ナマポのナマポによるナマポのための遊び場 Part46
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999 名前:今日のところは名無しで :2017/02/09(木) 21:57:58.76
544 名前:今日のところは名無しで :2017/02/09(木) 21:48:39.56
来ないと言ったそばからアホかよ
545 名前:今日のところは名無しで :2017/02/09(木) 21:49:22.04
>>544
しかも自分で燃料投下してるしな
546 名前:今日のところは名無しで :2017/02/09(木) 21:49:27.20
>>544
ある意味きゅうりはキチガイだもんな
547 名前:今日のところは名無しで :2017/02/09(木) 21:49:40.31
>>545
それそれw
548 名前:今日のところは名無しで :2017/02/09(木) 21:49:52.66
発狂して捨て台詞が、死ねww
549 名前:今日のところは名無しで :2017/02/09(木) 21:50:47.91
>>548
所詮キチガイスレのカスコテだわ
550 名前:今日のところは名無しで :2017/02/09(木) 21:51:00.39
マッチポンプくらいいるだろうよ
いちいちファビョりやがって
551 名前:今日のところは名無しで :2017/02/09(木) 21:51:10.16
住み分け最高w
552 名前:今日のところは名無しで :2017/02/09(木) 21:51:19.60
>>549
うんうんw
553 名前:今日のところは名無しで :2017/02/09(木) 21:54:15.10
基地外だな
唐揚げとかの話の途中でいきなりだぜえ?住み分けしてるのにだぜえ? >>9
この頑張り()を他に費やせば大成したかもしれんのにな
もったいないやつだな 焼うどんもあるが焼きラーメンというのもあるぞ
それは博多の方だけど >>13
豚骨スープで炒めてるみたいだよ
屋台発祥だと聞いた
食ってみたいわ 942 ハナモゲラ ◆hIOFK2ozYA [] 2016/09/23(金) 00:08:46.59
ここはどうやっても改善しなければ自浄もないところだと改めて感じたわ
さすが底辺板だけある
どっかの野郎は俺に喧嘩を売ってくれたな
俺は黙って動くタイプなんでよろしく
そして自らの手は汚さない
番号教えたのを後悔するだろう
仲良くしてくれたコテ、そして良名無しさんたち、
今まで本当にありがとう
本来のことをやってる私に還ります
裏で動くのでもうこの板自体にきません
さようなら
#マンコ万個
322: 今日のところは名無しで [] 2016/10/31(月) 23:17:15.26
242 変態軍師 ◆kHR7M/h.9. 2016/10/30(日) 12:35:41.11
然るべき方々とは連絡ができる状況になったので、
諸々の事情によりスレから離れます
人生、いろいろ、人間も、いろいろ
306 変態軍師 ◆kHR7M/h.9. 2016/10/31(月) 23:03:45.21
な?このコピペ来るって予想してただろ草
賭けは俺の勝ちだな尼券ゲット
318 変態軍師 ◆kHR7M/h.9. 2016/10/31(月) 23:14:47.69
じゃ、俺は引退します
さよなら
今まで楽しかったよ、ばいばい
変態軍師#mogemoge >>16
その時には行ってみようかな
うp楽しみにしててね
>>17
キラこんばんは 先程帰宅
天候のせいでえらい寒いわ
缶酎ハイで更に冷える・・・ >>20
寒いねえ、凍えてるよ
ゲームもなんでも好きだよ >>19
色んな人が居ますからねぇ
>>21
鉄屑さん、こんばんわ♪
前スレ見ましたよ。
書き込みありがとうございます。 >>24
おお リロードしてなかった、こんばんわ
いえいえとんでも
ま、気楽にやりませう^^ >>27
RPGがダラダラと自由にやれて好きかな
SLGは戦略ゲームってやつだっけ? こっち全然降らなかったのに、太平洋側は雪凄かったんだね >>29
雪降ってるなとよく見たらフケだったというレスを読んだことがある
フケは乾燥肌が出るんかな >>28
そうだよ。信長・三國志・スパロボ
たしか、シムシティ系もSLGかな?
>>29
きゅうちゃん、ばんわ
前スレでは、楽しんでたね。 >>33
スパロボ懐かしいなあおい…
信長はガキの頃やったなあ
シムシティはスマホゲーでやったよ
キラは厚生年金9万降りるならナマポ費は5万、6万が別途出る感じかい? >>32
清潔感は大事という名のスキンヘッドの禿を知ってる
>>33
デヘヘ楽しまないと損だね!
>>34
こんな日は寝てて正解だよ! >>36
どうなんやろ、まだ手続きしてないんだよね。
支給金返還しなきゃならなくなるんだけど分割払いでお願いしなきゃ。
障害者手帳が昇級されたらCWに電話する
ちなみに今月は、お願いして丸々支給してもらった。 >>35
キラこんばんは(*´∀`)寒いね
>>37
俺の場合は1日2日で逆転したかと思えば1日2日でまた復帰するし
みたいな……
>>38
伝統スレ覗いたら、いきなり叩かれてる俺がいるしw
俺のドッペルゲンガーでもいるのかしら >>39
支給金返還?
遡及してもらった多額の年金を返上しろってことかな?
分割払いができるなら負担が少なくて済むね
今月お金厳しいのか >>41
ここヲチして延々みんなの悪口書いてるみたい >>41
生活戻せるのは若い証拠だ
今から朝飯だね 最近、味噌ラーメンが食べたいと思ってたら近所に店があった。明日行ってみる。 >>46
そう、適度に腹減ってるし
天候の状況見てまたコンビニかな
いつも買ってるドリアはねエビドリアだね
こだわりソースの海老ドリアだったかな >>51
あー、海老ドリアか
カレードリア昔買ってなかなか美味かった覚えある
明日のための食料備蓄も終わったよ >>53
そう思わないと生きていけないんだろうな
女に相手にされないから >>54
煽りがワンパターンなんじゃない?
チビデブハゲデベソ並みの
そして、それなってレスつけあうみたいな >>52
明日のための食料備蓄?
って明日何かイベントがある? >>55
小学生みたいな阿呆なんだな…
>>56
知人が遊びに来る予定なんだ >>57
ああ! そういうことなのか
いいねリアルで会える人が居て >>58
フフフ
>>59
すぐ帰っちゃうけどね、つまみ程度は出さないとだからさ あちらとこちらをずっとromしてたけど
あちらは余裕がないみたいね
みなさんあちら気にすることなく頑張って >>60
そっか(*´∀`)
>>62
コイケヤのバーベキュー味が懐かしい >>64
笑うわw
>>65
なんだかんだいってのり塩選んでしまう >>65
コイケヤのバーベキュー味あったのか
>>66
きちんと太らないとなチョコ食べて
>>67
落ち着いたか、何よりだ >>66
やっぱ奇を衒わず(てらわず)平凡な味が
ロングセラーの基本かな おいおまえら
悪口スレでおまえらがその内ポテチの悪口言い出すんじゃないかと
精神病者がおかしなこと書いとるぞ >>68
昔コーラとポテチハマってた頃は
コイケヤのバーベキューかガーリックしか食べてなかったみたいな記憶がある >>71
ガーリックあったね
今もあるんだろうかね?
のり塩はコイケヤ安定だなあ >>70
コテさん達は偉いさんなのであなたのような名無しは相手にされませんよ >>72
あるよ!近くのドラッグストアで買うときはコイケヤのガーリックかカルビーのコンソメしか買わない
選択肢少ないのもあるけど >>74
マジですかい
ガーリック探してみる
わさビーフも好きだわあれも止まらんね >>75
わさビーフって見たことはあるけどまだ未体験、次行ったら忘れずに買ってみよ
かっぱえびせんの梅味なら食べたことある、たいしたことなかったけど
あとあの店で置いてあるのはスコーンとかだけど、あの辺はもうあまり手が伸びないね >>76
バーベキュー味、ガーリック味好きならわさビーフも好きなはずだよ
かっぱえびせんは梅味美味いよ
フレンチビネガーも美味かったな
スコーンかチートスかで分かれるよねえ >>79
テレビで見たけど色々出来るみたいだよ。分割返還とか。
今回も本当なら減らされた金額って言われたけど生活出来なくなるって伝えたら満額支給された。
お腹すいたから。買い物してから
すき屋であいがけカレーと豚汁買ってくる
晩飯まだだから
ではでは(^○^) >>81
ポテチにはいろんなフレーバーがあるけど、
結局は塩味ポテチに皆戻るらしい
Qもそのうち塩に戻る日が来るかも >>84
うんそれ、っていうか塩系から元々離れられないw ってか、>>78で塩だと断言してるね
既に回帰していたか >>85
そういえばのり塩、うす塩、他に塩系あったっけか? >>88
プリングルスの塩食べ過ぎて舌が痺れたことあるわ
プリングルスなら塩かサワークリームだな っていうか、今日も色々と笑わせて貰ったし寝るかなw ではまた明日!
ごきげんよう(笑)
みんなおやすみなさい♪ >>90
無性にプリングルス塩食いたくなってきたわ
>>91
今日も楽しい一日だった
よく寝れそうだわ >>92
今日も乙でした
おやすみなさいQ
また楽しもうぜ あっち読んで笑ってきたよ
俺がずいぶん登場してることになってるけど、一文字も書いてないんだけどねw
さて飯にしようかな( ^∀^) 226 :こいろう ◆UCCvAhpw.M :2016/03/25(金) 22:15:13.41
いやモゲタはいい奴や
さっきの流れ変えようとしてくれたんやろ 236 :こいろう ◆UCCvAhpw.M :2016/03/25(金) 22:19:05.78
いやいやもげらのその優しさが伝わっただけ 415 :こいろう ◆UCCvAhpw.M :2016/03/26(土) 21:03:28.05
まああいつは案外ええやつや 深夜までコピペしてるカスの乞食精神障害者ナマポって笑えるよなwww おはようございます
>>99
ほんといいログ引っ張ってきてくれたな懐かしいな
ささ、恥垢寄れ、感謝し褒め奉ってやるぞ 出戻りキモヲタ893と出戻りヒステリーキチガイ
死ねばいいのに
出戻りヒステリーキチガイきゅうり死ねばいいのに
汚物キュウリのケツ穴はハナゲのケツ穴
汚物キュウリの気色悪さは異常。
汚物キュウリの女々しさも異常。
汚物キュウリがメクラでツンボ、チンバのカタワになりますように☆ミ
(=^・^=)
汚物でしょばばあ(汚物きゅうり)の気色悪さは異常。
今すぐ汚物でしょばばあ(汚物きゅうり)が死にますように☆ミ
きゅうり 死ね!
2: 今日のところは名無しで [] 2016/09/23(金) 05:40:46.61
942 ハナモゲラ ◆hIOFK2ozYA [] 2016/09/23(金) 00:08:46.59
ここはどうやっても改善しなければ自浄もないところだと改めて感じたわ
さすが底辺板だけある
どっかの野郎は俺に喧嘩を売ってくれたな
俺は黙って動くタイプなんでよろしく
そして自らの手は汚さない
番号教えたのを後悔するだろう
仲良くしてくれたコテ、そして良名無しさんたち、
今まで本当にありがとう
本来のことをやってる私に還ります
裏で動くのでもうこの板自体にきません
さようなら
#マンコ万個
322: 今日のところは名無しで [] 2016/10/31(月) 23:17:15.26
242 変態軍師 ◆kHR7M/h.9. 2016/10/30(日) 12:35:41.11
然るべき方々とは連絡ができる状況になったので、
諸々の事情によりスレから離れます
人生、いろいろ、人間も、いろいろ
306 変態軍師 ◆kHR7M/h.9. 2016/10/31(月) 23:03:45.21
な?このコピペ来るって予想してただろ草
賭けは俺の勝ちだな尼券ゲット
318 変態軍師 ◆kHR7M/h.9. 2016/10/31(月) 23:14:47.69
じゃ、俺は引退します
さよなら
今まで楽しかったよ、ばいばい
変態軍師#mogemoge
304: きゅうちゃん! ◆QchanQvqmE [] 2016/11/15(火) 04:49:36.90
あっそ、ばいばーい >>107
↑
可哀想にな、ここまで病状が悪化しているとね早く死ねば? >>112
お前さ頭大丈夫か?キチガイ薬の飲み過ぎなのか、それとも元来持ったカス独特の性格なのか知らないが人間として終わってるよなwww >>113
己が晒した携番を過去ログ漁り出してまで
必死に削除依頼出してるからだろう 勝手に俺の電話番号を晒して問題になったけどググっても個人情報が出ないように削除要請しとけよ
なんの話か本人なら分かるだろ
今月中にはかならずググっても出ないようにしろよ
今月中にやらなかったら動くから
本気だぞ
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/saku2ch/1467444144/
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/saku2ch/1458559498/ やっぱりドムドム本人が削除依頼出してたのWwwwwww 団長に色んなサイトに貼り付けられて
悪戯されなければいいね(大爆笑) >>118
貧困ナマポがwwwwwwwwwwwwwww
金もないのにどうやって動くの?www >>120
ただのボランティアじゃねえの?その思い込みで今まで生きてきたから立派なカスのナマポになったのかな?w >>122
どうやって?足と知恵を使って動くんだけど? >>121
またカスの極み乞食武市と汚物家永の腐った腐敗臭がする画像と携帯番号を爆砕に貼っていいかな? >>128
早く動けば
それとももっと貼れの合図? >>126
団長でもドムドムでもないから
また違う話だからさ
そっちの話は知らん >>128
wwwwwwwwwwwwwwwワロタ
がんがれナマポさん >>124
猶予を与えてやってる優しい人間なんだよ
俺はw >>137
ドムドムじゃないのに猶予Wwwwwww どうせこんなヘタレは3月になっても動かないよ
口だけ しかしなんで団長代理なんて
つけるならドムドムでしょ
かなりの小心者だね >>141
誰のことをヘタレと言っているんですか? >>134
了解!wwwwwwwww近々乞うご期待を ナマポってさ今までずっと都合よく思い込みだけで生きてきたんだろねw
だからその結果が
ナ
マ
ポ
? >>143
ワロタwwwwwwwwwwwwwwwwww >>147
でも本人が晒した個人情報を
数ヶ月前の過去ログまで掘り出して
こつこつ削除依頼出してるのは事実Wwwwwww >>128
ナマポに成り下がったお前にできるの?w >>151
違うと思うけど、でもどうでもいい話じゃね?
それを必死に追いかけるお前の方が笑えるよw 1200万もあるのに
弁護士に頼まず
こつこつ削除依頼 >>153
ナマポってさ今までずっと都合よく思い込みだけで生きてきたんだろねw
だからその結果が
ナ
マ
ポ
? カスのナマポってさ、どうでもいいことを執拗に興味を持つよなW あのね、関係無いのに口挟むなよ
警察ももうわかってる話だからさ
あんまりしつこいとまた警察に行くよ
すぐにこの案件では動くからね >>161
おまえこそ関係ないやろ
ドムドムの削除依頼の話に
お前が便乗して首を突っ込んでくるな >>161
カスの極み乞食武市のエア内容証明を思い出したww ぼくちんねもうねipまで調べたんだよ
もうね今から友達の弁護士に行ってくる
それでねそれでね示談にするからね
ぼくちんね個人情報を晒すカスの乞食猿なんだお >>161
汚物家永さんもうあんた消えなよw
見ててみっともないよw ミッキーって統合失調症だから
無関係なのに自分の話と思い込む >>162
俺は俺の話をしてるだけだ
お前こそ関係無い
お前が晒した本人なのか?
それなら話は別だけどな
一応警察に報告しておくわ >>169
おまえはかなりの重症だな
頭がおかしくなってるのだろう ミッキーの個人情報すら貼られてないのに
なんで騒いでるの?
見えないものが見えてるの? ミッキーは自分で統合失調症で
手帳もゲットした自慢してたね 携番をググって情報が出てくるって言ってんの
だからそれを全て晒した本人が削除しろって言ってんの
わかる? >>169
↑
こいつ典型的なキチガイナマポだろw >>173
ぷっwwwwww
今はまだ止められてるんだ(キリッ
WWWWWWWWWWWWワロタ >>181
みんなからすればおまえの話なんぞ興味ないんや
ドムドムの削除依頼の話なんや >>182
別にみんなに言ってるわけじゃないだろーが
晒した本人って最初に言ってんだけどな
よく読めよ >>176
本人に直接言うか警察か主治医に相談して
あんたは及びじゃない
ドムドムの話がメイン >>183
スレを私物化しないで警察が絡んでるなら
警察を通すか個人に直接頼んで お前らってマジに頭が悪いなwww
ドムが自ら削除依頼すると思い込んでるなんてwww笑えるわ
だから知能が低いナマポって見ててオモロイけどなwww 効いてる効いてるwwwwww
ドムドム顔真っ赤wwwwww >>185
その本人が逃げて連絡取れないんだよ
私物化したのはみなさんに迷惑かけたね
すいませんでした。 >>190
ややこしくなるからもうおまえは引っ込んどけ >>190
いいよ。いいよ。あんたはあのカスの極み乞食武市とピザでも頼んで餌を貪っていればいいの >>188
お前さマジ今すぐにキチガイ病院で入院した方がいいかと >>194
ドムドム本人じゃないなら
矛先もどんどんやったらいいな
なんのおとがめもないから そら本人が携番晒しといて
真夜中までせこせこ過去ログ掘って削除依頼してるなら
相当病んでるだろうWWWWWW だからあれ程までにこんな所で個人情報をw
しかし、わてもエラい言われようでんな
色んなサイトに貼ってたのはわてや無いのに(キリッ
しかし未来が無いナマポにはこう言うのか楽しいのかもなW >>199
そりゃあ.あんたは個人情報を晒しまくるプロだもんなw >>199
団長代理なんて名で削除依頼してる奴への感想は?
ヘタレやねえ >>202
ドムドムの為の削除依頼なんだから
本来はドムドム代理がふさわしいのにね
本人なんじゃないの? >>204
995 名前:今日のところは名無しで :2017/02/10(金) 11:52:41.57
>>992
たぶんそうだろな
それを、知らずに必死にドムだと思い込む低脳ナマポに大爆笑だなw 金のない貧困ナマポに携帯番号を晒しても何も出来ないだろ?www ドムは話した感じヤクザな印象は受けなかったしなw
でも、やる事無いナマポが必死になれて生き甲斐になってたかもやしW 本人が必死WWWWWWWWWWWW
釣られてるのも知らんで
顔真っ赤にして否定しに出て来てるWWWWWW ナマポに陥るくらいだから精神障害者が多いのは当然だね >>205
眠たいな
>>207
せやな
ここも少し飽きてきたわw お前達もここに重点を置きすぎないで、外に出て空気でも吸ってみなさい、違う物が見えて来るかもよ
そしたらまた気が向いたら(^_^) >>210
ドムドム筆頭にな
携帯番号自ら晒す基地外 >>209
↑
こいつなんて典型的なキチガイ精神障害者だろな >>206
本人じゃないのに何故断言出来る?
無責任なことを書いて矛先が過剰に行動しても知らないよ
ナマポから金は取れないんだし 自分で晒しといて本当に削除依頼出してるなら大笑いだ >>217
自己責任だろ?それにナマポだからといって許さずに本気で回収もできるしなwww >>220
でもドムドム本人がむきになってるなら爆笑 結局のところさ
金も人望もないカスのナマポに何も出来ないってことさwww
あのカスの極み乞食武市を見りゃわかるだろ? >>222
↑
こいつ・・・マジの精神障害者かな? >>220
どうやって矛先までたどりつくんだよWWWWWW こつこつ夜なべしながら
過去ログを掘り
削除依頼を出す毎日 まあ。都合よく解釈できるのが低脳カスのナマポのクオリティだから許してやれよwww >>231
ナマポのお前が?そりゃあそうだろなwナマポだしw >>232
だよねー
携番を自分で晒しといて
ドムドムが削除依頼出してるなら
かなり精神病んでるとしか思えないし >>235
えっ?もうドムドムだと決定してるの?w
おまえ頭が相当いかれてるだろ?w >>238
決定してないでしょ
ドムドムだったらバカすぎだし >>239
すぐに低脳な希望解釈ができるお前ってw
県内で有名な嫌われ者だろ?w ドムドムを擁護してる方も過剰だな
希望解釈とか書いてるけど
お前もブーメラン >>248
ねっ
そんな事も理解すらできず、勝手に解釈している低脳ナマポに大爆笑だね 個人情報晒して消えたバカ
忍法 乞食猿 ドムドム 屋形 >>251
自ら晒すのも馬鹿だけど、それを拡散したりコピペしたりする奴も馬鹿じゃねえの?
つまり双方がカスだからだろ? >>252
忍法は晒し魔の乞食武市が原因じゃね?
ねっ?汚物家永さんwww >>253
カスしかいないところで晒したバカの自業自得 >>256
それな
それを削除依頼出してるアホがいるから大爆笑なんだよな こんなカスのナマポしかいない所で個人情報を晒すなんて頭が相当いかれてるだろ カスの晒し魔乞食武市
「今から電話を受け付けるから誰でもかけてこい」
・・・・・しーん
こいつにだけは誰も電話しなかった事実www 乞食のように金をせびって
口座番号まで晒すカスまでいるからな こいろうに金をせびったコテ
ドムドム
レグザ
乞食ばっかり 乞食猿みたいなカスのナマポが多数いる所で個人情報を晒すなんて無謀だね 百歩譲ってナマポがナマポに金借りるってのはまあいいよ
ただここ2ちゃんでやり取りしてただけの相手に金貸してくれとか… >>274
それな
今どんなに金あっても
乞食したことは消えない ドムドムってあんなの偉そうな講釈たれてて元乞食かよ >>186
これモロにドムの文体だしこんなことドム以外に誰が書く( ^∀^) ナマポじゃないやつが
ナマポスレに四六時中張り付く訳がない >>278
下らないハッタリでしか他人の気を引けない哀れなネット依存症だわ 荒らしてるねコピペ大魔王矛先
早くワタナベのジュースの素のコピペ貼ってよ >>285
ナマポ時代百万貯めた発言してたけど
何年前に乞食したの? >>218
これ書いた人説明よろしく
金とるのは民事で、労役は刑事だけど レグザがこいろうに金を無心したとき
北海もって話になってたな >>290
ドカタで貯まらんやろ
五千円乞食したってことは友達もいないしな >>293
レグザが一万なのにドムドムは五千円かよ
恥ずかしくないのか 豚から金借りようとして失敗したドムドムは
34に頼んで豚から金引っ張ろうとしてたんだ
これは上手く行く寸前で34が豚に本当の事
言ってしまって失敗した
この後嫌な思いした二人はドムを避けるようになった >>299
ナマポの憧れ100円引きの唐揚げ弁当か >>291
労役もさナマポなら天国だろ、タバコ酒がないだけで
一日5000円くらいでるらしいじゃん(まあ罰金に充てられる訳だけど)、三食飯付きでw >>295
レグザが一万引っ張って五千円ずつだったのかもな ドムドムが乞食してるとは思わなかった
乞食猿のこと言えないやん >>291
意味がわからないから唐揚げ弁当を買ってこい 乞食行為を暴露されドムドムふぁびょーんWWWWWWWWWWWW そら歯軋りしながら見てるやろ
あんなけ四六時中張り付いとったんやし 他にやることねーのかよ四六時中って
あ、俺も大して変わらねえやw >>343
ちゃうよ
ほんまそうやん
個人情報は晒さないリアルみじめな醜態さらさない 名無しだと朝から晩まで張り付いてても特定されづらくていい >>346
きゅうりも袋麺やきつね丼とか乞食飯だしな 一日中張り付いてるコテ
ドムドム、きゅうり、軍師、矛先、乞食猿 _,,..r'''""~~`''ー-.、
,,.r,:-‐'''"""~~`ヽ、:;:;:\
r"r ゝ、:;:ヽ
r‐-、 ,...,, |;;;;| ,,.-‐-:、 ヾ;:;ゝ
:i! i! |: : i! ヾ| r'"~~` :;: ::;",,-‐‐- `r'^!
! i!. | ;| l| ''"~~ 、 i' |
i! ヽ | | | ,.:'" 、ヽ、 !,ノ イェ〜イ
ゝ `-! :| i! .:;: '~~ー~~'" ゙ヾ : : ::| ドムドム見てる〜?
r'"~`ヾ、 i! i! ,,-ェェI二エフフ : : :::ノ~|`
,.ゝ、 r'""`ヽ、i! `:、 ー - '" :: : :/ ,/
!、 `ヽ、ー、 ヽ‐''"`ヾ、.....,,,,_,,,,.-‐'",..-'"
| \ i:" ) | ~`'''ー----''"~
ヽ `'" ノ きゅうりは女疑惑出てから飯晒さないだけだよ
きつね丼や袋麺はわざとでは?
あいつは絶対女 きゅうちゃんがガストでビーフシチュー食べるなら、
自分で作るって書いてたのを見て、私も作ろうって材料を買ったよ
ビーフシチューの素298円、牛肉331円、メイクイーン99円、ニンジンと玉ねぎで100円くらいかな
合計828円で2人前ができるよ なんにしてもドムドムが豚に金をせびろうとしたんはあきれた
乞食どころやない >>358
国から保護されるにもかかわらず、同じ立場の他人から金を無心する乞食のこと
ドムドム 乞食猿 レグザはリアル乞食 >>360
ビーフシチューとビーフストロガノフの違いが分からんのだが
どう違うんだ? >>364
北海からドムドムに改名した理由はコレだったのかもな ドムドムがこいろうに乞食したソースってないの?
レグザが無心したのしか覚えてない >>367
子供二人居て偽装離婚してるなんてバレるのも嫌だろうしな >>328
こいつ典型的なストーカーカスのナマポだろwww ドムの金に嫉妬?妬み?なんにしても哀れみを感じるねw
ヤッパリここの乞食ナマポってうけるわw >>369
ソース?あるわけねえよ
ここのキチガイ名無しナマポの虚言を信じるお前みたいなカスを見ていると大爆笑しちゃうなおいwww >>386
あれからずっーと妬んでいたんじゃね?w
ほらっ、ここって貧困で姑息でどうしようもないカスのナマポの溜まり場だからね >>392
都合よく解釈し、それを真に受けて信じるカスのナマポが徘徊してるってことかなw >>392
大方、カスの晒し魔の乞食武市が張り切って書き込んでいるかと >>396
でも当たってるだろ?
貧困で姑息で陰湿で名無しで妄想を書き込んでそれが真実だと真に受けて頭がパッパラーになったお前w
なっ自分がいかに頭の狂った精神障害者ナマポだと認識できるだろ? >>398
うちの記憶ではないよ。それよりアンタね、だいぶ逝ってるよw >>393
そこまでリアルに言うなら全員じゃねえかよ >>399
こっちはとっくに狂ってるんだよ
お前はまともな脳ミソの持ち主なんだろうから好きに踊って好きに生きればいいよ
精神障害?あたり前だろ?お前が健常なら俺が既知外なんだよ
そう言う図式を理解しろよ ∩ _ ≡=−
ミ(゚∀゚ ) ≡=− チンポーおぉぉぉぉ!!!
ミ⊃ ⊃ ≡=−
(⌒ __)っ ≡=−
し'´ ≡=− >>416
あなたはドムみたいな陰湿さがあるね(o^^o) >>411
もうなんの役にも立たないだろうから早く逝ったら? 面白いの見つけた(^^)
伝統ある生活保護雑談スレ1 [無断転載禁止]©2ch.net
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/okiraku/1484130262/
994 団長 ◆pT.nM1rA4w 2017/02/10(金) 11:51:11.84
>>988
>お爺ちゃんは張ってたら写メくらい
>は撮れそうやなW
写メどころか呼びかけてくれたら名乗り出てやるよ( ^∀^) >>411
精神障害者ナマポに2ちゃんねるは向いてないかとw
ますます悪化しない? 危うくなるときゅうりがー軍師がー矛先がー叫ぶしかないドムあわれWW >>418
>>420
お前らに言われなくても逝きたきゃ逝くわ
悪化?望んでるんだよ
>>417
君とは遠慮しときます >>429
うるせー顔文字だな
これでも聴いとけ https://youtu.be/sB7sJwoXWoU まあ分からねーだろうが
もう安価刺すなよ >>431
かまってほちいのでちゅか??(o^^o) >>432
んーんじゃ普通に話すか
興味あるのか?俺に
それともオモチャみたいな感じの暇潰しか? 荒らしてるねコピペ大魔王矛先
早くワタナベのジュースの素のコピペ貼ってよ >>365
ビーフシチューはデミグラスソースで作るシチューで、肉はサイコロだけど
ビーフストロガノフはハヤシライスみたいなスライスした肉で作ると思う
まちがえてるかも >>437
屋形よ、一応あるよ
つーかお前と話すの俺だけだから大事にしろよ
前スレ辿れたらお前につべ送っておいたからな
ナマポのナマポによるナマポのための遊び場 Part45
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/okiraku/1486038554/561
>>438
成る程わざわざありがとう^^ >>437
死ねや不正受給のクズ
月19万円がそんなに自慢か >>437
キャバクラのイベントであやちゃんからの義理チョコですか?
そんなに自慢か >>451
裏で動いて買いに行ってるから時間かかるんや >>460
お前も乞食のボスになったんだろ このクソ溜めのスレでよぉ 40 名前:今日のところは名無しで :2017/02/10(金) 17:26:43.49
あっちは頭にションベン溜まってるの居るな
ゴキブリ在日韓国人はゴキブリ韓国学校でこう教わる
悪いことをしたら 「私は日本人」と言いなさい
良いことをしたら 「私は韓国人」と言いなさい
在日韓国人が悪いことをすると 日本のせい
在日韓国人が良いことをすると (めったに無いが)
朝鮮民族の誇り マンセー \<丶`∀´>/
>>466
相手にするな
40 名前:今日のところは名無しで :2017/02/10(金) 17:26:43.49
あっちは頭にションベン溜まってるの居るな ドムドムこと北海とは
空気コテと呼ばれレスしても誰からもスルーされる酒乱
こいろうと仲が良かったがいつの間にかこいろうをディスり始める
東京に行くと言い残して消えていったゴミ . ,'ilif'彡' ,' _,..-ュ ̄ fニ三三ミヽヾミミミヽ
jlリイ彡! :,ィ彡'"´ :. :. .:' `゙' ヾミミミミ',
l{i{l{lノリ ,'fi´ _, i :. ';=―一 ',ミミミミ!
{lilili/{ ' ,.-‐'"´,:,! ' 、ー-‐ ' Nlハ⊥ …わかった この話はやめよう
|lilifリハ .: '、 _,.ノ,' ,. }、 tf{´i, l| ハイ!! 特定秘密特定秘密
. Wリ小! .: ,ゝ^ :: ヽ `!) Vl
ゞ干ミ} : / _J_ 丶 }'´ /
'、Yヾ :. l /ィ三三シ'^ / ノ
ヾ.f'、:.:. '´ '"~"' /l'´
n/7./7ヽ._):.:.、 ,. 'l iヽiヽn
|! |///7 トi、ヾ:.. 、 _,. - ' | | ! | |/~7
i~| | | ,' '/ /^ヾ!、丶 ` ¨""´ | nl l .||/
| | | | l {':j`iヽ 丶、 `¨¨´ ト、 ||ー---{
| '" ̄ ̄iノ .l::::::::丶、 `丶、 丶 | rゝ、 | ゝ ', >>465
できたよ〜
こういう家庭料理にドリンクがつくだけで1400円は高いよね 美味しかったよ〜
ガストなんかで1400円も使わなくてよかったあ 信金に金おろしに行ったら雪が舞ってたわ
銭湯でも行ってのんびりあったまって来るかな(*´ー`*) >>485
もし残ったらグラタン皿に入れてとろけるチーズのせて
オーブントースターで焼いてみて . ,'ilif'彡' ,' _,..-ュ ̄ fニ三三ミヽヾミミミヽ
jlリイ彡! :,ィ彡'"´ :. :. .:' `゙' ヾミミミミ',
l{i{l{lノリ ,'fi´ _, i :. ';=―一 ',ミミミミ!
{lilili/{ ' ,.-‐'"´,:,! ' 、ー-‐ ' Nlハ⊥ …わかった この話はやめよう
|lilifリハ .: '、 _,.ノ,' ,. }、 tf{´i, l| ハイ!! 特定秘密特定秘密
. Wリ小! .: ,ゝ^ :: ヽ `!) Vl
ゞ干ミ} : / _J_ 丶 }'´ /
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n/7./7ヽ._):.:.、 ,. 'l iヽiヽn
|! |///7 トi、ヾ:.. 、 _,. - ' | | ! | |/~7
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| | | | l {':j`iヽ 丶、 `¨¨´ ト、 ||ー---{
| '" ̄ ̄iノ .l::::::::丶、 `丶、 丶 | rゝ、 | ゝ ', >>489
パンいいね!
こどもはハヤシライスみたいにして食べてたよ 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです >>501
フランスパンもいいけどバターが入ってるパンでもおいしいよ 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけですお 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです おっ、また乞食武市と汚物家永のコピペが始まったのか? 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
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ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
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ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
つまり、渡辺製菓は、文字通り、60年代の終焉と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念な結末を迎えたわけです 「ワタナベの、ジュースの素(もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいんだ〜、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケンのダミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄菓子屋兼文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや飴などを買い、駄菓子屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタナベのジュースの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブルドッグソース、桃屋の江戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワタナベのジュースの素が置かれていたものでありました。
私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20〜30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
このワタナベのジュースの素には、ちゃんと、オレンジ、グレープ、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消費されていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタナベのジュースの素の場合、
水に溶かして飲むよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉末ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。
さらに、ワタナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三平師匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセン」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思ったのを覚えています。
ということで、ワタナベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファンタやコカコーラが入っているという時代になりました。
それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、冒頭でも触れた、世の中の「チクロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。
ちなみに、エノケンと三平師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195859」(リクルート)には、こう記されています。
「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘味料、
合成着色料などに対する消費者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡辺製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボウフーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
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