【広島優勝】1975年のプロ野球【巨人最下位】part2
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晩年の長嶋は打線のブレーキになってしまっており、川上監督は長嶋の使い方に
苦労するようになっていた。5番に下げたり、1番で打たせたりもした。
昭和50年の巨人は、長嶋が抜けたことより、前年三冠王の王が不調だったことの
ほうが大きい。また、V9メンバー全体に不調だった。
外人のジョンソンがまるで打てなかったのも誤算だった。 なんせ8打席連続三振しちゃうんだから。
バットに当たる感じがしなかった。
国際安全パイ、とかジョン損とか言われたな。 この年、巨人は終戦記念日の前日の8月14日にシーズン50敗目を喫した。
前年シーズン一年分と同じ負け数に早くも到達してしまった。
翌日の新聞の見出し
もう一年分負けた‼
巨人50敗 絶望の一里塚
巨人50敗 悲しき終戦前夜
巨人50敗 心臓停止 >>19
>ジョン損とか言われた
いやだから、活字にしたら分かるけど、音にしたらどうやって分かるんだよ。
「ジョンソンのソンは損得の損だぞ〜」とか言うのかよ >>21
そして、「元祖・惨劇の巨人」へと突き進むわけね ああ11連敗
やらずもがなの3失点(二回)
拙守にスタンド冷笑
9月には1分けをはさんで球団記録を更新する11連敗。月間6勝16敗というとてつもない成績。
連敗ストップは後楽園のヤクルト戦。
この年20打席以上ノーヒットの槌田がサヨナラヒットで5-4だった。 >>22
「ソン」の部分だけ強調して言うんじゃね? 終盤まで首位争いしてた阪神だが9月に死に馬巨人に3連敗で終戦 マスコミ的にはオイシイ年だったんだよ。
V9時代末期から巨人戦の視聴率下がってたのが、
この巨人最下位その他大混戦のおかげで視聴率が一挙に復活したんだから。 【超悪質!盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪者の実名と住所を公開】
@井口・千明(東京都葛飾区青戸6−23−16)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在/犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている
低学歴で醜いほどの学歴コンプレックスの塊/超変態で食糞愛好家である/醜悪で不気味な顔つきが特徴的である
A宇野壽倫(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202)
※色黒で醜く太っている醜悪黒豚宇野壽倫/低学歴で人間性が醜いだけでなく今後の人生でもう二度と女とセックスをすることができないほど容姿が醜悪である
B色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103)
※色川高志はyoutubeの視聴回数を勝手に短時間に何百何千時には何万回と増やしたり高評価・低評価の数字を一人でいくつも増やしたり減らしたりなどの
youtubeの正常な運営を脅かし信頼性を損なわせるような犯罪的業務妨害行為を行っています
※色川高志は現在、生活保護を不正に受給している犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111
C清水(東京都葛飾区青戸6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
D高添・沼田(東京都葛飾区青戸6−26−6)
※犯罪首謀者井口・千明の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
老義父は息子の嫁の痴態をオカズに自慰行為をし毎晩狂ったように射精をしている/息子の嫁をいつもいやらしい目で見ているエロ老義父なのであった
E高橋(東京都葛飾区青戸6−23−23)
※高橋母は夫婦の夜の営み亀甲縛り食い込み緊縛プレイの最中に高橋親父にどさくさに紛れて首を絞められて殺されそうになったことがある
F長木義明(東京都葛飾区青戸6−23−20) ※日曜日になると風俗店に行っている 俺は巨人が11連敗に終止符を打った直後の後楽園の阪神戦を観に行ったが、これが初めてのプロ野球観戦だった。
高橋一三が投げて淡口がホームランを打ち、巨人が3-2で勝った。75年9月19日だった。
翌日の読売新聞の見出しは「巨人、阪神の足引っ張る」だった。 >>25
それだけじゃ分からんな。
やっぱり>>19はアホだ。 >>30
ジョン損と言われたのは事実だろう。
活字でそう書かれていたのでみんなそう呼んでいたぞ。
いちいちそんな杓子定規にとらえるほうがアホじゃないのか。 >>31
名前がジョンソンなんだから、そりゃみんな「ジョンソン」て呼ぶに決まっとるやろ。
いい加減、自分の愚かさ加減を認めろよ。
ほんと殿堂級のアホだなこいつw 杓子定規なんじゃねえよ。
お前の言ってることが支離滅裂で滑ってるだけなんだよ 活字でそう書かれているから皆そう呼ぶだとw
すげえ理論だなw >>34
当時は「ジョンソンのソンは損するのソンだ」
と話している人がいたぞ。
当時のことを知らないニワカがほざくんじゃねーよ、バカか。 最下位の巨人を再検証するスレになっているな
ジジイの広島ファンも何か書きんさいや 前年までON砲でお馴染みだったのが長嶋の引退→監督就任でメンツが変わって、
柴田・王・末次のクリーンナップの並びでSOSとも揶揄されてたぞ >>39
そりゃまあ、現段階では讀賣の最下位は後にも先にもこれっきりだからね
再検証もしたくなる V9末期ごろは巨人はすでに長嶋の衰えが見えていたから、強打の外人を2人くらい
補強して、王の前後で打たせる打線を築いておくべきだった。
また、可能ならパリーグの強打者をひとりくらい(長池、土井、門田など)獲得して
おけば、昭和50年の最下位は防げていた。 >>43
その強打の予定がジョンソンだったんだろ。
あとはドジャースの奴を獲得失敗したし。 【プロ野球】セ・リーグ開幕戦 C5-0G[3/29]…V3広島、白星発進!エース・大瀬良8回0封11K!・安部先制弾に8回野間會澤適時打!巨人、菅野好投も丸4三振
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1553861052/ 巨人は王・長嶋がいて内野に強打者がいたが、青田・南村・与那嶺が抜けてから、
外野は貧打・小粒になっていた
長池、土井のような強打の外野手がほしかったな 張本を補強して巨人は翌年V奪還したが、ワンテンポ遅かった
そのため、昭和50年のシーズンは最弱のメンバーで戦うはめになった 巨人は開幕試合では王まで欠場して、とうとうONがいなくなった
末次が四番ではあまりに弱弱しい打線だった 1 中 柴田勲
2 三 富田勝
3 左 高田繁
4 右 末次利光
5 一 柳田俊郎
6 二 上田武司
7 捕 矢沢正
8 遊 河埜和正
9 投 堀内恒夫
これか
相手投手は5人くらい手が抜けるオーダーだな 巨人に関してはこの年の玉井信博がもったいない
完投3、完封2、25歳これからの選手だったに翌年トレード、もう少しやらせてあげりゃ良かったのにな
加藤初までの活躍は難しかったのかも知れんが >>44
マクマレンだっけ?? ファーガソンとカいう捕手が来てたらどうなってたか
楽しみ >>49
守備力と機動力は水準以上だと思うので、既に小林繁、新浦辺りが一本立ちしてて、
V9時代からの堀内、高橋一etc.と投手王国を形成していれば、また違った結果になったろうけど。
又、守り勝つ野球を展開するにも、その要となる捕手が前年まで正捕手を務めた森の
引退で実質正捕手不在となったのも痛かったわな。 オフに広島小俣と巨人萩原のトレード。小俣は初優勝広島では3試合くらいしか登板しなかったが、巨人に来て少し
活躍、後年長嶋の個人秘書までやってた。
何より巨人に来たら巨人のバッテリーサインを全部知ってたとかって逸話が。市民球場のスコアボードの中でサイン
盗みしてたとかって噂も(笑) ドラフト制以降の新人が殆ど戦力になってなかったのも痛いよな
特に打者はほぼ壊滅状態
高田は別格としても一軍に定着出来てたのって末次くらい?
そういや横山がプチブレイクしたんだよね、この年 巨人はサインプレーが特殊で対応できない新人が多かったらしい
あと小坂のように明らかに登板過多な選手を1位で取ったりもしてるし 平成最後
の 昨年も
そのとおりに なってほしかった… >>58
黄金期の後の80年代の阪急にちょっと似てるかな。
サインプレーとか、求められるもののレベルが高くて
あの時代の阪急は高卒新人はなかなか育たなかった。
榎田や野中みたいな高校時代いっぱい投げてる投手を指名したり >>47
そしてその結果、讀賣は球団史上初の最下位に転落
生きているうちに、この年以来の讀賣の最下位をもう一度見てみたいw 長嶋はV9後半には衰えていたから、引退による戦力低下は織り込み済みだったと思うが、
王が絶不調になり、他のV9メンバーも不振に陥ったのが痛かった。
新外人のジョンソンも振るわなかった。
何もかも悪くなってしまった年だった。 この年念願の初の日本一になった阪急だが歴代の優勝の中では一番悪い成績だった。
山口も確かに活躍したけど実は負け越したりしてるし、山田も低迷期。
この年苦労しての日本一が翌年の圧倒的強さに繋がった感じ。 長池がDHに回されてモチベーションが落ちて本塁打が25本止まりになったのが
誤算と言えば誤算か。前年(74年)から30本塁打を下回るようになり、76年以降は肘や膝の怪我もあって
一気に長打力が衰えたけど、こうも成績が急降下するものなのか? >>65
長池の場合、強打者は作れるという西本監督の信念によって生み出された言わば最初の作品。
猛練習は勿論のこと長打を撃つためのフルスイングなど肉体への負荷は相当のものだったみたい。
75年からは一気に今までの負荷が噴き出したって事かな。
加藤秀司が腰痛に苦しむようになったのもそういう事かもしれない。 >>60
阪急の高卒新人は宝塚女優に誘惑されてだめになっていく パ・リーグは通年成績なら近鉄がダントツの一位。
いくら西本監督でもこの弱いチームを強くするのは無理だろうと思ってただけに
2シーズン目でここまで持ってきたのはさすがに驚いた。
日本シリーズが広島対近鉄になっていたら、開幕前にこの組み合わせを予想した
人はほぼ皆無だったろうな。 もしそうなれば、この年は正午開始の条件付きで藤井寺開催の日本シリーズができたんだが… シーズン前に主砲土井を、柳田+芝池という釣り合いのとれなさそうな
トレードで放出したときは近鉄は何を考えてんだ、と思ったけれど
今思うと色々な意味があったんだろうな。
DH制が始まると知ってたら出さなかった、という西本監督の言葉も
どうも額面通りには取れなさそう。 阪急は前期優勝、後期最下位(首位近鉄と14ゲーム差)
後期はいったいどうしたの? この年の阪急は先ずあまり投手陣が良くなかった。(防御率リーグ4位)
特に太平洋の打線に打ち込まれて後期の対戦成績が2勝1分10敗
と大きく負け越しているのが堪えた。この負け越し分がそのまま後期の借金8。
山田は防御率4点台、新人王山口はいい時と悪い時の差が大きい。
この年は伏兵の戸田や竹村が貯金を稼いでいる。
打では福本が低打率でベストナインを逃し、長池はDHに馴染めず
一応ベストナインではあるが、四番としては全然物足りない数字。
加藤以外のチームの中心選手が今一だったのも大きい。
まあそれでも太平洋以外の4球団には勝ち越しているんだけどね。 70年代の阪急がライオンズに負け越したのはこの年だけ。
しかも対戦カードを問わず負けた数(阪急8勝1分太平洋17勝)はこれが最多。 太平洋クラブは土井を獲得する前は阪急の長池をトレードで獲得しようと
オファーを出してたと聞いたことがある。
本人の拒否で流れて土井に切り替えたけど、長池の衰えぶりを考えたら土井で正解だったか。 土井の場合は訳ありの様で釣り合わない交換相手でも近鉄が応じたけど
長池だったら仮に本人が承諾したとしても、阪急側は当然相応の交換相手を
要求しただろうから成立は難しそう。当時の太平洋で74年時点での長池に
つりあう選手はいなかったろう。(東尾か加藤)+(基か竹之内)+もう一人
位のトレードになったか。 長池はDHのないセリーグに移籍したほうがよかった。
長嶋の引退で打線が弱くなった巨人にはちょうどよい。
翌年に張本も加入するから、張本、王、長池の強力クリーンナップができた 長池はその後DHの座も高井に奪われても移籍はしなかった。
恐らく他球団から声がかかったりしてたと思われるし
上田監督やフロントともあまり関係が良くなかったようだが
あくまで阪急の長池のままで引退した。
そこまで阪急に拘っていた長池が、引退後は何球団も渡り歩いて
多くの打者を指導する名コーチになったのも意外だった。 >>75
長池の讀賣移籍が実現したなら、その翌年の張本の移籍は無くてもいいんじゃないか
いくらセゲヲでもそこまで強欲ではないと思いたい 張本だけでなくノムさんの獲得にも動いていたと言うしね。とにかく当時の
ジャイアンツは王と一緒に中軸を打てる打者を獲得しようとしていたので
確かに長池も狙っていたかも。でもこの頃の長池は過去の猛練習の古傷である
ヒジ痛がひどくてスローイングに支障を来たすくらいだったらしいので
張本以上の守備の穴になっていた可能性もある。 >>66
ぼくもX videoに誘惑されてダメになりました! この時期のジャイアンツには、他球団ではどのチームにもいたベビーブーム世代
の主力野手が明らかに少ない。当てはまるのは移籍組の富田や柳田、森の引退で
ようやく出番が回って来た捕手の吉田と矢沢くらいで、ドラフト制開始以降
野手の育成や世代交代が上手く行ってなかったつけがこの年一気に噴き出した。
この年のオフには当然野手の補強に乗り出したが、上記の世代の主力野手は
働き盛りとなる年代でトレードには応じてもらえず、日本ハムで燻っていた
張本を獲得する。張本は往時の輝きを取り戻して大活躍したが野手の若返りは
78年までは全く進まないままになる。 >>80
80年代の若返りは一番進んだね。 投手の世代交代だけはなぜか進んだ (中)柴田
(三)高田
(右)長池
(一)王
(左)張本
(捕)野村
(二)ジョンソン
(遊)河埜
(投)堀内 >>82
妄想にも程があるぞw
第一、ノムさんがセゲヲの元になんか来るはずねえだろうよw >>49
確かに末次4番はショボいが
自動アウトは6、7、8番ぐらいだろ そりゃまあ、お互いに敵として見做しているんだから、他球団の監督としてならまだしも、
「監督と選手」という厳然たる上下関係なんかムリでしょうよ 巨人は長嶋の後釜として、打てる三塁手を補強したほうがよかったかも知れない
ロッテの有藤あたりを狙うべきだった。
王以外のV9メンバーを大量放出して、有藤(ロッテ)、山崎(ロッテ)、長池(阪急)
張本(日本ハム)、門田(南海)、新井(南海)あたりを補強すれば、最強打線に
なった >>87
それらの選手を獲得するために誰をトレード要員にするのさ。 当初は三塁と捕手にメジャーの外国人を獲得しようとしてたけど、相手側の事情で流れて
アトランタ・ブレーブスにいたジョンソンをシーズンが開幕してから入団させた。
問題点はジョンソンは本来二塁だったことと、日本の野球に慣れるための時間が無かったこと >>89
サードマクマレン 捕手ファーガソンだっけ?? 川上時代までは純血主義を貫いたと言われるが
川上自身は毎年のように外国人補強を要望してたのに
小正力が全く受け付けなかったんだよな この年初優勝した広島は、主力と言える選手を大量にトレードして血の入れ替えをしたのが優勝の要因ではないか?
安仁屋、白石、大石、上垣内が放出されて
大下、若生、宮本が加入した ルーツ古葉の流れがGM的な改革と采配的な改革でダブル当たりしたからな 野崎代行は名目だけで実際はその時から古葉が指揮をとっていた
それで3連勝したので古葉が昇格 この年の張本はプロ入り以来最悪の成績。
大杉、白、大下といった子分たちもいなくなり
馴染めないDHで起用されもはや裸の王様状態だったか。 長池もDHには馴染めなかったし、昭和50年のDH制導入は、打者のリズムを狂わせた
のかも知れない。
張本はこの1年間守備につかなかったため、巨人に行ったときには、守備が完全に
ダメになっていた。 >>102
77年くらいまではベストナインの指名打者の成績って
そんなにいい数字でも無かったりするよね。
どのチームもDH制をちょっと持て余し気味な感じだった。
マニエルや田淵がパに移籍してきたり、門田がDHに専念したりで
ようやくDHが完全に定着したように思える。 草野球でDHだったらなった方は大助かりだろうが、プロだから守備が免除されると
いっても普通レベルの捕球、送球は問題なくできるわけだし、傍からみるほどの
「楽できる」観はないのかも知れん >>102
そして「守備でも安打製造機」などと言われるわけですねw >>87
一応V9末期に南海とのトレードで終わった投手と思われた山内新一&松原明夫と交換で富田勝を補強したんだけど、これが長嶋の後継どころか
単にレギュラー三塁手としても到底物足りない成績に終わったんよね。
結局、高橋一三とセットで張本の交換要員にされた。 >>92
その話もかなり違う。
中日で水原監督が外人と揉めたのを見て、
「ああいうことがあるからワシは嫌なんじゃ」
と言うようになったらしいから。 阪急は剛速球投手山口デビューの陰で、長年投手陣を支えていた米田が前期限りで退団し
阪神に移籍していた。米田も長池同様に上田監督と折り合いが悪かったらしい 昭和12年生まれの上田監督は、当時まだ30代で若かったから、ベテラン選手とは
年齢も近くて、指導しにくかったのだろうか?
阪急のOBでもないから、選手との先輩・後輩関係もなかったし、そもそも選手として
ほとんど実績もなかった。だから、米田や長池のような球史に残る大選手とはよい
関係になれなかったのか? 情熱の人西本監督の後だけに、頭の切れる上田監督は
選手たちからは余計冷たく感じられたのかもね。
でもそういう人だからこそ西本監督には出来なかった
日本一にもなれたのかもしれんけど。 川上巨人vs.上田阪急
長嶋巨人vs.西本阪急
だったらどうだったか? >>108
水原は中日のほとんどのナインからスカン食らっていたが。 この年からDH制が始まったけど、100試合以上DHで出場した選手がいない。
ベストナインになった長池にしても数字は凡庸なものだったし
ジョーンズやロリッチは低打率、張本は完全にやる気喪失モード。
ロッテに至ってはだれがDHなのか分からない。
プレイングマネージャーの江藤だけはちょうど良かったかもしれないが。
当時の選手にも監督にもこの制度はかなり評判悪かったんじゃなかろうか。 半分野球やって、半分休む
実際打つ時しか出番がないって、モチベーションの維持が難しそう 選手の立場からすると、DH専任にされるのは、野球選手としてのキャリアを半分
奪われるようで、不満だったのではないだろうか?
「守備を免除される」というより、守備のレギュラーとして出してもらえず、代打扱い
になったような、格落ち感があったのかも知れない。
また、どこのチームもDHとして適任な選手がまだそろっていなかった。セリーグの
チームが日本シリーズで無理にDHの選手を入れているような間に合わせ感があった。
DHとして違和感がなかったのは、太平洋の江藤監督くらいかも知れないね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています