【巨人V9に】1973年のプロ野球【阪神ファン激おこ】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
セ・パ共に観客動員が増えたんだよな
優勝やプレーオフに関係ない太平洋やロッテが前年比で凄まじい増加だが
福岡野球スタートと仙台準本拠地スタート金やん監督就任の影響か テレビ中継がまだバックネット裏からしていた時代だね
センターからのカメラはまだなかった 日本テレビの解説者が、
南村侑広 中上英雄 佐々木信也 村山実
村山を除く3人はこの年を以て、お役御免となる まだこの時幼稚園児だったから
この年の屈辱知らなかったし幸せだったかも… >>7
佐々木信也てプロ野球ニュースだけの人じゃなかったのか(´・ω・`) このころはまだ小西得郎とか加藤進が解説をしていたんだよね。
プロ野球中継黎明期からの解説者がまだいた。 猿でもタバコを吸うんかと言う方も言う方だけど
遠征先でパチンコを打つというのも今じゃ考えられないよな 池田の落球ではなく池田の転倒と言うべき
高校野球兵庫大会で使われた後だか、選手権出場校の甲子園練習で使われた後だか忘れたが、
プロの定位置と違う芝生の部分が剥げてたせいでつまづいたとか池田が愚痴ってたな 読売テレビで解説してたというだけの理由で、スレタイの試合の後に
暴徒化した阪神ファンに殴られた先代のミスタータイガース その最後の阪神巨人戦のどっかの放送局の解説が根本陸夫だったと聞いた
解説聞いてみたかったわ 1973年10月22日(月)阪神対巨人26回戦
ABCテレビ 解説・根本陸夫 実況・植草貞夫
読売テレビ 解説・村山実 実況・佐藤忠功
サンテレビ 解説・後藤次男 実況・西澤あきら
読売テレビは日本テレビ系全国ネットとして中継。 え、ちょっと待って
読売テレビとABCテレビが同じ試合中継してたの? >>17
この試合は雨天延期分で、本来は読売テレビとサンテレビに放映権があった。
しかし消化試合のはずが、阪神優勝に関わる試合になったことと、
おまけには21日(雨天で翌22日に順延)は日曜でもあることで、球団側も「ま、いっか」的判断で特別許可。
そうした事情もあってか、ABCも飛び入り参戦。
20日の名古屋で阪神優勝ならABCの中継はなかったはず。 サンテレビだけが機材破壊を免れたが
阪神最大の屈辱だけに当時の映像は一切流さないな さすがにこの時代ともなればキー局はテープの使い回しとかしなかっただろうけど
独立U局ではどうだろう? >>23
江夏のサヨナラホームランの試合を虎辞書なる!!で流したぐらいだから
その2ヶ月後の映像がないはずがない
サンテレビだけ被害を免れた申し訳なさもあって公開しないのかな? >>1
江夏権藤藤井一派が村山の件の延長で監督を嫌ってただけで
藤田上田田淵らとは特に関係は問題なかったんだろ
だからチームは崩壊せずに最後まで優勝争いできた
監督と選手が信頼関係なくしたら間違いなくチームのモチベーション低下で崩壊する
鈴木の近鉄しかり土井や石毛のオリックスしかり >>25
藤田上田田淵は事を荒立てるタイプじゃないからな 巨人V9の1965年〜1973年で
阪神2位5回、中日2位4回
中日の2位はほとんど巨人と大差をつけられてるが
阪神の2位はほとんど巨人との競り合いで脱落
やっと勝てる時が来たと思った73年も
最後の最後で甲子園で屈辱的大敗だから
逆恨みでも怒りは頂点に達するわ >>28
アホやな
あれは野球賭博で賭けてた客がキレただけやで その真横の球場でパリーグは初のプレーオフやってたはず。
その温度差は何だ。 >>21
王さんを襲う阪神ファンはマナーが悪すぎる
王さんに怪我させれば気が済むのか
考え方が人間屑だ
今だったら観客と言え逮捕だ
時代がおおらか過ぎる >>20
ABCもスタッフが体を張って中継カメラを守ったが、
「お前のとこはええ」と言われてやられまへんでした。 >>29
江●って野球賭博の常習者と付き合いあったんだよな
なんか色々疑っちゃうわ 江夏は文春に守られてるからな
本当に悪運が強い奴だよw 阪神は強いとか巨人のライバルとか言われて来たがこの時代までの記憶がないから実感が全然伴わない >>32
長嶋はその前の阪神戦で骨折して居なかったと思うが
ベンチ入りしてたら襲撃されたのかな >>37
本当か?
日本シリーズでは三塁コーチだったろ。
コーチ兼任だからベンチにはいたのでは? >>38
静養も兼ねて自宅でテレビ観戦してたという 当時のスポーツ紙見たら自宅でTV観戦で優勝して
大喜び >>38
シリーズはいいとして勝てば優勝の最終戦で
長嶋に三塁コーチャーさせるのは危ないだろw >>40
たぶん巨人が勝つことわかってて余裕の観戦だったんだろうな。
相手が阪神だもんw 絶対珍カスに胴上げ阻止されるんだから
9回裏は主力全員ベンチに下げれば良かったね この年の3月22日に発生した湯口事件が巨人叩きの序章だった
いわばアンチ巨人ブームの年だったとも言える 1001が対阪神最終戦で片八百長やったとどうどうと公言して全く問題にされなかった不思議な年。 中日ファンも巨人の優勝なぞ爪先程も望むまい
当時ならなおのこと >>46
結果的に抑えてるんだからなんの問題もなあ この年の巨人は長嶋の衰えもあって、打線があまり強そうに見えない
王だけが突出している
打線だけなら大洋が最強だと思う >>50
勝つためにメリハリのついた野球と
ただ好き勝手に打ってるだけの野球
じゃ前者の方が強いよ
具体的に言えば
1点を取りに行く野球は接戦に強くて勝ち星を重ねれるが
大量得点を狙う野球だと大味で逆に効率が悪くて勝ちが続かない
巨人が強かったのはそこ この年の悪太郎は過去最悪の成績だった。日本シリーズで帳尻を合わせたが
悪太郎が例年並みなら巨人が5ゲーム差ぐらいつけての優勝じゃないかな V9の勝ち頭
65年・・・城之内21勝
66年・・・城之内21勝
67年・・・城之内17勝
68年・・・堀内17勝
69年・・・高橋一22勝
70年・・・渡辺23勝
71年・・・堀内14勝 高橋一14勝
72年・・・堀内26勝
73年・・・高橋一23勝 「早過ぎた毒舌」
南海の監督として通算1773勝を挙げた鶴岡一人の指導法は、威厳と人情を兼ね備えた広島訛りの叱咤で選手のやる気を引き出すといった形。
数多くの名選手が生まれたが、その一人である野村克也は自身でも認めていたように鶴岡の影響を受けて、頭脳に加えた毒舌でナインだけでなく
コーチも鍛えてきた。南海監督を退任して評論家となった鶴岡が「作戦的に相手の弱点をつき、引っ掻き回そうという役者に乏しい」と評していた
当時の阪神の監督を率いていた金田正泰もかなりの毒舌家だった。72年4月に村山実監督の指揮権返上を受けてヘッドコーチから監督代行となり
69勝50敗でチームを2位に押し上げた事で翌73年監督に昇格、73年も優勝争いを演じたが歯に衣着せぬ発言を端とした江夏豊ら選手との軋轢も
絶えなかった。金田と江夏は1月の山ごもりをきっかけに関係が悪くなっていたが、野手を中心として江夏の気ままな行動に納得がいかないという
監督への抗議も分からないでもなかった。それでも決定的な関係悪化の原因は、8月に起きた鈴木皖武の金田殴打事件だった。
移籍して5年目の鈴木は前任の村山監督時代は先発と救援の兼用だったが、金田が代行を勤めて以降は中継ぎ起用のみになっていた。さらには
野球観でも合わず意思を訴える術として出たのが、遠征時に宿舎の寝込みを襲う平手打ちだったが、江夏が「監督も悪い」と言ってから金田の方も
江夏に対する態度が変わった。チームは多くの問題を抱えながら最終戦まで優勝を争ったが、金田はマスコミに対して名指しでの選手批判や
ミーティングで選手をやり玉に上げる欠席裁判を止めなかった。そして11月23日のファン感謝デー後に、今度は21年目の大ベテラン・権藤正利から
顔面にパンチを見舞われた。これは5月に「ほう、猿でもタバコを吸うんか」と金田がからかったのが発端だったが、権藤も金田体制では先発の機会
がめっきり減っていて、以前から毒舌にも腹を立てていた。広岡達朗や野村が毒舌で一世を風靡するのは巨人V9が終わり戦国時代となってから、
金田の毒舌は度が過ぎていたのもあるが時代がまだ追い付いていなかったのかもしれない。
それにしても鈴木や権藤が衰え信頼が置けず、村山も引退していかに先発投手が前年より手薄だったにしても、73年は江夏と上田二朗という左右の
20勝を挙げた両輪が全130試合中74試合と半分以上に先発して全64勝中7割以上の46勝という阪神の状態だった。金田にしてみれば、自身が
村山を追いやって後任に就いたように見えた事や、早過ぎた毒舌が災いして冷えた選手との関係を考えて、勝つ事で状況を変えるしかないと考えて
いた背景があった投手起用ではないか。
それでも130試合目の最終決戦は、当時ヒットしていた泉谷しげるの「春夏秋冬」ではないが“今日ですべてが終わるさ、今日ですべてが変わる・・・”
の心境だったのか大敗後に金田は、ファンへの謝罪と共にナインを責めず「選手は一生懸命に頑張ってくれた。この無念さを糧として励んでほしい」と
静かに話していた。 (了) >>54
またお前か!
独りよがりの気持ち悪い作文は止めとけ
何が「早すぎた毒舌」だかw
あんなもん表に出ないだけで当時から普通にあったことだ馬鹿w
中田翔みたいな選手間の暴行事件もな
こじつけの見本そのもののライター気取りの 笑える駄文 >>54
金田監督は人望がなさ過ぎた
その毒舌も選手への侮辱と取られてしまった
だから、選手の怒りが爆発する結果となった 巨人もシーズン前の湯口投手急死を受けての川上監督の舌禍コメントに端を発して、監督やチームが大バッシングを受けた影響か、
シーズン通してどうにも調子が上がらないままに終始したってのに・・・・。
バッシングで川上監督に対する人格や人間性を疑わせる報道も多数なされたが、阪神ナインは一連の報道を見て、
「ウチの監督の方が余程酷いわ」という動きになってしまったという事か。これじゃあ勝てる訳ないな。 >>56
カネやんは口が悪いからな
明るい性格で人気もあったけど、口も手も早いのが玉にきずだ カネやんは葬儀の席で喪主の長男自ら「金田正一と書いて「我侭」と読む」と参列者の笑いを誘った位のワンマン且つハチャメチャな性格だった
けど、400勝投手としての圧倒的な存在感と、何より長嶋とも王とも別種の独特のカリスマ性を持ち合わせていたから、それらが上手く噛み合うと
チームが一つに纏まる側面があった。
けど、三塁打セ記録保持の巧打の2番打者だった阪神金田の方はそんなカリスマ性なんて望むべくも無かった。
そもそも周りに担がれて藤村監督排斥運動の首謀者に祭り上げられた様な御方で、写真で見掛けた顔も学校の用務員さんって感じの何とも
冴えないお顔だし、そんなおっさんが周囲に毒吐きまくったら、ただただ嫌われるだけだわなw
とは言え風貌も人柄もこれぞ用務員って感じの後藤監督でもあんなんだし、中々難しいもんだが。 毒舌や暴力はアフターケアがなきゃダメだわ
一番上に立つ者が小物感丸出しのネチネチした嫌みや悪口では嫌われる
まあ阪神の場合、吉田がやれば村山派が批判、村山がやれば吉田派が批判、
後藤がやればあんないい奴なのにみんなで批判と
足の引っ張りあいしてるだけって青田昇が言ってたな 後藤がいい奴とか笑わせる、
日刊ゲンダイでネチネチした論調で阪神批判してた嫌な奴だぞ
金田マサヤスは当時の裏方本間さんという人の回想録では全然嫌なイメージ無かったと書かれてる
江夏というチームの嫌われ者、爆弾を抱えてストレスが爆発しただけだろ
江夏と遠征先での相部屋、
移動の新幹線の隣席をほとんどの選手が嫌がったぐらい エースの江夏に (優勝なんてされたらカネがかかるから) 「明日は勝たないでくれ」
と頼んだ阪神球団のお偉いさん
敗退行為を頼むなんて一種の黒い霧じゃねえの >>63
その事実は江夏の中だけの事実です
まだ大事な試合を控えてるのに江夏にパリーグプレーオフ観戦記を書かせる新聞社はどこなんだよ >>63
黒い霧の本丸は江夏と竹中組だろ
そっちに頼まれる方が納得するわw 【とっておきメモ】山本由伸「200勝ぐらい余裕」350勝米田哲也氏興奮
https://news.yahoo.co.jp/articles/d6137c1453503521417124bd8f75051b8a6fe019
73年の米田の球団記録に並ぶ14連勝をオリックス山本が達成。
米田はこの年35歳。ピークは過ぎてたはずなのだが。 前年の野球年鑑によると、米田の年俸が960万円
すでに実績があり、金田に次ぐ勝利記録を残した大投手の報酬がこれだけ?と驚いた
長池が1300万円だったけど、投手の評価って低かったのかな? 最終戦で優勝決定は1994年と同じだがあまり語り継がれない。 巨人がドラフト上位3人に入団拒否された。
モロ湯口事件の影響。 >>71
試合内容よりも阪神ファンの暴動が語り継がれているが >>71
んなこたーない。セゲヲと読売が殊更10・8を強調するから。 >>74
んなこたーない
9対0の情けないワンサイドゲームだから語り継がれないんだよ
10・8は中日は敗れはしたけど立浪のヘッドスライディングがあったり落合が負傷交代したり、
両軍死力を尽くしての熱戦だったから語り継がれてんだよ 普通に考えて
阪神ファンが暴動起こして巨人の選手も襲われたりしてる試合が
悪い意味で語り継がれることはあっても
良い意味で語り継がれるわけないわなw 在阪テレビ局なのに読売の看板を背負ってるだけで、
巨人の味方と認知され、中継機材1億円相当が破壊された当時の読売テレビもさぞ気の毒だな >>78
オッサンはファンが守ったのは有名だがABCは壊されたって書き込みみた。 野球賭博で負けたファンが腹いせに襲撃したなら
せいぜい数十人程度だからあんな暴動にならないだろ 数十人も暴れたら凄いだろ
内野フェンス乗り越えて乱入してんだから 目の前で巨人に優勝さらわれて悔しかったピュアなファンや
憂さ晴らしで便乗した輩も多数いるだろって事 >>82
それは知ってるよ。
群集心理で誰かが暴れ出すと便乗しちゃうんだろうな。
実際にあの試合を生観戦していた某漫画家によれば、
外野席で観てたら後ろの客が投げたウイスキーの小瓶が飛び散って危うく怪我しそうになったらしい。
だから暴れた奴は外野席にもいたんだよな。 しかし本当に阪神って肝心な試合で勝負弱いな。
この年の対中日最終戦も1001が片八百長してくれたのに負けたし。
昭和60年はやはり例外中の例外か。 >>79
ABCのスタッフも必死でカメラを守ったが、「お前んとこはええ」と言われ、事なき得たそうだが、
中継用ケーブルが切断されてしまった為、10分近く画面が無音となり挨拶もないまま、番組は強制終了。
解説の根本陸夫と実況担当の植草貞夫に絡んだ挙げ句に放送席を破壊したという。
(翌日の新聞各紙、Number1981年12月発売参照) あまり語られることが少ないが、前年(1972年)も巨人は甲子園で優勝を決めたが、
この時も阪神ファンによって胴上げを阻止されている。
試合終了後、マウンド付近で川上監督の胴上げを始めようとした際に
一塁側フェンスを飛び越え、大声を張り上げながら包丁を振りかざした少年が巨人ナインめがけて走って来たが、
直前で警備員に取り押さえられ、そのまま連行された為、選手への危害は防がれた。
しかし事態を重く見た巨人ナインは胴上げを中止した。
(1972年10月8日 報知新聞参照) >>89
しかも少年ってw
このガキも立派な反社に育ったんだろうな
こいつも小遣いを野球賭博に注ぎ込んで負けたから切れたのであろう 昨日であれから48年か…
その後同様の案件は75年広島ファンの襲撃ぐらいか 1973年度の野球雑誌に、南海野村克也が巨人新浦寿夫を物凄く欲しがっていたが 川上監督が、うちの新浦は巨人の将来のエースだからだめだときつく断ったそうだと書かれていた >>54
テリー伊藤は、現在はタケシの影響で毒舌になれているけど
金田の毒舌は時代が早すぎた
もし野村監督のボヤキが金田の時代だったら、選手達に袋叩きにされて
神宮外苑で野垂れ死にしていただろうと書いていたな カネさんの毒舌はマスコミ向けには話題になったが選手には逆効果だったな >>96
違うわ
あの程度の毒舌は昔は当たり前
殴打事件は江夏がけしかけなかったら起きてなかった 金田正泰監督じゃなく別所監督や土橋正幸監督、武上四郎監督あたりが
「猿でもタバコを吸うのか?」と言って
権藤が謝罪求めに行ったら逆に半殺しにされたと思う。
つーか王の頭にデットボール当てて真っ青になってた気の弱い権藤なら
強そうな監督の場合謝罪さえ求めないか 当時猿の惑星ならぬ猿の軍団というドラマが
やっていたな 藤村排斥運動は労働争議というのが本質だったんだけど、いくら担ぎ出された形とはいえ
その先頭に立ってた金田正泰をよく2度も監督にしたよな
球団側からしたらむしろめんどくさい奴だと思われても仕方ないと思うんだけど 金田は選手としてはそこそこの成績を残したからな
監督にしてもいけるとフロントが思ったんじゃない?
まあ選手としてよくても監督としていいかはわからないけどね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています