意外な起用・守備位置・打順・登板3
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
意外な起用方法や守備位置や打順、先発や中継ぎ登板した選手について語るスレです >>87
そうなのね
そのあたりの事情は、パリーグばっかり見ているから分からないのよね >>94
ウソ乙(笑)(笑)(笑)
歴代のベストプレープロ野球で
吉村に一塁適性一度もなし
元横浜の吉村じゃね? >>96
批判覚悟であえて言わせて頂きますが
吉村現役中の読売の一塁は駒田と原と中畑と岡崎?少しと大森と元木と落合と清原だから
吉村一塁はあり得ないしファミスタでもパワーリーグでも究極ハリキリスタジアムも超人ウルトラベースボールも
ない ちょっと調べれば98年に一塁守ったことあるなんてすぐ分かるのに、何なんだろうなほんとに 途中出場ならとにかくスタメン一塁で出てるからスタメン調べりゃ一目瞭然
>>98の言う通り1998年の10/1と10/2に先発出場してる
荒らしかよ スタメンではないが、若かりし頃にも2試合一塁の守備についてるな >>103
中畑清の話しによるとケガした吉村を
指名打者あるパ・リーグに移籍を考えたら
吉村に巨人にいたいと言われさらに
岡崎や駒田らも不信感を抱かれ激ヤセ
一塁の守備って難しいんだよな、簡単に見えるが
清原もプロの牽制球が怖い言うてたし 村田真一は一軍公式戦で西本・定岡・江川と先発バッテリー組んだ経験がある 讀賣在籍の捕手だからとはいえ、当時は山倉がレギュラーだったからな 村田真は84年に試合に出てからしばらく
一軍出場なしだからてっきりクビになったかと思ってた その大胆な策で難攻不落の山本(オリックス)を攻略できるんだからね… バレンティンがあまりにも悪すぎるんで打順をさげて
空いた4番に、打順を大幅に変えないように中村晃を入れただけなんだけどね 4番清原が欠場して鈴木健が入ったのと同じようなもんだね。
当時のするはまだレギュラー獲る力はなかったのにいきなり4番。
3番秋山幸二
4番鈴木健
5番デストラーデ
打順を変えたくなかったと森監督が言ってたな。
工藤もそれを覚えていたのかも。 91/6/8 秋山 森 デストラーデ
ただ打順を変えたくないと言うのもあくまで原則で
91/7/6 森 秋山 デストラーデ
91/7/7 森 秋山 デストラーデ
と入れ替えたりもしてる >>31
当時の西武の捕手に伊東勤と中嶋聡がいることを考えると
よく開幕スタメンで起用してもらえたよな >>6
週ベに連載中の平野謙のコラムにこのことが最近書かれていた
86年シーズン最終の大洋戦 >>122
外野に置いとくのもったいない人材だよな
遊撃手なら西武も更に強力だったな
中日にいたら宇野いたから厳しいけどよ
清原に左翼コンバートさせて平野がショフトできた >>122-123
仮に内野手にしたところで、エラー連発して
早かれ遅かれ外野コンバートだっただろうよ
田口とか福留のように >>126
阪神に中谷がいつの時代もいるようなもんだ >>123
清原和博は脱臼癖あるなら初心に還る意味でも
レフトにコンバートさせても良かったな
高卒新人で一塁専門でたまーにサードやって
現役終わるとかあり得ない >>137
この時のファーストって、誰がやっていたんだろうね 二人が同時に外野ってあったかな?
駒田が外野再コンバートは原がファーストに回った時だと思うんだけど。 89年の開幕あたりは、レフト原、ライト駒田、ファースト岡崎、サード中畑だったよ
ほどなく中畑が怪我して岡崎がサードに回り、駒田がファーストにまわって、空いたライトに井上が台頭してきたはず その時点で、中畑がそのオフに引退するとは
思っていなかった セカンド落合
セカンド原
セカンド小久保
セカンド村田
セカンド中村紀 >>143
ぎこちないけど、スローイングとキャッチングは褒められてた >>145
セカンド柏原
セカンド藤本
セカンド小早川 王巨人監督時代、チームの状態が悪いとき、気分転換で篠塚にショート守らせたことあったな 高木守道監督がセカンド森野ライト荒木をやったことがあった しかしまぁ、元ロッテオリックス近鉄の
五十嵐彰は凄いよな、最初ロッテは外野手でセンター?でショート?
また外野でオリックスで内野のユーティリティプレイヤーで緊急時の捕手
近鉄で内野外野やってたった一度の四番の打席でホームランで全打席本塁打達成 1994年消化試合で1番DH伊東勤 2番も打ってる
期待打席(当時は130試合×3.1 403打席)にのせるためにに前のほうを打たせたみたいね これは長嶋監督時代のレフト仁志だよな
なにトチ狂ったか仁志を人生初の外野起用
案の定、レフトへ打球が飛び仁志が素人みたいな守備で届かず敗けて戦犯 >>155
優勝を決めた後の残り5試合で足りないのが13打席だから
普通に8番で出していても到達したんだけど、シリーズの調整と規定打席を
両立させるべくの起用だね
80年の梨田は日本シリーズ後に行われた「前期」の未消化試合3試合に
いずれも一番で先発出場して計15打席を稼いで404打席
同年のベストナインとダイヤモンドグラブを獲得 >>157
川相や元木も外野やったな。
あれは何だったんだろう? >>159
元木のレフトは卒なくこなしてたな
パワプロでもFぐらいの適性、レフト マルティネスより使えた
川相は元ピッチャーでショート本職なら外野も卒なくこなせる >>163
王の時もあったかもしれないけど、1999年9月15日に2番レフト川相スタメンがある。
ちなみに9月17日は2番レフト元木。
この年、開幕はショート川相だが翌日はショート二岡、その後は川相と二岡が交互で5月下旬からショート二岡で定着。
川相はサードへ回る。
そんでもってマルちゃんがファーストやったりレフトやったりして、清水がセンター、松井がライトとか大忙しだったわ。 1999/9/15
4 仁志
7 川相
9 松井
5 清原
3 マルティネス
6 二岡
8 清水
2 村田真
1 入来
14日までは高橋由伸がいたんだけど、怪我したんだっけ?
ここから狂ったね。
清原サードだけど、二岡がショート定着後は川相、後藤、元木でサードを回してた。
石井ひろおもいたけど、ファーストしか守ってない。 代走元木は既に出ているけど、代走江藤にもビビった。 >>165
この頃って松井由伸清水以外にどんな外野手がいたのか
もうよく覚えてないな パワプロ99決定版だとマルティネス、広沢、後藤が外野手登録になってる >>167
広沢がサードやったのは前年の98年。
試合数少ないけど3割打ってる。
99年は怪我かね?ほぼ出番なしで翌年から阪神。 >>168
その3人で磐石ではあったのであとは外野専門だと斉藤宜ぐらいしかいなかった。
だから緊急時は川相、元木だったんだろうね。
その意味では後藤はサードも外野もファーストもできるから便利だった。 清原に広沢に石井浩にマルティネス…
明らかに余剰戦力だな >>172
ナベツネとセゲヲが結託して、他球団の主力を片っ端から強奪していた頃だからね >>170
ありがとう、清原のサードの年と同一かと勝手に思ってたが、違ったんだね 前スレでも言ったが
仁村弟がピッチャーとして1勝している >>146
キャンプでひざを故障したコックスが
5月14日に一軍登場したが(半月ほどで故障悪化のため姿を消した)
この直後に石井がしばらく離脱していて
一塁コックス、二塁村田、三塁古木、遊撃内川
左翼鈴木尚、中堅金城、右翼ウッズというセンター以外世にも恐ろしい布陣が
3試合だけではあったが敷かれていた
(この布陣で三塁が古木ではなく小川も7試合)
なお、コックススタメンの試合はすべて
一塁コックス、二塁村田、右翼ウッズと右方向の恐ろしさよ・・・ >>183
コックススタメン14試合5勝9敗
> 一塁コックス、二塁村田、三塁古木、遊撃内川、
> 左翼鈴木尚、中堅金城、右翼ウッズ
は1勝2敗 >>177
しかもこの試合は宇野掛布敬遠騒動の試合 ウッズは中日に来た当初もキャンプで外野テストやらされてたな
一発で失格になったが >>177
アマ時代は上尾高校で牛島香川の浪商を9回2死まで追い詰めたり
東洋大でも4年間通算で29勝
屈指のアンダースロー投手として鳴らしていたわけで
プロ生活を後から振りかえっての印象だね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています