1985年日本シリーズ 阪神vs西武 Part1
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1985年の日本シリーズ 阪神vs西武について語ろう
阪神側の回顧だけでなく、西武が勝つためにはどうすればよかったか?
特に第5戦の先発は小野で良かったのか? 亡くなった手塚治虫先生に失礼。球団に好意で無償提供してきたのに。 フィルダーが帰って大活躍してた頃よくその映像がこっちでも流れたが
アメリカのタイガースもまた虎っぽくないユニだったな。
ストライプすら無いし。
パイレーツの方がよほど虎っぽかった >>447
間違いないがライオンズは元々国土計画が運営してた。
不祥事で西武グループ再編で西武鉄道がライオンズを運営したのはこの10年程。 だから今は名実とも西武ライオンズなんだよね
逆にタイガースは実質阪急タイガース・・・ 同点9回裏ノーアウト満塁打者バース
もう終わりでしかないシチュエーション バースの場合は三塁にランナーいて犠牲フライでもいい場面なら
9割と言っていい バースの場合たしかにインハイは苦手と言われててたしかに
ホームランは少ない
でもヒット狙いの場合、上からかぶせるような打ち方で、
一塁方向に鋭いライナーが飛んで行くから
決して安泰とは言えない バースの凄い所は状況に応じたバッティングをしたことだな
この状況なら間違いなく外野フライを狙うだろうね >>457
85〜86年の2年間のバースは間違いなくNPB史上最強打者だったわ 永射と対戦したときも第三戦最初の時は三振したが
あれはビハインドの展開で振りにかかっていた
もし第一戦8回の無死1-3の0-0で出てきてたら
間違いなく軽打でレフト方向流し打ちだっただろう
工藤から打ったホームランのように
事実その後の対戦ではきっちり攻略してたからな
掛布も永射から2本ヒット打ったし通用してない 85年の永射はもう衰えていたからな。
実際に公式戦では登板が少なかったし。
83年までの永射ならバースでも難しいだろう。 >>460
だから一戦目のあの場面バース掛布に
永射じゃなく工藤を指名したと説明できるな >>459
第1戦の工藤から打ったホームランも、ランナー3塁で犠牲フライで十分の場面で
たまたまスタンドインしただけで、バースの狙いは外野フライ >>462
だから永射が出てきても結果は一緒だっただろうな
軽打の時の当時のバースは8割打者に変貌するからな この頃の永射も衰えが見えてたので
だから87年にトレードに出された この当時の郭泰源は落合がどうやっても打てない投手と評していたから出場していれば、西武が敗れたとしても7戦まで持ち越せていたかもな 当時の阪神はどっちか言うとコントロールの良い変化球投手に難儀してた印象なんだよな
全試合動画見たけど、
北別府なんか6敗ぐらいしてんじゃないのか8月の試合しか打ち込んでるの見たことがない
大野、川口、遠藤、槇原、あたりはこの年に限っては割と打ち込んでたからな
小松だってバースは2本ホームラン打ってたし
郭泰源がいたところで第二戦なんか1点しか取れない時点で勝ち目薄いだろ
どっちみち酷使できない投手だし 衰えが目立ったというが移籍とほぼ同時に飛ばないボールになった事もあって
大洋で復活し最後のダイエーまで息長く活躍したな
恐らく西武は同じキャラの小田を使える目処が立ったと確信していたんだろう 大洋時代が復活て、キレのある球を投げていた頃の永射を知らないんだろうなw
知っている者としたら、現役晩年の寂しい姿にしか見えなかったが。 結果的には郭はシーズン途中で戦線離脱したのは良かったと思う。
この年公式戦をフルに登板して日本シリーズにも登板したら、この後もっと投手生命が短命に
終わっていたかもしれない。
日本1年目は後半休めたのは郭個人にとっては良かったと思う。 >>468
さすがにクラウン時代は見たこと無い・・・
広岡時代からは最後まで大差無い様に見えた 阪神の暗黒時代は寮の食事も貧弱で、選手の体格も大きくならなかった
広岡の食事管理も重要だった
阪神 暗黒時代の内幕 当事者の藤田平氏、激白「ヒドかった」あの光景…
https://news.yahoo.co.jp/articles/ddf9102756b1a1be7bbe717ec482b91b26a08d98
「まず、(寮の食事が)ヒドかった。武庫川女子大の教授に頼んで、
食事のメニューを見てもらったら『老人や病人が食べるようなメニューです』って」
栄養バランスが十分ではない献立だけでなく、量も問題だったという。
「(藤田自身も練習中に)腹が減ったくらいだから、選手はもっと空腹になる。
カップ麺の空箱が山盛りになっていたけど、(選手は食事が)足りないから
コンビニに行っていたわけ」。
球団に自ら掛け合ったこともある。
「寮の食事を食べたことがありますか?」と改善を求めたのだ。 >>471
しかし90年代でこんな状態って遅れすぎだろ
金田がロッテの食事を十二球団一豪華なものにして
広岡がヤクルトで選手の食事管理を始めたのは70年代だったのに だから阪神の選手はタニマチに飯食わせてもらっていたとか? >>459
>事実その後の対戦ではきっちり攻略してたからな
バース対永射は3打数1安打(シングルヒット)だから、自慢するほどのことでもないでしょ。 >>472
当時の関西の球団はどこも同じだぞ。
金をかけないのが正義だと考えていた時代。 バースはペナント中も同じ変則左腕の角に何度もワンポイントで対戦させられてるからな
永射が見慣れぬタイプという訳ではなかった >>472
近鉄だけど吉井がヤクルトに移籍してセリーグだと思って期待したら
近鉄並だったみたい
昭和の日本ハム
本社から豪華な肉がキャンプやら遠征で提供しててとんかつ→しゃぶしゃぶ
すき焼き→ステーキのローテーションで広岡監督が肉制限して大沢監督が
やぎさん論争とかしたね
巨人
竹園旅館の時は豪華な和牛でしゃぶしゃぶ→すき焼き→ステーキのローテーション
これに怒ってクロマティーはカロリー低いチキンを求めて外食
豪華な食事出してもこうでは意味がないのかな >>465
韓国のソンドンヨルがこの年代に日本に来てたら郭泰源くらい勝ったのかな??
速球とスライダーは似てる宣のほうが球種少ないけど 85年の郭は阪急だけは苦手にしていた。
登板した3試合とも結構打たれた。 >>472
だから阪神が15年も暗黒時代を過ごしたんじゃないか
15年も負け続けるって中々出来ないぞ >>475
だから関西球団は滅びた
関西特有のケチ根性で、先行投資って考えが無いから >>477
ヤクルトの選手に怪我が多いのも、選手対偶の悪さがあるんだろうな
なにせ投手はことごとく潰れているしな >>481
阪神だけでなくFAでの年俸高騰を嫌って主力放出を繰り返し続けてたパリーグのオリックス、近鉄も、
90年代の関西球団は全てドケチだったな >>481
先行投資以前に最低限必要な経費を計上せずに金かけずに適当にやっておけ感が強いんだよな。
関東ならどんな貧乏球団でも赤字でも必要なところには金をかける。
関西は関東より圧倒的に野球の人気があるのにプロの球団が育つ環境がなかったのは残念。 >>474
その凡退1つもきっちりミートしてショート正面だっただけで
対応はしてたな 東尾なんてバース相手に最初の対戦で
ホームラン性のファール打たれてから
まともに勝負してこなくなったしな このシリーズの東尾の失点は3試合に登板して合計8回2/3を投げて高校の後輩の島田へのプレゼントホームランの
1点だけというまずまずの出来だったな。 バースはインハイが弱点なので、インハイの速球を投げ込める工藤を出すのは理にかなっている
しかし工藤か伊東かビビって外角に勝負して、流されてホームラン あかんたれ球団のたった一度の僥幸を、あの鉄の軍団黄金西武のファンがこれほど引きずっているのが意外でした 1本目は外角のカーブだったが、工藤からの2本目は内角ストレートをライトスタンドへ。
投げるとこ無いね。 >>471-472
オリックスなんかつい数年前まで試合後の選手に菓子パン配ってたからなw中学の部活かw
それを世間にバラした選手会長の伊藤は干された上DeNAにトレードされたという >>486
東尾は門田や落合にもそうだったけど塁に出しても置き物になる
強打者にはハナから勝負しないのが基本だしね 野村は「一番嫌いな打者は福本だった」といつも書いていた
塁に出れば90%以上盗塁される盗塁されたら「野村は肩が弱い」と叩かれる
加藤秀司も福本が三塁にいればフライを打てば打点が入るんで恵まれた三番だったと 第四戦2-2の9回表、ワンナウト2塁の場面
西岡のところで中西投入という手はなかったのかな?
歩かすにも田尾のほうが怖い感じがしたから
延長もあるから難しい采配だと思うが工藤も残ってるな 落合は郭にそういう印象もっていたなら宣銅烈が韓国から同じ時期に日本に来てたら
同じこと言ったのかな >>498
150キロ球の速球と高速スライダーは似てると思う。 球種は郭の豊富だけど 宣銅烈を初めて見たときは投球フォームは東尾に似ていると思った。 秋山は85年に40本打ったけど、逆になんで84年は4本しか打てなかったの? 自打球直撃骨折戦線離脱で54試合154打席
あと長池コーチが84オフに入閣
こんなところだな
あと広岡は85シーズンの秋山については「とりあえず20本打ってくれれば」と
想定していた >>501を違う選手で真似すると、
イチローは94年に打率.385だったけど、逆になんで93年は打率.188しか打てなかったの?
みたいな質問だな。 もしかしてホームラン前年からのホームラン伸び率はNPB最高では??
はじめて規定打席たっしたとかそういうケースなら
たとえば門田みたいに前年アキレス腱やって試合出てないとか別とすれば ホームランっていきなり30本とか40本に伸ばす奴あまりいないよね
松井ですら徐々に伸ばした
秋山の一桁からいきなり40本はすごい、清原の新人31本もすごいよね
岡本も何気にすごいんだよねいきなり規定で3割30本100打点 79年の門田は全く試合に出ていないというわけでもない。
19試合に出場して2本打ってる。 >>506
ごめんあまりという言葉をつけたほうがよかったかな。 >>504
率でいったらたかだか10倍だろ
小笠原とか1→25で25倍だわ
むしろ数で36本延ばした方を評価せんと ヤクの村上も打率こそあれだがいきなり36本くらい打ったのはすごいな。
村上大丈夫かな。 欠場してるけど >>502
54試合154打席で4本しか打てなかった選手が、なぜ翌年40本も打てたのか?
って質問した方が良かった。
長池コーチの影響でも急に40本は凄いよ >>508
高橋智の2本→23本という例もあるね。 2016年の山川でも49試合157打席で14本打っているから、
秋山の覚醒が凄まじい ホームラン20本台はわりと居るけど、一桁から40本台は居ないだろう。
30本以上が一つの区切りという思う。 投手ならいきなり新人でタイトルとか
最初の規定打席が首位打者とかあるけどホームランを伸ばすのは難しい
85年の郭泰源もいきなりタイトルレベルだったんだよね故障したけど
伊藤智も同じ時期に故障したな ヤンキース移籍した田中も 投手は自分主導だからアマ時代でも自分が凄い球投げれば済む話だけど、
打者は凄くてもアマ時代なら相手投手のレベルもアマだからね
プロの一流の球を見る機会が無いから厳しいよね
新人でホームラン王って居ないんじゃないかな 83年で巨人を倒して燃え尽き症候群みたいになってたかなとも。
もう阪神相手なんてどうでもいいみたいには少しなってた。 第5戦の先発小野も問題だけど、それを初回で仕留めた掛布も流石だよ。
西武も初回に同じ様なチャンスをゲッツーで潰しているから。
甲子園の大観衆の中、バックスクリーンに叩きこんだ掛布の一発で
阪神に勢いが戻って、そのまま第6戦に繋がった。 どこを破っても満足せず勝ち続けたソフトバンクの方が西武より上だったという事になるな 3番バース
4番掛布
5番岡田
3番田尾
4番スティーブ
5番片平
クリーンアップの長打力と迫力に差がありすぎ >>526
打力で優勝したチームの主力打者がこれでは下位に低迷して当然だろう。
掛布 打率.227 12本
岡田 .255 14本
真弓 .270 23本
バースだけは、.320 37本と、
好成績だったが、前年までの2年連続三冠王のときと比較すると落ちてるし。 >>524
その時代はもうどことやっても張り合いの無い相手ばかりになってしまったからセリーグは 今と違って当時の日本シリーズはデータ集めて、徹底的に相手を研究していたからな
今はCSの勢いでそのままやってるだけ、緊迫感が全然違う 東尾が98年のシリーズは85年の時と雰囲気が似ていてやり難かったって話していた。
やはりちょっと遠慮みたいなものもあったのかも知れない。
05年のプレーオフでもロッテ相手に非常にやりにくい感じだった。
大差を付けられた3位でのプレーオフ進出だったのでどこか遠慮を超えた罪悪感みたいな
ものさえ漂っていた感じだった。 確かに85年と共通点が多い
・滅多に優勝しないチーム相手、圧倒的アウェイ感
・そのチームは球史に残る打線のチーム
・ホームビジターは逆だが星取りが一緒
・西武の采配が物議をかもす(5戦目小野、マルティネスベンチ) マルティネスのベンチは全然物議をかもしてないぞ
97年は4月に一塁守備を見切られたが、消化試合で一塁に入れて
まだセリーグ本拠での守備起用を考えていたが
98年はDH解除による一試合だけの一塁出場でもう守備起用は想定されてなかった
98年の東尾のやらかしは
・第1戦の四番ペンバートン
シーズン終盤に左投手予告先発の決め打ちで起用したペンバートンが当たったので
日本シリーズでも採用した予告先発に悪のりして起用したが大外れ
97年の第1戦山田潤に続く2年連続のバクチ失敗
・第5戦の新谷晒し投げ >>532
98年は世の中が横浜を優勝させろって雰囲気だったな
セリーグのペナントレースからそんな雰囲気
しかも山一証券とか倒産した翌年で、横浜が優勝した経済効果は大きいとか言い出すから、
西武が優勝するのが日本経済の悪者にすらされた感がある 2005年のロッテとのプレーオフはここで西武が勝ったら一気に世間を敵に回すような
罪悪感めいたものがあって選手たちの体が動かなかった。若貴兄弟対決の一番みたいな
ものがあった。 ドジャースタジアムでポップコーンをどんな遠い位置からでも客にナイスコントロールで
投げ渡す名物おポップコーン売りおじさんが西武に応援に駆け付けて盛り上がった。
阪神の応援よりも質で勝った感じになって西武の応援側スタンドの雰囲気自体は熱気に
包まれていて阪神ファンに圧倒されている感じでもなかった。 西武グループ総動員で一先ずは阪神の魔物対策は出来たので甲子園で負け越しても
地元4試合で勝ち越せるかと思ったけど皮肉にも結果は逆になってしまった。 >>537
甲子園で負け越してたらシリーズそこで終了ですよ 中西太が阪神との日本シリーズは平和台でやれと言っていた
確かにあの頃の平和台ならライオンズを後押し出来たろうな しかし、小林繁も引退を早まったよな
もうあと2年待てば、再び優勝チームの
エースという栄冠に浴せたのに
少なくとも、58年の時点では
まさか近いうちに優勝できるなんて
思いもよらなかったんだろうな
そういう意味では、やっぱりバース様々だわな スポーツ選手の2年は大きいよ。
仮に引退した翌年にチームが優勝したらもう1年続けていればという気持ちが出るかもしれないが
引退したい気持ちが出てからの2年は長いよ。
だから小林本人は早まったもったいなかったなんて言う気持ちは少しも無かったんじゃないかな。 翌年、掛布が怪我で潰れてしまい、
阪神暗黒時代の到来となったわけだが、
今にして思えば、怪我云々ではなくて、
念願の優勝を果たして目標喪失したんだろな
原や宇野も骨折したりしてたけど、
その後も粘り強く現役をやっていたし、
掛布はあっさりしていたな この頃は一流選手ならむしろ引退後の方が稼げたからね
だから小林、江川、掛布と現役に固執しなかった
西本は江川が目標だったんで引退表明した時は「そりゃないぜ」だったとか
通算勝利だけは絶対に江川を抜くことを目標にしたそうだ >>542
小林は83年シーズン前に15勝だかできなければ引退するって宣言しなかったっけ?
ある程度辞めるつもりでいたんだろうけど、あの時代の阪神が2年後に優勝するなんて
誰も思っていなかっただろう。 しかし戦力的にはバースの差だけだよな、
小林の頃と85年の違いって
掛布、真弓、佐野、岡田あたりはいたんだし
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