日本ハム・落合博満はなぜ失敗したのか
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落合が日ハムに移籍した時、
「大社オーナーと上田監督から数字だけでなくチームにいい影響を与えて欲しい
そのために君が必要だ」と言われていた
チームの精神的な支柱になることを見込まれての獲得だったと思う
その割に引退試合では誰ひとりとして彼を拍手などで迎え入れなかったようだし
チームに溶け込んでいたとは思えないんだが
日本ハム・落合博満はなぜ失敗したのか
当時をしる人教えて 2年契約でやる気がなかった
44、45歳の年齢
野口死球からの手首の故障
投手を覚えるのに時間がかかった
広瀬ら生え抜きと険悪 そもそも落合は実力以外の部分での人望は元々そんなに無いんだと思う
監督時代も勝ってるから正当化されてたのかも
GM時代の諸々とかが落合の人間部分では
日ハム時代は結果で正当化できなくなっただけのような 落合自身はあのような結果になったけど上田・小笠原・奈良原にとっては大成功って言ってもいい。 落合は引退宣言をした上での引退試合をしていない。
日ハム側は引退試合を用意するつもりだったが、落合がこれを固辞。
「プロだから自分を必要とするところがあれば行く」と自由契約を選び、日ハムを退団。
しかし、春キャンプがそろそろ終わろうかという時期になってもオファーがなかったので引退を決意。
結果的に、日ハム時代最後の出場試合が引退試合となった。
そんな感じだから、最後の出場のときもみんないつもの対応しかしていない。
もし引退宣言しての最後の出場だったら、花束くらい用意するだろうし、引退会見もあっただろう。 >>5
これが事実な。
上田監督はスタメンをすすめたが拒否したと。
編集では「代打で始まった野球人生、最後も代打で終わりたい」なんてことになってるが、あれは後付け。
スタメンをすすめたのも引退だから、ではなくて、日ハム選手としての最後の試合だったから、というのが正しい。
上田監督が他の選手にも言ってたらしい。
「落合はまだ次のオファーを待ってる段階だから引退じゃない。普通に接してやってくれ」と。 でもあれだな。
ホームランが激減したり、チームが優勝争いしてるのにスタメンで使われなかったり、引退宣言をしたのかしてないのかよくわからなかったり。
巨人に残ってたらどうだったのか?
野口のデッドボールがなかったらどうだったのか?
などなど、いろいろ想像をかきたててくれるくらい謎が多いのはドラゴンボールのコルド大王と同じだな。
フリーザよりも強いのか?
あの姿から変身をするのか?
変身していたらトランクスに勝てたのか?
などなど。 >>8
どっこい事実じゃない
落合は本人が望めば契約延長できる契約があった 大社オーナーも上田監督も打者落合にそんな期待してなかっただろう
どう考えても「チームリーダー」とか「若手の育成」を期待したんだろうと思う
まさか44歳に「3割30本打て」とは言わないでしょう
中堅選手たちが総スカンだった理由はイマイチ解せないね
次期監督だった可能性もあったのに 98年にハムが大逆転V逸くらって
落合への批判がさらに増した感 古巣のパリーグに戻れば活躍できるみたいな論調もあったが
セリーグ以上に速球派揃いで40過ぎたオッサンには酷だわな
上田監督は.250、20本ぐらいは打つと思ったんだろうけど >>12
あの成績で3億もらってリーダーシップもやる気も見せなかったらそうなるわな >>12
前(現?)キャプテンの広瀬が落合加入の煽りを食ってレギュラーからベンチ要因に降格
同じく97年に出番がなくなって自由契約になった金石共々批判
単なる出番が無くなった連中の不満だっただけなんだが
上田監督自身も前年に家族問題からの職場放棄という負い目を背負ってるだけに
押さえ込めなかった 4番外されたぐらいでヘソ曲げるような人間は「手本」にはならないわ 当時セ投手よりパ投手の方がレベル低かったと思うが
速球派揃いだったか? あと、野口の死球が星野の指示だったってのはどのくらい信憑性高い? 似たのが92年の岡田彰信か
ひさびさの暗黒確変優勝を老齢でパーにするわ代打亀山にカメラの前で露骨に不快な顔するわ チームの士気を上げるためにわざわざへッドスライディングをする広瀬に、
怪我するから止めとけ と真っ当な忠告をする落合
どちらが正しいのやら >>20
星野の司令だったとは誰も言ってないよ。
落合自身は
「1塁が空いてたから、ぶつけてくることも念頭に置いていた。
念頭に置いていたけど避けきれなかった。昔はよけれたけどこれも年齢なのかな」と回顧してたけど。 >>23
広瀬って落合の自著で「彼が若い選手と自分を埋めてくれた」って言ってるし
そんな仲悪くないんじゃないかと思うけど 97オフの日テレの珍プレーで普通に共演してたな広瀬と落合
広瀬が落合の悪口いうと落合が裏から出てくるっていうありがちな演出だった 広瀬が女子野球の監督やってた時、落合を呼んで指導してもらってるしな
少なくとも引退後においては険悪という事実はない 引退後のテレ朝の解説で思い切りかぶってるしな
広瀬落合 片岡と田中幸雄と金子って落合のエピソード語ったことあるのかな 広瀬はなんで2006のシリーズ解説に呼ばれなかったのか謎 投手覚えて打つタイプだから年取ってリーグ変わるのは辛かったろうな 日ハムを選んだり理由が
「年俸」
「2年契約プラス本人が望めば契約延長」
「日本ハムは会社が迎えに来てくれて、オーナーから監督まで総出だった」
「ヤクルトはノムさんが乗り気だっただけ」
だったかな
パリーグ移籍については
「球場が広くなると打ち方がよくなるから問題ない」
「1年目より2年目の方が結果残せるのは確かだが、相手投手も初対戦だから問題」
だったと思う
結末は(略 2年契約6億円を選んだけど1年3億円のヤクルトに行ってたら
慣れてるセリーグでそこそこの成績を残してもう1年やれたんじゃない?
日ハムじゃ完全に疫病神扱いだったし 広瀬と落合は仲良しだぞ。
広瀬の講演会でもよく日ハム時代の落合との話は出てくるし。
それを聞いてるとチーム内がガタガタだったというのも誰かのでっち上げに思える。
落合塾みたいなのも二年間ずっと開いてたらしいし。 ・金石の話
・3億円に対する若手・中堅の不平不満
(これはニュアンスが不明。本気で腹たったのか、「自分も頑張って落合さんみたいになる」という意味だったのか不明)
・引退試合で選手からの拍手や出迎えなし
(今から考えるとおかしいが当時の慣習では普通?)
これらが「日ハム落合=孤立」説を生む原因だと思う ↑
日ハムから去るということは宣言してるけど、引退とは言ってない。
しばらく経った後のニュースステーション出演でも「引退はしません。ただ、今はオファーがないだけ。オファーがあれば行きますよ。だから引退はしません。」 落合を嫌ってるのはGMまでプレーしてきた中日の選手が多いんだよな、というか殆どそこで監督か高木になる時に離れていた人間はさほど嫌ってない
巨人の当時も然り
だがGMは名前が権威になりそれが動くから井端と清原が落合の立場をズタズタにするには十分な存在だった
前者で反金満と広め、後者で権威を切り裂いてやる前からGMとしての失敗は決まった。 1997年落合
打率.262 3本 43打点 OPS.680
規定打席に到達して3本43打点とか
改めて見てもやばい成績w 金石の話なんてまともに取り合う必要ないんだけどな
解説聞いててもいい加減なことしか言わない >>39
夏前までは3割狙えるところにはいた。
4割は程遠いが、この年は途中から打率でいこう、と決めてたんだろうが、小さくまとまりすぎてしまい打率も落としてしまった。
そんな感じだな。 野口のデッドボールがなかったら
ヤクルト行ってれば
この2点に尽きる。 96年の復活っぷりがあまりにもすごかったからな。
いろいろ想像したくなる。 >>39
ウィルソンとブルックスが落合の打撃指導で
戦力になった
大阪ドーム初年度やパリーグのスタジアムの
広さが落合の予想以上だった
それでも3本塁打は寂しい 中日監督でできなかった打撃の育成ができていたのがハム時代 ウィルソン、ブルックスは本当に落合を慕ってた。
西浦も落合のアドバイスがなくなった途端に散ったしな。 現役選手が「慕われてた」とか「指導した」とかで持ち上げられるエピソードが出たら終わりだな 小笠原とか(落合が)わしが育てた扱いだけど実際のところはどうなんだろうか 小笠原は当時控えで落合のボールボーイみたいなのをやってたのは確か
ミットやバット渡したりする役目 バラエティで広瀬が落合ディスりしてたのは仲が良かったからこそできる芸だったのかな
いくら落合が嫌われ者でも広瀬あたりにガチでディスられたら球界のお偉方からなんだ広瀬の分際で大選手を
公然と批判するなんてという声が聞かれそうだもんな 日本ハム落合がオリックスの加勢から神戸で打った
バックスクリーン左への一撃は流石三冠王だった
二刀流紛いの加勢から舐めるなよと言わんばかりの弾道
狙ってたんだろな >>39
シーズン途中でケガで離脱してくれた方が良かったか 視力と体力の衰えだよ。デーゲームでもサングラスかけたり努力してたけどね。バッティンググローブもしてたな この2年間は序盤はめっちゃ成績良かったんだよね
例えば1年目の4月でどこか骨折して引退してたら
どう評価されてたかきになるね そういうこと。
春にはしっかり仕上げてきていたわけよ。
開幕は4の4だっけ? なんだかんだで長嶋の元で野球やるのはモチベーションになってたと思う いくらカッコつけたところで清原との競争から逃げた事実はかわらない キヨがサードやるって言えば良かったのになあ、って今もたまに思うよ。 1997巨人
1(二)仁志
2(遊)川相
3(中)松井
4(一)清原
5(右)広沢
6(三)元木
7(左)清水
8(捕)村田
9(投)
(三)元木→(一)落合
(三)清原
これはどっちが4番打つかでも揉めるわw 立川談志「落合も清原も一塁に置いとけ、それで取られた点は2人が打って返すだろ」 サードなんかまったく動かない村田でもできたんだからキヨでもオチでもどっちでもサード守れたろ
今だとUZRで守備範囲が丸裸にされるけど当時は正面の球だけとってればよかったしな あるし会社が横浜スタジアムの年間指定席もってたから年間何十試合も間近で村田の守備をみてる
ほんとあいつ全く動かないぞ
たぶん44歳のオチのほうが動けた 「野球人」(引退後即書かれた著書)の中で
試合途中に守備・代走を送られたことに文句言ってるけど
デーゲームやら新しいリーグに入った落合に上田監督なりに気を使っただけでしょ
文句があるなら監督に「俺は最後まで出場したほうが良いタイプ」ってことを
直接でなくても誰かを通して伝えればよかったのに 巨人を出る時点でヤル気は無かった
金の多い日ハムを選んだだけ >>71
起用方法に文句を言ったら監督批判でペナルティを科せられる
罰金や謹慎や干されるなど >>67
正面の球さえ怖がってよく弾く大山でも務まるサード うずら-5の松田熱男がぶっちぎりの票数でGGに選ばれるような土人国家でしたり顔で守備を語るコッケーな倭猿WWWWWWWWWWWWWWWWWW >>72
落合の著書コーチングでは巨人は解雇になったと書いてる >>65
それならセカンド落合でいいだろ
ロッテ時代やってたからな >>71
フルに出してたら大ベテランに無意味なフル出場強いたとか文句行ってそう >>79
それでも、落合は監督になってからも私情は一切挟まずに、野口を重用したからな。人間的に素晴らしい人だとは思う。 97年は巨体の安田
98年は左翼から西浦が落合の守備固めしてたな 外野手から投手転向の嘉勢からホームランを打って「野手から打ったって嬉しくない」と話したという
全盛期の活躍やトータルのイメージで見れば「落合らしいコメントだな」と思うが、
日本ハム時代の不本意な成績を思うと悲しくなる
ホームラン打ったんだからもっと喜べば良かったじゃないか、って >>38
元木は落合にパシリに使われてたから嫌っている >>81
嘘つき野郎
虐めに虐め抜いたからFAで巨人入りしたんだろうが
同じように虐められてヘッドコーチから最後は
二軍のコーチにまで降格させられた鈴木が野口は気の毒だったって言ってたわ
落合はこういう執念深くて陰湿な奴なんだよ >>85
鈴木孝政は先発投手を漏らしたから(森繁の著書)
にも関わらず1年目終わった時落合自ら残留交渉してる
野口は神宮でツーアウトナンナーなしから滅多打ちにあったり
広島で早々にKOされたり
変な投球続いたけど我慢して使ってたよ 結局、野口に手首破壊されたのが全てなの?
それにしては、成績落ち込み過ぎな気もするが 金に目が眩んで一からやり直しのパリーグに行ったのが悪い
「清原君には負ける気がしない」って豪語したんだから
単年契約だろうとヤクルトで勝負するべきだった ヤクルトは獲得交渉で巨人への復讐心を煽ったとものの金に転んでハムを選んだと朝日は評していたな 落合って相手投手のデータを叩きこんで読みで打つ打者だからね
あの歳でリーグ替えたら対応できるわけない 同い年で比べると門田は化け物だわ
41歳と42歳の時の比較で10月時点で落合は+10ヶ月、門田は+8ヶ月
()内はパ・リーグ平均
落合
97年
.262 _3本 43打点 .361 .320 _.680(.735)
98年
.235 _2本 18打点 .344 .309 _.652(.745)
門田
89年
.305 33本 93打点 .417 .596 1.013(.768)
90年
.280 31本 91打点 .387 .536 _.923(.764) >>93
失礼間違えた
43歳と44歳の時の比較で10月時点で落合は+10ヶ月、門田は+8ヶ月
()内はパ・リーグ平均
落合
97年
.262 _3本 43打点 .361 .320 .680(.735)
98年
.235 _2本 18打点 .344 .309 .652(.745)
門田
90年
.264 18本 66打点 .358 .452 .810(.764)
91年
.258 _7本 23打点 .341 .432 .773(.738)
門田の方が若干上程度か 落合って92年で明らかにピークアウトしてるね
ホームランが激減して以降は20本前後しか打てなくなった
なにがあったんだろう >>88
本人が言うには
「手首破壊した後、日本シリーズに出場するために
骨折したままバット振って全身のバランスがおかしくなった」らしい
>>95
肉離れで二軍落ちしたのがその辺だった気が 悩み事とかあったんじゃね?
野球に集中できないくらいの。 >>89
ノムさんなら落合を巧く使えたね
セリーグなら.300 20本は打てた
あの時代のパリーグの球場だと落合でもキツかった 初年度ホームラン3本の割には
相手がビビッて四球出したり敬遠したり
凡退してるのでもフルカウントでファールで粘ってたの多かったね 最晩年に球場が狭いセから広いパに移籍したのも老体にはキツかっただろう。 復活できたかどうかはとにかく、野村克也と組んだ落合は見てみたかった >>105
野村のもとでプレーしていれば
後に監督になった時に絶対役立ったと思うけどな。 再生工場に入るべきは落合じゃなく清原だったな
服装や生活態度から指導してもらうべきだった 門田が珍しいだけで普通はもっと衰えてみんな引退してる時だろ
30後半になってホームラン激減は普通だよ
落合はその後持ち直したんだから良くやったよ
それよりもセリーグ来た当初の28本しか打てなかったのは当時どんな反応だったんだろ
三冠王も大したことねーなって感じだったんだろうか 落合は西本のシュートでおかしくなった
後楽園での落合がドン詰まりの内野ゴロでセリーグに対応が遅れた
翌年は30本打つが3割切ったりアジャストしてなかった >>105
>>106
上田利治より揉めそうだけどな現役落合と監督野村は 監督がふたりいるようなものだからノムが嫉妬すると思うw >>108
当時は川崎だからあんなに打てたとかセリーグは変化球主体だから、って言われてた気がする 浮きまくってたのは事実みたいだね
グラブ届ける係だった若手時代の小笠原は「皆遠ざけてるけどあれ程の記録を残した人だから何かあるはず」って思ってずっと観察してたみたい ブルックスとウィルソンと仲が良かったってのは何となく分かるな
向こうからしたら日本のレジェンドだし
風貌からしても「この人からなにか吸収しておいた方が良いかも」と思っただろうし 98年のハムの試合見ると1人だけベンチの端っこにいる 落合監督GMがコーチなどで呼び寄せたのは
巨人ハム中日時代の同僚ばっかでロッテからは一人も呼んでなかったよな
佐藤道はロッテからだが落合がいた頃の中日にもいたし 門田は30過ぎからDH専門だったから打撃だけを気にして生きていれば良かっただけ。 >>114
ブルックスは神主もどきをやっていたな
落合よりグリップの位置が低いが、全盛期並みにバットのヘッドを倒していた ブリトーの飛距離やばかったな
東京ドーム180m弾には度肝を抜けれた
当時はラビットボールじゃなかっけどカブレラ・ローズ時代のラビットだったら220mくらい飛ばしたかも
日ハムはロマン砲をさがすのうまかった ゲーリー(中日)は神主打法を真似て前年よりホームランが激減した >>122
そうか?
落合が来てすぐ真似たんだっけ?
1年後だっけ? >>63
落合がそんなに大きな波も無く95年の2割8分15本近くを打つペースなら揉めはしないんじゃないか? >>94
門田の打撃スタイルでこの年でこんな打てるってのが肉体的化け物過ぎるやろ 単純に年齢的限界でしょ
野口の死球が〜と言うけど
1996年も前半の打撃と夏以降の打撃では内容がかなり違ってたよ
逆にハム時代も全くのゴミというわけではなく
長打力は激減したものの、率は.260〜.270ぐらいを打つ力は残っていたように思う
最後の方はほとんど出番がなくモチベーションも下がって打てる感じではなかったけどね
ハム時代の落合が本当にヤバかったのは打撃より守備の劣化
でも上田さんではなく大沢親分が監督なら、
代打の切り札として上手くおだてて使っていたかもしれない
衰えた大選手の扱い方は大沢の方が長けているから 2007年で引退した43歳のボンズ
.276 28本 66打点 .480 .565 1.045 (477打席)
ナ・リーグ平均OPS.757
実力的には2008年もプレーできたと思う >>126
代走や守備固めで途中交代することに納得しなかった時点で鼻つまみ者だわな
パ・リーグは観客数が少ないからってモチベーション下げるし 落合は自著で「使われ方が不満でモチベーションが落ちた」と
言ってるけどこれは納得できないよね
大社オーナーが「生きてるうちにもう一度優勝が見たい」という
男気で日ハムに来たんだからどんな使われ方しようと
チームの優勝に貢献できるんだったらなんでもやるべきだった
晩年のヤクルト池山みたいにベンチにいても
守備交代のときに野手を迎えに行くとかもやろうとおもえばできたのに 97年の4月のダイエー戦で2点ビハインドの9回に四球で出塁したら代走に荒井を出された
直後にウィルソンの2ランで同点になったが、10回サヨナラのチャンスで荒井に回って凡退
結局11回にサヨナラ勝ちしたが、何かすっきりしなかった
1ヶ月後のオリックス戦で6回終わって7-7の同点、その後日ハムが8回と9回に1点ずつ取ったが、9回裏に安田と交代させられた
そうしたら島崎が同点に追いつかれた挙げ句田口に満塁サヨナラ本塁打打たれた
この2試合が不満だったうえ、その後も守備固めに安田が出されたことで今まてのリズムが狂ったと書いてある プロとしてお粗末過ぎる言い訳だね
単なる衰えじゃんね 中日に移籍したときの成績低迷も1986年の日米野球で感覚が狂ったせいとか言い訳してるよな 敬遠を省いた四球と三振の比率
左から
落合、リーグ平均、落合/リーグ
95年 0.82(71/87)0.49(2575/5206)1.65倍
96年 1.21(64/53)0.48(2513/5190)2.49倍
97年 1.00(60/60)0.55(2696/4911)1.82倍
98年 1.18(26/22)0.60(2806/4659)1.96倍
あくまでも目安だけど目はそこまで落ちてなかったのかもしれない
97年と98年はパリーグで投手抜きなので突出度はセリーグより不利になる 若い選手の見本に〜とか言われたオッサンが
起用にヘソ曲げてぶつくさ言ってんだから見本にも手本にもなるわけないわな >>134
選球眼に関しては最後まであまり落ちてないね
もともと四球の多いタイプの打者でも
例えば金本なんかは晩年に選球眼まで狂ったけれど
落合の場合は目は維持できていたと言える
劣化が大きかったのは筋力やパワー、スピードといった身体能力の方なんだろう あと、落合の上田監督に対する起用法云々への不満は
衰えた大選手にありがちなことだなという感想しかない
立浪が監督落合に対して抱いた感情と非常に似ているな、と
岡田(どんでん)と中村監督なんかも同じ
客観的に見ればそら外されて当然だわと思えるような状況でも
プライドや過去の実績が邪魔して素直に受け入れられないんだよね
そしてその辺を何とかフォローして手なずけるのが上手い監督とそうでない監督がいる
上田や監督としての落合は後者で、大沢は前者
もう一つのパターンとして、
大選手が衰えてきたら、ベンチに置いても害悪になるだけなので速攻でクビか二軍幽閉で切ってしまうという方針の監督もいて
代表的例は広岡 落合が若手だった頃はちょうど張本がハム時代の落合的な存在としてロッテに在籍していた
監督の山内に対しても偉そうな態度で接し、コーチを差しおいて若手に指導したりするが
劣化のせいで自分の成績はさっぱり
それでも首脳陣は張本に気を使っていて
1981年前期優勝のかかった試合の一打サヨナラのチャンスで
打率.320 14本塁打の落合に、打率.217 2本塁打の張本が代打に送られたこともある(結果は案の定)
どう考えてもその采配はおかしいし、落合も内心「それ見たことか」と思ったそうだ
でも、10数年後には自分が同じような「老害」になるとはね 1997オフにハムに切られたベテラン勢はふんぞり返る落合とそれに対して何も言えない上田への不満を口にしていたな
1997年はあの成績で規定に到達するぐらい起用したんだから上田なりに配慮したんじゃないかな
>大選手が衰えてきたら、ベンチに置いても害悪になるだけなので速攻でクビか二軍幽閉で切ってしまうという
後これは後知恵くさいけど、1996年の日本シリーズの明暗はオリックスは佐藤義則を外し、
巨人は落合をメンバーに入れたことが一因とナンバーに書いていたな。 立浪に関しては代打で起用してたからいいと思うけどなあ
盛り上がってたし
だってどこ守らせるんだ? >>139
その意見はあまりに落合アンチ寄りになりすぎ
まず、クビになった金石や西崎が言ったことはそれ自体負け惜しみか腹いせみたいなもので
信用するに値しない
自分が怪我や衰えで満足な成績を残せなかったから切られたのであって、そこでチーム批判をするのはお門違いでもある
落合の上田批判が負け惜しみなのと同じ
あと、上田監督が1997年にあそこまで落合を4番に起き続けたのは確かに謎
気を使ったのか何か知らないが、他にいないわけでもないのにね
と同時に、1998年の夏以降全くと言っていいほど試合に出さず、かと言って二軍にも落とさずだったのもおかしい
(使う気がないなら枠の無駄だから二軍に落とすべきだし、一軍に置く以上は何らかの使い道を考えるべき)
1996年の日本シリーズに関しては、
怪我が完治してなかったとはいえ
落合はレギュラーシーズンでは好成績だったのだから長嶋が使ったのは妥当
シーズン中もまともに働いてない佐藤とはワケが違う というか96年日シリの巨人は内容的に惨敗だった
落合は大して打てなくても四球乞食が出来た分マシな方だし少なくとも戦犯ではない
松井は打ててない上に出塁も出来てない 落合があの時ヤクルトに入っていたら
ハムに行くよりはある程度の活躍は出来たかもしれないが
野村との引退後の蜜月関係はなかっただろうなw 98年に落合がミーティングでブチ切れた相手のコーチは誰なんだろうな…ヘッドの住友か?
タダでさえ雰囲気が悪くなっているなか、チームメイトからしたら「このオッサン、なにキレてんの」としか捉えられないだろ
普段から腫れ物扱いされているんだから >>140
落合だって6番だったり代打だったりで起用してもらってたのにブツクサ文句言ってたぞ
4番ファーストで守備固めも代走も出してほしくないって
そんな都合のいいことあるかよ >>145
選手落合も立浪も、上田監督も落合監督も全員悪くはないぞ
選手は基本エゴの固まりだし監督はチームが勝つために最善と思う手を尽くす
ただそれだけのこと ちなみに本当に選手として枯れると
監督の起用法への不満や、自分のかわりに出た選手への嫉妬が全て消えて
そうなるといよいよ引退が近いそうだ 実績のある選手を
チームの和を乱すことなく
かつ本人も納得させて干すのは難しいのよ
星野 以上からして巨人の3年間は落合にとって幸せだったということが言えるな。
ロッテだと目立たない。
中日ではセに慣れるのに時間がかかり、慣れたと思ったら今度は体力の衰えで急下降。
槙原は落合がいなくなることに対して巨人にとって大打撃、投手陣にとっても大打撃、とにコメント出してたぐらいだしな。 落合が97年もコーチ兼任、長嶋の次の監督候補として巨人に残留していれば
清原の移籍1年目の成績はもっと良くなっていたのではないか?
落合がいるだけで、清原はより必死にやっただろうし。 清原と落合を競争させなかったのは第二次長嶋政権最大のミスだろう
情に流されて本質を見誤った 落合には選手兼コーチとして巨額を投じて複数年契約を結ぶべきだった
そうすれば恩義を感じて巨人に最後まで尽くしただろう >立浪が監督落合に対して抱いた感情
不満はあったと思うが
代打専になった立浪は、それに対応するために
誰よりも早く球場に来てフリーバッティングをしていた。
その姿勢を落合も高く評価してたし若手の手本にもなった
晩年の日本ハム落合と中日立浪は違うと思うんだよね 落合が日ハムにいた年のオフ、広瀬がテレビで「落合」とか「あいつ」とか呼び捨てにして打てないくせに態度デカイと批判してた。 本当にハム時代の落合を見ていたとは思えない
ただの田舎味噌球団ファンの派閥争いみたいになってきたな、このスレww
そう言えばやっとオーナー変わったぞ〜 態度とかチームの雰囲気() とかそんな曖昧なものはどうでもいいんだわ
プロは結果が全て
そりゃ代打としてそれなりに打ってチームに貢献した立浪の最晩年と
スタメンでも代打でもさっぱりで老害化した落合の最晩年の比較だったら立浪の方が上だろ
ただそれだけ でも落合はハム1年目はともかく2年目は分相応な扱いになったからマシだったと言える
本当に最悪なのは明らかな老害なのに外せなくて足を引っ張りまくるパターン
金本とかヤニキとか左本キとかあのお肩とか 当時の巨人からパリーグなんてのは都落ちもいいとこだし
モチベーションが上がるわけがない
落合は日ハムに金を受け取りにいっただけだ
清原が仰木に誘われたとき「高倉健はVシネマに出ない」
といって断ったというがこれがすべてを言い表してる >>152
長嶋が5年前のサンスポの連載で「次の監督は原君以外考えていなかった」
と書いてから落合なんて監督どころか巨人ではコーチも無理 生え抜き主義の巨人が落合を監督にするわけはないが
長嶋の連載なんて
「アウアウアー」をゴーストが好きなようにまとめてるだけだぞw >>152
生え抜き監督主義の巨人に革命をおこさせるとしたら落合だけだったろうな
あのまま巨人で選手生活を終えていれば確実にチャンスはあった
なにしろ星野が候補に挙がるほど人材不足だったわけだし
星野を呼ぶくらいなら巨人への貢献度の高い落合になるのは確実だった >>日本ハム・落合博満はなぜ失敗したのか
自分のことしか考えないタイプに思われがちだが、
94年巨人での優勝決定時は泣いていたし
フォアザチームの精神がまったくなくもないのだろうが、
ああいう一匹狼気質の選手はプレーで結果を残せなくなったら終わりなんだろう。 一匹狼だろうとチームプレーだろうと
ベテランが結果を残せなくなったら終わりだわ
大減俸がイヤなら引退しかない 巨人時代の落合ほどチームプレーを感じさせる選手は観たことがない
落合は個人主義みたいなのはまったく誤った世間のイメージだ 元木にボロクソ言われてたよ
「俺は落合さんのパシリじゃないと」 >>169
ナベツネは落合好きだからやらせたそうに見えたけどね
OB会が許さんだろうね、広岡ぐらいか賛成するの >>168
そのように思った巨人ファン、プロ野球ファンが山ほどいたのな。
へぇー、落合がつなぐんだぁ、とびっくりした。
マウンドに駆け寄る回数もとんでもなく多かったし。 >>169
落合が巨人に骨を埋めたとしての仮定だから >>152
アンタ他のスレでも同じこと書いてただろw ヤクルトに行ってたら小早川の開幕3連発はなかった。
ヤクルトの優勝もなかったかも。 落合がヤクルトを選んでいたら小早川のヤクルト入りはなかったかな? >>166
個人記録では大した成績を残せなくなっていたからフォアザチームをアピールしないと生きていけなかったんだろ。 >>179
巨人に移籍した頃から公言してる
「もちろん三冠王は毎年目指してるけど
今のオレに大きな数字を残せっていうのも無理なのが現実。
長嶋監督も上田監督もオレの経験や存在感を買ってくれたんだ」 単純に年齢だと思う
高卒で言うと26年目
遅生まれが44歳、45歳になる学年
そもそもその年齢で現役なのがほとんどいない
()内はリーグ平均
落合
.262 _3本 47打点 .680 (.735)
.235 _2本 18打点 .652 (.745)
門田
.264 18本 66打点 .810 (.738)
.258 _7本 23打点 .773 (.730)
ノム
.222 _5本 22打点 .601 (.766)
.217 _4本 14打点 .728 (.797)
山ア武司
.209 _1本 13打点 .582 (.648)
.210 _0本 _7打点 .568 (.699)
イチロー(MLB)
.255 _3本 20打点 .649 (.748)
.205 _0本 _0打点 .460 (.734)
金本
.258 _6本 30打点 .707 (.648)
なし
福浦
.000 _0本 _0打点 .000 (.718)
なし >>182
ノムさん、引退の年に50打席くらいでホームラン4本は本塁打率12くらいやぞ
つまり4打席で1本放り込んどる 立浪まだレギュラーやれたろ。
3000本安打も行けたかも知れんのに >>178
木っ端の元木がいまや巨人ヘッドコーチ
落合は巨人で現役を終えなかったことを悔やんでるに違いない パリーグならブランコ、ウッズDHで立浪ファーストとかでできたかもしれないけどあの時の中日でレギュラー続けさせるのはエゴでしかないと思う コーチは技術指導なんかより対人関係で選んでるから村田とか元木が選ばれるのはよく分かる 対人関係ガン無視で選んだら吉田阪神みたいになるがいいのか? >>188
吉田阪神はよく分からないけどちゃんと技術指導できるコーチが殆どいないなあと思う >>180
そういうのは大いにあるにせよ、落合個人としてはそれまで言ってたことと違ってすごい開き直りだよな 落合の巨人監督が見たかったな
川上クラスの成績残したんじゃないか
巨大戦力を扱うなら落合以上の適任者はいまい 巨人の監督は読売本部の傀儡になれる人じゃないといけないから無理かな
同じ理由で松井も多分ない 落合は高卒換算だと最初の7年キャリア無しだからね
プロ入り後も規定到達は3年目からだし
それ考えると通算成績凄いしめちゃくちゃ長持ちしたほう 初代ファミスタの おちあい
成績は50本だが内部データは70本くらいらしい
逆に たつのり きよはら は成績30本で内部20本 >>195
おちあいの内部数値はどこかで聞いたことあったんだけど
まさかたつのりとかが20本止まりにされているとは知らなかった
扱いが酷いな… 儂が持ってたファミスタは初代かは知らないけど
落合が居たのは南海とロッテの混合チームでよくホームランを打つから
何時もこのチームを選んだ 門田も、あと一年やって
福岡ドームでホームラン打って
欲しかった。。 >>176
97年ヤクルトの優勝はなかったね。小早川は代打専門。
落合は3億円も使うんだから、ファーストスタメンで使わざるを得ない。
1本はホームラン打ったかもしれんが、チームの勝敗には関係ないでしょう。
結局、日ハムの時も3億使ってるんでスタメン起用、結果は…。典型的な老害パターン。
日ハムには6億円というお金もらいに行ってるだけだから、何の思い入れもない。
税金対策と落合記念館のため。でも図太いのは2年目声かかると思ってたこと。信じられん。
3千万でもいっただろうか?最近の村田修をほうふつさせる。 ヤクルトなら、神宮だし
市民球場やハマスタもあるから
打率.268 ホームラン12本 59打点
くらいは
行けたやろ 個人成績はそこそこ残す。チームプレイは?
ヤクルト優勝まではいかんやろ。足ひっぱてたかも。 球場の狭さもあるけど投手のデータもバッチリだろうからもう少し打てたかもね 当時のセ・リーグとパ・リーグじゃ
球場の広さが全然違う
甲子園とナゴヤドームくらいか
それ以外の球場は、全て外角の球を
ちょこんと流し打ちしてポール際に
入れることが出来ちゃうからなぁ(笑) 総本塁打数
97 セ775 パ668
98 セ662 パ733
東京ドーム本塁打PF(日ハム)
97 0.93
98 1.34
ちょこんと流し打ち() 97年98年はそれぞれ落合が44歳45歳になる年
この年齢で結果残した打者なんて殆どいない
単純に年齢でしょ 衰え早いっていうか
投手は攻め手だから年をとって反応スピード衰えてもどうにかなるが打者は受け身だから命取りになる 俺も今年45だが、去年から思うように打てる確率が極端に下がった。
これはセカンドフライかな?と思ったのがピッチャーフライだったり。 走りこめ!老いは下半身からだ!
オチも野口の手首ばっか言われるけどすぐアキレス腱痛めるようになったよね
直ったと思ったらまた痛めて離脱したり 落合は25歳でプロ入りで2年目から本格的に活躍
高卒9年目から活躍したのと同じ
なのに500HR、2000本安打、1500打点も達成してるからむしろめちゃくちゃ長持ちしたほう 和田とかいうさらに上回る超遅咲きが出ちゃったからなあ… >>214
和田が引退するまでの3年と同学年の時の落合の成績
41〜43歳になる年
やっぱ微妙に落合の方が長持ち
この後落合は日ハムの2年間
(リーグ平均OPS)
和田
.275 18本 76打点 .804(.699)581打席
.281 16本 65打点 .870(.720)356打席
.298 _5本 26打点 .750(.672)234打席
落合
.280 15本 68打点 .815(.717)540打席
.311 17本 65打点 .895(.728)483打席
.301 21本 86打点 .924(.739)448打席 広瀬の著書に監督は98年は落合をもっと起用すべきだったって書いてたし不仲ってことはないやろ 落合は成績で周りを黙らしてきたタイプだから結果出なくなったらまあそうなるわね
監督時代は結果出てたのに冷遇だったけど 広瀬が監督やってた女子野球チームに臨時コーチしにいってたよな落合
広瀬も「あんな凄い結果を残した方だけど教え方はとってもシンプルで分かりやすい」って言ってた ゼロか百かではなくて、尊敬できるとこもそうでないとこもあるってだけの話なのではないかな 落合が移籍する前からハムの雰囲気は悪かった
上田と主力選手、ベテランと若手の間に深いミゾができていて、今度は落合が加藤秀らコーチ陣と揉めて更におかしくなった
モミーが1人で頑張っていた ミゾが生まれた原因はやっぱり宗教がらみのトラブルなのかねえ その落合は監督時代に上田を獲り、GM時代に加藤秀をコーチとして迎えるのか >>86
陰湿ないじめは、みえないところでやるものだから、表面的なところからは、わからないよ 96年に上田がハムの監督辞めてたら誰が監督やってたのか?
大島前倒しか? トレードで中日に来た頃、大島の方が年上なのに
落合がマスコミに「大島」って呼び捨てにするのが不快だった
その頃からこんな奴獲らなくていいのにって思ったけど
まさか礼儀を知らないその糞に中日を再起不能にされるとは夢にも思わなかった‥ 落合は2学年上の峰竜太にも「おい峰 お前」呼ばわり 江夏が年上の星野、山本浩二、堀内を呼び捨てにしてしめられてたけど
落合は狡猾だから反撃してこなさそうな年上の人間だけに呼び捨てにしてたな
ひょっとしたら仲が良かったのかもしれないが >>227
そんなことあったのか
さすがに中日の監督が終わったあとの講演会じゃ「大島さん」って言ってたが >>230
落合さんの後ろを打つ5番は誰がいい?って聞かれて
「大島でいいんじゃない」って言ったから選手名鑑を引っ張り出した さすがに年上を呼び捨てはいかんわな
「金田」ぐらいまで行けばネタになるけど何で大島を呼び捨てにしたんだろう 社会人なら、社内の人を社外で言うとき、敬称を付けないでしょ。
平社員でも社長を「弊社の大島が云々」みたいな言い方だったり。
で、気付いたんだがプロ野球は違うんだな。 バッティンググラブし出したのって日ハムの時からだっけ?相当切羽詰まってたんだな 里崎が若い頃新人が入団してくるときに年齢だけは頭に叩き込んでおくと言ってたな
年上の人にタメ口叩いたら大事になるからね
まちがって年下の選手に敬語使ってたこともあったらしいが >>227
落合は育成や人事についてはダメ
球団の体制もあるけど、GM時代でやっぱりこの人は論理より直感タイプと思った >>237
すげえ勘違いされてるけど実際はそうだよね
直感に後付けの理屈並べてるだけ
だから割と辻褄が合わないことが多い 落合の出身の秋田県立秋田工業高等学校
ってAV女優の森下くるみも同じ出身なんだな 落合は韓国閥と合わない国士
張本、金田、有藤、1001、金石 >>238
落合自身が「自分は他人のいいところ吸収するタイプ」って言ってるじゃん >>234
中日とか巨人時代も付けてた時あった気がする >>29
片岡はYouTubeで日ハム落合の事語ってた ファーストフライを捕ろうとしたら1b後方に落ちて目の衰えを実感して引退を決意
息子に「父ちゃん辞めるけどいいか?」って聞いたってエピソードはアナル一家お得意の作り話だな 日ハム落合は高卒換算でプロ入り25年目、26年目
同じ条件だと(リーグ平均OPS)
落合
97年 .262 *3本 43打点 OPS.680(パ.735)
98年 .235 *2本 18打点 OPS.652(パ.745)
門田
91年 .264 18本 66打点 OPS.810(パ.738)
92年 .258 *7本 23打点 OPS.773(パ.730)
金本
12年 .258 6本 30打点 OPS.707(セ.648)
13年 引退済み
ノム
79年 .222 *5本 22打点 OPS.601(パ.766)
80年 .217 *4本 14打点 OPS.728(パ.797)
ノムは微妙 79-80年のパは飛ぶボール
特に80年のパは、130試合制なのにリーグ総HR数が現在でもNPB史上最多の年。酷い打高投低の年だよ
1チーム平均のHR数がなんと199.3本。ボールが普通の年なら野村はもっと酷かったろう プロ野球選手の体力は30代半ばでガクッと落ちる
そこを乗り越えるだけでも凄いことなんだが
今度は40代で視力が落ちる
速いボールを叩く商売であるプロ野球の野手にとって
視力の低下は如何ともし難い >>206
少なくともハム時代の落合に球場の広さは関係ないよ
だって97年の年間ホームランは3本だぞ
狭い球場なら入っていたのに、という惜しい打球すら滅多に出ないんだよ
一応俺も当時をある程度は生で見ていたおっさんだけど
変化球で崩されてゴロが多く、ストレートは甘い球でも定位置ぐらいまでしか飛ばないフライ
球場どうこうの問題じゃない
ヒットはほとんどが詰まりながらも技術でライト前とか、ミートしただけのセンター前とかそんなのばっかり
ただ相変わらず選球眼は良かったので、怖さがなくなった割には四球は多く選び、三振も比較的少なかった
セリーグの方が慣れた対戦相手が多いからある程度打てたかも、というのはあるかもしれんが
根本的には老化だな
こればかりはどうしようもない 腹出て猫背になってる日ハム落合なんかまったく打てる気しなかったな 引退後、日ハムでチームメイトだった広瀬と一緒に野球中継の解説者として仕事してたけど、すごく仲悪そうだった
というか、広瀬が一方的に落合を嫌ってる感じだった
落合が言う事にいちいち広瀬が逆張りしてたから物凄く記憶に残ってる よく言われるけど広瀬率いる女子野球チームの臨時コーチ落合の話はほっこり 落合もイチローも38歳くらいからガクっと力が落ちて戻らなかったな ハムもまさかここまでパ・リーグに対応出来ないとは思わなかったろうに 97年の途中ぐらいから
相手チームはランナーなしでも落合が打席の時は外野を定位置より前に守らせたりしていた
それだけ飛距離が落ちていた
逆に言うと内野手の頭を越してポトリと落とすとか、そういうヒットを狙って打つ技量はまだあった
空振りも少なかったんだよな
ミート力と選球眼はさほど落ちずにパワーだけが超劣化したのがハム時代の落合 一塁固定、規定打席でこれって酷いよなw
出塁率だけはさすがだが
97年落合(43歳)
.262 3本 43打点 出.361 OPS.680
(113試合466打席、パ平均OPS.735) 落合のパワーは中日後期からガタ落ちしてる。
やっぱ独自の俺流トレーニング方法が間違ってたんだな。
今ならウェイトガンガンやって筋力を維持できる。
もったいないね。動体視力は落ちてないんだから
正しいトレーニングすれば45歳までは30本打てたはず。 96年に故障したのが致命傷になったんじゃないの
左手首の骨折でしょ 本人や球団が退団の理由をあやふやにしたのは
他球団に売り付けたい(売り込みたい)狙いがあったのかな?
結局日ハムがまんまと騙されヤクルトはギリギリで回避したわけだけど https://news.yahoo.co.jp/articles/e8066f4b66b54d51654ff1665f4c01c95b9e3b9e?page=1
田中幸雄 「落合さんに食事したことがある」
田中は日本ハムにおいて落合の野球観に触れた数少ない1人だった。
1997年、巨人を退団して日本ハムにやってきた43歳の落合は噂に違わぬ個人主義者に見えた。
《キャンプでも少しグラウンドに出てきて、あとはフイッとどこかに消える。ひとりエアテントでバッティングしているんです》
だが、同じグラウンドで戦ってみると、それが先入観であったことがわかった。田中はシーズン中、落合から食事に誘われた。
雲の上の人ですから、あれだけの人と同じ空間で話せることが、とにかく嬉しくて》
いつもは飲まない酒を口にして、身を硬くしていた田中に、落合は言った。
「もっとインコースを見極められると、バッティングが楽になるんだけどな」
落合はその先を言わなかったが、田中はその一言で、自分が陥っていたバッターとしての矛盾に気づいたという。
《僕はインコースが好きだったので、内角なら何でも手を出していたんです。
でも、好きなのと、打てる確率が高いのとは別なんだということがわかりました》
また翌年、落合は監督の上田利治に、田中を1番バッターで起用するよう進言した。
「ホームランを打てるバッターが先頭にいたら、相手は嫌だろう?」
落合は、田中に言った。驚いたのは上田がそれを実行したことだ。
田中はその年、初めてトップバッターとして定着し、タイトルを争うペースで本塁打を量産した。
個人主義と思われがちですが、仲間のことも相手のこともよく見ている。じつはチームが勝つことを最優先に考えて、
勝つための方程式を持っているような人でした》 >また翌年、落合は監督の上田利治に、田中を1番バッターで起用するよう進言した
これは越権行為だろう
監督落合なら許さないんじゃないか >>270
実績的に言うまではギリOKでは
そういうのすげー嫌って干す監督も多いけどw >>270
ミスター長嶋に清原を獲るように進言したくらいだから朝飯前だろ >>264
こんな酷い一塁のレギュラーは他にいない。 高齢になってからのリーグ間移籍は難しい
落合に関して言えば、中日時代の終わり頃からパワーは明らかに衰えていた
ただ、それを補える経験値があったから巨人では通用した
それが、リーグ間移籍してしまうと経験値がリセットされてしまう
交流戦の無かった当時はリーグが違うと別世界だった
力が衰えてるのに経験値だけルーキーに戻ったようなもんだ
容赦なく力勝負を挑むパリーグの投手に、顔も通用しないと如何ともし難い 当時はパのピッチャーのほうがレベル低かった印象ある 前年のシーズン中に手首骨折してるから
単純に経験値リセットされたという話ではなさそうな気がする >>277
それもあるけど95年にマックハウエル広沢の加入で4番はく奪が囁かれた際
セゲヲがロッカーで落合の裸を見て4番起用を決めた話を聞くに
あの時期は熱心にトレーニングに取り組んでたのも大きかったんじゃないかと見る >>
落合日ハム在籍:1997〜98
奈良原日ハム在籍:1998〜2005
上田佳日ハム在籍:1992〜2005 ベテラン選手のリーグ間移籍
田尾安志(西武→阪神)リーグ出戻り
高橋慶彦(ロッテ→阪神)リーグ出戻り
高木豊(横浜→日ハム)
佐々木誠(西武→阪神)
石井浩郎(ロッテ→横浜)出戻りの出戻り
小久保裕紀(巨人→ソフトバンク)リーグ出戻り
中村紀洋(楽天→横浜)出戻りの出戻り >>283
内川はどうなるだろうねぇ
今はパリーグからセリーグへの移籍だったら大丈夫なのかな 野上は明らかな過剰評価だし森福と陽はピーク過ぎてたからな
陽に至っては追い出された感すらある 阪神は金本下柳矢野の成功体験から
オッサンに長期契約して完全にダメになるまで
付き合う体質が全然抜けない。
R35が来季もおなじように働くとか鍛え直して
また巻き返すとか、背中で語る、みたいな感覚。
また完全にダメになった選手切ると外野に叩かれるしw 失敗はしてない年齢からしたらあんなもん
優勝請負人の如くやってきたから過度に期待されすぎた
その癖お金は妥協しないから全くの外様の落合は選手から嫌われた
ヤクルトにコーチ兼任で妥当な額で入ってれば良かったけど落合は妥協しなかった。 ヤクルト …単年4億円
日本ハム…二年6億円
一年あたりならヤクの方が高かったが複数年契約を希望する落合はハムへ。まぁそういう事だよな 43歳(53年12月生まれ)で迎えた97年のシーズン
この年齢で活躍できた打者ってプロ野球史上でもほとんどいない それでコーチ兼任契約でないんだから選手からは反感買うよあの成績では オッサンなのにDH起用、代走や守備固めを拒否、4番以外の打順やパの観客動員数にやる気を落とす、一部のコーチと対立して雰囲気を落とす
ガチの聖域ですね コーチと揉めたとかいうのはさすがに論外だと思うわ
実績ある大ベテランが指導者と揉め出したら他の選手はどうすりゃ良いか分かんないだろ
そういうのはわかってやれよ落合 >>297
あの頃の日ハムはとにかくチーム内でトラブルが起きていたが、そういう場を収める力が落合には無く、むしろ悪化させる側になってしまった
仲が悪いと噂される広瀬は落合の移籍当初からコバンザメで、世代交代で干されたと上田監督を敵視していた というか落合って元々そういう選手で結果で黙らしてきただけだからな
結果という盾無くなったらそらそうよ >>285
内川はセリーグの方が向いてるかも
パリーグほどパワーピッチャーがいない 44歳だしいつ衰えてもおかしくねーし
打者なんて動体視力落ちればおしまいでしょ >>299
落合が結果を出してグイグイ引っ張っていけるという状態じゃなかったと思う
ベテラン中心じゃないのに傍目から見てもベンチの雰囲気は沈んでいた 落合博満ロッテ時代の球場
川崎球場(ホーム)
西武球場(西武)
後楽園球場(日ハム)
大阪球場(南海)
日生、藤井寺球場(近鉄)
西宮球場(阪急)
↓
落合博満日ハム時代の球場
東京ドーム(ホーム)
西武球場(西武)
千葉マリンスタジアム(ロッテ)
福岡ドーム(ダイエー)
大阪ドーム(近鉄)
グリーンスタジアム神戸(オリックス)
環境が変わりすぎていた >>303
間にこれも
当時のセは甲子園以外結構狭め
でも使用球で調整してたからPFの方無難
東京ドーム(巨人)
甲子園球場(阪神)
ナゴヤ球場(中日、ハム移籍97年からナゴド)
広島市民球場(広島)
横浜スタジアム(横浜)
明治神宮球場(ヤクルト、改修前) 植村直己、星野道夫をはじめとして、4人の有名登山家が43歳で登山中に山で命を落としてる。
もちろん天候などの運も関係しているはずだが、43歳は身体能力の大きな曲がり角。
落合博満もそういうことだ。
30後半に来た衰えを40代入って修正してきたが、43になってからもっと大きな衰えが来た、そんなところだろう。 雄一郎みたいな例外もいるけどねw
80歳NPB現役はさすがに無理かもw >>303
基本的にアベレージヒッターなので落合は
だからホームランの少ない年でも打率と打点は残していた
率も上がらずランナーも返せなくなって落合は終わった感じだった 中日末期〜巨人時代は各駅停車だから打たれるより歩かせたほうがマシみたいな感覚だったね 落合は43歳ではまだまだいけた。
野口に強烈なデッドボールを喰らって野球人生が終わった。 プロ野球は学年制なんで同じ学年で書かせてもらう
落合と同じ学年(高卒26年目、27年目換算)でそれなりの成績残した打者
福留が今年その学年になる
落合 .262 *3本 43打点 OPS.680
.235 *2本 18打点 OPS.652
金本 .258 *6本 30打点 OPS.707
引退済み
門田 .264 18本 66打点 OPS.810
.258 *7本 23打点 OPS.773
※メジャー
イチ .255 *3本 20打点 OPS.649
.205 *0本 *0打点 OPS.460 山崎武司も福留孝介もその歳で中日復帰ですわ。
福留は去年ガクッと来た感じだったなあ。
ピッチャーは何とか技術でカバーできても打者は厳しいな。
目の衰えが一番影響してるんだろう。
新庄はスイングが揺れてたし走ってもキレがなかった。
落合は日ハムの2年間、どちらも春先だけは打率が良かった。
1年目なんて確実にイチローの首位打者阻止を意識してた。
怪我とスタミナだったな、問題は。 メジャーだがボンズの現役最終年
2007年(43歳)
試合 126
打席 477
打率 .276
HR 28
打点 66
出塁率 .480(規定まで凡退で.456の1位)
長打率 .565
OPS 1.045
OPS+ 169
四球 132(1位)
敬遠 43 (1位)
盗塁 5 (100%)
rWAR 3.4
fWAR 3.2 片岡篤史のyoutubeより
日ハム時代の落合
・落合教室は存在していた
・自分もよく話した。スローボール打ちをなぜやるかなど教えてもらった
・引退した年の後半は代打出場が多かったが、すべての選手の成績をチャートで記録してて、
「なんであの球撃たなかったの?」と選手たちに確認してた >>310
その野口のデッドボールも
「1塁が相手たから自分にぶつけてきて次の打者で勝負ということを想定して
いつもより外側に立ってた。それでも避けきれなかったのは自分のミスでもあるし
衰えたということ」と振り返ってるんだよなあ そこまで考えてて当たっちゃうんだから歳には勝てないんだな… 当時は野球界自体が手袋ぐらいで肘当て、脛当てもつけてる選手少なめだったからなあ
ましてや顎当てなんて存在すらなく
落合はヘルメも最後まで耳当てなしだったし >>311
RCWINで見てみると、
落合
1997 −0.77 1998 −0.78
金本
2012 +0.84
門田
1991 +0.89 1992 +0.17
「早く引退しろよオッさん」と言われても仕方ない >>304
ジャイアンツ時代の著書に書いてたが、ドーム球場に帰ってくると快適だって。
日ハムを選んだのは、ドーム球場が本拠地ってのもあったんじゃないかな。 晩年もいいとこだったからな。
長打力が落ちたファーストは外国人や若いのに席を奪われるのは仕方がない。 これでシーズン通して一塁
まあ落合じゃなきゃ変えられてるわね
落合(42歳)
.262 *3本 43打点 出.361 OPS.680
97年パ平均(落合と同じ466打席)
.266 10本 49打点 出.338 OPS.735
規定418打席 ヤクルト行ってもパリーグ行くよりはマシ程度の活躍だったと思うが、野村克也の下でやることで得られる知見は後年必ず役に立つものだったと思うけどね。
まぁ巨人も功労金積んでるし、日ハム移籍は両球団の上のほうの貸し借りで上手いこと穏便に済ませる策だった気がする。巨人と日ハムって昔からそういうラインあるだろ。 >>291
ヤクルト4億って記憶違いでは?
最初はヤクルトが年俸2億で1年契約、日ハムが年俸3億で2年契約を提示して
ノムがもうちょっと出してやってくれって日ハムと同額の3億にしたと思ったけど 日ハムに移籍後スポーツ新聞に体重を増やすって記事が出て凄く不安になった
恐らく飛距離を伸ばすためなんだろうが
もういい歳なのにそれはまずいだろうと思ってたら
予想以上にゴミみたいな成績で終わってショックだった 1からデータを取らないといけないパリーグじゃ
絶対活躍できんと思ったけどあそこまで酷いとはな 移籍後に東京ドームに見に行ったら
センター前打ったのに「落合!またセンター前か!」
って野次られて悲しくなった思い出
門田も44歳の時は全然だし歳には勝てないね 結果的には落合放出は間違いじゃなかったということに
かといって清原獲得も成功ではないけどw 巨人は清原入団なら落合放出だったの?
自分と清原のどっちを使うかで長嶋監督の悩む姿は見たくないって言ってけど
負ける気がしないなら残留して清原と勝負すれば良かったのに >>331
https://www.tokyo-sports.co.jp/baseball/npb/1823544/
>FA宣言した清原との交渉中、巨人の球団幹部が落合を解雇すると伝えたことが発覚した。大騒ぎになると巨人は一転、深谷代表が「落合は残留」と発表する。が、落合は怒り心頭。
なんかもうこんなチームではやってられないと思ったんでしょう
で自由契約にしてもらって日ハムへ 巨人は落合の手首がダメになってることを分かってたんだろう 当時の清原はまだ30歳にもなってない
落合は43、そりゃ誰でも前者を取る 長嶋の他球団の4番コレクションは酷かったからな
巨人は毎試合オールスター打線だったから >>335
一番酷いのって2004年の堀内じゃね?
堀内より前に獲った選手もいるけど
・ローズ
・小久保
・ペタジーニ
・清原
・江藤 ベストシナリオは落合が巨人残留して清原を教育
そのまま打撃コーチにスライドし長嶋の勇退と同時に監督就任 >>1
ハムに移籍したのは43歳なのに失敗したも何もないじゃないか。
年齢による限界でしょう。
あとは327が書いてるけど体重の増やしすぎ。
パワーが落ちてるのに太ったから動きが鈍くなっただけでした。 >>331
落合のキャラで「清原くんには勝てませんので退団します」とは言えんだろう マッスルブラザーズみたいな落合と清原の子弟コンビが見たかったよな
ファースト清原、セカンド落合で >>133
86年オフ〜87年シーズン前まで
時の人としてテレビに出まくってたことの方が
悪影響はでかかったと思うな
「カトちゃんケンちゃん」にも出てたし
「もっと良い役つけてよー」って愚痴りながら 落合が巨人に残留してコーチ兼任であれば、97・98年の清原の成績はもっと良かったのでは?
清原も落合がいるとなれば、気を引き締めて結果を出したはずだ。
仮に落合が巨人残留なら、
97年 自身は規定打席を割るが、代打の神様として大活躍。
清原3割40本100打点、念願の本塁打王。チームもリーグ連覇し日本一奪回
98年 再び選手一本に戻る。3番松井・4番落合・5番高橋由伸・6番清原の
史上最強クリーンアップで横浜に競り勝ちV3、2年連続日本一
99年 球宴で松坂と名勝負、V4を置き土産に現役引退。長嶋の次期監督を確約される 代打に回された時点で不貞腐れてチームの士気下げて清原は現実より低い数字になっただろうな
「自分のせいで落合さんが・・・」ってなるし 自分の後に四番松井はまだ早いから清原を獲った方がいいって
長嶋に進言したのは落合、その時は清原がサードを守ればいいって思ってたみたい ノムさんと落合は一緒にやったら合わなかったろう的なコメント多いが
江夏江本山内ライオンズ森監督宮本その他、ノムさんはクセ強いのを御するの上手いぞ
逆に合わないのは若松や真中、梨田とかの普通っぽい人 >>345
ハムでも代走や守備固めを出されて文句垂れてたぞ ヤクルトに行ってたら
神宮効果で
ホームラン15本くらいはいけてたのに・・
パリーグは、広い球場多くてフェンスに阻まれてたな・・ 箱庭専打法だからな
なんでハムに行ったのか
やはり金の多寡か >>351
金も理由の一つであることははっきりと言ってたな
プロだから当然と言っていた ヤクルト行ってたら、
113試合 .271 17本 63打点
これくらいはやれただろ
箱庭多いセリーグだし しかもクッソ狭い神宮(両翼91m)w >>351-352
巨人から「セ・リーグの球団に行かないでくれ」と金を積まれたんじゃね
巨人は阪神移籍後の小林にボコボコにされた過去もあったし 当時のパ・リーグは広すぎだよなあ
セリーグと差がありすぎる >>356
金なんて積むわけがないわ
清原に入団するなら落合は解雇するって言ったのがマスコミにばれて
慌てて来季はベンチを温める事が多くなるって取り繕ったのに マスコミはヤクルト移籍を煽ってたけど落合は冷静に日本ハムを選んだ 冷静もなにも年俸3億2年契約の日ハムを選んだだけ
ヤクルトも最終的に年俸3億にしたけど1年契約だった 狭いセリーグの球場でやってたら
規定打席でホームラン14本くらいは打てたのでは??
パリーグは広くてフェンスも高い球場しかない 日ハム時代の落合が
福岡ドームや千葉マリンでホームラン打てるわけがない 本塁打PF
96セ(130試合765本)
中1.18横1.15ヤ1.09巨0.98広0.91神0.71
96パ(130試合723本)
西1.26近1.19日1.19オ0.99ダ0.70ロ0.68
97セ(135試合775本)
巨1.34ヤ1.33広1.14横1.09中0.67神0.51
97パ(135試合668本)
西1.53近1.00オ0.98日0.93ダ0.86ロ0.78
98セ(135試合662本)
ヤ1.39巨1.34横1.15広1.15神0.54中0.50
98パ(135試合733本)
西1.28日1.27オ1.10近1.00ロ0.81ダ0.59 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています