なぜ洋楽も聴かなかったの〜?
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昔は洋楽の方が沢山いい曲があったのに
聴かなかった人って、もったいないなあと思うわ。
そういう人も案外多いよね。 ヒット曲は時代を映し出す鏡とよく言われるけど
邦楽の場合はそれが極端過ぎ。
GSやフォークやニューミュージックやムード歌謡など何かムーヴメントがあると
みんなが右へ倣えでそっちの方向を向き
向かない者は時代遅れ呼ばわりされる。
昨日の癒し系は今日のツッパリヤンキーだし。 いやむしろ昔の人の方が洋楽も聴いてたよ普通に
80年代生まれ以降の人間は本当に洋楽を聴いてないな
まあ洋楽が80年代で終わったからなんだろうが
20代30代のミュージシャンなんて影響受けたアーティストほぼ邦楽だし 本当に90年代頃から洋楽が急速につまらなくなったよなあ。
時代を引っ張るスターと呼べる人もいなくなったし・・・・ 誰もが知ってるリアルタイムなヒットってのがないもんな
俺らの頃はクラスの全員がスリラーを知ってたし、9割がパープルレインを知ってたし、
8割が見つめていたいを知ってた 洋楽は賛美歌やゴスペルのような宗教的な音楽を
基盤にしているが
日本人はただひたすらメロディーやサウンドの良さと
うわべだけのカッコ良さばかりをなぞっている。
邦楽は泥臭いほうが売れるが
洋楽(アジア系含)は洗練されているものが好まれるのは
そのためか。 君が薄っぺらな奴だということがよくわかる書きこみですね 洋楽は聞かないけれど
今のJPOPは死んでるAKBは
もはやねすみ講まがいの販売商法で
ゴールデンボンバーやキャリーはパフォーマー 洋楽と邦楽の番組が分かれていたからな
その点 ABCヤンリク はよかったな レア盤
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01. ヴァケーション ● 山口百恵
02. 可愛いベイビー ● 山口百恵
03. 大人になりたい ● 山口百恵
04. 小さい悪魔 ● キャンディーズ
05. 悲しき天使 ● 南沙織
06. 恋はボサノバ ● 麻丘めぐみ
07. ブーベの恋人 ● 麻丘めぐみ
08. そよ風にのって ● 浅田美代子
09. ネイビー・ブルー ● 浅田美代子
10. 恋は水色 ● 天地真理
11. 砂に消えた涙 ● 小林麻美
12. 悲しき片思い ● 安西マリア
13. ビー・マイ・ベイビー ● 安西マリア
14. 電話でキッス ● ゴールデン・ハーフ
15. 悲しき街角 ● 小山ルミ
16. パイナップル・プリンセス ● 栗田ひろみ
17. 想い出の冬休み ● リンリン・ランラン
18. ベイビー・フェイス ● 林寛子
19. すてきな16才 ● 岡田奈々
20. 別離(わかれ) ● 山本リンダ
21. プリーズ・プリーズ・ミー〜抱きしめたい〜 ● 松本伊代 俺は最近になって70〜80年代あたりの洋楽を聴くようになったし、ジャズはかなり昔から楽しんでる。
詞の意味がわからなくても充分たのしめる
やっぱり英語というのがいいんだろうな。あれが中国語だったりしたら楽しめん。 俺は小学生時代最初に好きになったのがアラベスクって西ドイツのねーちゃん3人組グループだったので
英語の歌には全く抵抗はないんだけどその代わり歌詞を頭で拾わないで聴く習慣が根付いてしまった 洋楽と邦楽と両方聴いていると
邦楽の妙な習慣が解ってしまう。
邦楽の歌詞は基本的に洋楽のように韻を踏まないし(例外 飛んでイスタンブール)
邦楽ではごく当たり前の男が女目線で女が男目線で歌う歌は
洋楽では殆どありえない(異性歌手がカバーすると歌詞のheがsheに変わってしまうほど) >>1
90年代にレンタル禁止期間を設けたのが大きいと思う。 洋楽の方が邦楽よりも優れているという風潮が嫌いだった。
どちらも良さはあるのに。 >>37
俺それだわ。
好き嫌い云々じゃなく1年レンタル禁止になって当時高校生の自分としては
買ってばかりというのも無理だったし自然と離れちゃったな。 洋楽は80年代で終わったからな
90年代以降に音楽聞いた世代(概ね35歳以下)は洋楽聞いてない人が多い 邦楽だってだいたい80年代で終わっちゃったけどね
その後に出た邦楽は全部、過去の焼き直しだし 邦楽はただの芸能、遊びだから何でも気楽に聴けるけど、
洋楽はジャンルが凄く細分化されてるしマニアックで難しい。 1973年以降は日本でHOT10入りする洋楽が少なくなったから 「個人的にイヤな洋楽」に限って、歌詞の秀逸なのが多い希ガス。
ホテルカリフォルニアとか、ライクアローリングストーンとか、
悲しきサルタンとか。
ジャック&ダイアンなぞ、「ハイスクール時代のリア充ごくろーさん!」
な歌詞に頭が下がった。ソースはレココレのカックル氏連載。
歌詞を頭で拾って聴くのは邦洋どちらも苦手。 昔は聴くつもりじゃなくてもヒット曲は必ず耳に入ってくるので「ダンシングクイーン 懐メロのように感動的にお金持ちになれるのはなぜ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
GAG5K なぜ洋楽なのか?
アジアにも良い曲いっぱいあるぞ
台湾、香港、シンガポールが好き 洋楽は中高生の頃にヒットチャートは一通りチェックしていたけど
特に誰かのファンだったということはない。 >>26
宗教的な要素が有る音楽が売れ易いのは古今東西同じ
歌詞とかに食いつくjpop信者も、ある意味宗教と大差無い
そんな洋楽ばかりじゃない
知ったかすんな、アホ 英語も分からないのに洋楽なんて、はクズ耳のアホの認識
言葉に囚われてしか音楽聴けない奴が低脳クズ耳なだけww
クラシックもそうだが、西洋音楽の美しさを分かってない奴は音楽的には下級な人間
最近でこそ白人は有色人種に押されて劣化したが、音楽に限らず美的分野は元々白人がリードしてきたんだよ
下品な有色人種の音楽しか知らない奴が洋楽を語ってはいけない
プロだろうと音大生だろうと
最終的には感覚が全て
技術も理論も知識も感覚の下僕でしかない ちなみに知能が高いほどインストを好むとオックスフォード大学の研究結果有ります
言葉に囚われてしか音楽聴けない奴は低脳のクズ耳wwww クラシックと20世紀後半の白人音楽は、良い曲の割合としては至高だった
ちなみに黒人のマイケルジャクソンのスリラーのサウンドは、TOTOなどの優秀な白人ミュージシャンが担当している
売れた黒人シンガーのサウンドも大抵白人が関わっている
黒人音楽が白人音楽に影響を与えたのは事実だが、最終的に美しく洗練された者に昇華させたのはあくまでも白人
メジャーな楽器も殆どが白人の作った音色がクリアで洗練された西洋楽器
白人の優位性を否定する悪平等主義者が芸術を語ると芸術を穢すだけ 各国の民族楽器なら
日本の雅楽
インドのシタール、サーランギ
インドネシアのガムラン
モンゴルのモリンホール
クラシック音楽なら
ギヨーム・ド・マショー(1300年頃-1377年)から存命中の作曲家まで
音楽なら何でも聴くほう
外国の外国語のラジオも聞く 音楽なら何でも聴く、は決して良い事ではない
良いものだけを択んで聴くのが本物 音楽に限らない
良いものだけを択ぶから本当の意味で豊かになる
多少横道にそれたりするのは構わないが、良いものだけを選ぶという姿勢は必要 商業的には良いものだけを供給という訳にはいかないから、業界は良いものだけを供給したりはしない
むしろ金になるなら悪いものでも何でも供給するのが業界
良いものだけを選び良くないものを切り捨てるのは、そんな業界との時に面倒で時に楽しい戦いでもある メチャクチャ下品な例えだが
女一万人とヤりました
→全く自慢にならない
美人百人とヤりました
→まあ自慢になる 源流をたどると
西洋クラシック音楽の楽器の起源は中東やインドにたどり着く。 >>64
人間は元々猿だった
猿の方が人間より偉い
みたいな下らない話ww
最終的に良いものが勝ちです
その論法だと、楽器も元々単なる材木とかの話になる 微分音を使って作曲したクラシック音楽の作曲家のアロイス・ハーバの作品を聴くと、
非西洋圏の民族音楽のように聞こえる曲、調子はずれに聞こえる曲などがある。 弦楽器の楽曲で、スコルダトゥーラ(特殊調弦)の楽曲は
バロック時代と現代音楽では多いが、古典派、ロマン派時代の楽曲では少ない。 メシアン 『トゥーランガリラ交響曲』 1948年作曲 1949年初演
リヒャルト・シュトラウス 『4つの最後の歌』 1948年作曲 1950年初演
同じ頃の作品だが、 『トゥーランガリラ交響曲』は現代音楽で、『4つの最後の歌』 はロマン派的作品。
なお、メシアンは(1908年-1992年)で約40歳、リヒャルト・シュトラウスは(1864年-1949年)で晩年の84歳頃
同時代の日本のポピュラー音楽は、藤山一郎の「青い山脈」など。 何年に作曲されたか、何歳のときに作曲されたかということになると、
ハイドン(1732年-1809年)
モーツァルト(1756年-1791年)
ハイドンのほうが前の世代の作曲家だが、
ハイドンの交響曲で言えば、交響曲第99番が1793年、交響曲第104番が1795年だから、モーツァルト没後の時代の作品。
交響曲第104番がモーツァルトの最後の作品よりも新しい作風なのは、作曲時代からしてもおかしくはない。 ビートルズがメジャーデビューしたのは1962年
その頃のクラシック音楽の作品は
ブーレーズ作曲の『プリ・スロン・プリ』
ブリテン作曲の『戦争レクイエム』
ショスタコーヴィチ作曲の交響曲第13番 変ロ短調 作品113『バビ・ヤール』 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています