門田博光
スレ豚栃木のどこや
殺しに行くからいい加減住所書け 歴代通算本塁打
1位王、2位野村までは出てきても
3位がサラっと出てくる人は、野球ファンでもあまりいない 1988年オフには野球と関係のないテレビ番組でも結構採り上げられていた記憶がある。
奥さんは社会人時代の同僚(事務職)で、明るい性格の人。
門田氏が「字が汚い」などと言っては絡んできたのが馴れ初めだったとか。
同時期のとあるテレビ番組にて、プロ野球選手になった頃の夢として、
「船乗りのように遠征先ごとに女性を作って」という発言は今ならばかなり問題視されたかと。 >>10
担当医が「じゃあ走らなくていいように全部ホームラン打てばいいじゃないですか」
野球シロウトの大胆なひと言ということになってるが
実はすごい野球マニアの門田ファンで
かねてからのホームランへの思いまで知っていての発言だったりして 小学生の頃、燃えプロで門田の存在を知った。
その後に40代入ってからまた大爆発。
素直にすごい人なんだな、と思ったなあ。 オープン戦から5月まで好調で6月からかすみ目症になって不調に陥った86年の映像見ると顔がパンパンで体が太いな
復活した87年以降とは体型が違う 常に文句垂れてるよな。
このおっさんが人を褒めるの聞いたことがない。 今はすっかり人間嫌いになって、人付き合いがほとんど無いって本当? >>18
元々他人を好きになる人物には到底見えない。 景浦とは仲いいんじゃ
正月に家族で景浦のアパートを訪ねてたし
アキレス腱を切ったときは結婚前の景浦夫人が花を 正月に主力の面々が示し合わせることなくあぶの小汚いアパートに次々お年始にくるとか…
新年らしい夢のある話だなあ
あと アキレスから復帰の試合の後にふたりで大虎で飲み明かす…
まではよかったが「いけない!今日はデーゲームだ!」 今でもちょくちょく都内でインタビューは受けてるみたいね やっぱり引退後は現役時代の人脈作りがものをいうんだな
レジェンドでも不遜な態度だった門田、江夏、村田らは冷遇されている
ノムさんが「偉い人間には徹底的にゴマスリせよ」と言っていた意味がよくわかる 最初はそれほどホームランバッターでもなかったよね
現役後半になってから長打力がついてきた印象がある 左と右
鍛錬と放埒
高校時代ホームランゼロと甲子園の大スター
カドとドカ
ここまで正反対だと互いに全く興味がなかったようで
「アイツには期待しとるんや」
「ホンマええ手本がいてます」
なんてセリフが両者からは一切聞こえてこなかった >>31
門田は他人のことを「アイツには期待しとるんや」なんて、死んでも言わないだろうな。
人も褒めるのを聞いたことがない、いつも文句ばっかり言ってるイメージしかない 過去のインタビューでは
「香川はねえ…バッティング技術はええもん持っとった」とほめてるところもあった
「…ただシーズン通してやる体力がね」と続くわけだが 門田は怪我をする前は俊足だったらしいけど、シーズン最高盗塁数は6個が最高なんですけど。
ちなみにシーズン最高盗塁死は6個。
これはどういう事なんですか?
俊足だが、盗塁能力は低かった。
盗塁に対する意欲、意識が低かった。
などですか?
俊足のレギュラー野手でシーズン最高盗塁数が6個て、意味が分かりませんね。 唐突な話題でけど、けど、言われてもなんのこっちゃかわかりませんけど
どういう事なんですかっ!?とか意味がわかりませんねとか誰に言ってんでしょうねw
主軸なんで盗塁求められなかったんだろぐらいしか思わない >>32
香川はなんだかんだ言ってベストナイン取ってるからな
球史に名を残してる ドカについてはもう終わりかけの昭和62年
まだバリバリの村田兆治から2発かましたのを川崎で目の当たりにして
やっぱりこいつただのデブじゃねえ 惜しいな…と思うことしきり
まあそんな思い出のシーンも不摂生の早死にと暴走老人の対決になっちまうわけだが 香川は痩せろ痩せろ言われてたが門田の名前を出せば論破できたのにな 門田さん
「相撲とりと同じですわ パワーをつけるためにとにかく食って鍛える」
ドカ
「そこらのデブと同じですわ 欲望に勝てないためにとにかく食って肥える」
これでどう論派しろというのか 「兆治は8回、9回になってもコントロールが乱れることがなく、球威も落ちなかった。“先発完投”の男で、9回を投げきるのが自分の仕事という考えだった。先発マウンドに上がったが最後、途中降板をしたという記憶がないですね。
マサカリ投法が完成した頃だったと思いますが、僕が兆治の完璧なスライダーをホームランにしたことがあった。それ以来、スライダーは投げてこなくなってフォークとストレートのコンビネーションになった。簡単には打てなくなりましたね。フォークという強力な武器ができると、バッターは常に警戒する。そんな恐怖感を与えるピッチャーになった。フォークを完璧にとらえたのは1回くらいしかなかったね。それもゲームの終盤にボールがヘナヘナとなる頃の話で、それ以外はバットに当たらなかった」 岡田監督には理想の打撃コーチ像がある。
「現役時代に型にはまって打ってきたバッターは指導者に向いてへんのよ。型にはめて教えようとするからな。逆に現役時代に、ある意味、型のなかったバッターの方がええ指導者になる。対応、適応で結果を残してきたバッターは、”センス”の一言で、片づけられるけど、実は、それはちゃうのよ。いろんな引き出しを持っているということなんよ。いざ教える側に立ったときバッターによって個性も違うわけやから、どこを伸ばせばええ、どこを修正すればええ、というのがわかるのよ。大山を教えるのと、佐藤を教えるのを同じ型にはめてもあかんやろ。そういうことよ」
門田が打撃コーチに呼ばれなかった理由が分かる気がする >>42
こういう話を聞くと、岡田はさすが指導者の器だな
現役時代から他の選手への配慮や思いやりがあって、将来よい指導者になる片鱗があったけど、
阪神では最高クラスの指導者だと思う >>47
かねて兵庫・相生市内で療養中だった門田さんは、23日に予定されていた通院治療に現れなかったという。病院から相談を受けた警察官が自宅を訪ねたところ、倒れていた門田さんを見つけた。
https://news.livedoor.com/article/detail/23589255/ 素振りのし過ぎで吐血してたらしいからな
寿命にも影響あるレベルの練習ぶりだった
合掌 >>42
今岡は...あの変態打ちも一種の型ではないのか? 最近、江本がパリーグのレジェンドとの動画をあげているから、
江夏と門田との三人で野村談義をして欲しかった 89年平和台球場でダイエーファンが「死ね死ねカドタァ」と
門田に浴びせていた。
ようやく実現したねw オールスターのファン投票で捕手部門で100票くらい入ってたとの書き込みを見た 門田っていかにもキャッチャー体型だけど、何故外野手登録だったんだ? 渡辺徹のように透析していたらしいから休止って訳では無いよな
透析まで行くと糖尿の末期だし、抵抗力が落ちて感染症にも弱くなるから
今の時期だとインフルエンザ等から敗血症を起こす事もままある むちゃくちゃ食って、むちゃくちゃ振りまくったのよ
「俺に清原の身体があれば・・・」 打撃も性格も豪快な男やった。同学年で付き合いは長かった。現役時代は僕が阪急、門田が南海でパ・リーグでしのぎを削った。オリックスではコーチと選手の関係になった。大阪のABCラジオの専属解説者としてもコンビを組んだ。健康を損なってからは兵庫の山奥に引っ込んでしまい、最後に会ったのは2019年6月のアマ指導の資格回復講習やった。
https://hochi.news/articles/20230124-OHT1T51172.html?page=1 門田が指名を蹴らなきゃ阪急同期か
ブレーブスの歴史もちょっとは変わったかな 入団拒否はクラレにもう一年残る約束してたからで順位が不満だった訳じゃないとか言ってたけど、
真相はついに明かさず逝ってしまいましたねえ... 「おう晋作ひさしぶり ところで野村のおっさんはどこや?」
「え… (あっ 門田さん知らへんのや…)」 ノムさんは生前たとえ天国に行けたとしてもサッチーを追いかけて地獄に行くとまで言ってたしな >>62
死んだら天国も地獄もない無だよ
寝てる時に何も感じないだろ
あの状態
天国とか地獄とか言ってるのは生きてる間に悪いことしないようにするための方便 というか
地獄なんてただの創作だぞ
なんでそんなもん有難がるんだよ
それで一生怯えて暮らすなんて
ハッキリ言ってバカみたいだぞ 宮部みゆきの『火車』では大阪球場での住宅展示場が推理の糸口になるね。 カド、一歳下のお前に先に逝かれて寂しいよ
南海時代から苦労を共にしてきて思い出は数えきれないほどある
俺も長年の大酒がたたり糖尿病で片足切断、両目失明状態だ
すぐにそっちへ行くよ >>60
やはり同期の加藤秀とタイプが被るからな
どっちかは大成せずに終わった可能性が高い ・深いトップ位置
・ボトムハンド側の肩甲骨の外転
・骨盤と体幹の捻転差
・踏み込み脚荷重
お手本にしたいバッター。 江本は野村の死去も門田の死去もサンスポ関係じゃなく江夏の電話で知ったらしい
高橋慶彦は古葉の死去を江夏の電話で知ったという
一体江夏はどういうコネクション持ってるんだ? 門田のバッティングフォームは迫力があったよな
バットを後頭部付近でピタリと高く構え独特のクローズドスタンスとあの一本足打法な 門田の若い頃、アキレス腱を負傷するより前の画像が見たいんだけど
↓は怪我以前?
https://nikkan-spa.jp/1760880/3 アキレス腱切ったのは野村監督がいなくなってからだからそうでしょ >>76
ユニフォーム姿であれば背番号27の写真の殆どは負傷前ですね。 >>78
後年と比べると細いね。
長嶋清幸みたいな体型。 27の時は守備も良かったしね
まだ中距離打者のイメージもあった
富田が出されたのも門田に中心打者のめどがついたからというのもあるかも
新井の時は佐々木誠の台頭 後継者は吉永だったな
その後フォロワーは現れなかった
佐藤輝明なんか近い物も感じるが 門田博光と監督
1970年〜1977年 野村克也
1978年〜1980年 広瀬叔功
1981年〜1982年 ドン・ブレイザー
1983年〜1985年 穴吹義雄
1986年〜1988年 杉浦忠
1989年〜1990年 上田利治
1991年〜1992年 田淵幸一 デブの左打者
門田以降は吉永、阿部くらいしか思いつかない 野茂の初対決に備えてオフからみっちり鍛えて
その通り一打席目で仕留めた。というエピソード好き。
ある意味選手寿命を野茂が伸ばしてくれた。
ブーマーは右肩をハイタッチで破壊してくれた。 1970年デビューだから、1970年5月に黒い霧事件で追放された
池永正明や森安敏明ともギリギリ対戦できたみたいね 死球に対してピッチャーライナーで報復とか
予告して野茂から打つとか落合と似たような伝説あるな >>43
其の面では仰木彬御大や島野育夫の影響を受けてるから檻経験は伊達為らず
寧ろ古葉竹識御大とも共通点有りだね >>91
無知も程々にな
島野の南海時代は一選手で指導者でも何でもない
野村に言わせるとただ足が速いだけで頭脳的なプレイヤーでもなく、
「チョンボの島ちゃん」
と呼ばれてたんだがw >>92
島野はどんでん岡田との阪神に於ける関係を
言ってるけども何か? 奧さん、娘さんとはうまくいっていたのかな?
孤独死だったのが気になる・・・ YOUTUBEで昔の門田のインタビュー見たけど、アルプスの少女ハイジのおじいさんに
あこがれてたみたいだな。ああなりたいって。 あちら側(世間)なんてくだらないと思っていて
本質を取れる男だったんだろうな アキレス腱断裂時に病床で知人が差し入れた
「菜根譚」を濫読して道之境地を見出したと語る程
大阪では余計な世間一般の雑念が喧しくて左右なんかして居られんから尚更だろ