根本陸夫氏の人間関係図について
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
【長年の親友】関根潤三氏
【ウマが合う】土井正博氏、大田卓司氏、森繁和氏、石毛宏典氏、大久保博元氏、下柳剛氏
【たぶんウマが合わない】広岡達朗氏、野村克也氏、
【???】山本浩二氏、東尾修氏、
※上記の関係図は想像です(-ω-)/ 土井は近鉄のスカウトだったころに入団させて面倒を見たから、格別の間柄だっただろうな
別当監督に土井を試合で使うように進言もしている
引退後の解説者の口も世話しているし 根本さんは、意外と選手の言い分を聞いてくれる人みたい。
田尾安志は広岡監督とは以外にあったが森監督とは反りが合わず。
根本陸夫さんにお願いしてトレードに出して貰ったという話は聞いたことがある。 >>1
山本浩二は、根本とは基本、関係は良好だな。ただ、ウマが合うと言うより、浩二からみたら、選手時代に根本に抜擢してもらったので頭が上がらない存在と言ったとこか。これは衣笠や三村、水谷にも同じ事が言えるが。 野村は「ある監督」「私が西武在籍中の色花」などと
名前は出さずとも、嫌味と皮肉をこめてボロクソに貶していたな 西武の監督時代は恐ろしい怒声で選手を怒鳴り散らしていたので言われているほどの
甘ちゃん監督ではないと思った。あれはあれで厳しかったんだと思う。 広島監督時代はとにかく恐ろしかった印象。
広島の練習量は半端でないと聞いたが、その基礎を作ったのが、この人。
遊び人だった若き日の衣笠祥雄を改造して、のちの鉄人の基礎を作り上げた。
衣笠祥雄は親友の関根潤三と、この根本陸夫が育成した結果の傑作だと思う。 >>13
ピーコも若かりし頃は、根本と関根のコンビにビシバシ鍛えられ、キャンプ期間中は、朝昼猛練習に夜は夜間練習兼ミーティングと野球漬けにあけくれた。その経験もあってか、80年代の西武の広岡、森の頃の管理野球なんて全然甘いと言ってた。 >>14
根本と関根がミーティングで何を教えるんだよwww その頃は広岡さんも広島のコーチだったような・・・・・ 【たぶんウマが合わない】に上田利治、古葉竹識も追加
二人とも1969年に根本と対立して広島を退団した 古葉の広島退団は鶴岡南海で指導者としての勉強の意味合いが大きいんじゃないのかな >>12
生前の野村が「報道陣の前だと、わざとか意識的に怒鳴り散らす演技してる監督がいた」 ノムカツって監督論になると根本さんをやたら引き合いに出しては
最低の監督だの無能の指揮官とボロクソに叩いてたよな
だったら、あんたはどうなんだよと聞いてて胸糞悪くなった 野村さんに引導を渡したのが根本さんだったので
例の代打を出された話をずっと恨み節で話していたからnね。
外野フライで勝ち越せる場面だったから本来ならベテランの野村さんを
寧ろ代えてはいけない場面だったのだが鈴木葉留彦に変えてゲッツーに終わって
負けた話は嫌でも覚えた。 >>19
鶴岡は蔭山に禅譲する流れの時期にその理由でって言うことはないと思うが。 ttps://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2021/04/28/post_85/index_3.php
「根本さんは私にとって6人目の監督でしたけど、今まで巡り会ってないような方で......。
とにかく思い切って行けという"のびのび野球"で、ミーティングもない。
これじゃあ勝てないだろうな、と思ってました。
まあ、根本さんの場合は勝つということより、編成として選手を集めてきたり、
地下へ潜って仕事したりするほうが得意な方でしたからね」 野村克也の根本監督への愚痴を横で聞いていて不信感を持ったのが伊原春樹
野村阪神でコーチとして迎え入れられた時に、複数年契約を単年契約にして貰い、
1年で退団。
野村氏と合わない人は何人も存在しそう。 球団買収当時、堤オーナーは「球団のことはすべて根本さんに任せている」話していた
西武グループの独裁者だった堤オーナーは、根本監督をひとかどの人物だと思っていたのだろう 理想のチーム作りは難しい。永遠のテーマのような気がする。
理想のチームとは・・・・・・監督は落合博満かなあ。
投手コーチは権藤博さんだろうか。江川卓氏も面白いかも。
打撃コーチは中西太さん? 監督にしてはいけない人だけどコーチとしては有能だと思う。掛布雅之氏や新井宏昌氏も捨て難い。
ヘッドコーチは牧野茂さんあたりはどうだろう・・・・・
守備コーチは土井正三氏あたりかなあ・・・・・
関根潤三さんは2軍監督兼寮長ならばピッタリかも。
GMは、これはもう迷うことなく根本陸夫氏の一択。 気のせいか森が名将として語られることがほとんどなくなった気がする。 根本さんは最初の数年間は自分で監督をしてチームを育成するんだよね
でも、根本監督の間は勝てないからそこで辛抱できるかがカギ >>35
よそで大失敗して海外に隠遁 それだけでも十分だが
さらに黄金時代の象徴たる清原・堤の凋落に巻き込まれた感もある >>36
その手法の一つとして、他球団の主砲を引っ張ってくるなあ
広島 山内 西武 田淵 ダイエー 秋山 西武とダイエーの監督では優勝争いしたシーズンもあったので決してダメな監督でも
ないと思う。 >>35
森はモータースポーツで言えば最強マシンに乗っていたから勝てていた人だね
金満でもないチームで結果を出していた仰木の方が遥かに凄い 6年連続最下位からいきなり日本一になった三原脩氏が監督としては一番凄いとボクは思う(-ω-)/ >>39
マネージャーやってた島田が「監督としては全くダメ」とはっきり言うくらいだからよっぽどだろう 放任野球が功を奏しての優勝争い
キャンプでもっと扱いてれば終盤失速することはなかった
だから采配そのものは悪くなかった・ >>39
94年は楽しかったが優勝争いとまではいかない
それより貯金が10近くもあってもまたBクラスというのが非常に残念だった 80年後期は優勝目前にして6連敗したでしょ。
プレッシャーというよりスタミナ切れといった印象。
81年前期も最後までロッテと優勝を争った。
81年後期も優勝を狙える位置まで付けたが最後に泥沼の8連敗。
終盤の大失速はキャンプでもっと鍛えていたらなと思う。
そこは広岡さんに任せたんだろうけどね。
西武監督時代はとりあえず下地は作った感じだった。 西武監督時代でどうしようもなくダメなシーズンって79年だけだったわけで。
ある意味で名監督だよ逆に。選手揃えて自由に野獣やらせて優勝出来たならこれ
ほど素晴らしいことはない。それをあと一歩で実現出来そうだったからね。 勝てばマジック点灯の阪急戦に
モーションのでかい松沼博+弱肩野村の組み合わせで
案の定福本簑田らの9盗塁で松沼2回持たずにKO
そこまでして起用した野村も8回の同点機に代打で引っ込めたら
裏目に出て併殺で逸機
これで一気に六連敗
試合そのものやシーズンの流れもつかむのも下手くそな監督
本当に放任で名監督ってのは権藤くらいにならないとお話にならない
それは山崎が切れて「監督を変えてくれ」と坂井代表に直訴するだけあるわ 根本監督時代の西武とか関根さんが監督を務めていた時のヤクルトとか、
Aクラスには行けないけれど暗黒期からは脱した「夜明け前」のチームは
見ていて面白い(*´ω`*) >>52
杉浦さんも4位2回だからその範疇に含めていいはずだったんだけどね… 確かに2013から2015の横浜も見てて楽しかったな
1年のうち1度はAクラスに上がってたし >>37
同じ横浜大洋で失敗した古葉は、今となっては再評価されている部分があるなあ。当時、古葉と関わった選手達も必要以上に嫌っている訳でも無さそうだし。最も、古葉も広島監督時代は根本が土台作りした状態からスタートしてる。 >>56
古葉というより、古葉が連れてきたスカウト陣な、 根本さんの広島監督時代を調べたら5シーズン中、3シーズンも勝ち越していたのは意外。 >>51
作戦出さなくても勝てる放任と、為す術もない放任じゃ毛色がかなり違うけどね。田淵土井山﨑以外実績の無い駒であれこれやれって方が酷でしょ。
まあ、それ差し引いても根本が監督に向いていないのは確かだけど。 >>59
>田淵土井山﨑以外実績の無い駒であれこれやれって方が酷でしょ。
そもそもこの認識がおかしくて、それは79年だけの話
(しかも79年はこの三人も不調かケガ)
80年後期はその三人以外にもタイロンスティーブ立花と揃って
ホームランが出れば勝つ野球、出なければ負けるという至って単純な野球を
繰り広げていた
81年はさらに石毛テリーまで加わる
だから駒自体は急速に揃っていたが
それにプラスαの采配は一切できなかった
まあ攻撃型のチームが1年間ずっと調子がよくて打線爆発ってのは
85阪神か01近鉄くらい奇跡的ではあるな >>60
だから、根本政権下でキャリアの起点になる選手が揃い始めたばっかりで徐々に下地作りしたところでしょ。誰もその3人が活躍してとは言ってないけど。特に、落ち目の3人だけどチームの軸にして、弱点を見極めて、石毛なり伊東なり、秋山なりをとる時期なんだから、そんな小細工や駆け引き出来るメンバーじゃないよね。 >>61
基本的にムラのある選手だったし、この当時でも30本いかない本塁打数だった典型的な中距離ヒッターだったし、一枚格落ち感は否めなかった。 >>62
話の起点が>>45-46あたりで放任主義であと一歩までいったから名将と
逆張り野郎からの反論だからな 81年の西武は怪我の大石の代わりの吉本がもう少ししっかりしてたら優勝してた可能性も。 吉本の弱肩って暫くバレなかったんだけど日ハムのスコアラーに見抜かれて81年終盤に
走られまくって与盗塁の日本記録を献上してしまった。伊東の育成が急がれた。 落合がもし西武だったら根本さんはまさに理想の監督
広岡さんとは揉めそう
でも広岡さんも落合の自己管理能力は評価すると思う >>64
お前が自演して討論ごっこしてるたまけじゃんw
広岡スレと同じ自演漫才隔離スレ 巨人の監督を退任した長嶋茂雄氏を西武の次期監督にしようと画策したことも
あったようですね。
実際は広岡監督が誕生したわけですが、もし仮に西武・長島監督だったならば
大勢の巨人ファンが鞍替えして西武ファンになったような気がします。 大洋も長さんにラブコールを送っていたね。
西武との争奪戦という感じでもなかったな実現する可能性ゼロだったし。 >>56
どうしようもないチームだったけど80年代後半になってフロントに勝ちたいという気持ちが
芽生えだしたのはうれしかった。 >>2
ロシア正教会では無く、日本ハリストス正教会つうて、(プーチンの強力な後ろ盾の1つとされる)ロシア正教会とは別組織。
只、ウクライナ紛争に起因する1990年のモスクワとコンスタンチンノープルの断交
(つまりは正教会の分裂)以来、コンスタンチンノープル派とは断交状態なんだけどね。
ちなみにロシア正教会直系としては、駒込と目黒にモスクワ総主教庁駐日ポドヴォリエ
ってのがある。 >>69-70
当時雑誌で読んだが長嶋は東急に近い人だったんで西武の誘いは受けれなかったそうだ
確かに散髪も東急の建物内でやっていたんだよね >>69
何事もなかったように自演漫才続けんなやw 「大洋・長嶋監督」のほうが実現性は高かったようです >>76
まあ、大洋ヤクルトは具体的に招集する前に関根潤三呼んでから長嶋呼ぶつもりだったけど、西武はそういうアクション無かったし、熱量として、あんまり積極性は無かったね。 >>53
根本陸夫伝
島田マネらの回想話でも結構批判的w
まあ凄い人だったと纏めてはいるが
今ならコンプライアンス的にも通用しないわ >>79
そうかな
世話になった人ばかりインタビューしててガッカリした記憶がある
もっと裏社会との繋がりに突っ込んで欲しかった 80年前期に怒涛の十連勝したでしょ。投打がかみ合ったら手の付けられないチームだった。 >>79
根本さんはすごい人だけど、今ではコンプライアンス的に無理というのは
渡辺久信も言っているな
具体的にどういうやばいことをしていたのか知りたい >>82
まあ今なら、伊東勤とか秋山幸二みたいに生まれ故郷の高校から、ライオンズのホームタウンの高校に転校させて、尚且つドラフト外で指名なんて、今じゃまず1つでも無理でしょ。 伊東はドラフト外じゃないし秋山は転校してないし球団職員にもなってないぞ >>84
2人とも同じ条件なんて一言も言って無いけどね。
頭固すぎるやろ。 ONOフーズだかのあやしい企業からドラフト1位で指名された森山投手だったかな?
地元・九州から情報を持ってきてくれた人がいて、根本さんがやって来て、
「ドラフト1位の器だ!」と仰天。
実際にドラフト1位で指名したが、何も1位でなくても獲れたのでは、と疑問に
思っていた。
どうも広島カープも存在に気付いてしまい「指名するぞ」と揺さぶりを掛けてきた
らしい。
焦燥感に駆られた根本さんが1位で行ってしまった、というのがどうやら本当の
話らしい。
広島の動きにまんまと騙されたのである。
逆に言えば「球界の寝業師」相手にハッタリをかます広島カープも相当のタマだと思う。 >>86
まあ、根本自体が広島関係者時代があったしね。 >>85
いや アンタがユルすぎるって話を今みんなでしてるとこ >>86
その割にはその年取った栗田とか言う1位は全然カスだったけどねw >>86
その割にはその年取った栗田とか言う1位は全然カスだったけどねw >>90
みんなって3人くらいやろ(笑)
まあ、日本語が酷いのは認めるけど、89の人も、88や90の人くらいの程度で文章抑えていければ良いのにね。 81年に西武が十連勝したときはチームを乗せるのは上手い人なのかなとは思った。 81年の時には優勝候補の一角かも、と思った。
最後の失速があって、勝率は5割ちょうどだったが、勝ち越しは十分可能だった。
あんまり勝つと次の監督がやりにくいから、これでいい、と根本監督は考えていたかも知れない。監督を降りることは既定路線だった。 81年の最後の大失速はキャッチャーがね。
吉本もパワーヒッターで良い選手なのだが最後に弱肩ぶりを露呈してしまった
キャッチャーの育成が急務だった。後に根本さんの寝技で伊東という不動のキャッチャーを
育てたのは見事だったと思う。 与四球の日本記録を献上した時はさすがに根本さんも吉本を引っ込めたが
代わりのキャッチャーが居なかった。根本西武の課題はキャッチャーだった。 >>78
フジサンケイグループが長嶋獲得に躍起だった時期。
西武も当時はフジサンケイ寄りも、それ以上に縁深いヤクルトか大洋に長嶋を取り込みたかった。
長嶋一茂のドラフトも入札がヤクルトと大洋のみで、いわば出来レースの感。
ヤクルトと大洋のどちらに転んでもフジサンケイはウハウハだった。 >>95
チームに色を付けたくないというのはあったみたいですね。
変に色を付けると後任の監督がやりにくくなるという考えはあったようです 一茂は人気込みとは言え1位指名されるレベルだった
八重樫は「今でも清原クラスになれるポテンシャルだったと思っている
あれほど体格とパワーに恵まれた選手はいなかった」と言っていた
背筋力300kgでベンチプレス170kgだもんね 一茂は格闘技に未練があったよう。
中学から高校にかけてのブランクの時期は極真空手に没頭していた。
空手家になろうかプロ野球選手になろうか気持ちがはっきりしないまま野球の道へと進んでしまった。
大成しなかったのは周囲の雑音のせいなだけでもないようで。
格闘技のほうも結局は峠を越えてしまいテレビのチャレンジ企画で頑張る程度になって
しまった。 本人は中学高校にかけての野球のブランクの時期は帰宅部で遊んでたとおどけてるけど
実際には極真道場で猛稽古に励んでいた。
野球は弟達に任せて極真の猛者の道を歩んでも良かったかも知れない。 根本さんの珍しい失策は「江夏豊の獲得」
恐らく「巨人には江夏豊を獲得させない」という工作に走ったものと思われるが蛇足に思えた。 だから一茂は絵に描いたような水島真司系漫画の選手。
大成してたらそれはそれで一つのモデルケースとなっていたかも知れない。 江夏獲得は人気獲得を急ぐ堤さんの意向のような感も。
伝統的に実より名の編成やるからね西武は 西崎と奈良原のトレードもそうだったけど
秋山と佐々木のトレードは西武にしては名より実のトレードしたなとは思った パリーグだからどうしても話題性のある人気選手を引っ張ってきたいから
根本さんもその堤さんの意向も考慮しながらバランスよくプランを練っていたようにも見えた。 広岡さんや森さんらは頼もしいストロングな選手を、そして堤さんは人気目玉選手を
という要望の中でああいう編成になったのかなとも思った。
ダイエーの時もやはり王さんの要望からかパワーヒッターがやたら目についた感じだった、 根本さんが西武を去ってから、球団とフジテレビとが疎遠になっていった感じも受ける。 ダイエー監督時代に仕掛けた3対3の大型トレードだが、エースの村田勝喜も
交換要員に入っていたことに注目している。
まだ24歳と若い投手でもあった。
「村田は中継ぎ・抑えのしっかりしている西武に行けば15勝出来ると思った」という根本監督のコメントがあるが、もしかしたら本音を行っていないのでは、と思う
村田はお山の大将的な性格で、九州ではスターかも知れないが、ホークスの中心選手では困る、と根本監督が計算を働かせて、旬なうちに放出してしまったのでは
ないか、と私個人は考える。根本監督が鬼籍に入っている現在、真相は知る由も
ないが、根本監督の考えていた絵図は、「南海勢力の一掃」ではないかと
思う。FAで工藤公康が来てくれると踏んでいた節もある。
あくまでも想像であるのだが。 根本の西武・ダイエー時代の二大失敗は江夏とケビンミッチェルの獲得だが、
江夏は日本ハム時代、プレーオフで自分の守備の弱点を突き攻略され、
広岡の野球に感心し魅了されていた。当時しばしばそういう発言している。
だから広岡とも上手くやっていけると考えたのでは。
またダイエーの王監督は気難しいと思われていたレジースミスや
クロマティと上手くいったのでミッチェルとも上手くいくと思ったのかもね。 >>114
ミッチェルは出てる間はさすがだったから
大失敗とは思わないw >>114
どちらの案件も、その失敗を教訓にして、後のチーム作りに役立ったんじゃないかな。痛みを伴う改革だった訳で。 江夏の獲得はチーム強化よりも、江夏個人への情けだったのではないのか。
トレードが成立しなければ江夏は自由契約、大幅な減俸が確実だった。
球界最高年俸の大選手が一流の成績を残しているのに
自由契約、大幅減俸になれば前代未聞の事態だ。
得とは言えないトレードをして、江夏をさらし者にする事を回避した。
根本さんは江夏が恩義を感じて、西武に溶け込んでいくと
期待していたのでしょう。 日本ハムの江夏放出はシーズン終盤から決定事項で、あのオフはある意味晒し者状態だったからな。巨人を破って日本シリーズ制覇の後で余裕もできて、球界の功労者を救うような意味合いもあったのかもな。
どのチームも江夏獲得に及び腰だったから西武が取らなければ一年早くメジャーにチャレンジだったかもしれん。 あの男は893と親しい野球選手ではない。
野球が上手い893だ。
と評した人がいたらしい。
後に売人レベルのヤクを所持して捕まって黙秘で通したから
初犯なのに実刑を食らった。 ただミッチェルはメジャーでも既に
「試合に出ればいい選手だけど」
って枕詞が付く選手だったわけで・・・
なんだっけ?ケーキの食べ過ぎで故障者リストに入ったとかで笑いものになってた >>119
早い段階で大沢親分からは、次にやるやつはお前を使えきれんから、俺と一緒に辞めよう、次の球団は探しておくからと言われていたとのこと
対して江夏は、広岡さんのところだけは勘弁して下さいと大沢に嘆願していたが、よりによってその西武に… 根本さんは江夏氏を放置して巨人に取らせてしまっても良かったのでは?
巨人がどう江夏氏を扱うか、いっぺん見たかった(*´ω`*) >>123
集客の目玉にするつもりだったようね。連続日本一になってもライオンズは動員数がそれほど増えなかった事情もあって。
ただ、前年後半にセーブは稼いでいたけど球威がはっきり落ちていた江夏を中継ぎ二枚(特に柴田)だしてまで取ったのは大損。 >>121
笑うなよな エルビスだってドーナツの食いすぎで死んだんだからw >>124
まあ、ただこのまま柴田保光を抱え込んだとしても、ライオンズ投手陣の立ち位置的に微妙なところだったと思うし、柴田にとってもそれなりに長くやれたのは、トレードで自分を主要戦力にしてくれた移籍のおかげだろうし。
片方の有益だけではトレードも決まらないから、こんな感じの痛みを伴う手法は間違ってはいない。 マスコミは江夏田淵の黄金バッテリー復活と書いていたね
田淵はこの年で引退だし江夏は干されたからあまり意味はなかった 柴田なんてあのまま西武いたら埋もれてただろうな
せいぜい小野レベルの扱い 柴田のノーコンはどうせ日ハムに行っても直らないだろうなと思ったけど
コントロールがついて覚醒したのには少々驚いた 根本は西武時代の柴田の事を「こいつはバカだぁ~こいつはバカだぁ~」と言いながら可愛がっていた 真弓明信は、いいタイミングでトレードに出されたと思う。
出血のともなう2対4トレードだったが、ライオンズはもう故郷・福岡のチームではなくなる。阪神で存分に光ることも出来た。
新生・西武はしばらくショートに悩まされることになるが、そういう未整備な部分も含めて楽しい時代だった。 クラウンライターライオンズからいきなり180度転換して西武ライオンズが親会社。
79年は最下位にもかかわらず、選手全員年棒アップ。
暴挙かと最初は思ったが、元の年棒が安すぎたと判断されたのかも知れない(-ω-)/ 山崎が言うには1982年の日本一の後は成績はたいしたことはなかったのに
広岡が高く評価してくれたこともあって「こんなに上げてもらって良いの?」ってほど
年俸がUPしたそうだ >>134
打率より出塁率や進塁打、球数稼ぎを重視した査定にしたからかな。 広岡はヤクルト監督時代から山崎を高く評価して引き抜こうとしたぐらいだからな >>136
取っていたら、山崎をショートで使うか(当時ショートは永尾と水谷併用)、ヒルトンをサードに回したか、かな。
サードも船田と新人の角併用だったしな。 意外と広岡氏と相性が合った人・・・・・・松沼兄と田尾安志と、あと誰だろう(´・ω・`) >>138
田淵
今でも広岡の誕生日には電話をしているそうだ
優勝→日本一になれたのは広岡の手腕あってだからな
西武は「CM出演は禁止だが結果を出せば年俸はバンバン上げる」だったので
そのやり方は広岡に合っていたみたい 田淵幸一は82年になるまで優勝の味を全く知らなかったんだ。
今、気が付いた。遅すぎるけど。
それならトレードで出されたのも結果オーライだけど良かったと言えるかも ライオンズ入団を渋る森繁一にお前は福岡が嫌いなのか西武が嫌いなのかどちらなんだと
問い詰めると森は福岡は遠いのでちょっととお茶を濁した。
ライオンズは実は埼玉に来年移転するから来てくれるなと切り出され断る理由はなくなった 既に所沢へのフランチャイズ移転が公表されていたにも関わらず、森繁和がライオンズから1位指名受けた時も色々迷っていたのかな
駒澤大学卒業時にロッテの1位指名を蹴った経緯はあったのだが ライオンズ入団を渋る工藤公康にお前は西武が嫌いなのかオレが嫌いなのかどちらなんだと
問い詰めると工藤は西武は良く分からないし、あなたのことは、なおさら分からないし、と
お茶を濁した。
ライオンズは実はオレが監督を退任して来年はヒロオカになる。オレと違って、わけのわからん
男ではないから来てくれるよな、と根本陸夫が寝業を出すと断る理由がなくなってしまった。 工藤は父親を説得して味方にしたのと熊谷組と裏取引(西部関連工事)
契約金をドラフト一位並みにしたから入団した。
広岡に意向が強くというのは本当みたい。カーブにぞっこんだったらしい。 根本の学閥関係はこんな感じ
【旧制日大三中→日大三高】藤田省三、関根潤三、村上宏、田口周、小枝守etc
【日大(中退)】田宮謙次郎
【法大】藤田、関根、若林忠志、鶴岡一人、西垣徳雄、近藤貞雄etc >>121
ミッチェルの前の年にいたトラックスラーはやたらと太っていたけど酒の飲み過ぎで寿命を縮めてしまった 78年の「空白の一日」では巨人のやり方を根本さんは大絶賛したらしい(ー_ー)!! でもやりすぎて90年過ぎてから(小島騒動とか)
球団内でも立場が微妙になっていく。
話せなく墓場まで持っていったものが数多くありそう。 小島弘務の件では、野球業界の石頭ぶりが浮き彫りにされた。
駒大中退か、平安高卒か、の肩書きが問題にされたのだが、入団が無効にされてしまった小島が宙ぶらりんになってしまうではないか。
もう既に会社は辞めてしまっている。
落としどころとしては、西武はミスを犯したが、小島には罪がないから、トレードですぐに他球団に移籍させてあげる。そうすれば小島が路頭に迷うことはない・・・・・・
ということにすれば、まだ良かった。100点満点の解決法とは思わないが、まだしもコミッショナー裁定よりはマシ。
入団発表までやってしまってから、実は無効です、では血も涙もないではないか。 >>146
肝硬変だそうだからな
ドカちゃんと同じく球場まで自転車で通っていたがアリバイ作りみたいなもんだろうか 江夏豊獲得は実のところ根本さんによる広岡監督への「嫌がらせ」だったのかも知れない(*´ω`*) 真相は藪の中だが。。。
2年連続の日本一で、高みに昇りつめた広岡さんは次に根本さんの地位(実質GM的な権限を球団の中で持つ)を狙ったのかも知れない。それには根本さんの存在は目の上のタンコブ。もともと二人は「水と油」の筈。 根本陸夫伝 高橋安幸 著
【まだ登場していない人】
広岡達朗、、山本浩二、山崎裕之、東尾修、秋山幸二、伊東勤、渡辺久信、清原和博、
落合博満(敬称略)
外木場義郎、田淵幸一の両氏は一応根本陸夫伝に登場はしている、と。 >>149
日本スポーツ出版社の名鑑で、そういや西武にそういう事件あったな、って思い出した。
小島弘務の西武所属で載ってたわ。 根本さんはスターを大切にしようとの思いは強い。
野村さんも西武が獲らなければ、そのまま引退になっていたと思います。
そうなるとプロ野球史上初の三千試合出場は達成できなかったし
西本監督の温情によるオールスター監督推薦出場も無かった。
このオールスター出場で最多出場記録ですから、大きな記録に繋がった。
野村さんが根本さんや西本さんの事をあれこれ書いているのは残念です。 野村は近鉄関係者は八百長さんざんやらかした影響で死ぬまで嫌ってたな。
野村は、というか南海と阪急は直接的な被害者だから
黒い霧事件でもなあなあにしようとする読売に大して
永久追放を徹底的に要求したしまあ当然か 野村克也は西本さんのことは最後の年に監督推薦で球宴に選んでくれたことには感謝のコメントを表していた。
西本監督は温情ではなく「野村の頭脳が欲しかった」と言っていたが・・・・・・
ところで、根本さんは野村氏に監督を禅譲するという考えは1ミリもなかったのだろうか・・・・・ 野村は自分が引退するきっかけとなった鈴木代打に対する不満・恨みを
記者とかが拡大解釈したのでは?
無下にされていたなら期待の若手松沼兄とバッテリー組ませることもなかったし
80年の後期優勝争いでも結構スタメンさせていた。
(走られまくって逃す原因作ったが)
これだけハリのある出場機会もらって3000試合も達成して引退式まで
花道作ってもらったからそこまでではないと思う。
あるならサチヨが絡んでいるのでは?
絡むと普通の余談も遺恨話にすり替わったりする。
八百長は嫌いと言いながら阪急南海はスパイ野球
八百長指示系統を本格調査すると自らのスパイ系統もおまけで暴かれるのを
一番嫌がったからではないか?と推測 単純に江夏は戦力になると踏んだだけ
実力のある選手を獲るのは当たり前 江夏は広岡さんの事は怒ってたけど西武の管理システム自体は褒めてた。 トラブルメーカーだけどやる事はちゃんとやる奴
森との二枚ストッパーで盤石を図ろうとしたら裏目に出た レンタル移籍の小林誠二を広島に返したのでリリーフ陣を盤石にしたかったのかも
ノーコンの柴田に見切りを付け江夏を入れてリリーフを一時的に強化しようというのはごく自然の流れ
そうしたらノーコンの柴田が日ハムで覚醒したのであららといった感じだった。
柴田の球威にほれ込んで制球難に目を瞑っていた広岡さんも良くなかった ロッテの江夏豊だったら。稲尾監督ならば使いこなせたかもり。 城島ドラフト指名時「何が球界の寝業師だよ」とコメントしていた当時のロッテGM。
豊田泰光氏も週刊ベースボール誌上で「なんで、ワンちゃんの顔に泥を塗るようなことをするの?」と非難していたが、別に大学進学を表明していた男を指名することがそんなに悪いことなのかなあ? 断るという選択肢だって、ちゃんと選手側にあるんだし。 >>158
当の南海と阪急は他球団に素知らぬ顔で
ヤオ疑惑選手をトレードに出しているくせに 選手と大学の合意の上で野球部の特待枠を埋めてたのだから当たり前では?
普通の高校生が大学行きたいです!って言うのと話が違うよ あと城島はプロ拒否で退部届を高野連に出していなかったから本来は指名されてもプロと接触してはいけなかった
そういうルール破りもある これな
プロと話できてて他をけん制するために選手に
「大学行きます」
って言わせるよくあるパターンとは違うんだから
ベイスターズ三浦の引退試合で流れた動画で当時の高松スカウトが三浦に
「大学行きます」って他球団には言わせたって語ってたんだが
こんな下位指名の選手ですらそんなんあるのかって思ったわ >>166
それとこれとは話が別だい! なんて
あっ 大学はコマザワだったか 城島は王さんが家に来てしまったので断れなくなってしまったんだとか
孫さんが王さんを手放さない理由が分かるね >>179
そりゃ困っざわ アンタとちがって女房子どもいるからねw ヒロオカちゃん、根本さんに工藤公康の指名を強行主張しとる。
「一番いいピッチャー? 名古屋電気の工藤だけど無理だよ」
と根本管理部長が言うのに、
「ダメ元で指名してみましょうよ」
と強引に新監督が主張。
管理部長がムッとした表情になったらしい。
根本管理部長ですら無理と判断した工藤公康だが、結局入団。
ワシの言いたいことは、熊谷組行きのほぼ決まっていた男を強行指名したのに、
城島の件で根本氏を非難するな、あなたには、その資格がないのだよ広岡クン、
ちゅうこっちゃ。 86年シーズン序盤で二軍落ちに拗ねて辞めると聞かない大田を
何度も呼び出して叱責したりなだめすかしてもう一度やる気にさせ
一軍復帰、優勝に少なからず貢献、日本シリーズも出場出来、何と日本一の
決勝点を決めるホームインで選手生活有終の美を飾らせた。
多分堤のお伺いが要る選手の一人だったと思うがここまで言い含めるまで付き合う
位根本も大田に深い愛情を持っていたのだろう。
後に解説者やコーチやスカウトなどの道も作ってもらい
根本葬式の時根本のご子息の弔辞が受付役の場で聞こえはばからず大声で泣いた
自分に重ねて親に近いものをひしひしと。
大田は強く恩義や有難さを感じたろう。
それに近い想いの人も数多くいた。大きい人だったなという印象 江夏は言い訳が多いが、シャブに関しては完全黙秘で初犯で実刑 >>174
週ベの60周年回顧録の1967年
根本の監督就任する件で
上田も監督やる気満々だったが
人望がまるで無いetcと書かれていたなw >>21
野村の西武時代にハルピコに代打出された恨みだろw。 >>155
野村を採ったのは堤が知ってた選手だったからという説。
どちらかというとご機嫌伺い。 >>183
中内が知っていて監督に呼べそうなのが田淵だけだったという悲劇 黒田正宏を参謀に据えたのでそこそこやるかなと思ったけどダメだった
黒田とは喧嘩する始末 >>183
ロッテクビになった時に川勝が堤に頼み込んだ
まあロッテ入りも川勝が重光に頼んだんだけど 田淵の時のダイエーは根本関係ない。
でもホークス応援で地元定着が微妙になり始めていた時期だった。
歓迎ムードから冷めたモードに行きかけた福岡人特有の悪い面が。。。
ドーム開発関連で黒いニュースとかもあったし >>186
そうなんだ
川勝ってとんでもない老害だなw
己れのメンツだけで身売りを引き延ばすし 山内一弘とも接点があった根本さん
ライオンズの監督が根本さんでオリオンズの監督が山内さんの時代もあったのだなあ・・・・・ >>188
まあ大体、身売りするような年に、ビッグネーム(バナザード)な助っ人を獲得している時点で、あんまり先のことまで考えてないだろうし、裏側が解れば解るほど自己中な方だよね。 >>190
先のことも何もシーズン開幕後にすぐ死んじゃうし 川勝については「球団は売らん」は良いけど
その球団を劣悪な環境に置いておいて全く金をかける気が無いってどうなのよと思う
ロッテの重光武雄も同様
息子の代になってようやく改善された
その点は堤は素晴らしいオーナーだった
買収してまずやったのは広くて美しい球場を建設することで
結果を出せばバンバン年俸を上げた >>191
バナザード獲得は別に開幕後じゃなくて、前年デビッドを解雇した後にリストアップされている時点で異常だよ。そして獲得していることが。そもそも年間10億近く赤字を何年も積み重ねていて、グループの中でドル箱のコンテンツでもないところに、まず資金投資するかね? んで、仰る通り開幕後に亡くなって一気に売却する流れになったことの方が正常でしょ。
ダイエーとは、何年も前から話が進んでいたけど、「オレの目の黒いうちはホークスは売らない」って発言しているけど、こんなのドンの川勝以外、何を言ってるのかな状態でしょ。で、結果資金難過ぎて、あっという間に売却に舵を切った訳で。その時の関係者吉村オーナーからも、そういう扱いされて、そんな吉村オーナーからの身売りの条件の1つ「杉浦監督続投」も、杉浦本人も当初は続投する気持ちも無く拒否していたくらいの中で引き受けた訳だし、ダイエー側もホークスの名存続や、待遇改善はずっと守った一方、当時は健康問題も特段無く、当時の南海では広瀬穴吹と流れてきた監督でも、その2人よりは確かな手腕を揮っていたのに、ダイエー売却1年で解任、その後は指導者経験も無く、勿論監督初経験の田淵が後任なんて、それだけ川勝に人望なんか全く無かったレベルの人だったって解るやん。
大体、借金まみれなのは、誰の目にも明らかなところに年俸契約金で億単位の出費、売却待った無しで球団の顔とも言えるスター杉浦忠を監督させるなんて言う、顔に泥を塗るかけるようなことを平気で出来るのは、これほどの無責任なオーナーじゃないと全ては実行出来ないよ。 >>194
まあ、こっちも長年の経営不振はあったもののグループ自体が今すぐどうこうなるほど傾いた訳で無く、グループとして立て直すために、宝塚歌劇団と阪急ブレーブスのどちらかを手放すってことを株主総会で話が出て、その時のオーナー小林公平(婿養子)が宝塚歌劇団選んだだけだよね。
まあ悲劇なのは、南海のときの譲渡する条件で球団名残す、監督留任、でと阪急もそれにプラス本拠地変わらずがあったにも関わらず、阪急は2、3年のうちに全て反故にされたのは阪急ブレーブス時代からのファンからしたら、かなり辛かったと思う。上田を監督解任しフロント入りさせてもわずかな期間で辞められてしまったし、コーチ陣も監督辞めた時点で住友、大橋は共に退き、福本はその翌年に辞めたし、山田は94年に招集されるまで距離置いていて、上田退任とともに阪急色もだし、ブレーブス色も一掃を性急に進めていたのは悲しかった。
南海のホークスはダイエー時代を経て、ソフトバンクでも使用しているのに、ブレーブスは商標権問題とか、名前の由来的に差別的なものがあったとはいえ、その後のブルーウェーブの扱いすら、合併時に無くなったりと、こちら側の扱いがホークス側と明らかに差があるのは悲しいね。 阪急ブレーブス売却は失敗だったという声が阪急内で根強くあったらしい。 強くても客入らないチームを売って失敗もクソもないよね
そりゃ売られるよ
結局タイガースが傘下になるわけだしな パ・リーグは身売りの歴史が色々あったわけですなあ・・・
クラウンは身売りして良かったですが・・・ >>192
いまや西武は10年以上買い手がつかず、清宮パパに施設が最悪と評価されたがw 西武は全てが自前施設っていう堤イケイケ時代の資金力で揃えたものがあるから
逆に買収するとしたらそれら全てを買わないといけないわけで
(特に合宿所なんか新築したばっかり)
こうなっちゃうと半永久的にその可能性はなくなってるんじゃないかね 西武は系列のプリンスホテルの存在も不気味に映った。
「トンネル会社ではないか」の声もあったようで。 金村
「プリンスホテルから近鉄に入団したある選手は「プリンスホテルの方が待遇が良かった」と言っていた」
プリンスホテルって支度金5千万出していたんだっけか? ちょっと外れるけど
西武の例とか(今は改善したけど)見ると今タワマン買おうと思っている人は
よく見ておいた方が良いと思うよ。
建物は老朽化していくから。出来たときはそりゃ眩しいばかりの最新のものだった
今やプロ野球本拠地球場で3番目に古い球場かな。
そういう事。 根本を招聘したダイエー
根本は一年目監督時福岡ドーム初年度。新球場初年度という事で観客はある程度入るだろうと
わざと選手の好きにやらせた。(NHK開設してた星野が5月下旬時点で来年頑張りましょうと言っていたくらい)
見極めて本当の血の入れ替え開始。
西武の時と違って華と意識改革双方できる秋山を獲得
王を監督に、と見据えて2年目快進撃も終盤Aクラス手前でワザと終了
FAで工藤、石毛など獲得。自分はGM(みたい)になって有力新人を次々獲得
ダイエーの新陳代謝を行っていった。
優勝まで本当に長かったがその後常勝軍団に繋がる礎を作った。
途中色々遺恨を残すやらかしをダイエーがやってもそこを修復する動きを後の
ソフトバンクがしているのは凄いと思うし、より地元ファンの愛着が深くなっていると思う。
藤本を監督というのも他の球団には出来ないと思う。 藤本監督はクリーンヒットな策だと思う。
根本さんは、ダイエーの時は西武の時よりは窮屈な感じで過ごしていたと思う。
中内オーナーの次男が余計な介入をしていた。 >>196
まあ、ただ宝塚歌劇団との2択で、安定的なコンテンツなら、当時の野球人気からのブレーブスの超絶不人気だったら、宝塚歌劇団を選ぶ人の方が多いだろうし。
これから、山田も抜けて、上田さんの一言で引退が既定路線になった福本が欠けるなか、門田が入団するとはいえ、急に人気出るとは考えにくいし(土地柄や球団カラー的にも)、未だに人気コンテンツの宝塚歌劇団選んだのは無難な選択だとは思う。
それに阪急のままで、スカウト陣が、イチロー獲得までこぎつけられたも解らないしね。
ただ、この身売りやブレーブス終了で、球団に戻る気の無くなった人とかは結構いて、その人達はもし阪急ブレーブスのままなら、どうなっていたのか気にはなる。また、衰えは著しいものの阪急ブレーブスでは功労者だった今井雄太郎とかの去就がどうなっていくのかが気にはなる。(オリックスになったことで、特に神戸移転の際に阪急色の一掃を露骨に進めていたのが、どこまで史実に影響したのかが気になる) >>203
中尾なんか入る前に部屋タダで泊めてもらって
そこからタダのタクシーで授業に出てたってよ… >>208
それ以前に村上ファンドから守る為に阪神買うんだからそこで
どちらにせよ阪急は遅かれ早かれ球団持てなくなるのは変わらんわな >>210
阪急がその時点で球団保有してないのと、身売りから時間経ってるからすんなり行ったんじゃない?
阪急がその時代も保有している状態なら、阪神のために阪急をわざわざ身売りしてまで他人の伝統を守らないよ。慈善事業じゃあるまいし。
阪急が球団保有してなくて、且つもう保有物が何一つ原型留めて無いから内部外部ともに煩い人物出てこなかった訳で。
どれもこれも、タイミング合わなかったら、村上ファンドからタイガースを守らないし、阪急が残ってたら、ルールで守れない。 阪急の時代があった。上田監督がまだ40歳前後だった。若い(・_・;) 阪急や南海が身売りした昭和時代なんて、商売をやる環境としては厳しいでしょ。
平成時代になってから、集客や経営の考え方が変わり、不人気とバカにされた地域に
本拠地を置く球団やJリーグクラブの客数が増えたのは良いことですよ。 >>213
まあ、今とは比べものにならないくらい読売偏重のスポーツコンテンツだったからね。テレビしか鑑賞する方法が無かった頃は、パ・リーグの試合を放映することが年に数えるくらいしかなくて、全国放送なんて、年に1回あるかないかレベルだし、地元民以外はオールスターで観ることしかないのが当たり前の時代だったからこそ、10.19が試合内容以上に伝説だったの。ニュースステーションがニュース差し置いて放映していたし。
それが衛星放送の普及、発展により、まずテレビで見られることも多くなり、その後ネットでも安価で見られるようになり、12球団満遍なく鑑賞出来る環境となった。それだけでもファン獲得には大きい影響あったし、読売でのONや原ほどの人気選手も強いていえば坂本くらいになってきたからこそ、今のようなセパ両リーグともに人気差が現れなくなったということ。
それに、阪急南海身売りの昭和末期なんかバブル景気真っ只中で、なんでもかんでもどんぶり勘定で経営していたツケが、橋の開通など道路整備とかで自動車の交通アクセスが便利になったこともあり、阪急南海といった老舗鉄道会社の経営逼迫に繋がった(近鉄だけはパ・リーグ比で人気ある方のチームであり、無くなった原因が別事業に手を広げ過ぎて、それの殆ど赤字だったから、また阪急南海とはちょっと違う)ことが一番の原因でしょ。Jリーグのビジネスモデルも始まった頃のやり方なんて、早い段階で行き詰まって、漸く試行錯誤したのが、今の地域密着型のビジネスモデルになった訳でね。出来たばかりの頃のやり方では、たった5年程度で1チーム解散している訳だから。 >>206
堤さんはよく根本さんを譲渡したなとも。
リーグ全体の利益を考えての事というが本当にそれだけが
理由だろうか? 単純に西武グループがにっちもさっちもいかない状態になって
根本の多額の金が要る野球が出来なくなったからでしょ
あそこから急激に選手が小粒化したし
もし西武バブルが続いてた世界なら出さないよ >>209
バッドニュース・アレンが
留学生あつかいなのに京王プラザホテルから新日の道場に通っていた
という記事を昨日見て仰天したばかりだが あるもんだな >>203
現参議院議員な人の他にいたっけ?>プリンスホテル→バファローズ 86年のドラフト4位で中藤義雄がプリンスから近鉄に入団してるね
金村とは同い歳 タツノとかいうピッチャーいたけどプロ行かなかったのかなあ >>216
要は西武バブルはキヨが入団していた頃には終わっていたって事か タツノは社会人野球ですらロクに活躍できなかったので2年で消えた
2年目はほとんど投げてすらいない
その後MLBに行ったがメジャー上がることなく若くして引退 スティーブ加入後いきなりチームが大化けした雰囲気。
80年後期の段階でお荷物球団から脱した。 四国一島分の土地を所有してるんだもんな国土計画は
だから堤さんはバブル時に世界一の長者になった >>226
新外人ダンカンというのがまさにコノヤロウで
急きょスティーブを獲得したんだっけね
それでも山村をサードに…とはならず 81年は大リーグの球団で3番を打っていたテリー・ウイットフィールドを獲得。
さらに一歩前進。それでも年棒は5千万くらいで獲得出来たと思う。
タイロンだったか、が浮いてしまい、南海へトレード。
「もう西武は最下位にならないだろう」と感じた。 タイロンの肩が物凄かった
若しかしたら新庄やイチローらよりも上かも知れない センターの守備はテリーよりもタイロンのほうが断然良かった。
打撃も先ず先ずだし放出せず競わせても良かったかも知れない。 外国人枠が2つしかなかったから、誰か一人は浮いてしまうのは仕方ない。
タイロンもいい選手だった・・・ タイロンは強肩を生かしたライトだろ
外国人枠も知らないようだし 入ったら他の外国人と競争ですって条件で現役メジャーリーガーが取れるとでも 今と違って競わすという起用法がまずなかったからなあ
ダメならスパッと契約解除して次取ってくる時代
ミューサーとかダンカンのパターン
まあ飼い殺しにするよりは、
全然働かなかったけど名取と交換して、弱投南海の投手陣をさらに削ったのは
よかったんじゃないの あとファームの球場の問題とかも
ポンセが二軍落ちして日ハム多摩川グラウンドに試合しに来て
「こんなところでやってられるか」とぶち切れて帰ってしまった。
その10年前の時代だから推して知るべし 81年は東尾修があまり良くなかったような記憶がある。
Aクラスは行けるくらいの力は備わっていた感じ。 >>223
退団する頃じゃね?
正確に言えば清原在籍末期には西武バブルは政府によって終わらされてた
そらそうよな税金払わない会社なんだから >>217
バッドニュースアレンは新日本とUWFインター、ファイトスタイルが異なる
団体で器用に試合をこなす、二刀流のレスラーだったな。 タイロン、ライトルと他球団のお古強肩メガネを続けてとった南海
高英傑、李来発の台湾コンビが成功しなかったのは残念… >>238
東尾と田淵が絶不調でダメだったね
代わりに3年目の森が本格的に先発専念して14勝
阪急の黄金期が終わって南海以外の5球団は
どこも一応優勝を狙えるくらいの力が備わっていた
まして2シーズン制だから、一旦勢いに乗ればそのまま半期優勝の可能性も
広岡の最初の優勝も多分に勢いに乗ったところが >>216
あと陸夫伝のチームマネの回想にもあったが単に資金力だけじゃなく総帥の堤が腹心の戸田常務を通じて現場の全てを任せてくれたのを笠にやりたい放題な事をして挙句東尾土井の賭博問題やプロアマ抵触をしたのがコクド西武内でも不満maxで居場所が無くなって来ていた処にダイエーからオファーがあって円満に送り出した感
穿った想像をすると根本から水面下で人脈を介して巧みに売り込んだのかな?とも思いたくなるがw >>242
初優勝した82年も東尾田淵は個人成績としては奮わなかったね。 82年の西武は個々の成績はそんなに突出していない感じだった。
松沼兄は復調したかな、と感じたが。「強い」とまでは思わなかった。
翌83年はパでは頭一つ抜きんでていた印象が残る。 松沼兄は広岡監督から「お兄ちゃん」と呼ばれていた。
実際には4人きょうだいの3人目で二人の姉にくっついていたおとなしい少年だったという。
ヒゲが印象深いが気弱な自分をカムフラージュするためだったのかも知れない。
従順な性格が幸いして、根本監督とも広岡監督とも関係は良好だったようである。 末っ子なのにアニキもいたが
兄やんが弟やんだったとは 典型的な一姫二太郎の良い家庭で育ったんだなとも。
松沼兄弟は男兄弟にしては妙に優しい人柄だなと思っていた。 82年の西武にはまだ優勝出来る力はなかった。
総合では日ハムが一位だったし。
要所要所を広岡采配で乗り切った感じだった。
一気に強くなったのは83年だね。 >>249
大沢親分は采配はヘボだしな
木田や工藤が潰れたのは親分が元凶 そりゃあ広岡さんと親分とでは、采配では・・・・・
広岡さんは「老害」とか最近は言われているが、やっぱり凄い人だと思う。
ちょっと距離を置きたいタイプだけれども。
松沼兄や石毛宏典が絶賛していたのは「広岡さんは、とにかくモノマネがうまい」
松沼兄に対して「お兄ちゃんの投げ方だと肩を痛めるよ」「お兄ちゃんの投げ方は、こうだ」
と形態模写を始める。広岡さんは身体を使って解説というか、「解動」をする。これが恐ろしく
本人の特徴を捉えていて、兄やんが一発で虜になってしまったらしい。
石毛氏の場合は、最初ボロカスに言われて「こんちくしょう!」と思ったそうだ。
で、しばらく広岡監督と距離を置いていた。
ところが広岡さんから教わった選手がどんどん上手くなっていくように見えた。そこで意を決して
言った。
「すみません。僕にも教えてください」
広岡さんは、ニッコリして
「それを待っていたんだよ!」
その時は褒めてくれたらしい。
まあ、掌にうまく載せられた感じもする。前任監督の根本さんのことは「オヤジ」と慕うほどの
関係だったし、森監督時代は「チームリーダー」などと呼ばれたし、石毛氏にとっては、いい環境
だったような気がする。 親分は不平不満を言う選手を上手く諭してチームを纏めてた印象
故に親分と称された 広岡さんは好投してる投手を早めに引っ込めて後続が打たれて負ける試合がままあったので
采配には疑問を感じていた。
でも今思えば当時としてはかなり先進的なことをしていたんだなと痛感する。 >>239
ものすごく大雑把に言えば法人税下げて消費税導入したのは
政府が堤(コクド)を潰すためだからね >>253
菜食主義とかいつも時代を先取りしすぎて叩かれるな
で、後からこっそり評価されると 広岡さんは痛風が公になってから求心力が落ちた気がする >>256
監督は何故玄米食etc健康管理してるのに
痛風なんですか?と聞いた選手が
報復で干されて引退に追い込まれましたねw 広岡さんの管理トレーニングが当時は非難されてたけど
今ではそれがすっかり当たり前になっている。 末っ子なのにアニキ金本
あとラッシャー木村さんから「アニキ」と呼ばれていた元巨人軍投手も末っ子(歳の離れた兄が戦死。他に姉が二人)
広岡氏は全く意外だが末っ子らしい。。。 未だに引っかかるのは、昭和60年のリーグ優勝の瞬間に、広岡監督が入院中を理由にベンチに不在だったこと
本当に体調不良だったのか?根本氏はじめフロントとの軋轢の影響だったのか? 広岡氏は、もう長くないと見られていた。
森氏との確執が明らかになったのが退任前年の84年。
85年は森氏不在。
広岡氏が辞めた後の用意として温存されたのだろう。 それでも西武はチーム強化の功労者として広岡をイベントに呼ぶからまだ良いんじゃね
広岡は「ヤクルトの式典があったのに私には招待状も来なかった」とキレていた >>232
対論は西武の外人で初めて長打を打てる打者だった
初期の西武は外人のはずれが多かったから、対論の加入は大きかった
ミューサーとか断簡とかのはずれが痛かったからね 2019年のアレはわざわざ「ヤクルト50周年」として当時まだ健在だった金田(国鉄)も排除してるからな
フジサンケイお手盛りの野村のための行事だから野村の意向で金田・広岡は何が何でも呼ばせない
まあシーズン真っ最中(7月11日)にそんな馬鹿な行事を最優先させる体質になってしまってたから
一時的に現場が立て直してもすぐに低迷する元の木阿弥状態が野村が死ぬまで続いたわけだが
そういう体質になってしまったのは根本・関根の弟分だった田口周球団社長の退任後だが >>264
室内で無表情のままバット振りまわしまくって
自宅を破壊するあのイメージ 「私を誰だと思っているんですか?」
自意識過剰傾向だが、それだけ己の力量にも自信を持っているのだろう。 豊田泰光氏は広岡氏と90年代半ばは蜜月だったが、いつの間にか不仲になった。 OBクラブの使途不明金なんか追求のときは広岡、豊田側は一緒に大沢と対立してたけど、
後に豊田がシドニー五輪日本代表への就任要請の話を広岡に持っていったとき、
法外な額を要求してきたとかで激怒だっけ
この辺が銭ゲバ長老とか早稲田の下の連中に言われるとこなのか ムッシュ吉田氏も広岡さんにフランスでの野球の指導の手伝いをお願いしたら、法外なギャラを要求されたそうな 佐々木恭介が入団した時、コーチに酒につき合わされて強引に飲まされて、
翌朝二日酔いで遅刻したら早速二軍に行かされた、ひどいコーチだった
と言っていたそうだがそのコーチが豊田だったらしい 85年シーズン途中休養は優勝決定時という事もあり色々な裏事情ありそう。
広岡の反逆行為とも取れるし。
実際広岡の痛風がストレスから来るものだったらしいが。。。処方された薬が非常に
危ういものだったという事も最近出た著書で記述されてもいる。
あとは東尾と郭をシリーズに出せないと言われたと語っているが
東尾側からのものだと肩の治療で登板間隔置きたいと要望出したら現場回避とみなされた
とか。ちぐはぐな面が。
どうも広岡と選手で距離がありそこを根本が上手く利用して動作していたのではとさえ
思ってしまう。
組織を動かす、上に周りを巻き込んで取り入る点では根本が上。
その点で広岡の能力の限界が露わになったかと。
実際は東尾はシリーズに合わせ。郭は将来を見込み治療専念。
根本と確執無かったら郭は限定でシリーズOK出たかもしれない。
その辺の綾が非常に人間臭い。 >>270
なかなかガメツイな
お金が落ちてたら「おー、カネだ、拾おか」ってぐらいだし また広岡オタク自演独り言スレに戻ったな
マジでウザい同じ話ばかり
ボケ老人か 広岡のことが出てくると
必ずオタクとか信者とかツッコみが入るな。
別にどっちでもないのに。 >>273
広岡は根本の様な政治力や老獪さは無いからな
根本絡みで云えば上田利治はその辺りが広岡より遥かに長けていたから
長く監督を務める事が出来た 根本が監督を勇退して次期監督を選ぶとき、上田に先に打診をしているから、本当は
上田に監督をさせたかったのではないか?
もし上田監督が実現していたら、その後の西武の歴史も変わっていた。
かなり長く監督をしただろうし、後継者も森ではなく、上田の人脈の人の可能性もある。 >>276
信者とかオタクとかじゃなくて
西武関連スレに同じネタを何度も何度も
長文ダラダラで書き込む姿勢が問題視されてると思うんだが
まあそういう空気が読めないからずっと同じ事してるんだろなあ 275みたいなのを「招かれざる客」と言うんだなあ。
来なけりゃいいのに。
「書き込んでください」なんて、誰も頼んでいないのに。
豊田氏の週刊ベースボールに連載されていた「オレが許さん!」とかいうのあったけど、
9割方は「オレは許すんだけどなあ」と思うような内容だった。
ま、98年の途中から週刊ベースボールを読むのも半ばやめてしまったから、以後はよう分からん。
まあ、豊田氏の立ち位置は一番気楽なもんだ。
なれるもんなら、なりたいよ。
最近、「ヨッさん」こと吉田義男氏は意外に善人ではないかと思うようになった。
脈絡のない書き込みでスマンのう( ̄▽ ̄)
根本さんは別にこんな内容の投稿でも怒っていないと思う。 >>278
根本氏が上田氏に声をかけた時は、既に阪急への復帰が固まっていた 梶本監督の下で阪急が低迷してなければ、昭和56年から西武・上田監督だったのだろうが 280みたいなこのスレの王様みたいな態度もなんだかなあ…
世の中で会話できてなさそう 西武・上田監督
大洋・長嶋監督
阪神・広岡監督
みんな幻に終わった 西武監督のオファーは長嶋→上田→広岡の順だっけ
ダイエーでは古葉から王とか、たられば色々あるね 小宮山悟(現・早稲田大学監督)がロッテを出て中日に移籍していた愛甲猛に言った。
「辞めさせてやりましたよ」
早稲田大学の先輩でもある広岡GMに年貢を納めさせたそうだが、広岡氏はどこまで行っても
敵の数が多い。
その点、根本氏は存外敵の数が少ないような気がする。 選手と直接やり合わなきゃいけない監督と西武って巨大企業の圧倒的な力を使って好き放題してる実質GMじゃそりゃ違うだろ >>276
白々しいだよアホw
広岡大好き信者のお前が書き込む
↓
自演で広岡叩きレスをつける
これで自分では盛り上げてるつもりなんだろうが、
ワンパターンでお前以外はバレバレなんだよw >>288
いま現在早稲田OB・ファンに辞めろ辞めろ言われてるひとw うだつの上がらないクラウンという球団のままだtったら、ここまで根本氏は
剛腕ぶりを発揮出来たかどうか・・・・・・
21世紀になって、スキャンダルで失脚してしまったが、堤オーナーの後ろ盾は
実に大きかった。 トンビええで〜ブチええで〜
思いのほか勝てないチームになりそう。 フロントで共にいた坂井保之が土井正博の麻雀賭博の逮捕で責任取らされて退団してから、思うように行動できなくなった感じ 日本ハムの栗山英樹前監督が監督就任の際に言われたセリフが
「第2の根本陸夫になりませんか?」だったという。 >>287
阪急の最後の帽子でもけっこうキツかったというのにw >>285
阪神は広岡って名前が欲しかったんだぜ。
何せ口説きに行った小津が「惡いようにはせんから」って言ったんだ。 >>297
最後のユニフォームのダサさな。
その点オリックスはシックにいったな。ブレーブスの帽子はあれだが。 >>114
クロマティ-とは上手くいったがスミスは違うやろ。 根本監督就任以前のライオンズは江藤兼任監督だった年度もあったのか。
昔は若い人が随分監督だったものだ。 日本人そのものの年齢の於ける顔貌が全然違うもの
川上監督なんかすごい老将に見えるけど今の原監督より下なんだぜ?
江夏なんか23歳で中年ヤクザそのもの >>302
アウトロー板では「昔のヤクザって老けてる」と言われているし
懐かしのTVでも「昔の俳優って老けているな」と言われる
アメリカ横断ウルトラクイズの一般出場者すら
「昔の人って老けているなあ。これで30代には見えない。」と言われるんだよな
小林昭二や中山昭二はウルトラシリーズで隊長の頃に30代だが
今の感覚だと10歳以上老けているよ 83年日シリの両監督、広岡、藤田は子供心に貫禄感じたけど、今の立浪くらいの年齢だったんだもんな
新庄とも大して変わらんっていう 昔の江夏豊の写真を最近見たが20代半ばなのに貫禄十分で実年齢よりも10歳は年長に見えた。
にしても、吉田新監督と握手しているのに片方の手をポケットに突っ込んだままなのは無礼すぎないか
と感じた。監督と選手、という関係だけでなく、吉田監督は業界の大先輩である筈だ。
細かいことかも知れないが若い頃、江夏に対してガツンと言ってやれる人が周りにいなかったから
増長してしまったのではないか。 江夏は仮にそういう指摘をされても響かないし、逆恨みをするような人間性だから無理だよ 西本さんなんて30年以上ずーっとおじいちゃんだったしな 今年の春の選抜に出てきた大垣日大の監督は既にヨボヨボだった。
そろそろ潮時だと思う。 >>301
ライオンズだと中西太兼任監督は28歳
稲尾監督は32歳で抜擢されたからな
上の年代が戦争でごっそり居なくなったのもあるんだろうけど 広島監督退任後の解説者時代の根本陸夫氏についてまるで知らないが、どういう解説者だったのだろう? >>290
こういうスレ立てたヤツの自演盛り上げ初期の2ちゃんでは普通にあって、
どの板でもやってる悪しき風潮があった
今時やられるとわざとらしくウザいだけ
まさに時代錯誤の老害だな 79年は最下位にも関わらず全員年棒アップの西武。
大盤振る舞いかと思ったが、フロントは逆に元が安すぎると解釈したのかも 西武の味を知らなかった竹之内雅史も行った先でそこそこ幸せで良かった。 >>310
ABCの解説者。V9の甲子園の時も担当。 西武はクラウンを買収する際に持っていた大洋の株を売却。
大洋→西武ホエールズになっている可能性もあった。
ちょっと見たかった。 >>316
当初はホエールズを買収しようとしたが売ってもらえなかったんだよね
そもそもコクドは横浜スタジアム建設にも関わっていたし >>313
近所の阪神ファンのガキが一斉にモノマネし始めたの見て
南海ファンのガキとしては内心鼻で笑っていた いやなガキだな 竹之内選手のほかにヤクルトの八重樫選手かなあ。真似されやすい選手だったのは。
あと、大洋から巨人に移籍したシピンとか。
近藤和彦のモノマネをする人はさすがに還暦以上でないと無理。 >>314
花井悠さんと並んで、ABCのエース解説者だったんだよな 阪神OBでもないのに、タイガースおじさんを名乗っていたという 広島退任後、阪神からオファーがあったと思う。コーチだが。
阪神に縁もゆかりもなかったのに、声が掛かるということは、広島時代を評価されているということ。 >>320
大暴動発生の10.22の時はテレビ解説
放送席に乱入した阪神ファンに絡まれて悪態をつかれるなど悪態をつかれたり、
マイク奪われて六甲おろしを歌われたりと、植草アナ共々災難だったという 川上巨人からも2軍コーチのオファーがあったね これも広島監督退任後だけど >>312
中堅所がサラリーマン以下の給料だとさすがにちょっとね。
あくまで選ばれし者だし選手は >>288
人たらしと謳われた人心掌握術や
この人を敵に回したらヤバいと思わせる雰囲気を醸し出していたからだろうなw >>325
常に選手コーチより球団側で立ち回っていたから球団首脳から気に入られていたw >>321
阪神からのオファーは鶴岡法大閥絡みだと思う ABC解説者も 過疎ってたのに何で急にこのスレ伸びてるの
精神障害者のキチガイが1人でID変えて何回もレスしてんのか ネモちゃんマンは隠れた人気者なんですよ、きっと。
オレでも面白いな、このおとっつあん、て思うもん。 ダイエー時代、根本さんは権藤コーチとはうまく言っていたのか、気になる。 見た目も「その筋の人」っぽい迫力ある。
そんな根本さんに絡む阪神ファンて、怖いもの知らずなのか、
単に全てにおいて常識が欠けてる人種なのか?
凄いわ(呆) 女性社員や寮のおばちゃんとかに気遣っていた。
ちょっとした気遣いで自分らの知らない情報を得ていた。
選手の素行、素の顔とか。
その辺は凄かったらしい。
近くにいた人は【今はいい思い出】みたいになっているらしい。
察して然るべき 退寮を申し出た若き日の清原和博に対して「お前を自由にさせると社会の迷惑だ」みたいに言ったとか!? 広島の二軍監督就任した時に
契約金を2年で使い果たした衣笠に
「これからが本当のプロ野球選手になったと思え!
そろそろ契約金もなくなってきた頃だしな…」と
懐事情も把握してた 初期西武の頃の選手が、昨日どこで飲んだかとか完全に把握されているって言ってた >>338
そんな奴はボコボコにしてしまえば良かったんですよ。
切符買って電車に乗ることよりも簡単なことでしょう。 デーブ大久保がたまに話題に出す
森山良二が西武に入る前に偽名で米留学
大久保と一緒に行った件とか今ならバレたら裏金問題の時より重い罰則受けるよな? 森山良二は九州の人が見付けた。
素人だったが、素人目にも凄いピッチャーに見える。
面識があり、親切に接してくれた根本さんのところに紹介してあげよう、となったらしい。
根本さんは地方で例えばタクシーを利用した時に「どうもありがとう! 実は自分は、こういう者だが、何かの時は、よろしく頼む」と1万円札を余計に渡して、名刺も一緒に添えるような感じで、知らず知らずのうちに味方を増やしていたようだ。
目に見えない地方の方々が、プロのスカウトになったような気分で恐ろしいほど協力してくれたらしい。
根本さんを見て、ケチではないことが分かる。自分も見習いたい。 森山は夏の甲子園にも出ているしその時も多少注目もされていた。
浪人して北九州大に入って中退して
と言うところから一旦無名になっただけ。
ずっと西武はマークしていたよ。
清原はリトルリーグの時から既に。
スカウトでのネットワーク作りはそうだね。
あと食堂のおばちゃんとかにも言付けしたりしてコミュニケーション取っていた。
見えない選手の素行や素の態度、普段の表情とかを聞く為に。
親目線で、とかあったからそれは適格なものだったろう。
逆に球団職員は大変だったらしい。付き添いとか。仕事の命令とか。 森山は大学中退後にアメリカのマイナーにいたのだから今でも特に罰則は無いのでは?
レイモンド・タモリって名前の日系人に見せかけた偽装工作までする道義的問題は言われるかもしれんが。
日本で西武が練習に参加させてたとかなら罰はあるかもしれない。 >>346
もちろん球団に出させた経費を配っただけ
自腹ではない それを言ったら角さんもw
それで世の中が上手く回っていた時代だったんですね >>350
そもそもタクシー運転手に名刺と寸志を渡すのはアメリカのスカウトがよくやるのを導入しただけやからね
何も荷物持たずにアメリカ行っちゃう事で有名な人だったらしいし 巨人がやると叩かれるけれど似たようなことを根本氏がやっても叩かれないような気がする。 根本陸夫を一言で形容すると「正体不明のあやしい人」
21世紀生まれの若者に「このおじさんの職業な〜んだ?」と尋ねたら
殆んどの人が間違えると思う。
いい時代を生き抜いた。現代ならば窮屈な思いをしたと思う。 >>301
中西、江藤はプレイングマネージャーだったから若かったな
稲尾は32歳で引退してすぐに監督になったから若かった
亀頭監督、根本監督以降は年配の監督になった >>353
巨人は良くも悪くも正面突破しか出来ない
押し相撲しかできない力士みたいなもん
西武(根本)は相手が最初は「西武?知らんわ帰って」って態度でも
「まずはちょっとお話を・・・悪いようにはしませんから」サツタバチラッ
なぜか相手は最後はにこやかになってしまうという 広島時代の根本陸夫氏は自由に金は使えない環境だった(筈)
クラウンの時は恐らく12球団一の貧乏球団。
西武の後ろ盾は大きい。 ほとんどが根本本の受け売りw
どういう情熱で書き込んでんのか理解不能 一応はリーグ優勝は経験していた中西太監督。
秘かに12球団全部に所属する快挙を達成して欲しいと願っている。 >>354
というか知識なしで「野球関係者!」なんて当たるわけないだろ
しかも根本に限った話じゃねえ 現代はSNSで
「〜で誰誰いた!」
とか書き込まれちゃうから隠密行動しにくいしなあ 最近読んだ「野球太郎」に出てきた日本ハムの坂本晃一スカウトはユニークな視点で選手を
見る人なので注目している。プロ野球経験者ではないのだが、ドラフトに掛かるかどうか分からない
無名の原石を追っ掛けていることが見える。
去年の7月15日、神奈川の平塚球場に居たのだが、この日は朝からかなりの雨で、内心中止に
なるのでは、と感じた。
ところが10時になると雨が上がり、1時間45分遅れで試合開始。素晴らしい青空が広がる中での
観戦だったが、坂本スカウトも辛抱強く雨の中を待ったんだな、と好感を持った。
是非、アッと驚く隠し球を発掘して「現代の根本陸夫」に昇華して欲しいと思っている。 西武元年の東尾修は無残だった。6勝だったんかいな。。。。。
伊原春樹もまだ30の若さだった。彼らの根本評を聞いてみたい。 >>364
ずっと弱いままでしょ。ここいちばんで勝てない。西本しかり仰木しかり。 日大三中でも法政でも近鉄でも一緒の根本・関根コンビ。
しかし日大三中でも法政でも転校生の根本陸夫。
きょうびの高校野球規定では父親の転勤等の特殊事情でないと転校してすぐには
試合に出られないが当時はどうだったか。 豊国中学だったかな?
OBでもない大学生を助っ人に入れて甲子園出場した例はあったはず
年齢制限未満の杉下茂をベンチ入りさせた帝京商は甲子園出場取り消しにされたが 関根氏も13〜14歳で日大三中のエースだったが
大学生ぐらいの年齢を揃えたチームにメッタ打ちにされてマウンドで号泣したとか書いてたな 戦前の箱根駅伝で日大が替え玉ランナーを用意してバレて失格になって1年間の出場停止になったという実話がある。
なんか面識のない男が前から来て、よく分からないけど選手がタスキを受け取った。
監督は当然不正に関与していた筈だから永久追放だろう。
表に出ない不正行為は当然野球界にもあると思われる。 讀賣みたいにガキの屁理屈振りかざしたりしないだけマシだな 取材の応対は至って紳士
そんな怖い人には見えなかった。 ファームの猛練習で疲れ果てミーティング中にウトウトする衣笠に
聞いてんのかコラー!と平手打ち
でも1年間一軍に上げないとの通告を撤回して夏場に衣笠を一軍昇格させる時に
「少し早いが卒業させてやるよ」と仏の根本に 特訓だ!タブチ、いくぞおっ!(大砲ドーン)
現代の認識と違いすぎて語られることはないキャラ 審判を殴って退場とかは、たぶん一度もない。
大沢親分なんて、若い時分は、とんでもないチンピラだった。 大沢親分は自分の暴行で後輩が出場停止になったから
プロ入り後死ぬまで母校への支援はめちゃくちゃ多くしてたと
卒業生が言うてた >>376
お前がいつ取材したんだよwwwwwwwww >>384
5chでは極力は暴言は吐かないように他人を尊重するよう努めてきたが
だからバカなんて言葉は吐かないようにしてきたのだが
さすがに貴方のレスを見てバカなのかと思った 稀にメディアの人間いたりするのも5ちゃん
いや、稀でもないかも >>382
暴力ではないと思うがダイエー監督時代に退場させられたことがある 宮沢首相と同じ
言語明瞭意味不明
しかしETCやネット通販が来る時代を見越してたってのにはびっくりしたね 古葉さんや藤田さんの微笑みはどこか表裏のある気味悪さがあったが根本さんの笑みは
それを感じさせなかった 古葉監督が怖いって言うのはよく聞くけど
当時の広島の監督やるくらいだからそうなのかな 見た目がソフトな人はあんがい怖い。
見た目がセイウチみたいな現在のソフトの監督は多分温和な性格。 そして多分Hじゃない
さておき
おまけに柔道の黒帯だからもうちょっとだけ野球がうまけりゃカッコよすぎたな 藤本博史・現ソフトバンク監督は、ドカベン・プロ野球編で「いい人キャラ」で描かれていた。
所属球団の垣根を超えて主人公(山田太郎・当時西武)にアドバイスをするシーンがあった。
ドカベン・シリーズは、ドカベン全48巻、大甲子園全26巻、ドカベン・プロ野球編全52巻、
ドカベン・スーパースターズ編全45巻、ドカベン・ドリーム・トーナメント編全34巻、と
合計205巻、全て買って読んだ。
実在人物が多数登場したが、根本陸夫氏の登場シーンは記憶にない。
あと1年、プロ野球編の開始が早ければ岩鬼正美の入団1年目の時は根本陸夫監督だったのだが。
「あぶさん」のほうには根本陸夫氏は頻繁に登場していると思うが、話の筋を10分の1も
知らない。 >>389
バーカ
そういう奴はこんなところでマウント取る必要ねえんだよw
二度と書き込むなトンチキ >>386
真性の馬鹿はお前www
さすがに入院すべき 85年のオフに広岡監督と古葉監督の退任していく監督同士でトレードしたらどうだった、かと、ふと考えてみた。
西武が古葉監督で、広島が広岡監督。 大田のトレードがあったと思うよ。
古葉が欲しがってた。 暴れるよりも裏で暗躍するのが「仕事人」である。
しかし、根本さん、俳優になっても通用したと思う。
堤オーナーとコンビで悪代官の役なんてやったら、はまり役。
「根本屋、お互いワルよのう。ムハハハハ」
なんて役柄がナチュラルに似合う。 しかし超絶貧乏球団から大盤振る舞い球団になって
しかもその金を使える立場になっても落ち着いて成功できたのは
やはり家庭が資産家だったってのもあったんやろか >>406
ん?悪代官は堤だろ?
でもって根本屋は悪徳商人
某アニメ映画ではタブチを温かい目で見守り引き立てようとする善人コンビだったが
ほとんど「あべこべの国」みたいな世界だよな 某アニメ作品では、ツツミ・オーナーが何か言っているのにも関わらず、
「静かにしてください! 今、セ・リーグの試合を見てるんです(←このへん、
記憶違いで正確でないかも知れない)で、オーナーを黙らせてしまうネモト監督。
相当いじられているが、西武と言う球団はギャグに対して寛大なのか、細かいことを気にしないのか知らないが、抗議の声は一切なかったと聞く。
主人公に至っては、キャッチャーゴロを捕りに行って、取り損ねて、そのまま外野
フェンスまで転がって行って激突するという超絶なまでのマヌケぶり。 巨人のスカウトは、まとまって(複数で)球場で見るのが定番のようだが、
これだと頭の意見に統一されてしまうがちで、自分だけの視点で見ることが
出来ない。
根本流の「群れるな、孤立しろ」の一匹狼のスカウトの眼力を大事にしないと。 長いこと迂闊にも関根潤三さんが巨人OBで、ヘッドコーチや二軍監督を務めた経験があることを全く知らなかった。
不明を恥じる(-_-;) 球団譲渡のタイミングでライオンズの監督だったことが運命を変えたと思う
他チームの監督だったら、ここまで目立った成果は上げられなかった
また、知名度の低い根本氏を当時の西武が招聘する可能性は低い
たまたまクラウンの最後の監督だったことが堤氏との出会いにつながった 根本監督時代に選手として接して、のちに監督になった人は10人くらいいる。
山内一弘、古葉竹識、山本一義、山本浩二、野村克也、田淵幸一、東尾修、石毛宏典、秋山幸二、藤本博史
まだ、いるかも知れない。佐々木誠は高校野球の監督になった。 >>415
いかに先を読む力に長けてる根本でも
まさかクラウン監督なった時に西武が買う事までは読めてないよな? 西武がクラウンではなく大洋を買収していたら、どういう仕掛けを施したことだろうか。
積極的なトレードは見られたと思う。 真弓・若菜・竹之内・竹田⇔田淵・古沢
こういう大掛かりなトレードを現代でも見たい。 伊原春樹も西武で根本監督時代に選手として接している。 >>416
野村はオーナー主導のトレードだったので、根本はそれほど乗り気ではなかったかも
野村のほうも根本の編成の手腕は認めても、采配のまずさには呆れていたらしい
ふたりの関係が良ければ、野村は知名度も高く野球理論にも優れているのだから、
後継監督候補になってもおかしくなかった 野村克也に引退を決意させたのはチャンスに代打を送られたからだと聞いた。
寝業師が引導を渡した。 根本陸夫がいるだけで、893が全く寄り付かなかったという不思議。 独り言続けるほど他の人は書き込まない空気になるのがわからんのか 巨人志望の清原和博を指名した時に、もう一歩踏み込んで「三角トレード」みたいなのは出来なかっただろうか。
具体的に言うと、まず清原を西武と契約させたのちに巨人にすぐトレードする。
相当な見返りが西武は期待出来る。 普通に口説いて入団させたのに
三角トレードに持ち込む意図が全然わからない そもそも日本国内の移籍を前提とした入団契約は禁止
福留のケースとか覚えてない? 週刊ベースボール別冊の1979年編を買ったが、そこの92ページに
田淵幸一が「オフに巨人に巨人に出してもらうようにお願いしたい。
ダメなら引退も考える」と、まさかの爆弾発言。と書いてある。
この発言を逆手にとって、田淵幸一を超目玉商品にトレードを申し込んだら
必ず巨人は乗ってくる。
野村克也や東尾修も交換要員にチラつかせて、3対4くらいの大型トレードを
やって良かったと思う。 >>416
真弓明信 一緒にやったのはクラウンの一年間だけだが >>431
禁止じゃなくそれをOKにすりゃいいのにねえ
別にトレードじゃなくてもお金払えば出来る様にすれば
金の無い球団にとっては指名するだけでフトコロが助かる >>429
根本「おじさんのチームで野球やらないか」 >>436
獲る気もないのに強行指名する転売ヤー球団が出てくる >>429
さすがに高校生の清原に十字架を背負わすのはちょっとね。 江川卓は形だけなら阪神OB
掛布雅之氏に「1日だけでも阪神にいたんだからOB会に出て来いよ」と言われたとか。 背番号3というのももはや有名すぎてトリビアにもならんな
85年トラフィーバーの年江川の方は百球肩だのとサッパリ落ち目で
わたしOBでーすとスリ寄るというマンガも実際にあったけど 巨人と阪神の両方に所属したのは、10人もいない(と思う) >>438
クラウンライター・ライオンズをふと思い出した。 >>442
藤本定義監督・小林・江川・アリアス・太田幸司・笹本・メイ・笠間・石井(王監督時代の控え)・鶴見…。
未だ居るが後はマイナーすぎて以下略。。 >>442
阪神で監督 巨人では第1次長嶋政権で投手コーチを務めた杉下茂 石井と鶴見ば交換トレードだった、太田幸司の相手は打撃投手になった鈴木弘規
あと他球団挟んだケースだと鈴木伸良。 中西太さんは巨人の打撃コーチの経験ある筈。30年くらい前。 >>444
石井や鶴見や笹本がマイナーすぎないとでも? >>451
現場の事は全て根本に任せろと
堤の腹心の宮内 戸田球団両社長以外に
介入させなかったからな クラウンから西武に変わる時に新しい監督を招聘する手もあったのに
根本監督をそのままスライドさせたが、この判断は大ヒット。 義明だ中内ジュニアだといってもしょせんボンボンだから
ご本人も生まれはいいそうだけどね 94年ダイエーの2番DHカズ山本のオーダーは、中内ジュニアのぼくの考えたオーダーからそのまま拝借したとのこと 中内ジュニアの現場介入を「うざい」と内心思っていたと見る。 >>458
松永・山本のレールウエイズみたいな1・2番にはワクワクした
が 「カズ」への改名には心底ガッカリした ドラだと子供がいじめられると言ってたが
カズだと余計いじめられそうという旨の事を
さんまもプロ野球ニュースで言ってたな 94年は見事だったが一転95年オフに戦力外。
古巣の近鉄で96年に再生、となかなかに紆余曲折の野球人生。 >>461
てーか「カズ」といえば山内和なんだよ 南海ファンにとっては
って そっちかい ランナー二塁に松永で送りバント成功しても根本監督に怒られたとか
俺のサイン無しに勝手なことするんじゃない、お前にバントしてもらいたくて2番に置いてるんじゃないと
バントをしない2番バッターは何人か居たでしょうけど、バントして怒られる2番は僕くらいのもんでしょう、ということを以前、トークショーで語ってましたね 松永は阪神OBの一人として記憶にとどめておきたい。
巨人OBとして記憶にとどめておきたい岩隈久志。 山本和は福岡移転後ホークスの地元スター
さんまにもいいともでネタにされ全国区だったし。
ダイエーになって2年は彼しかオールスター出てなかった。(平和台で試合あるのに!!)
でも何かファンのイメージとビミョーにズレるような事をするんだよね。
カズの名称もそうだし。
自主トレも愛人ぽいのを連れて沖縄でしているし。
愛すべき選手なのに。どこかそういう点もある。 ダイエーはトレードでの入れ替えが頻繁だった。
吉永幸一郎も結局はトレードされた。
親会社が途中から勢いをなくしてしまった感があったが、目指す方向性は、まあ間違いではないと思う。 >>467
昭和63年組の吉永、村田、大道、初代柳田は南海色ほぼゼロだから
みーんな外に出されたのはそれぞれ事情ありだな
しかし 南海村田の一軍登板見たことがある自分はけっこうすごいw 83年の優勝報告会で堤さんが根本さんと広岡さんに3連覇ではなく思い切ったチームの若返りを
示唆した時は其処らのオーナーとは違うと思った。オーナーからして野球をいやスポーツを
よく分っているのだからこのチームが強い筈。伊達にJOC会長をやっていません。 冬季オリンピックのメダル獲得数が飛躍的に伸びたのはまさに堤さんのお陰。
ライオンズでの手腕を買われJOCがオリンピックのてこ入れを堤さんに任せたのは
間違いではなかった 堤オーナーの後ろ盾が改めて大きかった。
根本氏と揉めたことはない筈。相性の良さを感じないではいられない。 「やりたければどうぞ」と言われた監督もいたが。。。 人との繋がりを非常に大切にする堤さんが最大の功労者の森さんに何故あんなにも
冷たいのか不思議だった。
森さんに異常な性癖がある事を知って愕然とした
そういう人物は堤さんがもっとも嫌うから残念に思った それを言われた年もリーグ制覇してたら、森監督はリーグ9連覇、広岡時代から数えて10連覇になるんだよな その割に森さんがあまり評価されてないような 堤さんは企業イメージを壊すような人物には容赦ない
しかしやりたければどうぞ発言で不評を買い森さんの処遇には困っていたのでは
ないだろうか。
そして森野球が陳腐化した頃合いを見計らって冷たく切ったといった所だろう。 そのよく言われる森の異常な性癖って具体的に何?
どこにも出てこないけど。それくらいヤバいの? >>476
その企業イメージ自分で壊してりゃ世話ないよ >>474
はぁ?堤がどんだけフィギュア選手かこってた知らんの?
どう見ても同族嫌悪やろ 西武は創業者の堤康次郎(字が間違っているかも)も艶聞に事欠かない人だったから、下半身に関するスキャンダルには寛容だと思っていたが。 「岐阜の貯金箱」と異名をとった森さん。
堀内恒夫さんが球場でのレストランの請求書を見て「おかしいなあ。オレ、こんなに注文していないのになあ」
森さんがある時、涼しい顔して「堀内」とサインしているのを見てしまった(´;ω;`) >>474
堤は田淵を監督にしたかったから。
広岡辞任の際の後任に根本が森を推した際の台詞「広岡と一緒にいた奴か」が物語る。 翌年の阪神優勝で田淵がOBとして嬉しい
とかのコメントを連発して堤の印象を悪くしたらしい。
結果として西武にはよかった。 堤オーナーは球団発足時には長嶋監督が希望だったし、勝負以上に「人気があって集客できる」球団を目指した。
長嶋に断られた後、根本が交渉したのが上田だったので、「元参謀」で頭のいいタイプを根本は求めたということか? 84年に仲間割れの広岡&森コンビ
「忍」が似合う森氏と「忍」が似合わない広岡氏 吉田義男さんはケチと言われていたが実際はそうでもないようだ。
マイク仲田に監督賞をそっと手渡したりする(中身は10万円)
森・元監督の「実はいい人」みたいなエピソードはないものか。知りたい。 >>482
捕手の大橋勲に馬券を買いに行かせて
川上ら首脳陣に『大橋は競馬場で遊んでいますw』と陥れて処分され干される様に仕向けたり >>490
黒江はよく「広岡さんに守備を基本から教えてもらった」という思い出を語っているな
そういう点ではどんな手を使ってでもライバル捕手を潰した森とは真逆
もし田淵が希望通り巨人に入団したらどうなったことやら >>489
選手の部屋の冷蔵庫の中をチェックしてまわったという話も
スモールサイズの缶ビールをひとつだけそっと入れといてやる
ぐらいできればだいぶ変わったんだろうけどね 最後、森監督は石もて西武を追われたような印象。
94年の西武は85年の西武に似ていて実力的には巨人(阪神)より上に見えたのだが、見えない何か(森・広岡)を辞めさせたい、それには日本一にならないほうが
好都合、という感じでフロントはダメージを受けていない感じがした(想像なので間違いかも知れない) >>490
確か、自主トレーニングをしていた所か東京競馬場で、職員にファンが居たらしく、色紙にサインを書いて、大橋氏に届けさせたとか。
これは、何かの本に書かれていたよ。 >>482
それ本当の話ならケチじゃなくて窃盗w
でもまあ 引退して海外に逃げたのは色々と思い当たるフシがあったからかもしれないなあ 中川充四郎のコラムでも女性アナ口説いた件とか含めて
携わった監督経験者でただ一人下げ記事書かれてたりしたから余程色々あったんだろうか
まあ森祇晶のちょっといい話だと、巨人とホークスのOB戦でデーブ大久保と再会したときに
「やあデーブ元気かい、ハワイに訪れたときは遠慮なく訪ねて来なさいよ」とか
散々メディア媒体でボロクソ書いてたの知ってるはずなのに、優しく声をかけてくれて
「ああ、何て今までの自分は小さい人間だったんだ」と心から反省したとか デーブ大久保はかつては間違いなく森氏を嫌っていた。
根本氏のことは「オヤジ」と呼んで慕っていたが。
あと巨人の藤田監督のことも「恩人」みたいに言っていたようだが。 >>493
自身も広岡を西武キャンプから永久追放にしたからな
因果応報 >>494
その一件でチーム内での人望は完全に失せたみたいだね
但し川上らは徹底的に森を支持していたので引退まで川上と森には
ON含め面従腹背だったようでw ドン川上と森氏と広岡氏のことが好きな人は素直に挙手!
いない(*´ω`*) このスレに実は一番粘着しているのが501.
嫌な奴だね。嫌いだわ。 中日から移籍した田尾安志は森監督と反りが合わず根本さんにお願いしてトレードに出してもらった 馬場正平とバッテリーを組んだこともある森捕手。
見たかったのは湯口敏彦投手との岐阜県バッテリーコンビ。 >>503
ライトにブコビッチという新外国人が入るからセンターの準備をしておいてくれ、と年初に言われたものの、同時に秋山のセンターコンバートの話も進んでおり、シーズン後半には秋山のセンターでの出場機会が増えて、レギュラーの座を失ってしまった田尾さんでした >>504
「馬場がフォークボールを投げたら森の眼を突いてしまった」
定番ネタのアレンジバージョン 馬場さんは巨人に乱闘要員として残しておくのもアリだった。
クラウンとのオープン戦(日本シリーズでは絶対にあり得ないカード)でハンセン選手に空手チョップを乱打。駆けつけてきた根本陸夫カントクと対峙するというドリーム・マッチが見られたかもしれない。
ハンセン選手は額から大流血。江川卓投手を強行指名したクラウンと巨人の間に遺恨が勃発。 以前どっかで読んだが巨人時代の馬場が知らぬ間にコーチ陣にゴマをすっていた選手がいて
名前をボカしていたがそれが森だったんじゃないかという説があった キャッチャー・森(馬場投手に対して)「お前、サイン、見えてるか?」
馬場正平は、巨人在籍時のオフに目の前の5メートル先の視界がぼやける現象に見舞われた。
脳腫瘍。早期の手術で助かり、視力も回復。成人を過ぎても身長が伸び続けていたが、この時の
手術でようやく身長の伸びが止まったという。
61歳で他界したが、巨人症の人としては、むしろ長生き出来た部類に入るという。
馬場投手が巨人vs阪神のOB会に出場した時、東スポが「馬場、巨人復帰!!」と見出しで
煽っていた。 根本監督時代のライオンズはハンセンもテリーも在籍した。 馬場さんは寧ろ気の優しさから野球界で生き残れなかった感も 馬場さんはプロレス界の寝業師。
根本陸夫も顔負けの暗躍ぶりを見せたのが81年。
ブッチャーを引き抜かれた報復にタイガー・ジェット・シンをすぐに引き抜き返して一矢を報いる。
極め付けは暮れのハンセン引き抜き。
売られた喧嘩を買って倍返しにする意外な一面を披露。
根本陸夫と違うところは、奥さんの評判が良くないことか。 >>513
女房については野村克也と相似形>馬場
藤原江本西岡が選手を代表して「公私混同をやめてください」と申し入れたら
江本西岡はトレードされた 猪木さんだと野球では誰に近いかちょっとピンと来ない >>514
>の使い方が古臭い
大昔の2ちゃんの用法で今どき誰もネットで使わんわw >>514
どっちも正規の夫人でない立場でというのも
まあ馬場元子は諸事情で入籍と公表が出来なかっただけで
不倫相手のサチヨなどとは一緒にされたくないだろうが
お育ちも全然違うしな サッチーは品のないのが成り上がった感じ。ナチュラルに怪獣のような顔をしている。
それからすると落合信子夫人は人畜無害キャラ。
ただ夫の尻を叩いているだけで権力を発動していない。
馬場元子夫人は、どちらかと言うと沙知代に近い。
夫が2メートル9もあったから目立たないが、170センチを超える長身で、もし子供が生まれていたら、
どんなジャイアント・サイズになったことか。 アントニオ猪木は野球界でのイメージは「燃える」つながりで星野仙一か。
ただ、違うのは猪木が「燃える闘魂」だったのに対して、
星野仙一はしばしばマウンド上で火だるまにされる意味での
「燃える男」の違い。
まあ、そういうこっちゃ。 猪木も新間寿の離れた後は珍妙なアングルブック続きで
蔵前、大阪城ホール、両国を暴動炎上させとったな 新間寿は83年あたりに失脚してしまったから根本陸夫ほどの影の実力者ではない >>521
つーか メチャメチャ表に出てたもんな営業本部長がw 新日本は攻撃力に優れ、全日本は受け身で力を発揮する。
根本さんは、どちらかと言うと新日本プロレスに合っているフロント・タイプ。 新間さんは最後、流れ弾に当たってしまったような不運な印象。
やはり黒幕は黒幕ラシク、背後で目立たないように活動しないと。。。
全日本にも黒幕がいて、名前も忘れてしまったけど、75年にオープン選手権開催で
猪木を呼び寄せて本気で潰してしまおうと画策していた人がいた。
馬場さんの没後何年も経ってから出てきた人だけど、この人は心底怖いと感じた。
ホースト・ホフマンを最初に当てて、次にディック・マードック、さらにはハーリー・
レイスを用意して、まだ勝ち残ってくるようならザ・デストロイヤーを中盤にぶつけ、
ドンレオ・ジョナサンやパット・オコーナーも控える。
「(猪木は)来なくて良かったんだよ。来たら新日本に未来はなかったよ」
というコメントも怖かった。 「捕手出身は名捕手が多い」というけれど、これは野村克也氏のセリフだったか。
根本陸夫さんも捕手出身。捕手出身は気難しい感じの人が多いと思うけど、根本さんはわりと好人物。
梨田昌孝さんは恐らく性格がいいだろう。目が優しい。 >>526
>「捕手出身は名捕手が多い」
頭大丈夫か?
5ちゃんから引退しろボケ爺 「捕手出身は名投手が多い」と書かないだけマシだろwww 「誤植」の意味も知らん低能爺www
誤植ってのは印刷物上の誤字だアホ まあたいしたことではない。
上田利治氏も捕手出身。西本幸雄さんもかな? 捕手出身がいいかはまぁそうなのかな?って感じだけど.
外野出身は監督でダメなのは明白だわな
勝って結果を出してても頭悪い采配が多い
そういう点では新庄は異質でかなり繊細な感覚を持ってる 野村は投手出身もダメで投手出身名監督は藤田と星野だけと言っていたんだっけか
最近だと工藤も入るかな 西本幸雄を捕手出身とすることも「たいしたことではない」人だから >>534
関川が監督やったら絶対優勝できないと思う >>543
たしかにw でも南海時代は期待の若手の域を出ず
現役のキャリアはダイエーが主だね
今日のマリンのゲームはつい南海ユニで行ってしまったけどさ 藤本の南海時代って
「修じゃない方の藤本って誰?」
ってレベルだったろ いかめしい顔をしているが藤本監督は好人物の印象。
水島新司氏のドカベン・プロ野球編で一塁手・藤本が所属球団の垣根を越えて主人公にアドバイスをしているシーンがあったが、実像に近い筈だ。 >>548
「藤本博史は外見こそいかついがじつは好人物で、しかもHじゃない」 交番の前に貼ってありそうな顔をしているが、人は見掛けで判断してはいけない、の典型。
根本さんだって顔だけ見たら893が道を空け、女が逃げる。 >>551
そっちは見かけ通りでいいということじゃないか? 94年のダイエーの紳士服売り場のポスターに、秋山以下当時の主力選手が起用されていた
中央の秋山はともかく、脇を固める松永、藤本、山本、吉永がどう見てもその筋の人にしか見えなかったな これに着流し姿の根本監督が加わったら、まさにダイエー版仁義なき戦い 吉永はグリコ森永犯の「キツネ目の男」に似ているが多分潔白だと思う。 スパイ騒動の中心人物で同時期に別のスキャンダルも起こしてるしロクな人間ではない >>531谷繁古田大矢はいまいち
>>533権藤 高津は日本一経験者 ベイスターズで3年間Aクラスで日本一にもなっている権藤さんはどう見ても凡将ではないな
次の監督の代で崩壊したが・・・・・・ ベイスを崩壊させたのは権藤
ホエールズ時代からのぬるま湯体質に放任主義という怠け癖の種が巻かれれば、たまたま噛み合った歯車がすぐ崩壊するのは必然だった
当たり前の野球すらままならなくなった惨状は、後任監督を何度交代させても改善の兆しを見せることはなかった 大谷はあれだけ稼いでも小遣い一万円という清貧ぶり
ケチというより遊ばない真面目な子なんですね。 マンガ「あぶさん」での根本陸夫監督はどんな感じで描かれていたのだろうか。
ドカベン・シリーズならば全巻買って読んでいるから話の筋は9割は思い出せるが、
あぶさんのほうは1割も話の筋を知らない。
ドカベン・プロ野球編がスタートした時には既に根本監督は退任していた。 >>553
朝日放送解説陣が横一列に並ぶABCフレッシュアップナイターTシャツは
稲尾、村山、小山みたいな温厚な顔ぶれでも怖かったから
その面子なら相当だろうな 現代はガチガチ管理野球なんてどこもしてないから
放任かどうかなんて話題にもならないね >>562
ひょっとして とんでもない毒親なんじゃないのか? 給料袋ごと親に渡していたプロ野球選手は実際いるらしい。
一切の遊びをしない人でないと無理な話。 >>561
既に00年の時点では戦力的に厳しくなっていた感じ。
大魔神・佐々木不在がやはり痛い。 ヘッドコーチが投手出身の小山正明さんだったから、田淵時代に比べて思うように仕事させてもらえなかったのは推察できる 権藤さんの近鉄コーチ時代はとことん仰木監督と反りが合わなかった。
ベイスターズで日本一になったら友好的に接してくれるようになったらしいから、もう恨んではいないと
思いたい。 根本さんが亡くなってからホークスが黄金期に入ったというのもどう捉えたらいいか >>574
投手陣の間では「優勝したら権藤さんを先に胴上げしよう」って話も出たほど
投手陣からは信頼されていた
自分が酷使で潰されたから「投手の肩は消耗品」という思想で投手第一だったからね 権藤さんは好きだなぁ。仰木さんはどうかなぁ。凄い人なのは認めるけど。 >>573
「アドゥチ桃山時代」というのはあったけどさ 関根潤三さんはエライ!
何がエライかと言うと根本陸夫と広岡達朗の両方と上手くやって行けた漢(おとこ) 優しい顔をしてキツイことを言うと定評がある関根氏。
柔らかい構えで飄々と打つ。 投手交代を告げて、その足でマウンドに行き降板する投手の足を笑顔でグリグリ踏みつける。 >>576
江夏豊曰く
最高の
打撃コーチは中西さん
投手コーチは権藤さん 西鉄時代リーグ優勝経験はあるものの監督としては中西さんはイマイチ
打撃コーチとしては凄く有能なのは間違いない。
根本監督時代に江本孟紀が在籍するシーンを見たかった。
法政大学繋がりで意外とウマが合うかも。 中西は後年は「自分はコーチ向きで監督には向いていない」と自覚していたからね
だから監督は仰木にまかせて仰木監督・中西コーチ体制で結果を出した
西武の伊東は「ライバルチームなのに中西さんに指導されたことがあった」と言っていたが
コーチ気質の人はそういうものらしく山内は中日の監督時代に
中日と広島で優勝争いをしている最中に高橋慶彦に熱心に指導して
その試合で高橋はHRを打ったとか コーチとしては監督よりも貫禄がある中西太氏。
山内さんもそうだけど、根底的にはどこか人の良さを感じないではいられない。 教え魔というのはとにかくこいつにも打てる楽しさをという無私の気持ちが感じられるからね 山内さんはイチローの事をバットを短く持ってコツコツ当てる打者に育てたかったようだけど。
イチローが素直に従ってたらそれはそれで末恐ろしい打者になっていたかも。 79年は古庭監督に山内監督。それに広岡監督と接点のある人が監督を務めている。 しかしよく山内さんほどの大物を無償で阪神は広島にトレードに出したものだ。 3年連続最下位からいきなり初優勝したカープだがあの時代は実力的に各球団とも大差なく、そんなに不思議に思えない。
巨人の没落の兆しはその2〜3年前からあった。 >>590
1973年だってきちんとしてたら阪神が優勝だったしね
ドラフト制度の影響が出始めたのもあるだろうな 1973年の巨人のドラフトはさすがに酷すぎる。
根本陸夫在籍時の西武の関係者の爪の垢を煎じて飲むくらいでは生ぬるい。
指名するだけして、後は何も考えていない感じ。 広島の根本監督の後任が別当監督というのはどういう意図か。 >>593
当時はとんでもなくテキトーだったからな
事前に指名挨拶をしないって普通だった 指名拒否どころか指名するだけして交渉しないなゆて酷いのもある >>597
江本がベストセラー本で山本泰について
「カーブを打つのが上手い選手でプロで通じたんじゃないかと思っていた」と書いていた
だけど上位で指名されなかったのを見るに評価高くなかったんだろうな >>598
鶴岡秀樹って弟の方みたいだわ
ミズノの常務とかで、この人もPLのOB会長やってた
鶴岡姓だから山本泰とは異母兄弟か PL学園が初めて全国優勝した時の監督が鶴岡御大の息子。
南海から指名されていたのは知らなかった。 こいつはプロで通用せんからという実父の判断で
あえて南海で指名して他球団の指名機会をツブしたとも言われる
感想はどうだな 丹後の山ザル? エモやんの本を読むと法政大学時代の松永玲一監督との相性がもう一つだったことが分かる。
「お前は一言多いんだよ」と言われたとか。 一言二言多い奴に限って言葉尻に執拗に絡む。
そりゃ嫌われるわ >>602
よくわからん理屈だよなこれ
別に指名しようがしまいが社会人行ったら2年指名できないのは変わらん
12位指名じゃ他の球団を妨害する効果もない >>605
いちおう念入りなデモンストレーションじゃないかね
鶴岡御大がこうまでするなら今後のプロ入りもナシだなと 金田星雄だか月雄みたいなのはカネやんのコネ入団としか思えない。
末弟の留広は良く頑張った。
79年広島は叔父の留広と甥の金石昭人が在籍していた。 >>602
このスレでトルコさんにお目にかかれるとはッ! >>607
金石は自分で金田兄弟の口利きのコネ入団だったと認めている
だけどその割には良い買い物だったよ >602
他球団が指名して本人が色気出して入団しちゃうのを防いだんでしょ。
社会人に行くのは、時系列にはその後だし当時は志望届もないから大学4年時に指名対象にはなってしまう。
>607
金田兄弟の件は正一の年俸抑えるためという話は有名。
確かラミレスがヤクルト時代に義理の息子だったかを実力不足なのに入団させてたね。
金石は留広が広島入りするから一緒にということで正一が押し込んだらしい。
エースだった西田が後に打者として再度同僚になるのも面白いが。 金石昭人は甲子園で登板経験ないんじゃないのかなあ。PL学園で。記憶にない。
西田の控えだったような。。。。。 野中の控えの紀藤みたいなもんだな
紀藤は甲子園で投げてるが >>606
12位指名にそんな効果があるとは思えない 金石、金田留広入団後、当時のプロ野球ニュースで二人にカネやんが自らインタビューしてたの見たな 79年広島は初の日本一になったけど、説得力十分の優勝だった。
前年日本一のヤクルトや上位常連の巨人よりも前評判が高かったのではないか。
前年も前半の大きなつまずきがなければ優勝も、という感じだった。
スタートが悪いのがこの時期の悪い癖だった。何故なのか分からない。 >>617
5月に持ち直して
「5月は鯉の季節」などとアホメディアにネタ提供するのがなかば義務のようだった 衣笠が苦しんだ79年。それでも打線の迫力が頭一つ抜けていた。
江夏が大活躍した。唯我独尊タイプなのにこの辺りは献身的な感じだったのが意外。 マツダスタジアム、素晴らしい球場だけど昔の広島市民球場も懐かしいなあア(´ー`) プロ経験のない有本義明をホークス二軍監督に起用したのはどういう思惑だったのだろうか >>622
いちおうアマ野球の経験がありスポ新でもっともらしいこと書いてたから
面白半分で使ってみたんじゃないのか?
しかしダイエーの二軍監督といえばやっぱりハイディ古賀だなw プロ経験がなくてプロ野球監督の国鉄・砂押監督てどういう采配していた人なのか凄く興味あります。 >>624
立教時代暗くなったらボールに石灰まぶして素手のシゲにノックしまくった
というイメージしかない 阪神は新聞に批判投稿した岸って奴を監督。
案の定お山の大将藤村やその他に通じる訳無い。 小倉清一郎氏あたりファームの監督にしてもいいかと思ったが。 >>626
岸監督就任は阪神伝統のお家騒動によるもの
松木監督の後任候補は藤村冨美男と御園生崇男のどちらかに絞られていたが、どちらを立てても派閥騒動になるのは明らかだった
https://www.genmatsu.com/rekisi/kisikisi.html いっぺん5ちゃんねるに偉そうな投稿している輩を監督にしてボコボコに批判したい衝動に
駆られる。特に高校野球板の輩。 現代ならば最多勝の勝ち星。負けの数も多いピッチャーだった。 >>616
プロ野球ニュースじゃなくて、
「プロ野球のニュース」では?
フジテレビの「プロ野球ニュース」に金田がいたことないだろ >>629
そんな実現不可能な衝動に駆られてどうすんのよ 実際傲慢な投稿者が多い。
もうジジイなんだから謙虚に慎ましく生きろっての。
それが出来ないんならばさっさと人生にピリオドを打つべき。
関根潤三さんみたいな品のあるお年寄りならば大歓迎だけど。 >>630-631
クラウン最終年の根本時代に23勝しながら鈴木啓に最多勝取られた時も
東尾はいい年が隔年というか続かないのが持ち味かね >>633
第一期ロッテ監督辞任後しばらくはフジ系で解説やってたよ
その頃に出てたはず 昔の投手は勝ち星も多いけど負けの数も今よりずっと多かった。ちょっと酷使され過ぎ。 根本監督の「おーい、野村、代打だ」で野村克也に代打。
素晴らしい采配に拍手。 鈴木葉留彦は代打の切り札でしたね。
有名な83年日本シリーズ第六戦の九回裏に代打で出てきて
西本から見事なレフト前ヒットを打った。
野球人生最高の場面かなと思います。 >>638
むしろいい時代
メジャーだって中4での100球だ そのうち左右両方で投げられる文字通りの二刀流が出てくるような気がしてならない。
右で投げたら中一日で今度は左で投げる、というふうに使い分ければ「権藤権藤雨権藤雨雨権藤雨権藤」と
いうローテーションも不可能ではない(-ω- ?) 星飛雄馬のような左が壊れて右で復活なんてありそうで聞いた事がない。 巨人の星でよく突っ込まれるのは飛雄馬の巨人入団
どう見たって他の球団からクレームが入る
テストで入団したってその次のドラフトで指名されたら無効だろアレ
さすがに無理があったと反省したのか番場蛮は
「高校時代は無名だった」という設定だった 甲子園準優勝校がPTA会長の逆鱗に触れ廃部というのもちょっと。
大手自動車メーカーの社長がそんな事をしたら一体どうなってしまうのだろう。 >>641
バカかお前
そのMLBにせよこの時代の東尾にせよそれがたたって故障するんだよ
鈴木草みたいに先発しかやってないわけじゃないからな 野茂はメジャーのほうがずっと楽だって言ってた。
150球170球は当たり前だったしね。
今の選手はメジャーより大事にされてる感じ。
中六日なら120球は投げないと。
130球以上は登板間隔関係なくNGだけどね 星飛雄馬は実は在日朝鮮人の星飛雄馬(そん・びゆんま)ではないか、という説の本を読んだことがある。
豊福きこう氏の『水原勇気0勝3敗11セーブ』という作品。
豊福氏は秋山幸二氏の高校時代のクラスメイト。
日本国籍を有していなければドラフトにかからなくても入団させることが出来た。
父親は星一徹(そん・いるちょる)。珍姓になるが朝鮮半島には確かに星(そん)姓は存在する。 父親が元巨人の選手で戦争で肩を壊し川上さんとの確執で史上最高の三塁手と
言われながらも無念の退団。息子と二人三脚で巨人でスターになることを目指した。
甲子園準優勝なのに野球部は廃部で高校を中退。甲子園決勝戦での怠慢投球を
問題視され巨人は指名せず。ライバルの花形が決勝戦の星は怪我を押して投げて
いたと血染めのボールを川上さんに送って星の巨人入団を切望したが聞き入れられず。
世間から同情の目で見られるだろうなあ・・ 大手自動車会社の社長が甲子園準優勝の野球部を廃部にしてエースを退学へと追いやった。
これ自体が大問題になるでしょ・・ ドラフトになる前は大洋や阪神も優勝してるのだがドラフトになった途端に巨人のV9
が始まったという皮肉 根本陸夫スレであることを忘れてしまう内容。
えーと親友の関根潤三さんは近鉄ひと筋80年と思いきや現役最後の1年だけは巨人在籍だった。
そこで生涯唯一の日本一を体験。
満足してそこで現役引退。
しかし広岡達朗が孤立。
花形満は人間的には悪い人ではない。
しかし小学生の分際で車を乗り回しているのは、いかがなものか。
無免許運転も甚だしい。
社会的制裁を与えるべきである。
そこへ行くと左門豊作はエライ。
バット1本で家族を支える苦労人。
顔だけが残念な男だが顔では推し量れない誠実な人柄。
熊本出身だし、実は川上哲治は自分の分身のように感じていたのではないか。 ドラフト破りと言えばインパクト強烈なのは江川の空白の一日だけど
それ以前にも荒川尭の三角トレードや新浦の「日本国籍じゃないからドラフト対象外」があった
田淵についてもあきらめきれない巨人が三角トレードを持ち掛けたとか 水島新司作品では「転校先を間違えて横浜学院の筈が明訓に転校して認められてしまう」
という根本陸夫でも出来ない裏技を行使した高校生がいた。 三原監督時代、1→6→2→5→2・・・・・隔年ではあるけれど、一発屋ではなく、
優勝争いに大洋が絡んでいたのは奇跡的に映る。 田淵幸一の三角トレードの見返りとは誰なのか非常に気になる。 >>657
つーか 三角ってことはあとどこが間に入るんだ? 西武に居た時もうっかり「巨人で野球人生を終わりたい」みたいな発言をしてしまった田淵幸一 ショート金城致勲。大阪の生野工業出身。恐らく在日。 金村義明も日本国籍でないからドラフト対象外とはならなかったのか。
制度が変わってしまったのか。 マルーフ 幼い頃1回だけナマでみた記憶が
数字だけ見る限りなかなかの好成績だが一年きり
外人としては物足りないとされたのか 他に事情があったのか 79年ドラフト1位ルーキー森繁和5勝16敗7S防御率4.52
4球団競合のドラフト1位で入団時24歳。
ある程度の活躍は最初から期待込みの投手。
良く負けたが、登板機会に恵まれた。他の指名球団は中日・ヤクルト・日本ハムだが
行った先が西武で良かったと思う。 >>667
けっこうプリンス的な扱いされてなかったか?当時は あくまで当時は >>664
新浦の件がきっかけで制度が変わったんだよ
少しは調べろ 西武元年は最下位だったけど90年代半ばの阪神や、80年代半ばのヤクルト、あるいはDeNA身売り前のベイスターズのような
夢もちぼうもない状態ではなく、のちのちの展望に期待が持てるチームでした。
少なくとも松沼兄弟と森繁和投手の新人補強は大当たり。 松沼兄弟は巨人よりも西武の水が合っていたと思うけど仮に巨人・松沼兄弟ならば79年は5位に沈むこと
はなかった筈。 >667
プロ入りでは関東に戻りたいということで南海は指名前に断ったという話。
でも阪神なら人気球団なのでOKだったが、江川に行ってしまった。 78年秋のドラフトは巨人ボイコットで騒然となった年。
木田勇に広島が拒否されたのも記憶にある。 日本ハムに指名されていたら森繁和は酷使されて短期間で引退に追い込まれた可能性が高い。 松沼兄弟ドラフト外で獲得はデカいわな、巨人も結局鹿取は獲得出来たけど
同じ年の西武ドラフト外入団だった小川史も南海移籍後に重宝されて割と長く現役続けたね 78年は大豊作。
出世頭は落合博満と江川卓で文句なし。 田淵幸一と土井正博が79年は同じような成績。
2年後に引退する土井正博がまだまだ元気だった。 巨人は松沼兄弟以上にポスト王長嶋という打者のほうが必要だったと
思う 田淵幸一を軸にしたGL間でトレードを見たかった気も。 松沼兄ルーキーイヤーの16勝は見事だけど防御率は4点台・・・・・
よっぽど打線の援護に恵まれていたのか。 >>623
王 ヘッド白髭ハイディ 投手カマキリ兆治 何か癖が強い並びになった年もあったW
翌年兆治が抜けてハイディが投手コーチも兼任するんだが近鉄で死にかけた西村を再生して先発陣が工藤若田部西村武田と4本柱になったのでハイディは結構優秀 達川コーチと高橋慶彦コーチの元広島同士の殴り合い。
豊田泰光氏が高橋慶彦氏に訊ねたら「1回だけありました」とニヤリ。
この時のホークスは根本監督が退任して王監督が就任した直後。 昨日の友は今日も友なんだろう 友がいたのかは知らんが >>624
国鉄・砂押監督
立教大学時代は「鬼の砂押」で有名だったが、あまりに厳しすぎて監督排斥運動に遭って退団(その首謀者は、若き日の大沢親分)
ここまでは有名。
以後、昭和三八年に国鉄に移籍した豊田泰光の連載「俺が許さん」によると、
信じられないくらい丸くなってたそうな。
(三八年の時点ではコーチ陣の一員で、四十年に監督代行) 親分の意向そっちのけで独自練習を続ける1年生の片岡選手に「お前か!1年を煽動しているのは!」と
親分が一喝したら
「僕たちはただ野球がやりたいだけです」と一歩も引かずに片岡選手が応戦。
4年生の親分、憮然としながらも退散。
この片岡選手はのちのヤクルトのスカウトだが、目に凄みがあって怖い人に感じた。 一番怖いのが関根潤三説。
ヤクルト時代、ホーナーが関根さんには絶対服従だったとか。
(このボスは怒らせたら怖い)ということは、外国人であるがゆえにむしろ
敏感に察知する。
ホーナーはその実力で日本プロ野球界に衝撃を与えたが故障持ちだったのが玉に瑕。
休みたかったのだけど
「ファンはキミのホームランを楽しみに見に来ているんだよ」
とあくまでもソフトに言われると逆らえなかった。 当時のホーナーのポジションで恐れることなどあったのか?
レオン「あの人ああ見えてジャパニーズマフィアよ 気をつけてね」
なんて吹きこんでたんならまた別だが バースをして「なんであんなのを日本に連れてきてしまったんだよ」と嘆かせたホーナー。
前年までの暗黒期を脱してヤクルトの野球が面白くなったのは確か。 マジであれに対抗できたのってケガしなかった世界での太平洋ハワードくらいか? >>661
根本の親友の関根ヤクルトも似たような雰囲気だったなあ。ちなみに、同じ低迷中でも後に栄光を迎えるチームでありながら、近藤昭仁やノム謙の場合は、根本西武や関根ヤクルトと違ってどこか殺伐としてたなあ。 根本陸夫氏と関根潤三氏の共通の母校が甲子園に出場しましたど。
大御所二人が所属していた頃と違って、今では神奈川にサンドイッチにされた地形の
東京都町田市ですけど母校は母校。
今頃あの世でも飄々とした顔をしながらバッテリーを組んでいるんでしょうなあ(´ー`) >>692
ハワードはとっくに峠を越していたからな
対抗できたのはきれいなミッチェルぐらいだろ バースがいて落合博満が来て途中からだけどホーナーも来て
さあ本塁打王は誰でしょう、と思ったら全くノーマークの
選手だった。 当時の日本の野球はア・リーグに似てたのでナ・リーグしか経験のないホーナーは
かなり困惑した。アもナもどちらも経験してるパリッシュは戸惑うことなく適応した。
スカウトもその辺りも考えて人選しないとね。 アリーグ 逃げのピッチング
ナリーグ 攻めのピッチング
セリーグ 逃げのピッチング
パリーグ 攻めのピッチング
当時の傾向だけどこれも考慮して外人獲ってくると良かったかもね。 ホーナー 日本の投手は勝負を嫌う意気地なし!!もう帰る!!
パリッシュ アリーグの投手に似てるなよしじっくり見て打っていくか
この違いだね。 >>698
でも「球界のマッチ」wがムキになって投げこんだせいで
いきなりバカ当たりだったよな ホーナーはFAがうまくいかないで、やむなく来たニッポンだから、じきに帰国するのは
織り込み済み。
すぐにメジャーの戻ったがすぐに引退。
記憶が定かでないけどパリッシュはワニが好物の外国人選手だったと思う(´・ω・`) >>695
ああ〜真面目なミッチェルか(不可能だが)
しかしホーナーを幼少期とは言え見れて幸せだったわ
パリッシュは確かにホームラン王にはなったけど
斎藤雅樹を全く、誇張じゃなく全く打てなかったのがきつかったな 地味に凄い人・斎藤雅樹。
巨人軍史上最強の投手かも知れない。
惜しむらくは化けるのに時間が掛かったことで通算勝利数は200に届かず。
しかし、最盛期はメジャーでも通用したと思う。
パリッシュは少なくとも斎藤雅樹はメジャーで通用すると大絶賛。
ただ、守備範囲の狭かったクロマティが日本ではセンターを守っていることには
疑問符を。守備力では日本のプロ野球はメジャーに劣るとコメントしていたのを
覚えている。正論だと思った。 >>704
そりゃー「オレ様が打てないんだから」ってテレ隠しもあるだろう
しかしクロマティ挙げて疑問符って こいつもメジャーだったろ 当時のメジャーは今と違い守備重視の野球。
イチローくらい出来て当たり前だった。
だから今になって内野にロクに返球できない外野手がメジャーでも出てきたのには
目を疑った。 クロマティの守備位置はメジャーではレフトが一番多くて順にライト、ファースト
センターは一度も守備機会なかったのね 87年頃の阪神は気が付くと掛布雅之が没落していて、
いつの間にか田尾安志が存在した。 クロマティって真面目に投げればいいバックホーム出来てたよな
4割打ってた年なんかたまにいい送球してたが守備は気が乗らんのか
トータルで見ても少なかった パ・リーグに行っていたらクロマティはDHだったのかな。 >>711
そりゃそうだろ
門田「あ〜〜こいつはアカン わしレフトやるわ」 なんでセ・リーグはDH制を導入しないのだろう?
97年あたり、巨人のポジションがやたらダブついているのを見て不思議に思った。
一塁手が本職の人が複数存在していて、なんか変な球団だ巨人は、ちゅうふうに思った。
渡辺恒雄氏の実力ならば、力づくでセにDH制を導入しようとすると思ったが、
そうしなかった。コミッショナーよりも権限がある人だ、ちゅうふうに感じておったが。。。 パの導入時にこんな恥ずかしい声明を出して、さらにはリーグ公式HPにまで延々と
掲載し続けていたので
これの総括(要はごめんなさいすること)がすまない限り導入できない
1. 1世紀半になろうとする野球の伝統を、あまりにも根本的にくつがえしすぎる。
2. 投手に代打を出す時期と人選は野球戦術の中心であり、その面 白みをなくしてしまう。
3. 投手も攻撃に参加するという考え方をなくしてしまう。
4. DH制のルールがややこしくファンに混乱をおこさせる。
5. ベーブ・ルースやスタン・ミュージアルは投手から野手にかわって成功したのだが、そのような例がなくなる。
6. 仕返しの恐れがないので、投手が平気でビーンボールを投げる。
7. いい投手は完投するので得点力は大して上がらない。
8. 投手成績、打撃成績の比較が無意味になる。
9. バントが少なくなり野球の醍醐味がなくなる 根本監督ラストイヤーの年は終盤まで優勝争いして、最後は4位だったけど勝ち越し。
翌年は優勝争い・Aクラスは行けると思ったら5位。さらに次の年は最下位。
その次の年あたりから上昇期に転じたが、優勝するまでに時間が掛かった。
何がまずかったのだろう。
95年の時は戦力は十分過ぎるほど備わっているチームに感じていたのだが。 >>715
松永、秋山、石毛の劣化
ミッチェルが問題児
さらに吉永が藤井寺で怪我して離脱した ミッチェルの素行の悪さは最初から懸念されていた。
一度消えたと思ったら夏に戻ってきた。
マジメに1年通して働いていたら本塁打王だったと思う。 95ねんは一応2年目の小久保が本塁打王。
清原和博がこの年はチャンスだったが怪我などで本数が伸びず。 >>719-720
95年の小久保はイチローの四冠王を邪魔した地味な奴。
当時はダイエーグループだったローソンのCMに、地味キャラ設定で出ていた。
イチローがFAで巨人に行くことはあっても、小久保が巨人に行くことは無いと思っていた。
(入団時は巨人とダイエーで争奪戦になったスター選手で、順調に活躍しているのに"じゃない方"扱い…) パリッシュの代わりに獲得したマーフィーもメジャー実績十分の選手だったから
HRは減っても相応に穴は埋まると思ってたのかもしれんね
当時ヤクルトはホーナーにしろバニスターにしろメジャーでも一線級だった選手結構獲得してたな
ノーラン・ライアンとかグリフィー父なんかも名前が出てたり >>722
新外人入れたら代理人ダン野村が儲かるから 野村克晃、だったかな。一応元・プロ野球選手。ヤクルト。内野手。背番号85。 28打点の本塁打王も香ばしいが80打点で3人打点王を分け合うのも香ばしい。
3人のうちの一人はイチローだが残りの二人の名前を忘れても別に責められない。
そのうちに打率304,本塁打31,打点93,24盗塁くらいで4冠王を
達成してしまう選手がパ・リーグから出てきてしまうかも知れない。 ダイエー時代の根本監督は早く勇退したくて仕方がなかった。
西武の時のような階段を確実に上がって行く感じがなくて監督禅譲の時に不安を感じたものだ。
退任後、最初の2年はむしろ後退してしまっている。
96年秋のドラフトは見事な大当たり。 ダン野村はヤクルトドラフト外、ケニー野村は広島にドラフト外
まあ口利きはあったんだろうな >>726
そのスペルでデシンセイと読むあたりフランス系かな?
あと背中のネームがDeと小文字だったのも印象的 秋山幸二を3対3の大型トレードで獲得したが、トレードがなければ翌年FAで西武を出ていたと思う。
西武にとっては(というより森監督か)おいしい話だ、と根本監督の仕掛けに乗ったような気がしてならない >>733
カツノリもコネだけやからな
ヤクルト阪神巨人(シダックス野間口)楽天コーチ
定岡兄弟と違って全く戦力になってない
なんなら2兄弟の河埜兄弟の足元にすら及ばん 八重樫がカツノリについて「よくこれでプロになれたな」と思ったと言っていた
一茂については「今でも清原クラスになれたポテンシャルだったと思っている
あれほど体格とパワーに恵まれた選手はいなかった」と言っていた
背筋力300kgオーバー、ベンチプレス170kgは力士やプロレスラーに混じっても
上位だからね >>733
釣りか そんなインチキと一緒にしたるなよ
定オカンのご容貌も見たわけじゃないけど
それこそ美女と妖獣ぐらいの差と容易に推測できるわ >>735
なら投擲かウエイトリフティングだろ
バットにボール当たらなきゃなんにもならんよ 1位はキムだまさいちを筆頭に4人のプロ野球選手母になったキムヤン母に間違いない。
日本国籍の母に限定すると…… 根本の長年の夢であるONで日本シリーズを実現する為
秋山は絶対必要なピースだった。
秋山が居たから王も心が動いた。
完全にホークスを生まれ変わらせるために。
次期の王に華を持たせる意味で最後の監督シーズンも【あえてBクラス】になった。
と言われている。 根本監督退任。実質GM就任。
さあ、ON対決だ! と世間が騒いでいた95年、別人によるON対決が確かに実現した。 >>739
ダイエーが全日程終了してその時点では3位
その後のオリ近最終戦で4位オリが2位近に勝って
同率2位浮上
「あえて」のコントロールのしようがないんだなあ
こういう自分で勝手に物語作る奴ウザい >>743
このスレはその本の宣伝ではない
ソースがその本の書き込み禁止 81年の西武ラストイヤーの61勝61敗8分けのちょうど5割の終わり方がとてもシブい。
ラストイヤーと言っても監督を退いただけでそこからが根本陸夫の人生最大の黄金時代到来。 >>358あたりから散々言われてるよ
読んだことのある奴が多いしシラけるんだよ
しかもそれに対して反論ではなくお約束の逆ギレ罵倒までがセットw >>751
てめえら ふざけんじゃねえ!!
についてできるだけ多くの人にきいてもらいたい 根本陸夫を「オヤジ」と慕っていたデーブ大久保も関根潤三氏には一喝された。
広岡達朗も関根潤三氏とはウマが合った感じだが根本陸夫氏とは本質的に水と油。 西武がクラウンでなくて大洋を買収して西武ホエールズだったらどうなっていたか。 別当監督は新人の遠藤一彦に下手投げに転向させた。
監督の言うことに逆らえず困っていたところへ堀本律夫コーチが「お前、どうしたんだ?」
事情を話すと「俺が監督に上手く言っておくから」と遠藤の下手投げ転向は幻になった。
堀本さんのような有能なコーチが居てくれて本当に良かったと思う。それと共に監督やコーチに勝手に
フォームをいじられて潰された選手も大勢いたことだろう。 オールドファンは別当監督は投手に関してはイマイチだったと言うてたな。
遠藤なんか危なかったなw 堀本投手コーチは、180センチ60キロの遠藤投手に「食事の時に缶ビールを一緒に飲むといいぞ」と進言。
狙い通りに体重増量に成功。
堀本コーチと関根監督は、遠藤投手にとって「恩人」と言える存在で、引退の相談に行って時には、
関根氏から「大洋の遠藤のままで終わるのもいいんじゃないか?」と言われて決心がついたとか。 デーブが水戸商時代に先輩から受けたイジメ話を関根さんは真面目に聞いてあげてたw コーチに変にいじられて潰された選手は永川英植。
ヤクルトスワローズ。
高校時代の恩師の横浜高校の渡辺監督に悩みまくって頻繁に相談に行っていた。
在日韓国人として生まれ日本国籍を取得。
30代で亡くなってしまったのが惜しまれる。 >>759
まだビールといえばビンが主流な頃に缶、というのもミソなのかなひょっとして
食欲増進のためだったら細身の遠藤に633は多すぎると 広岡解任のキッカケが夕刊紙への発言記事とかよく出てるが
どのようなものだろう?
広岡が夕刊紙の記者にあれこれ話すとは思えないし、後ろで談話聞いていてかなり
【盛って】掲載したのか?
まぁ当時の夕刊紙の記事内容は凄い内容だったし江川関連なんか今だったら名誉棄損
どころの話じゃないレベル。
図書館に行って調べるしかないのかな? 広岡氏と根本氏が喧嘩したらマスコミは全員根本氏の方につくだろう。 >756
同時期に在籍した増本という投手は反発できずにサイド気味に変えたが、上手くいかなかった。
遠藤がエース格になったので、変えないぐらいの気持ちがないとプロでは通用しないのだと感じたという。 フォームをいじるくらいならチンコをいじれ、と指導者には苦言を呈しておく。 >>766
増本の場合、変えなくてもまた通用しなかったのでは… 石橋貴明という18歳の帝京高校に所属する少年が西武ライオンズのテストを受けた。
1次テストは見事に突破。2次へ進出。
石橋少年のプレイぶりを見ていた根本陸夫監督が
「もういい」とストップを掛けさせた。
こうして石橋少年のプロテスト合格は露と消えた。
しかしこの果敢なチャレンジ精神が報われて、いつか花と咲く時期がきっと来ることだろう。 秋山幸二が西武からドラフト外で結構な条件で契約した。
その年のヤクルトのドラフト3位だか4位だかの選手の親がしゃしゃり出てきて
秋山を引き合いに出して契約金の吊り上げを図るも撃沈。
「失礼ながら秋山君は大学進学希望を表明していなければ、ドラフト上位で指名
されていました。要するにお宅の息子さんとはハナから格が違うのですよ。
嫌なら拒否してくださって結構ですよ」
厚顔無恥という言葉が似合う選手の父親の介入。調べれば選手の名前が分かるかも知れない
がどうせ大成などしていない筈だから調べる必要もない。 トレードやりまくりで改革するとは思うがフロントに理解者がいるかどうか。 >>772
無理無理。何の方針もない、ただただ名前が欲しいだけのチーム。
広岡を口説きに行った小津の台詞「悪いようにせんから」。 ベンチよりもフロントがアホな阪神だからこそ必要な根本氏だった。 >>764
勝手に調べろ
お前のスケジュールはお前のメモ帳に書いてろ
誰も広岡なんぞに興味ねえんだよ >>780
なるほどですな(^^
>>779
あんた、何様のつもりなんだ。調子こいてんじゃねえぞバカ野郎!
なあ、お前、いい加減に気が付けよ。
このスレの雰囲気をてめえ一人で壊してるんだよ。
俺と殺し合いの喧嘩するか貴様(764は俺じゃないが、てめえの口の利き方の悪さに
とにかく腹が立つんだよ! >>501
もてめえだろ!) >>779
コイツが目の前にいたら顔面を割ってやる!‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 阪神だけはダメだろうな
星野が害悪人材を一掃できたと思ったら退陣と共に
ゴキブリみたいにわいて戻ってきた
鶴岡もそれが分かってたからお断りしたんだろうし根本のアンテナならそれを察してるはず >>783
おーん、そらそうよ。西本御大も年齢が理由で断ったが本音はそこやろな。 >>784
西本さんなんて何十年もずーっとじいちゃんだったもんなw
理由としては弱い 根本位の情報ネットワーク、人脈あれば阪神の体質とか承知済では?
というか田淵トレードで散々煮え汁吞まされたから余計嫌だろ。 >>782
悔しいのうwww
一発で返り討ちに合いそうなネット弁慶www >>769
まあバッティング見たら「もういい」
となるだろな
素人以下のセンスだわ 西本さんは60かそれくらいで、見事なおじいちゃんの面相だったが、今の監督は
当時の西本さん以上の年齢を超えても風貌が若々しいのには驚かされる。 魚から肉の食生活になって血管もも丈夫になって皮膚も若々しくなった。
しかし逆に癌や動脈硬化の成人病が急増した。 根本さんが阪神のGMになったら確実に読売の根本潰しに遭うかも 阪神から実際にヘッドコーチのオファーがあったと思う。 田尾安氏は2年しか西武にいなかったとは。
根本氏にお願いして西武から出して貰ったと。
森監督と反りが合わなかったということで。
行った先の阪神でパッとしなかった。87年の阪神の開幕スタメン見たら、かなり
強そうに見えたが。 前年はバース2度目の三冠王でチーム3位
掛布も今年は復活するだろうし田尾もセに戻ってまた活躍するだろう
なんて希望が持てた最後の頃だな 阪神ファンじゃない俺でもそれぐらいには 掛布雅之がまだ32歳のシーズン。
老け込むにはまだ早いが衰えが顕著になった年。
85年からまだ2年しか経っていないというのに。呆然となった。 ベースボールマガジンの森西武特集で森監督が根本は小山を招聘したって言ってたけど根本と小山はどういう接点があったの?
杉下の招聘も根本が絡んでるの? >797
朝日放送の解説時代に一緒だね。まあ、あのクラスになると各々の人脈は広そうだが。
小山を放り込まれた現場は重鎮だけに扱いに苦慮したらしい。結局ダイエーに連れてったけど。 外木場の剛球を頭部に直撃して昏倒する田淵幸一。
戦慄のシーンを目の当たりにして、広島監督の根本陸夫は動揺しただろうか。 「外木場のやつ… おい いちおうソトバも用意しとけ」 外木場は根本陸夫が育てたと言っても過言ではない。
しかし、その前の監督に見る目がなかった。 >>496
二軍で不貞腐れて牢名主だったのを知ってたしな、
堤オーナーのお気に入りだからトレードで出せなかったし フロントに嫌われて中日を出されてしまった田尾。
見た目はさわやかイケメンなのに。 東海地区の子供や女性の大スターだったのにあんな扱いしたからな
田尾は西武では期待には応えられなかったけど
0-10かなんかで負けてた試合の最後にソロHR打ったら球団が
「夏休みの試合、君のHRが無かったらお客様に何も出来ずに終わるとこだった」
と言って金一封を渡してきたのを見て
「選手をやる気にさせる組織というのはこういうことなんだ」
って思ったと言ってたな 田尾はどこの球団でもフロントや首脳陣と揉めてただろうな
世渡りってものを一切考えない人間だから 外木場は根本氏の前の監督に冷遇されていたのを全く知らない808だった。 田尾にせよ外木場にせよそういう選手は
「上手くおだてて飼い慣らして」実力を出させる監督か
不満分子とみなして冷遇する監督かでめちゃくちゃ変わってくるわな 古葉竹識氏は僅かに根本監督時代にプレイしている。
81年は古葉監督に山内監督に、上田監督も復帰して
香ばしいメンバーが集まっていた。 >>810
野村が回想していたが
門田、江本、江夏の面倒臭さに比べれば
山崎武司なんて扱いやすい部類だったそうだ >>809
お前は根本本の受け売りじゃん
根本本読んだ感想垂れ流しスレとか何の意味があるのか https://gendai.media/articles/-/94988?page3
ちゃんと貼れてるかな?
二宮清純氏が書いた記事。根本陸夫伝とかいうのは全然関係ないが。 >>815
二宮清純氏は「根本陸夫伝」の作者なんですか? >>815
恥ずかしい奴だな。お前は。
てか、お前、異常に根本陸夫伝に粘着している理由はなんなの?
いいじゃん。ネタが何だって。それにいちいちケチ付けるお前の人間性が最悪だってことだよ。分かる? 根本陸夫伝・・・・・・高橋安幸著。
久しぶりに読み返してみよう。外木場義郎に関する記述もあったと思う。 根本陸夫伝だと99ページから101ページあたりに外木場義郎のことが書かれている。 >>815
お願いです。貴殿は速やかに引退してください。
「死ね」とまでは言いません。
貴殿がいることで場の雰囲気が壊れるのです。
学校でも職場でも居るでしょう?
場の雰囲気を壊して村八分にされてしまう人が。
貴殿は、まさにそれです。
貴殿は正直なところ生きている価値がありません。 >>815 >>826
アンタに対してアク禁依頼を出しておいた。
安心して逝ってくれ。 「根本陸夫伝」はこんな感じの内容やったかな。
証言1:セ・パ両リーグ日本一監督に引導を渡した男(証言者:広岡達朗)
証言2:大学進学志望の九州の大器を急転入団させた男(証言者:秋山幸二)
証言3:熊本工業から埼玉の高校に転校させて囲い込んだ男(証言者:伊東勤)
証言4:カープが天下を取るための計画を立てていた男(証言者:山本浩二)
証言5:母親が営む店にダイエーに出店させる権利を与えた男(証言者:小久保裕紀)
証言6:「あの程度ではエースとは言えない」と言い放った男(証言者:東尾修)
証言7:ONOフーズ所属の隠し球選手をドラフト1位で指名した男(証言者:森山良二)
証言8:兄弟セットで西武入団を実現させた男(証言者:松沼博久)
証言9:移籍志願を受け入れて阪神にトレードに出した男(証言者:田尾安志)
証言10:『下柳は壊れん』と投手コーチを説得した男(証言者:権藤博) 「根本陸夫伝」は、こんな感じの内容やったかな。
証言11:大出血覚悟でトレードを実行した男(証言者:真弓明信)
証言12:ダイエー監督になっても「部長」と呼び続けられた男(証言者:内山智之)
証言13:「いたずらをして」ドラフト制度を変えてしまった男(証言者:城島健司)
証言14:「根本さんは西武に合っている」とオーナーに言わしめた男(証言者:堤義明)
証言15:「勝つ気ないだろ、あの人」とオーナー代行をイライラさせた男(証言者:中内正)
証言16:3対3の大型トレードを仕掛けた男(証言者:森祇晶)
証言17:「西武に行けば15勝は出来る」とエースを放出した男(証言者:村田勝喜)
証言18:「完治したかどうかは調査済み」と言い放った男(証言者:渡辺智男)
証言19:「お前を退寮させると社会の迷惑だ」と言い放った男(証言者:清原和博)
証言20:「落合、お前はゆくゆくは監督になる」と言っていた男(証言者:落合博満)
作者は二宮清純氏やったかな。 >>828
逆ギレキチガイ
「根本本の内容を垂れ流すスレ」でも立ててろ
自己完結してるだけで何の面白さもねえんだよ
こういう掲示板はテーマに基づいた議論があるから面白いんだよ 根本陸夫伝か。ブックオフにもあったな。永谷脩さんだったかな。 江夏⇔江本 のめんどくさい人同士の交換。毒をもって毒を制す感じがして、いい。
ただエモやんは親しみやすい。
法政大学時代、気に食わない先輩のラーメンに、同じ感情を持つ同期同士で
「やるか?」と二人して、唾をぺっ、ぺっ。
その後、「どうぞ」と先輩にラーメンを差し出し、
「おお」とか言いながら先輩がラーメンをツルツル。
ところが半分ほど食べたところで
「おい○○。残りを食え」と命令。
江本氏のツバ入りラーメンを黙々と食べる同僚。 3対3トレードの主軸・秋山幸二は森監督との確執でトレード要員にされたと思っていたが
森監督は否定。
秋山の家庭事情だと強調。
「仮に確執が原因だとしてもそのような理由で選手を放出するほど私は単細胞ではない」と。
秋山と佐々木誠の1対1トレードが水面下で進められていたが、もっと大型トレードに
しましょう、という具合になった。
森監督が村田勝喜を所望すると根本さんはすかさず渡辺智男と内山智之を要求してきた。
秋山幸二⇔佐々木誠の1対1と、村田勝喜⇔渡辺智男+内山智之の1対2の合計2対3で
成立しかけたが、バランスを取る意味で西武が橋本武広を貰い受けた。
と、森監督は語っていたが、真相はどうだったか。
このトレードはダイエーのエースを貰い受けた西武が得をしたと見る向きが多いように
感じたが、村田は西武で急速に失速。橋本は意外に新天地で活躍した。 FA前だという事と離婚問題で秋山が誠意を見せなかった事が問題にはなっていた。
そういう事で怒るとしたら森さんではなく寧ろ広岡さんw
やはりフロントとの問題だろう。トレード要員にされてしまった。 森は野村並みに虚言癖がある人間だから注意
巨人監督になる気なんか一切なかったと断言してたが
実際はやる気満々で黒江にコーチ依頼したり、張本にも依頼したり
最近黒江が暴露してたわ 森監督がベイスターズで失速してしまった理由はなんだろう?
一応5年連続でAクラス(5年目のAクラスは森監督)だった奇跡的に上位だった
横浜がいきなり2002年にダントツ最下位。
権藤監督最終年の2000年の時点で少し苦しいチームになった(大魔神がもういない)
とは感じたが。
あと2002年のペナント直前に
「最下位? そんなもんベイスターズに決まっているでしょう!」
と断言したOBがいた。名前が伏せてあったので誰なのか分からない。
なんとなく平松政次氏ではないかと想像した(結構ズケズケ言うタイプ)。
このOBの予想通りだったのだが、ここからのベイスターズの長期低迷は、球団の身売り
問題もあって、ちょっと切なかった。 森はモータースポーツで言えば一番強いチームの圧倒的に速いマシンに乗っていたから
チャンピオンをとれたドライバ―の様なもんだと思う
むしろあの戦力で1988年に近鉄に追いつかれて1989年に近鉄に優勝されたのが問題だわ 森監督は徳川家康タイプだと思っていた。
好きな言葉は「忍」
心に刃を乗せる、これは大変なことですよ、と言われたそうな。
いかにも徳川家康が好みそうな言葉でもある。
しかし実態は徳川秀忠タイプだったのでは。
先人に与えられた遺産を継承するのは得意ということで。 >>843
時代はうんと下るが
「紀州の貯金箱」吉宗タイプじゃないか 「岐阜の貯金箱」が人生初の最下位を体験して去って行った。
ま、それも貴重な経験と思えば、なんてことない。
関根潤三さんなんて、最下位は現役時代にイヤという程体験したから、蚊の屁ほどのダメージ
しか受けないで済む。巨人ヘッドコーチとしても最下位を経験。
日本一は生涯1度だけ体験。 >>845
「岐阜の貯金箱」なんて実際は言われてねえからw 高校野球で監督がグラウンドに出て抗議出来るように制度を変えて欲しい。
根本陸夫氏みたいな人相の監督を探しているが、なかなかお目に掛かれない。 西谷がベビースターボリボリねちょねちょかじりながら出てきたら
それはそれで威圧感が出るのではないか 秋山に限らずあの頃の西武って清原以外の主力選手を冷遇していたので。
結局は清原にも逃げられてしまう始末。
最後に笘篠がキレたのが象徴的。 「やりたければどうぞ」と言われて辞めていたら90年は誰が指揮していたか興味ある。 >>846
だいたいスポーツ選手の異名なんてそんなもんだろ マスコミとの付き合い方の上手い人は負けが混んでも叩かれない。
根本陸夫、中畑清、新庄剛志が該当する。 根本氏は別としてまあプロ野球選手で考えて付き合い方が出来るほどの頭がある人なんて
まずいないし結局は性格の地の面が大きいわな >>852
森も当初は田淵までの繋ぎだなんて言われてたけど、あのタイミングだと既にダイエーの監督に決まってたかな >>853
違うな
「八時半の男」とかは名実共にはまってたベストフレーズだろ まあ「貯金箱」は揶揄・陰口で「八時半」はキャッチフレーズという違いがあるわな
「さあジャイアンツのチャンス!ここでバッターは岐阜の貯金箱・森です!」
なんてことはないわけで 門限破りの衣笠祥雄は「3時半の男」と呼ばれていたら味わい深いところだった。
しかしそこに待ち受けていた人がいて……… >>858
全然意味分かってないな
八時半の男と違って岐阜の貯金箱はネーミングセンスが酷い
ただそれだけ 福岡県代表・九州国際大付の楠城徹監督は根本さんの薫陶を受けた直系の弟子。元捕手。
ライオンズOBでスカウトを務めていた。
実はドカベン・プロ野球編にも登場している。 >>860
あほくさ お前の独善的な感想などしったことかよ
どんな形にしろあったってことだよ
だいたい「なかった」と言いきったかと思えば
センスがひどいとかご都合主義にもほどがあるわw >>862
アホはお前
何故ノーセンスなのか教えてやるわ
「岐阜の貯金箱」
こんなの「岐阜」である必然性が皆無だからダサいんだよ
「三重の貯金箱」「大阪の貯金箱」
出身都道府県でいくらでも汎用で使えるし全く無意味
お前は知らんだろうが、
球界で実際に使われてる森のアダ名の方が遥かにレベル高いわw >>863
はあ そうですか
ただ「貯金箱」って野球選手にはおよそ似つかわしくないワードに面白味を感じる人もいるわけであってさ
そこにちょいと出身地を加えて味つけしただけでしょ 必然性もなにも
だからどんな形であれ俺が昭和の頃幼少の砌に聞いたフレーズが生き残ってんのよ
だいたい「そんなのない」から「センスない」に入れ替わってるのに気づかない?
明日デイサービスじゃないの?こんな時間まで起きてて大丈夫? >>864
>明日デイサービス
自己紹介www
反論できないとつまらん煽りしかできないと はいはい自己紹介ねw 陳腐極まりないですな ねえ反論て言葉の意味わかる?
ねえねえ「存在しない」がどうして「センスない」にすりかわったの?
なんとかがんばってくださいよお 元気でいてよお おじいちゃん
俺はおっさんの若造だけどさ
しっかし「貯金箱」がここまで都合悪いひとも見たことないな
そうか 自分がブタの貯金箱だからシンパシー感じてるのねw おやすみ おっと ネモさんが無言でにらんでる姿が目に浮かんだよ すみません
皆様にもすみませんね
あんたもさ >>865みたいなほとんど何も言ってないに等しい無意味なクズレスするぐらいならもう寝ましょ
俺は休暇だけど6時に起きて息子の面倒見なくちゃいけないから グッナイ >>854
仙一とノムさんも上手かった
堀内とか落合はなんか暗いからなW ノムさんと言えば板東英二がノムさんの解説者時代に、根暗の四天王に名前を
挙げていた。
あとの3人を忘れたがノムさんの名前は記憶にある。
「ラジオで4人でやってみ。気分が暗くなって自殺するものが出てくるわ」
と書かれていた。
「プロ野球知らなきゃ損する」とかいうタイトルの本だったと思う。 坂東さんってああ見えて結構ずけずけ言う人なんだけどどこか憎めないw 板東氏の本は3冊読んだ。
「やたら派手な中畑弁当、手抜きの江川弁当、良く冷えた広岡ビールなんて売ったら
いいと思いますわ」
「駒田なんて50年に一度だけ大選手を育てる荒川さんに捕まってしまって、じゃなくて
見染められてしまって大変ですわ」
「そりゃあ、この場面ではドーンといかないかん。ドーンと行け新浦!
そらアンタ(カネやん)ならドーンと行けば抑えられたでしょう。でもこんなんは解説や
ないとボクは思いますわ。小学生でもこのくらいは言えますわ」
「このチームで『3年B組王先生』いう番組が出来ますわ。肩からカバンを提げて真面目に
学校に通う級長の西本聖。コイツなぜかクラスで煙たがられているんですわ。
そうそう、あと一人可哀想なのがおった。勝手に家庭教師を付けられて、しかもその家庭教師が
かえって足を引っ張るもんやから悩みまくってる駒田徳広ですわ」
選手には割と優しい目線で書いている一方、金田・広岡・森昌彦(祇晶)あたりはボロクソ。
広岡氏のことは性格的に毛嫌いしていると分かる。板東本を読むと江本孟紀氏あたりは
遥かにおとなしい人だと分かる。 >>866
「貯金箱」がクスリともしないほどつまらないんだよ
わからないのおじいさん? 坂東の本は正直江本の二番煎じだけどあれはあれで面白かった
星野のことは「あれほど現役時代に練習しなかった選手も珍しい
まともに練習していたら200勝していたはずや
練習しなかった人ほど監督になると「練習しろ」と言い出すんや」
落合が星野について似たようなことを言ったからそういうのって語り継がれるんだろうな
あと「野球選手なんてなるもんやない。契約金をもらったら2,3年で転職するのが
一番利口や」とも書いていた
それを実践して西鉄を激怒させたのがジャンボ尾崎だな >>874
板東英二の本はふかしまくってらから鵜呑みにしない方がいい
同期で犬猿の仲だった河村保彦からは抗議されている
後年「赤い手」というゴーストライターに書かせた自伝的小説にも河村とおぼしき同期の投手が出てくるが、
他の選手はみんな実名なのに、
このキャラだけは仮名にしている
「あいつはガチで抗議してくるから…」
仮名にしたんだろう
星野にしても散々ディスってたのに、阪神監督になったら手のひら返しですりよってきたんだから >>872
さすが朝が早いねw
そんな呼び方ない、がどうしてつまらないにすり替わったの?
って簡単な問いも理解できず 同じことを何度も何度も繰り返すしかないんだね
典型的なアレか…
いや 俺も死んだ父や姑がそうだったからわかるんだ
もうムリしなくていいよ ホラそろそろお迎えが来るから支度しなよ
どっち方面から来るかはわからんけど >>876
「岐阜の貯金箱」の圧倒的つまらなさがわからん時点でお前は真性のアホw
長嶋を始め実際に球界で言われてる森の仇名は「森金」。
これは「成金」とかけているので、
秀逸で辛辣なネーミングセンス。
これに比べたらいかに「貯金箱」が稚拙、幼稚かわかるだろw
あっ、お前はアホだからわからんよなwww. >勝手に家庭教師を付けられて、しかもその家庭教師が
かえって足を引っ張るもんやから悩みまくってる駒田徳広
これほんとぴったりだなw
でも今でもこのパターン多いんだよね
身体が大きいから長距離打者と勝手に判断されて本来の能力を狂わされるの >>877
ねえ、お迎えが玄関で困り果ててるよ?
俺はネットで絡まれるぐらいだけど
現実に人様に迷惑かけちゃだめでしょう
そんなんじゃ預かれませんて言われて今度は家族に迷惑がかかるよ
… あっ 家族いなかった?
俺はもう子どもプールに連れて行くから
周りの言うことを素直によくきくんだよ じゃっ >>876
>さすが朝が早いねw
毎度お馴染み自己紹介w
夏は体内時計が夏時間になるので、
小学生の時から朝は早かったが?
「夏休みの宿題は朝しなさい」って言われなかった?
あっ、宿題やらないとお前みたいな下流老人になるんだwww >>879
さっさとお迎えの車に乗ってこのスレに二度と来ないで下さいw 「岐阜の貯金箱」
渡辺秀武の「メリーちゃん」、
酒豪永渕(笑)
この3つが球界ワーストのネーミングだな
貯金箱はネーミングセンス、
下の2つは取材不足が酷い 酒豪かどうかは知らないがアマ時代に返済不可能なくらい飲み屋のツケがたまってたのは本人も認めてるわな
それを契約金で返済したのも含めて >>884
野球もののムックで暴露されていたが、
永渕は酒好きなだけで酒豪でも何でもなかったとさ
野球界の酒豪番付けなら幕下に入らないレベル
素人なら酒弱いけど酒好きみたいな奴はいるが、
野球界は飲める人はたいてい底なしだから、永渕みたいなタイプは珍しいらしい 板東英二って凄い人だと思う。甲子園の奪三振記録83は未だに誰も破られていない。
身長は169センチと小柄でも馬力があって見るからにタフ。徳島商対魚津の延長18回引き分け再試合は是非
一度見たいと思う。 >>888
野球馬鹿が多いプロ野球界で司会 俳優挙げ句に歌までこなすマルチタレントだったからな
パンチや元木が束になっても敵わない相手 ベストセラー作家に、助演男優賞獲得の俳優、視聴率30パーセント獲得のテレビ番組司会、日本放送演芸大賞 最優秀ホープ賞
高校野球の奪三振記録持ってる人がここまでマルチに活躍されちゃ 「燃えよドラゴンズ」を歌っているのも板東英二氏。
「♪1番種田が塁に出て、2番立浪ヒットエンドラン。3番パウエル・タイムリー、4番落合ホームラン。いいぞ頑張れドラゴンズ。燃えよドラゴンズ♪」
4番落合ホームランのところと終盤の「♪モリミチ監督の胴上げだ♪」の箇所のところ、カラオケで歌ったらウケた。 板東英二は高校野球についてはガチな話しかしないからな
味方のサードが卓球部から集めたやつだったのに
甲子園に出たことで六大学から誘いが来たって話はほんと
昔は何も調査とかしてなかったんだなと思った >>892
大嘘
板東英二が歌ったのは最初の1974年バージョンだけ 1980年代板東が出したベストセラー本の中身詳しく調べたことあるけど
ネタだらけ嘘だらけだよ。昔は嘘書いても許された 板東英二は高校時代、喉の渇きに耐えかねて、ボールを拾いに行くふりをして近くを流れる川の水を飲んだ。
吉野川の支流だったが海に近く、しょっぱかったとのこと。水分と塩分の補給で熱中症対策バッチリ。
「水を飲んではいかん」とアホな教育をしていた昔の人間は責任をとって切腹すべきだ。 >>894
そんなわけないじゃん
話を盛らない作らないタレントなんていないよ 板東英二が高野連のことをボロクソに言っていたのはガチ。
それは分かる。昔の高野連は「連帯責任」の名のもとに「出場辞退」に追い込む
悪質極まりない組織だった。野球部に関係のない不祥事でも野球部が何故か責任を
取らされたことすらあった。
佐伯達夫が会長の時が最悪だった。早いうちに革命を起こしてコイツを放逐すべき
だった。
血も涙もない佐伯を知ってしまったから、今の高野連は100倍マシな組織に思えてくる。 根本陸夫さんはどういうエピソードを持っている人なのか以前は全く知らなかった。
江本氏や板東氏の本にも根本氏のことは語られていない筈。
それだけ表舞台には出てこない人だった。
西武時代に裏技を色々と駆使しているがそれだって「西武が・・・・・」という言い方で
「根本陸夫が・・・・・」という表現ではなかった。
「球界の寝業師」というキャッチフレーズが定着したのは恐らくダイエーに移った93年
あたりからではないかと思う。3対3の大型トレードの仕掛け人として、裏舞台の人から
扱いが変わって行ったような気がする。
忘れた頃に根本陸夫登場と共に900ゲット。900草原は素晴らしい所。 板東英二の人間関係図について、とかいうスレがあったら面白そう 根本さんとは違った意味で人脈(金脈?)凄いもんなあ 板東英二は1940年4月5日生まれとなっているが実は1940年の3月生まれ
3月30日くらいが本当の誕生日だったと記憶している。 関根潤三さんは本当は大正15年生まれだが、昭和2年3月生まれになっている。
根本陸夫氏とは同い年ではあるが。 関根潤三氏の人間関係図はなかなかに多彩。
大洋時代は「恩人」と慕っている人は複数存在する。
平松正次に遠藤一彦に高木豊。あと誰かいるかなあ。 >>386
流れを追って行くとあなたのほうが正しいですな 広岡さんが根本さんの悪口をつべで言いまくってる
根本はあいつは悪い奴だとトンでもない口調で叩いているが。
もう何を言っても許される歳にはなったのかなとも90歳だしね。 殿堂板って「亀レス」(もはやこれも死語だが)が見られる数少ない板だな >>910
そういうところが広岡さん、ダメですね。
どこの球団でも円満退団したことがないです。 遡れば78年後期のクラウンライターも終盤10連敗で万事休す。
それまで5割。あれは堪えた。
でも選手層がそれだけ、という事だった。
盆明けから急に冬という感じ。
80年末にその時のメンバーが10人ちょっとというのも根本のシビアさを感じる。 数日前のスポニチに松原誠さんが守備のことで悩んでいて藁をもつかむ思いで
阪神の吉田義男さんにアドバイスを求めたと書いてあった。
敵チームの選手にアドバイスを求める私も私だが吉田さんはビックリするほど
懇切丁寧に教えてくれた、と感謝している。
吉田さんは大洋の選手のゴロの捕り方の欠点についても指摘してくれたとか。
山内一弘さんそうだが職人肌の人は頼られると一肌脱いであげよう、と考えるらしい。
吉田さんの意外な好人物ぶりを垣間見たよ言うな気がして「ほのぼの」とさせられた。
「岐阜の貯金箱」と異名をとる森さんの「実はいい人」エピソードがあったら知りたい。 >>921
>なるほど
自画自賛www
ギャグかアホ 西武の監督の時に、例えば79年のオフに南海あたりとほぼ9割の人間をトレードで入れ替えるとか、画策しても文句は出なかった筈。 西武退任時は約半分の入れ替えに成功したから、やっぱり有能でしょう。 >>918
春キャンプでもっとシゴいてスタミナつけさせないと。 西武時代は広島の時の鬼監督ぶりとは180度転換したが別の意味で鬼だった(選手の大量入れ替え)。 >>896
根本陸夫氏のことは全く書かれていなかったように記憶している。 >>259
広岡、いかにも長男然とした感じなんだがなw 意外だが広岡氏は兄弟でプロ野球選手。兄がカープ所属。
川藤幸三氏も兄が巨人に在籍していた(プロ通算2勝)
西本聖投手の兄が元広島。
探せば兄弟でプロ野球選手のケースがもっとあるかも。 西武はポッチャリ体型のスラッガーが案外好みのような感じ >>932
川上哲治さんは長男。森祇晶さんは中間子。広岡さんが末っ子なのは、何かの対談で聞き手の人にも
「意外ですね」と言われていましたね。 王さんにせよイチローにせよ大谷にせよ偉業を成し遂げるのは次男坊。
相撲では貴乃花とか。朝青龍もそう。
自由奔放にやれるのがどうも一つのカギのよう 将棋の藤井聡太もそう。
ひと頃は兄型(長子)は本塁打王に全くなれなかった。
中間子(上と下に兄弟がいる)も中西太、掛布雅之、秋山幸二の各氏のような、下に一人だけ兄弟がいる末っ子に近いキャラが本塁打王経験があるが、そのくらい
しか浮かばない。
今は中間子のヤクルト・村上が大当たりだが、末弟がプロ入りしたら「村上兄」という具合に表記される
ようになるだろう。 >>255
西武の合宿所に並んだある日のメニューは、玄米チャーハンに玄米パン。鳩麦コロッケに卯の花ハンバーグなど。 次男が強いのは年の近い兄貴が
スポーツでもゲームでも本気で相手するからと言われるね
父親は子供相手だとどうしても手加減するし
子供もそれがわかるから甘くなる 姉のいる弟型(下にはきょうだいがいない)だと、性格は穏やかで優しくなるケースが
多いそうだけど、勝負事には兄のいる弟型より不利みたい。
なんとなく存在感が薄くなってしまうのだとか。
畑田国男さん(←字が違うかも)という人が言っていた。
該当する姉がいる弟型の代表例は斎藤雅樹に前田智徳。なるほど、「いい人」感はあるなあ。
ところで根本さんて、一人っ子だったのだろうか・・・・・
関根さんは兄がいることは分かっているが。 関根潤三伝を根本陸夫伝の作者に書いて欲しいですな。 >>906
長崎慶一も大洋球団には愛憎があるが、関根には足を向けて寝れないくらい感謝してるだろう。後、ヤクルト時代の教え子になるが、ギャオス内藤と笘篠弟も抜擢された事に感謝してる。その反面、外面の良さとは対照的に内なる怖さも身にしみてるようだが。 82年首位打者の長崎慶一だが、その影で最終戦5打席連続敬遠の田尾安志が大きく
出塁率を跳ね上げ、最高出塁率のタイトルをひっそりと獲得していた。
たぶん誰も「おめでとう」などと祝福してない。 >>951
関根が首位打者、近藤が優勝をかかえて
「じゃ、これで商談成立ですな」とニコニコ握手
後ろで田尾が最高出塁率を見ながらヒザをかかえてイジけている…
てなマンガ思い出した アレは談合通り越して正しく商談でしたな ヤクルトの関根監督と広島の衣笠祥雄が談笑している写真を見たことがあるが、衣笠祥雄の現役最終年+国民栄誉賞受賞年
だったと今にして思う。その年以外に考えられない。
衣笠氏を引き上げてくれた恩人の一人。75年の時はホームランを打った時に巨人の関根ヘッドコーチに
見せつけるように大回りしてアピール。
関根さんのその時のリアクションを見たかった。 75年は赤ヘルブームの年で山本浩二が一流の域に達した年。
関根さんは翌年巨人の2軍監督に配置転換。中畑・西本らと接点を持った。
指導者としては直接の優勝には全く縁がなかったが、1周回ってから教え子たちが
大ブレイクするのが関根さんの特徴。
根本さんとは指導者としても似た者同士の親友だったと今にして思う。 根本管理部長元年&西武日本一の年の82年は巨人OBが複数人監督を務めていた。
ヤクルトの武上監督ものちに巨人打撃コーチに就任。
根本管理部長が「これからは巨人の野球だ」と考え、巨人の遺伝子を持つ人が指導者に必要だ、と言って
いたようだが、なるほどと感じる。 豊田泰光氏は週刊ベースボール誌上の「オレが許さん!」というコーナーで、大学進学志望の城島健司を
強行指名したダイエーを、というより根本陸夫氏を非難していた。
「なんでワンちゃんの顔に泥を塗るようなことをするの?」とのたまっていたが、そうかなぁ、ひょっとしたら根本陸夫氏の知らない所で決まった話かも
知れないし、根本陸夫氏をワルモノにするのは間違い
ではないかなぁ、と思いながら読んでいた。
城島健司強行指名がワンちゃんの顔に泥を塗る行為だと言うのならば、78年秋の「空白の一日+ドラフト・ボイコット」などは、さしずめ「ミスターの顔にうんこを塗る行為」という印象を拭い去ることは出来ない。
94年のダイエー(根本陸夫!?)のやったことなど「カワイイ」としか言い様がない行為であり、拒否権は城島健司のほうにあるのだから、
こんなことで非難するほうが間違っているのである。 田尾の敬遠は巨人ファンのせめてもの慰めだったので。
試合は中日のワンサイドゲームで巨人の優勝は絶望的な状況だったので田尾に
打たせたいという気分に茶の間の人達がなっていなかったのが長崎には幸いした。 胴上げされている近藤監督の帽子を何者かが、かっぱらった。とんでもないことである。反省して欲しい。 82年度版の「燃えよドラゴンズ」が好き。
1番田尾が塁に出て、2番平野が送りバント。
3番モッカがタイムリー、4番矢沢がホームラン。 小関順二という人は各地区の有力選手のリストを色々な球団に送り付けたが西武だけ反応があった。
「どうもわざわざご丁寧にありがとうございます。是非参考にさせていただきます」と丁重に礼状を送ってきたという。
毒島というスカウトだった。
「それ以来、西武のファンになりました」と語っていた。
毒島氏は根本陸夫氏の影響を強く受けたスカウト。 伊良部は野茂英雄VS草魂の確執を見て、上層部と揉め事を起こしたほうが自分の自由に行きたい球団を選択
出来ると閃いたんじゃないですかねえ。
広岡GMにとっては大誤算でしたね🤗
根本陸夫氏がロッテGMならば上手く立ち回って伊良部を懐柔して、そもそも揉め事にはならなかったでしょうね🤗 >>964
恐らくそれは根本が全国で乗ったタクシー運転手に1万円と名刺渡して
「地元で有望な選手の情報があったら教えてくれ」
っていう作戦と同じと思ったからだろうな 西武のGM的な立場に立つ渡辺久信氏は若い頃からの彼とは随分とイメージが違って見える。
色々と大変だとは思うが頑張って欲しい。 デーブはあいつはGMに向いてるよ
押しが強いからねw 高校野球もGM制度を活用すると良い。
横浜高校・愛甲猛GMとか。 根本陸夫氏と関根潤三氏の共通の母校・日大三高は二人の在学時とは異なり、
町田市に校舎がある。神奈川県にサンドイッチにされた地形で、思いのほか
のどかな光景。鶴見川という川の源流部に近い。
この川はかつては全国ワースト3になったくらいに汚い川であったが、現在は
水質が随分改善された。源流部の水は綺麗で、煮沸すれば飲めるくらいの状態。
横浜線の渕野辺(神奈川県相模原市)という駅が最寄。76年夏に全国優勝した
桜美林も最寄り駅は渕野辺で、こちらのほうが駅に近く、本当に神奈川に近い
ことを実感させられる。 カツノリは異父兄が二人居ることは知っていたが異母兄も一人いたことをつい最近知った。
ノムさんが生前どうしても先妻との間に生まれた実子を異母弟に引き合わせたかったが、克則に対しては
後ろめたい感情があって克則の嫁さんにこっそり相談していた。
「克則さんももう、いい年ですし、大丈夫ですよ」と嫁さんが言ってくれたらしい。素晴らしい嫁さんだ。
克則は選手としてはたいしたことはなかったが嫁さん選びでは100点満点だったと絶賛したい。
一男一女に恵まれたが娘さんが始球式に出てきた時に余りにも祖父と父親に似ていたので息を呑んだ。
陽気な感じもあり、そこは祖父に似ず父親に似たのだろう。ややこしい親の元に生まれたが克則は性格は
立派な男である。克也&沙知代夫妻は、子育ては成功
したと言えるだろうか。 カツノリ嫁は堀越の同級生だったらしいから、政略なしがよかったのか。
地元の人ならわかるが、桜美林はまだ少しは駅に近くて開けた平地だけど、日大三は山の中
という印象で徒歩では無理。
高校野球でGMというと、原父が晩年に名誉職として東海大グループ野球部顧問みたいのに就いてた。
上原がプロ入りの時に東海大系列高校出身ということで手をまわしたとかの噂があった。 >>972
淵野辺ってーと 相模原市役所の高木由一職員だな 2007年の東海大相模は原貢が余計な現場介入をしなければ東海大相模が甲子園に行けたと
今でも思っている。史上初めて異なる高校を率いて全国優勝をした監督(三池工業と
東海大相模)という偉大な功績はあるが、しゃしゃり出過ぎた。
疲弊している自分の孫に投げ込みを指令して、さらに疲弊させてしまった。
せっかく横浜に久々に勝ったのに絶好の好機を生かせなかった。
桐光学園が神奈川代表になったのだが、準々決勝で3回を終わって11−0の試合を
最後は11−10まで追い込まれ逃げ切った試合で「全国では通用しない」と先読み
出来た。
権力者が現場介入してダメにしたケースでは97年夏のY校もそう。
この時は校長(83年春夏甲子園準優勝の時の監督)が現場介入して、監督と冷戦状態に
なり、監督が解任に追い込まれた(父母会は圧倒的に解任された監督のほうを支持)。 根本さんは現場介入しなかった。西武でもダイエーでも。 根本陸夫コミッショナーとなっていても適応出来たと思う。 NPBコミッショナーは政界と官界とのパイプのある人でないと厳しいかなとも。
ピーター・ユベロスは商業五輪を成功させたけどMLBコミッショナーとしては
組織運営の社会主義化に益々拍車がかかっただけだった。いっその事トランプが
MLBコミッショナーやれば変わるかもよ。 日本で言えば渡辺恒雄コミッショナーとか。
案外そうなったら他に気を遣うかも。 この板はピーコとかジョイナスとか独特の用語があるみたいだけど
誰のことを指しているのかよく分からない・・・・・・ >>983
ピーコ:山本浩二(黄色サングラス)
>>982
ナベツネは駄目やろ。未だに讀賣の人間やろ。
大正力さえコミッショナーしてないのにナベツネごときが。 >>250
確かに采配はダメだけど問題児を上手くコントロール出来る能力は大沢親分には備わっている。
伊良部も大沢親分とのコンビだったら良かったのに、と思うことも。 >>985
確かに江夏の処遇とか見てもそんな感じはあるな。大沢さんは選手としては大したことはないし、監督としても凄いというほどでもないが、胆力みたいなものが違うんだろうな。 >>985
確かに江夏の処遇とか見てもそんな感じはあるな。大沢さんは選手としては大したことはないし、監督としても凄いというほどでもないが、胆力みたいなものが違うんだろうな。 川渕さんがNPBコミッショナーになったらオーナー会は大反発必至w サッカーの世界でもクラブの会長より連盟のトップが偉いとかありえないからな >>486
広島監督時代に上田コーチとちょっと揉めたと聞きました。 嫌いな人から誘われてもそれでも上田さんが前向きになったのはそれだけ魅力の
あるチームだったという事。長嶋さんさえも心動くかもしれないと思って長さん
にも声を掛けたんだと思う。 王さんはハンク・アーロンと長年活動していたのとダイエーのインターナショナルな姿勢に
心を打たれた。長嶋さんがどうのではなく巨人という小さい枠からもっと大きな視野で野球を
したかったのだろうと思う。 >>215
根本の個人的な理由もある。
当時、友人と経営していた鉄工所がバブル崩壊の煽りで資金繰りが危なかった、という裏面があった。ダイエー入りしてから確か納税ランクのスポーツ部門でかなり上位に出たはず。
事実、堤の怒りは解けておらず、坂井が西武退団した時に出された功労金が根本の時には出ず、根本自身が交渉して出して貰えた。 結構知らない話が多いなぁ(*´ω`*)ためになる。 根本さんの偉いところは本質的には水と油でも広岡監督の能力の高さは一貫して
評価していたところ。
采配に関しては一度もケチをつけていない筈だ。 おーぷん2ちゃんねる、という掲示板があって、そこにも根本陸夫氏のスレが
野球殿堂板に立っていました。
そちらが居心地が良さそうだから私はそっちに移ります(∩´∀`)∩
スレ立てたのは私ではありませんが。
次スレは「立てたければどうぞ」 このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 96日 1時間 12分 3秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。