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ナマポのナマポによるナマポのための遊び場 Part54
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0002軍師 ◆cq6sDpBWys
垢版 |
2017/02/12(日) 23:59:22.89
>>1
大変に乙
0003屋形 ◆xXBVn3MKME
垢版 |
2017/02/14(火) 21:44:59.08
次はここかな?
0004軍師 ◆cq6sDpBWys
垢版 |
2017/02/14(火) 21:45:23.48
前スレ鉄屑へ
今日の流れしかりグロキチガイに粘着されたり大変だったな鉄屑
同じこと連呼するよねキチガイはあぼーんでおk
0005今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:46:15.33
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0006今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:46:18.78
カスの極み晒し魔の乞食武市と汚物家永まだまだ発狂中かよwww
0007今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:46:19.55
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0008今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:46:22.02
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0009今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:46:33.01
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0010今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:46:33.96
カスの極み晒し魔の乞食武市と汚物家永まだまだ発狂中かよwww
0011今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:46:42.53
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけですo
0012今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:46:46.61
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0013今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:46:52.94
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0014今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:47:03.83
カスの極み晒し魔の乞食武市と汚物家永まだまだ発狂中かよwww
0015鉄屑 ◆25isr4veVE
垢版 |
2017/02/14(火) 21:47:10.86
>>4
了解◎
0016今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:47:21.48
カスの極み晒し魔の乞食武市と汚物家永まだまだ発狂中かよwww
0017今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:47:28.33
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0018今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:47:32.44
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0019今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:47:38.61
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0020今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:47:43.78
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0021今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:47:49.06
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0022今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:47:56.26
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0023今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:48:03.87
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0024今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:48:07.70
>>15
シャブ犬さん?
0025今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:48:08.90
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0026屋形 ◆xXBVn3MKME
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2017/02/14(火) 21:48:10.82
オレに前パトワで挑んで来た奴いたけど
撃沈さしたよ
レベルが違うんだよ
0027今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:48:15.23
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0028今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:48:20.86
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0029今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:48:26.76
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0030今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:48:29.99
カスの極み晒し魔の乞食武市と汚物家永まだまだ発狂中かよwww
0031今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:48:32.66
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0032今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:48:38.35
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0033今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:48:43.17
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0034今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:48:49.72
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0035今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:48:54.46
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0036今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:49:00.21
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0037今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:49:07.23
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0038今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:49:12.04
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0039今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:49:16.36
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0040今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:49:24.83
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0041今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:49:29.78
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0042今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:49:35.29
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0043今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:49:43.54
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0044今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:49:49.28
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0045今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:49:56.28
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0046今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:50:02.83
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0047今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:50:07.67
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0048今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:50:13.02
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0049今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:50:20.53
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0050今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:50:25.85
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0051今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:50:31.86
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0052今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:50:38.63
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0053今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:50:43.51
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0054今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:50:50.66
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0055今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:50:56.54
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0056今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:51:01.32
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0057今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:51:07.77
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0058今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:51:14.72
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0059今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:51:19.38
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0060今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:51:24.55
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0061今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:51:33.89
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0062今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:51:38.32
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0063今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:51:45.28
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0064今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:51:51.35
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0065今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:52:00.50
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0066今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:52:05.58
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0067今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:52:11.57
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0068今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:52:15.97
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0069今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:52:21.15
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0070今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:52:29.40
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0071今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:52:34.40
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0072今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:52:40.56
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0073今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:52:48.13
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0074今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:52:52.85
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0075今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:52:57.43
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0076今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:53:04.95
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0077今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:53:10.12
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0078今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:53:14.81
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0079屋形 ◆xXBVn3MKME
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2017/02/14(火) 21:53:19.60
コピペ野郎は何がしたいの?
0080今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:53:22.00
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0081今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:53:26.86
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0082今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:53:33.05
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0083鉄屑 ◆25isr4veVE
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2017/02/14(火) 21:53:36.71
>>24
柴犬です
0084今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:53:39.38
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0085今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:53:43.90
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0086今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:53:49.13
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0087今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:53:57.46
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0088今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:54:03.27
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0089今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:54:07.31
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0090今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:54:14.26
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0091今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:54:19.35
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0092今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:54:24.32
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0093今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:54:32.39
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0094今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:54:37.14
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0095今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:54:42.47
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0096今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:54:50.64
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0097今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:54:55.04
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0098今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:55:09.15
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0099今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:55:16.44
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0100今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:55:22.48
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0101今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:55:27.81
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0102今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:55:34.62
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0103屋形 ◆xXBVn3MKME
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2017/02/14(火) 21:55:35.85
オレは忙しいんだよ、ナマポだけど
コピペなんかしてる暇は無い
0104今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:55:38.95
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0105今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:55:44.24
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0106今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:55:51.19
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0107今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:55:56.03
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0108今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:56:00.67
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0109今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:56:08.46
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0110今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:56:14.78
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0111今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:56:19.40
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0112今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:56:26.12
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0113今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:56:32.40
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0114今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:56:35.65
>>79
キチガイだから好きにやらせとこ
0115今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:56:37.33
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0116今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:56:43.68
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0117今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:56:48.60
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0118今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:56:54.68
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0119今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:57:00.76
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0120今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:57:05.76
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0121今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:57:10.91
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0122今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:57:17.49
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0123今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:57:22.30
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0124今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:57:27.26
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0125今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:57:31.28
どんどんスレ立てできるから
コピペ乞食武市と汚物家永さん頑張れwwwwwwwwwwww
0126今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:57:34.91
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0127今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:57:39.29
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0128今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:57:44.88
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0129今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:57:53.35
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0130今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:57:58.85
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0131屋形 ◆xXBVn3MKME
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2017/02/14(火) 21:58:02.36
オレもスレ立てできるしな
0132今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:58:04.06
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0133今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:58:10.34
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0134今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:58:15.29
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0135今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:58:20.07
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0136今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:58:27.70
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0137今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:58:32.68
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0138今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:58:37.16
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0139今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:58:45.28
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0140今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:58:49.97
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0141今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:58:55.62
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0142今日のところは名無しで
垢版 |
2017/02/14(火) 21:59:03.84
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0143今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:59:10.01
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0144今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:59:29.47
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
0145今日のところは名無しで
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2017/02/14(火) 21:59:35.72
「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
 ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです
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