【エンヤトット】岡林信康 第5集【エレキ】
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2009年以降、再びバンド編成を復活させた岡林氏。
野外フェスへの参加(フジロックとCDJ 同じ年に両方参加した稀有なミュージシャン)や
美空ひばり関連公演への参加など、一時期より積極的になった。
さて今年は。。。。
関連サイトは2以降に。
個人的なことを書くが、「あさくさ」寺行ってきた(謎w) 5月末のライブの先行予約メールが来た。
3分の1年後なんかどうなってるかわからんし。 >>14 は明日になれば1000までみられる
岡林信康「山谷ブルース」(1968)替え歌
♪今日の カレーは辛(から)かった〜 あとは お水を 煽るだけ〜
YMOのライディーン(1980;インストゥルメンタル)に山谷ブルースの歌詞を乗っけるとアラびっくりw
[2ch某スレ、Fb、Twitter同時投稿] 次のスレに移りかけるとき使って⇨
いまあるスレッドにとどまってはならない
まだ見ぬ次スレッドに 今飛び立つのだー そう言えば御本人も「ライディーンは山谷ブルースの
パクリやで(笑)」言うとったで wowowでCDJ 今月やるね
今のエレキバンドでは初TV放映だな
岡林信康は神だと思っている。
30年ほど前のある日、両親と近江八幡市の教会に行った時の話。
両親と3人で教会に入るといきなり信康さんが
玄関から入ってきた。教会に似合わない和服の出立(いでたち)で。
信康が「俺二階で曲作っているから」と言って二階へ上がろうとすると、
教会にいた高校生集団が「信康さん!」「信康さんかっけー!」などと
騒ぎ出し、信康さんが戻ってきてくれて即席サイン会になった。
教会内に13、4人ほど居合わせた客全員に教会内にあった色紙を使い
サインをしてくれた。
高校生達が母校県立八日市高校の学生だとわかった信康さんは
いい笑顔で会話を交わしていた。
そして信康は「またな〜」と二階に上がっていき、教会内は静かになった。
私と両親は信康さんの気さくさとかっこよさに興奮しつつ
見学を終え、寄付をしようとすると、ご家族が階段の上を指差しながら
「今日のお客さんの寄付分は出しますから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした 佐藤錦水氏の某所での発言によりわかること
・29日に某所で岡林信康レコーディング
・平野融氏、佐藤氏との三人で一曲録音。
(成る駒氏はブログで話題にしていないところを見るとレコーディング不参加)
・「ミュージシャン全員でアルバム用の写真撮影」をした。
・録音したタイトルは「さよならひとつ」?
『にほんのうた』の時のような例もあるので、
「岡林信康のアルバム」かは不明。 >>23 某所ってFacebook or Twitter? >>23 が 誰か 特定したw。でも突っ込みません。 >>22 通りすがりです(笑)
twitter(検索併用)とFBで関係者の動きをチェックw
某関係者はtwitterからFBに移行したみたい。
twitterはWebブラウザで使うより、TweetDeckなどのアプリを使うのが通。 中島みゆきはデビュー前、岡林が北海道でコンサートをした時に前座でよく歌わせてもらったそうだ。 「高石音楽事務所主催の前座で」でとはあったので、渡とか岡林
の前座だったのだろう。逆に御大が歌い出すきっかけの高石とは
(最初からディラン、ではない)長いこと交流も絶えているのだ
ろうけど、今に至るまで常に御大は「僕は高石友也の影響で歌い
出したのやけど」と言っているので高石の影響は絶大だったのだろう。
「ちっとも上手いとは思わなかったけど、これなら俺にだってやれる
と思わせたとこが良かったのやな。高石が「上手い歌手」やったら、
僕は歌なんかやってへんで」みたいな感じで。 プロミュージシャンによる岡林トリビュートきぼーん
山下達郎、松山千春、サンボマスターなど になるか?
千春は確か、カバー集のCDで「私たちの〜」歌ってるよね、
って、今だに聴いてはいないけど。 森達也の放送禁止歌読むと
岡林ってほとんど隠居状態に感じたんだが
近年本人に心境の変化とかあったのかな
森の取材断った理由は何かな >>41 友よ 私たちの望むものは 手紙 くそくらえ節 は封印 あれは10年以上前だから、周囲に対しては一番沈黙してた時期だった
はず。今だったら、またちょっと違うかもしれないが、「手紙の件だ
けについて語ってくれ」とか言われても、当時の御大には無理。
徹底して「語るのは今の俺。過去の俺に関しては語らない」人だった
ので。 >>44 彼はFbに移行している(私も実名でやってる)ので、むずかしいんじゃないか?
ttp://ameblo.jp/groove-n/entry-11153317188.html
誰か訂正してやりぃ・・って、本人がそう思ってるなら
金でも黄でもどうでもいいのかなw
中津川の音源で「君を待っている」って2テイクあるんですよね?
LPのビクター収録とSMS収録って違うバージョンですよね? SMS盤…1970年8月8日のステージ
ビクター盤…1970年8月9日のステージ 中村とうよう 今月のレコード、を買った。
ラブソングスに100点をつけたレビューを目当てに。ネット上では以前から読めてたけれど。
中村とうようのレビューはやはりラブソングスの本質を捉えているなぁ、と改めて思ってしまった。 >>50
今回は高橋・鳴る駒の女性衆抜きなの?
取り合えず、予約かけた。 5/5のNHK-FMはコミックソング三昧らしい。
新設SOSがかかりそうな気もするが果たして岡林バージョンになるか鶴光バージョンになるか。 81年のグラフィティのSpecial Thanks to に大本(教)の人の名前があったが、関係あるのか?(大本の本部は亀岡) 綾部から亀岡住まい(どちらも大本教とはゆかりの地)だから、
たまたまそういう知人(ファンとか)がいただけで、御大が信者
というわけでもないでしょう。
ただキリスト教に挫折して、独自に禅の瞑想とかでぶっ飛んだり
(「金色のライオン」はそのへんの体験的な悟りの感が強い)
宗教的な根がある人ではあるけど。 某SNS(mixiではない)で関係者の投稿で知りましたが、今晩岡林氏は、 大阪MBSの「ちちんぷいぷい音楽祭」にスペシャルゲストで出たそうです。(平野さんが伴奏) 某若手バンドのギタリストと岡林は遠い親戚(血はつながってない)のようです。 彼は昨年あるイベントで初期の名曲(封印してない、というか21世紀になって2回歌った)をカバー。 岡林の影響を受けていると思える後輩歌手はけっこういますね。
「いるんやけどね。みんな俺より売れやがった(笑)」が御大の
よく言う口癖。 1993年に出演してる。
VHSに保存してるから間違いない。 diskunionのやじさんのブログ久しぶりに更新したな。
twitterも久しぶりに投稿してたし。
そう、たぶん84年ぐらい。93年のも見た・・かもしれないが、
そっちのほうは憶えてない。とすると、18年ぶりぐらいか。
いずれにせよ、長いな。 >>69
美空ひばりさんとの交流話が全体の2/3
残りは新シングル「さよならひとつ」と浅草公会堂公演の話題。
京都・亀岡での農業で取れた野菜が美味いと自賛して
収穫の写真を見せるが、野菜泥棒が多くて困っているそうだ。
「自分で汗流せよ」と現代人に苦言するのが、岡林さんらしいな。
新曲は東京に住む孫を思って作ったらしいが、孫が出来ると
岡林さん自身も年齢を感じてしまうのか、「二度と会えない
ような感じになる」と言っていた。
徹子さんも岡林さんも3度目と言っても毎度毎度長い間が
空いてしまい、詫びるのだが、岡林さんが「いつでも呼んで
下さい」とフォローした。それで今回は終わり。 徹子さんは、岡林の生きざまに興味は持ってなかったのかな?
彼女のようなタイプから見たら、極めて異質な人に映っただろうけど。 徹子さんだって、もうそろそろ80ですよ。
「また呼んでください」とは言うても、10年単位じゃもう
番組自体の先がないわw 浅草公演おわり。
会場で7月の南青山曼陀羅公演の先行販売。
曼陀羅のバンドは御歌囃子メンバーと徳武さんの模様。 CD4枚買って良識ある社会人としての責任を果たしました。 きつねのDVD買ってまだ見てねえw
これって泣ける? 昔買ってた「フォーク 俺たちのうた(矢沢 保)」が出てきた。
岡林を裏切り者扱いしていた側の本。
友よ、の作詞者の欄にはしっかりと鈴木孝雄氏の名前も併記 岡林と高石がいっしょに歌ってる音原には、「&フォークキャンバース」
って必ずあるね。一度テレビのインタビューで友よについて語っていた
(たぶんその鈴木氏)がなんて喋っていたか記憶はないが。 >>78
劇場で封切上映されていたときを覚えているな。
たしか中山美穂も出演候補にあがっていたと聞いたことがあったような。
ブラザーコーンが逮捕されたが、いつだったかNHKのフォーク
番組で「ソウルミュージックだけじゃないんですよ。実はフォーク
大好きなんですよ、拓郎も岡林も私の青春! もう大好き」とか熱く
語っていたのがコーンだったかトムだったかどっちか忘れたが。 だね。坂崎のお台場フォーク村にゲスト出演しているのも
トムのほうだし。 拓郎の最新アルバムと岡林の最新シングルを聴き比べてみたが
岡林の方が断然良いと思った。
けどミ−ハ−受けはしないだろうなあ。 曼荼羅のライブ行って来ました、年齢層に驚いたけど、岡林さんは、素晴らしかったな。
エンヤットト最高。
ところでセットリスト判る人いない? セットリストは 「ほねがみとうげほとけかずら 仮」で検索すると出てるよ 岡林と拓郎って年齢はそんなに変らないんだよなあ
まったく接点がないね(そのほうがいいけど…) >>92
岡林からフォーク界のスターの座を奪った拓郎
もっとも岡林自身はその境遇から逃げたかったわけだから別にいいか 誰かが〜言った〜 岡林をどう思う〜♪ するとぼくはこう答える♪ てい(以下略)
どう答えていたかは知らないが、悪いふうには言ってなかったろうとは思う
けどね、拓郎も。着地点が違うんだから、昔のファンどうしみたいに(たまに
今もお互いのファンにいるが)どっちがどうというのもあまり意味はないし。 ちなみに拓郎(フォーライフ)と岡林(田舎)の間を行き来
していたのが泉谷だが、空気読んでか、お互いの「接点」という
のは作らなかったようだ 泉谷は農村に引きこもっていた当時の岡林の家へ遊びに行き
大いに語り合って楽しいひとときを過ごしたそうな
当時、音楽雑誌の「GUTS」にそのときの訪問記が載ってた 師匠の高石友也とも疎遠になっているようで・・・・
326 :昔の名無しで出ています:2012/05/20(日) 14:06:51.26 ID:???
高石ともやは岡林信康の生き方には否定的だったな。
岡林のやることなすこと、ただのパフォーマンスにしか
思えなかったとか。
327 :昔の名無しで出ています:2012/05/21(月) 02:22:26.83 ID:???
>>326
岡林が農村に引きこもって農業にいそしんでたことも
チャンピオン病のパフォーマンスだと批判してた
>>97
高石さんはコツコツと活動してる古いタイプのフォーク歌手だから
何かと鼻についたんだろうね 高石は運動(社会)としてのフォークにこだわりもあったから
いきなりプイッと蒸発したり、こらからはロックや! とか、
もう歌はやめる! とか、あまりに奔放な岡林に鼻もついたんだろう
けど。ただ運動(社会)としてのしわ寄せは全部岡林が被った形に
なったんだから、「チャンピオン病のパフォーマンス」もないだろう
って話。
方向性が変わってキャリア初期の仲間と疎遠になるのは
よくある話じゃないかな。
考えてみたら高石友也だってナターシャセブン結成後は
音楽の方向性は変わっていったし。 リアルタイムから少しずれているので詳しくは知らないが、高石ともやも70年代初めに一回アメリカに逃亡(?)一人旅していなかったっけ?
自分を見つめ直す、とか言って。
岡林は自分の音楽はロックである、とこだわり、高石ともやはアメリカンフォークにその原点をおいたままに今も尚。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています