暗黒期の阪神ってどれだけひどかったの?★4
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久慈は郭やチェコからも
ノーノー阻止をやってのけた。
さすが東海大甲府の4番、俺たちに
出来ないことを平然とやってのける。
そこに痺れる憧れるゥ!と言われていた。 >>188
それ、多分に野村の虚言か記憶違い。
北川が最初に脱落したのは間違いないが定詰は最初の時点では矢野より高評価。
オープン戦最終番で内野への指示ミスで脱落3号。
矢野しか残ってなかったのが正解。 >>203
阪神vsヤクルト対戦成績
90年 15勝11敗
91年 13勝13敗
92年 11勝15敗1分
93年 9勝17敗1分
94年 10勝16敗
95年 6勝20敗
96年 7勝19敗
97年 7勝20敗1分
98年 10勝17敗
99年 13勝14敗
00年 11勝16敗
01年 9勝18敗1分
02年 11勝17敗
03年 16勝11敗1分
勝ち越すのに13年かかった時代 >>216
本当にな。三好なんて末期は電鉄本社の役職切られて球団専属で退職って珍しいパターン。
大概は何処でも本社から出向だから本社に役職残した上で球団の役職に就くんだけどな。 グリーンウェルとるぐらいならマースは残すべきだった
クレイグは腰痛もちだから仕方ないが >>214
ああ、ほならノムの虚言やな。
次から次へと乱発する本も、記憶の
ディティールが都合よく変わってるw
一番酷いのはスカウト部長片岡に古田を
推挙された時「眼鏡をかけた捕手なんて」
つってネガ意見吐いて取りたくなかったが
活躍したら「片岡は嫌がってたが、先入観は
悪だと言って指名させたんやw」ってやつ。 マースは途中入団にしてはまあまあ。
打点も多かった。
ディアーとかハイアットとか、あんだけ
低アベレージで異常に三振するやつ
ようとったわw 「新庄剛志、そんな成績で出場するな
恥を知れ」97年オールスターにて。
阪神時代の一番強い記憶だそうだ。 >>214
>定詰は最初の時点では矢野より高評価。
そうだっけ?
1年目の紅白戦で野村克也は定詰のことを結構ボロクソに言ってたぞ
テレビ中継があったから覚えている人もいるんじゃないかな
アナウンサーに「定詰の肩は凄いですよ」と言われたら
「肩は強いけど、モーションが大きいから盗塁阻止率が悪い」と切り捨てて、
定詰がボテボテのヒットで出塁して、牽制タッチアウトになったら
「これが定詰なんです」と酷評
この時点で定詰の正捕手どころか1軍も厳しいと思った オールスターといえば、ファン選・監督選ともにゼロって年もあったね、91年だっけ
セを率いた巨人の藤田監督が阪神選手をひとりも選ばなかった理由を尋ねられ
「オールスターといえど勝ちたいので」と答えた
いない方がマシってなんたる屈辱‥ 暗黒前だが川藤が契約更改で
解雇言い渡され、泣きながら
年俸ナンボでもええから勝負させて
ください!っつったら
よっしゃわかった。続行してみい。
なんてのがあったが、鳥谷が何処からも
声かからんかったら急転残留ありそうなんよな。
普通の企業体じゃありえんけど、阪神やから。
マスコミ・ファン「虎一筋ありがとう鳥谷!!」 >>207
桧山がこんなに真面目に俺の話を聞いていたとは思わなかった、って昔コメントしてた気がするけど >>223
野村は一応期待している選手はボロクソに言う そのパターンを調子に乗って使ったら
どんどんダメになったのが
藪、メイ、大豊、今岡、坪井・・・
負けが込んでるのに関西マスゴミにベラベラと・・・ ノムさん来るからって
中込はダイエットしたんだよな
逆に球が軽くなったと
本人が、すぐにデブに戻したと 中込ってヒゲづらの時期があったよね
確か麻原彰晃て呼ばれてた 野村はその時その時でウケそうなことを言うだけだからな
一貫性を求めてはダメ >>229
今はもうそれでは選手は落ち込むだろうな、最近の子は
つか20年前でもグレーゾーンだが。
星野も阪神では殴らなかったと聞いた >>228
むしろ定詰に期待してたらそっちのが頭ヤバいわ 星野が椅子を蹴りあげたときガチビビリしていた藤本や浜中や関本
あれでは殴れないと悟ったらしい
浜中なんかマザコンだからママーってやりそうだしな
ただ矢野だけは頬を叩くことはままあった
星野イズムを知ってたから 中込
22歳 200回 2.42
23歳 200回 3.71
安定してて制球があり、スタミナもあった。
故障せずに投げてたらそれなりの地位になり
阿呆な事件もなく大投手になったかもしれん。
マッスラ以外の武器も必要やけど。
沢尻の例もあるが・・・
味方打線よく完封したのはやっぱり・・・? だって88年のオフにゃNHKスペまで星野特集だったもん 疲労家達朗
稲村亜美はシリコン抜きしたら
球速、変化球とも一段上がるだろう。 >>238
まで、ってNHKにいたんだから当たり前やろ 今の西や他の阪神な投手もだが
中込は、打線の援護あれば
もっと勝てた気の毒と、よく言われてたが
大体先取点取られたら、あとは
抑えて負けるパターン。
たまに味方が先取点取っても
すぐ追い付かれ逆転され、また
そのあとは抑えて負けるパターン。
メッセンジャーも、何回も
そんな試合見たな。 中込も野村克也にはボロクソに言われてた口だった
阪神監督が記者の前で選手批判すると
それが全部文章になってしまうからやっちゃいけないのよ
選手に言いたいことがあるなら直接言った方がいい ブタ込って目上にはどうやったんやろ?
悪い話って大体同年代か後輩がらみ。
なんで囲い込みまでして1位で取るんや!
88年センバツ「俺の球が打てるなら打ってみろ!」
⇒池田山びこ打線に滅多打ちw 高波は吉田監督時代ひでえクソガキぶりで
何に不貞腐れたのかシートノックの返球
よっさん目掛けて投げたりしてて、本西が
殴ろうかと思ったらしい。高波の分際でw 正確にゃ87センバツでは?
あの大会は久慈がベスト4に
もうちっとで野村立浪橋本のPLも食えた筈が… 中村武いわく当時は阪神戦が楽しみでしかたなかったらしい 当時は横浜選が楽しみというか癒しだったが
よっさんの頃から大魔神マシンガンになってそれも勝てなくなった >>226
あの時の川藤の件はマスコミによってかなり盛られて浪花節にされてたからな
実際は球団から任意引退して二軍コーチ補佐就任を要請されたが川藤本人は現役続行を求めたというものだったし
本当に解雇する気があるなら一方的に自由契約を言い渡せばいいだけで 川藤が現役に固執してくれたおかげで
支配下選手枠は1人潰すけどコーチ手当てより安上がりで済んだのかな 川藤が現役に固執してくれたおかげで
支配下選手枠は1人潰すけどコーチ手当てより安上がりで済んだのかな 東海大甲府
4番 ショート 久慈
藤田平は平塚と久慈の打撃を買ってたな。
平塚は守備脚、久慈はパワー不足やな。 社会人入りでプロの指名受けなかったが
山本信幸の力投が惜しかった >>252
藤田監督は新人の林投手をよく起用してたね
掛布さんが実況アナに、この投手のセールスポイントは?とたずねられ「う〜〜〜〜ん‥w」って言葉に詰まっちゃったシーンが記憶に残ってるわ
何とか「丁寧なピッチング」って答えをひねり出したけど、2年くらいで自由契約になってしまった 林投手はてんかん持ちやったらしいな。
なんとも可哀想だが、どういう調査やねん。
中ノ瀬とか他球団が全くノーマークなんを
スカウトがやたら激賞して入団させ、
使ってみたら全く通用しなかったと
藤田が述懐してたなw競合回避&手当目的。 新庄並の強肩に2軍では
結構飛ばしていた長宗我部元親の
末裔もいたな。サンジルシ醸造。 キムタク(プロ野球選手)だって高校では4番だったってのはあるが
あれは小柄だけど強い打球飛ばせたしまだ片鱗は残ってたけど
久慈が高校で4番だったのには驚いた… その高校時代4番だった久慈の片鱗を見せたのが藤田監督時代の序盤中日戦
狭いナゴヤとはいえバックスクリーンにホームラン思いきや二塁打に
そして翌年
苦手札幌で2連発
連続でなはなかったが、久慈・桧山・平塚の85年以来の1イニング3連発も 今季リーグワーストになった守備コーチの久慈が首にならなかったのも謎だった プロ野球選手としては小柄だった平尾もパンチ力あったんよね >>261
平尾は西武移籍で開花したよね
昔の吉竹といい最近の榎田といい西武で芽が出る奴多過ぎ 久慈はなぁ…
小坂を全てにおいて劣化さした様な選手だったな 久慈の頃の社会人野球は
金属バットで乱打戦ばっかだった。
内野ゴロが早すぎてエラーの山w 平尾は上本みたいな体格で、
どう考えてもスラッガーは
無理だと思った。
萩原もあんまデカないし肩壊してたw
早い段階で自分の身体能力じゃアカン、
なんで俺1位やねん?て思ってたらしい。 平尾は一軍でよっさんから何でお前はそんなにぶりぶり振り回すんや!と激怒されて二軍に落とされて落ち込んでると、岡田二軍監督からはお前の持ち味は長打やろ、と励まされて立ち直ったとか
フォローとはいえ、一軍二軍で指導者の方針がバラバラでは選手も迷うわなぁ ただ結果的には、上でも出てるように北条みたいな選手になったけど
上と下で選手の見立てがあべこべなのはダメだわなぁ… 吉田監督時代は不遇な平尾だったが
藤田平監督と野村克也監督の時にレギュラー取りのチャンスが来た
特に2000年前半はあと一歩のところまでいった 平尾博嗣
1996年、76試合出場、打率.240、3本塁打、10打点
2000年、62試合出場、打率.238、2本塁打、12打点
もっと打ってる印象だった 平尾は故障が多かったからなあ
西武に行ってから活躍してた印象はあるけど、1年間フルでレギュラーだった年は皆無 たまには宮内や金子の事も
思い出してあげてください。 平尾はとにかく骨格が貧弱
173p64sくらい
自慢だった脚は特別早くなく
守備は和田関本より下手
打撃はたまにいい角度で上がるけど
和田関本みたいな型がない。元木の劣化版 宮内は甲子園のウエスタンの試合中に
売店で「サイダー下さい」と言ってたのと
91年巨人戦で1-3で迎えた9回裏無死一、三塁で
一塁走者宮内が真弓の一、二塁間を抜けそうな打球に当たってアウトになり、
反撃ムードに水を差したのだけ覚えてる 宮内は当時、誕生日の月日がワイと同じの唯一の選手だったから覚えてる
(後で張本も同じだと知った) 宮内、91年は5発
金子も93年5発打って
萌芽が見られたが…
翌年からはなしのつぶて。 宮内に関したらラッキーゾーン撤廃前でどうしても守備力に劣る宮内は
弾かれる存在で亀山と新庄にポジションを奪われた
金子は石嶺とディアーでようなし
今の中谷にもいえるが打撃そこそこで守備×ではポジションはない >>223
金子は今や保険会社経営。
こっちの方が成功してる。 他にも横谷、山口、高井、岡本なんかもわりと起用されてたが、小粒感が否めなかったなぁ
そんな中でなんでそれほど変わらない印象だった山脇だけが独自のポジションを築くことができたのか、未だに不思議だわ ネット界隈だと山脇は本社重役の娘婿になったかららしいが 高井も宮内も後に言うスペ体質でちょっと活躍した直後に怪我してたもんなあ そう思えば新庄って阪神にしては珍しく息は長かった
新庄、桧山、関本、鳥谷辺りか
2003年以降優勝できなくても安定した位置にはいたのがわかる 高井はあの時期では別格だったな
仮に西武でも1軍でやれたレベルだった
ケガで早期に終わってしまい高校で同級生だった
カープ高橋がプロに入って来た時には消えてた…
しかもその高橋の方はメジャーリーガーにまでなるというね 外野席で横になって、タバコ吸いながら観戦出来たのは良かった。
火曜のナイター中日戦。もちろん負けたけどね。 でも亀新、中村さんは偉いよね
あんな酷い事されたのに泣き言や恨み言一切言わない。
野村や古田が逆だったら末代まで言ってそう。
生前中村さんが亀山の番組に出てツーショットになった時
「〜でしたね」といつも丁寧口調で92年の事を嬉しそうに語ってた
ファンの方がいつまでも悔しいのに、中村さんの姿を見ると涙が出そうになった
物事にとらわれずあっさり生き残さず死んで行った人だった。
野村の方がいつ見ても何かに取り憑かれたような顔してるな
晩年もwbc〜だなんだて怯えたような顔してて誰もお前にゃ頼まねーつーの 亀山 92年の終盤でしたか。僕にバントのサインを出したんですよ
僕はバント下手ででも攻撃的な2番と買われたのに巨人戦でバント
でベンチみたら中村さん顔が青ざめていたんですよ
あれで不満は吹っ飛びました
相当プレッシャーあったんだなって
(数年前の亀山のラジオで) >>285
岡本は肩を痛めて二塁手しか出来ないトンデモ内野手。
>>288
東の高井、西の立浪だっけ? >>293
でも中村はとんちんかんとか負広なんだよな。 俺もなんだかんだ中村さん好きやったわ。
ドラフト下位なら役人や大企業勤務だったろう。
阪神の監督で一番の思い出は92年の132試合目、
V逸の翌日に満席だった事です・・・
これは泣けた。 >>285
山脇は奥さんが阪神グループのお偉いさんの娘って
コネがうんぬんかんぬんと書かれたが真偽は知らん 暗黒期の阪神には便利屋みたいな選手は一杯いるんだけど
大黒柱という選手がいない
シーズン通してローテに入って2桁勝ってくれる投手
シーズン20本打てるホームラン打者 言いたいことはわかるけど、
20HRでいいんだったら八木裕は3年連続打ってるし、
オマリー桧山新庄大豊グレンクールボーパチョレック
岡田彰布だって暗黒期以降もそこそこ打ってるよ 個々の力はあっても一丸となる組織力がゼロ
暗黒時代に限った話じゃないけど阪神の負の伝統だ 亀山のラジオ
92年は91年の秋で大体骨格は決まってたんですよ
ある意味独走最下位だったからこそ、僕や新庄が秋に一軍にでて経験が積めましたから
ラッキーゾーンを無くす話がでてからまずとにかく肩の強い若手に経験を積ますが主眼で
嶋田の兄やんや宮内さんとか
中野さんは正直肩はあまり強くなかったですからね
でウィンが微妙で来期慣れるからファーストだというフロントと解雇だというフロントで揉めて
結局最後まで試合には出て大洋の渉外担当だった牛込さんからパチョレックをシーズン終了後に売り込みに来て
ウィンが解雇になりまず92年の軸足オマリーとパチョレックができた
で秋のキャンプで八木さんをセンターにしレフトに嶋田の兄やん
ライトが僕という構想で行こうとしたけど真弓さんをどうするかで色々あり
で序盤はレフトにパチョレック、センターに八木さん
でライトは僕と真弓さんの併用だったんですよ
最初はそれでライトのファンに真弓だせや真弓
お前みたいな小物要らんねんってよく野次られました
岡田さんもそう
そういうなかで次第に認められ快進撃につながったんですが
それでたった貯金4なのに欲を書いたんでしょう
野田のトレードで守りの野球が崩れた
ここが分岐点でしょう 93年の分岐点は
仲田や葛西、嶋尾をアテにしたこと、
ブタ込のマッスラが打たれだしたこと、
松永の故障、よう扱えんかったこと、
パッキー、八木の不振にアホの亀山が
無茶して故障しまくったこと、やで。 松永のトレードでは、オリ側は仲田でもよかったという話を読んだことがある
野田放出を最後まで猛反対した大石ピッチングコーチを二軍に配置転換してしまったのも、翌年の投手陣の不調の一因とか
そもそも守護神田村が壊れた時点でね だいたいそれまでヤバかった仲田をアテにしたり、
大してイニング食ってなかった嶋尾を先発で
計算したのがおかしい。
オマリーは一塁の味覚えて三塁やらなくなったしw
諸々無事だったら亀山が弾き出されてた。 オマリーのサード守備は悪くはなかったんだよな
パチョレックも一塁守備はいいけどレフトは少し不安だった わがままオマリー
96年も好成績で解雇されてるあたり、
ちょっと普通じゃなかったのよ。
ノムもフロントもウンザリしてたらしい。
95阪神と97ヤクルトの結果が違いすぎるがw 嶋尾は92の巨人戦、勝ちはつかなかったけど弓長との完封リレーは素晴らしかった
嶋尾をはじめ次期先発候補が予定通りに育たなかったのは誤差すぎたな
藪がルーキーで入ってきた頃には救世主扱いされるほど既存の先発陣も衰えていたし その割に日本で引退後に仕事したのは阪神の方だったな
最初はユニフォームでベンチに入れなくて
ただのジャージのオッサンがいる感じだった オマリーは渉外でも人柄を発揮したのおw
投手陣については92年が異常。
仲田1年確変
葛西故障、田村もアテに出来ず
ブタ込、猪俣も翌年故障
弓長は2年目から凡Pに
山崎94年だけ。竹内不安定。
野手も山田の打撃不振、久慈も
低め安定の打撃、八木不安定、
亀山ボロボロ、ディアークルクルw
水物とはいえ中村さんも頭を抱えたろう。 阪神、来年のビジターユニフォーム終わった。
暗黒期ネタに加わるエピソードひとつ加わる。 チアの恰好といい、
どんなセンスしてんのか。
ウル虎も糞ダセエし。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています