意外だと思った成績2
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王貞治が公式戦で一度も逆転サヨナラ本塁打を打ってない事 清原は、サヨナラ適時打・本塁打の数が最も多いが
全て同点の場面で打ったものである事。 >>198
そりゃあ当時のセの監督に逆転サヨナラの場面で王と勝負する男がいなかっただけ。そうだろ、西本さん。 >>197
92年は総合打撃指標によってはAKDが上位独占だった。 AKDだけだったらあんな強いわけないけど
セカンドショートキャッチャーと
打線の穴になるようなところが
軒並み3割とか2桁とか打ってんだから
そりゃ強い、投手も揃ってるしセンターラインの守備も固い
出塁しまくる上位打線とホームラン打ちまくる中軸とか負ける要素ない 全盛期の清原は三振が少なくて四球が多い理想的な打者だったから
今ならもう少し評価されてただろうに。 松井秀喜のメジャー通算175ホームラン
もっと打ってると思ってた >>198
掛布が公式戦で一度しかサヨナラ打を打ってない事 落合が日本ハム時代にもオールスターに出場していること むしろ最終年に20HR打ったことの方が驚いたわ
中日末期には20本打てなくなってたのに シコースキーのセーブ王。
中継ぎの印象が強かったので意外。 >>125
これは奇妙
97年の下柳のリリーフで規定投球回到達
仁志のベストナイン0 >>225
立浪・白薔薇・東出・荒木・今岡・ディアス・ラロッカ・浩康・平野 鹿取の最優秀救援投手。
「ピッチャー 鹿取」が流行語になり酷使された年ではなく、西武1年目だったこと。 >>228
ええ?一応、最多安打で世にブレイクしてからオリックス去るまで毎年で
ベストナイン漏れた事1度もないんですけど 96年のニールが32本しかホームランを打っていないこと 意外ってのは、そうだっけとwiki見直すくらいのことだよな。
なんかここまでほとんどわかってることばっかりで意外性がない。 >>217
バースは54本打った85年に後楽園で1本しか打ってない事の方が意外 それって1本どころか、全然打ってないんじゃなかった? 金村義明。
1982年入団後、即打者転向、
近鉄で順調にサードのレギュラーになったが、8年目の1989年のオープン戦に投手として1イニング投げてる。 21世紀以降に日シリ出場が最も多い球団は
巨人、中日、ソフトバンク(ダイエー)、日本ハムのそれぞれ5回ずつだが
21世紀以降は巨人とソフトバンクは日シリで対戦していない >>199
クルーンから打ったサヨナラホームランは
3点差からの逆転じゃなかったか >>227
巨人時代はクローザーいうよりセットアッパーだったから
セーブはつきにくかった
今みたいにホールド制度あれば何度も受賞
と思ったが
他球団も福間とか鹿島とかいたからな >>239
バースは後楽園ではつなぎに徹していて打点は掛布と岡田と佐野に任せていたと
日記に書いてあった >>210
バースも一度しかサヨナラ打は打ってない
しかも村山時代
破壊力の野球だっただけに
サヨナラ打するほどの競り合いが少なかったという事かも >>215
最後の年だけだから
20以下は
移籍してからはずっと20本塁打以上だった
でも三冠王には程遠かったが >>217
しかもそれが日本最後であり現役最後のホームランだったこと >>247
85年のバースの巨人戦の成績が.210、4本。
単に巨人投手陣と相性が悪かっただけだろ。 オマリーのシーズン最多安打146。150以上打ったシーズンは無し >>252
リードした9回1イニング限定だから、それほど不思議では無い。昨年のサファテは0勝。 佐々木はキャリアハイで12勝してるけど、当時の抑え投手の起用法なら
二桁勝つ投手も珍しくなかった。 長嶋って自分がサードなのにサードを軽視していたのか >>257
1992年 53試合登板 先発0 12勝6敗21セーブ 86年の阪神がAクラスだったこと
暗黒時代に86年入れる人がよくいる >>178
村田が巨人に6年もいたこと
もっと短いイメージがある >>259
95年平井みたいな成績やな
当時はリリーフが勝っていた
石本 篠原 岩瀬 野田の規定投球回到達で3勝
最優秀防御率の金田が5勝 具も5勝 イチローの通算本塁打117本
60本ぐらいだと思ってた 仁志の2002年 22盗塁 失敗0 盗塁成功率10割 中尾孝義が100試合出たのが1年目と2年目の2シーズンしかない事 史上最速候補筆頭の山口高志の奪三振率が意外に低いかな
奪三振王が一度もないし、連続奪三振記録もない
梶本隆夫(公式戦9連続)江夏豊(オールスター戦9連続)野田(1試合19奪三振)足立(1試合17奪三振)
彼らより山口高志は別格で遥かに速いはずである 八重樫が規定打席到達の3割バッターになったことあること >>277
規定投球回以上の奪三振率リーグ内順位だと
75年 6.61 リーグ1位
76年 6.92 リーグ2位
77年 7.56 両リーグ1位
70年代中期から80年代中期が全体的に三振が少なかった時代だからな。 >>276
意外かもしれないが、中尾の故障欠場の多かったのは、かなり有名なはず。 でもスペ体質の割には38歳まで現役だったんだよな。あれでも同学年の山倉・袴田・達川よりも引退が遅いんだぜ。 >>285
掛布がダメになった理由は酒の飲みすぎ。吉田監督も藤井コーチも言ってた。 >>280
DHには石嶺がいたからな。
そもそも外野を守るということが前提だった。 >>289
当時門田が外野を守ることはパ・リーグの話にしては結構報道されていたように思う 平野恵一は2010年に.350打ってるけど、それが唯一の3割(規定打席到達で) >>278
ソースも糞も事実だから。
日本シリーズの山田からだけ >>290
門田が外野って何年ぶりだったんだ
南海時代末期はDHしかやってなさそう 門田は87年当初は移籍してきた加藤秀司とDH併用になったのでレフトを守っている
加藤は守備に出るときはファーストだった 門田博光は1〜2回首位打者有ると思って調べたら1度もない
三冠王も一度もない
松中は三冠王の時首位打者一回か… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています