1984年ドラフト会議
3球団の競合の末、西武は広沢を引き当てた。

その後、西武は秋山、広沢のAH砲で中軸を形成
一方、大砲補強に失敗したヤクルトは
翌年、清原を指名して、見事に引き当てた。

その後のヤクルトと清原、西武、野球界全体はどうなったろうか?