ブレイザーもスペンサーも、MLBでは当時から常識になってるデータの蓄積やクセ盗み、
激しいスライディング、守備でも臨機応変なポジショニングなどを、そのまま日本で再現したら、
南海、阪急でチーム改革が起きた。

巨人のドジャース式トータル・ベースボールは、川上が監督になった1961年のベロビーチ・キャンプ仕込み。
南海、阪急はブレイザー(1967年加入)、スペンサー(1964年加入)のプレー・スタイルを真似てチーム内に
革命を起こしたが、時期的には巨人の方がアメリカ式トータル・チーム・プレーを早く導入した。

ただ川上もドジャース式のチーム・プレーをチームに浸透させるまで4年かかったと
Numberの西鉄特集で公言していて、その期間は日本一、4位、日本一、3位と波が激しい。

いちばん苦労したのが「情報の共有」。
グラブ捌きや右撃ちの極意を掴んでいるベテランは、そのスキルを積極的にチームに浸透させよ
という指令に、当時のベテランが猛反発。

「教えて欲しけりゃ金持ってこい」という、個人主義が当たり前だった空気を払拭するのに苦労したらしい。