全盛時代の落合ってどれだけ凄かったの?
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>>354
1985年のオールスター休み時に同様の企画をやってたけど
その時点で落合は40本塁打以上未経験だったから門田が選ばれていた
インタビューで結果を受けた門田本人は2年くらい前だったら分かるけど今ではもう違うでしょうと答えていた ボールに関しては今も昔も飛ぶ年と飛ばない年にかなり差があるし、
加えて昔は球団によっても違ったから一概に言えない
ただ加藤球の2年間はプロ野球の歴史を見ても最も飛ばない球を使っていたのはほぼ間違いない あと、審判のストライクゾーンに関して「今は狭すぎる」という人がいるがそれも間違い
昭和の試合の動画を見ると、今だったらどう見てもストライクの外角低めを余裕でボール判定したりしている
(高めだけは今より若干広い)
それが1986年の新ゾーンで低めを広く取るようになり
さらに90年代に入り、セリーグの審判部がアメリカ式を積極的に取り入れたことで
外角がガバガバになってその流れが今も続いている
パリーグの審判はあまりアメリカかぶれしなかったので、
90年代以降も統合直前までセリーグよりゾーンが狭いと言われていた 1986年の低めの新ゾーンは定着したけど
2002年の高めの新ゾーンはほとんど定着せずにすぐに戻ったんだよな
あの年は完全にすっぽ抜けた球まで無理矢理ストライクにしていたから野球自体が変わってしまっていた なぜか、甘いボールを見逃しがちの松井に関してはそのストライクゾーンが良い方向に
傾き、シーズン後半、左投手の高めに浮いたスライダーを積極的に打ちに行き、ガンガンホームランにしてた
印象 >>352
ココリコ遠藤が、「今年のボールは飛ばない」という話題を持ちかけたことに対し逆張りてきに返した。 86年はありえない低めのコースをストライク言われて
バカ畑がぶちぎれてたの覚えてるわ 1 西村(二) 率.284 本4 打点29
2 高沢(中) 率.273 本15 打点48
3 リー(DH) 率.331 本31 打点94
4 落合(三) 率.360 本50 打点116
5 斎藤(一) 率.288 本6 打点29
6 横田(右) 率.304 本8 打点42
7 古川(左) 率.274 本16 打点47
8 袴田(捕) 率.244 本9 打点38
9 佐藤健(遊) 率.283 本9 打点43 【NPB史上No.1バッター】落合博満さんの神主打法について語ります
https://youtu.be/hCK8faR4pvo 最近は石毛も中畑も落合のことを語ってるのな。
石毛のタイミングのとりかたは落合につながるものがあるとは思っていたが、実際に教わってたとは意外だった。
そして、石毛のダイエー時代、落合の日ハム時代、似てるところはあるね。 デーブも落合の事語ってたがデーブは豊田泰光の紹介で高校の頃から落合と付き合いあるらしい >>342
2年連続三冠王のバースが87年は無冠だったの?
セパ共に85、86年は飛ぶボール? 週刊現代1024・31号
熱討スタジアム「1985年の落合博満を語ろう」
有藤通世氏も登場
話題は「そもそもの話、二人の仲は」から
https://gendai.ismedia.jp/list/books/wgendai/4910206451000 愛甲「当時のロッテは有藤派と落合派があって僕と西村さんは落合派だった」 現役時代の試合中の会話
ノム「お前、なんでストレートばかり待ってるの?」
落合「僕は基本ストレート狙ってますよ? 変化球はストレートより遅いから狙わなくても対応できるから」
ノム「やっぱりお前、天才だわw」 村田真一も同じこと言ってるね。
篠塚のことだけど。
篠塚はストレートにはめちゃくちゃ強かったと。
篠塚本人曰く、全ての打席でインコースのストレート待ち。狙いはライトスタンド。
あとはインコース、ストレートが来なかった場合は、崩れながらでもボールに当てる技術を身に付けた、と。
落合の場合は長いバット持ってたので、コースや高さは関係なし。
予想よりも遅いボールが来たらレフトスタンド。
ちょっと速いボールが来たらライトスタンド。
予想通りならバックスクリーン。 野村はストレートを待っていてとっさに変化球に対応できるのは天才型だと言っていた
野村はそれが全くできなかったからデータとりに精を出した
もっと凄いのは田淵で「構えさえ決まれば僕は打てるんです」と言われて野村は唖然としたそうだ 秋山曰く全盛期の落合さんはスイングスピードが半端なかった あんまり速いイメージないけど、
速そうなイメージの秋山が言うから凄いんだろうな きっと >>356
狭さを解消するためか川崎球場のフェンスって、やたら高かったよな
6〜7mあったんじゃない?
ライナー性の当たりだったら150mぐらいの飛距離の打球でもスタンドインできないだろ
あれならラッキーゾーンがあった頃の甲子園の方がホームランになりやすい
ラッキーゾーンの柵って、2mとかでしょ
あと清原は「球場が狭いと無意識のうちにその球場のサイズに合わせた打ち方になるから、俺は川崎でそんなにホームラン打ってないと思う」って言ってた 落合本人も講演会で言ってたぞ。
フェンスが高かったからまず飛ばすことよりも上に打ち上げる方法を考えた、と。
原辰徳の当て方は実は理想的だと。
飛ばすほうは自信あったけど弾道低いとスタンド入らない、と。 落合はスイング自体は速いけど予備動作がめちゃくちゃ長いからメジャーは無理だっただろうな >>382
日米野球でランディ・ジョンソンの球を外野に飛ばすことは無かったけど、
レジェンドクラスの剛球投手にあれだけ食らいついてたら、他の投手は打てるやろ >>383
メジャーの?無理無理w
体格が日本でも平均以下だしメジャーの外角は打てないよ
本人も引退後外角苦手って言ってるし 落合が外角苦手というのは、実際どうなんだろうな。
野村IDがそれを見抜けなかったというのが不思議なんだよなぁ。 >>384
身長172〜173cmの門田博光が日本プロ野球で活躍できたんだから、177cmの落合ならメジャーでも余裕だろw >>383
日米野球のジョンソンなんてシーズン中より10キロは遅かったし
観光気分でやってただけ
それを打てないようでは話にならない >>385
外角苦手と言ってるのは嘘な。
引退してる以上、今更どうでもいいんだけど、世間では落合は外角をライトへのイメージだから、それ違うのよ、実はライトへ打ってたのは外角だけではないよ、俺すごいだろ?
って感じで言ってるだけで、実際、外角も強かったよ。
現役時代も同様で、内角苦手と見せかけてたからどんどん内角に投げてきた、そして、それをホームランにした、と言ってるが、テレビで見てる人間は仕方ないにしても、キャッチャーは真後ろで構えてるわけだから実際の落合がどのコースをホームランにしたかぐらいはわかりきってるわけよ。 >>388
谷繁乙
今書き込みなんてしてる場合じゃないだろw >>385
苦手と言っても全然打てないとかそういう意味ではなく、あくまで傾向としてだからな
ただ中日時代で落合が最も三冠に近づいた1991年
特に9月は絶好調だったのだが、これを止めたのが下旬に対戦したヤクルトだった
3連戦を通して内角にはボール球含めて1球も投げずに徹底した外角攻め
しかも、内野手外野手とも守備位置を大きく右に寄せるという右の強打者に対する守り方としては異例のシフトを採用し、
結果としてその3連戦で単打1本か2本のみに抑えた
その次に対戦した巨人や阪神は、内角にも投げてホームランを打たれたりしていたから
他球団は同じ攻め方はしなかったんだけどね
でも、このヤクルト戦で3割5分以上あった落合の打率を大きく下げさせたことが
古田の首位打者獲得につながった 外野はまだわかるけど
あの時のヤクルトは内野まで特殊シフトで
サードが三遊間ほぼ真ん中、ショートはセカンドベースのすぐ近くあたりに守ってたんだよね
日本シリーズでの対イチローとか、野村は強打者には心理戦を仕掛けることがあるから
そういうのもあったのかもしれない
落合の方がどこまで意識したかは分からないが、結果は三振はほとんどなかったがゴロばかり打たされていた 石毛チャンネルで、東尾が落合のピッチャー強襲について供述しているな
東尾いわく、フォークがすっぽぬけて頭に当たってしまった
強襲で報復されたのかという問いには「狙われたのかもしれない」
この供述だけだと、落合が勝手に狙われたと思いこんでいるということなのか 東尾のアレは死球の方がピッチャー返しより後だったという話だけどな
ただ香田は落合に死球を当てた次の打席でピッチャー返しされて
巨人に移籍後の落合にその時のことを尋ねたら
「あれはわざとだよ」と言われたんだとか >>393
この話本当間違って伝わってるよな
番組で福嗣ナレーションで訂正してたのにな
当時の番組が順番逆にして編集した
本当は
ピッチャー返し
↓ 違う試合
死球 落合は中日時代の89年後半あたりから
それまでよりベースから離れて立つようになったんだよ
と同時に90年からは神主打法もやめてゆっくりテークバックを取るようになった
全盛期のロッテ時代はベースに非常に近く立って、なおかつ内角にも強かったからね
中日移籍直後の87〜88年あたりは、年齢から来るものだと思うが内角の速球攻めに苦戦し、
この頃に限れば外角の方が打てていたはず
89〜90年以降は内角攻めに対応するために打法や立ち位置を変えて克服
その分それまでより外角に弱くなった(というか外角低め近辺に投げとけばヒットはあっても長打はないという感じになった) 88年に津田から打ったサヨナラホームランは割と有名で映像も残っているけど、
あのコース、低さをあの打ち方でスタンドに持って行くのは
90年や91年の落合には難しい
逆に88年の落合なら詰まる確率の高かった内角の厳しい球を
90年91年の落合はよく打つようになっていた 投手陣が一番しょぼい当時のロッテで3冠王3回は神だろ
唯一、球界を代表するエース村田兆治が居たけど、
落合が活躍してた時期はほぼ怪我で離脱してたからな 当時のパリーグなんて大物は軒並み高齢化してろくな投手いなかったじゃん >>398
自陣の投手陣がしょぼいのと、落合の打撃成績って関係ある?
ごめん、煽ってる積りはないんだけど、俺の読解力がないんかな。
もちろん落合が凄いのは間違いないけれど。 >>400
本気で言ってるのか…
セ・パ共に年間戦う対戦相手が5チームあるよね?
6チームずつだから
その中で投手陣が一番弱いチームに所属するバッターは、投手陣の一番弱いチームと戦えない
何故なら一番カモにできる(安打を稼げる)はずの一番弱い投手陣のチームが味方だから対戦できない
だから不利というお話
逆に投手王国のチームに所属するバッターは有利
凄腕のピッチャー陣が味方のおかげで彼らと対戦しなくて済むから 実際ロッテ時代の落合を本当に知っている人なんてここにはほとんどいないだろ
当時のパリーグは本当に露出が少なく、
球場に何度も通っていた人ぐらいしか実態はわからないはず
俺もおっさんだから中日以降の落合なら分かるけどね
でも本当の全盛時代のことは伝聞でしか語れない #石毛宏典 #落合博満 #門田博光
【東尾修さん】俺はこう投げていた!!2人の天才の東尾流攻略法暴露!
https://youtu.be/3tHlOg6wWwA >>399
落合が三冠王獲ってた頃って、西武黄金期始まってたろ
工藤、ナベQ、郭太源といった活きの良い若手
故障する前の松沼兄弟
ベテランの東尾もまだまだ元気でMVP獲ってたんじゃないか?
この西武と戦わなきゃいけないだけで相当な骨だぞ 1985年1986年でも西武戦はそんな打ってなかったはずだよ。他チームと比べて
計算めんどくさいからしないけど。
工藤、松沼兄は得意だけど、東尾、郭は苦手気味
投手のよいチームに苦戦するの中日時代も同じ。
巨人戦だと斎藤、桑田、桑田あたりがいたからやっぱり他チームみたいになかなかカモれない。 落合のスレで言うのも何だが
東尾がそんなにすごい投手なのかというと疑問だけどな
勝率がほぼ5割なのは西鉄やクラウンの弱小時代を含むからそこは考慮する必要があるが
被打率やWHIP等の数字を見ても同時代の他の名投手と比べると劣り
実力的にはローテ3番手程度だが
とにかく非常にタフで、長期間にわたって第一線で活躍し続けた選手、という風に見える LOTTE投手陣が一番弱いはちょっと言い過ぎかな
明らかに影響ありそうなのは西武の選手
落合が三冠王獲った年の防御率
82年 85年 86年
1位 西武 3.31 西武 3.82 西武 3.69
2位 ハム 3.63 ハム 4.36 ハム 4.10
3位 阪急 3.73 LO 4.80 阪急 4.11
4位 南海 4.05 阪急 4.98 近鉄 4.34
5位 近鉄 4.11 南海 5.05 LO 4.34
6位 LO 4.24 近鉄 5.10 南海 4.46
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
平均 3.85 平均 4.68 平均 4.17 >>401
ご丁寧にどうもありがとう
自分がいかにコミュ障かと改めて感じた・・・ その西武と巨人に所属しながら、無冠に終わった清原って実は過大評価だったんじゃ… >>407
バカヤロウ!
落合が打ちまくったおかげで、他のチームの防御率が下がったんだろ!
なんてなw アンチ落合はこれを見て絶望せよ
川崎球場(ロッテ時代の落合の本拠地)
両翼89m 最深部118m フェンスの高さ5〜7m
後楽園球場(王&長嶋の本拠地)
両翼87.8m 最深部120.8m フェンスの高さ2.1〜4.7m >>407
阿波野も西崎もまだいない時期じゃないか。小野・津野・加藤もまだまだヒヨッコだし。 >>411
それな。
低い弾道ではスタンドに入らないから「高く」打ち上げることが練習のテーマだったと言ってる。 >>405
全く落合ディスになっていなくて草w
それは西武以外の球団から打ちまくってたって事だろw
それに工藤をカモに出来るだけで凄いよ
あと中日時代のホームラン映像は相手ピッチャー桑田が多かったから、桑田は普通にカモられていたと思うぞw ロッテ時代の最初の頃は内角の特に高めは苦手だったんだろ
それを克服してレギュラーをつかんだ あとは左投手があまり得意じゃなくて、むしろアンダースローの方が好きだと本人が言って
それを聞いた野村に驚かれたりしている
全盛時に対戦した広岡も、落合は左の方が苦手なのであえてサウスポーをぶつけたこともあると言っていた >>402
ロッテ落合のスペック
・ミートとパワーは有藤より上
・足は遅い
・肩はそこそこ強くスローイングがうまい
・守備範囲はせまい >>416
ちなみに原も左投手が苦手だった
そこらへん人それぞれだね 落合は確変した2年を除けば原とどっこいどっこいの打者だったな
最初からセリーグにいたらその2年もなかっただろうし 打率もホームランも四球も球場も飛ぶボールも飛ばないボールも
そういったものすべて考慮して
球場補正込のRCWINでシーズンランキング歴代32位だからな >>419
原は過大評価過ぎる
ドームになってから30本打ってない
川崎球場より狭くてホームランになりやすい後楽園で30本たった1回
あの狭い後楽園でだ
ドームになってからは20本も2回だけ
通算本塁打もたったの273本
300本超えた池山、広沢にも届かない 後楽園とドーム初期はボール飛ばなかったんだよこれ事実。
原は88年ドーム元年31本打ってるね >>423
いくら何でもそれは過小評価過ぎるだろうw
(というか事実ではないことを書いている)
88年ドームで31本打ってるし
(とはいえドームでは10本くらいだったと思うがw)
後楽園時代には82、83、85〜87年までは30本は超えてるぞ
ドーム時代にしても88(31本)、89〜92は20本は超えてる
273本というのもよく分からんのだが、通算は382本
本拠地に限った話?とかではないよね?
それじゃ30本打ってる訳ないし 原...長嶋、王の幻影に振り回され続けた現役時代やった、注目度の高い巨人の4番を永く勤めて通算成績も超一流ではないけど一流の数字ではあるかと。
もし他チームの選手やったとしたら三顧の礼を持って迎えられたやろなぁ、その場合監督はないやろけど。 野村克也は意外と選手としての原辰徳には高評価をくだしていた。
センスは持ってたから教えたかったんだろうな。 原辰徳
通算1675安打 382本塁打
(1981) 率.268 本22 打点67 ops.791 新人王
(1982) 率.275 本33 打点92 ops.850 最多勝利打点
(1983) 率.302 本32 打点103 ops.949 打点王 最多勝利打点 B9 MVP
(1984) 率.278 本27 打点81 ops.865
(1985) 率.283 本34 打点94 ops.952
(1986) 率.283 本36 打点80 ops.978
(1987) 率.307 本34 打点95 ops.968 B9 GG
(1988) 率.300 本31 打点81 ops.936 B9 GG
(1989) 率.261 本25 打点74 ops.866
(1990) 率.303 本20 打点68 ops.910 B9
(1991) 率.268 本29 打点86 ops.834 B9
(1992) 率.272 本28 打点77 ops.857
(1993) 率.229 本11 打点44 ops.692
(1994) 率.290 本14 打点36 ops.894
(1995) 率.201 本6 打点15 ops.652 落合博満
通算2371安打 510本塁打
(1979) 率.234 本2 打点7 ops.696
(1980) 率.283 本15 打点32 ops.946
(1981) 率.326 本33 打点90 ops.1.043 首位打者 B9
(1982) 率.325 本32 打点99 ops.1.034 首位打者 HR王 打点王 最多安打 最高出塁率 B9 MVP
(1983) 率.332 本25 打点75 ops.982 首位打者 B9
(1984) 率.314 本33 打点94 ops.1.017 B9
(1985) 率.367 本52 打点146 ops.1.244 首位打者 HR王 打点王 最高出塁率 B9 MVP
(1986) 率.360 本50 打点116 ops.1.232 首位打者 HR王 打点王 最高出塁率 B9
(1987) 率.331 本28 打点85 ops.1.037
(1988) 率.293 本32 打点95 ops.998 最高出塁率 B9
(1989) 率.321 本40 打点116 ops.1.036 打点王 最高出塁率 B9
(1990) 率.290 本34 打点102 ops.975 HR王 打点王 最高出塁率 B9
(1991) 率.340 本37 打点91 ops1.155 HR王 B9
(1992) 率.292 本22 打点71 ops.948
(1993) 率.285 本19 打点65 ops.885 最高出塁率
(1994) 率.280 本15 打点68 ops.815
(1995) 率.311 本17 打点65 ops.895
(1996) 率.301 本21 打点86 ops.924
(1997) 率.262 本3 打点43 ops.680
(1998) 率.235 本2 打点18 ops.652 オチは中日に来て原とドッコイドッコイの成績でガッカリしたわ
巨人だと280 10本台 手骨折痛めた後の原以下だし 川崎補正の大打者でしたわ 落合はエリマキトカゲみたいなもんで
自分を大きく見せる技術が上手いが
まあ原といい勝負だろう 落合の何がかわいいって日米野球は後半は後ろ向きになったけど、オールスターだと晩年まで張り切るんだよな。
基本、目立ちたがり屋さんなのよね。 徹夜してるくせに全く勉強してないっていうタイプなんだよ 二年連続三冠と言っても、同じ年のセのバースの方が内容は上だったから、
その点割り引いて、というか、客観的に判断すべき。 まぐれとは言わんが単年だと落合のキャリアハイ以上に
傑出した選手がそれなりにいるからね ロッテ時代の打撃フォームが好きだった。
インコースの打ち方とか物凄かった。 ロッテ時代というのは、バットをペタンっと倒してる時のフォームかね? ドームランと言われてバカにされる東京ドームだが、
いくらなんでもあの川崎球場よりHRが出やすいなんてことは絶対ない 川崎、ナゴヤ、東京ドームだからおいしいところ選んでるな
したたかな男だわ >>441
絶対に詰まらされるだろうと思わせるコースを、
右ひじをたたんで、左ひじを抜いて打つ感じのフォームです。 それでも二年連続三冠王は凄いよ
大多数の選手は一回タイトル取るだけで
ライバル相手に敬遠させたりするぐらいなんだから >>430
セ・リーグ移籍の初年度に打率.331は凄いな
日本シリーズを戦ったことが無い落合にとっては、初めて真剣勝負で対峙するピッチャーばかりなのに >>443
じゃ最後は日ハムじゃなくてヤクルトに行ってるはずでは リーグ変わっても成績が落ちなかったのは張本と清原だよ
球場環境も対戦投手もがらりと変わる中で終始安定した成績を残した
このふたりこそが本物の実力者でありバットマンだ
落合は一流とはいえるが成績を大きく落としたのも事実 張本はTVで偉そうなこと言ってるだけの実績上げてるしな
文句言うやつは張本の現役時代の偉大さを知らないだけ 厳密に言うと、張本は移籍前年よりも格段に成績がアップしている。
前年は3割も打ってなかったろ。
しかしあの守備はとんでもないマイナスだ。
そもそもDHだけで、守ってはいけない。
おかげで日本シリーズでは張本の弱点知ってる阪急に巨人は完敗だったろ。 張本の場合は落合と逆で60年代の全盛期が打低環境だったからな >>450
清原は元のレベルが落合より低いからだろw
落合=.350が.330に
清原=.260が.290に 冷静に考えれば、あの超打高投低時代の川崎で50本なら、
今ならその半分の25本てとこだろう。 じゃあ村上や岡本が当時の川崎で60本打てるかって言われたら難しいと思う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています