不惑の大砲 門田博光 [転載禁止]©2ch.net
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もうだめだなこのスレ
チンカス並みの初心者しかいない YouTubeにあるが、オールスターで松岡から打ったホームランは凄い
神宮の最上段に入ってる ホームランに魅せられて、ホームランに惚れて、ホームランに取り付かれた男 500本塁打なんてやれば誰でも出来る
出来なかった選手はやらなかっただけ 1(サード) 松永 浩美
2(セカンド) 福良 淳一
3(ファースト) ブーマー
4(DH) 門田 博光
5(レフト) 石嶺 和彦
6(ライト) 藤井 康雄
7(センター) 本西 厚博
8(キャッチャー) 中嶋 聡
9(ショート) 小川 博文
リアルで史上最強打線。 門田の弾丸本塁打2発連続近くに飛んできた
重い鉛の野球ボールの弾丸ライナーだと思った
普通の選手の本塁打より球が重く感じる あんまり筋トレの重要性が認知されていない時代に門田さんは40キロのダンベルをベンチ裏で挙げてたからな
元旦からゴルフ場でランニングしてたりとにかく練習の虫だった 試合中にベンチ裏で揚げてたら試合中に疲れて力が出ないぞw 圧縮バットが禁止された年に、月間16本塁打の日本記録を更新。 >>8
下位打線が弱すぎる
あと石嶺藤井は特別強打者でもなかったし 石嶺、藤井は単年単位で打ちまくった年がある程度なのかな…
藤井は確かに差が大きかった気がする。ずっといない年もあった。 >>18
川崎は普通の内野席でも至近距離で
フィールドシートだかとは比較にならん臨場感
それを見守るのがほんの数百人の観客
同時期のバブル騒ぎなんかよりよほど贅沢だったわ >>8
門田がレフトで、石嶺がDH のほうがおおくなかった? >>15-16
石嶺は1986年からの成績凄いよ
1988年の前半戦が大不調だったぐらい ただし後半戦は.368で首位打者 87年は31発放つも打点が69と四番としては疑問符が 87年の当初は加藤英とDH併用が多かったね
あと春頃は5番か6番が多かった 81年7月の月間16本塁打は、よく知られているが、翌月も10本塁打を打っている。この年は、後期だけで30本塁打。神がかり的に打っていたんだな。 >>23
アホか おまけに3割も打ってんだろ どこが疑問だ
期待の佐々木、湯上谷が1、2番に定着できたものの
肝心の3番が山本不調、ハモンドはずれで不在だったんだよ
翌年は3番バナーが3割打ってくれたおかげで打点王とってるだろ >>25
>>14
7月はオールスター戦、オールスター休みで試合数が8月とかよりも少なかったから尚更凄い
広島江藤智が月間16本打ったのは何年度の何月だっけ? セ球団に移籍したらどうなっていたんだろうな
確か巨人が王引退後に後釜として左の大砲が欲しい、ということで狙ったことがあったり
(交換相手は河埜と新浦だったか?)
あと阪神も掛布との1対1でトレード話があった、と門田本人も語ってたけど 巨人の水は合わなかっただろうから、門田自身3回の本塁打王は無かったと思う。ただ、原には好影響を与えただろうね。 掛布との交換話というと62年かな
60年までは掛布の放出などありえんし61年は死球禍でいきなりはこれまたない
62年には不祥事もあってこりゃどうやらあかんと
しかし下り坂に見えた門田が思わぬ盛り返しでさしもの南海フロントも二の足を踏んだと
そういうことかね 江川との対談本で掛布が言及してるけど1980年オフの話 80年の掛布は故障で70試合しか出ていない。門田は41本塁打で、カムバック賞を獲った年。当時の南海は三塁手の藤原が健在だったし、門田を出してまで、掛布が欲しかったんだろうか? 門田は79年アキレスけん切断の2本からカムバックして、80年は41本。
ただアキレスけんはまたブチ切れるかもしれない。
↑
↓
一方の掛布は79年、48本の本塁打を放ちホームラン王に輝くも、
80年は70試合 .229 11本塁打に終わる。
ただ再起できる可能性ももちろんある。
こういうどっちが得するか一見わからないような取り換えっこに
南海:新監督ブレイザーは守れないデブが嫌い
阪神:岡田が出てきて掛布いらない
という要素まで加わって、新聞が盛り上がって書いたんだよ 1970年入団だから1970年途中に追放された西鉄池永や東映森安と対戦あったかどうか調べてみたら
共に1試合だけ対戦があるみたいやな 掛布とのトレードは成立寸前だったけど発表前にスポーツ紙に漏れてしまってご破算、だったかな
もし阪神門田が実現していたら掛布の抜けた三塁に岡田が入って真弓の外野コンバートもなくなっていたのかなとか、
1985年はバース門田岡田でバックスクリーン3連発を打っていたり、
そして何よりも同じ在阪球団とはいえマスコミやファンの注目度が段違いの阪神で
門田が活躍出来たのか?という意味で興味があるとともに運命も変わっていたかも知れないな、と セ・リーグはDH制がないから、南海に居た方が良い
いくらブレーザが嫌っても外人監督なんか何れ居なくなる
門田新浦寿夫+河野
門田は果たして巨人に逝ったら満員観客の中でも同じように活躍できるか?
新浦は南海の方が生涯通算成績が上がるな
巨人門田も最晩年の巨人松原誠、巨人高橋直樹みたいな形なら有りだが、後数年続けられる状態の巨人は向いてないと思う 満員観客の中で結果が出せたか疑問だが、門田が巨人の原、阪神の掛布より、優れた打者なのは言うまでも無い。 客が少ない方が必ず好結果が出るとはどういう論理だ? 狭い大阪球場でHRを量産したけど
仮に全盛期が福岡ドームだったら何発ぐらい打てただろう?
本人は福岡ドーム移転後まで現役を続けたけたかったと思う 門田の場合、満員の観客よりもマスコミ対策。自身の著書に、記録がかかった時だけ取材に来る東京の記者が好きでないとあった。また、野球以外のことで、騒がしいのが一番嫌ともあった(身売り騒動)。阪神に行ったら、年がら年中、その状態だっただろうな‥‥ 天理教の熱心な信者なんだな
この人の書いた打撃論が、オカルトまがいの文章でヒいた覚えがある >>44
しかしあの年は門田さんが夏場から連日一面
佐々木が日米野球でホームラン打ったっちゃ一面
しまいにゃダイエーのユニのお披露目で一面
情報に飢えてた頃だから実にありがたかった
ちょうどスポーツ新聞がカラー化した頃でもあったし 南海は門田しか怖いバッターいなかったから
門田が絶好調のときは門田と勝負しないようなことがあったな あの88年は脇を固める佐々木・バナ・山本・高柳みんな調子よかった
おかげで逃げられることなく二冠とれたんだが、お定まりの投壊で結局5位…
前年は珍しく投手陣がよくて、これが同じ年ならと言われたものだ 開幕戦本塁打が9本。長嶋の記録に、あと1本に迫りながら、届かずに終わった。皮肉なことに、9本目を記録したのが39歳で、40歳以降の開幕戦は打て無かった。 >>49
88年のホークスは確かに投手が踏ん張れなかったのもあるんだけど
それ以上にチームの足を引っ張ったのは野手陣の守備
特に内野守備がね・・・ >>51
他球団なら小川森脇クラスでやっと「一郡として並の守備力」
それが「当社比」でうまいとされる 清原に抜かれたが、最も多くの投手が門田だった。ただ清はリーグを跨いでいるから、実質的には門田の方が上。 88年は阪急と共に開幕ダッシュに失敗した
開幕前は久々にAクラス予想が多かったが 81年は、後期だけで30本塁打。MVPの投票で1位票を5票獲得している。 で、MVPは江夏だよな
本塁打王分けあったソレイタが獲れなかったんだから
下位チーム所属としてはさらにムリだったと
当時の江夏は21球のおかげでやや神格化されてた感がある
そして門田さんが神格化されてチーム5位なのにMVP獲るのはその7年後
もちろん成績自体も文句のつけようもないものだが 不惑の活躍が凄かったなぁ、生涯見返してもベストシーズンと
言っても良い成績だったよね。
フルスイングと言われていたのに、生涯成績を見ると
三桁三振が少ないのが割と意外。
昔は三桁三振自体が希な記録だったんだろうか。
83年なんか86個でリーグ最多だったらしいし。 イチローが本塁打狙いに走った結果のような選手だな。
元々新人の時は俊足好打強肩が売りだったんだし。
ただ門田はイチローなんかよりも小柄でヤクルトの小川程度の体躯で
長距離砲になるんだから凄いの一言だわ。 割と俊足だったらしいけど、
若い頃は痩せてたの?
大リーグでいうカービーパケットみたいな感じなのかな 85年、86年は明らかに衰えたように見えた。2000本安打が微妙と思われたが、39歳のシーズンに打率キャリアハイでクリア。そして40歳で二冠。 これだけの実績がありながらコーチとかの仕事やってないというのは
コミュ障な人なのかね・・・
ガラの悪い人とのおつきあいだの金遣いが異常だの同僚から嫌われてた
ってことは聞かないから少なくともそっち方面で敬遠されてないだろうし あんまりマスコミ相手が好きじゃないってのは聞いたことあるわね 日本でホームランを数多く打った選手
1位は王、2位は野村とまでは出てきても
3位が門田とすぐに出てくる人は、野球ファンでもなかなかいないだろう それがつまり門田の露出の少なさってことなんだよな
幸か不幸か名前は落合と同じだから余計わかりにくいし 天の邪鬼か筋金入りのヘソ曲がりかと思うぐらい全てに拘りが強い人なんだよな
それがYouTubeに上がってる83オールスター戦のベンチ裏インタビューにも表れてる
プラス
本人曰く「極度の人見知り」が重なってコミュ障状態になってしまう 大昔、野村が書いてたが
野球の成績以外で、自分をアピールすることを一切しない人だそうだ
あと、優しいから相手ピッチャーが炎上してるとワザと打たないとも 俺は野村が全く逆の話を言っているのを聞いた
松沼兄の優しさを見ると南海の門田を思い出す。
門田は優しいが人は良くない。この差は大きい、と言っていた。
そうどっかで言っていた。で野村の記念の3000出場の試合で
松沼兄からフルボッコ 青田の著書にあったが
野村が門田について、こうボヤいていた
「あいつは、味方が打っていると、相手ピッチャーがかわいそうやとか言いだすんや」
それで、どうしているんだって青田が聞いたら
「あいつには、発奮させるようなことを言い続けている」と
野村も、門田の心中を察するに
常にカッカしたような状態で野球をやっていたのではなかろうか、と
でも、そのうっ憤があってか、トレード志願の報道がされたときには
さすがに野村も内心、しまったと思ったという 野村に対しては複雑な思いなのかね。
批判的な発言もしているが「生まれ変わったらもう一回あのおっさんと野球がしたい」
と尊敬の念も口にしているしね。 本塁打数の推移が山本浩二と似てるな。
30過ぎてから増えてる。 ノムは西武の森のファンっていってたけど
若いころの門田に似てるから
ノムも門田もお互いあれだな もし阪急に指名されたとき入団していたらどうなっていたのか
やっぱり西本監督の言うことも聞かないで殴られたりしたのか
加藤-長池-門田という史実以上の凄い打線になったのか 38歳だけど門田の印象は強烈 山本浩二より掛布より門田
同い年の日高も憧れて門田の一本足真似してたし
だけどそれ以降の世代はほとんど門田知らないだろうな
解説にも出ないし G+で放送された1973年日本シリーズ中継観た人いる? >>75
確か山田福本加藤の年やったやろ?
スカウト凄いわ。 >>78
ただし門田を含めて入団拒否の選手が多いのが何ともw
まあ、門田が居たらもっとすごい事になってだろうなと
想像するのは許される歴史のifだと思う ドラフト指名で入団拒否の選手が複数出るのは当時なら当たり前 門田と同学年の谷沢も高卒時に阪急に指名されていたんだな
そのまま谷沢が阪急の中軸になったりしてたら
加藤や門田は指名されなかったかもしれんね >>79
山本浩東尾山田福本加藤有藤門田
名球会7人 こんなメタボンがホームラン打ちまくってたなんて当時のレベルの低さを物語ってるな おかわりもタイトル獲りまくりだしこういう体型のほうがいいのかもな >>84
リアルタイムで見てないでしょ?
門田のスイングスピード、打球のスピードは、群を抜いていた。 チビだが80kgあってレスラーみたいな筋肉してたからパワー十分 阪急の指名を断ったのは、所属していたクラレが人数ギリギリで
門田が抜けるとチームが野球できなくなるという事情と
阪急側も12位指名ということで交渉も適当だったのが理由
提示された年俸も雀の涙で、「ぜひ来てくれ」といった言葉も一切なかったらしい 「ぜひ来てくりゃれ岡山」と言ったらほだされて入ったかもしれんのに 30歳を過ぎてからホームランを打ち始めて、2割8分9厘。アキレス腱切断が無ければ、2割9分5厘前後は残せただろう。 門田曰く、アキレス腱を切ってなかったら本塁打は200本は減ったが
ヒットは3000本打っただろうと。 >>86
いや、あいつはデブはデブ(130キロ?)だけど195センチくらいあるだろ。 つい、最近まで発売されていた、南海回顧のDVD付き雑誌本
立ち読みしたが、野村と門田の対談が載っていた
門田があまりに大振りばかりするものだから
野村が王のところに連れて行って
ホームランを狙っているのか聞きに行ったエピソードに触れられている
門田いわく「野村さんは王さんに打ち合わせして言わせている」
対談では、あれには参ったと野村が言っているが
門田「実は、あれは…」(続きはDVDで)となっていた
続きが何か気になったまま、買いそびれてしまったわ ベースボールマガジン社のプロ野球黄金時代の付録DVDで
81年はソレイタが全日程終了した後の残り4試合は気持ちの問題で単独キングになり損ねたとか言ってたな >>96
ソレイタが、門田に負けるなら悔いは無いとコメントして、緊張の糸が切れたんだよね。そのため、最後4試合は本塁打、打点0。単独本塁打王と、打点は3点差で逃した。しかし、ベストナインは大差で受賞した。 成績が今一だった1984、85年は目の調子が悪かったそうだけど
当時はそんな事知らないから、さすがの門田ももう限界かなあと思っていた。
でも逆に言うと目が悪くてもあれくらいの成績残してるのはすごい。 門田みたいなデブは今だったら試合にすら出しえもらえないだろう。
バブルの恩恵で金持ってる団塊みたいなもん。 ダイエー晩年の時ってちょうど今の松中ぐらいの立ち位置だったんだよね
それでも4番DHを打たせて貰えたのはそれだけ打力が落ちていなかった証拠なんだな 東尾が門田やノムみたいな選手とキヨの違いを語っている
ww.news-postseven.com/archives/20121227_162296.html 84年のオールスター第2戦の本塁打は凄い打球。逆風の中、甲子園ライトスタンド中断へ弾丸ライナー。 西武の森友哉が今後は外野手になりそうなんですが
ここの皆さんには森が門田選手のようなスラッガーになれると思いますか?
ノムさんは森のスイングを絶賛してるのですが >>101
一度、近鉄の若い選手にたまたまぶつけてしまったことがある。その時、彼がマウンド上の僕を睨んできた。その時にいったものね、“お前に当てて損するのはこっちや。そんな馬鹿なことはせんわい”と。
大石大二郎 >>99
>門田みたいなデブ
門田はHRを打つために無理矢理食って太ったんじゃないの。
落合と同じで引退したら痩せた。
逆パターンが山本浩二。 >>103
鷹に入ってたら門田二世って言われてたと思うよ
捕手じゃあのスイングは継続できないだろうけど
外野手なら大丈夫でしょ
今の西武で一番好きな選手だからホームラン王になってほしいね 門田って殆どDHになった頃しか知らないし、たまに守る時は外野だったけど
一塁守ることはありましたか? >>108
83年のキャンプでは一塁手に挑戦したが、結局指名打者に戻ったため、公式戦では一塁手としての出場は0。 >>109
> >>108
背が低いし、ずんぐりムックリポパイだから一塁手のイメージに合わないな!?
一塁手はスマートで背が高かくて、足を広く開けて体の柔らかい人が
出来るだけ以上該当者が適任 >>109
それは知らなかったがその年の外人はライトルと台湾勢だよな
まあありうる話だね
>>111
ゴローちゃんに他にどこ守れってんだよw 右利きならサードとかもあったのかな
そういえば香川がサード守ってた事もあったな 76年は9月以降に失速してしまい、3割0分0厘で打率3位。太平洋の吉岡に首位打者を奪われたのは、あまりに勿体無い。 Number832号の門田対野茂の逸話が面白い
門田の本塁打の中で、本人がとりわけ強く印象にとどめているのは、1990年の4月、野茂英雄から打った1本だ。
これは野茂がプロに入って最初に打たれた本塁打だった。
門田は前年のドラフトで野茂が近鉄バファローズに指名されたときから、「プロ第1号を打つのはオレだ」とひそかに誓っていたという。
史上最多の重複氏名を受けた投手からの第1号。やりがいのある仕事だ。
そしてそのオフにはゴルフ場を借りて、「打倒野茂」の特訓をはじめた。
ともかく門田はそうやって野茂との対戦を待った。
そして翌年の4月、野茂との対戦が巡ってきた。
プロ入り1試合目はほかのチームの試合に登板したので、本塁打を打たれないか心配したが、幸い切り抜けてくれた。
自軍オリックスでも、前の打者には「本塁打は打つな」と祈ったという。そして対戦が巡ってきた。
おそらく全部ストレートを投げてくるだろう。そう読んでいた。
「変化球を投げてくるようならたいした投手じゃない」
そう思っていたという。
予想通り野茂は全てストレートを投げてきた。
その力のあるストレートを門田はみごとにライトスタンドに叩き込んだ。
その対戦から2年後、門田は引退する。
最後の試合の先発投手は野茂。
全てストレートでみごとに空振りの三振を取られ、借りを返された。 >>115
門田
野茂の初被本塁打
鈴木啓示の通算3000奪三振の打者
王
江夏の1968 年間奪三振数日本記録タイと新記録の打者
原辰徳
中日小松から初本塁打
本当に不思議な巡り合わせが有るな
王さんの記念すべき本塁打は殆んど後楽園球場だ
もし大洋戦の川崎球場なら白けるな 1 桜井輝秀 720万円
3 定岡智秋 740万円
7 藤原満 1800万円
8 河埜敬幸 1000万円
9 小田義人 650万円
25 片平晋作 1180万円
29 阪本敏三 500万円 コーチ兼任
33 久保寺雄二 480万円
36 池之上格 400万円
41 立石充男 280万円
46 山本昭良 200万円
49 相片裕二 280万円
57 宮崎弘教 280万円
58 鐘井裕治 250万円
59 永安清己 220万円
外野手
6 新井宏昌 1080万円
17 K・メイ 2400万円
23 高柳秀樹 330万円
27 岡本圭右 420万円
28 山本雅夫 400万円
37 中塚昌尚 290万円
42 王天上 800万円
44 門田博光 1300万円
50 堀井和人 450万円
54 上野克二 240万円
62 中野誠吾 290万円
63 神田大輔 200万円 203:2016/08/05(金) 22:58:48.85 ID:G2P1fVjm
門田博光は、二軍でプロ1号を記録した日に、一軍でもプロ1号を記録している。
rio2016.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1468327331/203
321:2016/08/07(日) 16:53:16.20 ID:vhBVra0N
山本浩二がまだ現役の頃の門田に「おっさんいつまでやるんや」みたいなこと冗談で聞いたら
「引退後の浩二さんのように稼げるならとっくにやめてます」と言ったらしい
浩二の本に書いてあったエピソード
引退後もガンガン稼げるのはセリーグの超一流だけ
rio2016.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1332432327/321
306: 2016/08/16(火) 14:03:25.90 ID:VlArbmh/
1967年〜1972年のNPBリーグ最多奪三振は江夏と鈴木がそれぞれ独占。
両リーグの部門リーダーが6年も同じ顔触れなんて今後は起こり得ないだろうな。
rio2016.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1468327331/306
307:2016/08/16(火) 18:02:48.53 ID:xTAzWc4C
>>306
もっと有名な物件だと1962年〜1968年のNPBリーグ本塁打王は王貞治と野村克也で7年連続独占。
rio2016.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1468327331/307 88年の西宮での阪急戦。場外本塁打を放つが、風のおかげとコメント。やはり、並の打者とは、桁が違うんだな。 「ハイタッチ脱臼の時の門田さんは今の僕と同い年か年下だと思うけど老けすぎでしょう?ありえないでしょう?」などとほざいていた選手がいた >>98
引退間際なんか「ボールが見えないから勘で振った」で、ホームランだからな 「俺は老衰」って言葉が引退コメントみたいに思われてるようだけど、
本人的にはこの台詞は単なるジョークで、スポーツ新聞が一斉に
「門田引退」と書き立てたことで「俺はそこまで引退を待たれていた存在だったのか」と
気持ちが折れてしまったのが本当の引退理由だったんだってな スポーツ記者達からすると、常々門田は「30本打てなくなったら引退」と公言していて、
ホークス復帰一年目、.264 18本 66打点に終わり、地元博多のスポーツ記者達は
「いよいよ門田も・・・」と色めき立ったが、門田本人が力強く現役続行を宣言して(只
でさえ批判・中傷好き(w)な)、地元博多のスポーツ記者達が白けてしまったって様子
が中央の週刊誌記事からも窺えた位だからな・・・・・・・・。
週刊誌だと門田の現役続行に地元ファン(つうかマスゴミっしょw)は白けているなんて
ミニ記事だったけど(出典失念)。
まだネットも無い時代での「マスコミを敵に回すと・・・・・」の陥穽に門田も陥ったって
感じの引退劇とも。 ハイタッチで脱臼したときブーマーのバツが悪そうな顔がウケた 門田て腕に力ないんだよね。
それであれだけ
ホームラン打てるんだから凄い。 門田は168cm94kgの筋肉ダルマで40kgのダンベルをガンガン挙げてたぞ
王さんだって腕に子供3人ぶら下げてたしかなりの腕力の持ち主だろう
腕力がなければ500本以上も打てないよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています