清原はどの監督の下で育てられるべきだったのか? [無断転載禁止]©2ch.net
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例 古葉監督
新人であらゆる快挙。オフはマスコミにちやほやされまくりの清原
いい気になってキャンプで気の抜いたプレーを連発する清原を古葉は蹴倒し、
ボコボコに殴る
改心する清原。
以後、日本一の打者に 星野だが、中日の殴りモードじゃなく楽天の優しいじいさんモードの方がよかったかも
父性を感じて心酔し、ワイはこの人には死ぬまで尽くすという
嶋や今岡に並ぶセンチル教信者が一人増えた、と。 大沢親分は遠慮なんて一切しない
でも自軍の選手が不祥事を起こした際は「俺の管理が悪かった」とバッシングの矛先を自分に向けるタイプ
清原がその姿に心をうたれるかと問われれば、答えはNOだ >>67
>>69
当時の広島ってそんなにやばかったの?
まぁしっかりした野球で勝っていたんだからやばいというか厳しいのか 2000年日本シリーズ最終戦ノーカット版を最近改めて観たが
3番打者・清原の手強い感が凄い。
一発狙いは捨てて、4番松井への一見地味な繋ぎ役に徹してるけど
ボール球をしっかり見極めて振らないわ、インコース寄りの球は
ファールで粘りまくるわ、かと言ってアウトコースに甘く入ったら一発食らいそうだわ
とにかく対峙するピッチャー目線で見てると、滅茶苦茶やりにくそうw
率も4割近く残してたしな。
常勝西武の4番のイメージが強いけど、3番打者の適性は高かったかも。 チームの足を引っ張る疫病神・キモ原カス博
がいなくなった途端に連覇した西武
西武
1995 3位
1996 3位
キモ原巨人へ移籍
1997 1位
1998 1位
チームを腐らせるクズ野郎・キモ原カス博が
来た途端に前年優勝からBクラスに転落した巨人
巨人
1994 1位
1995 3位
1996 1位
キモ原巨人へ移籍
1997 4位 清原和博様(西武時代)
1986〜1994 1位
1995〜1996 3位
私は何があっても清原和博様の味方だ 西武の順位
1990 1位
1991 1位
1992 1位
1993 1位
1994 1位 95より秋山ダイエーへ移籍
1995 3位
1996 3位 97よりキモ原巨人へ移籍
1997 1位
1998 1位
秋山がいなくなり連続優勝が途絶えたが、チームの足を引っ張る
キモ原とか言うゴミがいなくなったおかげで、連続優勝へ 西武の順位
1990 1位
1991 1位
1992 1位
1993 1位 94より秋山ダイエーへ移籍
1994 1位 95より工藤、石毛がダイエー移籍
1995 3位
1996 3位 97よりキモ原巨人へ移籍
1997 1位
1998 1位
秋山、工藤、石毛がいなくなり連続優勝が途絶えたが、チームの足を引っ張る
キモ原とか言うゴミがいなくなったおかげで、連続優勝へ 97、98は05の阪神みたいなもんで嬉しくない優勝の典型だわ >>86
89年は首位近鉄とは0.5ゲーム差で3位 巨人へ入って、松井みたいな感じで長嶋に育てられたら
反発するでもなく、堕落するでもなく、良い線いったかもしれん。
巨人時代の清原に関しては、毀誉褒貶が激しいけど
長嶋時代は少なくとも表向きは大人しく過ごしていた。
(野村貴仁の例の証言はあるけども・・・・)
まぁ、長嶋にしてみれば、あのONシリーズでの清原の働きだけで
清原を巨人へ招いた意義があっただろ。 金やんの下だったらどうか?
根性根性言われて単純な清原には案外いいかもしれん 帝王堤の庇護下って特殊な状況さえなければ大分変わってたろうな >>75
ドラフトの時荒れてたとか誰でも知ってるわwww
同期だったら一般人が知らないエピソード書けよ成りすまし君w 清原が抜けて優勝した西武
97年、清原が巨人に移ると、西武はそれを待っていたかのように優勝し、前年優勝の巨人は4位まで落ちた。
東尾西部が若返りに成功し優勝したのは、「チームワークを乱す清原がいなくなったからだ」と言われた。それを
聞いて、清原はどう思ったろうか。
西武はすでに清原後を視野に入れ、5カ年計画をつくってチームづくりをしていた。計画のスタートは彼の力が
極端に落ちた93年からだ(この年のドラフトで、1位石井貴、3位松井稼頭央、94年に2位小関竜也、3位西
口文也、4位高木浩之を指名している)。
97年の成功はそのモデルチェンジ策が実ったもので、日本シリーズで対戦したヤクルト野村監督が「短いあい
だによくもこれだけチームを変えられたもんや」と関心するほどだった。
清原の代わりに四番に入った鈴木健は打率・315をマークした。96年、清原が得点圏打率・248とチャン
スに弱い四番だったのに対し、鈴木のそれは・375だ。
四番清原が改革をはばんでいたことが証明されてしまった。
清原が入った巨人の関係者はチームワークへの影響を心配した。巨人にも西武とのさまざまなルートがある。そ
こから伝わってくる情報は「清原はチーム(西武)ですでに浮いていた。練習も勝手気ままなので、首脳陣も手を
焼いていた」というものだ。
フロントは「さぼり病が若手選手に伝染するのではないかと心配した」のだが、「ウチには猛練習の伝統があるか
ら、それはないと思う」と気を休めた。
このとき、巨人には監督の長嶋のほか、コーチ陣にヘッド格の堀内恒夫、守備総合の土井正三、外野守備走塁の
高田繁と巨人のV9戦士がいた。彼らは清原を「一から鍛えなおす」つもりだったが、実際に清原を見ると、29歳
の身体は「ボロボロで、鍛えようにもそのための体力がなかった。ノック一つするにしても、肉離れを心配しなけ
ればならなかった」から、満足な練習もさせられなかった。清原もそれをいいことに、巨人式トレーニングを拒否
して、身体づくりに打ち込むふうでもなかった。
清原は西武で、なにをしていたのだろう。 秋山と清原をそれぞれの全盛期で比較すると、
守備や走塁も含めた総合力なら秋山が上なんだろうけど
投手として対峙した時に、打者として怖いのは
秋山よりも清原だろうなぁと個人的には思う。
そういう意味で、秋山よりも清原を4番に置いた森采配は
間違いは無かったな。現にそれで8回リーグ優勝したし。 死球を当てたホッジスには怖くて向かっていけず、小柄な高須に報復する陰険・怯惰な清原
危険なスライディングの伏線は6回表、清原が腰に死球を受けたことにあった。
二塁の守備位置で高須は「来る気配を感じてましたよ」と、身の危険を察知していた。
想定通り、清原のスライディングは足元に来た。高須は覚悟を決めていた。
左すねを蹴り上げられると、清原に覆いかぶさるように倒れた。
高須「足をベースにつけて踏ん張ると蹴られた弾みで大けがにつながる。
だから倒れないとダメなんです」。
併殺は見事に完成した。すぐに高橋守備・走塁コーチが飛んできて審判にアピールした。
「スパイクの歯を向けていただろう! 許せないプレーだ」。
後に写真で確認すると、つま先が左すねに食い込んでいた。 巨人で松井をみて清原はあせったという。日本人ではじめて自分をパワーで上回る
スラッガーを目の当たりにしたからだ。これが肉体改造へつながったのだ。 >>94
オーナー 堤
監督 森
コーチ 土井
先輩 東尾
悪いのが多すぎる メジャーだとリーランド、トーボーグ、ピネラ辺りか。 >>102
秋山はちがうのか
清原よりホームラン打った年もあるが
清原がオリックス・バファローズへの入団を決めた際、ないしは直後にしきりに語った
「亡き仰木彬前監督への恩返し」だの「引き合わせ」だのという文言である。こんな言葉を
どの口から吐けるのだろうか。
清原と仰木の2人に接点を探すとすれば05年のシーズン前に所属していた巨人の
堀内監督(当時)から事実上の戦力外扱いを受けていた清原に監督を引き受けた仰木が
オリックスへの移籍を勧めた時からである。しかし清原は「泥水を・・・・」云々などと
クサイ言葉で巨人に残る未練を示して袖にした。05年シーズン終了前後に今度は
本当に巨人から三行半を突きつけられても清原は仰木の誘いに生前ついに応えることは
なかった。清原がオリックス入りを決めたのは他球団から相手にされないのを確信して
唯一誘ってくれた球団だったからに過ぎない。しかも決断は仰木没後である。
何が「恩返し」だ。恩知らずの方が表現としてはふさわしい。恩知らずが恩返しと
シレッと言う。こうしたのを偽善者と呼び卑怯者と指弾して何かおかしいか。
恩とは生前に報いるべきであろう。その機会がなかったならば別であるが
あったにも関わらず袖にした。だとしたら死者にはまず謝罪から始めるのが筋である。
ダシにするなどもっての他。 >>106
仰木さんは癌で長くないのを自ら知りながら清原の実家まで出向いて清原のオリックス入りを打診し、2005年シーズも6月まではトレード出来るからずっと誘っていた。
清原も仰木さんが生きておられる前にオリックス入りすべきだったし、どうしてもそれが嫌なら2005年オフ巨人でユニホームを脱ぐのが筋だと思う。 村西とおる監督の元でやってれば伝説のAV男優になっていただろうな >>95
なら何が知りたいねん?
ドラフトのことはキヨ自身マスコミや著書で多く述べてるから提供出来るネタはそこまでないと思うよ
当初は巨人、阪神以外なら日本生命と決めてたけど根元管理部長が他球団のスカウトとは違って温かく丁寧な態度で接してくれはったのとお母さんの後押しで西武入団を決意したよ キモ原、ヤク原、は本塁打王もタイトルも一度も無いが、通算成績は一流で不思議な選手
最も過大評価された選手だ
電動入りは永久に無いな >>110
キヨは本塁打40本はないけど、コンスタントに20本以上を積み重ねたイメージだわ
本塁打数は辛うじて落合さんを抜かしたけど、落合さんはプロ入りが25歳だからそれを考えると改めて落合さんってすごいと思うわ ◆1989年9月23日
平沼から左ひじに死球を受け激高。
平沼にバットを投げつけ、フライングヒップアタックをかます
しかし、逆にディアズにアームロックを決められた上に首投げされ、以後外人恐怖症に
◆1997年8月20日
藪の物怖じしない内角攻めにシーズン三度目の死球。
「今度来たら、(藪の)顔ゆがめたる」と、物騒な発言も。
藪からは『よけない人に当てても、なんとも思わない』と発言される
◆2001年9月18日
阪神ハンセルにぶつけられメンチ切るも、ハンセルに半笑いで手招きされると逃げた
仲間に囲まれてやっと元気に吠え出す
◆2003年5月25日
プロ初先発、20歳の横浜、東から前打席死球を受けていた清原はセンター前にタイムリーをはじくと
東を鬼の形相でにらみつけ、一塁に走りながら「ボケ〜ッ!」と絶叫。
◆2003年7月23日
広島デイビーに喧嘩を売るも、デイビーが応じると蒼ざめチームメートの到着を待つヘタレぶり
さらに後日、自分から和解を求めて謝罪するとデイビーには『彼まだやってるの?』と挑発され続けるが沈黙
◆2005年4月21日
500号HRのかかった試合、2アウト満塁で阪神藤川に変化球で三振させられると藤川を「チ○ポコついとんのか」
等と中傷その後の中日戦にて連夜の直球勝負に全く打てず
◆2005年5月6日
ホッジス(楽天)に死球を受けるも外国人恐怖症のため、すごすごと一塁へ
その後報復手段としてセカンド高須(楽天の希望の星)を度を越したダブルプレー崩しで怪我をさせる
◆2005年5月12日
対オリックス戦で頭部に死球を受け、鬼の形相で「謝れ」「こっちに来て、謝れ」とマウンドの山口に向かって雄たけびをあげる
◆2005年7月13日
痛め止めの座薬が効かずトレーナーに八つ当たり、トレーナー困惑
*「泥水を飲む覚悟で─」と臨んだ2005年であったが、規定打席到達者中最低打率に低迷し続け
7番に降格されるとHRの後のハイタッチを拒否。ぶんむくれてベンチでふんぞりかえる。その結果2軍落ちとなった。 >>112
巨人に来てから明らかにおかしくなってる >>65-66
いや、母親にも問題あるだろ。
西武を出る時清原はほぼ阪神に決めていたのに、
母親の一言で巨人に行くような奴なんだから。
どっちもどっち。親の教育が悪いわ。 清原がドラフトの時阪神に入団してたら変わってたと思う? 阪神なんか最悪じゃん
すぐタニマチがついて夜遊びしまくり、
首脳陣の言うこと聞かずやりたい放題だろ
選手寿命も短くなってだろうな
黒い交際ももちろんセットで >>116
中学時代は地元岸和田のDQN達に頭が上がらず、イジメに近い弄られキャラだったよな。
だから阪神入りで奴等を見返す為に闇関係のタニマチとベッタリに為っただろう事は渡辺二郎と同じだね。 ◆2006年4月20日
対北海道日本ハムファイターズ戦でダルビッシュから死球を受け(例の如く全く避けていない)、
その後番記者達を相手に「僕は守るべきもの(家族)を命懸けで守りたい」「命を懸けてそいつを倒したい」
等と吼えるが 舌の根も乾かぬ数日後、写真週刊誌に夜遊びでホステスとイチャついている場面を
フォーカスされ周囲を唖然とさせる
当初は徳光和夫やみのもんた等のシンパが清原擁護・ダル叩きをしていたが、星野SDら球界のOB達から
批判を浴び始めると その空気を察してか、再登録後は自らダルビッシュに対し和解へ歩み寄る
◆日ハム・武田久に「シュートは卑怯者が投げる球」と因縁を付ける
◆2008年1月31日
1月31日には二重契約問題のパウエル投手について、オリックスではなくソフトバンク入りしたら“登
録名はオカネ(お金)や”と挑発。清原は昨季の出場試合はゼロでも、今季は1億1000万円プラス5000
万円の出来高という年俸。それが“何であの人があんなに”とチーム内で大顰蹙を買う
◆2008年5月6日
広島カープの2軍と対戦
2打席連続で見逃し三振に倒れた後、ベンチから球場中に響くような大声で主審を恫喝
それを見た広島の広池浩司がショックを受けたとブログで意見
◆2008年9月21日
変化球を投げたマイケルに
清原「今のオレに変化球投げるなんて、辞めていく人間に後ろから切りつけるようなもん。がっかり」 死球を避けないってのは悪い話でもあるが出塁の球をしっかり選んでることの裏返しでもあるのが…
確実に塁に行かせてもらえるし 巨人時代に覚醒剤を始めておかしくなってる
西武時代は悪役キャラ程度だった >>120
それもわからんな。
野村が調達してきたときに驚いた様子もなかったんだから。
西武でバット投げの頃から洗った方がいいんじゃないの? キモ原カス博
「もし次に当てられたら、命をかけてマウンドに突っ走ってそいつを倒したい。
ヤラれっ放しでケガして入院するぐらいなら、こっちから行って守るべきものを守りたい」
■王貞治
『どういう意図で話したかは分からないが、打席に立つ以上は10のうち、1、2割は
ぶつかると思って立っておかないと。いざというときによけられない』
『昔はよけられない方が悪い、と言われた。ぶつかって休むと試合に出られないから
自分が損。チームにもマイナスだし、楽しみにしているファンも見られない。われわれも
今日の試合は楽しみにしていた。そうやって発言しても内角には来るんだから』
■広岡達朗
いつまでも現役にしがみついてわけの分からないことをほざいてる選手がいる。
清原だ。死球に対する報復宣言など全くのナンセンスで、腹立たしい。
子供や家族を守るためだと言ってるそうだが、そもそもこの選手は内角球への
対応ができてないから、際どい球をよけきれないだけではないか。自分の技術の
なさを棚上げにして、相手投手をブン殴ろうとはあきれてものも言えない。
死球の多かった衣笠は、ぶつけられるたびに「私が未熟です」といい、決して
相手投手のせいにはしなかったものだ。
私に言わせれば、休んでばかりいる清原などプロ失格だ。金本を例に出すまでもなく、
試合に出て最高のプレーを見せるのがプロ。故障だらけの清原は、試合に出ても
全盛期の打撃を見せられないのだから身を引くべきとなる。
■掛布雅之
(清原の談話のVをいつになく厳しい顔つきで見つめた後)
『ピッチャーも命をかけてインコースを投げている』
『清原は、もっと他の言い方があるのではないか』
そもそも、掛布の清原に対する姿勢は以前から一貫したものがあり、
数年前に自分のHPでファンから清原の死球に対する態度を問われた時も
『逃げられる場合は逃げて欲しいと思います』と明快に回答している。 >>119
死球を避けず出塁するのもチームプレーのひとつだからな
キヨは西武ー巨人とずっとチームプレーを求められてきた
森監督もそう言ってる もし清原がチームプレイなんてしていなかったらルーキー最多本塁打の32本は達成出来ていたと思う >>124
お前ずっとこのスレにいるな.。
もう誰も釣られなくなってるのにw 堀内「あいつ(清原)は欠陥商品。奴のいないシーズンで指揮を執りたかった。」 >>120
西武のころから大麻やってるのは有名だぞ 多くの証言もあるし 故根本なんて軽く目を座らせただけで清原なんか糞もらしそうな893だろ?
なんで清原の暴走を止められなかったの? >>130
タブチくんに出てくるあんな感じだったんじゃないか 「四球数のうち、敬遠数が占める割合」
― 常に投手たちから恐れられるレベル ―
長嶋 21%
王 18%
張本 18%
野村 15%
田淵 15%
門田 14%
大杉 13%
― 常に警戒されるレベル ―
落合 11%
土井 11%
山本浩 8%
― どうでも良いレベル ―
清原 3% ←(笑) 森さんは堤オーナーの前では直立不動だったからな
あの腰ぎんちゃくぶりをみれば清原に厳しくなどできるはずがない 広岡さんなんて相手があの川上哲治だろうと怖気づかないからな。 >>138
広岡さんは、川上さんは平気でも堤さんにはヘーコラでしょ
凄い人ではあるけどちょっと美化されすぎ 当時は世界長者番付1位の堤天皇だしな
西武に行ったのが運のつきかなやっぱ >>140
所詮野球界のドンの川上と日本のドンと言っても過言ではなかった堤じゃ比較にならんわな 阪神タイガース
86年
清原入団
一塁 清原 二塁 岡田 三塁 掛布 遊撃 真弓
左翼 柏原 中堅 佐野 右翼 バース
1真弓2柏原3バース4掛布5岡田6清原7佐野8木戸
超攻撃的だが
明らかに守備力がた落ち みんさんで清原さんの応援歌を歌おう!
(西武時代)
光輝く 大空高く
燃える男だ チャンスに強いぞ 清原!
(巨人時代)
ジャイアンツのジャイアンツの旗の下
勝利の一撃 空高く
放り込め バットに夢乗せて
ホームラン 清原!
(オリックス時代)
闘え強者よ 傷だらけのその体で
輝けこの場所で 威光放つ男! 気難しい伊良部を手懐けた星野なら単細胞清原の人心掌握などたやすいだろう。 ttp://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/tachiyomi/20080228_1.html
高知県でのキャンプに参加している、オリックスの清原和博内野手(40)。
昨年7月に左ひざ軟骨の移植手術を受けて以来、厳しいリハビリに励んでいるはずが、聞こえてくるの
は相変わらずの“清原節”ばかり。担当記者も失笑を隠せない。
*「1月31日には二重契約問題のパウエル投手について、オリックスではなくソフトバンク入りしたら“登
録名はオカネ(お金)や”と挑発。清原は昨季の出場試合はゼロでも、今季は1億1000万円プラス5000
万円の出来高という年俸。それが“何であの人があんなに”とチーム内で大顰蹙を買っているのに、全く
いい気なもの」
* 映画『ロッキー』の影響を受けた、パフォーマンスまで飛び出した。
「5日には卵白10個分を一気飲みして、“ロッキーになりたいんや”。更には2台の石油ストーブの前で5
枚の重ね着をして“減量や”と、まるで子供。
*20日には、1軍キャンプの練習の様子を見て、“最下位のくせに緊張感が無い”と
偉そうに説教までしています。来日が遅れた新外国人のカブレラには“好き勝手は許さん”と、自分を棚に上げた発言も飛び出しました」 >>145
昔の星野より最近のほうがいい
昔のは殴るだけで大した効果はない 清原は小心者と言われるわりには
高校時代から現役晩年に至るまで、脚光を浴びる場面に
強かったのが不思議。
清原の覚醒剤使用を証言したり、ノーセンスとか言ってる野村ですら
「清原は勝負所で打っていた」「通算サヨナラ安打・本塁打が
歴代最多の清原は、それだけ投手に勝利をもたらしてきた打者で
そういう意味ではリスペクトしている」と、しばしば語っている。 別に清原が特別小心者だとは思わん
むしろ臆病じゃない大選手がいるなら教えてほしいわ ここ30年じゃ清原が最強スラッガーだろ。
とくに90年代以降の広い球場、レベルの上がった投手を相手に
2000本安打、500本塁打、1500打点は偉業。
大舞台にも滅法強かったしな。 「清原さんの2人の息子さんは同じ少年野球チームで野球を始めた。練習や試合に清原さんもしょっちゅうグラウンドへ顔を見せていましたが、とにかく態度がひどいのです。
ささいなミスをした息子さんの頬を試合後にバッチーンと平手で殴る。そんなシーンを何度も見ました。
しつけはそれぞれの家庭の問題とはいえ、こうした事態になると、あれが果たしてしつけなのかどうか……」
■相手監督を「ボケ、ヘボ」と罵倒
長男が出場したある大会の決勝戦ではこんなことがあった。
右足に入れた龍の入れ墨を隠すことなく、短パン姿で球場に現れた清原は、試合中にスタンドを徘徊し始めると、相手のベンチ側に行き、上から敵の監督を口汚く罵り始めた。
「『どういう教えをしとんじゃ、ボケッ! ヘボ!』と猛烈にヤジるのです。この試合に限ったことではなく、こうしたことが日常茶飯事。
複数の対戦相手から連盟に苦情が殺到しました。
清原さんがグラウンドに来るなら、金輪際、あのチームと試合はしない、という声も相次ぎ、チームの関係者同士で話し合いを持ってもらったことも1度や2度ではありません」(同)
自分の行動が子供にどんな影響を与えるか、そのせいでどれだけ肩身の狭い思いをしているか、そんなまともな判断すらできない。
そういう状態で子供に手を上げていたのだとすれば、それはしつけとは言えないだろう。
14年3月に清原の薬物疑惑を報じた週刊文春はその際、「妻は刃物を持って追いかけ回された」と前妻の亜希夫人に対するDV疑惑も書いた。
これに対して清原は、写真誌フライデーのインタビューで「絶対にない。(中略)亜希には暴力はおろか、声を荒らげたこともない。ましてや刃物なんか……あり得んよ」と否定していたが、
自宅マンションの壁は本人がバットや拳や足でつくった穴だらけだったという。
極めて重度の覚醒剤常習が疑われる今となっては、逮捕に最も胸をなで下ろしたのは家族かもしれない。
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geinox/175394
2016年2月17日
http://static.nikkan-gendai.com/img/article/000/175/394/42b3fbbf269f08fa10d62caea7f104f520160216113541644.jpg
子ども応援にこんな格好で…(C)日刊ゲンダイ ドラフトの日になるとPLで同期だったキヨのこと思い出すわ
もし巨人がキヨを指名して外れたとしても日本生命を経て3年後のドラフトは吉田修司(北海道拓殖銀行)ではなくキヨが巨人の1位指名やったんやろうなー 何気に清原は、90年代の間に
最も本塁打と打点を稼いだ二冠王らしい。
落合が90年代は清原の時代と
予言していたのは、あながち外れてもいない。 清原容疑者 西武時代のマウイキャンプで大麻事件
ttp://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/505609/
【薬物逮捕でアウト!番長の転落と闇(8)】覚醒剤取締法違反(所持)容疑で逮捕された元プロ野球選手の清原和博容疑者(48)が
薬物に手を出したのはいつなのか。
巨人時代という指摘が多い中、本紙は西武時代の米国ハワイ・マウイキャンプで、ある騒動に関する貴重な証言を複数の関係者から
入手した。同容疑者が1次キャンプ地のマウイ島で薬物騒動を起こし、現地警察に“一時拘束”されていたというのだ。
「1995年か96年(2月)のマウイキャンプ中にキヨと数人のチームメートが現地で騒ぎを起こして警察沙汰になったことがあった。
警察が駆けつけると彼らが大麻を吸引していることが分かり、一時拘束され大騒動になった。知らせを聞いた当時の球団本部次長、
通訳らが何度も警察と交渉を行いこれをもみ消した。事後処理は現地駐在の西武グループ関係者が行い、
公に知られることはなかった」 >>155
その10年間フルに活躍してた野手ってどのくらいなの? >>150
プレッシャーで覚醒剤に逃げるほどの小心者はいないだろw >>157
駒田・ノムケン・古田・佐々木・立浪みたいな単打マンが主流でスラッガーがムラがあった印象。落合・秋山は下り坂だし藤井は神戸に移ってからはイマイチだったし拝啓・江藤・前田は怪我したし石嶺・大豊・イケトラは90年代後半から失速したしライバル不在だった。
【選手・清原和博 裏番行状記】大麻パーティーで強引に… 庇護なくし丸裸で巨人へ “疑惑”はチーム内に拡散
ttp://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20160217/bbl1602171140001-n1.htm
名実ともに“レオの顔”となった1990年代初頭。所沢の球団事務所に、一般男性が怒り心頭の表情でどなり込んできたのだ。
この時期の清原容疑者は都内のマンションに住んでいたが、元球団関係者は「時おり知人を集めては大麻パーティーを開いていた」と
証言する。さらに「ある日のパーティーに参加していた女性が大麻を強引に吸わされ、もうろうとした状態で帰宅した。
様子がおかしいことに気づいた両親が事情を聞いて激怒し、球団へ抗議に出向いた」というのだ。
「娘になんてことをするんだ」とねじこまれた球団フロントは平身低頭。当時の管理部長だった故・根本陸夫氏らは
「とんでもないことをやってくれたな」と頭を抱えていたという。だが、この一件は表沙汰にはならなかった。
球団幹部が必死に頭を下げ和解に持ち込むことができたからだった。 キヨと元木は巨人入り熱望していて、競合はあっても指名はしてくれるものだと思ってたのに指名さえなかった者同士しか分かり合えないものや傷があるんやろうな
よくメディアは番長清原・子分元木とか言ってたけどプライベートな付き合いは殆どあらへんかったみたいやし
元木の場合大森が1位指名にさえ拘らなければ、他球団が大森を1位指名するなんて限りなく0だったんだなら元木がハワイ浪人する必要もなかったのにな‥
もし元木が高卒後すぐに巨人に入団してたらもう少し良い成績残してただろうし、選手生活も長かったんだろうな
ハワイ浪人時代は野球が下手になっていく気しかせえへんで辛い時期って言ったったわ 清原が抜けて優勝した西武
97年、清原が巨人に移ると、西武はそれを待っていたかのように優勝し、前年優勝の巨人は4位まで落ちた。
東尾西部が若返りに成功し優勝したのは、「チームワークを乱す清原がいなくなったからだ」と言われた。それを
聞いて、清原はどう思ったろうか。
西武はすでに清原後を視野に入れ、5カ年計画をつくってチームづくりをしていた。計画のスタートは彼の力が
極端に落ちた93年からだ(この年のドラフトで、1位石井貴、3位松井稼頭央、94年に2位小関竜也、3位西
口文也、4位高木浩之を指名している)。
97年の成功はそのモデルチェンジ策が実ったもので、日本シリーズで対戦したヤクルト野村監督が「短いあい
だによくもこれだけチームを変えられたもんや」と関心するほどだった。
清原の代わりに四番に入った鈴木健は打率・315をマークした。96年、清原が得点圏打率・248とチャン
スに弱い四番だったのに対し、鈴木のそれは・375だ。
四番清原が改革をはばんでいたことが証明されてしまった。
清原が入った巨人の関係者はチームワークへの影響を心配した。巨人にも西武とのさまざまなルートがある。そ
こから伝わってくる情報は「清原はチーム(西武)ですでに浮いていた。練習も勝手気ままなので、首脳陣も手を
焼いていた」というものだ。
フロントは「さぼり病が若手選手に伝染するのではないかと心配した」のだが、「ウチには猛練習の伝統があるか
ら、それはないと思う」と気を休めた。
このとき、巨人には監督の長嶋のほか、コーチ陣にヘッド格の堀内恒夫、守備総合の土井正三、外野守備走塁の
高田繁と巨人のV9戦士がいた。彼らは清原を「一から鍛えなおす」つもりだったが、実際に清原を見ると、29歳
の身体は「ボロボロで、鍛えようにもそのための体力がなかった。ノック一つするにしても、肉離れを心配しなけ
ればならなかった」から、満足な練習もさせられなかった。清原もそれをいいことに、巨人式トレーニングを拒否
して、身体づくりに打ち込むふうでもなかった。
清原は西武で、なにをしていたのだろう。 >>152
子供が二人もいるのか!?
これは悲惨だね >>164
清原抜けた翌年優勝したのは事実だけど86〜94年(89年は除く)優勝出来たのは清原の活躍もあるでしょ
しかも西武時代平均約30本塁打打ったんだし
東尾は清原がFAする時にあんなに西武残留を引き止めていたのに‥ 西武の順位
1990 1位
1991 1位
1992 1位
1993 1位 94より秋山ダイエーへ移籍
1994 1位 95より工藤、石毛がダイエー移籍
1995 3位
1996 3位 97よりキモ原巨人へ移籍
1997 1位
1998 1位
秋山、工藤、石毛がいなくなり連続優勝が途絶えたが、チームの足を引っ張る
キモ原とか言うゴミがいなくなったおかげで、連続優勝へ >>168
東尾監督(当時)は清原がFAする時に強く西武残留を求めた 西武のままだったら、あそこまで堕ちなかったかも
派手な私生活が災いをもたらしたかな 西武の時点で薬物に手出してたって話だし西武時代から成績は下降してたんだから同じだと思うが 89年のオフの落合との対談のときの顔つきをみると世の中をなめくさった悪い顔になってるな
すでにこのころからヤク中だったかもね 開幕から一軍でレギュラーだったかな
二軍スタートなら少しはマシになってたはず 松井を開幕二軍にした長嶋はすごいな。
長嶋だから出来たことだけど。 西武にいた時点で所沢の種馬といわれるほど遊び人だったし
六本木 銀座も近いし大して変わらんだろwww
広島にでも行っとけばよかったよ それでも人間なんて変わらんだろうけど バブル真っ只中に首都圏にいて大金稼いでたら遊ぶなといっても無理だわな
いまのおとなしい連中だって当時なら遊んでただろう
時代が悪すぎたな その理屈だと、清原と同時代の高額年俸選手は、すべて遊んで駄目になっていたはずだがな。
清原だけが駄目になったんだから、原因は清原にあることは明白だろ 数少ない同年代の野手のコユキは試合出場こそしていたけど高額の年俸を得るまでしばらく時間がかかっていたからなぁ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています