1985年。西武監督交代劇について
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4年間で3度リーグ優勝。2回日本一の実績を残しながら
監督が去っていった。 >>749
近藤も元巨人
「巨人はスター選手ばかり優遇している」と批判していた。 広岡は田淵と石毛に、基本を習得せず才能だけでプレーしてはいけない、
それでは「将来、指導者になったとき、若い選手に教えられない」ことを注意したらしい
当時、ふたりとも将来の指導者と考えられていたんだろう
そして、指導者の資質に欠けることも、広岡は見抜いていたのかも知れない 「お前はお茶も入れられないのか」と黒江透修を怒鳴っていた人がいたらしい。
1985年の時に痛風だったその人の代わりに胴上げされたのが黒江透修らしい。 長嶋巨人→近藤中日→廣岡西武→森西武→王ダイエー→渡辺西武
こんだけ需要あったのすごい 打撃コーチの中西 投手コーチの権藤並みだな クロエ!
衛星を動かせ!
早くしろ!
何やってる! クロエ・ヴェブリエ(Chloe Vevrier 1968.9.18〜)という海外
エロサイト見てからやって来ました┏(^0^)┛
黒江さん地味に凄い経歴ですね〜┏(^0^)┛ >>753
クロエティーか たしかにいかにもぞんざいそうな響きだ クロエモンは身長165センチ。
案外小柄だ。ヨッさんもそんなもんか。 >>754
そんだけやっていて監督になっていないのも凄い。
本人が「自分は参謀向け」と思っていたのか、地味すぎて話が来なかったのか。 役割をわきまえていたのと家族の事を考えての事だったのでは? 黒江は「V9メンバーの誇り」と「ONの引き立て役」の意識が強かったのでは?
長嶋監督にはよく尽くして、選手を叱る役目を引き受けて、スターである長嶋監督に代わって
自分が嫌われ役、汚れ役を引き受けるという意識があった
土井正三も選手時代から似た位置にあったと思うけど、こちらは監督になったね 広岡氏は巨人の阿部監督のことは意外と買っていそう。 ヒロオカさんは
想像だが新井監督や新庄監督や阿部監督には好意的。
これも想像だが立浪監督には激辛。 新庄に好意的なのが不思議だ
守備がめちゃくちゃ上手い選手だったからかね?
守備では史上最高の外野手と挙げる関係者も多いし。 こうやってみると野球も会社も人間と能力は分けてみるべきか?
相性という問題もあるが簡単に人を配置して効果でるものでは無いというのも
生身の人間同士というものから来る。
そうやって昔から色々ドラマが生まれるんだな。実際会わないと分からない面も
多いし。時代とともに変わって行くし。面白いですね。 相性の悪い監督・コーチに出会ってしまった選手は悲劇ですよ。
トレードで出してくれれば、まだいいですけど。 タブチくん、ダイエー監督時代、腹心に裏切られた言うてましたな。名前が出てなくて誰だか分からんかった。🤔 >>774
黒田正宏。阪神コーチ時代に和解してたが。 江本孟紀著「僕しか知らない星野仙一」
たとえ嫌われ者であっても使いこなす 星野さんのすごさ
>黒田については、悪い話ばかりが聞かれた。
>ダイエー時代、当時の田淵幸一監督の下でヘッドコーチを務めていながら裏切った。
>そのことで、田淵さんを辞任に追い込んだために、「悪党」などと陰口を叩かれたりもした。 黒江は広岡解任後まもなくの身の施しで森に電話した。 黒田程度に裏切られてしまうんじゃ
もし田淵が希望通り巨人に入団したなら間違いなく森に潰されたと思う。 どういう裏切り内容だったのだろう。
知らないほうが良いのだろうか。 黒田と言えば崇徳高校で選抜優勝投手になった黒田はなかなかカッコ良かった。 >>778
江本は著書で田淵のことを「なまじ能力があるんなら、ない方が全然いい。
側近として黒田がいるんだから、彼の言うとおりにすれば」良い結果が出る、
とかシーズン始まる前は書いてたな。 田淵は監督就任早々に近鉄・権藤コーチ招聘をぶち上げて近鉄から抗議を受けると謝罪→撤回というのをやらかしてたな。
結果前年からの中西投手コーチ留任になったけど1年後には辞めるのが確定の投手コーチのもとで当然のように翌年は投壊、初手から間違ってた。 西武の堤オーナーはスター性のある田淵を気に入っていて、広岡退任後の監督にしたがっていた
でも、根本がそれを制して森を監督にしたんだよね
もし田淵が西武の監督になっていたら、どうなっていたのだろうか? 田淵本人もやりたかったのは西武の監督だって言ってたけど、
繋ぎの監督って言われた森があれだけ成功しちゃってタイミング逃し、
そこでダイエー監督の話に乗っかった感あったね
例のやりたければどうぞで森が辞任してたらとか、色々たられば話は膨らむな Wミーティングでのトレード候補暴露など脇が田淵は甘すぎた。
その側近での黒田。
やらかしを連発。自分の身も危ないから常に球団上部に報告していたのでは?
それが田淵目線ではチクリ、裏切られたというものに変換された。
要は人柄が良すぎたのと意外と頑固な面があったりして上記の脇の甘さが複合汚染。
組織として全く機能しなかったのが一年目ではないか?二年目から権藤とか来て少しマシになっていった。
全くの外様が監督、旧南海勢が強い現場、球団スタッフは西武からとダイエーになってからと旧南海
運営の前にうまくまとまらないといけない。杉浦との決定的な違いはここではなかったか?
根本がそのあと来たけど王の時に2年間また同じようになった。
そこから人間の本格的な入れ替えに舵を切ったのでは? 86年87年88年はペナント苦戦しまくってたから田淵なら危なかったかもな 田淵・西武監督なら危なかったと良く分かりましたが堤オーナーとの相性は良さそうですね。 堤氏は野球を知らないので、「有名な人」を推す傾向にあったらしい
現役最晩年の野村を入団させたのも、「有名で、自分でも知っていたから」
野球を知らない自分でも知っているのだから、きっと凄い人だろうと思った
球団買収時点で根本さんが監督ではなかったら、根本さんと縁はできなかっただろう
根本さんは凄い指導者だけど、決して野球素人の間で有名な人ではないからね 堤オーナーは最盛期は凄く冴えていた人だった。
どこがお見事かというとクラウン時代からの監督である根本氏を継続採用したところ。
後々のチーム作りに多大なプラス影響を及ぼした。 国土計画が横浜スタジアム建設に携わり、大洋球団の株も半分近く取得してたとこから
西武園球場の大規模改築で新設されるプリンスホテル野球チームのメイングラウンドかと思いきや
まさかのライオンズだったっけ
球団買収も当時秘密裏で進んでた感で >>792
中内がOとNと田淵しか知らなかったというホークスファンの不幸 堤オーナーが凄かったのはどこぞのオーナーと違って現場に一切口を出さなかった事。
中内オーナーもそれを目指したが本業がヤバくなってきて絶えず根本らに【いつ回収できる?】
【はやくお土産持ってこい】と強烈な要求をしてたらしい。
当時はもうスポーツチームはホークスだけになってもいたから
王については2年目以降からもうダイエー本社から不要論が大多数だったらしい。
それを根本が必死に抑えて。。。自分の死と入れ替わりにようやく栄冠が。。黄金期が。
その根本の重圧は凄かったと思う。スパイ容疑とかもあったし。
そういう意味では根本は組織を良い方向に向けて信じて守った。
広岡とはGMとかでは器が違うと知ることが出来る。 バブル崩壊→震災と本業が不味くなってからも、井口、松中、柴原の97年度入団組に代表される大規模なドラフトやってるもんな。それは大したもんだと思う。 根本氏のキャリアハイは西武監督を退いてから管理部長を務めていた時期かなあ。
ダイエーの時の96年秋のドラフト戦略も見事だけど西武時代からすると花が咲くのに時間が掛かった。
ダイエーの時はオーナーの次男の正が介入し過ぎ。
それからすると西武の堤オーナーは大したもんだった。楽天の某オーナーと違って余計な口出しはしないから。 川上の凄さをみんな語るのに
もっと森の凄さを語ってほしいが
石毛も工藤も辻も伊東も本当に語ろうとしないよな
本当に関係性は全然ダメなんかな
選手が揃ってたって監督の能力を遠回しに否定してる
そういやこの前のOB戦も監督が呼ばれないことに違和感を感じた 回収=先行投資に対する結果(優勝)
あとは利益だな。もっと稼いで貢いで本社に貢献しろ。と。
いつになったら儲かるようになるんだ。という意味
息子たちの本業の新業態が全て転んで、既存店も赤字。オーソンも手放そうか
ホテルは?クレジット会社は?と。火の車になっていた。
中内オーナーは焦っていた。 森さんの真の凄さとは、西武監督時代9年間で8回優勝・6回日本一よりも巨人現役時代にライバルをことごとく撃退して正捕手の地位を守り抜いたことにある。 「いや私は実力はあった!大学時代は名捕手と呼ばれたものだ!これは誰かの陰謀なのだ!
私が力をつけると自分の立場が危うくなる誰かの!」
「なにようるさいわねーっ (かぱーん!)
ジャイアンツの正捕手はわたしよ!これからもずーっとねっ!」 森も多分任期中裏で後任の監督探しの動きを何度も察知していたかと。
その度に現役の経験宜しく一つ一つ潰していったのかもしれん。
でもオーナーの後ろ盾もなくなり自ら辞めさせられたという事か。
逆に巨人の監督への道は長嶋とかが反対で目を潰されたと聞いたことがある。
(森に監督させる位なら自分が続投すると辞任を撤回) 森氏は現役最晩年には、当時では少なかった1000万プレーヤーになったし、
監督としては最高級の高年俸で、しかも長く続けることができた
現役時代の実績からすると、よく稼げた人生だったのでは?
ON以外のV9メンバーでは、最も稼いだ人かも知れない 堀内恒夫が案外現役時代は稼げなかった。
現在ならば3億円は最盛期に稼げた。
投手に対しては意外に渋チン球団の巨人。 大盤振る舞いになったのは皮肉にもナベツネがオーナーになってから
80年代後半ぐらいも西武よりかなり渋ちんだった 江川や原も全然上がらなかったし >>807
80年代までは給料は野手>投手だったって話がヤフコメで出ていた
単純に先発投手は野手より試合数が少ないからだとか 江川卓でせいぜい5000万くらいじゃなかっただろうか。
引退後のほうが稼げるかも。 江川
1983年 16勝9敗 217イニング 防3.27 4440万→4440万 現状維持 >>812
安さもだが、16勝して現状維持ってのが吃驚
これじゃ余力残して引退するわけだ >>812
この成績で現状維持なのに、守銭奴とか金の亡者とか散々な言われっぷりだったからな。巨人叩けばいいという風潮だったわ。 83年時点だとまだ1億稼ぐのがいなかった筈。
山本浩二か江夏豊が恐らく最高年俸。 中畑が中心になって労働組合を結成したのも給料の安さと
「選手が自分の意思で決めれるのは引退だけ」という状況を
改善しようとしたわけだからね。
中畑は自分の最高年俸は5000万円だったと言っていた。
落合は「トップの俺が年俸を上げないと他の選手も上がらなくなる。
長嶋さんや王さんはそういうことをしてくれなかった。」と言っていた 球団の提示した数字見て素直にサインを押すことが必ずしも「善」ではないのですね。
小林繁は77年のオフの契約更改で相当揉めたようです。そんな経緯があって、江川問題の時にここぞとばかりに「出されてしまった」可能性がないとは言えません。 こういう職業でもそんなんという労働環境の終わりっぷり 何気に広岡は年俸に関して選手の貢献度をフロントに伝えていた。
(リリーフ陣やベテランや脇役や控えの選手も)
優勝だけでなく所得も増えるようにしてくれたから当初の文句はあまり出なくなったのでは? 昭和40年代だと主軸打者、エース級の投手で1000万円台だから、
そこから1億円までの道のりは遠かっただろうね
ONと金田は4000万円台だったけど、他の一流選手とはかなり差があった 金銭感覚が麻痺してきたのか今永の5年総額40億という金額を聞いて「カワイイ額だ」と感じてしまった。(-_-;)
ミスターの年俸、現在ならばどのくらいまで行くか検証して「7億円」と出ていた本をだいぶ前に読んだ(-_-;) 広岡チルドレンじゃない選手の森評ってどんなもんだろ
清原はかなり誉めてた気がする
石井や潮崎や平野や鈴木健やデストラーデあたり チャーリー・マニエル「ヒロオカはいい監督だったがコーチのモリは嫌な奴だった」 山崎裕之が西武になって数字は落ちたのに進塁打や バントなどの査定がプラスされ年俸が上がったといってたな 当時のプロ野球界では破格に物わかりのいい球団の西武。クラウンの時は12球団1の不遇。 >>800
伊東は「森さんはやることなかった思いますよ」って言ってる 石毛は「僕が名将と思うのは広岡達朗だけ。野村さんは阪神、森さんは横浜でダメだった」、伊東は「森さんの愛弟子と言われるの嫌」って言ってる 結局広岡を上げていう必要もないのに森を下げる
森のいいところを何がなんでも言いたくない感じ
辻とかはゲームボーイを一緒にやったとか割と寄り添う感じで接してくるだと言ってるのに
なんでそこまでして嫌うのかね 西武黄金時代頃の日刊スポーツの記事で
石毛「森監督は嫌いな人だけど試合には勝たせてくれる」みたいなコメント見てびっくりした思い出あるな 元々の性格は置いといて、コーチ時代はもうわざと嫌われ役をやったとしたら監督就任時に精算するような挨拶したりすればまた違ったのかもしれんね🤔
とはいえ監督やるのにそんな弱みを見せるようなことにもなりかねない行為は余程上手くやらないとまずいから難しいだろうけども >>832
凄いな笑
でもこれ裏を返せばこんな発言しても好き嫌いで干すとかはしない、そこら辺はきっちりした人と選手側が認識してたということかも?
デブ大久保は嫌われて使われなかったとかいう話もあるけどどうなんだろう デーブ大久保のほうは森さんのことが嫌いだったとハッキリ言っていた。
ただし過去形で、今なら森さんの気持ちが分かるとも。移籍先の巨人で恩人の藤田監督に出会った。
西武時代は根本管理部長にベッタリだった。 デーブについて言えばデーブの翌年のドラフトで清原が取れた時点で用済みだからな。二軍でいくら打とうが関係ない存在。それでも声くらいはかければそこまで恨まれなかっただろうけど。
藤田監督はONの後という逆風の中で結果を出したのはやなり選手とのコミュニケーションが上手かったんだろうな。長島なき81年の逆風は04年の堀内の比ではなかったと思う。 キャンプだかの時にランニングの際に森監督は選手に色々声を掛けるのに、デーブが目の前に来た時は無視するように一切声掛けなし。
本来はデーブみたいな一軍半みたいなポジションだった人にこそ声掛けが必要なんだが。 ドラフトや監督交代なんて快く思わなかったとしても球団に向かうべきなのになぜか現場内でのいがみ合いになるという…こういうことだけは上手くできてるよな笑 辻発彦は森さんのことを良く言っていた記憶があるが。 選手時代には話も聞いてもらえたし、ヤクルトへトレードの件でもノムに口利きしてくれたとか、
辻は森に感謝してた数少ない主力選手みたいだ 何故辻は広岡のロッテを当時蹴ったんだ?
セに行って野村野球を勉強したいから????
または森が【囁いた】のが大きく作用したのか? 広岡は巨人の監督をやりたかった。
1985年時点で王は2年連続優勝を逃す。翌年1986年もダメなら王は辞めるだろう。その後は自分に…
という読みがあったから。
野村や星野みたいに退団即違う球団で監督なんてありえない時代だったからワンクッション置くためにその1年前の1985年に辞任した。
まあ結局王は1986年も優勝を逃すが続投。広岡の予想は外れたんだけどね。 土井正博はコーチ時代やりずらかった監督に唯一森を挙げ、オーナーの意向で清原を使ったのに自分の
手柄みたいに話しをした、打てない文句ばっかり言う
東尾、伊東勤、渡辺久信、森繁和はやりやすかった 広岡監督とも合わなかったと思われる土井氏だが、上手い具合にすれ違い。 >>844
土井正博氏にいっぺん監督やらせてみたかった >>846
賭場に出入りが発覚して解雇されるんじゃね? 広岡はデーブを買っていたのでは?
秋山に続く大砲として。
翌年清原が入ってこなければまだチャンスはあったかもしれないが清原みたいな
華は無かったから時期と巡り合わせが悪すぎた >>844
土井正博は広岡に嫌われて引退したらしいけど、森とも合わなかったのか
むしろ後輩たちとのほうがやりやすかったんだな
後輩からすると、年長で選手時代の実績もある先輩は使いにくそうに見えるけど、
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