広岡達朗/廣岡達朗 その9
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監督時代の広岡氏は少なくとも最新理論と照らし合わせた上での発言・実践だった筈だが。。。。。。。、この手の先駆者だった人が言葉足らずとは言え、
時代錯誤とも思える発言をしてしまうのは悲しいなあ。 水に関していえば、また指導者が選手に丸投げ状態だからじゃない?
どの程度水を飲まなくちゃいけないか?
野放しになったら、そりゃがぶがぶ飲んじゃうじゃんか >>798
辻が凄いのは投手コーチ小野和義という点も 広岡とダルって本来なら相性はかなり良いはず
やっていること、見ると、広岡って最新厨だったんだよw
40年前にヤクルトの選手にウェイトレやらせたり、
自然食、玄米で、ダルなんか好きそうじゃないか
広岡はマイナー球団持っていたり、日米野球サミットやったり(そのとき
バレンタインと知り合いになった)
ダルが20年、25年前早く生まれていて広岡が監督だったらあるいは
信者になっていた可能性も?
ただその後、ロッテのGM辞めさせられた後広岡がアップデートできなかった
それが残念 広岡の本にも、最近はやたらに水分を取れとうるさいのは如何なものか?とあるわ
スポーツのみならず
広岡の見解では、ドリンクのメーカーが商売のためにマスコミを使って仕掛けたステマではないか?と >>805
ダルはササミにブロッコリーだろ?
食餌管理とか、一昔前のボディビルダーくらいの知識や意識だから大したことないよ >>764
ノムは京都でも市内でなく日本海側の田舎だから
メンタル的に北陸とかに近いんじゃないの?
だから楽天の監督は似合っていた >>778
広島なら、初代ミスタータイガースの藤村富美男、
関西球界のドンNPB最多勝監督の鶴岡一人。
二人とも強烈なキャラの親分衆。 ノムの本に「広岡さんはクールと言われるがとんでもない。めちゃくちゃ熱いホットな人だ。」とあったな。
アメリカでキャンプをして、選手が風邪を引いた。
現地の医者に見せてら、アメリカ式に水風呂で冷やして熱を下げろと言われた。
そうしたら、広岡はその選手と一緒に水風呂に入ったと。
とにかく、やたら気合いに入った人で、決してクールではないと。 確かに野村のねちっこさは京都人のそれとは別種な感じがするな >>810
松岡修造も中村天風シンパだから、昭和の修造が広岡なのかな? >>795
複数年契約するな
やるなら成績で減額できるオプション付けろ
投手は手術するな 宮崎 康之氏(みやざき・やすゆき=元早稲田大野球部監督)8月26日死去、88歳。葬儀・告別式は近親者で行った。
旧制小倉中時代の47年に夏の甲子園大会で優勝。早大に進学し、内野手として広岡達朗氏(元西武監督)らとプレーした。
社会人野球でも選手や監督として活躍した。 鳥谷を斬った阪神のフロントには何かコメントしたの? >>810
居合いや合気道にのめりこむ
西武の監督のとき「飛び掛ってこい」と言って突っ込んできた
大田卓司を吹っ飛ばす ベンチ裏でふがいない
ピッチングした渡辺久信に周り蹴り
松沼兄の形態模写をしていて松沼の腕を
持ち上げたまま投げ飛ばす かなり武道派
この前昭和45年の野球雑誌読んだら、広島コーチ時代には広岡の命令で
飲酒の禁止、練習中の水の補給を禁止していたらしいよ
広岡当時30代
だから、ダルビッシュが広岡の「水の飲みすぎは駄目」って反応して
老害とか言っている人がいたが、大間違い。むしろ49年前よりやさしくなっている ピッチャーが手術するのに反対というのが何気に一番イミフ 現役時代はトミージョン手術とか夢のまた夢だった人だから
そこは理屈じゃなくて皮膚感覚で語ってると思われ。 廣岡のひいお爺さんの世代なら写真撮られると魂取られるみたいな感覚か 鳥谷の阪神からの引退勧告、U18での佐々木の不完全燃焼パフォーマンスと
いろいろ語ってほしい内容あるんだけどないね 実兄の広岡富夫は達朗と違って、普通の人という感じだったな。
以前何かでインタビューを受けているのを読んだことがあるが。 人格形成は幼少時の影響の方が大きいのは確かなんだろうけど、
川上に受けた仕打ちとか対応とか本人には大きかったんかな
野村が鶴岡のせいで歪んだみたいなこと言ってるように >>824
気になるのは、川上監督在任中、中村稔投手を殴打したとして巨人を追放された別所コーチ(別所本人は亡くなるまで殴っては無い
と主張し続けた)といい、広岡といい、チームが優勝争いから脱落したシーズンに起きているのよね。
当時、別所は川上に取って代わる監督候補、広岡は川上の跡を継ぐ監督候補と目されていた点も同じで。
川上監督在任中で日本一を逃したのはその2シーズンだけな事もあって、川上監督若しくはその側近が、有力なライバルとなりそうな監督候補を
チームの和を乱すとして追放する事で自己保身を図ったという観方が当時から今現在まで根強くある。
湯口事件も含め、川上監督在任中の巨人は、えも知れない暗がりをどことなく感じさせる側面も確かにあった様に思う。 >>823
高校野球解説してる廣岡資生はこの人の息子? 「鳥谷よ、阪神で死ね」か
そこから日本球界の契約のあり方に言及とか、大体予想の範疇やね >>827
あ〜でも広岡も鳥谷の事心配してんだね。なんだかイチロー引退の時とだいたい
同じようなコメントだね でもこのコラムいつもより愛情を感じる言い回しだと思う ハンカチにはコメントないのかな
高校時代は亀田と比較して褒めていたけど なに言ってんだ、今更コラムでハンカチの話題もなかろう
世間に話題でなけりゃコメントしようがないだろ 今季引退する選手で言及するのは阿部ぐらいか。
巨人初の捕手出身監督についてはどう思っているんだろ? 未だに2番坂本否定してるんだもんな
そして2番はバントしろだもん
そこまでして逆張りして広岡さんは何がしたいの? 早大が開幕3連敗
とりあえず小宮山への苦言かな、髭剃れみたいなとこから 人生のほとんどを「2番はつなぎ」で野球してた人だから変えるのは無理だろ
それに2番に強打者は西鉄の三原監督が豊田でもうやってるよ >>839
つまりは「パワー勝負に挑んだって、国際試合でアメリカや中南米に勝てっこ無い。」って言いたいんだろうけど。
往年の早大ラグビー部の重鎮・大西鐵之祐が同様の理由で、早大伝統のバックス重視戦術に固執していたのと似たようなもんかと。
早大系は我々が日本のスポーツ界をリードして来たとの自負からか、どの指導者も日本古来(柔道とか相撲とか)の「小よく大を制す」スタイル
にこだわる傾向がある様な。 でもそうだと思うよ。特に短期決戦は、NPBも歴史上、
V9巨人、上田阪急、古葉広島、広岡西武、森西武、野村IヤクルトID野球と。
王や長嶋、山本浩二や衣笠、秋山清原よりどちらかと言うと高田土井、辻平野ら送るメンバーが充実しる
見事なまでに小技重視の1,2番が送る野球が3期以上の常勝球団になり日本シリーズを制してる
逆に、1985年阪神やいてまえ打線の近鉄や第2期の長嶋野球は豪華な選手の顔ぶれほど優勝してない
それなのに歴史からして小技を使う野球が短期決戦強いと解ってるのになぜか?
国際大会になると選ばれるメンバー、又は監督はそういう人選選ばない 監督の人選からして小技重視なら普通、長嶋、中畑、王、星野なんて選ばない
ましてや采配について未知数な小久保、稲葉なんて選ぶ時点で大味な野球する気満々でしょう >>843
そういう4番がいたからこそバント者がいきてる。 広島にしても91年・中日にしても
99年は負けてる。 西武の97年98年
>>844
星野とか王はバントばかりさせて勝てる試合落としてる。 日本の選手はパワーが足りないのではなく動く球を当てる技術がないことに
気付かないんだよね。 大谷とか練習では飛ばすけど試合では??
それはパワーでなく実戦で当てる技術がないんだよ
井端とか宮本に技術があっても長打打てない。 筒香クラスなら技術だよ 王も星野も采配で勝つタイプじゃないからな
王は「王貞治」という存在で求心力を得て勝つタイプ
星野はチーム内で政治力を発揮して戦力揃えるタイプ >>842>>843
今回の話で広岡が代わりに2番に使えと言ったのが若林と田中俊太だから全く理にかなってないんだわ
坂本より塁に出れなくてバントすら坂本より下手な選手を2番に置けばもっと勝ってたと広岡さんは言ってるわけ 坂本は単なる強打者じゃなく繋ぎもケース打撃も出来るから2番に置いてるわけ
ようするになんでも出来る打者
巨人で他に適任者いるの?って話 西武時代のヒロさんも2番に20本近く打てる山崎や石毛をよく起用していたけどね 宮本や元木みたいなタレント起用する巨人に🏆は無い(笑) 三原は2番に豊田置いてたけどあれにも難癖付けてるのかな >>843
85年阪神は北村と平田が25犠打、弘田が23犠打と
要所ではしっかり送りバントして決してただ打つだけの野球じゃなかった >>504
東尾が言うに、確かに食べ物には気を使ってたそうだが
その半面飲んで飲みまくってたらしい
それが医者に断酒させられてた江夏の気に障ったんだろうと
この人はノムさんらとは違って、本質は破天荒な出しゃばりタイプなんだと思う
自頭の良さと引退後の評論家生活の中で処世術は身に着けてはいるけど
だから同系統で要領のいい東尾らとは気が合った半面
神経質で愚直な江夏とは致命的に合わなかったのではと 江夏は野村の事は恩師と呼んでるが広岡についてはいまだに悪く言ってるな
西本幸雄と一緒に野球をする機会が無かった事が心残りだと言っていた
確かに西本とは合いそうだ >>855
江夏と相性が良かったのは大沢親分と古葉か、ノムとは指導者としての系統が
少し違うように思うけど、両者とも根は繊細な所で意気投合したのかな? 上手い言い方が見つからないけど、多分『雑』なタイプや一本気なタイプとは
相性がいいんだと思う、お小言を聞き流せるようなね
広沢もそうだったし 打てば響くタイプとは割と合うことも多いと思う >野村
今岡みたいに貯め込むタイプとはからっきし >>857
南海の三悪人(江本、門田、江夏)に比べたら
山崎武司なんて全然たいしたことがないと言ってたな
江夏に抑え転向を承諾させるのは大変だったそうだ
70年代は先発>>>>リリーフって思想の時代だったから そういえば、広岡が亡くなられたときの伊良部や森慎二について語らないね
伊良部はともかく、森にたいしてラジオで散々「なんだ<あの髪の毛は!切れ!」
って言ってて、なんか負けが続いたときに森が坊主にしたら、やたら機嫌よく
「男前になりましたねえ」と、そこで横にいた岩田明美が「もともと顔はかっこいいですからね」
とやり取りしてたの覚えがある >>854
>だから同系統で要領のいい東尾らとは気が合った半面
>神経質で愚直な江夏とは致命的に合わなかったのではと
東尾と気が合うとか、全然知らないだろw >>837の八重樫のインタビュー
工藤や渡辺久信も「最初の監督が厳しい広岡さんで良かった」ってニュアンスの事を言ってるね
若松、大杉、江夏みたいに地位を確立していた選手は
「なんで今更高校野球みたいに扱うんだ?」になったのかも
八重樫 前回も言ったけど、僕自身は「とにかく自分には厳しく」というタイプだったから、
むしろ広岡さんの野球とか考え方と合っていたと思いますね。まだ中堅選手だったというのもよかったのかもしれないな。
もしベテランだったら、自分なりの考えとかポリシーとかが出来上がっていて、広岡さんに反発心を持ったかもしれないからね。
――そういえば、1980年代のエースとなる尾花高夫さんも、「広岡さんの教えは自分の考え方と合っていたし、
新人時代に広岡監督に鍛えられてよかった」と言っていました。
八重樫 当時の尾花はフィールディングに難があったんですよ。バント処理の練習をしても、彼はいつもサードに暴投ばかり。
広岡さんの場合は「できたヤツから、終わりにしていい」という考えだから、尾花はいつまで経っても終わることができない。
それでも、イヤな顔せずに黙々と練習していましたね。そのおかげでしょうね、彼が成長できたのは。
【プロ9年目の1978年、ついに悲願の優勝を実現!】
―― 一方、当時ベテランだった若松勉さん、あるいはパ・リーグ時代にすでにタイトルを獲得していた大杉勝男さんたちは、
広岡さんに対してかなり反発したんじゃないですか?
八重樫 若松さんが反発したのは、「お前なんて、他球団に行けばたいしたことないんだ」って言われたから。
ある時、若松さんが肉離れを起こして二軍行きを訴えても無視されたんで、
「筋が切れてもいい」という思いで全力疾走したのに、「意外と切れないものだね」って思ったらしいよ(笑)。
大杉さんも、いろいろ不満はあったみたいだね。 >>862
実際の関係はともかく野球小僧のインタビューで色々当時のフォローは入れてたな
肉食べるな→肉だけじゃなく野菜も食べよう
禁酒→本人が酒好きなのであまり強くは言われなかったらしい
とにかく肝心なことを言わないから誤解されるし、後で解こうともしないから
拗れるんだろうな 就任直後の「肝心なところで打たれて、10勝すれば10敗するのがエースやってる」発言
82前期の優勝争い過酷な中、登板機会を与えず干す
83年の八百長発言
83年のオールスター推薦外し
これだけやられりゃそら人間性を否定するよ。
江夏と違ってまだ大人な分、表層的な部分だけ取り繕ってただけで。
最初の著書「私の野球人生」では皮肉たっぷりに広岡をこき下ろしている >>865
後に麻雀賭博で捕まることを考えると正鵠を得てる気がしないでもない… 山崎の名前は挙がってないから山崎は本当に気に入ってたみたいだな
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/41225?page=3
田淵:はっきり言って、私は広岡さんのことをあまり好きじゃありませんでした。
広岡さんが就任したばかりの秋季練習で、みんなを集めて、こう言ったんです。
「この球団で最高給取りがいます。その選手が守れない、走れない」。これが第一声でした。
私は今でも忘れられません。
二宮:それは田淵さんのことを指していたわけですね。
田淵:名前は言わないんですよ。でも、みんなが私の顔を見た(笑)。
次に広岡さんはこう言った。「いいピッチングをしてもね。最後には打たれて負ける」。
これは東尾(修)のこと。そういうふうに大田(卓司)、石毛(宏典)も、めちゃくちゃに言われましたよ。
それが最初だったので、広岡さんには冷酷、冷徹というイメージをずっと持っていましたね。
二宮:反発した選手も多かったのでは?
田淵:正直、“これで野球人生終わったな”とも思いましたよ。
ただ、みんなでロッカーに集まった時に「あんなこと言われたら腹立っただろ?
みんなで優勝しようや」と話したんです。「優勝したら、みんなで監督を胴上げする。
その時に3回胴上げして、4回目は手を離そう」。それが私たちの合言葉でした。 >>866
あの頃に今の広岡がいたらウキウキで東尾をボロクソに叩いてるだろうね
で、最後に「そんな環境にさせている今の監督が悪い」で締めくくる
まだ巨人軍監督の目があったから、あの頃の広岡はいまほど過激なことは
言っていなかった >>867
ブチはその後広岡管理野球をそのまんまダイエーに導入しようとして大失敗するんだよな
口癖は西武では〜だったそうだ 「松坂がダメになったのは入団当時の監督が教育に失敗したからだ」
これ絶対言うと思うね! 松坂が西武入団した頃広岡がラジオ番組
やっていて覚えているけどその頃から
東尾の起用法に批判的だったよ。
145球投げさせてかんとうさせたことや
で松坂は投球フォームが???壊れるって
ずっと言っていた。ついでに巨人の
条辺も 広岡さんは日本一決定の最後の場面では
森や小林を使わずに東尾を起用しているから
エースに晴れ舞台を用意する気遣いはあった。
オールスター戦から外したのは
週刊誌等で騒がれたからクリーンイメージを
大切にする西武所属の選手なら仕方が無いのでは。 >>867
山崎は田淵と同じ年と思えないほど動きが良いとか言ってるくらい >>872
気遣いとか晴れ舞台とかそういう人間味のある話じゃなくて
単に勝つための戦略上の問題だろ
当時の日本シリーズは三人先発がいれば廻せて当時の
東尾、松沼博、松沼雅、高橋直、杉本
五本柱から適性を考えて3人選べば残り二人は必然的にリリーフに廻る。
森繁がシリーズでは想像以上にグダグダだったから東尾に過度の出番が回ってきただけ 広岡東尾の関係は東尾が大人の対応で球団史で
「広岡監督が来なかったらその後の西武はなかった」
といってるんだからもうそれでいいんじゃないの。
監督やったときに若手の猛練習以外は広岡流とは正反対なやり方したのが
東尾の広岡観の全てだと思うけどね >.>867
近鉄時代の仰木も胴上げの時落としてやろうって選手たちに囁かれてたらしいね
仰木ですらそうなんだから監督業って大変なんだなあと 仰木監督は三原脩の「スターには甘い顔を見せて、それ以外には厳しく扱う」を
そのまんま受け継いだ監督だから、「スターでも容赦なくビシビシ言う」広岡とは
また別の不満が溜まってたろうね 広岡の仰木評ってどんなんだろうね?
水原の薫陶を受けてる広岡が三原野球を受け継いだ仰木をどう評してたのかは興味があったり
個人的には広岡は戦略家で仰木は戦術家という印象
で、広岡は多分戦術タイプの指揮官をあまり良くは思わない傾向がある感じがする >>876
仰木の時は投手陣の間で
「権藤コーチを先に胴上げして仰木は無視しよう」って話が出てたって聞いたな
工藤が掲げた方針を見ると現役時代は新人類なんて言われたが
指導者としては広岡から影響されているんだと思う
「野球選手である前に社会人としてきちんとしろ」とかね
https://toyokeizai.net/articles/-/62449
その手綱さばきに注目が集まるが、新監督がまずもって打ち出した方針は、技術向上でなく、意外にも規律を遵守することだった。
新生ホークスでは「茶髪」「ガムかみ」「つばはき」「ネックレス」はNGになった。その理由を問われた指揮官の答えは明解だった。
工藤監督は「ぼくがユニホームを脱いだ後の3年間で学んだ大事なことです。プロ野球選手である前に社会人ですから」といって説明を加える。
「サラリーマンが営業にいったときに茶髪だと、先方さんの印象が違うじゃないですか。
会社でガムをかみながらパソコンの画面に向かっているのもどうかと思います。
つばを吐くのも、ユニホームからネックレスがでるのも、みっともないです。できればヒゲもそろえてほしい」 工藤って現役の頃からかなり辛辣な言動が多かったからな、ちょっと広岡と重なる部分もあるのかも 広岡は1年目から工藤のことかわいがってたから何か感じるものがあったんだろう 工藤は30年近く現役を続けられたのは、食事や生活態度において、広岡監督の指導を
守ったからだと述べており、広岡に感謝している。
広岡監督時代、工藤はまだ若手だったので、広岡の指導を素直に聞いたのだろう。
広岡は選手たちに、「自分が食事や生活態度にまでうるさく言うのは、諸君に長く現役を
続けて、金を稼いでほしいからだ」と述べている。 工藤本人が不摂生で大きく成績を落とした時期があったからね 広岡監督が来る前の東尾は一流投手だけれど
優勝経験が無く、通算成績で約20の負け越しが有ったから
鈴木、山田、村田よりも一段落ちる立場で
平松や松岡よりも下の評価だった。
広岡監督時代に借金を返済し、日本一とMVPも達成して
歴史に残る大投手になった。 工藤は自分が知ってる中では初めて胴上げ優勝の際にTV意識の
バックスクリーンに向かってバンザイで飛びあがる元祖では?
それぐらい当時は新人類と言われるぐらい破天荒で当時まではみんなスーツ着用で
新幹線移動の中工藤だけ当時流行りのDCブランドで移動とかかなり、今でいう「ヤバい」奴で
ラジオやTVでもコメントはいい加減で常にウケ狙いみたいなギャグを言う性格だったのが
何時頃か?気難しいアスリートタイプになってしまった記憶がある
昔のいい加減路線も好きだったけどなあ〜変な売れない芸人より面白いこと言ってたと思う ホークスの頃くらいから後輩にかなりキツい言葉で指導してたのを見たことがあるな
俺はこの練習を毎日1000回やったから、オマエらは5000回やれ
そしたら俺の1/10くらいはやれるようになるからとか
あと子供に呼び捨てされて工藤さんだろうが!とマジギレしたりとか
その後笑顔でサインに応じてたけど 上にもあるが尾花も広岡の事を恩師だって言ってるね
新人時代に出会えば素直に言う事を聞けるが
江夏や大杉クラスだと
「なんで今更高校球児みたいに扱われねばならんのか?」になるんだろうな
別ジャンルの話だがコージー・パウエルが
「ゲイリー・ムーアの野郎は俺に叩き方を指図しやがった!
リッチー・ブラックモアやデヴィッド・カヴァーディルにも言われたことがない!」と
怒ってバンドを脱退したのにも近い 工藤は88年から3年位低迷してそれまでの陽気さがなくなった感じ
周囲がバブルだトレンディだと踊ってた時期なので余計沈んで見えた 大杉は後任の武上とソリが合わなくて
その反動か後に自伝で廣岡を持ち上げてたよ >>889
なんだかんだで優勝させて貰えたからね、マニエルやトンビも指導する立場になって
初めて広岡の考えが理解できたって言ってるし、理解した上でどうアレンジするかなんだろうな
で、工藤だけど,桑田の猛練習を眺めながら若いねぇ〜俺には出来ないよ
って感心してるようにテレビでしゃべってたけど、内心は鼻で笑ってたんだろうな
悪いとまでは言わないけど、あんまりいい性格ではなさそう >>886
呼び捨てにされて注意するのはイチローもやってたな。
あっちはもっと穏やかだったけど。 工藤って根っからの一匹狼体質なのか、または桑田がそうなのか一見、お互い野球理論派だから
仲良くなりそうだけど同じチームになりながら桑田とはまるで接点がないよね >>892
西本聖と桑田は仲が良かったね
西本の引退試合には、桑田真澄、山本昌広、中村武志、立浪和義、平井正史と
なぜか長く現役を続けた選手が多く集まった >>892
桑田は理論家というより理想家だからな
現役晩年に差し掛かってもまだ若い頃と同じ練習メニューをこなしてたりとか
工藤にしてみりゃ現実見ろやってことだったんだと思う 食事改革の先駆者だったんだね
小宮山も「ロッテに入団して食事の豪華さに吃驚した」と
回想している
八木沢荘六氏「懐の深い人でした」恩人金田さん悼む
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191006-10061280-nksports-base
金田さんが監督時代に、いくつか改革をされました。特に体作り。2月のキャンプ中の食事がガラリと変わりました。
和洋中と何でもそろい、豪華になりました。
その話が他球団にも伝わり、今ではどの球団も食事には力を入れていると思います。
あとタバコはダメ、冷房もダメ、試合の飲み物は冷たいものは禁止で温かい水やお茶を飲んでいました。
体力を消耗するものはやってはいけない、という教えでした。
野球については、フォームなどを矯正されたことは1度もありません。選手の個性を尊重してくれました。
私にとって恩人ですから、非常に残念です。 他球団にはトレーナーが1人か2人しかいなかった時代に
カネやんが第1次監督のロッテにはトレーナーが5人ぐらいいた。
本拠地を持たないジプシー球団なので選手の体のケアを慮った。
(自分専用のトレーナーを雇うとカドがたつのそういう名目にした…という話もあるが) 内海の300勝投手のカネムラさんの件でお怒りになって球団史講座開かれてたけど、
当人同士もそれなりに仲良かったのかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています