1987年日本シリーズ 西武×巨人
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>370
> 王さんにマスコミは冷たかったよな気が…。
若い人は知らんかもしれんが、当時はまだ台湾人の差別が残っていた
王長嶋と二枚看板のようにいうが、マスコミは長嶋を持ち上げ、王を軽視していたよ >>374
日本シリーズ 12勝12敗(日本一2回、西武、巨人には敗退)
プレイオフ 5勝8敗(すべて敗退)
ポストシーズン 17勝20敗(上記計)
データは正直。 >>374
日本シリーズで勝った相手は星野だけだぞ。
WBCに関してはあの戦力なら韓国に2回も負けないよ。 短期は長嶋のほうが強いかな シリーズは阪急系に弱いが
アテネ五輪は完ぺきにアジア勝ったし
長嶋さんは国際大会強そう 感覚で打てる打者好きだから人数のこともあったが
松中スルーするつもりだったそうだし 長嶋セゲオ、それはないでしょ? 阪急系抜きとか言われちゃなんでもありじゃん。
日本シリーズ通算13勝16敗 日本一2回負け3回(西武森とダイエーワンチャンを破る)
セゲオ巨人2回目監督時はマスコミがすべて味方。高木守や三村といった地味目監督を国民的行事やメークミラクルとか勢いでごまかし、勝ってた気が。
なんか、当時、セゲオ批判はタブーだったよ。巨人&あれだけの戦力補強してたからというのはある。これが凄いなら、野村のほうがましだし、広岡は神だよ。 しょーもない大嘘つくのやめーや
長嶋批判がタブーって第二期就任からせいぜい最初の2年くらいだったぞ
95年の広沢ハウエルら、97年の清原ヒルマンらの大補強が失敗したときはボロカスに叩かれていた
特に97年なんて岐阜の貯金箱に監督交代寸前だったのに 2000年の日本シリーズでのON対決は、明らかにマスコミは長嶋巨人が勝つのが正義のような報道をしていたよ 王さんに比べれば、すごく恵まれてる。
落合筆頭に欲しいものは与えられ、ナベツネ筆頭に今度は絶対解任はさせませんよ。みたいな。
王さんは今、やっと名将という評価だが、田舎のパに都落ちだの、生卵ぶつけられるだの、プレイオフ弱いだの散々だった。生卵は日生球場だぞ。明らかに関係ない南海ファンだろ。
ガラの悪い近鉄ファンも便乗してた。 巨人ファンならあんな仕打ちはしない
いまじゃ王さん王さんでいい気なものだが 王が、巨人監督就任前に、ネット裏をやっていたら、違った結果になっていただろうか。 いきなり選手から監督やって失敗扱いの長嶋の轍を踏まんようにと
助監督で3年間やってもあの結果だったからねえ、一度外見てからの方が良かったのかな
あと牧野ヘッドが体調問題なくそのまま残留してたらってことは考えるな 88年に王監督留任、広岡がヘッドコーチになれば流れは大きく変わっていたかも。
ヤクルトあたりから巨人に選手が移動したと思うよ。
結局、哲に邪魔されたけどね。そしてお決まりの藤田。 長嶋のアテネ五輪予選の采配は見事だった
星野の北京はだめ
和田の使い方見ても長嶋のほうがうまい >>376
>>377
確かに勝った相手は2回とも星野さんだったかw
星野さんを含め中日は異常に弱いからなぁ
俺のイメージ
長嶋に比べれば王の方が名将で、二人に比べれば原の方が名将
長嶋<<王<原=落合<ノムさん≦広岡<森・川上
こんな感じ
87年は歴代名将の誰かが巨人を率いたら、森西武に勝てたかしらん。
純粋な戦力は巨人の方が上だったと思うのよね
ピーキングとなると、また話も変わってくるだろうけれど >>388
原と落合が同列は無い
落合の方が上
もし原が2004年に中日の監督に就任しても優勝は出来ない >>389
まぁそれは言えるね
ただ原は世界一監督という肩書があるなとは思った この頃からい桑田は頼りにならないってイメージだよな。もちろんペナントでは桑田の
存在は欠かせないが、日シリでは球威不足を感じる。いっぽう西武は渡辺工藤郭の
速球派とトンビ。巨人はいつも攻撃の始動が遅くて苦戦した 今ひとつ迫力不足を補うため94年にフォークを連投したら肘を壊したしな 94年だけフォーク投げまくって三振とりまくって奪三振王になってるじゃん
おそらくFA権を意識した投球だったんだろう >>391
そうか?3本柱で桑田が一番精神的にタフだろ
10.8の抑えをやったように
桑田は体格のハンディがあるし、相手を圧倒して完封するような投手ではない
ただ、87年の時はまだ若すぎたし、体調も良くなかったと聞く 三本柱の中では、桑田が一番メンタルはあるとは思うね
高校時代から数々の修羅場をくぐってきてるし、
謹慎明けでも完封しちゃう男だからなw
87年は終盤にマイコプラズマになったらしい
槙原は基本的には弱いけど、
日本シリーズではMVPになっちゃたりもしちゃうのだけど 90年のシリーズは裏目になったね
第一戦の投手はだれがやってもキビシイのな 槙原は西武が嫌がっていたしかし野村ヤクルトは3本柱の中ではやりやすかった 打線は巨人のほうが上。投手も悪くない。
第6戦の水野が謎。
第5戦の西武初回3点で終了か?
工藤は「だめじゃないですか東尾さん、最後まで投げてくれなきゃ」
も問題発言にならず、勝ってMVP。 >>397
90年の槙原は前年のケガ明けだったからねぇ
その年に限っては桑田初戦が一番良かった様な。
夏場以降、最も調子が良かったのは桑田だったと思う。
(3戦目に打たれてるけど、プッツンする前までは悪くはなかった印象)
あと敢えて言うと宮本。
まぁ頑張って1勝4敗くらいには持ち込めたかも知れんw >>400
ミズノはリリーフで結果出してたからじゃないの?
西本が定石だけど6回3失点だったし
なぞって程では無い
そもそも水野自身打たれてないし 87年の巨人の敗因は西武投手陣を打てなかったこと
特に工藤を全然打てなかったことに尽きる なんか83年に盟主が交代し、87年のシリーズをもって巨人は過去の遺物と化した感があった 森西武8度の日本シリーズで87年が最も余裕があったと言える
・7戦あれば3敗まではできる
・初戦は様子見
・本番は第2戦から
・勝てる先発投手の試合で確実に勝つ
・そのためには捨て試合を作ってでもローテを守る
森の能書き通りの上から目線で見事に事が進んだ
88年と90年は結果として87年以上の圧勝で制覇したけど、森の後日談は
「相手は勢いがあるので悠長な態度ではいられなかかった」
「流れを奪われたら一気に持っていかれる恐れがあった」
「何がきっかけで形勢が変わるかわからないので4勝0敗で終わらせたかった。相手に何もさせたくなかった」
というもので、格闘技なら秒殺で倒せなきゃ勝てないような焦りすらうかがえた 82年に某週刊誌が「1990年のニッポンを大胆予想」という特集を組んだが、
総理大臣は竹下登か宮沢喜一、プロ野球は西武ライオンズの天下と予想
史実は海部俊樹だったけど、両名とも前後に首相に就任したし、
西武の天下という予想も見事に当たった。 その西武の天下という予想は82年のシーズン前なのか後なのかで予想の価値が大分違ってくるが。
82年の開幕前にそういう予想をしたのなら大したものだけどな。 あの年の両軍の先発ローテーション投手って
巨人 桑田、江川、西本、槇原、水野、加藤
西武 東尾、工藤、郭、 松沼兄、
西武は俺が忘れてるだけだろうけど少なすぎるよ >>409
小野和幸 20先発登板は東尾、工藤、郭に続くチーム4位
4勝11敗と大きく負け越すもローテ間隔の維持に大きく貢献
横田久則 渡辺久信故障離脱のあと、高卒2年目ながらローテ入り
東尾 工藤 郭 小野 渡辺/横田/松沼博
この辺が常時5人程度ローテに入って
当時の130試合制、ドームなしのゆるゆるな試合日程の元東尾工藤郭の三本柱は
ほぼ中6日の現在並の間隔で登板していた
現在と違うのはほぼ完投してたこと
>>409
小野和幸 20先発登板は東尾、工藤、郭に続くチーム4位
4勝11敗と大きく負け越すもローテ間隔の維持に大きく貢献
横田久則 渡辺久信故障離脱のあと、高卒2年目ながらローテ入り
東尾 工藤 郭 小野 渡辺/横田/松沼博
この辺が常時5人程度ローテに入って
当時の130試合制、ドームなしのゆるゆるな試合日程の元東尾工藤郭の三本柱は
ほぼ中6日の現在並の間隔で登板していた
現在と違うのはほぼ完投してたこと
>>410
情報ありがとう。小野って翌88年に中日で18勝したピッチャーだよな
横田は覚えてないな。
ざっくりだけど東尾15勝、工藤15勝、郭12勝、松沼10勝、小野4勝、
渡辺7勝、横田5勝、あと中継ぎで投げてたのは石井(箕島の春夏連覇投手)松沼弟
市村あたりだったかな? そだね
あと中継ぎは晩年の森繁と火に油を注ぎに行くワンポイントの小田
後ろは巨人と比べものにならない層の薄さだが
先発が降りたときは負け試合かよっぽどの大勝なので気にならなかった 第三戦がポイントだった
江川対郭の投げ合い
江川は石毛ブコビッチのソロ二本だけでそれ以外はほとんどランナー出さず完璧
郭は毎回安打されながらも良い当たり真正面などもあり一失点のみ
試合は2対1西武
この試合巨人勝利すれば2勝1敗で展開有利だし少なくとも第7戦まで行ったはず
第七戦は江川槙原がいたから巨人有利 巨人はこの年は斎藤がいなかったな。
西武は渡辺が終盤は抑えだったような気がする
しかしこの年の先発の数だとドーム全盛の今だったら明らかにコマ不足になるよな 今は先発が160球投げたら虐待とか言われるくせに
リリーフが5連投しても何も言われない >>415
斎藤ケガとかしてたっけ?
2年前に12勝してて、2年後から平成の大エースなんだから、
先発で使っていれば歴史も変わっていたろうなぁとも思う
翌年のリリーフは結構良かったからね ケガとかはしてなかったような
単純に王と皆川に見切られただけ
88年も単にサンチェの抜けた穴を二軍で一番上だった斎藤を上げて埋めました
みたいなかんじであまり将来の意図とか感じられなかった
結局王はくそ度胸だけはある水野を斎藤よりも買ってたって感じかね >>418
この年の斎藤は信じられないほどのスランプ
シーズン序盤で登板するたびに大炎上
そしてマウンド上での佇まいがおかしい
目が虚ろ、目が泳いでいる、覇気がない、手が縮んでいる、異常な汗、夢遊病者のよう、など色々な酷な表現で描写されていた
確かにテレビ越しでみても変だった
これは精神的弱さからくるものと結論付けられて「ノミの心臓」という汚名がつけられた
5月に二軍落ちで二度と一軍に戻らなかった 85年 41試合 12勝8敗7セーブ 155回 防2.96
86年 35試合 7勝3敗1セーブ 90回 防2.40
87年 登板ゼロ
88年 38試合 6勝3敗3セーブ 66回 防1.89
王は斎藤を便利屋としか見ていなかった 87年 6試合 5回 防18.00
何があったんだって感じだな >>421
87年は登板ゼロじゃなくて先発ゼロってことのようね
当時見てたはずなのに、さっぱり覚えとらんがw
それはさておき、他の年はそれなりのイニング投げても
割と内容悪くないよね。普通なら先発の一角→エース候補という
成長曲線を描きそうなもんだがなぁ。
よく年次成績見たら、新人の年も4勝0敗3.07って、なかなかの有望株だよね
87年は桑田台頭に加えて、他の先発陣も調子良くて埋もれちゃった感じだな
トレードに出されずに本当に良かったよ 斎藤は再覚醒前で、トレード寸前、今だったら首だったかもしれない。
藤田が監督復帰して、再洗脳したんじゃなかったっけ。
鹿取は立派としか言いようがないけど、日シリでの存在感は薄かった。
ここも王采配の謎なところ。ムラのある水野より鹿取だろ普通は。
鹿取は須藤とは違い業者から賄賂も受け取らず、清廉な人だった。 野手転向の話も出てなかったっけ?
スイングスピードを測ったら野手含めてで斎藤が一番速かったとかなんとか 須藤はずっとショートにしたいと思ってたらしいが 投手で覚醒前でもいい成績だから難しいかったかも だいたい、イチローにとっての土井か、斎藤雅にとっての王かってぐらいだからな。 最多勝5回で通算180勝、沢村賞3回の殿堂入り投手になった今でも須藤は言ってるからな、
ショートにコンバートさせたら2000本安打達成出来たってw まぁやってくれなくて良かったけどw
コピーロボットがいたら見てみたかったかな 桑田と共に 桑田もいまだに打者転向が正解だったんじゃないかって言われるね
リアルタイムで定岡が「桑田は登板がない日に野手として試合に出ても通用すると思う」と
言っていた まあ運動神経の天才が投手になるというからね
投手は他のポジションどこやっても一流とか言うから 野手だとけがも多いし微妙なところ。
斎藤が野手の場合、何回かの巨人の優勝はない。 足が特別速くもなく長打力も無い桑田を野手にしてもなー
川相がもう一人増えるだけじゃん 右の立浪だろ桑田って
背格好や足パワーがだいたいそのくらい
立浪と投手桑田がどっちがいいというと >>435
立浪だって若い頃はそこそこ俊足だった
22盗塁してるし >>428
2000本安打程度だったら、最多勝5回の投手のほうが良いわ
名球会には届かなかったけど、あんな私設団体になんの価値があるのか 連続だが、この頃の巨人の先発投手は打撃センスあるのばかりだったな。
江川、西本、斎藤、水野、桑田
加藤と槇原くらいか?そういうエピソードがないのは 水野打者転向派だった俺 桑田斎藤より水野のパワーを買ってたし当時の
大砲不足の巨人にあったと思う 畠山のような
280 15から20本のライトタイプだろうな水野
5勝投手ならこっちのほうが当事の巨人なら需要ある >>441
右の駒田か。正直要らんわ。せめて吉村位打ってくれないと。 当時の巨人は広島川口、大野ら左アレルギーだったから右の駒田なら需要あるで 地味だが一番打撃がすごかったのが石毛
リリーフの少ない打数で本塁打2本打ってるしフォームや威圧感や打球もスラッガーそのものだった
ただ打者だとのファームの帝王ぽいが でも桑田の終身打率って2割2分ぐらいあるんだよな
やっぱ凄いよ >>439
槙原は球団通算5000号HR打ってる
プロ通算この一本だけだった様だから、交通事故レベルかも知れんが
加藤はこのスレの年、2勝利打点だかあげてる >>439
他の投手は共通のヘルメットだが西本なんて自分用のヘルメット有ったしな。 >>445
投手は「ここでは打たなくていい。立っていろ。」みたいなのがけっこうある
それでその数値だからね
野手転向したと仮定すると守備が上手い内野手 打率は3割前後 HR15本
現役時代に1回位首位打者獲得みたいな感じだろうか>桑田 ショートは岡崎 鴻野で弱かったし
6桑田
4篠塚
8クロマティ
5原
7吉村
3中畑
9駒田
2山倉 齋藤雅、桑田は投手で正解
水野はあの程度なら打者で行くべきだった
ま、結果論だが 水野は二年目8勝 三年目10勝したのでかえって転向しにくくなったんだろうね
愛甲や金村みたいに「こりゃ投手じゃ通用しない」と見切れればあっさりと野手転向できたんだろうけど 水野のあの威力ある重い球見て野手転向させようと思うアホはおらんわw あの球は凄いけど
中途半端だったよな
先発させれば中盤で崩れるし
リリーフだと連投効かないし 江川 桑田 水野 槙原 西本のローテって夢あったよね >>456
たしかに贅沢だなって思うんだけど
多ければ多いほど使い方が難しくなる
むしろ西部のように
4本柱しかいないほうが腹をくくれて采配はしやすいと思うる 負けっぷりってあるよな、87年とかもしや勝機があったのか?と思えば後遺症が
残る。いっぽう2019年シリーズは見事な4連敗ならスカッとした気分で、なんの
後遺症もない、原も最初から間違って勝つなんて妄想すらなかったのだろう 他の人も言ってたけど、第3戦は勝てるチャンスあったのに、いい当たりが全部正面に行ってダブルプレーってのがかなりあったのが痛かったな。江川も割と好投してたし。もし仮に第3戦に勝っておけば、巨人日本一の目もあったかもしれない。 もし第1戦後楽園かは始まってたら、巨人も楽になってたかも。後楽園ラストイヤーだから、なんとか第5戦で決めたいって力入りすぎてた。
スレチだけど、去年もし西武と対戦してたとしても、巨人はペナントで燃え尽きてたし、あっさり負けてたな。 西武は開幕投手に巨人打線の最も得意タイプだが制球がいい東尾の先発で捨て試合して巨人の各打者のデータ収集して丸裸にしたんだっけ
高卒ルーキー近藤にノーヒットノーランやられるくらい左に弱い巨人には工藤で2勝、
その他の投手で2勝する計算どおりの戦いで余裕の勝利だったな 第一戦終えた後本当は森が「4連敗だ、迫力が違う」と青ざめたのが真相だっけ。 東尾でデータ収集の捨て試合って聞くたびにありえんわって思う
たった7試合しかないのに
それに2戦は工藤で勝ち確定みたいに簡単に言うけど
94年のように相手投手がそれ以上の投球をしたらどうするんだ >>465
森西武は日本シリーズでは二戦目必勝主義で開幕投手にノーコンで不安定なナベQが投げる事が多かった
当たり外れの激しいナベQが乱調で初戦を落としても二戦目に安定感のある工藤や郭を出して連敗を防げばいいって考え
ナベQくじが当たって相手エースに投げ勝てれば90年のように一気に連勝 93年ヤクルトの時は、第一戦に工藤出して来たよね。手強いと思って先手を打ってきたんだろうか。
94年のナベQの時は初戦の大勝で、全て出し尽くした感じだったな。 87年の裏返しの様な94年は
「Wikiによれば」KOされた「桑田は西武打線の特徴をしっかりつかんでおり」
らしいね 真意のほどは知らんw >>469
ナンバービデオで言ってたわw しかも日本一に貢献した選手は全員ゾロ目の背番号で、33の長嶋茂雄を男にしたという意味不明な演出だったw 1番好調だった桑田ボコられて4連敗で終ると思ってたけどなw
槙原が絶好調でよかったわ 80年代あたりのGL決戦
83年:
ヤングジャイアンツとベテラン中心西武のがっぷり四つの大熱戦。
紙一重の勝負
87年:
西武も黄金期初期でGl戦力的には互角だったが
西武が野球の巧さで優る
90年:
D砲加入+リリーフ陣強化で黄金期のピークだった西武の圧勝劇
94年:
ピークから大幅にダウンした西武を長嶋巨人が下す
02年、08年は就職してたからよくわからんですw 94年は下馬評からもまず巨人は西武に勝てないだったし、巨人OBからも希望的観測の予想しか無かった。
第一戦で11-0で負けた時は、もう4連敗しかないと思った。第二戦の鈴木健のエラーと槇原の好投で流れが変わった。 お前らに聞こう
山倉と阿部どっちが捕手として上?
伊東と森どっちが捕手として上? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています