北別府学
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耕運機を持つことは男の夢なのだ(`ε´)
北別府が絵文字入りブログ書いた時は衝撃だった 初代ファミスタでは最強投手だったと思う。
変化球自在。 シュートがいい感じでゲッツー取っていた印象。
現代野球のように100球制限だったら250勝ぐらいしたかも。
150勝になる可能性もあるがw ぺーさんは山本浩二派閥の人間ではなかったから監督は無理でしょ
カープは山本浩二のチームだから 制球力は北別府。
時々打者にぶつけるようなある意味姑息なクレバーさは東尾 85、86年は何故か頼り甲斐ある絶対エースだった
他の年は全く頼りないが勝ち星だけは何故か伸びてるという投手だった 初代ファミスタの絶対的エース
間合が長くて他の投手の3倍ゲームが長引くのが欠点。 巨人ファンなのに投げ方カッコよくて真似してた
この人のピッチング技術は別格だよ >>15
平成に代わってから投壊気味な成績続いたけど、最後に頼り甲斐魅せたのは200勝達成で14勝挙げた1992年だったな しょぼい200勝投手議論で北別府は下位の方だが平松堀内よりは上で、昌や工藤あたりと下から5番目前後を争ってる意見が多い
みんな凄いメンバーだから最下位を回避してる時点で取り敢えず満足 北別府も白血病の後、いろいろ内臓の病気や骨強度低下による骨折など後遺症が出て、
自身も相当大変だし、広島ホームテレビも解説者の起用が綱渡りになってしまったな。
現状だと、前田智徳は息子の進学とテレ朝との契約との関係で関東ベースになったのも重なって、
在京広島OBの金石昭人や、里崎智也・井端弘和といった広島OB以外を起用したり、
他局(テレビ新広島)のイメージが強い達川光男まで起用するという事態に。
ここはアナウンサーも実質廣瀬隼也・吉弘翔・榮真樹の3人だから、
高校野球・W杯などでの他局への応援はとても無理だし、逆にこの3人にアクシデントがあると
テレ朝やABCなどから応援してもらわなければいけなくなりそうな… 1988年頃某解説者が「ベテランの北別府、中堅の大野」って言ってた
北別府のほうが年下なのに 大野は故障がちでシーズン通して働くことが少なかったからね。
キャリアハイの1988年13勝のシーズンでも170イニングぐらいしか投げていない。
北別府のように毎年200イニング投げている投手の方がベテラン感が強かったのでしょう。 逮捕された審判がテレビ等で散々北別府嫌い発言していたね。
悪いのはその審判で北別府はいい迷惑だと思う。 まともそうな審判の本だと絶妙な制球力で判定を悩まされたと好意的に書かれていた。 >>28
「すすめ!パイレーツ」にも登場してるのがすごい 内容は91年<92年だが、前2年が悪かったから91年も印象深い。規定投球回数と二桁復活して防御率も3点代前半で収め、完封勝利もあった
この試合の放送は見てた。
一死1塁だけどエンドランじゃなかったか・・・
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巨人 前回の「右ゴロ」は呂明賜 広島・北別府を仕留める― スポニチ Sponichi Annex 野球
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/05/16/kiji/K20130516005814720.html
交流戦 巨人5-4ロッテ (5月15日 東京D)
巨人が2回の守備で、チーム25年ぶりとなる「右ゴロ」を完成させた。
巨人の前回の「右ゴロ」は、88年8月16日の広島戦(東京ドーム)で、呂明賜(ロ・メイシ)が完成させた。1―1の同点で迎えた9回表1死一塁で9番北別府の打球はライト前に。これを呂明賜が素早く一塁手の中畑に送球しアウトにした。
巨人はその裏1死満塁のチャンスで、駒田が救援の津田から押し出し四球を選び、サヨナラ勝ちした。
>>38
これの印象が強いせいで北別府が鈍足のイメージ MVP争いと言えば、1986年セと1994年パは似て非なるものだよね?
後者から先に言うと、非優勝チームのイチローがシーズン最多安打記録だけでMVP。
前者は、史上最高打率.389を記録した三冠王バースが非優勝ながらもMVPに選ばれてもよかった。
しかし決定的な違いは、1994年の優勝チームである西武には顕著に活躍した選手がいなかったのに対し
1986年の優勝チームである広島では、北別府が文句なしの活躍だった事だろうか。 【訃報/野球】カープ『精密機械』北別府学死去、65歳。2年前に白血病と診断。球団史上初の200勝。20勝1回、最多勝2回、防御率1回、沢村賞2回、MVP1回の大投手 [朝一から閉店までφ★]
ttps://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1686899403/ >>26
そのせいか、前田智徳が今年はテレ朝での仕事をセーブしてほとんどHOMEでやっていたな。
病状がテレ朝にも伝わっていたのかな? こないだ村田、門田が亡くなったばかりなのに北別府まで・・
どんどん昭和を彩った光が消えていくなぁ
ナベツネも草葉の陰で泣いとるぞ ナベツネは1926年(大正15年)5月30日生まれで存命(97歳)
つか創価のあの人とツネオ何歳まで生きるんやろ >>49
嘘やろ と思ってググったらまだ生きてた、、 ご冥福をお祈りします
tps://i.imgur.com/WbJ7YPC.jpg 広島カープ黄金時代の面々
左から
山本浩二、高橋慶彦、江夏豊、北別府学、古葉竹識
https://i.imgur.com/4KsPr8m.jpg 外木場さんと池谷さんの速球を見て
自分の球威ではプロでは通用しないと思いました
それまで自信を持っていた速球を捨ててコントロールに磨きをかけました
解説者になって初めての仕事は全く喋らなかった
その後もしばらく喋らなかった 投げるテンポは悪いのに何故か守備陣にミスは少なく
打線の援護もたっぷりあった 常にランナーを背負ってた
ワインドアップやめてずっとセットポジションの方が良いんじゃないかと言われてた 通算213勝、最多勝2回と80年代を代表するエースだったんだが日本シリーズは全く勝てなかった。名球会メンバーで日本シリーズ2大会以上出場で0勝って他には山本昌くらいか
日本シリーズは「シリーズ男」山根が主戦だったね、 同じ遅球投手でも
福士は不細工なフォームから軌道の乱れた球を投げ
北別府は綺麗なフォームから軌跡も綺麗な球だった 大学選手権で仙台大に北別府ばりにほっぺがリンゴみたいに赤いあんちゃんがいた
できすぎにも青森の農業高校出身だってよ
しかしまだ一年生の時点で有望視されててプロに来るかもだから覚えといて
俺が忘れてると思う 気性が激しかったな。
何時だったか淡口に逆転ホームランか何か打たれた時
物凄い形相でグラブマウンドに叩きつけていた。
他にも何度か見たけどその様をTVでスローモーションで見て凄まじさを
感じた。プロの凄さも。 >>59-60
何度かは会っていたな。達川監督時代にのオフにTSSが中継したOBの紅白戦では、マイク越しで会話する場面があったが、
何気にこの時期は慶彦はKBC、北別府はテレ朝とHOME、と同系列の解説者だった。
ただテレ朝・HOME・KBCが過去の関係に忖度した節があるのか、テレ朝・HOME制作の中継に慶彦は出ていなかったな。
病気になる少し前の2019年6月にはJAのトークショーに一緒に出ていたとか。 【広島】達川光男氏 北別府学さんの告別式出席「彼の一球にはとてつもない準備とエネルギーがあった」
ttps://news.yahoo.co.jp/articles/325bdbb187829453500b11d50b784588111da184
>長男の大(ひろし)さんが「父は現役時代、すべてを犠牲にして野球道にまい進していました。その一つに家族と過ごす父としての時間も含まれていました」と話したことに触れて、
>達川氏は「改めて彼のコントロールは、家族を犠牲にして生まれたんだなと思った」としみじみと語った。
故人を悪く言う意図はないんだけど
北別府の家族はかなり大変な生活だった印象だ
とにかく北別府学があらゆる意味で最優先だったのだろう
そうでなければ長男がわざわざこんな事は言わないでしょ
まあ達川が長男の気持ちを汲んでフォローしてるわけだけどさ
でも昭和のプロ野球選手ってそういうタイプが多かった
村田兆治もそんな感じだった >>71
その試合、覚えているわ
カネやんが解説で、やたら北別府を激励していた やっぱ、北別府が投げている試合といえば
伝説の前田、涙のヒーローインタビュー拒否だろ
自身は決勝ホームランでチームも勝ったが
北別府の白星を消すエラーをしたため
「今日は勘弁してください」と号泣 その前田は、後年広島ホームテレビで、北別府と解説の仕事で時々一緒になっていたな。 日本シリーズでは山根や小林誠二の方が強かったな
告別式には出てたようだけど 厳しい見方かも知れないけど、本当に親子仲が悪いと、言えるような話ではないから。
しかし、一般的なレベルで言えば、そういう話もありかも知れないけどね。 これは完全な偏見だけど、達川ってのが、広島カープに寄生してる害悪だと思うよ。どういう背景があるのかよく分からないが。 阪神や中日、ソフバンのコーチにもなっているし
偏見だなw 池谷 北別府 福士
3本柱の2人が故人とは池谷さんもコロナどうなったんだろうな >>71
1983年8月13日の対巨人戦。9回淡口に同点2ランを浴びて、グラブを叩きつけた。
前年最多勝もこの年はイマイチの北別府。
だがこの日はいつもと違って気迫のピッチングで首位巨人を零封。
で、9回に痛恨の被弾。淡口がベース一周してる間に、グラブを叩き付けた。
後年ジャイアンツタイムマシーンで放送する際は、その場面は見せず延長戦ばかり
https://www.youtube.com/watch?v=oVN12iw0kRA
生中継ではグラブ叩き付けは直接映さなかった、と記憶してる。
そんなことがあったものだから、ベンチが淡口を迎えるシーンの直後にVTRで映し出したはず・・
だが、それを確認できないまま40年が過ぎた。 八月初めには首位にいたカープもこの頃は、脱落気味。
この試合に負け、翌日も競り負け、巨人は一気に優勝へ。
また、この一週間後が高校野球史上最大の衝撃・池田ーPL戦!!
野球が最も熱かった時代でした。 83年当時強烈に頭に焼き付いているからそのシーンは放映されていた。
打球を目で追って入ってしまった後物凄い形相でグラブをマウンドに叩きつける
スローモーションで二回位。
多分ビデオが残ってないのか、北別府メインになるからなのか?
>タイムマシーンでは
どこかでもう一回流してほしい。残っていたら(北別府を気性を最も表しているシーンだから)
あとは86年5戦の交代前のマウンドの土を蹴り上げるシーンか。 このタイミングになってしまったが、20を永久欠番すべきだ、実績が明らかに15より上だし異論は無いだろ。 高橋慶彦が葬儀に参列しなかったのは
松田元オーナーと鉢合わせになるからだろうか
https://i.imgur.com/c2HYyx8.jpg
それとも、単に招かれなかった、出たくなかっただけか 広島、阪神は日本シリーズ優勝ゼロで平成年間を終えてしまった 北別府が永久欠番てありえんな
勝ち星は多いが真のエースの期間は短かった
2番手、3番手で長く活躍して
エース時代として投げた時は東尾と同等と言われたが
評価は遠藤や江川、小松の方が上
山田や村田、堀内ですら永久欠番でないのに 北別府は85.86に神ががった活躍をしただけ
その前後は勝ち星こそ伸びるがやはり2番手、3番手だった
85.86以外は例えるなら紀藤のような 慶彦、自身のネットチャンネルへの出演を依頼していた
https://www.asagei.com/excerpt/266163
しかしその頃は病状が悪化しており、夢の共演は叶わず 視聴回数稼ぎなのか
それとも過去は水に流してなのか
いや、北別府が応じるかも問題だ
達川、正田は出演したのかな? 北別府も江川もそうだけどトップ作るまでに思いっきり手首寝かせてるのはなんでだろう
結局すぐ手首立てるのに 本人はその方が力まないんじゃないかな
中山は真逆だな 大久保の評論家時代のチャンネルで、
引退後トークショーに出るなど和解していたことを明かしていたな。
https://www.daily.co.jp/baseball/carp/2022/06/18/0015398184.shtml
>>88
夫人は「こんなにもお心のこもる素晴らしい会葬にして頂きました事、感謝して止みません。
オーナーはじめ球団の皆様、そして山本浩二さん、達川さん、黒田さん、高橋慶彦さん、前田智徳さん、諸先輩方、
友人の皆様に主人の話をお聞かせいただきました事、そして大野さんの弔辞をに感動し家族も全員泣いておりました。」
と語っているから、通夜に出たのかな?
https://ameblo.jp/manabu-kitabeppu/
>>93
正田は出ていたな。検索したら出てきた。 アメリカから通用するのに帰ってきたって点があるから永久欠番は黒田になるな
これが通用しなくて、あるいは通用していても実力が下がって入団してるとなれば、北別府だろうが >>96
記事に名前が無かっただけで、高橋慶彦も参列してたんですね
失礼しました
https://i.imgur.com/ec3km31.jpg バースの三冠王をさしおいて
MVPになった偉大な選手 基本MVPは優勝チームから出るもの
しかもバースは外人というハンデがある
北別府は85.86のみが神ががった活躍をしたがその前後はそうでもない
若い人は数字だけを追うのでそう思える
活躍は東尾を比しても明らかに東尾の方が上
ただ北別府は東尾よりは綺麗な勝負をした 85シーズン開幕当初
当時を物語る実況解説
実況
山根がいない今次のエースはこの大野と言っていいんではないでしょうか?
解説
大野か北別府ですね コントロールは確かに球界でも屈指だったんだが
打者にとってなにより嫌だったのは
マウンド上でダラダラと打者の集中力を削ぐ
審判ですら集中力を削がれた
これに達川のトークと合わさってかなりの脅威となった 後は故障に強い
池谷、山根、大野らは故障がちでよく穴を開けるのに対して
北別府や福士はローテの穴を開けることはほぼなかった それも池谷やその前の外木場の馬車馬のような使われ方は省くとする 小林は潰れると思った
抑えの七色の変化球レーシッチが全く使い物にならず
中継ぎの小林がロングリリーフもできると言って連日中継ぎと抑えをやらされた
山根は津田のように復活すると思ったがだめだった 日シリ
エースは中3日で1,4,7戦先発
最後の投手かな? 山根は移籍先の西武で抑えをやっていた時期もあるらしいが、テレビでは見なかったから印象が薄いな。 >>107
2年後に中日に入団した弟の登録名が「ゲーリー」になったのは
やはり鳴かず飛ばずの兄と同じではと球団がゲンをかついだのか
おかげでというか弟はなかなかの活躍で ファミリーのシッチ回復ができた 川口が日本シリーズ2戦5戦先発、6戦7戦リリーフ
一時代前ならこんなのは当たり前だったんだろうが 江夏の21球の時古葉監督がプルペンに走らせたのが池谷と北別府
投げさせてみて調子の良い方を使おうとしたのだろうか
池谷の球が走ってれば池谷
池谷がも一つなら北別府だろうけれど
ノーアウト満塁なので
北別府の場合には1点くらい取られても延長戦で
池谷は抑えて勝つか、大量失点で負けるか
くらいの覚悟だったんだろうか やはり江夏続投が良かっただろうな
近鉄にプレッシャー与えるには江夏続投が良いと思う そう言えば鈴木啓示も日本シリーズ弱かったんだったかな 【真弓明信さん後編】真弓さんにとって大得意な投手「定岡正二」と苦手じゃないのになぜかヒットにならない投手「北別府学」⑦【プロ野球OB】【阪神タイガース】【広島カープ】【真弓明信】
https://www.youtube.com/watch?v=xe4VVR3KoaA
【vs 北別府学】精密機械の完璧な制球力!西本聖対策の応用で見えてきたもの【谷沢健一 対戦の記憶】
https://www.youtube.com/watch?v=zMct7WhAJmw 北別府で一番怖かったのがカウント「2−3」からたまに投げてくる「天井カーブ」。
あれでストライクが取れるんだから・・。 古葉さんいわく
江夏だったら、1点で抑えてくれるとは思っていたから
延長戦のことを考えてブルペンで用意させたのこと
しかし、当の池谷いわく
次のイニングから肩をつくっても、充分、間に合わせることができた
とのことw 2-3からの天井カーブ
あった、あった
古葉監督も江夏に気を使ってたんだな、放出するのに >>105
84年当時阪急ファンだったが、
技巧派の北別府相手なら2点くらいは取れる算段ができたけど
山根は球も速くてコントロールも良い、しかもフォークが切れるから
点を取れるイメージが湧かなかったわ >>122
84年は後半故障で戦列離れなければ最多勝と沢村賞も取れただろうになあ
遠藤も良いが山根も負けず劣らずだった >>98
今度は安仁屋宗八の具合が悪いようだ
回復してくれるといいが 1975年 ドラフト
1位 北別府学(投手)
2位 山根和夫(投手)
3位 長内孝(外野手)
4位 小林誠二(投手)
5位 小川良一(捕手)
6位 高月敏文(内野手)
この年のドラフトで大成した選手が少ない中
これは、エグい 鬼嫁運動記者倶楽部の縁で、
北斗晶・佐々木健介夫妻も弔問に訪れたな。 小林誠二って空手やってて凄いマッチョと聞いた。
そういう点でも買っての指名? 5位の小川良一は拒否してプロに進まなかった
当時の広島は正捕手が水沼、第ニ捕手にもドラフト1位の道原がいて
レギュラー奪取は無理と判断したか
広島はそれでも補強の手を緩めず、翌年は6位で高校生捕手
翌々年は4位で達川光男を指名した
古葉竹識監督は捕手を重視していたのが分かる 1975 主なドラフト入団選手(広島以外)
簑田(阪急)古賀(太平洋)水上(ロッテ)森口(南海)立石(南海)行沢(日ハム)
田尾(中日)青山(中日)深沢(阪神)杉村(ヤクルト)芦沢(ヤクルト)斉藤巧(大洋)
篠塚(巨人)中畑(巨人)山本功(巨人)
広島の一人勝ちドラフトw 絵に描いたような真っ赤なほっぺ
カッペそのもののような顔立ちだったが絡んだらおっかなかったという逆の強面イメージ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています