〓西鉄・太平洋クラブ・クラウンライター〓Vol.26〓
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来島どっくの坪内寿夫が存命だった頃に南海や近鉄が球団売却話を水面下で持っていったことはある。
南海スレに以前あった 来島ドックに持ち掛けた話は青木一三の著書がソースだな。
その書によると南海の川勝はダイエーにも持ち掛けていたとある。 中西でなく、カネやんが西鉄の監督だったら
黒い霧は起こらず、人気、実力とも上々だったんじゃないかな? >>656
日本ハムは大阪の会社だけど球団は東京→北海道
なんで親会社の話になると地元企業にこだわる奴多いんだろ >>660
あんな数両編成で一時間に一本も走らない上に特急料金払ってまでJR使うファンとかいるのか? 西鉄本社は三原御大を大事に扱うべきだったん
しゃないか。
三原さん切って、ギャンブラー川崎を監督にしたのを誤算だったな。
川崎徳次は球団創設時の主力なのは分かるけど 平和台のダイエー西武戦盛り上がりが凄いな。
川崎、武末も元南海の投手だったから、
一応両球団のobになるな。 平和台時代は、左側がライオンズブルー一色、右側がダイエーカラーのモスグリーン一色。ほぼ二分化されていたからな
今のドームのソフバンイエロー一色とは、また違った盛り上がりがあったね
あの頃左側にいた人達も、かなりの数が右側に転向したんだろうなあ レプユニが一般化する前は法被の着用も目立っていたな。 >>666
誰が監督やろうが西鉄が傾く史実は変わらないんだから無理 https://www.nikkansports.com/baseball/news/202001140000120.html
寺尾 著名人の功績、スポーツ名勝負を1人で演じる「かたりの世界」が好評です。
山田 最初は競馬テンポイント、ハイセイコー、オグリキャップを語っていました。08年に放送作家で長嶋茂雄さんの
ファンの高田文夫先生から「長嶋対稲尾」の対決を作ってくれないかと発注されたんです。
寺尾 1958年(昭33)稲尾和久さん(西鉄)が対巨人でチーム3連敗後の4連勝の日本シリーズです。「神様、仏様、
稲尾様」と語り継がれています。
山田 稲尾さんはABCテレビ「おはよう朝日です」でご一緒した時期に話をうかがっていた。最初は居酒屋でやるつもり
が、09年に完成したとき高田先生が「お前これで食っていけるよ」といって「話芸家」と名付けてくれたんです。
寺尾 鉄腕稲尾は大分・別府の漁師の息子ですよね。
山田 幼い頃からお父さん(久作氏)と船をこいで櫓(ろ)を止めてスズキを釣ってる合間に石を海面すれすれに投げる
んです。それでコントロールを鍛えた。
寺尾 57年35勝、58年33勝で2年連続MVP、61年は驚異のシーズン404イニングを投げた。ピンチになると海が見えて
不思議と落ち着いたんですって。
山田 父親は漁師の跡継ぎをさせるつもりで、野球には反対でした。高校時代は捕手で座ったまま盗塁を刺した。その
活躍が新聞に載ってばれるんです。
寺尾 稲尾さんの大車輪の働きで三原脩監督の西鉄は逆転日本一を成し遂げた。
山田 その後、稲尾さんは右肩を痛めます。でもご本人は「右肩を大事にしながら10勝を20年続けて200勝しても、表彰
はされても誰も『神様、仏様…』とは言われなかっただろう。だからこれで良かったんだ。後悔はしていない」と。 >>647
顔もそっくりらしいな。
吐き気がしそうな品性下劣な醜い顔だった。 >>676
山田とかどうでもいい。
ソース不明の二次使用三次仕様の美談とかクサいしウザいだけ >>503
でもマルハは手放したよね。
その差は何なんだろ? >>501-502
実は共同で「福岡−関空空路キャンペーン」やったり、
意外と仲がいい。 >>679
マルハは時代の影響をもろに受けているから >>675
まぁ、地元新球団を応援するのは、自然だろうな。
大阪にソフトバンクファンも根強いだったら、福岡にも隠れ西武ファンいると思うけど。 西鉄・太平洋時代の選手はもうみんな引退してしまったし、当時のライオンズを
リアルで見た人も少なくなってきた。
東尾や大田が監督になれば、福岡でも人気が出るかも知れないけどね。 ホークスは大阪から来てくれて、縁のない福岡の為に頑張ってくれている
ホークスに媚びる西鉄と西鉄OBたちは恥を知れと言いたい! >>684
その安易な思考で田淵がやってどうなりましたかね… 俺的にはミスターライオンズは東尾か大田卓だと思うな。
福岡、埼玉を支えた功労者。 ミスターライオンズは石毛だと思う
ミスターホークスは秋山 星野仙一がミスタードラゴンズと呼ばれないように投手はミスターにはなりにくい 688神様仏様名無し様2020/01/20(月) 00:40:57.28ID:NwxTRGEi
>>673
>>679
万年2位のインチキ優勝球団オタが、一人恨日馬鹿チョン=チュチェ思想で暴れてやがるなw
さっさと南鮮経由でイランに核兵器材料の輸送手伝いやってることをゲロっちまえよ、
九州のイナカ巨人オタから派生した、恨日チョンバンク関係者w 小久保は40本も打ったけど
99、2003 2回も日本シリーズ欠席で
秋山に持ってかれた
巨人のサードで長島原の後釜なるも
監督でやらかすし
松中は3年連続プレーオフ敗退
結局今も主役は工藤の気がする 99年は普通の四番でフル出場して本塁打も打ってるぞ
何と勘違いしてる? 前から思ってたけど、西武対SBで
西鉄南海の復刻試合しないの? 2000年にシリーズ前の紅白戦から痛めていた脇腹が第3戦で爆発、第5戦だけ無理して出たが高橋尚成に完封負け。4戦本間、6戦湯上谷がサードスタメン。
2011は何でMVPか、発表された時不思議だった。 太平洋フロントがカネやんに遺恨試合を頼んだわけは
稲尾では客を呼べないから
ダイエーはそれがわかっていたから稲尾に監督を頼まなかった 太平洋クラシックの時の博多のファンの関心の薄さといったらなかったな
あれじゃあっちではもうやらないだろうね
福岡時代関連の着用は
ブーイングされた方がまだマシだったと思うよ
無関心はそれよりはるかにつらい >>687
自分もミスターライオンズには東尾を押したい。
西鉄・太平洋・クラウン・西武すべての時代に在籍し、どの時代もエースとして活躍した。
黒い霧直後の壊滅的な時代から投げ続け、優勝・日本一を達成した。
しかも、西武初優勝では、日本一を決めた試合で胴上げ投手となり、MVPに輝いた。 >>702
そんなに無関心なら
福岡時代はもう永久抹殺でいいなw >>704
あくまで福岡では、ね
ホームでは関心高いファンが多いから ただ東尾って何度かトレードに出される話があったんだよね
長池とのトレードは長池が拒否して頓挫したり
巨人が東尾に食指をのばしたり ライオンズクラシックの福岡での評判は「さんざん無視していて今更なんだ!」こんな感じだった 福岡野球の中村、坂井への嫌がらせを考えれば
福岡から出ていかれて無視されても当然だよ >>707
長嶋茂雄だけだな
王でさえ一本足の前はあった >>708
球団の姿勢の変化は、西武本社の経営陣が総入れ替えになったのも大きな要因だな。
今頃何だとか言っている輩は、そうした事情も考えてないんだろうな。
>>709
弱体期に無視した事を反省した人は個々のファンレベルではいたけど、
そうした人は「地元球団を盛り立てる立場」でホークスに転じているし、
企業側(特に八社会)は反省してなかったりして。 >>706
長嶋が加藤初とW獲りのトレードを目指していたってのは見たことあるな >>711
村山の場合、阪神電鉄に入社→タイガースへ出向という形で入団した経緯があった >>714
大洋の新治伸治も大洋漁業からの出向だったな。 西鉄、太平洋、クラウンは弱かったから応援しなかった
西武は在京球団だけど新しくて強い球団だから応援した
ダイエーは弱かったけど地元だし新しい球団だから応援した
球団に去られたから必死に応援した、は良い恰好をした嘘
単に新しくて面白そうだから応援しただけだと思う パリーグはファンの観戦文化がまだ根付いてない都市が多いから仕方ないと思う
仙台も福岡も札幌もこれからよ 東尾はパリーグの弱小球団で、巧妙さに加えてデッドボールも辞さない喧嘩腰な
投球術が特徴だったので、巨人にトレードされていたら、どんな投手になったのだろうか?
度胸があって強気な性格なので、巨人でもデッドボールをぶつけまくっていただろうか? >>708
この書き込みをした人は本物の知能障害者か
そうでなければどうしようものないアホやな 70代の俺のいとこが福岡市内のテニスクラブでプレーを楽しんでいるんだけど
そこには1970年の西鉄ライオンズ・ドラフト1位の高橋二三男も所属 暴力団に接待漬けされる選手達
八百長を見て見ぬふりする監督、コーチ
福岡唯一の球団をあっさり見捨てる西鉄本社
ライオンズの福岡離脱の真相に福岡のマスコミは切り込んでほしい 春の選抜に出場が決まった鹿児島城西の監督が佐々木誠だそうな 「稲尾さんは本当に神様」ノムさん、星野さん…レジェンド支えた新人王投手・佐藤道郎 私生活では3度離婚
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200125-11002930-maidonans-life
「いつも店が始まる前に語り掛けるんです。あの人は本当に神様みたいな人間性です。
男が男に惚れるというのはこのことですね。球界にあらゆる曲者がいる中で、
あれだけ人間的に優しく、人をだまさない人はいない」 いつも思うけど、南海ファンが熱心にソフバンを応援してるの見かけるわ。
良い悪い別にして大阪と福岡のホークスは別物の気がする。
ライオンズにも言えるけど。 >>724
あと西鉄時代から西武応援してる人とかいるのかな? 天然記念物級とは言い過ぎだが、89年と比べ数は大幅激減だね。
大阪の鷹ファンは増殖したような気もする。
福岡初期の神戸、藤井寺での三塁側とレフトスタンドはどう見ても
大阪時代のファンが全て駆けつけているという感じを受けなかった。 ホークスの名前を維持してるのが一番大きいんだろ
あっ…(ライオンズ) 逆にロッテは名前こそマリーンズに変えたが東京時代からずっと一つの線で続いている感じ
有藤は今も初代ミスター・ロッテだからね
ミスター・フライヤーズの毒島は日本ハムの買収以降は疎遠になって
ファイターズのファンでも知らん人が多い ライオンズクラシックについて検索したことがあったが批判的な意見が多かった
いまさら何のつもりだ、と金儲けのためにやっているのかのどちらかだった 山内と榎本が最後までオリオンズに在籍し、大毎が続いていたら、ミスター大毎は
山内か榎本だっただろうね。
特に、バッティングへの真剣さ、個性的な人柄がファンから敬愛される榎本は、ミスター
と呼ばれるにふさわしい。 >>723
1人目はアンジェラ浅岡とか言うダンサーで、その後和田毅投手夫人の母と再婚したけど続いている? ライオンズクラシック別にいいんじゃない?
ホークスも大阪時代のやってるし。 >>729
福岡の人間を罵るのはそれくらいにしてあげて 729だが福岡の旧西鉄ファンを罵る意図は全くない
もし気に障ったら謝る、すみません
ライオンズファンに好意的な書き込みもあったことを付け加えておきたい
福岡県外の人だったけど ライオンズファンじゃない、ライオンズクラシックの間違い、お詫びして訂正する >>730
>特に、バッティングの真剣さ、個性的な人柄がファンから敬愛される榎本は、ミスターと呼ばれるにふさわしい。
無理がありすぎ。ただの変人じゃん。
特に守備の酷さは山崎弘之をイラつかせているし。 >>734
インターネットに初めて触った人みたいな書き込みだな ロッテは福岡移転を考慮して稲尾監督を抜擢したが結局、移転はならず・・・
稲尾よりカネやん監督の方が福岡で人気でたんじゃないか? 福岡のマスコミが野球賭博事件を取り上げなかったのは、i西鉄の圧力があったからだと思う
読売新聞がスクープした理由は全国紙相手にローカル会社西鉄の圧力が利かなかったから さらに朝日新聞が、アマ(特に高校野球)を持ち上げてプロを貶めるために読売以上に煽ったというが。
廣岡知男はプロ嫌いだったというし。 西鉄オーナーは野球賭博犯に口止め料を払っていたそうだが
福岡を代表する会社の社長が闇の勢力に利益供与はまずいな
オーナーは福岡のマスコミは黙らせる自信があっただろうけど その金ってどういう使途扱いになったんだろ
会社のカネだし 西鉄ライオンズ裏面史
・野球賭博幇助(八百長)
・利益供与(闇の勢力に口止め金)
・証拠隠滅(永易所払い)
・身売り(野球賭博事件を闇に葬る) 外野を無料開放しても平均8000人しか入らなかった70年西鉄 そもそも池永らがガチンコでやってた時に
福岡の人間が全く見に行かなかったのが悪いわけでな 西武 レジェンドOB・中西太氏が始球式 2019年4月11日(木)
https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=016-20190422-01&from=related_info_column
週ベはアンチ西鉄、アンチ西武雑誌なんで買わない、読まないで20年以上経ったが、
今さらこんな擦り寄り記事出してんだな。
https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn%3AANd9GcTdKw-o6z6amoTyFUjsTljiVwAFaYLKR-4LurQnJ8Gp7RrVJBlc
ヤクルト・アトムズ監督就任1年目の三原修と、ヘッド・コーチ中西太か?
巨人カラーの黒、オレンジだったアトムズ・ユニの中西は記憶にあるが、青赤は知らん。
https://www.jiji.com/jc/v4?id=17greatteams&p=17greatteams-jpp10608583
さすがに西鉄時代の写真と比べると老いが目立つが、カッコよさは残ってるな、三原。 平和台での稲尾人気?
https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-2020128-02&from=related_info_column
黒い霧発覚後、平和台のヤジは熾烈を極めた。「ライオンズ解散しろ!」「また八百長か!」
選手たちは皆、屈辱に唇をかんだ。
“黒い獅子”とも揶揄された西鉄ライオンズだが、このどん底から再建に向けた動きも始まっていた。
5月15日、平和台の外野席を無料開放。内野席3000人に対し、外野席5000人。
無料とあってはそうもヤジれなかったか、球場は大いに盛り上がったようだ。
さらに翌16日の東映戦。西鉄は新鋭・東尾修の力投と東田正義、ボレスのホームランなどで3対2と勝利した。
この日は内野席9000人、外野席1万人で、何年かぶりの大入り。
試合後には夜10時半を回ろうとしているのに平和台の玄関前に400人ほどが集まり、
「稲尾(和久)監督にお礼を言いたい」「稲尾監督、ちょっとでいいから顔を出してくれ」と口々に叫んだ。
あまりの騒ぎに稲尾監督は二階の窓から顔を出し、携帯マイクであいさつした。
「本日は声援どうもありがとうございます。皆さんのおかげで勝つことができ、心から感謝しております。早く家に帰ってお休みください」
日本中から総叩きを食らっているなかで、逃げずに指揮を執る稲尾の姿に、ファンは本気で感動していたのだと思う。
ただ、博多のファンは熱しやすく冷めやすいとも言われる。いつまでも、この熱気が続いたわけではない。
>>747
こういう雰囲気も長くは続かなかったんだな。 >>748
エラーが出て写真が見られなかったけど、西鉄ユニの真弓やビュフォードや石井茂雄みたいなものか。 江藤が選手権イン監督に就任した時、
まず送り出す側の大洋が中部オーナー同席で記者会見を行った後、
数日後に太平洋が中村オーナー同席で会見を行ったけど、
福岡で先に発表すべきなのに先に東京で会見を行った、と地元記者クラブがボイコットしたんだよな。
こういう面にも地元福岡の姿勢が伺えるな。 太平洋のころは、
オイルショックの不景気風も吹いていたしな。 >>753
なんかちょっと子供なのかね
いまだに飲酒運転が多いし >×選手権イン監督→〇選手兼任監督
「プロ野球トレード史U」にこのエピソードが載っていたな。
一方、太平洋の監督への就任が決まりかけていた大沢は三原の誘いで日本ハムに。 オーナーが東京在住のせいか、福岡市議会には「東京リモコン」とよばれていたらしい 過去スレでも触れられているけど、、やはり福岡では岸信介系が嫌われていたのもありそうだな
もし角栄・大平系だったら違っていたりして…
それに福岡市議会は旧社会党・解同系も力があったようだし。 せっかく闘将・江藤が選手兼任監督として入団したのだから、福岡の人たちには温かく
迎えてあげてほしかったな
球団が九州にいる間は、江藤監督にチームを率いてほしかった
それくらい魅力のあるチームだった >>754
というか、オイルショックの影響は中村ライオンズに直撃した
土地開発ブームが終わってしまったことで太平洋クラブが
契約していた分のスポンサー料を支払えなくなり、
結局最後まで滞り続けて最後は打ち切り >>760
メインスポンサークラウンライターになった後も、わずかに援助していた様で、
右袖に太平洋クラブのマークが入っていたな。
サブスポンサーに小田急や東急が入っていた事や、
二軍が首都圏でキャンプをしていたという話が過去に出ていたが、文献などの一次資料が見つからないな。
以下そのレスを引用。
909 : 神様仏様名無し様 投稿日:2011/09/14(水) 19:52:43.16
小田急電鉄も太平洋クラブライオンズのスポンサーに1974年から1976年までなったことがある。
地元福岡の人たちがライオンズに対して冷たかったため、中村オーナーが小田急電鉄にスポンサーになってくれと依頼したらしい。
小田急電鉄もクラウンライターライオンズに球団名が変わったと同時にスポンサーから離れ、これ以降、小田急電鉄はライオンズを一度も支援していない。
小田急電鉄がライオンズを支援していたのは万年Bクラスの弱小球団だった1974年から1976年のわずか3シーズンだけという短い期間。
小田急電鉄が太平洋クラブライオンズを支援していたのは資金難にあえぐ福岡野球を手助けするためだったかもしれない。
917 : 神様仏様名無し様 投稿日:2011/09/16(金) 22:31:37.44 ID:236jEHia
レオ・ドローチャーの招聘のとき、ライオンズと福岡野球は資金難にあえいでいたため、小田急電鉄の資金を借りていたらしい。
小田急電鉄がライオンズのスポンサーを辞退したのは、レオ・ドローチャー招聘に失敗に尽きる、小田急電鉄は1976年のシーズンオフにそれ以上ライオンズに資金援助は無理だと理由でスポンサーを辞退。
1974年から1976年当時のライオンズと福岡野球は太平洋クラブと小田急電鉄の資金援助に頼っていたため、ライオンズは万年Bクラスの弱小球団だったが、俺は今のライオンズよりも太平洋クラブ時代のほうが好きだな。
地元福岡の人たちや地元企業が福岡野球とライオンズに対してそっけない反応ばかりしていた中、小田急電鉄が資金難にあえぐ福岡野球と太平洋クラブライオンズに資金援助していたのは今考えれば、小田急電鉄はライオンズの救世主的存在だったかもしれない。
太平洋クラブライオンズのスポンサーをやっていたときの小田急電鉄は千代田線との直通運転開始前であり、10両運転も開始する前だった。
太平洋クラブライオンズのスポンサーをやっていたときの小田急の最長編成はラッシュ時の準急と急行の8両で多摩線もまだ1900形の2両だったとき。
ライオンズの選手とフロント、首脳陣は太平洋クラブと小田急電鉄の資金援助で給料をもらっていたが、それでも年棒は12球団で断トツの最下位だった。こんなに惨めなライオンズが懐かしい。 引用の続き
9 : 神様仏様名無し様 2011/10/06(木) 20:51:49
ライオンズの暗黒時代だった1970年から1978年に南武線に快速が走っていた。
南武線に快速が走っていた1969年12月から1978年10月まではまさにライオンズ暗黒時代だった。
さらに太平洋クラブライオンズの2軍キャンプ地が登戸だったため、ライオンズの2軍選手が南武線を実際に使っていた。
ライオンズの2軍選手が南武線の車両は101系の快速か旧型国電の4連なのかは分からないが、ライオンズの2軍キャンプ地が小田急と南武線の登戸周辺だった時期があった。
1974年と1975年のライオンズ2軍の秋季キャンプ地は経費節約のため、登戸周辺の多摩川でやっていた時期があった。
そのため、太平洋クラブライオンズの2軍選手が南武線の快速を使っていたが、そこまで乗客からは注目されなかった。
西武鉄道身売り前のライオンズは2軍選手が南武線の快速を使ってキャンプ地に向かったり、1軍は太平洋クラブと小田急電鉄の資金援助に頼っていたなど惨めなところばっかりだった。
35 : 神様仏様名無し様 2011/10/10(月) 14:39:34
東急電鉄も西武鉄道身売り前のライオンズのスポンサーに1シーズンだけが、なっていたことがある。
フランク・ハワードで金欠になった福岡野球と太平洋クラブライオンズは太平洋クラブと小田急電鉄の資金援助だけではハワードの損害を挽回できない状況だった。
そこでライオンズは東急電鉄に泣きついて、スポンサーになってくれと依頼し、1975年2月から太平洋クラブライオンズのスポンサーになった。1975年11月まで東急と太平洋クラブライオンズはスポンサー契約を結んだ。
太平洋クラブライオンズのスポンサーをやってときの田園都市線は3000系・5000系・5200系・6000系・7000系・7200系・8000系・8500系の4両編成だった時代。
1975年の太平洋クラブライオンズ2軍の春のキャンプ地は田園都市線の二子玉川のグランドで行われ、宿泊地も溝の口周辺の安いホテルを利用していた。
ホテルの宿泊代はライオンズが慢性的資金難に苦しんでいたので東急電鉄がライオンズの2軍選手にホテル代を支払っていた。東急電鉄がライオンズのスポンサーに加わってもライオンズの資金難は解消されることはなかった。
西武鉄道身売り前のライオンズは2軍のキャンプ地が登戸と二子玉川になったり、ライオンズの2軍選手が地上時代の高津駅周辺の安い飲食店で昼食を取っていたなど惨めな待遇と環境でキャンプを過ごしていた。
東急電鉄がライオンズのスポンサーになったのはフランク・ハワードの損失で金欠になった太平洋クラブライオンズを助けるためだった、理由はただそれだけだった。 ハワードで懲りずに
ドローチャーなんて招聘しようとするしビュフォードやアルーまで抱えりゃカネが右から左へ消えてゆくわなw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています