記録更新がほぼ不可能な記録
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>>382
この年は長嶋が
打率.269(10位) 本塁打22 打点105
で打点王は長嶋なんだな
王とは逆に打率も本塁打数もすごくはないのに長嶋の打点がやけに多い
王の打点は長嶋に次ぐ2位で長嶋に三冠王を阻まれた形となってしまった >>384
デストラーデは秋山清原がホームラン打ってランナーなしの打席が多かったからか >>387
1968年池田純一10本19打点というのがあるけど、どうかなあ >>392
ホームラン以外の打点はどれくらいだったんだ シーズン100敗以上
2005年が今の試合数ならありえたが >>394
昨年のヤクルトを見ると、あり得なくはないように思える。 >>394
ゾーゾーが新規球団立ち上げてそれにより16球団構想が現実になったらありえるかもしれん >>397
そうなったらシーズン99勝の更新もありうるかなあ 大下弘の1試合7打数7安打
1試合で8打席自体相当難しいだろうから
追い付かれはするけど更新はほぼ無理 塩瀬の打率10割。
これを超えるには1打席2安打が必要。 ヤンキースの主砲という地位を築くのがそもそも不可能
誰も野球秀喜を超えられない ヤンキースで他の主力打者のおこぼれで1年目からタイムリー内野ゴロの山を積み重ね100打点達成した野球秀喜 >>406
1年目松井さんの「打点つき内野ゴロ」は9つだけ イチロー「大谷が初の日本人ホームランバッター」
野球秀喜への嫉妬極まれりって感じだな
全てを手に入れた喜と惨めに追放された自分
勝手に大谷を自分サイドの人間と思い込んで勝ち誇るとは堕ちるとこまで堕ちたな チームの一員としてNYに愛され枢軸として認められる必要がある訳だが?
田舎生まれ田舎高校田舎球団の大谷が王者球団に入っても精神崩壊して終わりだろ 松井さんが残した更新困難な記録といえば、
「MLB1年目に181試合(RS163+ASG1+ALDS4+ALCS7+WS6)出場」だな
MLB1年目に限定すれば、レギュラーシーズンの163試合だけでも更新困難 もっと単純に「初年度から名門枢軸で100打点」が既に不可能だろ
まずルーキーがヤンキースの主砲を任されること自体が異常なのに喜はプレッシャーを跳ね除けて平然と100打点だからな 日本選手初年度名門枢軸100打点
野球秀喜がオンリーワン 考えてみれば、
MLBでルーキーの年から10シーズン連続で打率3割、30本塁打、100打点以上を記録したのは凄すぎですね。 >>415
11年目も本塁打はクリアして、打率.299 99打点で連続記録ストップという 4試合連続2ケタ得点
5試合連続2ケタ失点
3試合連続コールドゲーム
いつの記録かわかりますか? もしかしたら西武が1シーズン100三振打者7人を輩出するかも。 >>418
さらに優勝した場合二度と再現不可能だろうな >>377
2014年3月29日
巨人の橋本到がオスンファンとの対戦で20球投げさせてた 長嶋のルーキーイヤーから6年連続最多安打(当時はタイトルではない) しかし
打撃系のシーズン記録はだいたい更新されてきたけど打点だけはかなりハードル高いな
161打点てやっぱかなり異常だな >>425
得点も塁打数も
長打数は今世紀に入ってようやく更新されたが、「神代の記録」はまだ残ってる 1950年の小鶴て人は何があったんだ?
ホームランも多いけどそれに加えて
あの伝説の異常な打点だった年の今岡並の
謎の運もあったのか?? 2013年のバレンティンも何があったんだ
それ以外の年は40本塁打もないのに >>427
このころはラビットボールが使われていた(この年一流どころの打者は大抵100打点到達してる)
あとこの年は2リーグ制元年で1リーグ8球団から2リーグ計15球団に球団数が激増した年
当然一時的に競技レベルは下がっていることは想像に難くない
元々一線級の選手や高い素質を持っていた選手にとっては数字を稼ぎやすい環境だったと思う 野球秀喜の巨人日本人50本塁打
しかも重要な場面ばかり 50年小鶴は85年落合並みに異常に得点圏打率が高かったらしいな 投手に関しては、今後チーム単位での不名誉(?)な記録の更新しかなさそうですね。
連続試合完投なし
連続試合先発投手に勝ちがつかず
連続試合先発投手が責任投手にならず
連続試合QS未達成
史上最低QS率
先発投手の投球イニング合計が史上最少
最多投手起用人数
など。 >>432
規定投球回数到達者ゼロは既にオリックスが達成済み。 >>434
2008年のドラゴンズも達成していますね。
川上投手の五輪派遣の事情があったにせよ、
チーム内最多投球回数が43歳の山本昌投手という状況が許されて良いのだろうか?
と当時思いました。 野球秀喜の名門のプレッシャーを跳ね除け規定到達どころか全試合出場 25年の大下は超ラビットなのに、13ホーマーしか打ってない。
24年は38ホーマー、26年は低反発級で26ホーマー打ってるのに。 >>435
山本昌が200勝達成した年か
43歳で133.2イニングで11勝7敗はすごい
40歳過ぎてもこれくらいやらなきゃ届かないっていう200勝のハードルの高さがなんとも >>435
2007年の阪神もいなかったから2年連続で達成だな 福本豊の6年連続リーグ最多盗塁死
歴代通算盗塁2位の広瀬叔功や3位の柴田勲は一度も最多盗塁死を記録してないし、
歴代通算盗塁死2位の高橋慶彦は78〜80年、82〜83年が最多盗塁死だったが >>439
2007阪神は久保田が年間90試合登板の記録を作ったときだな >>441
久保田の記録も今後更新されることあるかな
やろうと思えばできなくはないけど
価値あるかどうかだな 868本はアンタッチャブルな記録なんだけど、ルーキーイヤーの■■の成績に夢見たひとは多数いたはず。 2005今岡 146試合 .279 29HR 147打点 満塁打率.600 68年に一年だけ在籍したジムタイル(近鉄)の生涯8本塁打、7得点。 そういえば、シーズン(或いは通算)打率>出塁率な事例はあったかな >>447
調べてみたら80人くらいいました。
四死球0、犠飛1ないしは2で、ポジションは投手が多いです。
投手以外で比較的打席数の多かった人(40打席以上)を挙げますと、
2007 度会 博文(ヤ) 95打席 88打数 率.205 出.202
2014 ベタンコート(オ) 74打席 71打数 率.141 出.139
1990 君波 隆祥(ヤ) 70打席 68打数 率.250 出.246
1993 山下 和彦(近) 69打席 64打数 率.219 出.215
2000 森野 将彦(中) 46打席 45打数 率.156 出.152
2006 江川 智晃(ソ) 43打席 42打数 率.190 出.186
2007 坂 克彦(神) 41打席 37打数 率.189 出.184
2014 三ツ俣 大樹(中) 41打席 36打数 率.139 出.135
2013 福元 淳史(ソ) 41打席 36打数 率.222 出.216 野茂の4年連続最多勝もな
松坂も3年だった
高校野球だけど
桑田の甲子園20勝
中京商ー明石の延長25回 同じく高校野球だけど
1試合最多投球数336(明石中の中田)
1イニング最多与四死球14(71年選抜の報徳学園、対東邦の1回裏)。東邦はノーヒットで11点を取っている。 横浜商業の三浦の甲子園12勝でさえ更新困難なのに
桑田の20なんてアンタッチャブルレコードだわ
春夏連覇の松坂でさえ10でしかない 松坂は11勝だぞ(春5、夏6)。夏の明徳戦も九回だけ投げてその裏逆転サヨナラ勝ちしたから松坂が勝ち投手。 >>457
そうだった
調べたら荒木が12-5
島袋が11-2
春夏連覇でも11勝なんだから12勝の更新さえ困難だわ >>436
この頃から大振りのホームランバッターから川上のようなアベレージタイプへの打撃改造の最中だったのが大きいかと。
当時自身が綴っていた日記(徒然草日記)にも、川上に対しての熱烈たる思いが吐露されている様で。
1948年に.266 16本に終わったのが余程堪えたと思われるが、大下自身は苅田監督から「ホームラン狙いのバッティングで三振ばかり増やすなよ!
川上のような打撃が真のチームバッティングなんだよ!」と叱責指導されたのが切っ掛けと述べている。
それが1951年の.383 26本 18三振として結実する訳で。
それにしても、いよいよ無敵と思われたこの年のシーズンオフに退団引退騒動が勃発したのが(´・ω・`) 王の868本は不可能といわれてるが人間やめたボンズなら余裕で更新できたんだよな
満塁であるかされたり全打席四球でもOPS1.00だから歩かせろという指示と
打球の恐怖から殆どが勝負しなかったが
ボンズ2004
.362 45 101
四球232(敬遠120) 出塁率.609 OPS1.421
何かの間違いでボンズクラスが20代で来日して神宮ホームで15年やったらクリアできそう >>459
20勝1敗らしい
優勝4回してるけど2回戦敗けがあるのが痛い 相手エースは全員プロ入りしたとは言え
岩倉、取手二、伊野商と負けるとは思えない相手に負けたのが惜しい 甲子園通算20勝なんてほんと「こりゃマンガだ」っていうような数字だからな…… >>462
何か悪いことをしでかすか、故障でもしない限り、ないな。 五回の甲子園でPLは26試合を戦っているが、桑田に勝敗がつかなかったのは3試合。
一年夏の東海大一、高知商戦と二年春の砂川北戦。
東海大一戦は三年生の藤本が先発して八回から桑田が締めくくっている。四点差だったからセーブもつかないかな。
高知商戦は桑田が投げたときにマウンドに指を当ててしまい(本人談)、それが影響したか四回か五回かどちらかは忘れたがKOされている。序盤の大量リードが最後は1点差になったが逃げ切った。
砂川北戦はPL打線が6ホーマーした試合で知られている。桑田は登板しなかった。打者として2ホーマー。
その気になれば東海大一と砂川北には勝てただろうから実質は22勝3敗か。
いまは高校も分業化が進んでいるから大阪桐蔭ほどの強豪の投手でも更新は不可能だろう。 リアルドカベンは1978〜79箕島
田舎の公立校でリアル里中やミニ山田もいるし、プロに5人程行くし
能代や星稜戦はマンガみたいだった >>469
石井毅はアンダースローで里中だと思った
忘れた頃西武に入ったけど 大谷の10勝100安打20本塁打が
不滅の大記録じゃない?
メジャーから選手を呼んでも更新不可能 箕島のユニフォームは明訓に似ていたし。
78〜79年の箕島からは石井雅博(巨人)、石井毅(西武)、嶋田(阪神)、上野(巨人)と四人プロ入りしている。牛島からサイクルヒットを放った北野はプロに行かなかった。
石井毅は甲子園で14勝1敗。桑田に破られるまでの記録だった。
78年夏の能代戦、79年春のPL、浪商戦、79年夏の星稜戦と印象に残る試合も多い。
明訓も延長18回の試合をしていたよな。 箕島のユニフォームは鶴岡時代の南海ユニフォームを下地にしたものらしい。 >>471
大谷自身が更新
・・・してくれたら凄い そういや人気者の北野と上野山はプロに行かなかったな
この頃の箕島は総人口8万前後の有田郡民だけで越境スカウトの強豪校を破ってたんでなあ
KKより価値があって、今じゃ不可能 箕島と明訓の帽子はそっくりだった。
Mのマークも同じだった。
箕島が春夏連覇してしばらくしてからドカベンのテレビ放送が終わったのかな。 868本塁打(更新不可能)
2170打点(更新不可能)
3085安打(坂本が更新する可能性あり)
1065盗塁(更新不可能)
2390四球(更新不可能)
1967得点(更新不可能)
5862塁打(更新不可能)
400勝(更新不可能)
298敗(更新不可能)
5526.2投球回(更新不可能)
4490奪三振(更新不可能)
626先発(更新不可能)
365完投(更新不可能)
83完封(更新不可能) >>477
仮に坂本が国内だけで更新しても
メジャーから逃げて巨人に籠って達成したと
揶揄され、あの選手もメジャー行かなければ
とっくに達成したと言われるだけだろう 坂本は2500本までは順調に行けるだろうが
その先の500本積み上げるのはけっこう大変だと思う。
いずれはショートを田中にコンバートしそうだし。
サードは岡本、セカンド吉川。
そうしたら、その後はファーストに回るのかな。 王の記録は累計よりも年度別にした方がインパクトある
数字追いかけてったら途中で笑うしかなくなる >>478
「あの選手」は、>>477で「更新不可能」とされている5862塁打や1967得点も、
日米通算では上回ってるし >>482
未だにオリックスのCMに出ているその男は
もっと早くメジャーに行っていたほうが、
試合数が多い分、通算本数では上回っていたかも。 >>477
日米通算ありなら
イチローが抜いてるのもあるんだけどな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています