不惑の大砲 門田博光 part2
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
前スレ
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/meikyu/1437662952/
そんなシーズン序盤の傾向を苦笑いとともに振り返ったのが、NPB歴代3位の567本塁打を放った門田博光だ。
「テレビで見とっても、センター方向へ飛んでいく打球の勢いが違う。
普通、センターのホームランというのはそれなりの打者しか打てないはずなんやけど、今年は『えっ、このバッターが......?』というのがある。またボールに何か起こっとるんとちゃうか」
門田の現役時代、ボールに関しては球団ごとに契約メーカーが違い、当然、打球の飛びにも差があった。
そうした歴史があったため、ホームランが量産されるとまず話題になるのがボールだ。
今年のホームラン増については、メジャーで流行となっている"フライボール革命"の影響や、フェイスガード着用によって打者が内角攻めを怖がらなくなったという声もある。
ただ門田は、これについての関心は薄く、その代わりに挙げたのが投手だった。
「投手の質がクエスチョンや。見ていても、開幕早々から失投が多い。
我々が現役の頃、エースクラスのピッチャーは簡単に失投を投げなかった。とくに4、5月はピンポイントで投げてきた。
だからこっちは、相手の疲れが出る夏をひたすら待った。春先はひたすら体調を整えて、夏が来たら反撃や。
それが今は春先から打者優位やからな......ドーム球場も増えて、ピッチャーにとってはコンディションも整えやすいはずやのに、ピンポイントで投げられる投手が少ない。
プロでもアマチュアでも、どれだけ確実に失投を仕留められるかで数字は決まってくる。
極論を言えば、シーズンを通して真ん中周辺のストレート系だけを狙える勇気があれば、プロでもそれ相当の数字は残る。
まぁ、人間は余計なことを考えてしまうから、なかなかそれができないんやけど......。
今年、これだけ春先からホームランが出るということは、ピッチャーがそれだけ打たれるボールを投げているということ。それは間違いない」 力いっぱい素振りをし過ぎて
内臓がおかしくなり
吐血しながらやっていた男。
近鉄電車で難波通いし、球場
入りの前にピンサロで抜いて
いくのがルーティンだった男。 山内孝徳:昔のエースは失投が少ない?門田さん、さすがにそれは買い被りでっせ、わて失投ばっかでっせw 「なんでこんなにええ体をしているのに、”今風”の形でやるんや。ここが理解できんのや」
門田が言う”今風”とは、オープンスタンスのことだ。
門田が現役の打者を語るとき、かなりの頻度でぼやくのが、このオープンスタンスである。
清宮に対しても同様だった。
「0コンマ何秒の勝負をしているのに、なんでわざわざオープンに構えてから戻して打ちにいくんや。
それだけ無駄な動きが入ったら遅れるやろ。それに足を上げて、グッと力がたまる一瞬も浅くなる。
昔は、1本足が難しい打ち方やったけど、オレにしたらそれよりも難しいのがこれや。
それがなんで主流になるのか、理解できんのや」
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2018/06/18/___split_56/index_2.php 80年代の打高環境になってから急に打ち出したんだよな それでも南海の使う球は飛ばない方だったし何より南海の投手と対戦出来ないハンデの中でだからな >>12
ホームランに関してはそうだが、70年代は5回3割マークしている。 79年にアキレス腱断裂してから、走らなくてもいい本塁打量産に切り替えた
それまではむしろ中距離打者だった 南海はなぜか飛ぶボールをあまり使わなかったな
79〜80年は別として インフレが凄かった
85.86年は門田にしては
不調だった。 あと金がなくあまりにも補強しない球団にブチキレて契約更改の席で
「それなら私は全打席HR狙わさせていただきます」
って言い放ったという伝説もあるな 80年代の南海のトレードについては上田監督が
「南海のトレードは補強じゃなくて補弱や!」と言い放った 門田はバッティングを語る上で、3つのスイングが重要になると言う。
まず、腕が伸びたベストなポイントで捉えるスイング。
次に、差し込まれ気味に腕をたたんで持っていくスイング。
最後に、崩されながらもヘッドを効かせて運ぶスイング。
この3つを持っていないといけないと語る。
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2017/01/18/___split_7/index.php >>17
視力障害で門田もいよいよか 次が全く育っていないのに…と思ったが
.250 25本はクリアしてたんだよな
チーム内で上を行っていたのは、ナイマン、デビットぐらいだろ
ただそのまま下って行ってもなんらおかしくなかったのに
39歳で3割30本まで復活してみせたのは本当に安堵した そしてその翌年 門田とか村田兆治とかすげえおっさんというか爺さんに見えたな
今の40歳の選手の何倍も老けて見えた オッサンだけど
門田とか村田が引退したころの年令に自分がなっていると思うと
なぜかビックリするね メジャーで大物がトレードされる場合は所謂マイナーの有望株複数人だったりするけど門田の場合もそんな感じでしたよね
確か内田原田白井兄だったけど少年だった私は落合みたいにもっと大物加えてトレードしろよとガッカリしたなぁ
内田が少し出た程度で案の定全員ダメだったし 取引先が指名打者ある関西球団って限定されてたから足元見られるのも当然
近鉄が提示したのは古久保加藤哲吉田剛とかだっけ
近鉄と取引したほうがダイエーは得だったな結果的には 加藤哲郎は最終的にダイエーに来ましたが…
そのメンツなら近鉄の方が良かったですね
不惑にして最高の売り時だったのになあ 1988年の週刊ベースボールの選手名鑑
推定年俸4000万→6200万
1988年の抱負:まだまだ若い者には負けられん
1988年のシーズン前、前年の3割30本塁打は最後の一花だと思っていたのですが・・・ 球場の狭さが有名だったせいで長打力が過小評価されてる気がする >>25-26
年齢が40歳過ぎてたからな
守備がダメな上で歳が行ってればそんなに良いトレードはできない 近鉄が取ってたら
大石4
新井8
ブライアント7
門田D
リベラ3
金村5
鈴木貴久9
山下2
真喜志6
こんな打線か 「若手の頃は投手も舐めてかかってきますから、投げてくるのはストレートばっかりなんですよ。
でもある程度打つようになると相手も警戒して、変化球をわんさか投げてくる。
右足を上げて投手側に突っ込んでいくようにして打つフォームやから、
タイミングが合わないとガタガタになるんです」
「変化球は完全に捨てて打席に入ろうと。
それこそ3球ともカーブがきたら『ハイ、サヨウナラ』と三振してベンチに帰るだけ。
でも、4打席あれば失投で真ん中付近にスーッと入ってくる直球が必ずあるんです。
それを絶対に逃さずホームランにすることだけを考えて打席に立ってました。
逆に、変化球のタイミングのみに絞り、ストレートを捨てて打席に入ることも晩年はありましたけどね。
今の人はタイミングを外されても器用に当ててヒットにするでしょ。不器用な僕にはそれができなかった」
https://nikkan-spa.jp/1420052 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:847cfeaf6f31691a42c25abc56bd4433) ノムさんによると、打者は4種類に分類出来るらしい
A(起用型)ストレートにタイミングを合わせておいて、変化球にも瞬時に対応出来るタイプ
B(無難型)コースに山を張るタイプ
C(起用型)打つ方向を決めて打てるタイプ
D(不器用型)球種を絞らないと打てないタイプ
門田の自己分析ではD型なんだな >>34
青田昇によると落合は変化球のタイミングで待って速球が打てると言ってたな >>34
A、王、若松、落合、篠塚、原、イチロー
B、長嶋、清原、江藤
C、立浪、石井琢朗
D、ノムさん本人をはじめ、大半の打者がこれ
だったかな
間違ってたら訂正して 昔、インタビューに来た栗山を門田が恫喝したのは有名だが
その栗山は一生ハム球団関係で食えそうなのに門田の方は…。
仮に糖尿に苦しめられてなくても打撃コーチとして招聘する球団はあったのだろうか。
見るからに性格が難しそうだからなあ 【連続写真】南海・門田博光「本塁打に魅了された異才」
http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180314-11
門田、江夏、江本
この3人は指導者には向いてないとノムさんが言ってた
人の話は全然聞かないんだと 指導者=中間管理職だからな
投手と外野手は監督に向かないというのが野村克也の持論 >>43
門田は異才という表現がぴったりだね
ONや落合、イチローみたいな天才ではないんだけど
極限までホームランを追い求める求道者だった 門田博光が、バットを手に三塁側の西武ベンチ裏へ乗り込んできた。
「おい、工藤とかいう若造! (体の)近くばかり投げよって!」とすごい剣幕だ。
元同僚で西武に移籍していた黒田正宏が仲裁に入り、なんとか事なきを得た。
https://www.zakzak.co.jp/spo/news/180813/spo1808130013-n1.html >>41
若松って、ちょっと特殊な打撃する人なんだよね
軸がぶれても、タイミングを外されても、手元を上手くひねってヒットにしてしまう 解説で選手を貶したりバカにするんですよ。
小山正明&門田博光のダブル解説コンビ時に
「今のはお嬢さんスイング」口癖
小山は注意しなかった
自分が超一流だと、もどかしいんだね
王野村門田は他人をバカにする癖が有るから、反感持たれる
衣笠はバカにしない
>>42
> 昔、インタビューに来た栗山を門田が恫喝したのは有名だが
> その栗山は一生ハム球団関係で食えそうなのに門田の方は…。
>
> 仮に糖尿に苦しめられてなくても打撃コーチとして招聘する球団はあったのだろうか。
> 見るからに性格が難しそうだからなあ 指導者向きじゃない選手が指導者をやった結果が鈴木啓示 >>50
その点、長嶋はむしろ褒めるんだよな。
いいものはいい、自分より上、認めるものは徹底的に認める。
一茂もそんなところがある。
そういう天性の血が流れてるんだろうな。 長島は一般的な采配はちょっとアレだけど
妙に埋もれてる選手の能力を見つける眼力があったり
名古屋決戦の時みたいな異常なモチベーターとしての役割が
あるから超一流OBの中ではマシな方 長嶋さんは人を誉めるけど野村さんは人を誉めない
って角三男に言われてたね。
門田監督だったら田淵や王初期のダイエーより暗黒確定だな… 勝ち馬に乗ってるだけに見える工藤監督が門田に代わったら
ホークス優勝しそうな雰囲気が一気になくなるなw こういう尋常じゃない努力を重ねて超一流になった人は逆に、指導者に向かないわな >>53
高田繁は1975年オフに長嶋の家に呼ばれて
「トレードに出されるんだな」と覚悟したが
「三塁手をやってみないか?」と言われて吃驚したそうだ
外野→内野のコンバートってほとんど無いからね 長嶋茂雄は俺も悪い監督じゃないと思う
地獄の伊東キャンプの時はバッティングから守備、走塁まで
一から指導して後年の主力選手を育てたし
何より、松井秀喜をマンツーマンで育て上げたのが大きい
あれは他の監督さんでは出来なかった
って、門田スレだったな 門田の打席はロマンがある
勝敗とは関係なしに見てるだけで楽しい >>44
緒方、栗山、工藤とかでノムさんの時代とは変わってきたね
監督が中間管理職なのは同意
監督よりも現場監督って感じ 広島とか阪急・オリ(西本は除く)みたいに昔から
「フロントが監督やってる」
みたいな所は今更何を?
という感じだがノムには不自然に感じるんだろうな >>60
独特の存在感があったもんね
構えでバットがピタッと止まって、足がグッと上がってフルスイングする
あの打席を見ているだけで入場料の元が取れた
ついでに、門田がいた頃の大阪球場はヤジが最高に面白かった
西宮球場だとヤジで全然面白くなくてガッカリしたものよ 杉浦忠とチームメイトだったし池永と対戦歴があるんだよな 門田がプロ入り後に、最初に目標に掲げたのが、前年の三番富田の数字。その後の二人を考えると、信じられないな。 門田博光と富田勝
どちらも現役引退後は一度もコーチ、監督の声が掛からなかった ノムがやめてからの暗黒時代に
大阪球場でビールを売っていたが
観客は先発が平沢とかだとはじめから諦めており
門田がホームランを打つかどうかだけ楽しみにしていた
ロッテは兆治を南海戦にあまり出さず仁科か水谷か安木 >>59
大型サードとして期待された松井の守備を適性なしとさっさと見切って
外野にコンバートしたりなかなかシビアだよな 門田の現役前半は阪急全盛期、後半は西武全盛期
優勝チームからかけ離れた場所でひたすらホームランだけを打ちまくる打者だった 門田は1973年に優勝できてるからまだ良い
土井正博は近鉄時代は近鉄が弱体で
ライオンズに移ったらライオンズが発展途上だったんで
あれほどの打者なのに優勝なしで終わった 野村克也がいた1977年までは殆ど上位だったな
1978年以降は5〜6位が定位置に そもそも野村克也を兼任監督にしたのは
人件費削減のためだったからな 野村が再生工場で上手くやりくりしてたので上位にいられたが
広瀬穴吹で暗黒時代になった 江夏、柏原、高畠、ブレイザーの監督派がみんな野村に続いて退団
ポスト野村として入団した中出は全く使えず
これでは勝てるわけない >>74
近鉄は三原監督で優勝争い弱体を脱して発展途上
土井はチーム勝利より己れの成績の為だけのバッティングだったから
(HRか単打ばかりで
通算成績の割にOPSが低い)
チーム体質もあれど優勝に縁がなかった 土井正博は長くコーチが出来たし
コーチとして優勝出来たから良かったよ
若いうちに運を使い切ってしまう人もいれば
土井みたいに長く運を保持出来る人もいるもんだ 東尾は門田と対戦する時は、わざと3ボールにして
「歩かせるのかな」と思わせておいてから勝負したんだと
でも、これは相当コントロールに自信がないと使えない手だね
http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20180615-11 門田と四天王の対決はやはり鈴木が分がよかったんだろうか がんこ CABIN'85 高島屋
大阪球場のヒーローだよ門田は そんな門田も近鉄電車で通勤するオッサンで
目の前に門田がいると気づかないリーマンがスポーツ紙見ながら
「門田ももう歳やなあ」と会話される >>84
そもそも門田も落合もブーマーも
「歩かせても全く走る心配が無いからそれが出来るんだよ」
とトンビは言ってたね 「西武の東尾修は、常に内角スレスレにビシビシ投げ込んでくるイヤらしいピッチャーやったね。
オレも何度か当てられました。こっちも『お返ししたろう』と思って、
東尾の太ももに打球を直撃させたことがあります」
https://friday.kodansha.co.jp/article/2862 そんな器用なバッティングが出来るなら
ホームランを打った方が良くないか 門田なんかセエリーグ来たら
.244 26 73打点ぐらいだろ 門田や落合みたいなバットコントロールがあればやり返せるけど
大半のバッターはそんなことは出来ないから
デービスのように鉄拳制裁に打って出るしかない >>98
デービスの鉄拳制裁の後に他球団の人が東尾批判を始めたのは可笑しかったな
外人への風当たりが強い時代だったのに
「人を狙って投げている東尾が処分されないのはおかしい」という論調ばかり 門田はHR狙いばかり話題になるけど流し打ちとかも普通に上手かったよな 牛島のフォークを落ち切る前に打席内で歩きながら打ってホームランにするとか漫画みたいだよな
何しろその発想に驚かされるわ 「野球を始めたころの僕は体格も技術も劣っていた。
でも人間、その気になれば不可能なことなんてない。
それをあの子らに伝えられたらええね」。
https://www.asahi.com/sports/baseball/npb/news/OSK200911110039.html 門田と落合の組み合わせって見た事ないな
対談してほしいな オチ(落合博満)はロッテ時代に52本塁打を打った時、確か35インチのバットを使っていた。
オレでも34インチ半が精一杯やったのに……。
あの長さのバットを扱うのはすごい技術が必要なんです。
あの頃のオチは、『王(貞治)さんの55本塁打を抜きたい』という思いがあったんやと思う。
そのためにはこのバットを使いこなさないといけないと思ったに違いない
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2012/12/01/___split_51/
35インチ=88.9センチ 杉浦亨について、度重なる怪我がなければ門田並みの通算成績を残せたのに
とヤクルト監督時代の野村克也が言っていたらしい 杉浦のホームランは弾けるような感じで好きだったなあ。
ホームランの時だけバットも弾ける。
荒川の教えをしっかり身につけた王に続く選手。 杉浦亨と大杉のポジション争いは打撃ではレベル高かった >>112
門田さんは致命傷かと思われた大ケガを踏み台に飛躍したともいえる
これも一種の一病息災か塞翁が馬か 杉浦さんのフォロースイングって、王さんと一番似てたなあ。 門田の他に30本打てそうな選手はいなかったよな?外国人も含めて南海 南海って外人の発掘が下手だったよね
ロッテにはリー兄弟やディアス
近鉄にはデービスやトレーバーがいたけど 何せ南海には金が無い
ドラフト1位の吉田豊彦の年俸と契約金ですら値切る球団だからな >>119
バナザードはダイエーになって34本打ったね 南海で30本以上打っていたのは野村 ジョーンズ
打つ可能性があったのは富田勝
片平や柏原は打ったとしても20本くらいか
あとは吉永 藤原満 山本和範
レギュラーでずっと出ていたらや15本は山本雅夫 高柳 広永 岸川や佐々木も30本打てる能力はあったと思うんです、ええ。 >>127
その世代の人たちの現役最高年俸って幾らくらいなんだろうね
門田はオリックス時代に1億いったみたいだが
https://baseballinfo.net/player/zkz4tTi1
鈴木啓示で5000万くらい
米田哲也だと2000万くらいかね と思って調べたら鈴木啓示は現役最終年の1985年に7000万円になってた >>127
米田哲也ってこんな加藤芳郎みたいだったっけ?
もっと恰幅良くてチリチリ頭でいかにもガソリンタンクて感じだった記憶なんだけど プロ野球選手の年俸が急激に上がっていくのは1980年代以降
米田哲也は最後の2桁勝利が1974年で、現役最終年が1977年だから
時期が悪かったとしか言いようがない
>>128のグラフでも分かるように、
1970年代までは10年活躍して年俸1000万円がステータスだった
門田は1980年代に数字を上げたから年俸が急激に上がった 門田が中モズはプロが使う施設じゃないって言ってたけど
そんなにそこまで酷かったやろか >>33
江夏が落合に言ってしまった事と似てるな。
駆け引きしようとしてる投手の場合、球種をひとつに絞られるのが嫌、駆け引きに付き合って1球1球狙い球を変えると投手が楽っていう。
それで落合が1打席カーブだけ狙ってて、キャッチャーがストレートばかり要求して打ちとったものの、不気味さを感じたと。 >>61
栗山は、ナンチャンとやってた番組で野球の考察ができたのが大きい。 南海の不動の4番のイメージだが
4番での出場は意外と少ない 4番で年間100試合以上出場したのは
84年(100)と88年(130)だけ >>141
ノムさんの後ろにいる大沢親分ヤクザやん >>141
左利きなのもあるけど王の捕ってから投げるまでが滅茶苦茶速い V9時代の巨人OBが、阿部の1塁守備が下手くそだと言いたくなる気持ちは分かる 江本が南海にいたパーカーはめちゃくちゃ守備が上手かったと書いていたな >>152
南海じゃなかったらあんな酷いキャンプ地じゃなかったので
アキレス腱やらなかったからまた違ったんじゃね >>154
末期の東映が伊東だったのはこんな理由
南海も似たようなもんだろうな
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190711-00000002-baseballo-base
会見で「すべてを大下君に任すよ」と大川博オーナーは言ったが、大下が伊東キャンプを「中国か四国へ」と要望すると、
「冗談じゃないよ、君。伊東は変えん。だいたい監督がそんなことまで口を出すもんじゃない」
と一蹴。大下が旧知の苅田久徳をヘッドコーチにと相談しても簡単に否決された。
大下もさすがに「任すって言われても、これじゃあね」と苦笑していたという。
大川が水原茂監督を切った最大の理由は経費削減と言われる。
高給取りで、補強だ、海外視察だと、やたらとカネを使いたがる水原を大川親子が嫌ったのだ。
伊東キャンプの宿舎も東映の直営ホテル。わざわざおカネのかかる四国や九州に行けるわけがない、ということだろう。 南海の大方はなにかつながりがたったのか?
徳島や和歌山なら電鉄のツテもあるだろうけど
まだ田辺の方が白浜に近いし良かったんじゃないかな >>150
その試合で門田盗塁成功→阪急の団長さん苦虫噛み潰し、
の表情が萌えまくり。 大阪球場のヤジがいかに面白かったか
リアルタイムで見に行かないと中々分からない
豚まんの時みたいに映像で残ってるのは本当に一部だけだからね 佐藤道郎 おーい 嫁さん今浮気しとるぞ
清原 外野の電球切れとる 実家にはよ電話せい
平沢 先発平沢アナウンスに あーあ
香川 日ハムがトレード申し入れてるぞ 材料として
ピッチャー ベンチばかり見とるぞ はよかえてくれいうとるで
野村 昨日藤原が悪口言うてたで 近鉄はん、観客100万人突破おめでとう!
うちもやったで〜、特急サザンが… 西武球場って新しいからゆったり座れるな
何いうとんねん、大阪球場はいつもガラガラだから足投げ出して座れるぞ
紳助、竜介だったっけ? >>116
杉浦が右足上げて立てば、実は王貞治そのものになるんだよ。
フォロースルーだけでなく、スイングの軌道もボールの擦り方も王さんそっくり。
俺の親父は巨人ファンだけど、杉浦は大好きだった。
そして、俺のじいちゃんは南海ファンで門田のサイン色紙を持ってた。
さらに、俺の同級生にヤクルト渋井の親戚がいて、渋井や杉浦とかのサイン色紙をくれた。 >>163
457: 神様仏様名無し様 2019/07/15(月) 13:34:12.12 ID:XmMKIdMt
同じクラスの友達に渋井の親戚の子がいて、ホーナーとか杉浦、八重樫のサインも一緒にもらって教室に持ってきてやるよ、という話になって、持ってきたんだが、よく見てみたら渋井のサインしかなかった。
それでもスタメンで出てるプロ野球選手のサインだからすごいなー、と騒いでいたら、担任が一言。
「なあ、渋井って有名か?」
シーーンッ、、、 いちおう
ヤクルトつながりでいしいひさいちに
桐蔭つながりではた山ハッチに ネタにされてるのは実績にくらべればすごい 門田博光2000本安打
https://www.jiji.com/jc/d4?p=mei200-img854&d=d4_bb
1987年8月26日の西武戦(大阪)で工藤公康投手から二塁打を放ち達成。プロ野球24人目。
〔写真〕一足先に達成した同僚の加藤英司(右)から名球会のブレザーをもらう門田博光。 【時事通信社】 2000本安打達成記念パネルみたいなん買ったで
大事にとって置けばよかったな 数字はすごいんだけど頼りになるイメージはなかったな。 工藤から2000本目を打ったのは狙ったのかたまたまだったのか 娘が工藤のファンで、だったらその工藤から打ってやると奮起したと、ウィキペディアかなんかで見た気がしたが、事実なんだろうか 門田は工藤にビーンボールを投げられたことに腹を立てて
バットを持って西武ベンチに殴り込みに行きかけたと
金村義明がテレビで言ってた >>173
本人は(死球を)ぶつけられたら技術で(打球を当て)返せと言ってたが
工藤にだけは別だったんだな 1981年度のGORO−で二人のひろみつの対談が有ったよ
>>101
> >>98
> 2人のヒロミツ
王貞治177cm 野村克也175cm 落合博満178cm 門田博光170cm をレス集計
http://n2ch.net/r/7Ao_2-4----V-F/morningcoffee/1566039302/1?guid=ON
1: 名無し募集中。。。 [] 2019/08/17(土) 19:55:02 ID:0
180cmなくても大打者になれるということか
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1566039302/1 1981年度のGORO−で二人のひろみつの対談が有ったよ
>>101
> >>98
> 2人のヒロミツ
王貞治177cm 野村克也175cm 落合博満178cm 門田博光170cm をレス集計
http://n2ch.net/r/7Ao_2-4----V-F/morningcoffee/1566039302/1?guid=ON
1: 名無し募集中。。。 [] 2019/08/17(土) 19:55:02 ID:0
180cmなくても大打者になれるということか
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1566039302/1 んぅー、まぁー、我々パァリーグの選手からすればねぇー 門田が27番の時は守備そこそこよかったよ 強肩やったね Bグループは江藤しんいち(中日大毎日)or江藤智(広島巨人西武)どっち
>>34
> ノムさんによると、打者は4種類に分類出来るらしい
> A(起用型)ストレートにタイミングを合わせておいて、変化球にも瞬時に対応出来るタイプ
> B(無難型)コースに山を張るタイプ
> C(起用型)打つ方向を決めて打てるタイプ
> D(不器用型)球種を絞らないと打てないタイプ
>
> 門田の自己分析ではD型なんだな
>>40
> >>34
> A、王、若松、落合、篠塚、原、イチロー
> B、長嶋、清原、江藤
> C、立浪、石井琢朗
> D、ノムさん本人をはじめ、大半の打者がこれ
>
> だったかな
> 間違ってたら訂正して >>183
江藤智だったと思う
あと、阿部慎之助がA型だったかな
このタイプはフォークボールを全く振らない >>183
厳密に言うとイチローは変化球に合わせてストレートに対応するんだよね
落合もそう
まあ両方に対応という広義でみなせばいいんだけど 篠塚が全打席ストレート狙いのライトスタンド狙いってのは意外だった。 現役時代の門田は冷やしたコーラが大好きで
ベンチにクーラーボックスを持ち込んでいつでも飲めるようにしていた
https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=051-20171225-01
一方で、ロッテの金田正一監督は体を冷やしてはいけないが持論で
選手には温かい水やお茶を飲ませていたそうだ
https://www.nikkansports.com/baseball/news/201910060001280.html もし阪急に指名されたときに入団していたらどうなったのかな
山田・福本・加藤のトリオに門田を加えたカルテットが誕生しただろうか ウイリアムスが来なくなって外人は指名打者
高井の代打ホームラン記録が積み上がる 88年に南海戦見に行ったけど、門田の打席だけ球場全体がうねるような凄まじい大歓声だった オープンしたてのビッグエッグwとかな
四番 指名打者 カドタ
のアナウンスに シャーーーッ とさざ波のような拍手が
報道に従順な観光客がとつっぱりながらも嬉しかった18の夏 アキレス腱を切ったのは31歳の年(1979年)。キャンプ中のケガだったので、シーズンを棒に振りました。
翌年もケガの怖さが残った。そこで“ホームランを打てば全力で走らなくていい”という発想で、長打狙いに切り替えたんです。
トレーニングを重ねて、重いバットが振れるようになった時期と重なったことも大きかった。
それでカムバック賞を受賞した1980年オフ、阪神の掛布雅之とのトレードが報じられました。球団に阪神ファンからの抗議が殺到して流れましたが、水面下では本当にあった話だった。
当時はパ・リーグが不人気だった。南海では、“これだけ打ってもスポーツ紙で活字にならんのか≠ニ思ったこともありましたし、40本塁打を打って“ちょっとは給料が上がるかな”と思っても、
雀の涙ほどしか上がらなかった(笑い)。人気球団でやっていたら……自分を試してみたかったという気持ちもあります。
ただ、当時は32歳とまだ若かった。マスコミが踊れ踊れと報じるばかりに、自分を見失ってしまったり、プレッシャーに負けてしまった選手もたくさんいた。僕の性格だと踊らされないような気もしますが、
浮かれてしまって、あれほど体をいじめぬくような練習量はこなさなくなっていたかもしれません。
他の選手は打つ、走る、守るでお金をもらっていたが、ケガで足が使えない僕は打つだけでお金をもらっていた。アキレス腱断裂がなければ、DHのない阪神のトレードに喜んで応じていたと思います 大阪球場での巨人とのオープン戦でのできごとです。野村さんに呼ばれたので行ってみると、王貞治さんもおられました。当時の私は、大振りを繰り返していました。
監督に頼まれた王さんは「ヒットを打ちにいくんだ。その延長がホームランになるんだよ」と助言を下さいました。若かった私は、天下の名選手2人に向かい「そんなはずはありません。監督も王さんも、
本当はホームランを狙っておられるでしょう」と言い返しました。あきれ果てた2人のお顔は、今も忘れられません。
この一件もあったからか、私は野村さんに本当によく怒鳴られました。阪急の下手投げ、山田久志投手にアッパースイングをしていると、次打者席から「上からかぶせんかい!」と声が飛んだものです。それでも私は、野村さんをひそかに
最高の手本としていたのです。大阪球場のベンチ裏で、右打者の野村さんが
鏡の前で素振りをする。するとその姿は、左打者として映る。参考にして練習を重ねました。
そんな間柄でしたが、最後には親しみを込めて「とことん打撃を追究する門田ほどの野球バカは、もう二度と出てこんやろうなあ」と認めてくださいました 自分に合うバットというのは、じつは簡単に見つからないんです。僕も
プロ6、7年目にバットを耳の下に置く構えの形は見つかったけど、
バットだけはなかなか決まらなかった。
つまり、どういうバットを扱うかでバッターのタイプが決まってくる
ところがある。僕は最終的に34インチ半、多くの選手より半インチ長く、
重さも1キロまでいった。半インチ長くするということは、それだけ回転
力を上げないといけない。通常の長さと同じ感覚で回ると、先を長くし
た分、ヘッドが返ってこない。そうした格闘をしながら自分に合うバッ
ト、使いこなせるバットを見つけている。これも打者にとっては大きな
仕事なんです。
今の選手は軽いバットを使うのが当たり前になっている。でも、重い
バットを使ったらどうなるのか……とにかく一度挑戦してほしい。
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2020/01/30/___split_17/index_4.php 後年はDH専門だったから打つだけの選手としてあまり評価は高くなかったな リー兄弟・落合・バース・ブーマー・黄色ユニ時代の掛布などに比べたらいろいろ物足りなさはあった。 野村が去ってからの低迷期は
門田の本塁打のみが楽しみだった >>202
よく放出されなかったな、と思う。
アキレス腱を切ってDHしか出来なくなったからかな。
パの他のチームのDHは当然主力打者だしね。 清宮に限らず、今のバッターに思うことは、とにかくバットが軽い。操作性がいいということで
使っているんでしょうけど、手打ちになってしまって、打球に勢いがない。僕らからしたら890グ
ラムとか900グラムなんて箸みたいなもんやったけど、今はそれが主流になっている。
小さい曲がりの変化球に対応するためやろうけど、それでも結果が出るから、手先で打つスイン
グが多くなる。重いバットを扱おうとしたら、しっかり腰から回さんと振れないからね。
僕がオリックスに移籍した時(1989年)に1キロのバットを使っていたら、みんな興味を持っ
て真似したんやけど、最後までついてきたのはブーマーだけ(笑)。ブーマーはしっかり腰を使っ
てスイングしていたけど、ほかの選手は、僕からすれば手打ちやった。
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2020/01/02/___split/index_4.php >>198
> 大阪球場での巨人とのオープン戦でのできごとです。野村さんに呼ばれたので行ってみると、王貞治さんもおられました。当時の私は、大振りを繰り返していました。
>
> 監督に頼まれた王さんは「ヒットを打ちにいくんだ。その延長がホームランになるんだよ」と助言を下さいました。若かった私は、天下の名選手2人に向かい「そんなはずはありません。監督も王さんも、
> 本当はホームランを狙っておられるでしょう」と言い返しました。あきれ果てた2人のお顔は、今も忘れられません。
>
> この一件もあったからか、私は野村さんに本当によく怒鳴られました。阪急の下手投げ、山田久志投手にアッパースイングをしていると、次打者席から「上からかぶせんかい!」と声が飛んだものです。それでも私は、野村さんをひそかに
> 最高の手本としていたのです。大阪球場のベンチ裏で、右打者の野村さんが
> 鏡の前で素振りをする。するとその姿は、左打者として映る。参考にして練習を重ねました。
>
> そんな間柄でしたが、最後には親しみを込めて「とことん打撃を追究する門田ほどの野球バカは、もう二度と出てこんやろうなあ」と認めてくださいました 野村さんが亡くなる日が来るなんて、想像もできませんでした。カネさん(金田正一さん)もそうですが、あの時代の人はスーパーマンみたいなイメージですからね……。
野村さんはよく、江本(孟紀)、門田(博光)、江夏(豊)の3人の名前を挙げて「南海の3悪人」と言っていましたが、ボク以外の2人はピッチャーで、叱られることはなかった。バッターのボクは本当によく怒鳴られましたよ。
ボクが南海に入団した当時は、今の選手たちのように何度もチャンスを与えられることはありませんでした。1年目の時に野村さんから「スイングは速いから、1回だけチャンスをやるわ」
と言われたことをよく覚えています。「1回だけですか?」と聞き返したら、即座に「1回だけや」と返された。
それで開幕から2番ライトのスタメンで使ってもらって、それなりのペースで打っていたんですが、走塁が下手で帰塁した時に肩を脱臼してしまったんです。
1か月半ほど離脱しなくてはならず、1年を通して活躍はできませんでした。そうして2年目を迎えたボクに、野村さんは
「2回目やけど、もう1回だけチャンスをやるわ。これでアカンかったら悪いけど社会人野球に戻ってくれるか」と言うわけです。
その2年目にそこそこの成績(打点王のタイトルを獲得)を残せたことで、3番ライトで使ってもらえるようになりました。野村さんは当初、
ボクを2番バッターに育てたかったようで、1年目はブレイザー・ヘッドコーチからマンツーマンで
バントの指導を受けましたが、それまでのボクの野球人生にバントなんてなかった。1週間が過ぎたところで、ブレイザーが
「オーノー、ギブアップ」と叫んだんです。当時は英語がわからんかったが、どうやら降参したらしいというのはわかりました(苦笑)。
その後、小細工のいらない3番で使ってもらえたわけですが、4番は野村さんですから、一発狙いではなく
塁に出ることを最優先に考えるよう指導されました。野村さんから直々に「大振りをやめろ」と怒られたり、「ヒット狙いなら打率4割も狙えるぞ」と持ち上げられたりもしました。 元パ審判員・山崎夏生氏と“トレンディエース”西崎幸広氏の時効話炸裂!
西崎さんも載っていた!?“審判員のブラックリスト”とは?
https://www.youtube.com/watch?v=trgwBvQg75w
2:45あたりから 門田が30歳ぐらい若くて去年通算567本塁打で引退したら、
コロナの呪いだ門田を現役復帰させて通算568本目を打たせてコロナ平癒や!
なんてジョークがありそう。 片岡篤史チャンネルで清原が、「門田さんの打席の時は一塁守備が怖かった」という話をしてたが
ブーマーも同じこと言ってるな
https://www.sanspo.com/baseball/news/20181016/buf18101610000002-n1.html
どんだけ凄かったんだ
生で見たかったよ あとはやっぱり門田(門田博光)さん。試合前の練習を見ていても本当
にフルスイング。1球1球場外に飛ばすようなスイングをする。野村さんが
門田さんに「そこまで振らんでいいだろう」と言ったそうだが、「あいつ
も変人でな。俺の言うことは一つも聞かん」と。門田さんは、アキレス腱
を切る前は足が速くて肩も強くて体幹もしっかりしている三拍子そろった
外野手だった。フルスイングは昔から変わらない。王(王貞治)さんほど
右足を上げる時間は長くなかったが、完璧な1本足打法。野村さんの言うこ
とは聞かないので、王さんを通じて「そんなに常にフルスイングしなくて
いい」と伝えても、俺は俺のやり方があるっていう侍で、迎合はしない人
だった。それだけにあれだけの練習をしたと思う。マシン独占状態で、短
い距離からでもフルスイングしていた。
http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20200801-11 門田博光、通算567本塁打も悔恨「あと33本は打てた。打つべきだった」|プロ野球|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2020/08/17/567_split_33/ 門田博光が本気で探す後継者。「王貞治を超えるバッターを育てたい」|プロ野球|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2020/09/05/___split_164/ >アキレス腱を切る前は足が速くて肩も強くて体幹もしっかりしている三拍子そろった
しばしばこう言う人を見かけるけど、足は特別速くはなかったよ。
遅くもないけど、プロ野球選手として平均レベル。 そもそも俊足のレギュラー選手で、シーズン最高盗塁数が6なんておかしいでしょ。 門田の重い球を打つ練習
完全に同じようにやるかは別として1スイングの負荷を増やす練習には賛成
数こなすより1スイングのパワーを上げてほしい 野村克也の打撃に門田博光は一目惚れした「ほんまもんのプロの打球や」|プロ野球|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2020/09/24/___split_177/ ――印象に残る打者は
宮田寮長 門田(博光)さんかな。門田さんは「全力で投げてくれ」というんです。速い球が一番しんどい。140
キロくらいは出ていたと思うけど、今もヒジを伸ばした時に真っすぐにならないんです。門田さんのせいですよ(笑
い)。打席よりもマウンド寄りに立って打ったりね。
https://www.tokyo-sports.co.jp/baseball/npb/2126430/ 現役時代の門田は170センチ、81キロ。藤本は「一見、丸い体で小太りのように見えるけど、あれは全部筋肉だから
ね」と証言する。練習では重量ボールを使ったティー打撃を2箱分も行うなど、強い打球へのこだわりは人並み外れてい
た。
https://www.chunichi.co.jp/article/15203 【藤井康雄連載コラム】ブーマーのハイタッチで門田さんがまさかの脱臼 | 東スポのプロ野球に関するニュースを掲載
https://www.tokyo-sports.co.jp/baseball/npb/2287656/ アキレス腱断裂で「一発必中の精神」へ。門田博光は鳥肌を立てて打席で集中した|プロ野球|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2020/10/22/___split_194/ >>1
この頃の門田のルックスは神がかってた
マジでタイプ オリックスはどうせ勝てないなら
門田博光を監督に招聘して欲しい
この状況を変えるのは普通の監督では無理だ >>205
> >>198
> > 大阪球場での巨人とのオープン戦でのできごとです。野村さんに呼ばれたので行ってみると、王貞治さんもおられました。当時の私は、大振りを繰り返していました。
> >
> > 監督に頼まれた王さんは「ヒットを打ちにいくんだ。その延長がホームランになるんだよ」と助言を下さいました。若かった私は、天下の名選手2人に向かい「そんなはずはありません。監督も王さんも、
> > 本当はホームランを狙っておられるでしょう」と言い返しました。あきれ果てた2人のお顔は、今も忘れられません。
> >
> > この一件もあったからか、私は野村さんに本当によく怒鳴られました。阪急の下手投げ、山田久志投手にアッパースイングをしていると、次打者席から「上からかぶせんかい!」と声が飛んだものです。それでも私は、野村さんをひそかに
> > 最高の手本としていたのです。大阪球場のベンチ裏で、右打者の野村さんが
> > 鏡の前で素振りをする。するとその姿は、左打者として映る。参考にして練習を重ねました。
> >
> > そんな間柄でしたが、最後には親しみを込めて「とことん打撃を追究する門田ほどの野球バカは、もう二度と出てこんやろうなあ」と認めてくださいました >>206
> 野村さんが亡くなる日が来るなんて、想像もできませんでした。カネさん(金田正一さん)もそうですが、あの時代の人はスーパーマンみたいなイメージですからね……。
>
> 野村さんはよく、江本(孟紀)、門田(博光)、江夏(豊)の3人の名前を挙げて「南海の3悪人」と言っていましたが、ボク以外の2人はピッチャーで、叱られることはなかった。バッターのボクは本当によく怒鳴られましたよ。
>
> ボクが南海に入団した当時は、今の選手たちのように何度もチャンスを与えられることはありませんでした。1年目の時に野村さんから「スイングは速いから、1回だけチャンスをやるわ」
> と言われたことをよく覚えています。「1回だけですか?」と聞き返したら、即座に「1回だけや」と返された。
>
> それで開幕から2番ライトのスタメンで使ってもらって、それなりのペースで打っていたんですが、走塁が下手で帰塁した時に肩を脱臼してしまったんです。
> 1か月半ほど離脱しなくてはならず、1年を通して活躍はできませんでした。そうして2年目を迎えたボクに、野村さんは
> 「2回目やけど、もう1回だけチャンスをやるわ。これでアカンかったら悪いけど社会人野球に戻ってくれるか」と言うわけです。
>
> その2年目にそこそこの成績(打点王のタイトルを獲得)を残せたことで、3番ライトで使ってもらえるようになりました。野村さんは当初、
> ボクを2番バッターに育てたかったようで、1年目はブレイザー・ヘッドコーチからマンツーマンで
> バントの指導を受けましたが、それまでのボクの野球人生にバントなんてなかった。1週間が過ぎたところで、ブレイザーが
> 「オーノー、ギブアップ」と叫んだんです。当時は英語がわからんかったが、どうやら降参したらしいというのはわかりました(苦笑)。
>
> その後、小細工のいらない3番で使ってもらえたわけですが、4番は野村さんですから、一発狙いではなく
> 塁に出ることを最優先に考えるよう指導されました。野村さんから直々に「大振りをやめろ」と怒られたり、「ヒット狙いなら打率4割も狙えるぞ」と持ち上げられたりもしました。 現役最後の打席で空振り三振に終わったダイエーの門田博光選手(平和台)(1992年10月01日) 【時事通信社】
https://www.jiji.com/jc/d4?p=kdt444-jlp12813929&d=d4_bb 門田博光のバットへのこだわり。
野村克也に学び清原和博に聞かれたこと
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2020/12/08/___split_231/?cx_testId=41&cx_testVariant=cx_2&cx_artPos=1&cx_type=contextual?cx_recsMode1=&cx_recsMode2=contextual&cx_recsPosition=&cx_recsTest=#cxrecs_s 嘘だろ>>4
4:神様仏様名無し様 2019/06/03(月) 22:18:38.06 ID:2nbd7Ort
力いっぱい素振りをし過ぎて
内臓がおかしくなり
吐血しながらやっていた男。
近鉄電車で難波通いし、球場
入りの前にピンサロで抜いて
いくのがルーティンだった男。 >>40
>>40:神様仏様名無し様 2019/06/06(木) 17:56:27.37 ID:neo6alyo
>>34
B、江藤慎一or江藤智どっちよ
だったかな
間違ってたら訂正して >>50
50:神様仏様名無し様 2019/06/11(火) 07:04:02.45 ID:PjzWTRgQ
解説で選手を貶したりバカにするんですよ。
小山正明&門田博光のダブル解説コンビ時に
「今のはお嬢さんスイング」口癖
小山は注意しなかった
自分が超一流だと、もどかしいんだね
王野村門田は他人をバカにする癖が有るから、反感持たれる
衣笠はバカにしない
>>42
> 昨夜BS球辞苑に出てた
スイングのことを解説してた
門田さんが1度も首位打者取ってなかったのは信じられない 門田は「俺より打ってないようなやつがなんでコーチや監督やってんねん」
と心の中で思うだけでなく口に出して言ってしまうタイプだから組織の中で
うまくやっていけるタイプではない まあ門田を操縦できるのはONクラスじゃないと無理だろうな 【門田博光 2試合連続サヨナラホームラン】プレイバックORIX〜1990.9.10 オリックスvs.西武〜
https://www.youtube.com/watch?v=dppGxJFqTB8 栄光と苦難の日々 門田博光物語 ニュースステーション 昭和63年 10月31日 Youtsube 門田の構えはクローズドスタンスだったけど、今の選手の多くがオープンで構えてる事に大層不満みたいだね >>248
あれだと球が「見え過ぎるのでは」と言ってたな。
打てないコースは捨てる派の門田は打てるゾーンだけ見えた方がいいとのこと 最近発売された80年代南海ホークスMOOKのメイン記事は門田のインタビュー。
ホークス愛溢れる内容だったけど、杉浦忠に触れてなかったね。
「あまり覚えてないなぁ」とごまかしてたが、折り合い悪かったのは文面からでも伝わってくる。 メジャーも昔はクローズド、クラウチングが主流だったけど今はほぼいなくなってオープンが増えた
ストライクゾーンが変わってる影響はかなりあると思う 1983年に巨人入りしたレジー・スミスはクローズド
1999年にヤクルト入りしたペタジーニはオープンだった 門田博光は野茂英雄打倒に5カ月を費やした。「それがプロの世界なんや」
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2021/04/09/post_73/
「神仏を味方につけようと思ったら、そこまでやらんとあかんのよ。勝負の世界は、自分に運気をつけるための行動力というのが絶対に必要で、ちょっとほかより変わった練習をしているから勝つんであって、並の練習をやっているヤツに神仏は味方してくれない。最後はそこなんですよ」 阪神やオリックスが本気で和製大砲育成したなら
門田を呼ぶべき。
本人を前にしないとわからない、伝えきれない重要なポイントがあるはず。
間に合ううちに しかしそれだけ「野茂を倒す!」と意気込んでて
意気込んだ後になってトルネードだった事を知るって
いくらネットが無い時代でもちょっとねえw
俺その頃子供だったけど投げ方が凄いって事だけは知ってたぞ。
ましてや門田は業界の中の人なんだから・・・
ただそのド天然っぷりが魅力なんだが >>253
野茂から打ったのは西宮ではなく日生球場と訂正しておこう タイプは違うけど
身長高くないのにフルスイングでいい打球飛ばす森、吉田とかは門田っぽくていい >>258
掛布もチビだった
阪神入団時は、チビ痩せだったし長打力も無くアベレージヒッターだった
門田もプロ入り前は、アマ時代本塁打なし
福本はドラフト6位
掛布はドラフト7位
野村克也はテスト生
努力だけで野村克也門田福本は超一流に成れるのか 門田は入団手続きに行く時に偶然会った野村のガタイ見て
とても今のままじゃ通用しないと思って
当時はあまりする人がいなかった鉄アレイで筋トレしまくったのが良かったのかと >>261
これが日本語の難しいところで、門田の場合元々は守備も良かったのが
大怪我でできなくなってそしてDH専任化してやらなくなった経緯がある。
オリ行って久しぶりに守備やった時、確かに鈍重で良くはなかったけど
現役時代のラミレスみたいなどうしようもないセンスの無さは見られなかった 門田がアキレス腱を断裂したのは1979年2月16日のキャンプだったが
1978年の時点でDHが増えて休んでる時期が結構ある
http://npbstk.web.fc2.com/order/1978hawks.html
この78年シーズン中に別の場所を故障してたのかもしれんな 南海の監督に広岡がなってたら門田は真っ先に干されてたな >>264
長さもさることながら重さもヤバいな
今は大体900g前後だろうに
まあ勿論時代の違いもあるが >>265
どうだろう?
広岡は典型的なビッグボール派だから長打のある門田は重用したと思うよ
森祇晶が監督なら干したかもしれんが、森自身もHRの重要性は語ってるし意外と重用する可能性が高いかな 守れない走れない。全打席ホームランを狙うとブンブン振り回す。こんな選手が
ずっと出られたのは南海という弱小チームであったことが大きいだろう >>268
田淵や大田が重用されていた広岡西武は? 意外にも元チームメイトの新井と通算打率が殆ど変わらない人 新井宏昌
通算打率.291、88本塁打、680打点
門田博光
通算打率.289、567本塁打、1678打点
新井も十分凄いんだけど、門田が異次元過ぎる 門田と比較できるとしたら山本浩二だな
若松や加藤英司、福本は門田より落ちる
新井なんぞ比較対象にもならん 成績見比べると確かに山本浩二が比較対象として適してるね
タイトル数は釣り合わないけど門田は長くやってその分HRと打点で上回ってる感じ
2人とも途中からバッターとしてのタイプが変わったところも似てるけど
門田の場合4番ノムさんにとっての理想の3番バッターだったのが
ノムさんいなくなったらタガが外れて変貌したように見える… >>274
それを言い出したら、人気だけの選手がチームに残してもらえるプロ野球、プロサッカーなど”プロ”が付く競技はアスリートを求めていない
プロレスと同じ、観客を喜ばせるのが第一目的の”興行”だ 門田はいかにも捕手らしい恰幅だったのに、何故捕手をやらなかったんだ? プロはアスリートじゃない、結果を出せるのがプロ
どんなに節制して無駄のない研ぎ澄まされた肉体に仕上げようが、結果を出せなきゃ解雇される
それがプロスポーツ=球技の面白いところ >>274
スピードのあるもやし体型の選手が持て囃された90年代の野球はつまらなかったけどな
それに門田は誰よりも遠くに飛ばせるパワーと重いバットを巧みに操作できる卓越した技術があった訳だから
パワー系アスリートとして素晴らしいと思うけどね DHだから結果が出せた選手。
DHが無かったら結果が出せなかった選手。 オリックスで久しぶりに守備
南海のときも同世代の加藤英が南海へ来て、2000本安打達成を応援する形でレフトの守備に着いたのが数試合あったよ。 >>280
門田が40本塁打できるようになったのは怪我を機にDH転向した後だけど、守備してた時でも毎年20〜30本は安定して打ってた 成績からは怪我する前は丸や前田に似た感じのバッターに見える
85年86年の打高時代にイマイチだったのは不思議 >>271
門田は首位打者が1度も無いのが不思議
1〜2回獲ってるイメージが有る
1982年度は門田が不調だったから、落合が三冠王を取れた
82年に門田が好調で打率が良い年度なら、通常成績なら相対的に本塁打打点は軽く1位だった
門田が三冠王獲得してたな 82年の落合の三冠は同僚のリーが規定打席不足だったのも大きい。 82年はどうみても飛ばない球を使ってた年だけど
それで32HR打った落合はおかわりタイプなんだと思う >>286
打率と本塁打は相反するものだから
落合が全盛期に「4割なんていつでも打てるから若いうちは本塁打数を稼ぎたい」と言ったり、
89年のクロマティが「今年はホームラン減らしてでも4割打つ!」って宣言してた
つまり本塁打を狙うには、ある程度バッティングの精度を下げる必要があるという事だ
割と力まず打ってた印象の落合でさえパワーバッティングが必要と言うのだからそうなのだろう
まして、門田は足が遅くて内野安打でヒット数を稼げなかったからな 門田の年度別成績を見たら、打率も十分高いな
https://npb.jp/bis/players/71573841.html
23年もやって、打率.250を割ったことが一度もない
どんなにいい打者でも不調の年は2割前半になるもんだが >>287
同僚のリーが規定打席不足で打率は?
落合と規定打席未満のリーの打率を比較してくらはい 1988年に2冠(+最高出塁率、最高長打率)とパ・リーグMVPを獲り、
その年のシーズンオフにスポーツ以外の幾つかの番組に出演されていた。
とある番組(土曜朝なので在阪局制作)で
「船乗りのように遠征先ごとに女を作るのが夢だった」
と話していたのには苦笑した記憶が。 昔のアラフォーの現役て門田や八重樫みたいな走れず守れずのデブだらけだったのに今は鳥谷や青木みたいに打つほうはさすがに劣化しても普通に守れて走れるのがいるんだから隔世の感がある 門田 168cm96kg
丸 171cm98kg
丸のほうがデブだけど筋肉の塊で100m11秒の快速だからな
パワーも門田の1.5倍くらいあるし
もうイチローや松井でも今の超一流と比べると子供扱いされるレベルだからな
佐藤の打席をみたあと昔の松井の動画を見ると松井が不器用で非力なアマチュアにしか見えないからな 実際、中学時代の恩師も松井は不器用な方だと語るぐらいだからな ただ中学時代からパワーだけは桁違いで、特に生まれ持っての指のゴツさが凄まじくて、
監督は松井を殴る時だけは、万が一キレられて反撃されたら殺される
と、ビビリながら殴っていたんだとか 松井は利き腕側の右打席で打ったら日本で60本、MLBでも40本打ったんじゃないか?と思うわ 門田に限らず、当時の野球選手は皆、職業野球人といった風貌だったなあ。だからこそ見てる側の共感も強かったのかも知れない。
今はアスリート然とした選手が多いせいか、格好良くて憧れを呼ぶことはあっても共感は得難くなってるかもな。 門田福本正田のような1キロ超えるバットを使用している選手は今いないか
やっぱり鋭い変化球に対応できないのか >>299
門田みたいに「顔やシルエットやフォーム見ただけでわかる」
って選手は確実に減ってるよな 打てる打てないは別にして門田みたいにクローズドで構えた方が迫力が出て格好良く見えるんだよね
先日藤浪がHR打ったけど彼の構えは今時珍しいクローズドで様になってたよなぁ ただ一つ言えるのは、門田の美しい放物線を描くホームランは芸術的だという事だ 門田は直立してバットを立てる構えのせいで大きく見えたな
ウィキみるまでチビだとは思わなかった >>303
悪いけど門田が放物線は人違いじゃないの?
放物線は→田淵、江藤智 だよ
弾丸ライナーは→門田、ブライアント、タフィーローズ
門田さんは重い鉛が飛んで来るような本塁打だよ 栗橋が思いの外伸び悩んだのって重過ぎるバットを使ってた所為かも 門田のインタビュー見てると
チビの俺が1kgバットで打てたんだから柳田とかあんなガタイあれば
重いバット使えばもっとすごい記録出せるのに
って思っているのではないかという風に見えた 今日NHKBSの球辞苑で門田が、今の打者はもっと球種絞って振り切ったほうがいい
みたいな持論述べていたが、里崎が今の投手は球種が多いのでそれは無理
みたいにシレッと門田をディスっていた >>287
>>291
リーはたった1厘のリードで規定まで41打席足りず
41打席で41打数全て凡退の場合に.289だから認定首位打者にも程遠い
残りの打席を3打数1安打ぐらいのペースじゃないと首位打者は無理
規定403打席
打率 安打/打数 打席
落合 .325 = 150/462 552
リー .326 = 105/322 362 >>312
ただ門田がやってたような重い球打つ練習はいいと思う
普通のトスバじゃインパクトの衝撃を再現できないし
強く振り切る練習にもなるから >>313
1982年度は門田が不調だった
通常の成績なら本塁打王と打点王は門田、落合は次点だったから運が良かった 翌1983年は、瓢箪から駒ならぬ田淵にデッドボールで
棚ぼたホームラン王に輝いた門田博光であった >>315
82年の低反発球でHR取った落合の実力じゃね?
門田リー兄弟は10H台、田淵テリー加藤英は20HR台だしな
最大のライバルがケージとソレイタだったな >>317
当時の落合はレギュラー獲得して2年目で、まだプロの球に完全には付いていけず、
右方向に押っ付けるのがやっとだったが、これが川崎球場の狭さも手伝い、ことごとく
柵越えしちゃったのが功を奏した恰好と運の要素もあった。
32本中、ライト方向が20本と広角打法と言うより、往年の千葉茂さながらの徹底したライト打ち
というべきレベル。
これで右方向への感触を掴んだ落合は、レフトへも引っ張れる様鍛練を重ねる事となり、
川崎球場向け広角打法が確立した1985,6年の連続50本へと。 1982年の門田は何度か脱臼したんじゃなかったかな >>315
誰かが活躍すると絶対こういう論調の奴がいるんだよなあw
安定していい成績残すのなんて実力以外の何者でもないのにw >>317
ケージは5月に久保から打った満塁ホームランがノーゲームで幻になった
これが有効だったら落合と同数でタイトル獲得だった 門田の言語を現代風に通訳してくれる人を付ければ
十分に有能なコーチになりえる。
西武や横浜なら面白いが
オリックスや中日なら尚更面白い。T-岡田や吉田を最強にしてほしい。 >>318
フェンスの高さが5〜7メートルもある川崎球場が狭いとかあり得ねえからw
ライナー性の打球は全部フェンスに弾かれる
後楽園と同じフェンスの高さに換算したら、当時の球場の中では広い方だ >>323
左右の膨らみがまるで無いのはお忘れで?
只でさえ両翼が90mあるかないかの上に東京ドームの様な形状のグラウンドだから、フェンスが低かった大洋時代には
本塁量産球場と認知されていた。
ロッテが本拠地となった際に「こんな球場では投手が死んでしまう」と金ヤンがフェンスを高くしてある程度是正はされたけど。
確かオグリビーの強烈ライナーがフェンス上部で跳ね返ったのも知っている。
そこで落合のライトに高ーくフライを打ち上げる打法ですよ。
勿論落合の並外れた背筋力とリストワークだからこそ可能だった訳だが。 >>324
うん、だから落合の打球なら広い球場でもスタンドに入るよねって話をしている
セ・リーグ1年目にホームラン減ったのはリーグが変わって相手投手が全交換したからデータを積み上げるのにヒット重視の打撃に変えただけ
まだ巨人が後楽園の時代だからな
ドームになった翌年ホームラン増えてるし ロッテ使用時の川崎球場HRパークファクター
=HRPF
HRPF 落合 ロッテ(HR順位) 1位or2位
79年 0.68 *2 150/*934(3位)35(レオン)
80年 0.61 15 184/1196(4位)41(レオン)
81年 1.09 33 126/*812(6位)19(リー)
82年 0.95 32 123/*772(5位)22(レオン)
83年 0.91 25 128/*882(6位)25(リー)
84年 0.91 33 149/*945(5位)31(リー)
85年 1.14 52 168/1050(4位)28(リー)
86年 0.94 50 171/1006(4位)31(リー)
ロッテが打った+打たれたHRを対象に
HRPF=
ホーム1試合あたりHR/ロード1試合あたりHR >>326
79,80年頃は阪急、近鉄、西武、南海と殆ど違反球なボールを使っていたからなあ。
御陰で何と川崎球場が最もホームランが出難い球場となっていたというw
そりゃ当時のロッテ山内監督も不審がって相手チームの使用球調べる筈だわ。
山内自身、パ・リーグを代表するホームランバッター(近年OPS等でようやく正当な評価がされる様に)だし、
落合にも多大な影響を与えた
「何も何処までも遠くへ飛ばす事ないんだよ。この球場ならどう打ったら柵越え出来るか?を考えりゃ良いんだよ。」
という頭脳的なバッティングの持ち主だったから、これはおかしいと即座に気付いたんだろうね。 >>327
スマンw
ノムさんは328でも触れた山内打法を手本に打撃改造してホームランバッターになったって御人だったから、
その点でも何処までも遠くへ飛ばそうという門田の考え方が気に入らなかったろうね。
門田に言わせりゃ「ワシの小さな体でホームラン打つにはこれしか無いんや。」となろうけど。
ま、鶴岡時代からのライトのレギュラーで内野安打製造機みたいな樋口の後釜に据えようとした選手が
寄りに依って・・・・って側面もあったり、不動の4番としてのプライドだったりもあろうけど。
と強引に話題を戻して(汗)。 「川崎球場は狭いからホームランになりやすかった」とか言う人は、
フェンスの高さが実質的な球場の広さを変えているという数学的な観点が抜けてるんだよね
「7Mのフェンスを越えた打球は、4Mのフェンスを越えた打球よりも何メートル着地点が伸びるか?」という予測が出来ない
数学が苦手だから そんなの打者によるだろ、落合が甲子園や西武が本拠地ならフェンスが低かろうとも本塁打を量産できないし逆に杉浦が川崎やハマスタを本拠地にしていたらフェンス直撃の打球が増える >>331
だから、それはあなたの願望に過ぎないんだよ
もちろん打球によって距離は異なる
でも、4mのフェンスをギリギリ越えた打球が、7mのフェンスをギリギリ越えた打球の飛距離を上回ることは無いんだよ
打球がホップアップするという現実離れな事でも起きない限り まあ言いたい事は分かるんだけどさw
只、例えばレッドソックスのフェンウェイパークも左中間が狭い代わりに高さ11mのグリーンモンスターを設けているけど、
右のフライボールヒッターの餌食となって、かのベーブ・ルース以来ロクな左の先発投手が育たない左投手日照りのチーム
になってしまったりと、打者の立場から観ると技とテクニック次第で克服可能な障害って事なんよね。
落合にしても、レフトへの会心の当りがフェンスに遮られて運悪い時にはシングルヒット止まりとなる一方、
犠牲フライの積もりでライトへ押っ付けた打球が柵越えしてしまったりという経験から学んだんだろう。
「この球場では会心の当りよりも、とにかく打球を高く打ち上げてフェンスをかわすのが大事だ」
とね。
勿論、西武球場では2打席バックスクリーン弾を放った記憶が俺にもある程の長打力があればこその技だけど。 >西武球場では2打席バックスクリーン弾を放った
2打席連続ね 当時のパの本拠地で一番パークファクターが高かった(HRが出やすい)のは藤井寺だった筈
逆に低いのが西武球場と川崎球場か
一番広くて一番フェンスが低い西武球場と
一番狭くて一番フェンスが高い川崎球場が同程度のパークファクターというのが興味深い 高橋慶彦が日本シリーズの近鉄主催戦の使用球は軽くてバットが振り抜ける感覚だったと言ってたな
江夏も異常に飛ぶボールだけど変化球はよく曲がったと言ってた
全盛期の山本浩二や掛布が当時の近鉄の選手だったら60発超えてたかもな
原さんでも軽く45発はクリアしてただろう
西武、阪急、日ハムもスーパーラビット使ってたしな 新井 南海はクボタ製、阪急や近鉄はミズノ製のボールを使っていたのですが、飛距離は変
わらないと言われていました。ところがボクが所属していた南海の打者は打球が失速し、阪急
や近鉄の打者は同じスイングスピードなのに軽々とスタンドインする。それで近鉄との試合中
に、両チームが使っているボールをナイフで二つに切ってみたんです。するとクボタ製は太く
柔らかい繊維で作られているのに、ミズノ製は細くて硬いナイロン製の糸で強く巻かれてい
た。これなら反発力が出て飛ぶはずですよ。
今井 理科の実験みたいやな。
新井 近鉄のエース鈴木啓示さんは、感覚的にボールの違いがわかっていたので南海との
試合では主催ゲームでもクボタ製を使っていました。鈴木さんは被本塁打が多かったですか
らね。
今井 アンタも恩恵にありついた?
新井 ハイ。南海時代は本塁打5本前後だったボクが、近鉄に移籍していきなり2年連続2ケタ
ですから。
https://friday.kodansha.co.jp/article/35919 4:30あたりから
【生涯567本塁打】門田博光さんのバット、打撃論、落合さんとは対照的な練習法など!
https://www.youtube.com/watch?v=hFiPgTzJroQ ホームランって色んな要素があるんだよね
統一球以前は球場によってボールも違うし、その日その日で風も湿度も違う
勿論球場の広さ、フェンスの高さから何から何まで違う
投手だって「はい打って下さい」という球は投げて来ない
それでも放り込めばホームラン
門田みたいに1シーズン30発、40発打つ選手はやっぱり特別な選手よ 生卵事件の日生のレフトスタンドに
門田さん助けて下さいって張り紙ワラタ
仮に門田が監督になれば今のホークスでもドン底に突き落としそう… 球場の広さ、フェンスの高さ、マウンドの形状など、球場によって違い
ますよね。それこそエキサイティングシートのあるなしで、ファウルグラ
ウンドの広さも違う。それはそれでいいんですけど、そこは曖昧(あいまい)
なくせに、実に細かい部分にこだわるのが私は気に入らない。例えば外野
のポール近くまで飛んだ大飛球。本塁打かファウルか。はっきり分かるな
らいいんですが、分からないならそこまで飛ばされた投手の負け。本塁打
です。メジャーならそれで納得ですよ。でも日本はそこは譲らない。リク
エスト制度もそう。そのワンプレーにこだわるのなら球場の形を統一しな
さいと。曖昧な部分とこだわる部分が違うような気がしますね。 (江本孟紀) 門田博光 高校通算0本塁打 プロ通算567本塁打
小笠原道大高校通算0本塁打 プロ通算378本塁打
掛布雅之 高校通算0本塁打 プロ通算349本塁打
長嶋茂雄 高校通算1本塁打 プロ通算444本塁打 >>344
門田博光 小笠原道大> 掛布雅之 長嶋茂雄 は甲子園は出てないのか?
長嶋が高校時代1本は考えられない
門田掛布小笠原と違い長嶋はプロに入る前に既に完成品だから、高校じだいも沢山打ってると思った >>345
長嶋は高校までは注目されることはなかった。
甲子園にも行ってない。
六大学で活躍してスターになった。
更に当時の学生野球はホームランが少なかった。
長嶋の通算8本が六大学新記録になった。 長島が高校時代南関東大会で大宮球場のバックスクリーンに放り込んだのは有名だが
それ以外1本も打てなかったとは思えない
公式戦では唯一のホームランとあるが 長嶋が大宮で打った本塁打以外の記録がないから1本ではないと立証するのは難しいだろうな
過去に長嶋茂雄関連のサイトに高校からプロ引退までの成績載せてたサイトがあったの見た事あるけどそこには高校通算2本塁打と書いてあって大宮以外でもう1本打ってるのでは?というのがあったが確実な情報かは微妙 門田博光プロ1年目成績
79試合出場、打率.250、8本塁打、31打点、2盗塁
高校時代0本塁打なのに、プロ1年目で8本も打ってる
社会人時代にはもう長距離砲になっていたのだろうか 球団側からは「保留しても上がらんぞ」とクギを刺されていましたが、
実際には2度目の交渉でスズメの涙ほどの上乗せがありました。それでも460万円。
当時の一軍最低年俸保証より20万円安い金額です。
まあ、主砲の門田博光さんですら年俸は5000万円弱。
チーム2位の12勝を挙げた山内和宏さんですら前年の18勝から成績が悪くなったと
ダウン提示をされたぐらいで、とにかく80年代の南海は金銭面では悲惨な状況でした。
https://www.tokyo-sports.co.jp/baseball/npb/3280560/ >>19
カネの掛かる長距離打者(柏原・片平)を放出したのが典型的だよな
門田とその他の待遇が違いすぎて笑ったわ >>353
金策の為に高卒2年目の選手をトレードに出すとはなぁ
まさに補弱トレードだな 「引退後、友人はいません。一匹狼やったからね。勝負の世界はひとりでいい、プロならば周囲になんと言われようとも
成績を残すことだけを突き詰めればいい。“19番”との一件から、そう思って一切人を寄せつけてこなかった。でも、引退
したら横の繫がりがないから大変やね。話し相手もいないし……」
https://news.yahoo.co.jp/articles/5139bd01ddb43a2f8ea643326bfdb499bcbb11ad 何気に凄いのは20年以上の現役生活で.250を切ったことが一度も無い。
どんな名選手でも新人の頃や晩年に出番が減ったり怪我の影響等で
試合数の少ない年があるんだけど大抵の場合は打率を極端に落とす事が多い。
生涯を通じてこの数字を維持出来た選手ってほぼ皆無なんだよな。 南海の主力打者を務めた門田博光氏は笑いながらこう語っていた。
「(野村の)おっさんはケチやで。長い付き合いだけど、コーヒー一杯ご馳走になったことがないわ」 >>357
あれだけフルスイングして2割5部を割らないんだよな
しかも、長くて重いバットで 王貞治、現役最終年1980年
打率.236、30本塁打、84打点
野村克也、現役最終年1980年
打率.217、4本塁打、14打点
門田博光、現役最終年1992年
打率.258、7本塁打、23打点
落合博満、現役最終年1998年
打率.235、2本塁打、18打点 >>360
現役最終年の王は、広島のランスみたいな状態だったんだな 「あのおっさんは引退後に解説者になったんやけど、いろんな人に『門田は指導者に向い
てない』って言い回ってたらしいんです。おっさんが言うことはなんだかんだ影響力があ
りますからね。かなわんですわ」
「とはいえ、僕を指導者にしたいと声を上げてくれた球団オーナーさんもいらっしゃいま
した。’05年には当時オリックス・バファローズの監督だった仰木彬さんからコーチの打
診があったんですが……断ったんです。やっぱり、僕が人に教えるのは難しいんちゃうか
と。自分でもそう思うんです。
自分ひとりであればいくらでも努力できますけど、それを他の選手に押しつけたらギブ
アップしてしまうでしょう。だから、指導者には向いてないんでしょうね。おっさんはそ
れを見越していたんと違いますか。
でも、引退してからしばらくたって、雑誌の対談企画で久々に会う機会があったんで
す。そのとき『おまえの指導者姿を見たかった』って言われてね。ようぬけぬけと言うな
と思いましたよ(笑)。あえて何も返しませんでしたけどね。おっさんは何か返事を待っ
ている感じでしたけど……」
https://nikkan-spa.jp/1762481 けど、おっさんは新人の時から一貫して門田を使い続けて王さんにも会わせて説教まで聞かせた。
本当は誉めたくても口が裂けてもこいつにだけはそんな言葉は出したくないってあるやん。
もう本人はおらんけど最後はおっさん有難うって思った方が門田も楽になれるよ。 >>366
そういうお涙頂戴を最も嫌悪するタイプだろ門田は 門田みたいな奇才に後進を指導させない野球界は腐っとるよ オリ入りしなければ打撃コーチでワンチャンあったかも 門田が打撃コーチやるなら、
門田のやり方を噛み砕いて若手に教えつつ、
その教え方が効果的なんだ、と門田自身に納得させるような、
専属のコーチ補佐が必要だろうな
いわゆる橋渡し役として。 門田はめちゃくちゃ反動つけてポイントもモロ投手寄りなのに
レフト方向にHR打つの上手いのが凄い バットコントロールが巧みだからだろうね
そこも吉田と共通している点 YouTubeのどのチャンネルでもいいから
門田博光を呼んで色々話を聞いて欲しい 門田の話は忖度しないから面白そうだな
でも人脈とか全然なさそう
あまりにも頑固職人すぎる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています