沢村栄治133キロ説でいいじゃないか
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当時は133キロでもすごかった、今と環境も違うんだから今と比較するのが間違い、
それでいいじゃないか。
https://www.youtube.com/watch?v=UdfdIgTon50
青田昇なんて、アンダースロー転向後の沢村としかプレーしてないはずなのになんでこうなるんだ >>182
草野球のピッチャーは大体100キロくらいが多いと思うけど。
速いなと思う人で110くらい。 草野球で120レベルとなると、野球経験者でないとなかなか打てない
130レベルだと、素人レベルでは絶対といっていいほど打てないし、高校野球経験者の中でもかなりのレベルでないと打てない
140レベルは、もう無理。
そう考えると、沢村133キロ説は、やはり正しかったんでないの? >>193
広島時代の30歳の時にリリーフで全力投球して最速146キロだからなあ
球速ってそんな急激には変わらん 401奪三振、オールスター9連続も阪神前期
阪神後期以降は数字が落ちてる
不摂生の江夏は30歳の時既にかなり衰えてた
阪神前期なら155キロは分からないけど150キロは出てるでしょ スピードガンが出る前とかは数値はほとんど話題にならんかったような
快速球とか豪速球てフレーズばっかり。巨人の星でオールスター戦の描写で近鉄の鈴木がちょっとだけ出てきて超速球とか書かれてたのは変な感じだった 思い出したけどスピードガンが出る前の時代でスピード数値が言われてたのはノーランライアンとボブフェラーぐらい 江川のタマってホップする回転で投げてるから速いっていうより伸びてきて打てないってことだろ。
沢村もそんな感じじゃないか? 大谷が165キロ出した時のスピードガンで計測したとして
澤村 143キロ
スタルヒン 150キロ
金田正一 148キロ
江夏 151キロ
尾崎 156キロ
堀内 153キロ
江川 153キロ
小松 156キロ
槙原 156キロ
先発時最速はこのくらいじゃないだろうか?田中マー ダルビッシュ 松坂も日本時代
の最速は156キロ。おそらく近代トレーニングをあまりしない場合の日本人の最速は156キロ
ぐらいが限界に近いと予想。 >>205
一応参考までに生まれ年と公称身長貼らしてもらいますわ
1917年 174cm 沢村
1916年 191cm スタルヒン
1933年 184cm 金田正一
1948年 179cm 江夏
1944年 176cm 尾崎
1948年 178cm 堀内
1955年 183cm 江川
1959年 178cm 小松
1963年 187cm 槙原
1980年 182cm 松坂
1986年 196cm ダル
1988年 191cm マー
1994年 193cm 大谷 スピンがかかっているストレートほど初速、終速に差が出るのは統計的に間違いない
スピンのかかったストレートで有名な藤川は初速-終速が12キロ、オールスター8連続奪三振のときの江川は8キロ
これだと江川はあまりスピンがかかっていないことになる
やはり昔の方が手元から離れた場所で測るので初速が遅く出ていると考えられる
二人のストレートのスピンが同程度とすると、今のガンは昔より4キロ速く出る
よって江川の最高は155キロ >>205
実際は大谷含めて全員マイナス2キロくらいだろうな >>54
余裕で150超えてる
ソースはバッティングセンターで160キロ打てるオレ
江川はスピードは大したことなく藤川球児の全盛期と同じ原理
沢村はスレ内に動画があるがあれで150は出ないだろう
フォームや身体のバランスが素晴らしいのは当然ながら金田 草魂も江夏も金田も下半身が関取のように柔らかい
今そんな投手はいないから怪我ばかりする >>210
バッティングセンターで160キロってスイングのタイミングをつかめば誰でも打てるよ 日米野球で金田はガンガン打たれてたし、そこまで速く無いんじゃね? マシーンなら200キロでも60過ぎの素人ジイさんが打ち返していたからな あれは当ててるだけだからな
あんなのマシン相手ならコツと慣れで誰でもできる なんかピッチャーの話ばっかになってるけど、
要はそんな遅い球空振りしてた昔の日本人打者が今の高校生ぐらいのレベルってことだからな。 今の高校生は昔のプロ以上の守備と聞くからどんなに鉄壁な守備なのかと思って久しぶりに
高校野球を見たら全然ダメでがっかりした。やはり高校生だなと思ったそこは。
投げるのも意外と大したことがないく大半が130キロを出すのがやっとでそこは昔と大して
変わっていなかった。中には150キロ投げる凄いのもいるが昔だって一人や二人は怪物はいた。 ノウハウを吸収するのは早いからね。
だから大人と子供くらいある実力の池田高校も各校パワートレーニングを取り入れたら
すぐに甲子園常連ではなくなった。 どのくらいを昔と言っているのかにもよるが、1988年のセンバツ後のに買った週べに140キロ越えたのは岡と前田だけと書いてある
センバツのマックスが142キロ
その前年の選手権は伊良部と江口が148キロでスカウトが椅子からひっくり返るほど驚いた、とのこと
30年前は140キロ超えれば屈指の速球投手、140後半なら伝説の速球投手 1988年津久見の川崎〜1998年松坂 までの10年間は
甲子園に限れば川崎クラスの速球投手は皆無と広島の元スカウトが語っている 甲子園大会で140km以上をマークした投手の数(春夏合わせて)
年度 人数 出来事
1979年 01
1980年 01
1981年 03
1982年 00 筋トレ池田が初優勝
1983年 06
1995年 01 阪神・淡路大震災、野茂がメジャーで初勝利
1996年 05 野茂がノーヒットノーラン達成←
1997年 11
1998年 09 横浜が春夏連覇
1999年 09
2000年 18 NHKが球速表示を始める
2001年 19 寺原
2002年 15
2003年 19
2004年 18
2005年 30 辻内
2006年 26
2007年 37 佐藤
2008年 53
2009年 51 菊池 池田と対戦した広島商の投手の投げ方球威
全てがショボい、こんな投手がいる高校が優勝候補かと萎えた思い出
池田が圧勝して萎えが晴れたんだが 池田の圧倒的な力の差を見て高校野球も池田の時代が暫く続くかなと思ったけどすぐに
甲子園常連ではなくなった。各校すぐに池田のパワートレーニングを取り入れてレベル差は
すぐに池田に追いついてしまった。
だから昔の選手もノウハウの吸収は早いと思うよ。歳を取ってからでは難しいが若ければ
あっという間だ。 >>213
日米野球なんて全然参考にならないし。ど真ん中に立て続けにストレートを投げ続けたら
打たれるのは当たり前。完全な花試合。
日米野球がサムライ強化試合になってから様相が変わった。メジャー選抜も二流所では
日本に勝ち越せなくなった。 だからメジャー選抜も85年や92年のような超豪華メンバーで来てほしいんだけど年俸が
高騰しすぎてメジャーのチームが選手を派遣したがらなくなってしまった。だからWBCも
昔だったら各国もっとメンバーが集まったのかなとも思う。 昔はレベルが低くて日米野球で勝てなかったというけどベストの単独チームと選抜チーム
相手だったからそりゃ勝てないよ。向こうが戦力を落としてきて二流所主体と一部の目玉選手
だけで来るようになってやっと二勝出来るようになったから。 1970年代は単独チームでも歯が立たなかったけどね
それだけ日米に力の差があったのだよ 多分60年代頃の野球はここで議論されてる数倍もレベル低いと思う
広岡がいうには投手がベースカバーを当たり前にするようになったのもこの頃らしいし 右方向に飛んだだら投手は自動的に一塁に走り出す基本的なルールすら知らなかったそいだ ドジャース戦法(大リーグ式戦法)を先駆けて導入して、
V9につなげたっていうからねぇ 長嶋が入ってくるまでプロ野球は大学野球よりレベルが低かったらしいし相当な低レベルだったんだろうね
長嶋が入ってプロの地位が向上して全体レベルがが上がった1960年の後半から日米野球もマシなスコアになってきている
野球発展途上国への野球普及から格下との練習試合くらいに位置付けが変わったんだろうな
そんなレベルだから沢村が133キロでもいいじゃないかと思うよ
それでも過大評価だろうけど 3Aなみの水準
外野手の肩・投手の速球に弱点
「我々と比べて明らかに見劣りするのは外野手の肩と投手のスピードボールです
(日本の)投手はみんなコントロールがいい。だけど変化球が多く大切なスピードが足りない
うちのコーファックスは時速170キロのスピードボールを投げるが、それも上から正しく
投げるからだ。守備は内野だけ大リーグ級ですね」 ほんとか?
今の評価だと外野の肩は勝負できるがスナップスローできない内野は問題外って評価じゃん >>236
まあソースないしあったとしても向こうの適当な総評だからね 1970年代から80年代、90年代にかけて、
高卒新人投手で1軍で活躍できるのはほとんどいなかったと思う。
球速とかじゃなくて、フォームの癖とか牽制とかバント処理とか細かい技術が
プロと高校とでもっともレベル開いてた時期じゃなかったか。
その後、高校野球も細かい技術が上がって、松坂みたいな奴が続々出てくるようになった。
逆に言うと、高卒がすぐエースとして活躍してた1960年代以前のプロ野球は
大ざっぱな野球やってたんだろうな。 江夏は日米野球でも無双してるからなあ
突出した個人は平均レベルでは測れない場合が有る 渋谷誠司は金田正一より速かったけど、成績は金田正一が遥か上
サイドスローは速く見えるが、当時スピードガンが無かったからわからない。
酒井圭一は初めて聞いた
>>79
> 最速投手に挙がる意外な名前は森安敏明半沢士郎渋谷誠司酒井圭一辺り >>241
昭和53年の日米野球の少し前と、別所の話は戦前だな。別所の回想はラジオできいた 二宮の本で八重樫は酒井は川崎憲次郎とは比べ物にならないと言っている
あと森安のスライダーは150キロで真横にスベると八重樫は言っている
あと八重樫は江夏の低めは異常に速いと言っている
あと八重樫はやさしそうに見えるがやさしいかどうかは知らない ドジャース戦法の川上1年目に権藤権藤雨権藤の中日が二位 >>212
>>214-215
まんまとマヌケなレスを付けているが
恒常的な160キロと比較して江夏が150は軽く出てるという話だろ よく聞くのはソフトバンク和田はフォームの関係でリリースポイントがギリギリまで見えないんで、
とにかく速く感じたって話だな。
あと今だと阪神の岩崎が似たような話よく出るな。 最速157キロの寺原より150キロにも満たない和田の方が速いって言われてたしな
これ和田の球速が測れない環境だったら
寺原より速いから160キロ出てたとか言い出す人がいただろうな 阪神大黒柱時代の下柳は130キロ台。
稲尾なんかは下柳タイプだったんだろうな。 角盈男のストレートって120きろくらいしか出てなかったけどはたから見ていても相当速く感じたぞ。 >>231
単独でもベストメンバーできたからね。勝つのは難しかった。
SFジャイアンツに勝ち越したこともあったけどね。 >>244
当時の巨人の送りバント数って年平均95回。それが今ではどこも100を超えてしまった。
いかに日本の野球に多大な影響を及ぼしたかがわかりますね。 スモールボールの広商
ハイパーボールの池田
今はハイパークオリティベースボールの時代。これが日本が追いつくのが中々難しいんですね。 >>254
みんなやりだしたからV9とかもはやできない ドラフトでFAなし。ドジャース戦法もウエイトパワートレーニングも最早どこもやっている。
そんな勝ち続けるのが最も難しい時代に3年連続日本一を二回も達成した森監督は根本マジックが
あったにせよ凄いと思う。 >>254
バント病の元凶だな
有効性の低さは再三指摘されてるしデータで証明もされてるのに未だに治らん 追い込んだら一球遊ぶならわしも川上がはじめたんだっけ >>258
バントしてそのイニング無得点→やることやったし仕方ない
普通に打席に立ってそのイニング得点→たまたまうまくいっただけ
データとかセイバー大好きな人でもこういう考え方(洗脳・刷り込み)からなかなか抜け出せないからな
解説者時代にバント否定派だった人でも監督になるとバント多用するのは、これ系の批判をされたくないからだろう(工藤、真中、金本等)
選手としても打率を下げず仕事した感が出るしな >>260
バント少なめで成功したのは権藤、どんでん辺りかな
バント否定派、セイバー厨でも現場に入るとバント派になる人多いね
2番前田で大失敗、日替わり打線不評とか理論と現実がズレるのは沢山ある 2番前田はそもそも理論的でない気がするな
脚怪我した後だし併殺リスクが高すぎるんじゃ?併殺率とか調べてないからわからんけど
青木みたいなのを2番にして打たせるのが一番いいような あと本人が嫌がってモチベーションが下がってるならそもそも好結果は望めないわ ブラウンは出塁率高めの前田を2番で使いたかったのよ
盗塁はそれほど効果的じゃないし塁打+1塁進む走塁能力もシーズン通すと実はそれほど変わらない
結果的に打順=役割の意識が強い日本では上手くいかなかったってだけ 前田も前田で、今までと同じ打撃を2番目の打者で求められていたのに、
なぜか今までの2番打者としての役割を果たそうとしていたとかそういうのを読んだことがある 昔の長嶋以外超低打率の巨人みたいな打線なら、強打者の前でとりあえずバントしとくのもいいんだろうが
まあ最近はさすがに、二番にわざわざ雑魚打者を置いてバント要因にするようなチームはなくなってるのかな レオン監督が好きだった。
「大島よバントなんかするな。お前はバントで終わる選手ではない打ってみろ。責任は俺がとる。」
只でさえ弱いチームでこれだから当然勝てませんがそれでもこのレオン監督の一言には感銘を受けましたね。
日本の野球に最も欠如しているのは打棒を信じるということ。日本球界に最も必要なものをレオン監督は
教えてくれたようにも思います。 不信感からチームガタガタになっていくので。最初の一年目は纏まるけどね。 >>268
そう言えばレオンって日本時代はロッテ・大洋・ヤクルトと打撃陣には恵まれていたチームに在籍していたからこの様な強気な発言が出来るんだろうな。 山本由伸なんて、フォークで150キロ近く出してるからな・・・ フォークで150キロ近く出てたら、沢村の時代の打者だったらバットも出ないから、
結局ただのボールになるだけじゃね? 130キロで剛速球扱いの時代だし捕手も捕れんでしょ 実際に当時のミットで150キロの速球を捕球できるのか実験したことはないのか まあボブフェラーだって遅くみつもっても150は出てただろうし
それを受けてたんだから捕球は可能だろう 両翼78mの後楽園で多少の助走付でも、ホームベース辺りから遠投でバックスクリーンに直接投げ込み続ける肩の力を計算してみればいい
なお遠投144mの記録が残る景浦は豪速球とは呼ばれていない >>252
全盛期には右打者でも完全に振り遅れていたな
あんな不様なスイングさせるのは、あとは藤川球児くらいしか見たことがない イチロー、松井稼、新庄は遠投140mといわれていたが
投手としては通用しなかった 身体能力が高いから
投手より、毎試合出られる野手の方がいいと判断されたんだろ >>1
千葉茂はバッターボックスに立って
くる球の時速ほぼ正確にあててるからな
青田は胡散臭いから信用ならんが 青田は別所毅彦でも、別所は江川以上の速球だった とか言っているくらいだし
別所の球を見て速かったと言っていたのは青田くらいで、
金田正一千葉川上杉下皆、別所はシンカー投手だと言っていた 青田は著書で、稲尾も江川より速かったって言ってるくらいだからな
ちなみにノムさんは
稲尾はとにかく制球が抜群だったけど、球は大して速くなかったと供述している 落合もこないだテレビで「昔はスピードガンがなかっただけで、今より速い人はたくさんいた」って言ってたな
今の選手は昔に行っても誰も通用しない、とまで言ってた
落合もこういうこと言うんだな 青田が江川より速かったと言ってるピッチャー
沢村、金田、スタルヒン、野口、若林、藤本、中尾、別所、杉下、稲尾、杉浦、皆川
土橋、尾崎、村山、小山、江夏、秋山、米田、梶本、鈴木啓、山田、池永、森安 全盛期でも江川より速いのは江夏、鈴木、森安ぐらいだろ >>200
>>193
広島時代の30歳→1977はスピードガンが存在しない
1979年〜
1978はオールスター戦で試験的に実施 >>285
今の投手は中3日出来ない酷使するとすぐ壊れる
中6日で完投すら出来ない落合は正しいよ
>>285
今の選手は昔に行っても誰も通用しない、とまで言ってた
> 落合もこういうこと言うんだな
実際こんなもんだろう
>>286
> 青田が江川より速かったと言ってるピッチャー
>
金田、スタルヒン、別所、尾崎、、小山、江夏、米田、梶本、鈴木啓、森安、 最近は元の能力がさほどでもない選手が
体格や技術の飛躍的向上と、現代式トレーニングで能力の限界付近まで出せるようになっただけだから、すぐ壊れる 草野球やってるが
草野球レベルでも無双してる奴が120出てるかどうかだから
130はかなりの剛球
野球経験者揃えてもなかなか打てない >>276
古田が「150なんて絶対無理」と言ってたな
牛島は白黒フィルムの中で投手が投げるフォーム見て、
「今と全然違いますねえ」と吹き出すのを我慢した笑顔で語ってたw >>285
落合は俺スゴイにつなげたいだけだからな
過去の選手を持ち上げておくのは
落合は投手レベルが低い時代だから無双できたといわさせないため 野球ボールの遠投記録100mで初速が130km位らしい
助走付だろうが遠投140mの沢村や景浦が、助走なしでどれだけの距離を投げられたかで凡その球速が出る
沢村はクイックで投げているので、身長175cm前後で遠投140mを投げられる連中をマウンドに立たせてクイックで投げさせれば済む話 やり投げの金メダリストやメジャーナンバーワン強肩のフランコーアでも
140そこそこだったからな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています