【広島優勝】1975年のプロ野球【巨人最下位】part2
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広島優勝
巨人最下位
それまでの球界では考えられなかった。
新しい時代の幕開けの年 だからこそ、「惨劇の巨人アゲイン」を期待するわけですよw 清原が入ってきた97年、そして13連敗の年とアゲインが期待されたときはあったけど、いまだに75年のいちどきり。
しかしあの年の最下位は大事件だった。 97年のシーズン、8月まで最下位だったけど、週刊ベースボールで75年時の投手陣で結成された「さいかい」メンバーによる座談会がおもしろかった。高橋一三、横山、新浦、関本の4氏が参加したと記憶している。
司会の関本氏の談話
「あの年の五月ごろに球団に呼ばれて、球団に届いた全国のファンからの手紙を見せられ、これでも10分の1くらいらしいんですが、その内容たるやすごいんです。
開幕以来、父は二台目のテレビを庭の池に放り投げました
会社の上司がハンコをちっとも押してくれません。どうしてくれるんですか
こんなのばっかりです。
お前、これどう思う?と球団の人に聞かれましたが、どう思うと言われてもね(笑)」 https://www.youtube.com/watch?v=itq-Mt3uxzA
むかし巨人でいまカープ お疲れさんです長嶋さん
今日も勝ったよ また勝った♪
1975年に出たカープの応援歌レコード 広島カープを優勝させる会とかいうのがあって、作詞家の有間美恵子(南沙織「17歳」の作詞担当)とかがメンバーだったかな。 あの年の開幕前、朝日新聞は天声人語で「長嶋監督は長嶋選手のいない巨人軍を率いていかなければならない」とその前途を危惧していた。
選手長嶋の相手チームに与える名前の圧力というのもあっただろう。
あと、頼みの王が足を故障したのも大きかった。
まさかNどころかOまでいなくなる開幕戦になるとは思わなかった。 1975開幕スタメン
(中)柴田
(三)富田
(左)高田
(右)末次
(一)柳田
(二)上田
(捕)矢沢
(遊)河埜
(投)堀内 長打力のある選手がまったくいない。
対戦相手の大洋・平松に「スイスイ九回まで投げられましたよ。肩の疲れなんか全くない。長打力のない打線がいかに気楽かよく分かりました」となめられる始末だった。
大洋との開幕三連戦、4-8、3-8、6-6と2敗1分のスタートだった。これは84年の王巨人一年目も同じだった。このときは阪神相手だったが、75年のことを思い出したものだ。 >>13
そのわりに、本塁打2本打たれて4失点はあまりかっこよくないな、平松。 淡口には3ラン食らったんだっけ?
でも平松は打でも活躍、堀内から3ランホームランしたからな。 >>7
歌っているのはRCC中国放送アナ時代の柏村武昭
ちょうど1975年から東京へ進出して 「オールナイトニッポン」 の
パーソナリティーを務めた 晩年の長嶋は打線のブレーキになってしまっており、川上監督は長嶋の使い方に
苦労するようになっていた。5番に下げたり、1番で打たせたりもした。
昭和50年の巨人は、長嶋が抜けたことより、前年三冠王の王が不調だったことの
ほうが大きい。また、V9メンバー全体に不調だった。
外人のジョンソンがまるで打てなかったのも誤算だった。 なんせ8打席連続三振しちゃうんだから。
バットに当たる感じがしなかった。
国際安全パイ、とかジョン損とか言われたな。 この年、巨人は終戦記念日の前日の8月14日にシーズン50敗目を喫した。
前年シーズン一年分と同じ負け数に早くも到達してしまった。
翌日の新聞の見出し
もう一年分負けた‼
巨人50敗 絶望の一里塚
巨人50敗 悲しき終戦前夜
巨人50敗 心臓停止 >>19
>ジョン損とか言われた
いやだから、活字にしたら分かるけど、音にしたらどうやって分かるんだよ。
「ジョンソンのソンは損得の損だぞ〜」とか言うのかよ >>21
そして、「元祖・惨劇の巨人」へと突き進むわけね ああ11連敗
やらずもがなの3失点(二回)
拙守にスタンド冷笑
9月には1分けをはさんで球団記録を更新する11連敗。月間6勝16敗というとてつもない成績。
連敗ストップは後楽園のヤクルト戦。
この年20打席以上ノーヒットの槌田がサヨナラヒットで5-4だった。 >>22
「ソン」の部分だけ強調して言うんじゃね? 終盤まで首位争いしてた阪神だが9月に死に馬巨人に3連敗で終戦 マスコミ的にはオイシイ年だったんだよ。
V9時代末期から巨人戦の視聴率下がってたのが、
この巨人最下位その他大混戦のおかげで視聴率が一挙に復活したんだから。 【超悪質!盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪者の実名と住所を公開】
@井口・千明(東京都葛飾区青戸6−23−16)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在/犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている
低学歴で醜いほどの学歴コンプレックスの塊/超変態で食糞愛好家である/醜悪で不気味な顔つきが特徴的である
A宇野壽倫(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202)
※色黒で醜く太っている醜悪黒豚宇野壽倫/低学歴で人間性が醜いだけでなく今後の人生でもう二度と女とセックスをすることができないほど容姿が醜悪である
B色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103)
※色川高志はyoutubeの視聴回数を勝手に短時間に何百何千時には何万回と増やしたり高評価・低評価の数字を一人でいくつも増やしたり減らしたりなどの
youtubeの正常な運営を脅かし信頼性を損なわせるような犯罪的業務妨害行為を行っています
※色川高志は現在、生活保護を不正に受給している犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111
C清水(東京都葛飾区青戸6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
D高添・沼田(東京都葛飾区青戸6−26−6)
※犯罪首謀者井口・千明の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
老義父は息子の嫁の痴態をオカズに自慰行為をし毎晩狂ったように射精をしている/息子の嫁をいつもいやらしい目で見ているエロ老義父なのであった
E高橋(東京都葛飾区青戸6−23−23)
※高橋母は夫婦の夜の営み亀甲縛り食い込み緊縛プレイの最中に高橋親父にどさくさに紛れて首を絞められて殺されそうになったことがある
F長木義明(東京都葛飾区青戸6−23−20) ※日曜日になると風俗店に行っている 俺は巨人が11連敗に終止符を打った直後の後楽園の阪神戦を観に行ったが、これが初めてのプロ野球観戦だった。
高橋一三が投げて淡口がホームランを打ち、巨人が3-2で勝った。75年9月19日だった。
翌日の読売新聞の見出しは「巨人、阪神の足引っ張る」だった。 >>25
それだけじゃ分からんな。
やっぱり>>19はアホだ。 >>30
ジョン損と言われたのは事実だろう。
活字でそう書かれていたのでみんなそう呼んでいたぞ。
いちいちそんな杓子定規にとらえるほうがアホじゃないのか。 >>31
名前がジョンソンなんだから、そりゃみんな「ジョンソン」て呼ぶに決まっとるやろ。
いい加減、自分の愚かさ加減を認めろよ。
ほんと殿堂級のアホだなこいつw 杓子定規なんじゃねえよ。
お前の言ってることが支離滅裂で滑ってるだけなんだよ 活字でそう書かれているから皆そう呼ぶだとw
すげえ理論だなw >>34
当時は「ジョンソンのソンは損するのソンだ」
と話している人がいたぞ。
当時のことを知らないニワカがほざくんじゃねーよ、バカか。 最下位の巨人を再検証するスレになっているな
ジジイの広島ファンも何か書きんさいや 前年までON砲でお馴染みだったのが長嶋の引退→監督就任でメンツが変わって、
柴田・王・末次のクリーンナップの並びでSOSとも揶揄されてたぞ >>39
そりゃまあ、現段階では讀賣の最下位は後にも先にもこれっきりだからね
再検証もしたくなる V9末期ごろは巨人はすでに長嶋の衰えが見えていたから、強打の外人を2人くらい
補強して、王の前後で打たせる打線を築いておくべきだった。
また、可能ならパリーグの強打者をひとりくらい(長池、土井、門田など)獲得して
おけば、昭和50年の最下位は防げていた。 >>43
その強打の予定がジョンソンだったんだろ。
あとはドジャースの奴を獲得失敗したし。 【プロ野球】セ・リーグ開幕戦 C5-0G[3/29]…V3広島、白星発進!エース・大瀬良8回0封11K!・安部先制弾に8回野間會澤適時打!巨人、菅野好投も丸4三振
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1553861052/ 巨人は王・長嶋がいて内野に強打者がいたが、青田・南村・与那嶺が抜けてから、
外野は貧打・小粒になっていた
長池、土井のような強打の外野手がほしかったな 張本を補強して巨人は翌年V奪還したが、ワンテンポ遅かった
そのため、昭和50年のシーズンは最弱のメンバーで戦うはめになった 巨人は開幕試合では王まで欠場して、とうとうONがいなくなった
末次が四番ではあまりに弱弱しい打線だった 1 中 柴田勲
2 三 富田勝
3 左 高田繁
4 右 末次利光
5 一 柳田俊郎
6 二 上田武司
7 捕 矢沢正
8 遊 河埜和正
9 投 堀内恒夫
これか
相手投手は5人くらい手が抜けるオーダーだな 巨人に関してはこの年の玉井信博がもったいない
完投3、完封2、25歳これからの選手だったに翌年トレード、もう少しやらせてあげりゃ良かったのにな
加藤初までの活躍は難しかったのかも知れんが >>44
マクマレンだっけ?? ファーガソンとカいう捕手が来てたらどうなってたか
楽しみ >>49
守備力と機動力は水準以上だと思うので、既に小林繁、新浦辺りが一本立ちしてて、
V9時代からの堀内、高橋一etc.と投手王国を形成していれば、また違った結果になったろうけど。
又、守り勝つ野球を展開するにも、その要となる捕手が前年まで正捕手を務めた森の
引退で実質正捕手不在となったのも痛かったわな。 オフに広島小俣と巨人萩原のトレード。小俣は初優勝広島では3試合くらいしか登板しなかったが、巨人に来て少し
活躍、後年長嶋の個人秘書までやってた。
何より巨人に来たら巨人のバッテリーサインを全部知ってたとかって逸話が。市民球場のスコアボードの中でサイン
盗みしてたとかって噂も(笑) ドラフト制以降の新人が殆ど戦力になってなかったのも痛いよな
特に打者はほぼ壊滅状態
高田は別格としても一軍に定着出来てたのって末次くらい?
そういや横山がプチブレイクしたんだよね、この年 巨人はサインプレーが特殊で対応できない新人が多かったらしい
あと小坂のように明らかに登板過多な選手を1位で取ったりもしてるし 平成最後
の 昨年も
そのとおりに なってほしかった… >>58
黄金期の後の80年代の阪急にちょっと似てるかな。
サインプレーとか、求められるもののレベルが高くて
あの時代の阪急は高卒新人はなかなか育たなかった。
榎田や野中みたいな高校時代いっぱい投げてる投手を指名したり >>47
そしてその結果、讀賣は球団史上初の最下位に転落
生きているうちに、この年以来の讀賣の最下位をもう一度見てみたいw 長嶋はV9後半には衰えていたから、引退による戦力低下は織り込み済みだったと思うが、
王が絶不調になり、他のV9メンバーも不振に陥ったのが痛かった。
新外人のジョンソンも振るわなかった。
何もかも悪くなってしまった年だった。 この年念願の初の日本一になった阪急だが歴代の優勝の中では一番悪い成績だった。
山口も確かに活躍したけど実は負け越したりしてるし、山田も低迷期。
この年苦労しての日本一が翌年の圧倒的強さに繋がった感じ。 長池がDHに回されてモチベーションが落ちて本塁打が25本止まりになったのが
誤算と言えば誤算か。前年(74年)から30本塁打を下回るようになり、76年以降は肘や膝の怪我もあって
一気に長打力が衰えたけど、こうも成績が急降下するものなのか? >>65
長池の場合、強打者は作れるという西本監督の信念によって生み出された言わば最初の作品。
猛練習は勿論のこと長打を撃つためのフルスイングなど肉体への負荷は相当のものだったみたい。
75年からは一気に今までの負荷が噴き出したって事かな。
加藤秀司が腰痛に苦しむようになったのもそういう事かもしれない。 >>60
阪急の高卒新人は宝塚女優に誘惑されてだめになっていく パ・リーグは通年成績なら近鉄がダントツの一位。
いくら西本監督でもこの弱いチームを強くするのは無理だろうと思ってただけに
2シーズン目でここまで持ってきたのはさすがに驚いた。
日本シリーズが広島対近鉄になっていたら、開幕前にこの組み合わせを予想した
人はほぼ皆無だったろうな。 もしそうなれば、この年は正午開始の条件付きで藤井寺開催の日本シリーズができたんだが… シーズン前に主砲土井を、柳田+芝池という釣り合いのとれなさそうな
トレードで放出したときは近鉄は何を考えてんだ、と思ったけれど
今思うと色々な意味があったんだろうな。
DH制が始まると知ってたら出さなかった、という西本監督の言葉も
どうも額面通りには取れなさそう。 阪急は前期優勝、後期最下位(首位近鉄と14ゲーム差)
後期はいったいどうしたの? この年の阪急は先ずあまり投手陣が良くなかった。(防御率リーグ4位)
特に太平洋の打線に打ち込まれて後期の対戦成績が2勝1分10敗
と大きく負け越しているのが堪えた。この負け越し分がそのまま後期の借金8。
山田は防御率4点台、新人王山口はいい時と悪い時の差が大きい。
この年は伏兵の戸田や竹村が貯金を稼いでいる。
打では福本が低打率でベストナインを逃し、長池はDHに馴染めず
一応ベストナインではあるが、四番としては全然物足りない数字。
加藤以外のチームの中心選手が今一だったのも大きい。
まあそれでも太平洋以外の4球団には勝ち越しているんだけどね。 70年代の阪急がライオンズに負け越したのはこの年だけ。
しかも対戦カードを問わず負けた数(阪急8勝1分太平洋17勝)はこれが最多。 太平洋クラブは土井を獲得する前は阪急の長池をトレードで獲得しようと
オファーを出してたと聞いたことがある。
本人の拒否で流れて土井に切り替えたけど、長池の衰えぶりを考えたら土井で正解だったか。 土井の場合は訳ありの様で釣り合わない交換相手でも近鉄が応じたけど
長池だったら仮に本人が承諾したとしても、阪急側は当然相応の交換相手を
要求しただろうから成立は難しそう。当時の太平洋で74年時点での長池に
つりあう選手はいなかったろう。(東尾か加藤)+(基か竹之内)+もう一人
位のトレードになったか。 長池はDHのないセリーグに移籍したほうがよかった。
長嶋の引退で打線が弱くなった巨人にはちょうどよい。
翌年に張本も加入するから、張本、王、長池の強力クリーンナップができた 長池はその後DHの座も高井に奪われても移籍はしなかった。
恐らく他球団から声がかかったりしてたと思われるし
上田監督やフロントともあまり関係が良くなかったようだが
あくまで阪急の長池のままで引退した。
そこまで阪急に拘っていた長池が、引退後は何球団も渡り歩いて
多くの打者を指導する名コーチになったのも意外だった。 >>75
長池の讀賣移籍が実現したなら、その翌年の張本の移籍は無くてもいいんじゃないか
いくらセゲヲでもそこまで強欲ではないと思いたい 張本だけでなくノムさんの獲得にも動いていたと言うしね。とにかく当時の
ジャイアンツは王と一緒に中軸を打てる打者を獲得しようとしていたので
確かに長池も狙っていたかも。でもこの頃の長池は過去の猛練習の古傷である
ヒジ痛がひどくてスローイングに支障を来たすくらいだったらしいので
張本以上の守備の穴になっていた可能性もある。 >>66
ぼくもX videoに誘惑されてダメになりました! この時期のジャイアンツには、他球団ではどのチームにもいたベビーブーム世代
の主力野手が明らかに少ない。当てはまるのは移籍組の富田や柳田、森の引退で
ようやく出番が回って来た捕手の吉田と矢沢くらいで、ドラフト制開始以降
野手の育成や世代交代が上手く行ってなかったつけがこの年一気に噴き出した。
この年のオフには当然野手の補強に乗り出したが、上記の世代の主力野手は
働き盛りとなる年代でトレードには応じてもらえず、日本ハムで燻っていた
張本を獲得する。張本は往時の輝きを取り戻して大活躍したが野手の若返りは
78年までは全く進まないままになる。 >>80
80年代の若返りは一番進んだね。 投手の世代交代だけはなぜか進んだ (中)柴田
(三)高田
(右)長池
(一)王
(左)張本
(捕)野村
(二)ジョンソン
(遊)河埜
(投)堀内 >>82
妄想にも程があるぞw
第一、ノムさんがセゲヲの元になんか来るはずねえだろうよw >>49
確かに末次4番はショボいが
自動アウトは6、7、8番ぐらいだろ そりゃまあ、お互いに敵として見做しているんだから、他球団の監督としてならまだしも、
「監督と選手」という厳然たる上下関係なんかムリでしょうよ 巨人は長嶋の後釜として、打てる三塁手を補強したほうがよかったかも知れない
ロッテの有藤あたりを狙うべきだった。
王以外のV9メンバーを大量放出して、有藤(ロッテ)、山崎(ロッテ)、長池(阪急)
張本(日本ハム)、門田(南海)、新井(南海)あたりを補強すれば、最強打線に
なった >>87
それらの選手を獲得するために誰をトレード要員にするのさ。 当初は三塁と捕手にメジャーの外国人を獲得しようとしてたけど、相手側の事情で流れて
アトランタ・ブレーブスにいたジョンソンをシーズンが開幕してから入団させた。
問題点はジョンソンは本来二塁だったことと、日本の野球に慣れるための時間が無かったこと >>89
サードマクマレン 捕手ファーガソンだっけ?? 川上時代までは純血主義を貫いたと言われるが
川上自身は毎年のように外国人補強を要望してたのに
小正力が全く受け付けなかったんだよな この年初優勝した広島は、主力と言える選手を大量にトレードして血の入れ替えをしたのが優勝の要因ではないか?
安仁屋、白石、大石、上垣内が放出されて
大下、若生、宮本が加入した ルーツ古葉の流れがGM的な改革と采配的な改革でダブル当たりしたからな 野崎代行は名目だけで実際はその時から古葉が指揮をとっていた
それで3連勝したので古葉が昇格 この年の張本はプロ入り以来最悪の成績。
大杉、白、大下といった子分たちもいなくなり
馴染めないDHで起用されもはや裸の王様状態だったか。 長池もDHには馴染めなかったし、昭和50年のDH制導入は、打者のリズムを狂わせた
のかも知れない。
張本はこの1年間守備につかなかったため、巨人に行ったときには、守備が完全に
ダメになっていた。 >>102
77年くらいまではベストナインの指名打者の成績って
そんなにいい数字でも無かったりするよね。
どのチームもDH制をちょっと持て余し気味な感じだった。
マニエルや田淵がパに移籍してきたり、門田がDHに専念したりで
ようやくDHが完全に定着したように思える。 草野球でDHだったらなった方は大助かりだろうが、プロだから守備が免除されると
いっても普通レベルの捕球、送球は問題なくできるわけだし、傍からみるほどの
「楽できる」観はないのかも知れん >>102
そして「守備でも安打製造機」などと言われるわけですねw >>87
一応V9末期に南海とのトレードで終わった投手と思われた山内新一&松原明夫と交換で富田勝を補強したんだけど、これが長嶋の後継どころか
単にレギュラー三塁手としても到底物足りない成績に終わったんよね。
結局、高橋一三とセットで張本の交換要員にされた。 >>92
その話もかなり違う。
中日で水原監督が外人と揉めたのを見て、
「ああいうことがあるからワシは嫌なんじゃ」
と言うようになったらしいから。 阪急は剛速球投手山口デビューの陰で、長年投手陣を支えていた米田が前期限りで退団し
阪神に移籍していた。米田も長池同様に上田監督と折り合いが悪かったらしい 昭和12年生まれの上田監督は、当時まだ30代で若かったから、ベテラン選手とは
年齢も近くて、指導しにくかったのだろうか?
阪急のOBでもないから、選手との先輩・後輩関係もなかったし、そもそも選手として
ほとんど実績もなかった。だから、米田や長池のような球史に残る大選手とはよい
関係になれなかったのか? 情熱の人西本監督の後だけに、頭の切れる上田監督は
選手たちからは余計冷たく感じられたのかもね。
でもそういう人だからこそ西本監督には出来なかった
日本一にもなれたのかもしれんけど。 川上巨人vs.上田阪急
長嶋巨人vs.西本阪急
だったらどうだったか? >>108
水原は中日のほとんどのナインからスカン食らっていたが。 この年からDH制が始まったけど、100試合以上DHで出場した選手がいない。
ベストナインになった長池にしても数字は凡庸なものだったし
ジョーンズやロリッチは低打率、張本は完全にやる気喪失モード。
ロッテに至ってはだれがDHなのか分からない。
プレイングマネージャーの江藤だけはちょうど良かったかもしれないが。
当時の選手にも監督にもこの制度はかなり評判悪かったんじゃなかろうか。 半分野球やって、半分休む
実際打つ時しか出番がないって、モチベーションの維持が難しそう 選手の立場からすると、DH専任にされるのは、野球選手としてのキャリアを半分
奪われるようで、不満だったのではないだろうか?
「守備を免除される」というより、守備のレギュラーとして出してもらえず、代打扱い
になったような、格落ち感があったのかも知れない。
また、どこのチームもDHとして適任な選手がまだそろっていなかった。セリーグの
チームが日本シリーズで無理にDHの選手を入れているような間に合わせ感があった。
DHとして違和感がなかったのは、太平洋の江藤監督くらいかも知れないね。 特にカネやんはDHが嫌いだったんじゃないのかな。
76年もレギュラーDH不在、77,78年もリーを半分くらいは守らせている。 カネヤン曰く、自分は継投が得意だったけど、DH制で従来の継投策が通用しなくなったので嫌だったと。 昭和50年のロッテで、DHでスタメン(アテ馬は除く)出場した選手は、
得津、ラフィーバー、ロザリオ、菊川、土肥、長谷川、榊、新井、マクナルティ、
バチスタ、江島。
金田監督は、DHで試行錯誤していたのか、迷走していたように見える。 >>120
新井や菊川なんて守備の人って印象だけど・・
まるで持ち回りのDH当番って感じ。 金やんの瞬間湯沸し器ぶりが特に凄まじかったのもこの頃で
ライオンズとの遺恨の他にも外国人の不振ぶりにブチ切れてロザリオは早い段階で見切って5月でクビ、
ラフィーバーとはベンチで試合中に殴り合いの喧嘩をするほど対立し、6月頭限りで選手登録抹消に追い込まれ
代わりの外国人としてバチスタとマクナルティを獲得したものの、これまたショボい成績で
前年にアルトマンが直腸ガンのため治療に専念するため退団(この年完治したとして阪神に加入)してから
77年にレロン・リーが加入するまでロッテは外国人の不振に悩まされてた この年の5月か6月に金田監督は心臓発作で数試合休んでた。江夏とか高橋一三とか左ピッチャーはみんな心臓病を患ってた。
よく44年も持った方だと思う。
投手起用はメチャクチャだったけど、高木ヘッドコーチと土屋3塁コーチが攻撃面はしっかり支えていた。 この年の今日、パリーグがDH制の採用を決定
(今日の日刊スポーツより) カープの優勝決定の試合はスタジアムがカープファンの赤で埋め尽くされていたってイメージだったんだが
CSでのその時の映像を見てみたら確かにカープファンが大勢来ていたけど、さすがに一面赤は大げさで
巨人ファンや普通のお客さんもいっぱいいたな。
思い出って言うのは段々イメージが増幅されるものらしい。 >>125
全席巨人ファンが日常の光景だった後楽園で、レフト側がカープの赤で
埋め尽くされた様に見える事自体があり得ない事だったからだと思う。
よく観るとレフト側も真っ赤っ赤って訳じゃ無いんだけど、埋め尽くされた
様に観えたのはこの年カープが採用した赤が目立つ色だからだろう。
前年までの紺なら、仮に優勝したにしても、ここまで印象づけられていたかどうか。 でも、実際広島はよく赤のチームカラーを採用したよな。
当時強かったシンシナティ・レッズの存在があったにしても
成績悪かったら1年で元の色に戻ってたかな。 「クリーン・ベースボール」
現役時代ほとんど酒を飲まなかった長島茂雄が、球団史上初の最下位となった監督1年目からよく飲むようになった。宿舎の自室で広報担当・張江五を
聞き役にして飲むビールはいつも苦かった。
標榜した「クリーン・ベースボール」には、川上式管理野球からの脱却と巨人以外でも複数球団で横行したスパイ野球否定の意味が込められていた。
長島は「鮮やかな、胸のすくようなプレーを見せる」と意気込んだが、宮崎での春季一次キャンプからでの雨続きでチームは出遅れた。3月頭から16日
まで実施の米国ベロビーチでの二次キャンプでは晴天に恵まれ、アグレッシブな打撃と走塁でメジャー球団とのオープン戦も3勝1敗、長島から希望に
溢れた表情が垣間見えた。しかし長島自ら招聘したヘッドコーチの関根潤三は、ベロビーチから帰国後「長島監督になって全体が浮かれている。お祭り
騒ぎの中で練習したから、基本練習が足らない。このままだと心配でしょうがない」と危惧していた。
当の長島はというと就任時から「関根さん心配しないで。開幕までに張本(勲)が入るから」と言い、ベロビーチについても「日本から持っていった
スケジュールはバッチリできた」と続けた。
関根の不安は的中した。張本のトレード話が流れ、大物助っ人の獲得も開幕に間に合わなかっただけでなく、走り込みなど体づくりが不足していた選手
から怪我人が続出した。
開幕カードの大洋戦に2敗1分けだったが、長島は3連戦でいきなり15投手を使った上に「これからは総動員」とスクランブル宣言してナインは戸惑った。
開幕2週間で足の肉離れから王貞治が戻り、新外国人デーブ・ジョンソンが加入してもとにかく打てず12球団最低のチーム打率を記録した。6戦目に
最下位に沈んでから一度も浮上できず、毎月負け越し、9月の11連敗、勝率と防御率でも2リーグ分立後ワーストの不名誉記録が長島巨人に並んだ。
戦力がV9時代に比べ薄くなっていたのも事実だったが、長島個人にも同情しきれない事由として、4月に王を出し忘れて連続出場を止めた事、球宴
期間中での酷暑のミニキャンプ、初回の前進守備、相手選手の左右にこだわり過ぎた采配などといった批判されるに十分なエピソードが数々出てきた。
川上時代の前年には好成績だった関本四十四、小林繁、新浦壽夫らの投手が軒並み数字を落とし、若手起用も横山忠夫と淡口憲治は健闘したが、
島野修、中山俊之、谷山高明、大竹憲治の抜擢が不発で戦力も野球も“クリーン”にする事が出来なかった。 (了) >>129
子供の運動会だとか女の子色だとか猛反対だったけど
「今のカープは地味すぎる、赤は燃える闘志の色。
日の丸だって赤だし、大リーグならレッズが赤帽だ」
とルーツが球団幹部を説得
いざ赤帽の現物を見た選手からも
「俺こんなの被れないよ」と不評だったが
試しに衣笠に被らせたどころ
「お前は昔から派手な色が似合う!(笑)」と大ウケしたぐらい。
オールスター以降の赤ヘル旋風までは
なかなか浸透しなかったとは思うが。 太平洋クラブのビジターユニが赤基調で見た目だけはかなり派手だったから、
広島の赤ヘル元年もすんなり受け入れられたのでは?もっとも広島の場合はユニの文字と背番号は
まだ紺色だったけど 逆に今、衣笠が若手だった頃の黒ヘルを
限定復刻でいいから見てみたい >>132
太平洋もこの年は健闘したんだけどな、続かんかったけど。
ずっと強ければ赤=ライオンズのイメージになったかもしれん。 一昨年だか西武が突如「山賊打線」と呼ばれて
大半のファンはなんのことやらわからなかったかもしれないが
元はと言えばこの年の太平洋の江藤兼任監督の「山賊打線」
に由来するんだよな 恐らく西鉄黄金時代の異名「水爆打線」はさすがに使い辛い(そもそもオリジナルでも無い(オリジナルは松竹)し)という事なんだろうなと。 >>130
そのダメ要素の多くが翌年ひっくり返ったんだよな そういや10月に広島のシェーンがユダヤ教とかで、優勝争い中にも関わらず宗教上の理由で1試合お休みしてた。 開幕戦、巨人45年ぶりに投手に被弾?
あの時は堀内が捕手を歩かせて投手平松と勝負したら、何と平松に先制3ラン(笑)
あれからケチが付きまくって最下位に。
今夜は逆転できて良かったな。 >>137
江藤監督が豪放な性格で、山賊の首領のようだったから、山賊打線と呼ばれたんじゃないかな
この年加入した土井とか白もどこか山賊のような趣がある 1974年V10を阻止した中日とロッテが対戦したがロッテが
後楽園を使用したので後楽園使用としてはV10だった。
面白いことに1975年に阪急広島が対戦したが上田も古葉も
非巨人系監督だったが1951年から1974年まで
巨人系監督
がセ・パに1人は必ずいた。阪神監督藤本も初代巨人監督
だったし。 >>1 最近ではカ―プが巨人に3連勝したとかで広島の街は盛り上がってますが…ところで1975年とかあの頃もやはりカ―プが巨人に3連勝とかあったのかな。 この年の今日、広島カープが球団創設以来初のリーグ優勝を達成 >>141
ユダヤ教徒だったらヨム・キプルだね。
敬虔なユダヤ教徒だと、この日は労働も食事もしない。 嫁を寝とられたネトルズと熟女好きだけどロリッチの南海の外人コンビ 75年で顕著なのは巨人って広島や阪急と違い外人獲得ルートが弱いなと思った
今年もそうだけど >>151
広島、阪急の外人はたまたまこの年、当たっただけだろ。 >>152
広島と阪急は74年オフに広島はルーツ監督のルートで早々と獲得。 巨人は
年越しその頃から書かれてたよ >>153
ルートもクソも巨人はそれまで外人獲得したことがないだろ 広島と優勝争った中日がV2だったら、カープの初優勝は79年頃まで持ち越されたかな
もしかしたらヤクルトや近鉄より遅かったか 巨人の外国人選びってブランドにこだわりすぎ。 特にデーブジョンソンとか叩かれまくった
よね >>156
初年度がダメだっただけで
翌年はそれなりに働いただろ。 >>155
広島と中日が競り合うと必ず広島が優勝する法則。
もしこの年に中日優勝だったら、この法則が逆になって、
広島が中日を蹴落とした79、84、91年は逆に中日優勝となり、
広島の優勝回数は減っていたかもしれない。 >>157
2年目も日本シリーズとかは全然だったような気がするけど >>158
地方ブロック紙の雄・中日新聞的には、カープと深く関係している中国新聞との関係から「ここはカープさん(中国新聞さん)に花を持たせてやれよ」
という風潮があるとか言われとるけどね。
そんな風潮に反旗を翻した恰好となった田尾は(´Д⊂ヽ >>156
いい加減なこと書くな
ジョンソンは第一候補ではなく他に断られて3番手だぞ 他に断られての3番手ということは、ジョンソン以外に候補者が2人いたということか
讀賣のオファーを断ったその2人、誰なんだろうね >>159
シリーズ前に風邪ひいたのに多摩川で練習させられて悪化 >>164-165
とっても大事なことだから、2回書いたわけですねw ジョンソンは二塁の守備がうまかったし、6番打者としては破壊力もあった
もっと長く在籍してほしかった
その後に入団したリンドが非力過ぎた ジョンソンは2年目もいまいちだった
メジャーリーガーの迫力が無かったなあ >>135
「長島」を使っているあたりから、雑誌か新聞の転載かもしれないな。
当時活字メディアは常用漢字への置き換えが多かったから。 この年は巨人の長嶋監督、広島の古葉監督の新監督が話題になったが、太平洋の江藤
選手兼任監督も印象に残る
江藤新監督は自ら主軸打者として、万年最下位の太平洋をAクラスに導いた 2年目ジョンソン
AS前・・・163-45 .276 8HR 27打点
AS後・・・208-57 .274 18HR 47打点
後半戦でHR量産しとるんだな >>173
結局江藤監督は一年で退団になってロッテに拾われるわけだけど
カネやんはノムさんより前にも、前年他チームのプレイングマネージャー
だった人に手を差し伸べる事をやっていたわけだ 金田さんは他チームを不幸な追われ方をした選手をよく受け入れていたな
巨人の城之内も金田さんに誘われた
日本ハムの高橋博士はロッテで再生して活躍した 江藤や野村みたいな大物は受け入れるのに逡巡してもおかしくないが
唯我独尊のカネやんだからこそできる事だな この年は古葉さん、長嶋さん、上田さん、江藤さんなど30代の青年監督が活躍した
みんな鬼籍に入られたことが悲しい この年の近鉄、チーム打率・得点はリーグ5位、本塁打や盗塁は前年より減っている。
西本監督と言えば打撃のチームの印象が強いが、この年はリニューアルした鈴木を中心に
守って勝つチームで一気に順位を上げたわけだ 西本監督は前年オフに主砲の土井を放出したんだよな
この年のオフには永淵も放出する
打撃に目をつぶってでも守れるチームにしていこうとしていた 西本は、翌年からDH制になることを知らなかった
DH制になると分かっていたら、土井は放出していなかった
と後述している この頃の現場の人達には正直DH制は、何だよこれ、って感覚だったのかな。
アメリカで始まったのもたった2年前で制度の評価もまだ確定していないし
DHにされた選手からすると、お前は守備がダメ、って言われてるようで
面白くなかっただろうし。 ロッテの金田監督は、DH制の初年度(昭和50年)は、誰をDHにするか迷っていたな
得津、ラフィーバー、菊川、土肥、長谷川、榊、新井、マクナルティ、バチスタ、江島
がスタメンDHで出場しており(当て馬は除く)、迷走気味だった >>184
家にあるBBM社「写真で見る日本プロ野球史」の年表によると
指名打者制導入が正式発表されたのは75年の年明けのこと ここにいる王長嶋時代観てきた人に訊きたいんだけど
長嶋茂雄の魅せる守備ってどんなものだったの?
オリックスの宗より華麗な守備でしたか?
https://youtu.be/7UPoadj0aCY 巨人は広島の優勝を目の前で見せられたが
セリーグ発足〜1975年以前に巨人がセの他チームの優勝を
見せられた年てあるの? >>189
2006年の中日優勝の時がそうだったな >>189
ない。
1リーグ時代の1947年に阪神の優勝を見て以降は75年までなかった。
日本シリーズを含めると58年以来17年ぶりだった。 巨人はV9のみならず長い歴史において王者だったんだな
それがこの年ここまで急激に弱くなって衝撃的だった >>185
そんなことないだろ
苦手な守備しなくてホッとした奴が多いだろ その最たる例と思われた張本は自己最低の成績になってしまった。
当人もDH制は好きではなかったようだが、味方の投手からすれば
ありがたいと思ったかも。 そりゃまあね、「守備でも安打製造機」と言われた御仁が
バックで守っているといないとじゃ、大きな違いだからw 阪急の長池もこの年からDHで出場するようになったが、不本意だったらしい
守備が不得手でもDHになりたくない意見のほうが主流だったみたいだね 張本とは違って長池は特別守備が下手なわけじゃなかったろうけど
この頃には全身故障だらけで特に腰痛と肘痛がひどかったんじゃなかったっけ。
弱肩怠慢守備の張本と、猛練習とフルスイングの副作用の長池か。 >>197
でも高井保弘はDHの恩恵を思いっきり受けてるよね
代打専任からDH専任になったお陰で3年連続で規定打席に到達してるし 巨人って今もそうだけどやたらとメジャーリーグの実績にこだわって
獲得するよね。
広島はシェーンとホプキンス 阪急マルカーノ 巨人ジョンソン
出がらしばかり。 広島とか阪急みたいに20歳代後半のマイナーリーグの若い選手をどうして
取らないのかなと思う そりゃあ巨人のスカウトには目利きなんていないからでしょ
国内スカウトだって主な仕事は、最初から有名な選手の周りの人間を
裏金漬けにすることだからな。 広島で不運なのは浩二と衣笠いる時にシェーンとホプキンスやライトルに
恵まれて引退してから外人が当たらなかった。
江藤前田とか出て来てロペスに当たった 日本の野球自体スカウトとか育成方法って他スポーツに比べてレベル低い
ような気がする。 結局アマのスターしか育成できない
巨人に限った話ではなく >>200
そりゃ只の代打要員からDHレギュラーの方なら、後者の方が良いに決まっとるわ。
後に石嶺がすんなりDHに定着したのもそれだし。 >>205
讀賣の場合、いざとなったら強奪すりゃいいとでも思っているんじゃないの? >>135
いやあ、讀賣は本当にこの年冴えなかったよねぇ この年以来の讀賣の最下位が
現実味を帯びてきた感がある 残念ながら、讀賣は最下位を逃れることになった
次の讀賣の最下位はいつになるんだろう
生きている内にもう一回あるといいなw この時代にダルや大谷が既に存在してプロ入りしてたら衝撃度凄そう 風見しんご引退。
9月の広島市民球場の大暴動で、広島学院中学校1年の「大下義博少年」は星野仙一を殴ったとか言ってた。
この時中日から星野、大島ら5人の負傷者が出て翌日の試合が中止になった。ただ中日の選手は決してファンに手を出さなかった。
がこの翌年76年4月、開幕から2週間未勝利で迎えた巨人との市民球場初戦、地元段原出身の張本が巨人移籍して初の広島での試合、「朝鮮人!」とかのヤジが飛び交う中異様なムード。
前年の中日との試合と同じく、土井正三が本塁憤死でゲームセット!巨人側が審判に詰め寄ってヒートアップするとお約束通りスタンドから大量のファンが。
その後巨人選手の乗ったバスをファンが取り囲み、窓からバットで小突き1人負傷。まあ取り囲む方も悪いんだけど。
「張本がやった!」と書類送検になったが不起訴処分、どうやら別の選手だったらしい。その選手は既に故人に。 今日、讀賣が負けたことで、単独最下位に転落しただけではなく、
「両リーグ最速10敗」という不名誉(讀賣にとってはこの年以来)
までオマケとして付いてきた 今年の流行語大賞は『アレを・・・』で既に決定済です。 ただしリーグ優勝の事ね。日本一までは含んでいない。 巨人は川上監督時代に強打の外人を入れておくべきだった
長嶋に代わる中軸がいないまま昭和50年のシーズンを迎えてしまった
開幕試合では王も欠場したので、打線にONがいなくなった
四番・末次ではあまりにもつらい >>219
川上監督は予てから再三外国人選手の獲得を要望したものの、「球界の模範となる
べき巨人軍が外国人の助けを求めるのはうんたらかんたら」と丸め込まれて手が
出せなかったらしい。
実情は読売の全国紙化に向けて、1964年、九州に設立した西部本社管内での
激烈な拡販競争(拡販材に新車の自動車まで使われていたなんて話も)や、待望の
名古屋進出に向けての多額の資金注入で、球団にまで資金を回す余裕が無かった
だけの模様。
川上監督が毎年の如くトレードで力が落ちた他球団の中軸クラスを獲得していた
(そしてその殆どが使い物にならなかった)のは、そんな親会社の懐事情に依る
面も大きかった。
只、元中軸だけあって年俸だけは高かったから、結局はコスト高で新人・若手の
スカウティングや育成に多大な悪影響をもたらしただけだったという・・・・・。 生きている内に見てみたい
この年のように、讀賣が真っ逆さまに最下位へと落ちる様をw 広島カープの初優勝
それが達成されたのは、この年の今日のことだった >>215
槌田誠だろ
張本が後年明かしてるわ
槌田は翌年ヤクルトに出されてるが、
これは懲罰トレードだろうな
フロントにはわかってたはず >>110
上田は広島で元々幹部候補生で入団して
自身も監督の座を狙って根本と対立して退団した処を山内の推薦で阪急入り
阪急でも当時の球団代表と昵懇になって西本の次の監督はほぼ決まっていた
オーナー以外の球団首脳部は西本を煙たがっていたからプレーオフ敗退した西本が進退伺もとい辞任を申し出たら快諾されて上田を監督に推薦したが裏ては上田と球団代表は繋がっていたというオチw
長池と不仲だったのは上田が将来の監督候補たる長池を疎んじていただけ >>225
それで西本さんも相当頭に゙きて、
同一リーグなのに翌年から近鉄の監督引き受けたんだろうな >>225
それで西本さんも相当頭に゙きて、
同一リーグなのに翌年から近鉄の監督引き受けたんだろうな ウォーカー=泉・高橋の巨人とホークスのトレードは
張本と加藤初のトレードを合わせたように感じた
ホークス 出血覚悟で来期にかける張本=ウォーカー
巨人 先発タイプよりも救援タイプを求める
しかも相手は九州球団
加藤初のトレードという巨人の大得トレード ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています