日本放送ショーアップナイター関根潤三+深澤弘の想いで
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【日本放送ショーアップナイター関根潤三+深澤弘の想いで】
ニッポン放送ショーアップイター最強最高コンビ
解説者関根潤三氏+実況深澤弘の想いでを語るスレッドです
懐かしい音源、画像、動画、実話、関根潤三氏と深澤弘氏の近況など二人に関することお願いします 特にオープニング曲の音源よろしく
エンディング曲の音源もよろしく 子供の頃はこのコンビの放送でテレビ中継開始まで聞くのが日課みたいなもんだったわ
HRと得点入ったときのジングルは未だに覚えてる 解説は(今日も)関根潤三さんです。
ナイター中継の番組タイトルがショウアップナイターに改題された
1966〜69年までの4シーズンは解説者は関根氏ただ一人だった
(関根氏が広島コーチに就任し、後任解説者に起用された豊田泰光氏も70年は一人で担った)。 関根さんが77年から復帰した後よく聞いてたけど、この頃もこのコンビが大半で
たまに枇杷阪アナとかいう感じじゃなかったかな あるいはホームランか?
レフト、センター諦めた、入った!入った!ホームラン! 巨人戦ラジオ中継権問題勃発後、巨人主催不可でビジターゲームしか中継できなかった時期は
週末のナゴヤ、甲子園、広島は基本乗り込みの上、ヤ×巨、洋×巨戦も巨人寄りの中継スタイルだったな。 深澤アナが長嶋派に対して枇杷阪アナは王派だったよね。
因みに竹野アナや高嶋アナが実況していた時代を知らない世代です。 プロ野球ニュースで各局のアナ&解説が集まって討論会みたいな企画やったとき、
一茂は今後活躍出来るかどうかっていう話で、難しいだろうってコメント続いても
関根&深澤組は頑張って擁護してたのに対して、当時テレ東として出てた同じ長嶋派の青田昇に
「あそこ長嶋家の身内みたいなもんやろ」とか冗談言われてたの思い出したわ ホームランプレゼントとかあったな。
毎月1回名前を登録すると抽選権があり、まいにち様々なプレゼント
いまのクイズトリプルワンとかより、そっちのほうがよかった 懸賞に応募したらオフにヤクルトのファン感謝デーの招待状が届いた
もちろん行かなかった 関根さんが大洋監督時代は巨人戦の中継がなく、更に神宮でヤクルト戦があるというのに
むしろ大洋戦にウェートを置いた編成をしているように思えた。
巨人ホーム日の神宮横浜同時開催の日でも中継は横浜からだったり
大洋のビジターを本番にして自社の神宮を予備にしたこともあった。
ヤクルト監督だった時代は無論真逆だったけどねw 深澤弘=ミスターショウアップナイター
枇杷阪明=ジャイアンツおじさん >>13
82〜83年ヤクルト2年連続最下位。大洋の82年は5位。
翌83年の大洋は運良くAクラス(3位)入りしたが、84年最下位で関根辞任。
両チームが低迷期の渦中でもあり、巨人戦の第1予備に西武戦を入れたり、
82年の終盤は巨人と優勝を争う中日を追い掛け、LFスタッフが甲子園へ乗り混み、
自前で中継するなど、巨人主催日や空き日でも両チームの中継を外すことも多々あった。 この時期のLFの裏送り&予備待機担当アナは、宮田・胡口・瀬戸・小林・栗村・小野かな。 SFへの裏送りは小林。RCCへは宮田と胡口が多かったと記憶 枇杷阪アナはABC向け裏送り(火〜木土日)のヤクルト巨人と大洋巨人を担当することが結構あった >>16-17
宮田や胡口はまだフリー扱いで現役なんだな。
TBS原則撤退のあおりを食らって、RKB・HBC向けにも出る羽目に。
RKB向けだと、このご両人の実況でJRNチャイムというのが何とも言えない雰囲気だが。 胡口和雄アナは今もCSのプロ野球ニュースで出てくるね、なんか色々名前出てきて懐かしいわ。
その辺でも若い方だった深山計アナがもう鬼籍に入られてしまったが 深山アナも移籍当初はヤクルト、大洋戦の裏送りを多数担当していたね。
89年の高校野球開催中で中日-巨人を中継後に大洋-阪神にリレー。
その時の実況が深山アナで土日なのに解説がなぜかABCの皆川睦雄氏。
逆に普段土日にネット局であるMBSが自社制作。ラジオネットの複雑さを更に知った日でもあった。 CSのプロ野球ニュースって、プロ野球ニュースOB会見たいで好きだわ
平松、斎藤明夫、江本、高木豊 谷沢 もじいさんになってきた
プロ野球ニュース全盛の別所 米田豊田関根潤三や監督を引退してからの解説者西本幸雄 広岡若松 >>21
LFでは敬称略の多かった深山アナも
古巣のRCC向け裏送りではRCCの基準に従ったのか、敬称付きで実況をした事があった。 1982年の梅雨時にMBS-NRNの阪神×巨人が雨天中止になり、
第1予備だった大洋×広島が本番カードに昇格。
解説が土橋正幸とRCCの金山次郎のダブル解説だったが、
本来ならばRCCへの裏送りで、解説は金山ひとりの予定が本番カードに昇格した為、
フジのプロ野球ニュースの取材も兼ね、控えていた土橋も中継に参加したのだろう。 1978年以前の神宮・川崎のTBS裏だと、たまに金山一人のまま本番という事もあった様な… >>23
深山さん亡くなっていたこと知らなかった…大変なショックだ。自分は胡口さんの競馬の実況が好きだった。 試合開始直前に深澤アナが風景描写を中心とした一種の口上をやるのが好きだったわ 深澤アナが試合前のスタメン紹介をする時に皆がすっかり忘れた頃にも高橋由伸をウルフと呼んでいた
名付け親の長嶋と親しいと言う事もあるんだろうけど TBSだと石川・渡辺・山田・石井といったアナが印象深い。
石川顕はスポーツアナなのにパックインミュージックや早朝情報番組のMCを務めた異例の人物だった 90年代前半までは前座のショウアップナイタープレーボールで球場駆け巡りと称して、
各球場の試合前状況と話題をレポートするコーナーもあったな。
ネット局の解説者とアナウンサーも登場していて、各局の中継スタッフも確認できた。
金曜はABCとネットしていたが、たまにMBSと間違えてることもあって、
ABC(朝日放送)と言うべきところを「毎日放送の岡本伊三美さん」と言ってしまうハプニングも。 >>30
曜日によって変わるからか、たまに起こる間違いだね。
ABCでもSTV裏送りでの中継で、HBCでの実況予定を口にしてしまったアナがいた。 96年頃金曜なのにミスタートラこと唐渡吉則が試合前のプレイボールに出演したこともあったw
スタジオ担当の松本秀夫アナ曰く
「今日は本来ならニッポン放送に登場しない。いや出来ない禁断のご出演」ww
「唐渡さん。申し訳ありませんもうお時間です。これ以上は無理です。赤坂の局からクレームが」www
こんなヤバいことしていいの的な演出もあってワロタwww 文化放送の戸谷アナがいつまでレギュラーで実況していたかはwikipediaでは不明らしいな。
90年代半ばはまだバリバリやっていた記憶があるが 神宮&横浜同時開催日はABC/MBS向けもあったから
2カード四重制作したことも ショウアップナイター最前線
ショウアップナイター サインはV
ショウアップナイター絶好調(ヤクルト×巨人戦中継時のみ)
80年代前半の中継本番開始までの前座タイトル
現在のショウアップナイタープレーボールに統一されるまで時間毎に異なっていた。 関根潤三さん死去
東京六大学野球OB紅白戦 (六大学出身でプロに進んだ選手による紅白戦 1975年〈昭和50年〉)
45年前の時点で48歳としてマウンドに上がっていた関根さんの映像
https://www.youtube.com/watch?v=851xUEcT8ws 01:30〜 >>38
背番号がなかった時代も含むから、
プロでの選手・コーチなどでの背番号をつけている人がいるな。
関根潤三=19(当時LF解説者。近鉄・巨人時代)
長嶋茂雄=3(当時巨人監督。巨人現役時代)
杉浦忠=21(当時MBS解説者。南海時代)
藤田元司=81(当時の大洋コーチ時代。現役時代は21→18)
秋山登=71(当時の大洋監督時代。現役時代は17)
特に81とか71とかは本来大学野球ではありえない背番号ww 81年オフに大洋監督就任が決まったときは「あの解説が聞けなくなる」と落胆した。 関根大洋監督誕生で同じLFからコーチとして近藤和彦を。
ヤクルトから元LF解説者の小森光生コーチを引き抜き。 >>44
しかも近藤和彦は大洋・近鉄OBでもあったな。 81年オフのヤクルトは小森コーチだけでなく佐藤、近藤両コーチも西武に引き抜かれるなど、
球団の体質面が云々と囁かれたりもした。 小森光生は近鉄時代のチームメイトで広島根本監督時に一緒にコーチやった仲だったか
明治近藤、早稲田小森とか六大学の横の繋がりもあったか
関根に付いて大洋とヤクルト行ったり来たりだと後の小谷正勝思い出す ここのコメ書いている人大体50代以上だろう。それ以下だと知らないネタばかり。また得点とホームランのジングル聞きたいなあ。俺はたまに出てくる森中千香良が好きだった。後全然関係ないけどラジオ日本やズームイン朝によく出ていた平田翼って今何しているのか? 関根潤三、深澤アナコンビ好きだったな。
落合やたけしゲスト解説の時話も面白かった。 森中千香良は知っていたが、平田翼も亡くなっていたかあ。大のアンチGだった俺はあの話し方を聞くたびにムカついていたのはいい思い出だ。ちょっとガマガエルっぽかったよね?プロ野球ニュースに出ていた大崎三男に少し似ていた。 5:50プロ野球〜神宮
ヤクルト×巨人 土橋正幸
予@西武×南海A広島×大洋
B阪神×中日【中止】歌謡大全集
80年代前半はこんな感じだったな 清原が捕まってから放送に出たとき、
また覚醒剤いわないかドキドキしながら聞いてましたわ ライオンズナイターがまだDJ方式の応援番組だった頃って
何処も西武戦の予備順位を最上位にしてたよな 巨人主催日は神宮のヤクルト戦でもNRNは西武戦やSF、MBS/ABC、RCC送出もあった。
当時は巨人戦がビジターしか中継できず、ヤクルト、大洋絡みのカードが多かったが、
毎年開幕前後は「今年もニッポン放送は巨人戦を中心に、連日好カードを中継します」と 告知。
実際のところヤクルト、大洋中心の編成も、 それは間違っても口にしなかった(できなかった)。 そりゃ壊滅的に弱いヤクルトと大洋を売り文句にはできないだろw
リスナー離れが起きちゃうよ こういうねじれもあったみたい。
KBC=LF裏の西武戦
LF=福岡開催でKBC裏のヤクルトまたは大洋戦 >>59
1983年5/31(火)〜6/1(水)。
LFがKBC裏のヤクルト×大洋でNRNがLF裏の西武×日本ハム。
木曜はLFも西武戦で、この3日間はTBSとRFは巨人×中日。
独走した西武が83年唯一の3タテ敗戦喰らったのは確かこの時だったはず。 火曜のRCC裏送りの時にの時鈴木信宏アナ(RCC)が
「本日はLFの電波を通じて全国の皆様にお伝えしております」とコメントしたこともあった。 >>61訂正
(誤)火曜のRCC裏送りの時にの時 → (正)火曜のRCC裏送りの時に 高校野球期間中に年度によって土日にLF=ABC、MBSが自社制作というパターンもあったらしい。 高校野球期間中に年度によって土日にLF=ABC、MBSが自社制作というパターンもあったらしい。 wi-fiが重く、2度書き込まれてしまった。申し訳ない。 wi-fiが重く、2度書き込まれてしまった。申し訳ない。 この時期は在宅が増えてモバイルルーターの使用が増えているのか、結構重たいな。
1980年代はABCやMBSの自社製作が今より少なかったから65で触れたようなネット切り替えもあったみたいだ。 夏の高校野球期間中のヤ×神、洋×神開催時のみABCの火〜木NRNに切り替え(ヤ×神、洋×神のみで予備はJRN)、
土日をLF-ABC(これも予備はJRN)としMBSのヤ×神、洋×神は自社制作orLF二重制作だった。 >>71
ABCがRCCみたいなネット組み換えをしていたという事か。 杉下茂さんと関根潤三さんがG+ 1976/6/8末次逆転満塁本塁打 の映像に二人並んで映ってた
関根さんは他の選手に比べてちっちゃいよな
関根ヘッドコーチ時代か忘れた? >>73
その試合は関根二軍監督がベンチ入りしてたの? 最下位の責任で多くのコーチが2軍落ちしたんだよな
関根以外でも宮田とか 76年1軍コーチは国松、黒江、杉下といったところだったか >>7
確かに深澤と言えば「あるいはホームランか?」だよなw ニッポン放送ショウアップナイター
解説はマッシー村上さんです
80年代半ばまではその日の解説者を紹介するジングルもあった
あくまで自社制作時のみでネット受けや系列局裏送り時はなし。 ニッポン放送〜 ショウアップ ナイタ〜♪
ショウ〜アップ〜♪ ショウアップ ショウアップ ニッポン放送〜
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