広岡達朗/廣岡達朗 その9
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球団単位で食事面の改善に最初にメスを入れたのはロッテ金田
そこから更に栄養素という面にまで着目したのが西武広岡
こんな感じかな >>895
金やんが亡くなって広岡がまだ生きてるなんて理不尽 >>900
ただ豪華な肉を食わせて終了は昭和の巨人と日本ハム。 広島は昭和の時代でも
食事豪華だったそうだよ
大洋とヤクルトが飯はひどかったみたい。 吉井いわくヤクルトは近鉄より飯がひどい
とのこと >>902
末期の南海は若手が球場近くのマクドで食事してたり、栄養費が一日500円だったりしたらしい >>905-906
様々な伝聞で500円説が濃厚だが
当時のマクドならハンバーガー2個買ったら終わりだな >>902
それこそ、広岡が、一昔前なら、ステーキにライス大盛りで牛乳飲んでればスタミナつく、元気になるから
牛乳じゃなく豆乳飲め、牛肉じゃなく野菜中心、白米じゃなく玄米と改革した >>905-906
スカウトが指名した選手に挨拶に行って親御さんに
オタクは食費を1日300円しか支給してくれないと聞きましたがと言われて
失礼な!ちゃんと500円出してます!って言い返したとか 八重樫の回想は面白いな
翌年最下位の原因は優勝後のオフに稼がせてくれなかった事だとか
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191010-00873950-sportiva-base&p=4
八重樫 それはやっぱり、とっても嬉しかったですよ。でも、その翌日にはもうすでに、
チームの中に「広岡監督は、もういいや」みたいな雰囲気が蔓延したんだよね......。
――えっ、せっかくチーム初の日本一になったにもかかわらず、すぐにそんな不穏なムードになったんですか?
八重樫 そう。優勝後、東京と大阪で、球団が決めた祝賀パーティーがあったんだよね。
でも、それが終わるとすぐに競技場を借りて秋季練習が始まったんです。
普通、優勝した後のオフはサイン会だ、トークイベントだって、選手にとっては副収入を稼ぐ絶好のチャンスなんですよ。
それなのに約1カ月間、猛練習。広岡さんは来年も結果を出すために必要だと思ったんだろうけど、
キャンプが終わった頃には世間の人たちも優勝、日本一のことは忘れているから、ベテランの人たちはみんな怒っていたよね。 >>902
ヤクルトが優勝した1992年に出たムック本で、広沢好輝が寮の紹介をしているのを見たことがあるが、夕食のメニューは普通に豪華だった。
撮影用だったのかも知れないけど… >>911
正直、八重樫はプロとしての心構えとかはダメだと思うね。
悪い人ではないけど。。 >>911
ようやくの初優勝で気持ちはわかるけどプロならばそこは堪えないとな
時代の違いを加味してもね
まぁでも当時のヤクルトのオーナーは熱烈な巨人ファンで
優勝しても明らかに機嫌が悪かったそうなので、どの道余禄には与れなかったと思う オーナーに呼ばれてお褒めの言葉か報奨金と思ってウキウキで部屋に入ると
何故勝った!巨人あってのヤクルト、巨人あってのセリーグ、巨人あってのプロ野球じゃないか!
と説教されたらしいな 昔、掛布が講演会で言ってたが若虎としてブレイクした後に
TV番組等色々なところにゲストに呼ばれて
貰ったギャラを貯めこんでたらフェラーリを買える位の金額になったそうだ そら阪神の若手も勘違いするわw
掛布も結局選手寿命短かったし 投手コーチ時代選手を連れてトークショーしていた中西清起 江夏が日ハムにトレードされた時に同じ左腕として
22勝してその年の新人王になった木田勇に会うのを楽しみにしてたが
オフシーズンにテレビに出まくってるのまではいいとして
2月のキャンプにも赤いスーツでやってきたのを見て、こいつは長くないな
と思ったと言ってたな 木田って1年目大活躍浮かれて派手な格好したり乱れて調子に乗ってダメになった、
これよく言われるけど、
実は日本ハムの入団会見でも派手な変な格好で現れて呆れられているんだよ
要するにただ単に派手好きらしい 西武では連覇できたのはヤクルト時代を反省して
シーズンオフに稼がせてやったからだろうか?
八重樫の話だとヤクルト時代は玄米を食わされなかったそうだから
西武になってから玄米食を編み出したらしい
https://number.bunshun.jp/articles/-/827779?page=2
広岡監督の“管理野球”における食事制限で「ごわごわの玄米がまずかった!」
なんて若手時代の恨みをシャウトする辻。食べ慣れないせいか、
最初のうちはお腹を下す選手も続出したという。
ベテラン選手の姿はほとんどなく閑散とする選手食堂。
いわば当時の西武は、勝つことでギリギリ繋がっていたプロの集団だった。
'85年オフ、メディカルチェックを受けた帰りに立ち寄ったドライブインで、
「広岡辞任」の一報を聞いた西武ナインからは一斉に歓声が上がったという。 >>920
悪い記事だけ載せて印象操作するの止めようよ
玄米についての伊東談
「味気なく、不評でしたね。私たちは一体、どこまで管理されるのかと絶望的な気分になることさえありました」
と激ヤセした当時を回想しつつ、やがて他球団と比較して自チームの故障者が極端に少なくなっていることに気が付く。
こういうことか、やるじゃねえか広岡さん。
今でも最も影響を受けた監督は誰ですか? という問いには迷わず、
「広岡達朗監督です」。 今の高校球児の「食育」についてどう思っているのだろう?
伊東「広岡監督の下で鍛えられた選手が主力になった時期に森さんが来られたので
特に森さんはやることはなかったと思います」 2,3年勝つならともかく森時代はその後10年間で9回優勝だからなぁ
広岡遺産だけでは片付けられない
伊東らしからぬ随分見識の狭い意見だな 一応感謝してるのは間違いないんだろうけど、
森さんに比べたら、みたいな私怨入ってるのも結構いそうだよな
森もどんだけ人望無かったのか無くしたのか 森は言いにくいことや都合の悪いことは全部「広岡さんが〜」ってのを枕詞にしてたらしい
それが本人の耳に入って険悪な関係になったとか 森は横浜ではダメだったのでそれで評価を落とした
根本と広岡が最強にしたチームを引き継いだだけだったんだなと
西本幸雄、広岡、仰木みたいに複数のチームで結果を出した監督は凄いね 西本や広岡と、森との最大の違いは、チームを強くする為にはオーナーやフロントと対峙する事も躊躇わない矜恃と覚悟があったか否かって所でしょ。 >>929
>森は横浜ではダメだったのでそれで評価を落とした
と言うか、横浜自体が監督人事にブレがあるからね。
1980年代から現在まであまりにも監督代わり過ぎだし一貫性がなさ過ぎ、
ある意味、ニワカファンの「次の監督はこの人がいい」声を聞き過ぎだと思う
だからちょっと飽きるとすぐ監督交代。これじゃー誰が監督でも強くなりませんよ
森だけじゃなくあの監督なら立て直せると実力派の古葉や近藤貞夫、関根潤三を招聘も
短期間でポイとゴミ箱に捨て、2軍とはいえファーム巨人を4連覇した実力者と言えば須藤豊を招聘し
いやいや生え抜きがいいだろうと言われれば山下大輔に依頼したりコーチとして評価が高いと判れば江尻亮近藤昭仁尾花を引き抜き
しかしどの監督も短命ですぐ次から次へと飛びつく。他にも権藤、大矢、牛島、中畑、
横浜はこれを変えなきゃ強くなれないと思う >>931
関根は長嶋招聘の露払いでしょ
結局長嶋はこなかったが 森のときはTBSへの身売りのタイミングも重なって色々あったみたいだしねえ
それでもせめてあの年の最後までは指揮するべきだと当時思ったな >>931
秋山や土井といったOB監督がまるでダメだったのもある
平松が現場に戻れないのはやっぱ人望がないからか? >>929
伊勢「私は森さんが好かんかった。試合終わった後、森さんがミーティングを」するのだが、選手を名指してで批判して晒し者にする。それで必ず「これは広岡さんが
言ってたんだが」と言う。広岡さんにヤクルトの監督辞めるとき森さん通して
随分な事を言ってましたねと言ったら広岡さんが選手に対して何か言いたいことがある時は直接言うと言ってたが私は広岡さんの言い分を取るが」
>>931
江尻はコーチ前はスカウト、近藤は監督前は解説者 >>935
確かに選手に嫌われるような事を自分で言うのを避けるような人とも思えないが
その一方で森コーチのそういう性格とかも当然知っていたんじゃないかという
気もするし、広岡さんもなかなか食えない人って事か。 去年の石毛との週刊ベースボール対談
石毛がおだて捲くるからw御機嫌で読んでて楽しいんだが、一応少しだけ森を少し擁護しながらも
石毛: 廣岡さんは、森さんがヘッドでしたよね。
廣岡: いつもいいところはたくさんあるんだが、困ったのは選手の悪口ばかり言うことだった(笑)。一度、選手代表で永射(永射保)が来て
「ヘッドコーチをなんとかしてください」と言ってきたことがあったよ。
石毛: 永射さんは選手会長でしたからね。あれは当時、ゲームが終わった後、全員が集まって反省会をしたんですが、
森さんがまた、ああでもないこうでもないと、チクチク言うんです(笑)。それが選手には面白くなかったんですよ。 ヤクルト時代は森は嫌われ者を買って出ていたし
そういう姿勢を広岡も評価していたからこそ、
森が放逐されたことを良しとせず広岡も後を追うように辞めた
それが西武ではああもこじれるんだから名誉欲と自己顕示欲は
つくづく人を狂わせるんだなと 能力面は個人の価値観それぞれだからどちらが優れてるかは置いといて
人格面においては
その後一応横浜からオファーからあった森と
80年代最高の名将と言われながらも結局その後は現場に戻ることはなかった広岡
これが答えだと思う 森は巨人の選手だった頃から嫌われ者で
ONも森を毛嫌いしていた ドンも森を降ろせるなら降ろしたかったらしく捕手取りまくってたけど
ことごとくモノにならなかった、森自身が奸計で新人を潰すようなこともあったみたいだけど 巨人時代の話を持ち出すなら川上に村八分にされていた広岡に
ナインの中で唯一手を差し伸べたのが森だけだったことも挙げてやらにゃ
広岡にとって生涯でトップクラスに嬉しい出来事だったと思うぞ
ヤクルト時代に森のクビにキレて自身も辞めるなんて選択するくらいだし、固い絆で結ばれていた時代もあったのは確か 野村と高畠,とか嘗ては強固な絆で結ばれていた関係が崩れるのは
何とも寂しい話ではあるが、人間いつまでも同じ立場のままではいられない
って事なんだろうかね 杉浦、広瀬らと違い皆川が最後まで野村と友情を保っていられたのは
仕事の関係では関わらず、あえて距離を置いたからなんだろうな
プロの世界で揉まれていく友人の変化・心情を悟った上で >>941
>森自身が奸計で新人を潰すようなこともあったみたいだけど
大橋勲だね
「私は何一つ教えてもらえなかった。
あらゆる手段を使ってライバルを蹴落とそうとしていた。」と森について言っている >>945
ブロってそういうものじゃないの?
ライバルにポジション奪われたら仕事なくなるじゃん 江夏が森が嫌われ役してた時に
俺だってこんなことしたくないって呟いてたのを聞いたって言ってたな
江夏は広岡と金田と吉田は事あるごとにボロカスにいうが
森の嫌な部分も見てきた割には批判をしないな
むしろ秋山のバク転みてその試合に関係のない広岡を非難してた
清原も工藤も秋山も森を批判してるのを見たことない 自分で競馬場に誘い出しておいてそれを川上にチクって謹慎に追い込むのは
果たしてプロのやり方なのか… >>947
江夏の判断基準はまず自分に優しいかそうでないかだから… >>948
確かに卑劣なやり方だが、ポジションを奪われて貧しい生活に逆戻り
なんてのは貧乏な幼少期を過ごした森にはまさに恐怖だったろうな。
とても共感は出来ないが責める気にはなれない。
もし田淵が巨人に入っていたらさすがにいびり出すわけにもいかないし
どうかウチには来ないでくれって思ったろうな。 >>950
ライトのコンバート。 これ考えたら浩二が残ってたら田淵より指名するという
考えはなかったのかな >>951
カープと相思相愛だし、大学出ながら守備・走塁はともかくこと打撃に関しては即戦力って訳じゃなし・・・・・と、無理してまで取りに行くほどでは無いって感じ
じゃ?
当時、巨人の外野陣は柴田・高田に、末次、柳田etc.と豊富だったから。 野村が著書で書いてたがオープン戦で田淵を見て
「こんな奴が南海に入団したらヤバかった」と青くなったそうだ
当時の田淵は太る前で守備も素晴らしかったそうだ
掛布と佐野みたいに引退後はお互いに
「佐野さん(掛布)を意識していたから自分はプロでやっていけた」と言う
爽やかなライバル関係もある >>954
もし南海が田淵を獲れたら、鶴岡監督は当時球界の顔だったノムさんでも
一塁にコンバートして田淵にマスクをかぶらせるつもりだったとも言うしね。
巨人に入ってたら森最大のピンチだったろう。 そもそも田淵が入ってくる時には森は完全に下り坂
キャリア的にはそんなに変わらんよ
ただトレードに出さられるかしらんけど
巨人で終わったからその後のキャリアもあるだろうし
逆に阪神に入ったからヒゲ辻が犠牲になった
これはもう運命だよ >>952
法大3羽ガラスというくらいだし田淵クラスとは言えないまでもそれなりにすごがったんでない
のかな?? もしかして富田のほうが序列上だったのかな当時は
1個下の荒川と谷沢と比較してどうだったんだろう >>957
そう富田の方が上だった。
だから田淵は巨人、富田は阪神が既定路線と思われていた。 ピーコが本格的に打撃開眼したのは30代に差し掛かってからなんだよな
それまでは250 20本の打者だった >>955
ヒゲ辻は吉田派で村山とあまりいい関係ではなかったのも影響してる
実際吉田が復帰すると兼任コーチとして呼び戻されてる 巨人が山本浩二をとってたらうまくあてはまった
長嶋が引退した74年
75年の初の首位打者山本浩二
80年王さん引退 81年原入団
86年山本浩二引退 吉村開花
93年原衰え 松井入団 吉村が怪我してないという条件なら
落合とってもポジかぶらず ピーコは腰痛持ちで本来なら休み休み起用されなきゃいけないところ
チーム事情でフル出場させられて、身体に負担の少ないフォームを模索して
結果打撃開眼したとか、だから巡り合わせってやっぱ大事だと思うのよ 田淵も1年目から一塁手での起用もあったし
ちゃんとした捕手がいるチームなら早々とコンバートされたかも 田淵が巨人に入ったとして素材的には一流の捕手だが野村が言う性格が捕手に向いてない、優しすぎるなど、
この性格が当時の森のイビリに耐えられたか?どうかだと思う 「すすめ、パイレーツ!」で試合に出れないカベ捕手が
「私は実力はあった!大学時代は名捕手と言われたものだ!
これは誰かの陰謀なのだ!私が力をつけると自分の立場が危うくなる誰かの!」と
犬井に訴えてたが森はまさに犬井けんたろう
しかし当時の巨人を見ると「そんなに森の事が不満なのか?」って位に
毎年捕手を獲得しているのが凄い
ドラフトが無かったら田淵も間違いなく巨人入団だっただろうしな それが巨人流の危機管理であったのと同時に、他球団に有能な捕手が行かないよう囲い込みって面もあったろうな。
そんな巨人が田淵を取り損なった翌年のドラフトで大矢明彦を指名しなかったのがちょいと解せない。
ヤクルトでもドラフト7位と下位指名だったから、それより上位の指名は容易だった筈だが。 >>970
後出しジャンケン過ぎるw
早い話、大矢はノーマークだっただけでしょ
ヤクルトだって所詮は7位扱いの評価だし
それ言い出したら「なぜ?ドラフトでイチロー獲りにいかなかった」
とか言ってるようなもん >>971
今で言えば育成から正捕手になった甲斐みたいなもんだろうね>大矢
7位ってドラフト外入団と大差ない 今週の週プレ面白かった
今監督すると参謀は誰と言われればやっぱり森しかいない
それほどまでに優秀な人材だって
あと安田がシーズン初めの決起集会で普通はビールのところヤクルト出されてずっこけてたり
八重樫が大量のコーラ入れてその中に歯をいれて溶けていく様を見せつけられたって 森も大橋も川上のスモールベースボールには全く合わなさそうだけどな
大橋はその場で森に呼ばれたと弁明すればいいだけだし
大洋でも結局活躍できなかったからなぁ むしろ大矢を見出したヤクルトのスカウトを褒めるところだろうね 西武がまた恥をさらしたが広岡さんのご感想はいかがでしょう まあ広岡は一貫してCS反対だからね。
今回も西武が負けたことに対してはまたCSについて語るかもしれない https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191014-00000120-spnannex-base
【杉本正 視点】多彩な起用を可能にしたソフトBの選手層の厚さ
あまりに酷い解説で笑ってしまった。投手出身なのに投手についてほとんど
言及してないし、西武の敗因を全く触れていない
西武に媚びたってコーチで呼ばれないだろうし、継投について言うと
お前が言うなと感じだし この人本気で原より自分の方が優秀な監督と思ってる? >>980
原が当時のヤクルトや西武を優勝させられるとは思えないが。 >>981
広岡が今の巨人を優勝させられるとは思えないが。 廣岡の優秀監督の基準は弱小チームを育成し強くすること
だから川上<西本になる 呉なんて狭いし美能組長ともわずか7歳差だから幼いころから知己だったりしそう。
美能組長も両親教師で呉宮原高だし。 >>984
まぁ巨人の首脳としてそれなりの成績残すためにあの界隈を取り巻く魑魅魍魎と渡り合うにはある種の鈍感力みたいなのは必要だろうねぇと考えるとどうなんだろうか
広岡は巨人にとって魑魅魍魎の側であることは少なからずあっただろうけど自身が魑魅魍魎とやりあえるかどうか >>985
西本・広岡対決が1シーズンも無かったのは残念。
短期決戦なら広岡有利かもしれんけど、シーズンを通しての対戦なら
両者の駆け引きが面白そう。 森のライバル潰しの話題にシンクロする文章だ
「国鉄の金田正一」を忘れるな - 広岡達朗
https://blogos.com/article/410228/
当時の巨人ナインは国鉄の「金田天皇」がどれだけやれるか、
お手並み拝見という冷ややかな態度だった。
それまでの生え抜き選手は、死に物狂いの練習で
やっと名門のレギュラーを勝ち取ったというプライドを持っていた。
それだけに投手も野手も、一度手にしたポジションを
他人に奪われないために命懸けの努力をしていた。
こういえば排他的な集団に聞こえるが、本来プロとはそういう世界なのだ。
いまのように、自分の仕事を奪うライバル選手でもハイタッチで
迎えるような仲良しぶりは信じられない。 >永久欠番は長年そのチームに貢献した選手を顕彰するもので、
>ヤクルトこそ金田を永久欠番にするべきだ
もっともな話だと思うが、私を誰だと思ってるんですかの件でチクリと嫌味感が 金田は10年選手制度を使って移籍したし
スワローズは→サンケイ→ヤクルトで別チームになっちゃったからね
現役時代を考えると王がホークスの顔で野村がヤクルトのOB扱いってのも
妙な感じだ 直近で結果残したチームのイメージが強くなるのはしょうがない
広岡だって西武時代が一番印象強いわけだから 永久欠番にしないまでも左腕投手につけてもらってほしい
野村監督の頃 クラークだっけな 外野手につけさせていたのにガッカリ
球団も野村も何やってんだよと ライオンズ時代、二年目の秋山の背番号を24に変えたのが広岡の意向だとしたら
福岡時代の歴史を無視するチームに反して、稲尾の背番号をせめて期待の若手に
という考えだったのかもしれんね。現役時代は黄金時代の西鉄と戦った当事者
だったわけだから。 金田本人が国鉄OBではあるけどヤクルトOBでは無いってスタンスだったんだからいいじゃん 原以下のコーチの教育が悪いな
ソフトバンクとはえらい差だ 広岡門下生の工藤 レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。