1978年のプロ野球 [転載禁止]©2ch.net
球界最大の英雄である長嶋が
無名の上田に負け続けるという現実を
多くの野球ファンは認める事が出来なかったんだろう。
当然の反応だ。 >>305
この年の阪神ってこんなに勝率悪かったんだな 江本がソフトボールの投げ方でジャイアンツ戦に完投勝利したのって本当?
観た人いる?? >>378
今年広島が日シリで勝てなければ
この雰囲気になりそうな悪感… あの頃とは違って、今は讀賣の栄華など
誰も望んではいない 昭和の香りでもなんでも讀賣なんざ大嫌いよ
若い頃は試合の度に讀賣ファンを殴り倒してたわ 上田が「クラウンは真弓とか若菜とかキャバレーの姉ちゃんみたいな名前なのに、よう打ちよる」とか言ってた 巨人戦中心のナイターもテレビでもちろん見てたが
今井の完全試合とか鈴木と東尾のどちらが先に20勝に到達するかとかラジオで熱中して聴いてた クラウンに15才の練習生が二人いた
吉田大介(福岡市立志賀中→修猷館高定時制→所沢高定時制)
太田浩喜(福岡市立花畑中→修猷館高定時制→所沢高定時制) 5月に八木沢が現役引退コーチ専任、6月に現役復帰ということもあった。
その後ローテに復帰して9月に規定投球回に一瞬到達するが、不振で結局最終規定投球回数に到達できなかった。
代わりに仁科が二番手投手に台頭した年であった。 現役引退コーチ専任→1ヵ月後に現役復帰だなんて、
一体何があったんだ? きっかけは八木沢に対するカネヤン暴言事件。
確か記者団前に「お前はクビだ」と言い放ち、暫く問題になったような。 当時でさえそうなら、今なら大問題だろうな
ヘタしたら、監督のクビが飛ぶw 金田がテレビで言ってたがある日グラウンドに出てきたら、いきなり監督を首になってたとか 昭和53年のロッテは金田監督の暴言が過激化し、采配もおかしくなっていた。
試合中にベンチで選手と怒鳴りあいの喧嘩をすることもあり、選手の心が離れていった 前年に野村が「度重なる公私混同」を理由にクビになったという事実が出来たことで
必然的にどのチームも秩序を守っていかなければならない空気が出来た
そんな中金やんは旧態依然のままで、チームがBクラスが定位置になると
コーチ会議を欠席してゴルフに行ったりして不興を買ってしまった
拾った野村が活躍しなかったこともそんな空気を更に後押ししてしまった 金田さんはチームの調子がいいときは、陽気にチームを盛り上げて、記者たちにも
選手をよくほめるが、チームの調子が悪いと、言動が乱暴になったり、チーム運営や
采配が投げやりになったりする
当時、金田さんの投げやりな態度は、スポーツ新聞でよく批判されていた
>>398
コーチ会議を欠席してゴルフに行くのは酷いね
アトムズ監督時代の別所さんも、指導を豊田さんに任せて、自分は麻雀に興じて、
豊田さんがそんな別所さんの態度に疑問を呈していた
大投手出身の監督は、こうなりがちなのだろうか? 野村もサッチーに会うためにチームを抜け出していたし
長嶋稲尾小山も現役時代、スランプに陥った時のストレス解消法は
移動日にチームから離れてゴルフに行くことだった
そういうのがまかり通っていた世代だったとの解釈も出来るっちゃ出来る 昨夜のヤクルトOB戦に若松、松岡、安田、大矢、八重樫、杉浦らのV1戦士が出場したね
特に癌で余命宣告されていた安田が元気に姿をとりあえず見せてくれてよかった 金田さんや野村さん、長嶋さんと同じ世代でも、榎本喜八さんは真面目な性格で
酒とか女とかゴルフはしなかったらしいね
趣味は猟銃で、スランプになると怒り狂って部屋の中で猟銃を乱射することもあったが、
この真面目さは他の選手も見習うべきであった >>405
息抜きを知らず何事も思い詰める性格でストレスを貯め込んだ末の行動として、戒めとして紹介される事が多いね。
元々3安打しても自分の打撃が出来てないと1人悩み苦しむって性格なのに、永田オーナーの意向で同僚が次から次とトレード放出されてミサイル打線只1人の
生き残りとしてチーム内で孤立化してしまった事とか、自身の加齢に伴う体力気力の衰えとか次から次と難題が降り掛かってきたらね・・・・・・。
1963年をピークに自分(の打撃)は壊れたと言っていた人だし。 臍下丹田に気を集中して打つ優れた打撃理論を持っていた
榎本さんを打撃コーチとして迎えて若手打者の指導をしていれば、長嶋巨人は三連覇できていた 榎本は人付き合いが下手だったし、それはさすがに無い
荒川博と山内和弘くらいにしか交流が無かったし、長嶋をライバル視してた。
(王は荒川道場の弟弟子と見なしてた) >>407
そんなタラレバ、後からだったらナンボでも言えるわなw >>412
お前らの脳内には珍カスと虚カスしかいないのかw
これだから知恵遅れは困る この時代なら鯉カスと竜カスとヤクカスと鯨カスと近カスと急カスと南カスと西カスとガムカスとハムカスもいる ジュリーはレコード大賞連覇を逃し、最優秀歌唱賞と発表された瞬間思いっきり嫌な顔。
受賞式でも「ファンの皆さんごめんなさい。本当に残念です」と発言、最優秀歌唱賞の権威を落とす。
レコード大賞はピンクレディー。 9月6日まで巨人首位。試合消化の違いで実はヤクルトの方が優位だったとあまり気付かれなかった。
9月以降ヤクルトは奇跡的な勝利、巨人はアホな星落とす機会増える。 中日がヤクルト支援に回ったおかげだなw
後年、廣岡がラジオで「あの時は私も随分といい思いをさせてもらった」と語っていた。 セリーグMVPは打率2位の若松だったが、その若松を打撃3部門全てで上回った広島の水谷は、外野手ベストナインにすら選ばれなかった。
(若松以外の外野手ベストナインは、本塁打王の山本ピーコと、39本塁打のマニエル) すいません、すげー適当なこと書いてしまった。水谷はこの頃既に一塁手だった。
意地でも王をベストナインに選んでた時代だから、そりゃ水谷は選ばれないか。 確か1979年、三部門全てで王を上回った大島がベストナインにかすりもしなかった そんなに王ってだけで偉大なら今年1/3イニングだけソフトバンクの一塁を守ってベストナインに選ばれるがいいさ 王が引退した80年は、さすがに首位打者の谷澤がベストナインに選出されたが、
それでも記者陣は打撃30傑中最下位の王に半数近い票を投じていた。 1978年の捕手、大矢が選ばれて、大矢より打撃成績の良かった田淵、木俣、水沼は落ちた。
ヤクルトが優勝しなかったら、多分大矢はかすりもしなかったろうね。 >>200
田淵不振は阪神初の最下位で田淵放出につながって行った >>411
キチガイはお前
榎本にコーチなんて務まるわけがない http://hissi.org/read.php/meikyu/20190722/TlZvOElFTDM.html?name=all&thread=all
板:野球殿堂(仮)
日付:2019/07/22
ID:NVo8IEL3
名前の数:1
スレッド数:12
合計レス数:12 コイツ、NVo8IEL3に親でも殺されたのか
とでも言わんばかりに粘着しているな 8月20日巨人102試合消化 4.5差首位
9月6日巨人115試合消化-0.5差首位転落 以後浮上できず この年も、82年も86年もライバルが試合数を残していて5ゲーム離していても「負け数」が多かった。
今年は逆に残り試合数も多くて負け数もずっと少なかったから、見た目以上に楽だった。 ヤクルトスワローズの日本一
それがあったのは、この年の今日だった 訂正
この年の今日に発生したのは、ヤクルトのリーグ優勝だった
スマン… 野村派の追放で一気に転落した南海だが、この年は只でさえ戦力ダウンの上に
そこに追い打ちをかけるようにチームの中心選手達が故障で成績を落とした。
野手では藤原と門田、特に攻守どちらにも秀でた外野手だった門田がこの年は肩を痛め
翌年のキャンプでのアキレス腱切断で完全に打一本の選手になってしまう。
投手では一番潰しが効く年齢の金城が肝炎再発でシーズンをほぼ棒に振ってしまう。
おまけに広瀬監督らの時代遅れの首脳陣。
捕手の穴は野村の後継者育成に失敗して来たつけが一気に噴出。
こうして見るとなぜ藤田学は前年と同じ16勝もできたのだろうという感じ。 晩年のヨタヨタした守備しか見ていないから、門田が「守備に秀でた」イメージがどうもわかない。 南海も野村一派の集団退団を黙って見ていた訳ではなく、新外国人として
カルロス・メイとボビー・トーランというメジャーでもそこそこ名の通った選手を獲得してはいた。
メイは12HRながら打率.312(チーム最高打率)で打率6位、80打点とクラッチヒッターぶりを発揮したが
トーランはメジャーでアキレス腱を断裂した影響からか全く振るわず(.267 6HR)あえなく解雇に オールスター組織票が批判されて辞退した日ハムの古屋、菅野は
古屋はのちに何度も出場したが菅野は結局出場なしで終わった >>440
トーラン、、名前からしていかにもダメっぽい雰囲気があるなw
トーランがクビになって、王天上が来たのか。 メイはメジャーでも1000試合・1100本安打を記録した実力者で、ベトナム戦争の兵役に就いてた時に
バズーカ砲の暴発事故で右手親指を吹き飛ばされるも、独自の打法でメジャー
(主にホワイトソックスでプレー)を生き延びてた。
トーランはカージナルス時代には68年の日米野球に来日し、その後レッズでビッグレッドマシン最初期メンバーに
名を連ねていた。
アキレス腱を断裂し戦線を長期離脱してレッズからも移籍したが、後にアキレス腱を断裂した門田が
怪我からの復帰話をトーランから聞き、リハビリ中の励みにしてた 75年のAS遠投競争にパ代表の一人として出てる>門田 中日を追い出される形でクラウンライターに移籍したデービスだが、クラウンでも奇行癖は治まらず
遠征先の宿舎のルームキーをそのままかっぱらって福岡へ戻るのを繰り返してた。
ある時、抜き打ちで選手の持ち物検査であった際にデービスの鞄から大量のルームキーが見つかり
「この大量の鍵は何だ?」と聞かれるとデービスは「ルームキーをコレクションするのが趣味なんだ」と
答えたという >>443
チームが弱過ぎた為に日の目を見なかったけど、間違いなくメイは優良助っ人。
退団した翌年の新外人ダットサンがまるで外れだったことを考えると
もう1年メイを残してみてもよかったんじゃないかと思ってしまう。 中日時代のデービスは、俊足の上、長打もあり、実力はあったが、人柄が悪過ぎるので
評判は悪かった。スポーツ新聞にも散々に書かれていた。
練習の態度が非常に悪くて、チームの士気に影響したらしい。
「いくら実力があっても、デービスなんかいないほうがいい」と言われていた。 >>448
アメリカ時代のデービスはどうだったんだろう。
活躍してるから素行には目をつぶってもらえてたのかな。 投手陣が悪いチームは短期決戦は無理と言われてるが
去年・今年の西武で顕著に出てるし
この年のヤクルトはなぜ日シリでそれを覆せたのか
阪急に山口の故障もあったけど 第4戦5点差逆転勝ちが大きかった
あれ阪急が普通に勝ってれば3勝1敗で4連覇間違いなかっただろう >>451
あれ確か打者ヒルトンのところで山田投入のつもりだったらしいね。
なんで結局交代をやめたのか分からないけど、どうもこのシリーズは
阪急に油断があったんじゃないかって感じがする。 上田は山田に交代させるつもりだったが、ナインが「雄ちゃん(今井)に続投させましょう」と説得し、上田も情に絆されたら最悪の結果が生まれた その投手交代の判断ミスが翌日にも響くんだよね。
ブルペンでリリーフ準備O.Kまで仕上げていた山田が翌日先発して、案の定ピリッとしない投球で連敗してしまうわけ。
バカな新聞記者などのマスゴミは「山田は休養十分にも関わらず」などと言う人もいたりしてむかついた。 まあ、それもこれもリリーフエースの山口高志がシリーズ前に故障離脱したのが全て。
山口がいれば監督がリリーフの投手交代に迷うなんて事は無かっただろうに。 同じような継投失敗は1983年の巨人の第6戦でもあったな >>453
後年、取材で、審判に交代を告げてからマウンドへ行けば良かったと後悔を口にしていた。 この年から南海のレギュラー捕手の座をつかんだ黒田。
とにかく打てないけど19死球でリーグ死球王。
ポジションを守るために必死だったんだろうな。
チームは暗黒の時代の幕開けだったけど黒田当人には
まさに千載一遇の世に出る機会だったわけだ。 >>458
黒田は野村追放がターニングポイントになったね
あの後は西武にトレードされて日本一にもなれた
黒い霧事件後の投手不足が切っ掛けでエースになった東尾にも近い >>459
黒田は西武移籍の前年81年は香川、吉田、岩木と併用されるようになって
完全なレギュラーではなくなっていた。一緒に移籍した片平もそうだが
ブレイザー監督の評価があまり高くなかったようで、それが幸い?して
西武に移籍となった。レギュラーのままだったらさすがに南海側もトレードには
応じ無かったろうな。西武移籍で更に黒田は運が開けた。 1番福本70盗塁
2番簑田61盗塁
て、凄いね。
この年に限っては福本よりも簑田の方が凄いと思う。
それは福本は次打者が2番の簑田で盗塁のアシストをしてくれるけど、簑田の後はクリーンナップなわけで
2番打者ほど盗塁のアシストはしてくれない状況での61盗塁だから。 二人で131盗塁って、今にしてみたら凄い数字だよね
チームの盗塁数がこれより下というところが多いから 強いチームには機動力もあるからな
一見豪華でもヒットを四本続けて打たないとホームに帰ってこれない
打線は怖くない >>256
日本一前も人気あったよ。
V9時代は巨人戦しか客が入らなかったが、
最後まで優勝争いしたので、
その翌年初の黒字になり戦国時代になった
巨人戦以外のカードも客が増え、
長嶋巨人との優勝争いで人気定着。
村上ファンドのオッサンが覚えてるスタメンもこの当時。 1985年の近鉄打線もなかなかだ
走れる選手が大石しかいない野球盤打線 最近は外野が定位置で、走者がすぐスタート切れる二死でも
ヒットで二塁から還って来れない場面が増えた気がする。
外野守備が洗練されてダッシュからの送球が早くなったのに
走塁が洗練されてなくてスタートが遅いとかよく見るし(怒) この年の阪急は前年と比べても決して弱くない。
むしろ1、2番が充実して、強化されている印象もある。
日本シリーズでヤクルトが勝てたのは、やはり池沼と呼ばれた広岡監督の采配だったからだろう。 広岡は頭脳的な采配をするからな
見ていて勉強になる >>469
池沼じゃなくて知将じゃないのか
同音異義語でも、意味合いは対極だぞw 江川事件が起きるまでは阪急・ピーマン・北の湖が
3大子供の嫌われ者扱いだった この年に阪急が日本一になっていたら、上田は翌年以降も監督をやっていたのだろうか。 「まさかの退陣」
元々のきっかけは「もうお前は限界だ」と言って、八木沢荘六を強制引退させた事からだった。78年5月26日の日本ハム対ロッテ戦で、8回から
登板したロッテ・八木沢は最終回に2点リードを守り切れず敗戦投手なり、試合後に引退とコーチ専念を発表した。ところが、これは監督である
金田正一による指令だと分かり選手から不満が噴出してしまうと、ロッテは真っ逆さまに落下していった。
八木沢は当時まだ33歳、しかもリーダー格とあって影響力もあった。確かに直近2試合続けて先発で早期KOしていたが、引退発表の時まで
3勝2敗1Sで防御率3.69と平凡な成績という事を考えると、金田特有の投手像と気分によるものだったのか。
78年ロッテの滑り出しはむしろ上々だった。4月に4連勝と7連勝、5月にも5連勝、前年阪急とのプレーオフで最終決戦まで持ち込んだ自信と、
リー兄弟結成による強力打線で4年ぶり優勝もあると思われていた。阪急をピタリと追走し5月15日には貯金12で0.5ゲーム差に迫るほど
だったロッテ、八木沢の一件が起きる前日でも20試合強を残して4差で直接対決も8試合ある状態だっただけに、指揮官の求心力低下は
致命傷となった。5月31日の対阪急で打撃戦を制し5差としたが、6月に入ると前期の閉幕まで1勝も出来ずリーグワーストタイの15連敗まで
喫して5位で終了した。
勢いを失ったチームは後期に入っても今ひとつで5割近辺を上下していたが、皮肉にも後期復帰していた八木沢が完投勝利を挙げた8月22日の
一部スポーツ紙に、重光武雄オーナーの了承を得たとして「金田更迭」の見出しが出ると、翌日から2分けを挟んだ8連敗で終戦した。後期は
最終的に3位ながら借金持ち、まさかのシーズンを過ごした金田は最終戦の試合前に「ワシはもう疲れた」と言って辞表を提出した。
打撃陣でリー兄弟をはじめ山崎裕之、得津高宏らが奮戦したが、規定投球回クリアがわずか2人でリーグ最下位の防御率を記録した投手陣が
足を引っ張った。木樽正明の引退、成田文男の故障、金田留広と三井雅晴はピークを過ぎるなどV戦士の後を育て切れず、大洋からトレードで
来た奥江英幸も4月の移籍後初勝利以降は8連敗で終わり戦力になれなかった。大洋時代74年からの4年間で28勝を挙げ76年には11勝して
いた実績を活かせなかったが、同じ移籍組の野村克也も捕手出場31試合ながらリーグ最多タイの7捕逸に打っても30安打だけと南海時代の
面影はなかった。オフには1年のみ在籍の渡辺秀武と弟・留広を広島へ、野村と山崎を西武へ放出、チームはワンマン体制のお祭り野球から、
山内新体制の手作り野球へと舵を切った。 (了) この年の今日、ライオンズが福岡から所沢への移転を発表 >>476
またお前か
だからプリントアウトして家族に読んでもらえキチガイ