長距離砲ではない打者が異常に多いホームラン数
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
長距離砲なのに少HR・規定到達で悲惨な成績
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1524570953/l50
の姉妹スレです
狭い球場、飛ぶボール、圧縮バットなどの時代に多い記録
例
大石大二郎(近鉄)
1984年に 打率.282 HR29本 大石大の29発とノムケンの32発が強烈
ノムケンは20本以上はこれの一回しかないのも >197
仁志は後年打球予測が当たるようになっただけだった
セカンドて一番簡単そうだな
赤星は190安打近く打ったり優秀なリードオフマンだった ほんとこれ。
どちらのチームのファンでもない第三者目線からしたら
仁志と赤星なんて走攻守トータルで見たら仁志が圧倒してるが
あのチームにいる補正でやたら赤星が神格化されてるわな。 >>197
>よく当時の巨人でレギュラー取れたもんだというぐらい酷い
まあ1番打者としての「1番仁志」はそれほどでもないが、
ことセカンドでの「セカンド仁志」は重宝されたんではないかな?
特に巨人。仮に赤星が当時の巨人に指名されても
さすがに外野陣、清水、松井、高橋由伸に割って入るのは難しい
それにファースト専門ばかりFAで獲ってポジション重なれば外野に持ってくし(広澤、マルちゃん)
守備が上手いか下手は置いといて当時の巨人においてセカンド出来るのは貴重。 DONDEN'85
当時の球は
バックスクリーン3連発などを
見てもわかるが打球が凄まじい
勢いで弾き出されているw >>207
クセ者とはいえ、持久力ゼロの元木に比べたら、仁志を使うよな 新庄前田元木仁志小久保種田と
1971年生まれはクセのある奴だらけ
突如好成績を残す割合も妙に高い >>44
あれは長打を狙い出したら
ヒットが出なくなった結果だぞ >>210
チームになると弱そう。まとまらないだろうね。 210の面子すげーわ
誰一人仲が良い印象がまったくない >>154
その通り、ケガで開幕から一月以上出れなかった。
その間二塁は二軍クラスの選手や本職捕手みたいなのが
守ってた。 >>217
山崎裕之って最初に所属した球団が球団だから
地味に見えるが意外に華があっていい選手なんだよな
原が巨人にプロ入り直後、サードに中畑がいて篠塚ブレイク前だからプロ入り即
セカンドにコンバートされたが、キャンプ前、当時の解説者の間で将来的に原は二塁手として
どんな選手に、プロで言うと誰に似たプレイヤーになるか?で山崎裕之って声が多かったね
ONの後継者だから巨人ファンからしたら地味に思えたが結局通算成績は山崎と原、似たり寄ったり。 ちょうど今でいうと菊池みたいな選手かな>山崎
ただ、叩き上げの菊池とは逆で高校ルーキーながら争奪戦になって
最終的にオリオンズが5,000万円の契約金で獲得したというのだからすごい・・・
現代の貨幣価値でいくらくらいだ? >>162
大石は、あの伝説の89年日本シリーズで初戦の
初回先頭打者ホームランという離れ業をやった
レジェンド
まさかああなるとは思わなかったが
よく昔の1番って小回りきいて機動力の
イメージが強いが巨人の柴田や中日の高木
で福本さんにしても言えるけど
昔のほうが1番で長打力のある野手は多かった
広島も一時は衣笠が1番の時があったしな >>220
>昔のほうが1番で長打力のある野手は多かった
1980年代までは球場が狭いからパワーが無くてもフライが打てればホームランも打てる時代だったからね。
なので必然的に1番を打つほどの技術や能力のある選手は狭い球場だからホームランも打てた。
印象的なのは後楽園球場でのオールスターで、
江川から大石がコツンと軽くバットに当てただけでライトのフェンスギリギリまで飛んだからね。
こんなの現在の球場の広さだと考えられない事だけど、当時の球場ではそんな事が普通にあった時代だった。 そんな時代のさなかに敢えて単打マンに徹した藤原・新井・松本・西村・正田は凄いな。 >>222
そりゃ80年代中盤って球場が古いままの割に反発力高い球が使われてたからでしょ。
1980年代までは、って書くなら60年70年代はどうだったって話や。 >>223
藤原は大学時代中距離ヒッターだったが、プロに入ってから低迷
そこでノムさんと高畠コーチに勧められてタイカッブ式のバットを使い、ヒットを打つことに徹底した 新井は近鉄に移籍してから、長打が増えた印象
87年シーズン打率366本塁打13本67打点
こんな選手、よく南海はトレードに出したな! 1986年までが異様にHR多かったよな
バースと落合どちらが三冠王とれるかと言われた1987年は、どちらも取れず
そして、打者三冠の成績が割としょぼいという >>226
当時の南海を戦力強化という視点で見てはいけない
ひたすら経費削減が目的
だから藤原満も規定打席(しかもチーム2位の打席数)に到達しても
あっさり引退させてコーチにさせたし、新井も佐々木誠にめどがついたと判断して
戦力外扱い >>222
>1980年代までは球場が狭いから
それ言い出したら1990年代〜2000年代は球が飛び過ぎラビット。
みんな観てた当時に思い入れあるのは判るからあまり思い入れない世代は斜めから見たがるが正直な話、
どの時代もそんなにボールや道具での差はないと思う >>222
後楽園球場は
プロ野球史で一番の狭さじゃね?
あの打球でホームランになるとか(笑)
逆に一番広かったのは
西宮球場だな。
今の甲子園球場の両翼を101メートルに
した感じだったから >>227
落合 移籍初年度は、さすがの俺もプレッシャー
があってペースを早くしすぎたのと、セ・リーグ
はコントロールという割りにはど真ん中にばかり
ボールが来て、俺は正直ど真ん中が苦手なんでね笑
春先は戸惑ったけど
甲子園で1試合3本打ったあたりからセ・リーグ
の攻略法があらまし見えてきたけど
パ・リーグより個々のタイトル級が多かった
のだけはデータ不足だった
3年目辺りでようやくその踏ん切りがついて
三冠王狙いはやめた バースの87年は、さしもの神様も腰痛とかで
85年を100とするなら50ぐらいの力しか
なかった
でも腰痛以外怪我はなかったから掛布みたいに
極端な衰えは見せなかったけど
よく息子の病気で解雇は痛かったというが
仮に復帰しても、三冠王レベルの打撃は期待できない
が解説者らの見方だった
帰国前のゴールデンウィークのホームラン数が
わずか2本
だけにある意味では、神様バースという幻想を
うまく維持できたとは言える
バースが解雇されたあと、バースを日本に紹介した
元阪神監督で当時ヤクルトのヘッドだった安藤さんが
ヤクルトを紹介したり、身売り直後のダイエーも
バースに接触はしたが
既に気持ちも切れて、三冠王の打撃は不可能と
両球団に断りを入れていた
だからこそ未だに神様と崇められるわけだ 落合バース落ちた87年は衰えってより球界全体でなにかあったとしか思えないほどホームラン減ってるけどな セリーグは全体で見れば86より87の方が打高だけどな。
落合が来たことや、86年に不振だった打者が復活したこともあるが。 86のセはロングヒッターの故障離脱が多かった
掛布、原、田代、杉浦、そして謎の絶不調で二軍落ちの宇野 86年は、新ストライクゾーン導入とか言ってたが、知らぬ間に立ち消えだったね。 原はそれでも長嶋茂雄以前の6年間は
20本以上はホームラン打った
極端だったのは田代と掛布
田代も86年以降引退まで2桁ホームラン
はなかったはず
杉浦は極端でもないし、やっぱり92年の
代打サヨナラ満塁だんの印象が戦慄だから
あれテレビで生でみたから今も覚えてる
まず打球が見えんかったからな
スイングした瞬間ボールが消えた
であっという間にスタンド上段に
正直ファンでもなかったのに身震いしたからな
あの印象があるから落ち目の印象はない >>230
逆に90年代〜2000年代は、
プロ野球史で一番のラビットじゃね?
あのこすった当たりでホームランになるとか(笑)
逆に一番飛ばない球だったのは
1970年代だな。 阪神にいた和田豊も全く長打力がなかった
様には見えるが
ホームランうつ年は結構あって90年の9本や
96年の5本
だから山田よりはホームラン数は多いはず
たまにオリンピック3番の片鱗をみせるときは
あった
その後継者が関本健太郎ってのも境遇見たら
何となくわかる 大道と元木は長距離打者の期待されてたのに
プロに入るとこじんまりしちゃったな 79年、80年のパリーグの打高投低ぶりは
異常だわ >>239
マジレスすると70年代中盤からは飛ぶボール。
90年代は終盤まで飛ばないボール。
>>242
反則レベルのとんでもないボールを使ってたからな。
未だに打高間蓮での記録が残ってるほど。 投手にとって最悪だった時代は80年代前半と2000年代だな。
特に後者は球場が大型化したのにその意味が全くなくなるようなラビットが粗製乱造されてた。 >>241
そもそも元木は高校通算21本塁打
たまたま甲子園で6本打っただけ >>229
それは違うかな。
確かに2000年代もラビットだったけど、そのぶん球場は広くなっていたからね。
それに比べて1980年代はラビットなのに球場は狭い箱庭のままだった。
これはどう考えても環境が違うし、差はあるよ。
>>230
でも、西宮が本拠地として使われてた時はラッキーゾーンがあったから両翼91mと狭かったけどね。
>>239
こすった当たりがホームランになるのは1980年代中盤のラビットの頃の方が酷かったよ。 清原は一年目がピークってより一年目が異常な環境だったというべきだろうな >>247
1年目が高校ルーキーとしては異常だっただけで
清原自身が「1年目がピーク」ではないわな。 >>242
1980年
近鉄 239本塁打
西武 219本塁打
阪急 204本塁打
ロッテ 184本塁打
南海 183本塁打
ハム 167本塁打 >>236
それでも2002年の新ストライクゾーンよりは残った方かと 巨人V9時代
巨人 後楽園 広島 市民 中日 中日球場
大洋 川崎 ヤクルト 神宮 阪神 甲子園
一番広いのが神宮いわれた時代
それでも150以上のホームランは皆無
いかにレベルの低さがわかる >>253
87年にセリーグが前年より打高になった要因として落合の移籍を挙げただけだが。 >>249
130試合でこれだもん、無茶苦茶だよなあ
この中であの成績あげた木田は凄まじかったんだな >>246
ラッキーゾーン撤去後は
96年まで使われたな
でも広すぎて、完璧に捉えた辺り以外は
ホームランにならなかったw
まだ使い続けて欲しかった球場だわ
今でもなかなか出ないくらい
広い球場だからな。。
甲子園球場をそのまま両翼を101m
まで広げた形状だから
石井一久も、若い頃西宮球場で投げてた >>246
>それに比べて1980年代はラビットなのに球場は狭い箱庭のままだった。
それは違うな。当時現役だった落合とデニー友利らが対談してるの見たけど
落合「王さんの時代は球場狭いからHR打てた言う人いるけど、関係ない、関係ない。その分球が飛ばなかった」
デニー「ですよね。昔は全然飛ばなかった。」
と少なくともデニーは1987年〜1996年まで横浜だからここらの時代のこと言ってると思う >>255
それだけに、2年目以降の失速が悲しいね 「木田さんには何かジンクスがありますか?」
って聞いていた女子アナがいたな
「2年目のジンクスがありましたけど」
そりゃ、そう答えるわな その昭和50年代のボールが飛ぶようになった時代に出てきた投手に、
その木田とか江川とか遠藤とかバンバン押していくタイプのが多かったから
余計に飛翔したのよね >>65
大橋は当たれば飛ぶというタイプ、ヒットのうち
長打の占める割合はわりと高い。 昔の選手の体格みりゃそりゃたいしてボールなんて飛ばないだろと思うが 近鉄の小野和義もくらいまくってたな
200イニング近く投げて、防御率5点台だったはずw
あの頃は、チーム防御率4点代後半とか珍しくなかった
凄い時代だよw >>267
小野は86、 87年はホームラン打たれまくってたが、88年は別人になったよな。ただ、1ヶ月に3完投完封負けと、勝ち運は無かった。 85年 阪急佐藤投手
35登板 21勝 260投球回 23完投 防御率4.29
これも恐ろしい
これだけ打たれまくってもイニング消化してるし
肩やひじの疲労も半端ないだろ 佐藤義則は、21勝した翌年、14勝したのにもかかわらず
球団の当初の提示は減俸で、佐藤がキレまくっていたな >>269
1985の阪急は、実はあの阪神打線をも上回る得点をあげていた
それでもチーム順位は4位だったが 佐藤ほどではないが、
2001年の松坂の32試合 240イニングも相当やばい >>269
腰痛かなんかで一旦任意引退してたのが信じられないよな
今だと育成落ちになるんだろうけど 1980年は優勝した近鉄のチーム防御率4.96だからなw
もう少しで5点台だったのに セリーグは76〜79 85 2001 2003〜2005 2010
パリーグは79〜80 85〜86 2000〜2001 2003〜2005
この辺が異常に打高だな
2002は西武が異常なだけで他は割と普通 >>260
プロの落合が言う事が根拠が無くて、
素人のお前が言う事、思うことが根拠あるとでも? 実際落合は2011年2012年のボールでも「自分たちの方が飛ばなかった」とかいい加減なこと言ってたしなぁ >>280
>260神様仏様名無し様2019/01/19(土) 16:11:25.94ID:buAxtgnu>>277
>>257
何の根拠にもなってないな
↑↑↑
これを言ってると言うんだろwバカw 83年の水谷実雄の36本。20〜25本の打者が、いきなり36本。一時は、キングのチャンスも有ったが、門田に逆転された。 >>278
>実際落合は2011年2012年のボールでも「自分たちの方が飛ばなかった」とかいい加減なこと言ってたしなぁ
なぜ?素人のあんたが解る?
実際飛ばなかったんだろ?
2011年2012年は、そりゃ長年ラビットで慣らされりゃ突然球が変われば飛ばないだろ。
日米野球、WBC観てりゃよく解る。2011年2012年経験後はWBCでも本塁打量産するようになった。 >>281
否定されてるのはあんたの主張だろ
論理が成り立ってないし滅茶苦茶だよ プロが言ってるから正しいってゴリ押したいんだろうけどあまりに稚拙で幼稚すぎるよな
引き合いに出してる言説もズレてるし >>285
>プロが言ってるから正しいって
じゃーお前みたいな素人の言う事が正しいのかよw >>280
>>260の
>何の根拠にもなってないな
↑↑
これにたいして言ってるんだよw
なぜ?根拠がないと言い切れる? 大橋と言えば「大橋とマルカーノの二遊間は史上最高だった」と
西本幸雄が言ってたって話がある >>287
論理が成り立ってないから
それが分からないならヤバいよあなた >>285
つまりは、お前にかかれば、
プロ経験者が言ってることは、
いくら経験を積もうといくら当時試合に出て体験しようと
何の根拠もないゴリ押しの発言。
それにたいしてお前ら当時を碌に観てない想像でモノ申してるド素人の発言は、
ゴリ押しでもない根拠もあってしごくまっとうな発言。
誰が後者のお前の発言を信じるんだ?w ↑
>>289
論理が成り立ってないから
それが分からないならヤバいよあなた >>290
金田正一が言ってる「自分は180キロ投げてた」って主張もプロだから正しいってわけねw >>292
出たw
昔の選手のそういう発言はバカにするくせに
元巨人監督の藤田さんらの発言「昔より今の方がレベル高い」には
賛同しまくるバカw
ようは他人のお世辞、リップサービスには嬉しそうに話しに飛びつくが
自分に対しての批判、叱咤激励には、物凄い顔して気嫌いするバカwそれがお前w >>292
お前が「おいらは150キロ出せる」
よりは全然信用するぞw >>279
丸はタイプを変えて振り回してたから妥当
選球眼はいいが空振り率は最悪らしいし
いうなればストライクゾーンに来た甘いボールをやたらめったら振り回す打法になってるからセリーグより強力なソフトバンク相手には完全に力負け
トレーニングで筋肉ついて知らない間でスイングがめちゃくちゃ強力になってるし >288
セカンドなんて簡単だから誰がやっても差が出ない
森道マッカーノシピン辻篠塚和田立浪荒木菊地と矢鱈に名手が多いのも簡単なため
強いて言えば外人のが肩が強いからよい
サードファストと違って強い怖い打球は飛んでこない >>293
で?あなたの主張だと金田正一は180キロ投げてたことになるけど?w >>288
大橋と大下ではなくてマルカーノか
大下って本当に嫌われているな >>297
ほんとだよな
セカンドが一番かんたんなポジションなのに 阪急
山田さんって80年代は結構打たれまくってたな
今の時代だと何勝くらい出来るのだろうか?? >>299
そりゃあ大下は大毎・阪急・近鉄には在籍した事が無いからな。如何にも身内贔屓な西本らしい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています