圧倒的すぎた巨人史上最高投手陣 [無断転載禁止]©2ch.net
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一軍登板した投手はわずか“10人”…圧倒的すぎた巨人史上最高投手陣
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160219-00059682-baseballk-base
斎藤雅樹 27試(224回・19完投) 20勝5敗 奪三146 防2.17
桑田真澄 23試(186回1/3・17完投) 14勝7敗 奪三115 防2.51
木田優夫 32試(182回2/3・13完投) 12勝8敗 奪三182 防2.71
香田勲男 23試(130回1/3・4完投) 11勝5敗 奪三106 防2.90
宮本和知 28試(190回1/3・10完投) 14勝6敗 奪三166 防3.69
槇原寛巳 17試(102回1/3・6完投) 9勝5敗 奪三87 防3.96
水野雄仁 34試(68回2/3) 2勝2敗11セーブ 奪三64 防1.97
吉田修司 21試(46回1/3) 3勝3敗1セーブ 奪三37 防3.69
広田浩章 15試(31回1/3) 3勝1敗2セーブ 奪三21 防1.72
加藤 初 6試(13回2/3) 0勝0敗1セーブ 奪三8 防2.63 前任の投手コーチがいかに無能だったかがよくわかるなw
ちなみに堀内な。 しかも加藤初は1500奪三振を記録させるためだけに投げさせたため、実質9人 二桁5人出たシーズンか
凄かったけど西武に4連敗したのがなあ‥ >>1
>打線は2004年が最強
セ・リーグ年度別合計本塁打数
〜1970年代〜 〜1980年代〜 〜1990年代〜 〜2000年代〜 〜2010年代〜
1970年130試合 642本 1980年130試合 849本 1990年130試合 784本 2000年135試合 818本 2010年144試合 863本
1971年130試合 616本 1981年130試合 806本 1991年130試合 711本 2001年140試合 781本 2011年144試合 485本
1972年130試合 773本 1982年130試合 753本 1992年130試合 725本 2002年140試合 826本 2012年144試合 454本
1973年130試合 679本 1983年130試合 935本 1993年130試合 731本 2003年140試合 987本 2013年144試合 714本
1974年130試合 826本 1984年130試合 910本 1994年130試合 685本 2004年138試合.1074本 2014年144試合 738本
1975年130試合 747本 1985年130試合 947本 1995年130試合 790本 2005年146試合 920本 2015年143試合 571本
1976年130試合 967本 1986年130試合 810本 1996年130試合 765本 2006年146試合 821本
1977年130試合.1050本 1987年130試合 882本 1997年135試合 775本 2007年144試合 818本
1978年130試合 910本 1988年130試合 684本 1998年135試合 662本 2008年144試合 728本
1979年130試合 945本 1989年130試合 707本 1999年135試合 832本 2009年144試合 769本
ラビット全盛だっただけでは >>6
この年のセは全チームがチーム打率270台だった
確かに本塁打と打点は群を抜いて多いが盗塁と犠打はリーグ最低
勝つ時は馬鹿みたいに点取る無駄打ちが多かったって事 水野が本で書いてたけど
日テレ本社から勝利数×○万円の報奨金の分配査定が野手に厚く投手に薄かったので
文句言ってたら、藤田監督がポンと別にもらってた300万を差し出す。
拓銀出身の吉田が「じゃあ一人あたま30万ですね」と、さっさと札勘して分配したエピソードに笑った。
そこは頭割なのかよw 斎藤雅樹 25歳
桑田真澄 22歳
木田優夫 21歳
香田勲男 25歳
宮本和知 26歳
槇原寛巳 27歳
水野雄仁 24歳
吉田修司 23歳
広田浩章 26歳
加藤 初 40歳 >>10
20代ばかりの投手陣の中で貴重な叱責役となっていたらしくて、殆ど兼任コーチ
って感じだった様。 >>7
2ケタ勝利が5人!って騒いでいたけど、この年、日ハムも2ケタ5人(柴田、
西崎、酒井、松浦、武田)。
それ知って「なあんだ。じゃあたいしたことないのね」って感じでいたから、
槇原に6人目を!と期待したが、最終戦で負けてオジャン。
思えば日本シリーズを暗示していた。 先発っても純粋にただ先発ってピッチャーでもなかった
斎藤、槙原、桑田
みんな中継ぎ経験者
それだけスタミナが尋常でなかったのと
怪我しない体だったんだろう
トレーナーのケアも抜群だったんだろうな 後の巨人がぐだぐだ伸び悩んだのもこの年のせいだろうな
藤田が戦力の発掘を怠ったから
主力投手は疲弊しその次が出番ないのでまったく全く育たない
橋本とか二軍成績見ると藤田じゃなきゃもう少し早く定着してるはず >>16
はー こんな若い投手陣で「発掘怠った」から? ベテラン投手陣で発掘の怠りが致命傷になるってならまだわかるが 翌年防御率一点悪化しても新しく起用されたのは松谷石毛だけ
これで投手陣整備上手いといえるのか? >>19
翌年皆総崩れ(16勝した桑田にしても防御率3点台に低下)という事態までは予想
出来なかったのだろうね。
結局、1980年代初頭のアスレチックスと同じく「先発完投主義の弊害」の実例として、
投手の分業化が本格化する切っ掛けにされたって感じ。 しかし、この頃の巨人投手陣は層も圧倒的過ぎた。
余剰戦力となった西本が中日にトレードで即20勝、鹿取が西武で最優秀救援投手に。
藤田監督曰く「うちでは16、7番手」なんて本原がダイエー移籍後、先発ローテに入りオールスター出場。
たらればだか西本、鹿取、本原あたりまで残ってたらどうなった事やら。
しかしいたらいたで新進代謝が上手くいかなかっただろうけど 斎藤雅樹は2年連続20勝をかけて最後まで先発したが、
205回 18勝4敗 防1.67だったのがラスト3試合で
8回5失点○・5回5失点●・6回6失点○と、20勝は果たしたものの
防御率は最終的に2点を超えてしまった。 >>19
そんなもんじゃね?2人
>>20
むしろ若手起用で批判されるべきは野手だよね。 >>23
18勝目はシーズンベストピッチ 27人完封@甲子園 日本シリーズでは第1戦先発が槙原だったけど、斎藤と言うわけにはいかなかったの? >>22
ガリクソンも米に復帰して2桁勝利
角も日本ハムで先発要員 個人的には89年の方が三本柱の内容が良く圧倒的に感じたね 小林、新浦、加藤初→江川、西本、定岡→斎藤、槙原、桑田
この後からは・・・ 巨人って先発完投主義言うより、先発も中継ぎも抑えもやれるオールマイティーなピッチャーが揃ってた
それだけ肩が強いのと怪我しにくい体だったんだろうな
斎藤雅樹とかも
これという怪我はなく引退したし
原に変わって体制変わったが 当時の巨人三本柱って、上手い事相手チームが分担されてたよね?
斎藤が阪神専なのは確かだったが、他はどうだっけ? まあ、その後は、FA漬けの時代になるから
残しておいても、あまり意味なかったけどなw この頃の巨人は西武ほど強くはなかったがまずまずの強豪で、
投手でも野手でも高卒で獲った選手を二軍で何年か鍛えて、
育っていくのを見る楽しみがあったんだよなあ 高卒を育てるのがうまい印象だった巨人
須藤二軍監督のおかげか
打撃は、山内とか中西太とかいた >>27
それは当時からかなり言われていた。プロから素人まで。
結局藤田監督は自分達より西武の方が強い、と思っていたんだろう。
だから正攻法では無く奇策に出た。12年後の伊原監督に通じるね。 優勝決定後に斎藤がボロボロで、逆に槙原は好調だったから、というのもあるだろう。
あとは斎藤はノミの心臓と言われていたから第1戦は荷が重いというのもあったのかもしれん。
だが、投手のバッティング能力を考えると、1・2戦は斎藤・桑田でよかったかもしれん 90年巨人と02年西武は日本シリーズの負け方が似てたな >>27
326 名前:神様仏様名無し様[sage] 投稿日:2016/01/27(水) 17:04:47.59 ID:QqWQCw3Y [2/3]
優勝決定前後の巨人投手陣の成績(優勝決定9/8の114試合目)
優勝決定時 優勝決定後
斎藤 17勝3敗 187回 防1.68 3勝2敗 37回 防4.62
桑田 12勝7敗 163回 防2.32 2勝0敗 23.3回 防3.86
木田 11勝8敗 173回 防2.50 1勝0敗 9.6回 防6.52
香田 11勝4敗 120.3回 防2.84 0勝1敗 10回 防3.60
宮本 13勝4敗 169.3回 防3.40 1勝2敗 21回 防6.00
槙原 6勝4敗 68.3回 防4.48 3勝1敗 34回 防2.91
斎藤は20勝、槙原は10勝の目標があったから優先的に投げさせたんだろう。
ちなみに優勝決定時のチーム防御率が2.66で最終的には2.83まで落ちた。
ヤクルト戦で12失点したりしてたが、この試合も打線が13点とって勝ったりして
消化試合は10勝6敗だった。 >>6
ラビット全盛だからこの打線傑出度で言えばそれほど大したことないんだよな >>8
犠打なんて日本プロ野球レベルに頻繁にやってると得点効率が悪くなることが多いし
盗塁も得点に与える影響力はそれほど大きくないから打って点取れるのであれば、わざわざ盗塁稼ぐ必要もないんだよな
別に盗塁と犠打が少なくとも問題はない >>6
2004年巨人は本塁打傑出度は高いでしょ
http://ranzankeikoku.blog.fc2.com/blog-entry-2102.html
これを見てもわかるように
2004年巨人打線は2010年巨人打線に次いで
80年間で歴代2番目に本塁打傑出度の高い打線
そもそも200本塁打を達成しているチームのほとんどがラビット年で達成しているものなんだから
ただ、打率は平均的だったために得点力はそれほど飛び抜けていないということ シャブアンツ
シャブアンツ
打て打てそれ打て!
巨人軍
唄…長シャブ剛 球団歴代最多勝投手が生え抜きじゃないのは巨人だけ! >>48
別所さん?
カネヤンは通算勝利数の3分の2は国鉄で稼いだ数。 >>48
消滅球団も含めると西日本・緒方(巨人からの移籍)、高橋・滝(毎日からの移籍)
がある。 読売もそうだが、広島や西武の投手陣も凄かったな。
今と比べると、この頃の方が球界全体の投手層は厚いと思うんだよね。 桑田 斉藤 槙原 ガリクソン
北別府 大野 川口 長富 山根 川端 津田
東尾 渡辺 工藤 郭 西武は工藤 渡辺久 郭を中心に渡辺智や石井丈などもいたり、本当に多士済々だった
>>14見ると日ハムも二桁5人出てたり質高い投手陣多かったな レフト原、センタークロウ、ライト吉村で年間戦った年なんだよな >>56
それでもやはり、巨人の三本柱に比べると不調の年もあったり
毎年コンスタントに勝ってないんだよな。 負け越しているピッチャーがいない
防御率がみんな3点台以内
完投数が全試合の2分の1以上 普通のチームは年間何人位使ってるの?
それにしても10人は凄い たとえばこの年なら
広島 18人
大洋 20人
中日 23人
ヤクルト 19人
阪神 22人
西武 17人
オリックス 17人
近鉄 15人
日ハム 13人
ロッテ 21人
ダイエー 23人 打者がしょぼいからそう感じるだけだよね
91年の広島とか打てる打者がロクにいなかったのに優勝
連覇した巨人も岡崎のような微妙な打者が主軸打っていたレベル >>63
打者がしょぼいのは今もそんな変わらんよ。
団塊ジュニア世代のピーク時&ラビット時代が一番ハイレベルだっただけ。
投手も、今は日本人だけで強固な三本柱組めるチームはほとんど無いしな。
メジャー行く時代でなければ、
田中・岩隈・則本の楽天三本柱は凄かったと思うが。 殿堂板特有の自分も子供時代が一番レベル高いであってほしいか >>65
野手はここ数年枯渇感が半端なかったのに
最近急に1988年生まれ以降に野手が出てきて主導権が移ってる
2015年シーズンだとセの規定打席到達者OPS上位10人
助っ人外国人除いた日本人8人のうち、6人が28歳となる87年生まれ以降
1位山田(92年生)、2位筒香(91年生)、4位福留(77年生)、5位川端(87年生)、6位畠山(82年生)、
7位平田(88年生)、9位丸(89年生)、10梶谷(88年生)
11位はルナで遊撃手ながら12位となる坂本も88年生まれだし
パの規定打席到達者OPS上位10人は
1位柳田(88年生)、2位秋山(88年生)、3位中村(83年生)、5位清田(86年生)、6位松田(83年生)、
7位近藤(93年生)、9位森(95年生)、10位中田(89年生)
という風にどんどん出てきている
2ちゃんでは野手がここ数年、世代交代にうまく成功しているという意見が大勢を占めてるがな
野手が団塊ジュニアよりしょぼいのは確かだが、この時代よりはマシ
そして野手の人材不足が騒がれてた数年前もやはり投手の層が厚いと感じさせられるチームが多かったな
この時代ほど極端ではなかったが >>62
日ハムも少ないな
今の時代の方が投手起用は多そう 昔は登録抹消したら再登録までの期間長く入れ替え自体が今より少なかった
だから野手の起用も少ないし支配下自体も60人だったし >>71
しかし口の悪い、粗探しが好きな記者からしたら、
6人たって所詮ここぞって場面で頼りになる大エースがいないって事だろ?と。
阪急の山田久志や近鉄の鈴木啓示とかライオンズの東尾みたいな、
「開幕戦は絶対的な存在のエースに任す」とか連敗続きなら「中3日でも行って貰う」
どんなにシーズン調子悪くとも日本シリーズでは「初戦は絶対的存在のエース」
とかいないからだろ?と言われてた 正にこの年のシーズン中の巨人を堀内が評して、
「斎藤という大エースがいて、2番手以降が
14〜15勝と続くのが最も理想的」と言っていたな。
もっともシーズン終盤からシリーズまで含めて
あの結果だったことは誰しもが覚えていると思うがw 言われてみれば、2005年のロッテ二桁六人ってたいした事ないイメージなんだよね
今の大事に使われる先発ローテならいずれまた達成されるだろうって感じ
それよりも西本が沢村賞獲ったシーズンの方がもうちょいで西本20勝だったし20勝同チームから二人出そうで凄かったし、
また、再度藤田監督になった一年目も、オールスター前まで三本柱全員順調に勝ち星重ねてて三人とも20勝するんではないか?と騒がれた。
こっちの方がインパクトあったな >>74
印象なら2013楽天よりも
岩隈田中永井がいて抑え福盛のときのほうがよかったような気もするしな ☆ 日本の核武装は早急に必須ですわ。☆
総務省の『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。
日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、日本人の悲願である
改憲の成就が決まります。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。お願い致します。 宮本は動画見てると140台後半バンバン出してるんだよな
現代野球でも左腕で常時140台後半は結構稀だし当時ならかなりの速球派に
思えるが全然そんなイメージなかった 日本ハムも5人二桁いってた年あったな
去年の山田、柳田、秋山みたいな高成績三人同時の年はもう見る事ないだろう >>79
へえ〜そんな速い時期もあったのか
宮本の投げる試合は谷間なんでwあまり熱心に観たことなかったな
たまに観ても、最速144くらいの試合だったかな?
速い印象なかった感じ 槙原が絶好調だった89年のほうが強力に感じたな 故障が惜しまれる 20勝投手2人誕生かと思ったのに まあ巨人が本気で欲しいピッチャーが出て来れば裏工作してでも獲得するんだろうけど
江川や桑田や菅野みたいに 20勝5敗・防御率2.17の2冠でも沢村賞とれなかったこの年の斎藤
チームは優勝したのでMVPはとれた >>82
あの年 広島の大野加えて防御率1点台が3人も出てたとは知らなかった 宮本は定岡より成績いいな。三本柱と時代がずれてれば100勝いけたかも。 吉田修司は巨人ではだめだったな
ドラ1の割には簡単に放出した >>92
この圧倒的すぎた年に一度先発して、
広島相手に8回くらいを無失点ピッチングとかしてたんだけどねぇ 89〜90の斎藤と渡米前2年間のダルぐらいだよ、2点で打たれ過ぎと感じさせたのは。3年前の田中マーでもそこまでの印象はない。 槙原が「俺や桑田と違って斎藤は調子が悪くてもそれなりにまとめるピッチングができた」と言ってた 斎藤雅樹は投高打低の時代で活躍できたけど原は割を食った印象 >>92
川崎のハズレ1位だっけ。
川崎・阿波野のクジ引けていたらほんとすごいことになっていた。 左腕宮本だけだったし阿波野はほしかったな
西武キラーだったし西武にも勝てたんじゃないか 慶応の志村亮をドラフト直前まで指名したがっていたが、
プロ入りしたら、どれほどだったのだろう >>1
つい最近まで現役だった木田優夫から、西鉄ライオンズ経験者の加藤初と
若手からベテランまで幅広く活躍したのもバランスがいい。
というか加藤以外は若手か いや、むしろ全体的に若すぎて
経験値がなかった様な気もする。 駒田と阿波野の対談で阿波野は3年連続で200回投げてたせいで日本シリーズでは球が来てなかったって。
逆に斎藤も2年連続の200回で疲弊して日本シリーズで打たれた。
こないだ山本昌が言ってたけど、中4日が続くとやっぱりキツいんだって。 >>98
伊原がボーク、ボークとプレッシャーをかける 巨人の投手陣がいいというより
広島強力投手陣が巨人打線を1点に抑え込むが
広島貧打線がまったく打てず0封されると見ていた。 >>102
阿波野は1989年後半から遅くなった。 1年目から245イニング 20完投じゃなあ
あの当時の巨人はいってれば
桑田 江川 西本 槙原 阿波野でうまく分散できて寿命も延びたかも このときの巨人より若い投手陣のチームってあったのだろうか。 >>106
正確には249イニング22完投らしい
現代からすると驚くべき酷使だけど、
桑田斎藤の例を見るまでもなく、
当時のエース級なら、それ程 珍しくはなかったよね。 南海近鉄の新井が自分の若い頃の投手は中3日中4日がデフォで全然ボールが来てなかったって
間隔開ける自分の晩年のほうが相手投手の勢いが違うといってた 今は中六日の100球。
権藤曰く、同じ100球でも2時間と3時間の試合じゃ疲労度が違うというが、
20年前と試合時間が変わってるとは思えない。
佐藤義則コーチが雑誌で言ってたけど、怪我をするやつは怪我をする。
今の先発投手は甘やかされすぎだよ。
リリーフの方がよっぽどきついと思う。 リリーフは登板の有無に関わらずブルペンで肩を作るために酷使されている >>111
佐藤は長持ちできたクチだからな
そういう物言いになってしまう
米田などに至っては
今のリリーフみたいに1試合1イニングだけみたいな楽な仕事でいいんなら毎試合だって投げますよ
とまで言っていた クローザーより中継ぎの方が出番が分からないからキツいよね >>113
その1イニングが何回なのか?
そのたびに肩を作らなくちゃいけない。
米田は1985年に優勝したタイガース以来現場にいなかったでしょう?
とてもじゃないが21世紀の野球にはついて行けてないよ。 ファミコンのベストプレープロ野球やるのに投手11人目を一軍未登板から選んでたんだっけな >>105
そうだっけ?
この年のASで自己最速149出してるんだよな https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%94%B0%E6%98%8E%E5%BA%83
この年、投手登録の選手では原田明広という選手が一応スタメンに名を連ねたんだよな。
偵察メンバーだったから登板0でしかもその1試合で一軍を終えた悲劇の選手となったが。 >>106
まあ〜あれだな。
これがこうなると、今度は斎藤雅が干されるか、
上手くいってもサイドハンドで鹿取的に起用されて重宝されそうだから
斎藤雅の今後絶対破られないであろう、世界的な先発投手の記録11連続完投勝利は生まれなかったでしょう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています