだと思われます。

「不二の法門に入るとは、どのようなことなのか?」という問いに
対して、三十一人の菩薩たちが答え、最後に文殊菩薩が、
「一切諸法は語られず、論じられず、説かれず、述べられず、明記されず
言葉で表記されない。それが不二の法門に入ることです。」
と答えます。 続けて、維摩に見解を求めるわけですが、維摩は
それに「沈黙」もって答えます。・・・・・・

?これに対する解説として、元来、多く語られてきたことは、
@「自らの見解が「言葉によって説くことが不可能であること」による沈黙」
 (すなわち言語表現を超越した高次のもの)
A言語表現の不完全さの表明
と説明されてきました。  これは、まさに文殊菩薩が端的に『言葉でもって』
指摘したことです。 対して、『維摩は同じことをより端的に』「沈黙」をもって
示した。・・・・・このような解説がなされてきました。
しかし、本当にそうなのでしょうか?
0663パーピマン ◆hVgvvzQ7pw
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2016/09/17(土) 10:46:48.44ID:hFu5Vc02
私の見解は違います。
維摩の問いに対して自己の見解を述べた時点で、もうそれは
「対象を立てた」ことになります。その見解が、どのように素晴らしいものでも
それは所詮、「二項の思考」なのです。
維摩が言いたかったことは、ただ一つ。 この三十二人の菩薩も含めて、
全ての衆生が「無明という病」にかかっている。
(ちなみに、この経では維摩が病にかかっていて、それを菩薩が見舞う・・という
設定になっていますwww  その辺も洒落ているところですがww)

?この「無明という病」は、我々が通常、世俗で行う「二項思考」・・・・すなわち
対象をたてることを意味します。 それこそが、根本の病であって、それを抜け出さない
ことには、どうしようもありませんよ。
「維摩の問いを認識対象として捉え、それぞれが見解を述べる。」・・・・・これは
その回答がどんなに素晴らしいものであろうと「戯論」以外の何ものでもないのですよ。

・・・・・・維摩の言いたかったことは上記のようなことだと思われます。
すなわち出来うることは、「拈華微笑」以外にはないでしょう。


「仏陀の沈黙」も同様であると、私は考えるのですが。
「Aであるのか? Aでないのか?」に対して「どちらでもない」と答えるのが「無記」
ではないのです。  ⇒「そのような問いを立てる時点でもうダメなんです。」
そのような、問いに対して回答を立てることは、もう言語によって対象を切り取って
しまってるわけです。  その「言語による規定化、定形化、対象化」を止めること
が、すなわち、「戯論寂滅」となるわけです。

(以上は、勿論スレチであることは承知していますが、何やら仏教のお話が
出ているようで、さらに仏教議論スレも休止中ですので、横レス入れてみましたww)
なお、私は仏教徒ではないですので、上記はあくまで私論です。
0664パーピマン ◆hVgvvzQ7pw
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2016/09/17(土) 10:50:17.83ID:hFu5Vc02
こなのもあったww 2年前位のか?ww

>なんか、言語の不完全性という、今さらながらのお題を必死に喚いて
「瞑想してる俺ちゃんすごい」をアピールしてるのかね? 例の基地外はwww

さて、それでは、いわゆる「体験バカ」の言う通り、「瞑想の優位性」というものは
疑問をさしはさむ余地のないほど確かなものか?

「あることを理解する・・・・これは、単なる論理的帰結としての了解を意味するものに
留まらず、(表現が稚拙だがw)心の奥底から納得できる、いわゆる『頷く』ことができる
・・・そして自己の精神状態を、それまでとは明らかに異なる状態にならしめる。」

・・・・このような目的を達成するための方法論として
@言語による情報の蓄積、及び、それらに対する分析、評価、理解の深化
 (これは単に経典等の知識吸収のみならず、師匠からの指導などの全ての言語情報を指す)
A個人の瞑想等による体験

言うまでもないくらい当たり前のことだと思うがw どちらが欠落してもあかんでしょ?ww
@のみに特化して、知識の集積に執着しても徳山禅師の二の舞だろうし、それですむなら
仏教学者は皆、覚者さんだww
師匠について学ぶにしても、唯、師匠の話を聞くだけで、自己の「行」は一切、無視・・・・
なんて、ないでしょ?w
っていうか、@だけでOK なんて言ってるやつ今まで見たことないけどw
0665パーピマン ◆hVgvvzQ7pw
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2016/09/17(土) 10:52:20.99ID:hFu5Vc02
問題はAだねw
これのみを重視して、というよりは@を全く無視して、
「俺は自分で体験したからわかってるんだ。」 と自己の境地を盛んにアピールして自己顕示欲を
満足させようとしてるやつw  そう、いわゆる「体験バカ」ねww
そしてこの「体験バカ」は、皆、共通して絶対に経典、論書、各論点に対する学説などを全く
知らない。  今までこの宗教板で、「悟ってるアピールしてる、なんちゃって覚者さん」の中で
ある一定以上の仏教知識を有してるやつ一人もみたことないんだがw
きちんと師匠について修行を続けています・・・・なんて奴もみたことないw
せいぜい、心経かじって、あとはちょこっと瞑想もどきのものして、その過程でハイになって
悟った と勘違いしてるアホばっかでしょ?w


・・・・瞑想、座禅、その他の行・・その過程において自己に起きた変化をどのように捉えるか?
その指針となるのが祖師たちが残してくれた言葉であり、経典の記述であり、師匠の指導なんでしょ?w
なんていうかw ちょっとハイになってテンパッちまったのを悟ったなどと勘違いして吹聴するような
恥ずかしいこといい加減にやめたら?w
それって、統合失調症の者が幻聴聞いて、「俺は神の声をきいた。俺は預言者である。」と
言ってるのと変わらんがねww

補足・・・言語をツールとして利用し導いていく方向性をとるもの・・・そう公案禅というやつも
あるわなw  言語のもつ多様な効用を軽視したらいかんぞw
要は、言語による固定化という、硬直性の強い視点に縛られるのはダメだよ・・ってことでしょ?w
0666神も仏も名無しさん
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2016/09/17(土) 11:33:00.77ID:ZjLik1mn
>>665
仏教で悟った人は、どこにいる?
0667パーピマン ◆hVgvvzQ7pw
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2016/09/17(土) 11:38:08.24ID:hFu5Vc02
>>666 wwwwwwwww

釈迦w
0668パーピマン ◆hVgvvzQ7pw
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2016/09/17(土) 11:44:25.63ID:hFu5Vc02
時系列でいうと、次は、コンダンニャ を初めとする五人の修行仲間かw
0669神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/17(土) 11:48:46.51ID:t8QQs//7
>>668
みんなもーいませんやん
その方々が導いてきた系譜で、現代にいのちを持ってる人がいなきゃ指導はないやんか
0670パーピマン ◆hVgvvzQ7pw
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2016/09/17(土) 12:01:04.91ID:hFu5Vc02
>>669 wwwwwwwwww

つまり、あれかい?

現在、生存している仏教徒の中で、覚者はいるのか?  とw

それは、「知らん」・・・・・・どっかにいるのかもしれん。
まあ、ある仏教徒のことばだが、東南アジアには、現在進行形で存在
しているらしい。

オレは、それは可能性としてあるんじゃないかと思うが。
ああいう社会だと、それもあり得るかな? とは思うw
0671神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/17(土) 12:41:30.95ID:1UeVtVWE
正等覚者はお釈迦様の次は弥勒菩薩であると経典で説かれているから
今現在、正等覚者はいないでしょう。
菩薩でしたらダライ・ラマ法王がそうでしょう。
ダライ・ラマ法王の説法がYouTubeで日本語通訳付きで紹介されています。
「入菩提道論」「東南アジア主催の法話会」などを聴聞されたら
聞慧が身に付くと思います。
0672パーピマン
垢版 |
2016/09/17(土) 17:42:28.69ID:hFu5Vc02
言い忘れてたので書いておくが・・・・

「山川草木悉皆成仏」 など、草木成仏 に関する研究本 としては
『草木成仏の思想』 末木美士 著  が、ある。
去年出版の新しい本だが、全くの初心者が読むのはつらいかも?w

まず、ネットなどで最低限の基礎知識を得た後で読んだ方がいいw
0673安堂
垢版 |
2016/09/17(土) 17:46:09.83ID:824AM1ae
P閣下はちゃんと読んでるだろうなあ?
悪魔のふりして
覚者気取りを手込めにしてるだけじゃあ名が廃るぞ?!
0674宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
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2016/09/17(土) 17:48:50.96ID:2ncDAAZA
>>671
正論ですね。

ゴータマ仏以降〜で
(神智学情報では、一般に知られることの無い仏教界からの覚者も僅かにいるようですが..)、
次に、大衆の目前に出現して導かれる如来は弥勒ということになっている。
また、ダライラマ法王猊下であればこの私も何もいうことがない---称賛します。
0675パーピマン
垢版 |
2016/09/17(土) 18:25:40.21ID:bOD7KjsI
>>673
当たり前だろうがw
自分で読んでない本など、紹介せんわ
0676神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/18(日) 01:58:43.10ID:/JnLYwvj
バービーの知識お花畑オナニー凄いなW
0677590
垢版 |
2016/09/19(月) 08:11:09.09ID:tCeQvt44
>>664-665
パーピーマンは、まだくだらないことを喚いているのか。
いくら書物を研究しても悟れないよ。学者がそのいい例じゃないか。
釈尊は29歳までヴェーダを学び、36歳で悟ったのを知ってるよね。
究極の境地を体験したからだ。
体験がなければ、何年書物を漁っても悟ることはできない。
いつまでも中身のないパーーピーマンだってことw
0678神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/19(月) 11:45:59.99ID:riH/hyeI
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6
自灯明・法灯明
釈迦は
人々に、三悪趣が滅し預流果の境地に至ったか否かを知る基準となるものとして法の鏡の説法をする
四念処や三学を説いた
身体について…感覚について…心について…諸法について…
(それらを)観察し、熱心に、明確に理解し、よく気をつけていて、世界における欲と憂いを捨て去るべきである
みずからを灯明とし、みずからを依処として、法(菩提分法)を灯明とし、法(菩提分法)を依処として
四念処(四念住)の修行を実践するように「自灯明・法灯明」の教えを説いた

入滅
涅槃
聖者の教えと神通力(四如意足の智慧を以て?)について説いた
四諦を説き
四大教法を説き、仏説が何であるかを明らかにし、戒定慧の三学を説いた
法を説き供養を受けた
http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/74cf8e71e4ecceedf95ca476a8c02ec3
(1)ブッダの(直接の)言として新しい事がらを
(2)僧団の(直接の)言として新しい事がらを
(3)長老の(直接の)言として新しい事がらを
(4)達人の(直接の)言として新しい事がらを
言い出す者があれば、喜ばずきらわずに聞き、これを経(経典・論書・解説書など)と律とに照して明らかにし、相違すれば捨てるべきこと
http://www.asahi-net.or.jp/~cn6k-inb/02/nukigaki.html#3
曹洞宗  内山興正
…さらに無著・世親の唯識系統では阿頼耶識説を説くことにより,いまいうような霊魂についてばかりではなく
われわれ日常行為における因果関係についても,まったく詳細巧妙に説明する心理学を展開しています
そういうつもりで唯識教学(経典・論書・解説書)などを勉強すると,われわれの実際修業における日常生活の心構えにも大いに役立つと思います
0679神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/19(月) 11:49:40.84ID:mm1u6wNq
意味から入れよ
0680神も仏も名無しさん
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2016/09/19(月) 12:27:52.79ID:riH/hyeI
>意味から入れよ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E8%AB%A6
四諦
滅諦
「苦しい!」と掴もうとしている想いを手放しするために
教学の一環として
(大乗も含めて?)経典・論書・解説書などによる導きも必要である
http://www.geocities.jp/tubamedou/Jiten/Jiten6.htm#%E3%81%97%E3%82%80%E3%81%97%E3%81%8D%E3%81%98%E3%82%87%E3%81%86
有想を捨てるが故に非想といい、無想を捨てるが故に非非想という

「想う!」と掴もうとしている想いも手放し
「想わない!」と掴もうとしている想いも手放し
非想非非想も超えて、「想いを手放す!」という想いも手放して、そして
http://www54.atwiki.jp/waikei2008/pages/22.html
長部経典  第9経  ポッタパーダ経(心作用の消滅)
決して意思せず、また意思活動をしない
滅に触れる
このようにして、順々の正知による想滅定が生起するのである
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0095/BR00950L017.pdf
迷妄を性質として壊滅するもの
そのようなものを離れることは、思弁の領域を離れた寂静なる境地であり
苦しみを性質とするものの滅尽であり、形成作用の寂滅であり

縁起したものを離れ

ブッダは
そこに来ることも説かず、行くことも、留まることも
死ぬことも、生まれることも説かない
それこそが「苦しい!」と掴もうとしている想いの終わりである
0681神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/19(月) 12:30:55.09ID:mm1u6wNq
悟りは目的や目標にする対象ではない。
入口から入れよ。
0682神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/19(月) 12:59:38.88ID:riH/hyeI
 
ID:riH/hyeI は実践したことがないので本当なのか?わからないけど↓とりあえず

入口としては 『 四界分別観から 』 ↓ ということであるらしい

http://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/10/11/121352
ミャンマーモーラミャインのパオ森林僧院  パオ・セヤドー

慧解脱を証したいと思う修行者は、必ず四界分別観を修行して、自分の全身の 『 地・水・火・風 』 四大の相
…を照見しなければなりません
…自己の全身が透明でかつ、強い光を発散しているのを観る必要があります
…非常に多くの極めて迅速に生滅する色聚、すなわち、小粒子を見る事ができます

…色聚の中の究竟色法を分析します
…究竟名法を分析しなければなりません
…名色法を分析した後、更にその因縁を観照し
…名色法及びその因の無常・苦・無我の三相を、阿羅漢道果を証悟するまで、観照しなければなりません

http://totutotudojin.jimdo.com/%E5%85%AB%E5%AE%97%E7%B6%B1%E8%A6%81/%E7%9C%9F%E8%A8%80%E5%AE%97/
地水火風空識を立てて、総じて仏の体をあきらかにする
無明の暗闇に覆われた世界の中にも
大日如来の智である法界体性智は満ちている
  _  _  _

バラモン(ヒンドゥー)系の禅定などについては、宝珠殿の、ご教示にお願い致します

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B0%E4%BE%9D
ブッダン・サラナン・ガッチャーミ  m(_ _)m
0684パーピマン
垢版 |
2016/09/20(火) 02:24:58.03ID:CGE7QOHL
>>683

実際いるんだろうなあ、そういうバカ坊主w

そんなのがいるから、みんな寺から離れていくんだよなあw

アマゾンのお坊さん便 が、流行るわw
0685カラスの唄
垢版 |
2016/09/20(火) 10:54:12.04ID:1/zNBpnZ
懐かしいな。カバーだけど土曜の夜の恋人。僕が過ごした華やかしり頃のバブルの頃に流れた
俺達ひょうきん族のエンディングテーマソング。https://www.youtube.com/watch?v=MtetGxPVxx4
水は雨となり、命の源となり、生を終えた水は再び雨となり地を潤すだろう。万物は流転する。
神よもしも望むなら、雨を降らせたまえ。

土曜の夜とは安息日。そこで元の夫と結ばれた女は彼と共に永遠の夢を観るだろう。
真我と言えども生じたもの。生じたものには当然終わりがある。そこに自性は無い。
ただね、彼は復活するんだよ。創造と破壊を繰り返すこの宇宙のようにね。
この世は真我の観る夢。彼と一つになった花嫁は、彼と共に永遠の夢を観るだろう。
0686パーピマン ◆hVgvvzQ7pw
垢版 |
2016/09/20(火) 11:31:53.76ID:CGE7QOHL
いわゆる、各禅寺、座禅会、禅師の評判などを
実際の体験者の評判などからみてみたら・・・・

ひでえなあww

まともな座禅会とか、今、あるのか?w
やたら、見性認定乱発するところとかw
(覚者の大安売りww)

どうも、「井上カルト」とか言われてる一派が根源みたいなんだがw
0687パーピマン
垢版 |
2016/09/20(火) 12:08:14.25ID:CGE7QOHL
栄西の伝記などを読んでると・・

大変だったろうなあ  とw
禅を国に根付かせるためには、禅師として後進の育成よりも
まず、政治家として禅を認知してもらうために働かなくてはならない・・と。

道元などと比べると、どうしても、世間師っぽい匂いが付きまとうんだが、
パイオニアとしての苦労も理解してやる必要があるねえw
0688神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/20(火) 19:25:45.10ID:f4tN36iB
そう言われても仕方ないでしょうね。
無我を見性するのが仏道なのにこの辺の板にいる禅者ときたら尊大な者ばかりです。
結局捕まってるんですよ。勝ち負けとか上下とかマウンティングとか等々・・・
俗世間の人間社会の習慣に。

本末転倒ですね。恐らく師家方々の真似でもされてるんでしょうが
あっちは先生であり、聞かれたから答えてるまででしょう。
ところが尊大な者は聞いてもないのに上から教えてやるってなもんです。 

まるで質の悪い子供です。
ちゃんちゃらおかしいです。
0689神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/21(水) 00:57:49.95ID:abuYn5rG
日本の密教は教相と事相の二つに分かれています。
教相とは教義的、思想的なものであり、事相とは実践的、行動的なものです。
密教というのはこの二つが揃わないと充分とは言えません。
思想だけ、講義だけ聞いたのでは、頭でっかちの理屈屋になりかねない。
あるいは、実践ーー行だけやっていると、自分の宗教的な境地がどこまで行っているのかがはっきり分からないわけです。
邪教の方へどんどん行ってるかも分からない。
ですから、教相と事相、教理と実践、この二つが噛み合う
ーー真言宗の言葉では車の両輪、あるいは鳥の両翼だと言われているーー
この両方が揃って、初めて完全なものが出来上がると、言われてきました。
何故かというと、密教というものは理屈だけではどうにもならない。
やはり実行するーー自分自身が行動を起こす、体を使うーーそういうことがないと分からないからとされています。
0690パーピマン
垢版 |
2016/09/22(木) 09:38:23.55ID:JhSgBKl0
臨済宗の雲水の修行内容をみてみたが・・・・・

あんなの何年もやるのかい?

俺にはとても無理だねw

・・・・・世俗とは断絶した日常に自己を置く
それが一年、もしくは二年と期限が切られれば我慢もきくかもしれんが
一生、あるいは成道するまで・・・となると、とても無理だねw

出家は覚悟がいるねえw
(これは勿論、真摯に修行する修行者の話ねw ちょっと前にあった煩悩
まみれの生臭坊主どもは論外w 金儲けに仏教を利用してるだけだろうからw
・・・・やっぱり、在家のまま、ちょこっと座って、「悟ったああああ」って
やってるのが一番気楽でいいのか?ww)
0691神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/22(木) 15:46:54.41ID:lRQv4E7K
>・・・・・世俗とは断絶した日常に自己を置く


相変わらず、空想で語るのが好きだなあ。バービーちゅわんはよw
0692神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/22(木) 21:11:20.99ID:F/4IX6bF
>>690
今の日本に世俗と隔絶された道場(≒仏教)が存在する、なんてのは御伽噺以外の何物でもないわなw

月に二回は買い物に出るし、年に1・2回は一週間から一か月弱実家に帰るし、年に二回は二夜三日程度でで休暇があるし、
今の時代だから、携帯やタブレットの所持が許されてるとこも、中にはあるかも。
(特に携帯は、煙草同様、暗黙に許容されてるとかね。)
0693パーピマン
垢版 |
2016/09/22(木) 21:59:02.82ID:JhSgBKl0
>>692wwwwwwwwwww

もう、現在の臨済では、真摯に解脱を目指そうなんてのは皆無か?ww
0694パーピマン ◆hVgvvzQ7pw
垢版 |
2016/09/22(木) 22:03:15.39ID:JhSgBKl0
何年か前に、一代が言ってたじゃん?

「現在の日本では解脱は不可能。覚者は皆無。東南アジアの一部では
それも可能。」  ってw

結局、その通りなわけか?w
0695神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/22(木) 22:46:09.97ID:F/4IX6bF
>>694
誤解を避けねばならないのは、
「世俗との断絶」(―”断絶”の質・レベルにもよるが―)が、「解脱」(悟り、成仏)への必須要件かどうか?
ということ。
それは、
2500年前のお釈迦さんが提示したのが『断絶』だったのかどうか?という問いと同じだし、
深山幽谷で安閑と過ごすという結果だけでなく、
深山幽谷に一人居して行じるだけで、辿り着けるかどうかでもある。
 *(スポーツ的に言い換えれば、
  対戦相手(組み手、ぶつかり稽古)無く、柔道・相撲等の上達―試合、本割での勝利―に繋がるかどうか
  だったり。)
0696パーピマン
垢版 |
2016/09/22(木) 23:27:36.39ID:JhSgBKl0
>>695 完全なる「断絶」は当然、無理さw

托鉢して食料を入手しなければ二三日で死んでしまうw

しかし、釈迦のいう「無我」を心底了解して「解脱」に達するには、
少なくとも「世俗的価値体系からの断絶」は必須でしょう?

即ち、「無所有」・・・・
世間一般な「家庭を持ち、家族を愛し、仕事に精を出し、将来に備えて
蓄えも怠らない。」・・・・・まさに世俗においては推奨されるべきこと
であろうが、んなもん、仏道じゃないでしょ?w

勿論、在家はいいぜ。 そもそも解脱を目指しているわけでもないし、
仏教の教えを自己の(世俗での)生活に生かそうとしているわけだから、
それで何の問題もない。

しかし、「解脱を目指す出家」はいかんでしょ?
そういう世俗の生活を受容しては。

現在の日本社会において、求められる仏教 ・・・・・しばしば葬式仏教と
揶揄されるが、・・・在家信徒との相談事、あるいは、仏教の紹介、世俗の
生活に生かせる仏教の教え などを伝えていくことは重要だと思うがね。
(というより、日本の仏教者に求められているのはそこでしょ?)

しかし、間違えちゃいけないのは、それでは「解脱はできない」ということ。
少なくとも釈迦のいう解脱はね。 釈迦の言う解脱には、「執着の除去」は必須だよ。
それなくして解脱は不可能。  究極の執着である「自分」に対しての執着の除去を了解させる
「無我」こそ釈迦仏教でしょう?

愛する家族がいて、やりがいのある仕事があって、しっかりためた財産もある・・・・
そんな執着だらけの生活で、解脱もなにもないでしょ?w

そこんとこがわからん在家のバカが「悟りましたあああ」なんて、ほざくんだよw
「お前は、エイズ患者が助けを求めて差し出した、汚物まみれの手を何の躊躇なく
握り返せるのか?」  と。  
0697神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/23(金) 00:59:45.37ID:Z0Q2RGSn
A. ブラフマニズム:梵我一如
   梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス。神
   我:アートマン・・・・・ミクロコスモ。真我

B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如
   無梵:空・シューナター・虚妄
   無我:アン‐アートマン;ニルワーナ

C. ブディズム:仏仏一如
   仏:アミターバ / マハーワイローチャナ
   仏:如来蔵・ブッダター(仏性)

D. クリスチアニズム:霊霊一如
   霊:神・聖霊
   霊:《神の宮なるわれ》

E. (プラトン?):霊霊一如
   霊:宇宙霊魂(プシュケー・コスムー) / 世界霊魂(アニマ・ムンディ)
   霊:《われ》

F. 《もののあはれを知る》
   霊:かみ(自然および超自然)
   霊:われ(自然本性)


つまり ゴータマ氏は ブラフマニズムの非思考の庭のあり方を踏襲し その霊なる神の名前を裏返したのみである。
だから 後世の人たちは ブッダターを立てた。
これは アートマンのことである。
0698神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/23(金) 01:34:29.21ID:2uLflVyx
自力で修行して悟ろうとすればするほど生産的な活動が出来なくなり他人の力に頼ることになるパラドックスが有る。
自力自力という人間ほど他人任せの社会の寄生虫になる。
当たり前だが田畑を耕し商いをし野山で獣を狩猟し川海で漁をして日々仕事に勤しむ人間に
ロクでもない修行などやっている暇など無い。
働くというのは傍を楽にすると言う事だ。
その一番の菩薩行を行っている凡夫衆生が救われないで誰が救われるのか。
何の役にも立たぬ修行をする人間か?
おかしいだろ、変だろ、間違っているだろ。
そこに「南無阿弥陀仏」と唱えれば凡俗の徒もそのまま阿弥陀様が救って下さると
教えが届けばどれだけ心強く頼もしく思えることか。
有難う!
南無阿弥陀仏と書いてアリガトウと読む。
有難うと書いてナムアミダブツと読む。
0699神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/23(金) 04:11:13.83ID:ZG+9t8MN
お釈迦様は出離を説かれました。
出離というのは「欲望の対象から遠ざかり、貪りを離れ、滅しつくし、しだいに心は平静をえる」ことでしょう。
瞑想場所としては、森や空き家などの静かな場所がよいとされていますが
世俗との断絶は説かれていないと思います。
0700神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/23(金) 04:47:27.33ID:2khVdxKy
入口としては?始めの段階としては?
如実知見に至るためには?
通常の世俗的感覚を否定するためには?
世俗から離れて
https://kotobank.jp/word/%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88-658153
仕事や家庭などの日常生活を離れ、リトリート(retreat)
https://www.amazon.co.jp/product-reviews/4787714813/ref=cm_cr_dp_see_all_btm/354-1748680-1768135?ie=UTF8&;showViewpoints=1&sortBy=recent
リトリート ブッダの瞑想の実践 2014/4/5 ティク・ナット・ハン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93
八正道
喜や貪の心を価値のないものと斥けることが「正見」である
このように現実を厭うことは
人間の普通の世俗的感覚を否定するものに見えるが
その世俗性の否定によって、結果として
真実の認識(如実知見)に至るための必要条件が達せられるのである
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0095/BR00950L017.pdf
(無明の暗闇に覆われた世界の中で)
(因と縁の双方の縁起に依存して変化している世界の中で)
(世俗の世界の中で)
生じたもの、現れたもの、生起したもの、作られたもの
常住ではないもの、老いと死が積み重なったもの
迷妄を性質として壊滅するもの、そのようなものは楽しむに適さない
そのようなものを離れることは、思弁の領域を離れた寂静なる境地であり
苦しみを性質とするものの滅尽であり、形成作用の寂滅であり

世俗を離れて
縁起したものを離れ、そして

ブッダは
そこに来ることも説かず、行くことも、留まることも
死ぬことも、生まれることも説かない
それこそが「苦しい!」と掴もうとしている想いの終わりである
0701590
垢版 |
2016/09/23(金) 08:49:03.14ID:TIztcFMl
>>694.>>696
パーーーピーマンwww
 
解脱って具体的に何? 箇条書きしてほしいね。
 
それをはっきりさせないと、
 
解脱をいくら語ってもムダで無意味じゃなかろうか。
0702神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/23(金) 11:52:52.35ID:2khVdxKy
>解脱って何?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%A2%E3%83%B3%E6%95%99
バラモン(ヒンドゥー)
…この世で行った行為(業・カルマ)が原因となって、次の世の生まれ変わりの運命(輪廻)が決まる
…悲惨な状態に生まれ変わる事に不安を抱き、無限に続く 『 輪廻の運命から抜け出す解脱の道を求める 』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%A5%9E%E8%B6%B3
http://blog.goo.ne.jp/hhynk/e/5dfd915e6ed70b389d597c53a110d757
智慧を以て
智慧の世界を知覚して
智慧の世界に住んで
智慧の世界から観察して
仮設としての
自分も含めて
すべて一切の法も
我所ではない我でもない
と知覚して住むことである
http://yamaneko.hatenablog.jp/entry/2015/09/27/175858
ミャンマーモーラミャインのパオ森林僧院  パオ・セヤドー
生滅随観智
刹那生滅
(色受想行識の)五蘊は生起して、そして、壊滅します。故にそれらは(「変化しないもの」ではなくて)無常(であり『我所ではなく我でもない』)です
因縁滅
無明・渇愛・取・行及び業というこの五種類の因が、あなたが阿羅漢道を証悟した時に、余す所なく滅尽する事を言います
無明・渇愛・取・行及び業というこの五種類の因が、阿羅漢道智によって余す所なく滅尽する時、五蘊もまた般涅槃の時に、余すところなく滅尽します
因縁滅を了知する智慧を、因縁滅智と言います
http://www.nhk.or.jp/special/stress/02.html
マインドフルネス
雑念が出てきたことに気づいても、その辺りに漂わせておくようにして、(自然に)消えていくのを見届けます
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B0
フォーカシング(焦点合わせ、Focusing)
(その人にとって善悪の判断をする前の段階の)
まだ言葉にならない意味のある感覚(フェルト・センス)に注意を向け、その感覚と共に過ごす
0703神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/23(金) 11:57:38.31ID:sufNNlNW
>>692


バービーちゅわんは基本空想評論、空想感想文だからなw
おめでた君だからなw
0704590
垢版 |
2016/09/23(金) 20:25:07.04ID:TIztcFMl
>>702
せっかくだけど難しくてよくわからない。
わたしがパーーーピーマンに質問した意味はね、
出家しないと解脱できないようなことを言ってるからであって、
彼の解脱解釈はどうなっているのかと疑問に思ったわけ。
 
Sn.267 中村註「世俗の人が出家してニルヴァーナを証するのではなく、
世俗の生活のままでニルヴァーナに達しうると考えていたことがわかる。
しかし、後に教団が発達すると、このような見解は教団一般には採用
されなかった。」
0705神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/23(金) 21:02:27.84ID:zZmTQXIM
工事現場で針の落ちる音を聞き取れる能力・集中力があるなら、可能だとは思うよ。

  >出家しないで解脱   >>704
0706神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/23(金) 21:15:55.55ID:obTgYsB0
修行中は世俗的なことは持ち出さないてことですよ。
徹底的にね。
本来の出家だとか在家だとかはかたちのこといってんじゃないんですよ。
0707590
垢版 |
2016/09/23(金) 21:32:20.01ID:TIztcFMl
神々との対話 第T篇第三章剣第九節四輪あるもの
 
〔神が問うていわく、ーー〕
「四つの車輪あり、九つの門(=穴)があり、(汚穢に)満ち、食欲に結び
つけられ、泥土から生じたものである。大いなる健き人よ。どうしたら、
そこから脱れ出ることができるでしょうか?」
〔尊師は答えた、−−〕
「紐と革帯とを断ち、悪い欲求と貪りとを断ち切って、妄執を根こそぎ
えぐり出して、このようにしたならば脱出が起こり得るであろう」と。
 
脱れ出ること・・・中村註:解脱のことである。解脱とは霊魂が身体から
脱出して束縛のない状態におもむくことであるという見解は、ウパニシャッド
からヴェーダーンタ学派に至るまで一貫して存するものであるが、ここでは
それを通俗的な一般的観念として受け入れているのである。 
0708590
垢版 |
2016/09/23(金) 21:51:41.17ID:TIztcFMl
>>705
実際に試したのですか?
>>706
ぱっと考えたら世俗で悟る方が難しいような気がする。
でも世俗にいれば、悟りたいという思いが逆に募ることも考えられる。
出家して寺に入れば、ある意味温室で生活することになり、
それだけ悟りたいという思いが弱まってしまう。
その結果、逆に悟りから遠ざかってしまうことも考えられる。
まあ一概には言えず、人によるでしょうけど。
0709パーピマン
垢版 |
2016/09/23(金) 22:02:14.21ID:TU6sLlQ1
解脱=苦を根源から滅した状態

はい、終了www
0710神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/23(金) 22:05:09.97ID:obTgYsB0
>>708
うーん、説明では届かないからあくまで世俗諦という大前提で言うと、
たとえばこれ



なんですけど、
見ようとする前になんですけど、すでに出世間なんですよね。
で、これの連続です。

実際、頭で在家だ出家だと考えてる時にしかないじゃないですか。
実は関係ない。しかし世間に馴らされてしまってる我々はつい引きずられちゃうんですよね。
出家って一言だけで様々に縁起する。



だけでいることが修行と私が言った意味ですかね〜。 修行中は徹底、世間を置いておく。
もっと言うと今までの人間として生きてきたもの全部おいて置く。 一物もあってはならないですね。
本来 ○ 
0711神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/23(金) 22:18:40.16ID:ZCv76tiw
在家でも参禅していればいつか見性を得ることができます
0712590
垢版 |
2016/09/23(金) 22:24:04.74ID:TIztcFMl
>>709
どうやって苦を滅するわけ? 苦の原因を考えるんじゃない?
そしたら過酷な苦に直面していた方が解脱しやすいよね。
そのいい例が、国が滅びてしまったユダヤ人だ。
精神への過酷なストレスが天才を産む。
>>710
坐禅をしている最中はそうですが、
その前に苦を【根こそぎ】にする必要があります。
これが残っていると雑念が生じ、坐禅が徹底しないですよ。
よくて非想非非想処どまりで終わります。
0713パーピマン ◆hVgvvzQ7pw
垢版 |
2016/09/23(金) 22:27:52.74ID:TU6sLlQ1
>>711 そのなあ、「見性」ってやつが、クセモンなんだよw

実際は、頭の中にお花畑さかせて、「あ!!!分かった〜〜〜」
となる。 それをまた、全然、悟ってもねえアホ師匠が、
「よし、お前は見性した」 とやる。

実際は、「悟り」でも何でもねえのに、それを「釈迦の悟り」とか
大嘘こいて、「うちでは、これだけの人が悟りました」 と宣伝するwww

まあ、明治以降だろうなw 見性が大安売りされるようになったのはw
0714パーピマン ◆hVgvvzQ7pw
垢版 |
2016/09/23(金) 22:29:14.55ID:TU6sLlQ1
>どうやって苦を滅するわけ? 苦の原因を考えるんじゃない?

とりあえず、仏教の入門書 読んできてくれw
0716神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/23(金) 22:36:09.87ID:n2bfs7gu
出家さえ形だけ。もう言うことないわ。
0717590
垢版 |
2016/09/23(金) 22:42:13.16ID:TIztcFMl
>>714
なんだw まだ苦を根こそぎにできてないのか。
ぬるま湯に浸かってるからダメなんだよ。
生活にゆとりがある人は今生の解脱は諦めた方がいい。
苦しくて頭がキリキリ痛むぐらいじゃないと無理。
0718パーピマン ◆hVgvvzQ7pw
垢版 |
2016/09/23(金) 22:44:25.43ID:TU6sLlQ1
>>717 wwwwwwwww

そもそも、解脱なんて望んでないからw
0719590
垢版 |
2016/09/23(金) 22:58:39.77ID:TIztcFMl
>>718 
宗教書を読んだり、宗教板にいる理由が不明w
哲板に行けwwwwwwww
0720パーピマン ◆hVgvvzQ7pw
垢版 |
2016/09/23(金) 23:00:44.85ID:TU6sLlQ1
>>719

どうでもいいが、ここは、

「精霊体験がああああ」とか「龍神体験があああ」 なんて喚く
オカルト馬鹿に用はないんですよww

消えなww
0721神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/24(土) 00:47:41.05ID:JZoQuRRF
ブッダ 悪魔との対話 - サンユッタ・ニカーヤ2
第6篇 梵天に関する集成
  第一章 
第一節 懇請             
第二節 恭しく敬う
第三節 ブラフマデーヴァ       
第四節 バカ梵天 ←
第五節 他の見解           
第六節 なまけ
第七節 コーカーリカ(またはコーカーリヤ)
第八節 ティッサカ
第九節 トゥドゥ梵天         
第一〇節 コーカーリカ


「そのときバカ梵天に、このような悪い偏見が起こった。
――これは常住である。これは永遠である・・・・」
「尊師はバカ梵天に次のように言った。
『バカ梵天は無明のうちにとらわれてる』・・・・」
「バカ梵天いわく・・」
「バカ梵天いわく・・」


やはり梵天はバカだったww
0722カラスの唄
垢版 |
2016/09/24(土) 07:27:43.45ID:b9B++bjp
>>721
そこはな、ブラフマン=真我を常住普遍、永遠不滅の自性の性質を持つ
アートマンだと誤謬していた当時の、いや現代のヨーガ系の人にも言える、バラモン教徒に
対する皮肉と、後世に意図的に仏教界に末法の世を築くためにあえて真我を省く教えを
東洋に広めるために書かれた文章なんだよ。理由はバービマンのようなどうみても
原始仏典を読めば業報輪廻転生をゴータマは説いているのに、詭弁を駆使しては説いていない事に
してしまい、元の教えを自分の気に入る教えに改変してしまう悪人から
ヴェーダを守るためと、バービマンのような見込みのない魂を早く始末するため。
ま、我々のエゴもブラフマンの一部であるから、馬鹿梵天もいるとも言えるわな。
自性の性質を持つアートマンの正体と、ブラフマンとは何かを正しく理解すれば、それらを
認めても仏法に反しないどころか、ゴータマの教えも正しく理解するだろう。
しかしそうなると、ほとんどヒンドゥーになってしまい、スマさんの
能書き聞いてもわかるように、今さらブラフマンを認めるわけにもいかず、
一部の自称伝統的仏教は後戻り出来ないだろ。どうすんのこれ。
はっきりいって仏教徒は今の仏教の教えを捨てない限り真理を掴むこともなければ
救いも無い。禅宗にしろ上座部にしろ、キリスト教のいう安息日しか語っていない
反知反解の出来損ないなのに、自分達はなにか特別だと勘違いしてるところは
みてて非常に笑えるところではある。
0723神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/24(土) 08:03:29.56ID:G7miCiTm
本を読んだら哲学板に池と言われる。
この板では読書もままならんなw
0725神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/24(土) 08:28:54.88ID:z1/fM9M2
>>721
外道の、中身のないパーーーピーマンには当然理解できないだろう。
釈尊はバカ梵天が、
欲望と煩悩を【根こそぎ】にしてないことをすぐに見抜いたのだね。
0726神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/24(土) 08:39:20.75ID:z1/fM9M2
>>723
本を読んでバカになるぐらいなら読まない方がまし。
彼がバカなことを言えば、まじめな人たちが迷うことになる。
もともとパーーーピーマンは外道だからね。
宗教板に潜り込んだアラシだよ。
0727神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/24(土) 09:29:22.38ID:z1/fM9M2
 
このスレの趣旨は、仏教に関する様々な論点に
関して、私が私見、疑問点等を提示いたします。まさに、「外道がぶつぶつと
独り言を書き散らしているスレ」だと思ってくれて構いません。
勿論、それに対して異論、反論、疑義等は排除するものではありませんが、
極めて恣意性の強いスレであることを了解願います。
上げておりますのは、別段大勢の人たちに来てほしいからではなく、
(むしろその逆で過疎って欲しいくらいですw) 
 
「真摯なる碩学」が、私の書き込みを目に留め、
その瑕疵を指摘してくれることを望むが故です。
0728神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/24(土) 09:38:34.15ID:aY6hjwoj
>>726

ほーかね。
オレは本を読んだことでバカになるとは思わんし、
リアルの世界で「本を読んだことでバカになる」と公言している人間に会ったことは一度もないし、
ネットの世界でも「本を読んだことでバカになる」とか書いてあるのを目にするのも2ちゃんねるくらいだが、
そうなのかもしれんねw

宗教ってのは実に奥深いものだなあ()
0729パーピマン
垢版 |
2016/09/24(土) 10:25:43.85ID:AOrpHvq2
発狂しちゃったかw

「精霊体験」すると発狂しやすくなるのかw

いやだなあ。

そんな体験したくないなあww
0730カラスの唄
垢版 |
2016/09/24(土) 10:58:23.88ID:KHpYRqJv
>>729
唯物末法仏教は楽しいか?屁理屈詭弁を並べたところでただの
気休め程度で現生の苦の滅などないぞ。痛みも快快おないのだ。中道だ空だと
ほざいても病気になりゃ苦しむし、悪質なところから借金抱えて返せなききゃ、
追い込みかけられて苦しみのあまり鬱になるか、苦しみの内に自殺するんだよ。
そして生死などないのだ、空だ!とほざいても実際に医者から不治の病で余命数か月
だと宣告されたら、自分が消滅する恐怖に残った余生を絶望の淵にたたされ
送るんだよ。その時にやっと悟るだろう。俺様の信奉する末法仏教は
糞の役にもたたないガラクタだったってね。その時は遅かれ早かれ必ずお前にも
やってくるぞ。楽しみだな。
0731パーピマン ◆hVgvvzQ7pw
垢版 |
2016/09/24(土) 11:01:19.68ID:AOrpHvq2
>>730 wwwwwwwwww

どうした? カラスw

何かつらいことでもあったか? お兄さんに話してみなw
聞いてあげるからw
0732神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/24(土) 11:03:34.74ID:JZoQuRRF
(VI.1.4)【バカ梵天】 (第一章) サンユッタ・ニカーヤII
http://blog.livedoor.jp/youseethesun/archives/52238942.html

6.〔バカ梵天いわく、−−−〕
「ゴータマよ。われら七十二人は、功徳の業によって、生と老いとを超えて、世の統治者となった。
この梵天として生まれることは、最後に〔生まれること〕であり、ヴェーダによって達成されるものである。
多くの人々は、われらに語りかけて祈願する。」

7.〔ゴータマ・ブッダいわく、−−−〕
「このいのちは短い。いのちは長くはないのだ。バカ梵天よ。
そなたは〔自分の〕寿命が長くて、百千億年もあるように考えているが、
わたしはそなたの寿命の長さを知っているのだ。」

8.〔バカ梵天いわく、−−−〕
「尊師よ。わたしは無限を見ている者です。生れと老いと悲しみとを超えました。
では、わたしが昔〔過去世において〕禁誓と戒めとをまもっていたことというのは、何ですか?
それをわたしに説いてください。−−−わたしは知りたいのです。」

9.〔ゴータマ・ブッダいわく、−−−〕
「多くの人々が渇に苦しめられ、暑熱に悩まされていたときに、そなたはかれらに水を飲ませた。
〜(中略)〜
それが、そなたが昔に禁誓と戒めとをまもっていたことなのである。
眠りから目ざめたばかりの者のように、わたしは想い起こす。」

10.〔バカ梵天いわく、−−−〕
「ああ、あなたはわたしのこの寿命の長さを明らかに知っておられるのです。
またあなたは他のことも知っておられます。あなたはブッダだからです。
そうだからこそ、〔あなたの〕この輝く威力は、梵天の世界を照らしておられるのです。」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

要するにバカ梵天は己が解脱成仏して永遠のニルバーナにいると顛倒無想していたのだが、
実際は前世に功徳を積み続けていたので天部という
寿命が人間界に比べると長い世界に生まれただけであったのをゴータマ・ブッダに諭されたという話。
最後にはブッダの方が梵天よりも格上であることを梵天自ら認めている。

だがバカ梵天でも八正道の実践により解脱成仏することは可能であろう。
天部にいるので人間よりは仏に近いのであるし。
0733神も仏も名無しさん
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2016/09/24(土) 11:43:13.10ID:VL/zY5ZM
>>732
長命の天の功徳の業は人間より大きいですが
人間のような苦しみが少なく、漫に陥りやすく
忍耐などの苦行も積みにくいがゆえ
菩薩道では長命の天に生まれることを願いません。
長命の天も寿命がくると老いて醜くなり、悪臭を発すると経典にありました。
0734パーピマン
垢版 |
2016/09/24(土) 12:49:28.94ID:AOrpHvq2
カラスの唄

カラス科      アホカラス属

《特徴》  カラス科の鳥類は一般に知能が高いが、このアホカラスのみは
      例外的に極めて知能が劣る。

《習性》  非常に攻撃的。あらゆるものに噛みついて回るが、直ぐに撃退されて   
      逃走するのが常。

《その他の特性》  鳴き声が特徴的。
         「詭弁、詭弁」 とよく鳴くので、別名、「詭弁鳥」とも
          呼ばれる。
      興奮すると、 「ウダーナ、ウダーナ」  または
      「ルシファー、ルシファー」 と鳴くこともある。

   宗教板に生息する有名な害鳥の一種なので、皆さん、見つけ次第、駆除を
   お願いしますwww
0735神も仏も名無しさん
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2016/09/24(土) 13:49:06.28ID:SFUdNIBN
>>722
>ま、我々のエゴもブラフマンの一部であるから、馬鹿梵天もいるとも言えるわな。

バカ梵天の仏性も本来は輝いているのに客塵煩悩によって汚れてしまい、エゴが生じてしまったと思われる。
そんなバカ梵天でも、箒を手にして「塵を払わん、あかを除かん」と唱えながら毎日掃除をしていれば、バカではなく覚者となれるであろう。
0736宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
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2016/09/24(土) 20:07:41.25ID:G9nkv9ar
本日、休日を使って朝から秋彼岸のお参りに行きまして、
つい先程、車を洗車してから帰宅したところです。
結婚したことでお参り箇所も増えまして、妻方の菩提寺(浄土真宗大谷派/東)の納骨が二ヵ所、
妻方実家の御仏前、私の母方の菩提寺(浄土真宗西本願寺派)の墓所、
そして、実家の菩提寺(真言宗智山派)の納骨と実家の御仏前、
その他、恒例参りとして菩提寺の本院で不動尊霊場の札所へも参拝しています。
明日の最終日は、自宅の不動尊へ精進供と祖霊に霊供膳を捧げて秋彼岸の勤行予定。

後で、マハルシとギーターについての投稿をしたいと思いますが、
ここで重ね重ね繰り返し強調しておきます。

我々の本質(存在)は、永遠にして不滅のアートマン(真我)です。
しかし、そのことに気付くことができず輪廻しているということ。
ゴータマの無我の教えを誤解している現在の南方仏教は、ゴータマは「そのようなものは無い」と説いたと勘違いしています。
けれども、それはまったくの誤解によるもので部派時代からのおよそ二千年間も継承してきた完全な間違いです。
ゴータマが説いたものは、「それらはアートマンではない」という非我とでもいうべきものであって、
つまり、アートマンではないものをアートマンだと誤認している当時のバラモンたちの間違いを指摘したものです。
尚、輪廻主体である魂については、ゴータマは「識」としてこれを説き、アートマンそのものについては無記の姿勢を採りました。
この魂存在については、現在ヒンドゥーでは「ジーヴァ」などと呼称しています。
そして、唯物論者が勘違いしやすいのは、「魂」、「識(阿頼耶識)」、「ジーヴァ」などとして知られるこれらの同一の輪廻主体は、
濃密物質レベルの次元を超越したものですが、しかし、これはアートマンと誤認しやすい存在であって、
我々がアートマン(真我)に目覚めるまでの間の永き期間において、
アートマンと肉体とを繋ぐ媒介の役目を担う縁起した存在だということ。

では、また後ほど...
0737宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
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2016/09/24(土) 20:09:55.73ID:G9nkv9ar
>>732
そんなものは、
単なる仏典編集者による
(ゴータマの偉大さを示してバラモン・ヒンドゥーを見下すための)くだらない“創作”です。

本来からして、
元々、ブラフマンもブラフマーも共に天部存在などじゃないからね。
こういうところが仏教徒らによる勝手創作の典型例の顕著なところです!!
またそれを見て、「仏教ってやっぱりすごいんだ!」などと喚起するのが一般信者です。

まっ、あまりに気になったので、
つい投稿...。
0738神も仏も名無しさん
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2016/09/24(土) 20:57:02.03ID:Zs23d0QB
真我が縁起に反するってのが、なんで解らないかな・・・w

諸法が縁起するものなら、真我はあり得ず、
真我があるなら、縁起は誤謬ということさ。
0739パーピマン
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2016/09/24(土) 22:03:21.71ID:AOrpHvq2
>諸法が縁起するものなら、真我はあり得ず、
> 真我があるなら、縁起は誤謬ということさ。

はい、正解w

でも、オカルト信者には永遠にわからんww
0740590
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2016/09/24(土) 23:03:27.34ID:z1/fM9M2
>>738-739
まだそんなマヌケなことを言ってるのか。進歩がないね。
身体と真我は次元が違うんだよw
0741パーピマン ◆hVgvvzQ7pw
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2016/09/24(土) 23:13:41.88ID:AOrpHvq2
>>740

オカルト馬鹿は消えろ って言ったの理解できないの?www
0742590
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2016/09/24(土) 23:24:59.19ID:z1/fM9M2
事象に実体が無いなら、そもそも縁起自体が成立しない。
空が幻なら、幻同士がどうやって縁起するわけ?
縁起のしようがないだろ。そんなこともわからないバカなの?
作用するには、作用点がないと縁起しないからね。
この作用点が実体の存在を証明している。
0743590
垢版 |
2016/09/24(土) 23:32:48.73ID:z1/fM9M2
竜樹の縁起空は完全に間違ってるのさ。
 
実体のないパーーーピーマンにはわからないだろうがwww
0744パーピマン ◆hVgvvzQ7pw
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2016/09/24(土) 23:32:57.22ID:AOrpHvq2
>>742 消えろってのがわからないの?

くだらねえ妄想でスレを消費されたくないのww
0745宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
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2016/09/24(土) 23:54:27.73ID:G9nkv9ar
>>737
訂正:
 ×「喚起するのが一般信者です」
 ○「歓喜するのが一般信者です」

>>738 :
縁起は一切諸法に限定されるというのが、なんで解らないかな...w
諸法とは有為法のことであり、真我は無為であるから縁起の法には抵触しない。
涅槃は生起しない。そして、同じく真我も生起しない。

『依り所のないもの(appaThitta)、生起のないもの(appavatta)、
所縁のないもの(anArammaNam)が、すなわちこれ(etamM)です。
これがすなわち苦の終わり(anto dukkhassa)です』
(ウダーナ8:1)

そろそろ学習しよう!
0746神も仏も名無しさん
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2016/09/25(日) 00:13:01.40ID:JABLRIJc
世界(ジャガト)は幻想

(「ブラフマンは真理である。世界(ジャガト)は幻想である」とは
シュリー・シャンカラーチャーリヤの常套句だ。
しかし、別の人たちは
「世界は実在である」と言う。
どちらが真実なのか、というなら)
 
 どちらの言葉も真実である。
 それらは異なった霊性の段階について、異なった視点から語られたものである。
 真理の探究者(アビヤーシ)は、「つねに存在するものが実在である」という定義から進みはじめる。
 それから彼は世界を非実在として捨て去る。
 なぜなら世界は変化するものだからである。
 このように、変化するものを非実在として捨て去っていくことで、探究者は究極的に真我にたどり着く。
 その実現のなかで、彼はすべての存在がひとつとして在ることを見いだす。
 そのとき、最初に非実在として捨て去られたものも、
ひとつとして在ることの一部分だったことが理解されるのである。
 実在のなかに吸収されれば、世界もまた実在である。
 真我の実現のなかではただ存在だけがあり、他には何もない。
(ラマナ・マハリシ)
http://now.ohah.net/pari/dicr/words03.html
0747カラスの唄
垢版 |
2016/09/25(日) 01:25:06.01ID:lBVvUbMN
ゴータマが有る無しの明言を避けた、アートマン。縁起に依らず単独で成立するものについて
仏教徒は2500年もたって未だに悟れないのだから笑えるよな。
俺はこの道を探求して10年もしないで見破ったぞ。ま、精々滅びの教えに
邁進しておれ。それが詭弁を好む悪人には相応しい結末だ。
0748神も仏も名無しさん
垢版 |
2016/09/25(日) 01:49:39.65ID:JABLRIJc
パーピマンは仏教徒ではなく外道であると自分では言ってるけど、仏教の教えには物凄く固執し執着してるんだよな。
実際は立派な仏教徒だよ。
本人も気づいているだろうけどもう引き返せないのだろう。
0749宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
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2016/09/25(日) 03:03:21.18ID:FrMsUnBA
>>732
追記:

ブラフマーの意志の如何一つによって、
たとえブッダたりとも一瞬で掻き消されてしまうということ。
このブラフマンの原理と力なくしては、一瞬たりとも世界を現ずることができない。
従って、悟りを開く修行すらできないし、そして、ブッダの出現すらも起こらない。
であるのに、天部の神々のレベルなどにしてしまうというのは、
単に、バラモン・ヒンドゥーを仏教の下位へと位置付けて、
仏陀の神格化を図るための仏典制作者側による勝手なデタラメに他ならない。

この梵天勧請の本当の出来事とは、
ゴータマ自身がそのまま法(教え)も説かずに涅槃に入るか否かについて、
己自身の心の葛藤があったことを仏教文学的に表現したものであり
(それは、つまりたとえ完成者といえども、その次元レベルでの心の葛藤はあることを意味する)、
仏陀の神格化とバラモン・ヒンドゥーを仏教の下位に位置付けるために利用した創作物語に過ぎない。

-----------------------------------------------------------------
誤解した仏教徒らに捧ぐ!
 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1255484423/26-27
 『南インドの瞑想』おおえまさのり訳編/大陸書房刊より
0750宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
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2016/09/25(日) 03:07:50.40ID:FrMsUnBA
>>655
>行為者はいないのに、どこにカルマがあるというのかとマハルシさんがゆってますよ。
>行為がないのなら、成果もないでしょう。

これも同様であり、マハルシはあくまでも真我の視点からそのまま述べているのです。
真我は、“行為の主体者ではない”から、あなた(真我)は行為してないと。
このことについては、シャンカラも同じことをいっています。
つまり、我々のような者の意識の焦点というのは真我にはなくて常時、低我に置かれているので、
自分のことを縁起してる無常の存在であると見なす。そ
して、行為をなしてカルマ(業)を形成して輪廻している。

 『弟子は、「その無明とは何でしょうか。その対象とは何でしょうか。また明智によって自分の本性に立ち帰るわけですが、その
明智とは何なのでしょうか」と尋ねた。
 師は答えた。「君は最高我であって、輪廻しない。それにもかかわらず《私は輪廻しています》と言って、正反対に理解している。
また行為の主体ではないものにもかかわらず《(私は)経験の主体である》、(永遠に)存在するにもかかわらず、《(私は永遠には)
存在しない》(と、正反対に考えている)。-----これが無明なのです。」』
(シャンカラ著『ウパデーシャ・サーハスリー』U散文篇.第2章49-50/岩波書店刊)

であるから、我々の意識の焦点は真我へと置かれるべきなのですが、
しかし、そのことをただ知的に思考の中で分かったところで、できるものではないということ。
なのに、「何故それが分からないのか? あなたは真我そのものであり、それ以外のものではないのに、
何故、自分のことが分からないのか?」と、マハルシは問い続けるわけです。そのようにして低我に留まっている意識を破壊しようとする。
けれども単に、このことを問い続けるだけでは到底、無理であり、終いにはそのことを問い続ける気力も思考力すらも失せてしまうでしょう...。
ですから、その辺のところにジニャーナの教え方には限界性があるということ。
これだけで真我を実現できる人というのはごく希れであって、
そういう人というのは、始めから殆どあとは気付きのキッカケを待ってただけのような境地の人です。
0751宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2016/09/25(日) 03:09:45.58ID:FrMsUnBA
尚、「行為がないのなら、成果もないでしょう」(>>655)というのは誤解だと思います。
ゴータマは、行為については欲望に基く行為をしない「行為の遠離」を説き、そして、「悪を為さず善を為せ」といいました。
更に、その善行については「無執着」にて実践するように、と。それがカルマ・ヨーガの道です。
この無執着で為される行為(善行)ということは、行為の主体でない真我の意味合いともまったく抵触しないものとなります。
これだったならば、ジニャーナよりも遥かに我々にも実践が可能となります。
悪を為さず善行に励みながら瞑想の実修を続けることで、その習慣化の中で意識の持ち方も段階的に、
そして、徐々に無執着で行えるようになっていく。

では、そのことを説くクリシュナの教え
(聖典『バガヴァッド・ギーター』)を見てみましょう。

このギーターの中に出て来る「超行為」と「知識の実修(ジュニャーナ・ヨーガ)」、
「哲学サーンキャ(サーンキャ・ヨーガ)」(サーンキャ哲学を指すわけではない)などといっているのは、
マハルシの説く「ジニャーナ(智恵の道)」のこと。「行為の実修」、または単に「実修ヨーガ」といわれるものは、
ジニャーナ以外の他のすべての霊性の道を総じて指す言葉ですが、
ギーターの中では特に、カルマ・ヨーガと瞑想中心のラージャ・ヨーガ、そしてバクティ・ヨーガの三つについて教えています。
ギーターの言葉については、私のような者からの説明などは特に無用ではないかと思います。
そのままズバリ、その通りに読めばそれだけでいいと思います。
0752宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2016/09/25(日) 03:12:26.35ID:FrMsUnBA
  『お前の関心は行為にのみあり、決して行為の結果にあってはならない。行為の結果を、おまえの動機としてはいけない。また、
 おまえは無行為に執着してはいけない。(2-47) ダナンジャヤ(アルジュナ。「富をかち得た人」の意)よ、実修ヨーガの中にあって、
 執着を捨て、成功・不成功に対して心を平等に保ち、行為せよ。平等心こそ実修とよばれる。(2-48) なぜなら、ダナンジャヤよ、
 (私欲的)行為は心の実修ブッディ・ヨーガ(結果を期待しない心的態度による行為)よりはるかに劣るから。理性ブッディを拠りどころとせ
 よ。結果を(行為の)動機とする者はあわれむべき者である。(2-49) 心の実修を修めた者は、この世において善行と悪行の二つを
 捨てる。それゆえに、おまえは実修に専念せよ。(私欲のない)行為に熟達することは、この(心の)実修にある。(2-50) 心の実修を
 修めた賢者は、行為から生ずる結果を捨て、生の束縛を脱して、わずらいのない境地(解脱)に到達する。(2-51)
0753宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2016/09/25(日) 03:13:26.72ID:FrMsUnBA
  咎のない者(アルジュナ)よ、この世には二種類の道がある、とわたしは前に述べた。哲学者サーンキャの知識の実修ジュニャーナ・ヨーガによ
 る道と、実修者ヨーギンの行為の実修カルマ・ヨーガによる道と。(3-3) 人は行為に着手しないでは超行為の状態に達せず、また行為の遠離
 カルマ・サンニャーサによってのみ完成に到達するものでもない。(3-4) なぜなら、一瞬間さえも行為を行わずにいる者はないから。すなわち、
 すべての者は根本原質プラクリティから生ずる成分グナによって、いやおうなしに行為させられる。(3-5) 運動器官を制御し、しかも意
 マナス(内的器官)をもって諸感覚器官の対象に思いを凝らし、心の迷った者は、偽善者とよばれる。(3-6) しかしアルジュナよ、意に
 よって感覚器官を制御し、運動器官によって行為の実修を行い、執着のない者は、すぐれている。(3-7) おまえは義務的行為(ヴェー
 ダが不可欠の義務として規定した行為)を行え。なぜなら、行為は無行為に勝るから。行為がなければ、おまえの身体を維持すること
 さえおぼつかないであろう。(3-8)
  したがって、執着を離れてたえず義務的行為を行え。なぜなら、執着を離れて行為を行う人は最高所(解脱)に到達するから。(3-19)
  行為はすべて、根本原質の成分によって行われる。しかし、自我意識で心が迷った者は、「わたしが行為者である」と考える。(3-27)
  しかし、力の強い者よ、個我が(根本原質の)成分および行為と異なることの真相を知る者は、「成分は成分に対して活動する」と考
 えて執着しない。(3-28)
0754宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
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2016/09/25(日) 03:14:18.42ID:FrMsUnBA
  行為はわたしに影響せず、また行為の結果をわたしは期待しない。わたしをこのように理解する者は、行為に束縛されることはな
 い。(4-14)
  すべての行為が欲望や意図を離れた人、その行為が智恵の火で焼き尽くされた人を、智恵のある者は賢者とよぶ。(4-19) 行為の
 結果に対する執着を捨て、常に心が満ち足り、他に依存しない者は、たとえ行為にたずさわっていても、なんら行為を行わない。(4-20)
 期待を抱かず、心身を制御し、すべての所有物を捨て、身体のみによる行為(生理的行為または、なんら期待を求めない行為)を行う
 者は、なんら罪過(輪廻)を得ることはない。(4-21) はからずも手に入れたものに満足し、相対を超え、妬み心を離れ、成功・不成
 功を平等に見る者は、たとえ行為をなしながらも束縛されることはない。(4-22) 執着を離れ、束縛を脱し、心は知識(アートマンを
 対象とする知識)に落ち着き、祭祀のために行為を行う者にとって、行為は(その果報と共に)すべて消え去ってしまう。(4-23)
  パランタパ(アルジュナ。「敵の破壊者」の意)よ、知識による祭祀は、財物から成る祭祀に勝る。プリターの子よ、すべての行為は、
 残らず知識の中に完成されている。(4-33)
  アルジュナよ、燃えさかる火が薪を灰にするように、知識の火はすべての行為を灰にしてしまう。(4-37) なぜなら、知識に匹敵
 する浄化具は、この世には存在しないから。実修ヨーガによって完成した者は、時機がくれば自らそれ(知識)を自己の中に見出す。(4-38) 
 信仰を持ち、それ(知識)に専念し、感覚器官を制御する者は知識を得る。知識を得たあとは、彼は直ちに最高の静寂に到達する。(4-39)
0755宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2016/09/25(日) 03:15:32.18ID:FrMsUnBA
  (行為の)遠離と行為の実修とは、ともに至福(解脱)をもたらす。しかし両者のうちでは、行為の実修が行為の遠離よりすぐれて
 いる。(5-2)
  哲学サーンキャと実修ヨーガとを、異なった(結果を生ずる)ものとして愚者は語るが、しかし賢者はそうではない。たとえそのいずか一方
 にでも正しく専念すれば、両方の結果を得る。(5-4) 哲学者サーンキャが得る境地は、実修者ヨーギンによっても達せられる。哲学と実修と
 を(同じ結果を生ずる点で)同一であると見る人は、真に見る者である。(5-5) しかし、力の強い者よ、行為の遠離は行為の実修な
 くしては容易には達せられない。実修を修めた聖者は直ちにブラフマン(宇宙の最高原理)に到達する。(5-6)
 
  行為の結果を期待せず、義務的行為をなす者、彼は遠離者サンニャーシンであり、実修者である。単に祭火を用いない者、祭式を行わない
 者がそうであるというのではない。(6-1) パーンドゥの子よ、遠離サンニャーサとよばれるものは(行為カルマの)実修ヨーガであると知れ。なぜ
 なら、意図を遠離することがないならば、いかなる者も実修者ではないのだから。(6-2) 実修にのぼろうとする者にとっては、行為
 がその手段とよばれる。すでに実修にのぼりついた同じ者にとっては、静寂(行為の止息)が(解脱を得るための)手段とよばれる。(6-3) 
 なぜなら、感覚器官の対象や行為に執着せず、すべての意図を遠離するならば、彼は実修にのぼった者とよばれるから。(6-4)
 
  たとえ不完全でも、自己の(義務的)行為は、みごとになされた他人の(義務的)行為に勝る。自己の本性によって規定された行為を行
 う者は、罪過を招かない。(18-47) クンティーの子よ、生得の(義務的)行為は、たとえ欠陥があっても、捨てるべきではない。なぜ
 ならば、行為の営みはすべて欠陥におおわれているから。あたかも火が煙におおわれるように。』(18-48)
 (宇野 惇訳『バラモン経典/原始仏典』中央公論社刊)
0756宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk
垢版 |
2016/09/25(日) 03:17:38.32ID:FrMsUnBA
そして、
マハルシが真に偉大な覚者であり、その見識の優れている点というのは、
ジュニャーナ・マールガ(知恵の道)は普通の人々には非常に困難なものであることを本当は御自身もよく分かっており、
そこに至ることを容易ならしめるための行為の実修の効果を認め、その実践を自らも奨められているところにあります。
この私が初めてマハルシについて知ったのは『南インドの瞑想』によってですが、当時はマハルシの教えを著した書籍はまだ少なかった。
この『南インドの瞑想』は確かに素晴らしいものですけれど、しかし、すでに絶版となってから久しく中古でも割と高騰していたりもします。
ですから、お薦めとしては『南インドの瞑想』よりも、その内容すべてが網羅されているというこちら側(完全翻訳版)になります。

ムナガーラ・ヴェンカタラーマイア著/福間 巌訳
 『ラマナ・マハルシとの対話 全三巻』ナチュラルスピリット刊

また、『バガヴァッド・ギーター』については、私個人は中央公論社刊を好んで読みますが、
TM瞑想のマハリシ・マヘーシュ・ヨーギー(この方も本物の覚者です)や
ハレー・クリシュナ教で知られるクリシュナ意識国際協会の
A.C.バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダのギーターも良いと思います。

是非、どうぞ各自で自分の好きな良いギーターを見つけてみて下さい。
0757パーピマン ◆hVgvvzQ7pw
垢版 |
2016/09/25(日) 03:19:59.97ID:1cJN3/px
>>748 wwwwwww  それが全く違う

例えばねw  ある仏像を見たとき・・・

Aさんは、「そこに『聖』なるものを感じ、思わず拝む」
Bさんは、「その造形美に感嘆し、芸術性の高さに感動する」
Cさんは、「その作者、それが製作された経緯、歴史的背景などに興味を持つ」
Dさんは、「その仏像の金銭的価値、つまりいくら位で売れるかを考える」

・・・・おれは少なくともAではないのw つまり「信」が欠落してるわけw

俺はね、仏教というものに興味はあるよw しかし、それは
⇒「非常に特異な一つの思想体系としてね、その認識論的側面に興味があるだけ」w
(勿論、その後の発展、変容形態にもね)

仏教徒にとって、「釈迦はまさに『聖』なる存在でしょ?」
でも、俺にとっては、「2500年前に、非常に特異な認識論を示した思想家」なんだよw
それも、若干、ペシミスト的で、鬱的気質の持ち主w
・・・・俺にとっては、信仰対象ではなくて、あくまでも「人間釈迦」なのw

仏教徒なら、解脱、成仏、往生・・・・等を望むでしょ?
俺は全部、御免こうむりますwww
0758カラスの唄
垢版 |
2016/09/25(日) 03:38:29.82ID:lBVvUbMN
>>735
One For All All For One
あなたはいい筋をしていますね。我々のエゴはブラフマンの一部であり、
ブラフマンが分裂したものともいえる。渡しと貴方を分かつエゴが繰り返し生み出される
最大の因は無知である。仏典のバカ梵天の話は、自性のないブラフマンを
アートマンだと誤謬して、ブラフマンではじまり、ブラフマンで終わる単純な
アートマン論者の常見外道のバラモン教を馬鹿にしたのと、ブラフマン本体が
肉体とエゴをまとってゴータマとくっちゃべるはずもなく、ゴータマが会話をした
バカ梵天の正体は、そんなバラモン教徒の事をバカ梵天と揶揄したということで間違いないでしょう。
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