1978年のプロ野球 [転載禁止]©2ch.net
オリックス・山本由伸が2年連続MVP
パリーグの投手としては、この年まで3年連続の山田久志(阪急)まで遡る >>610
前年の写真名鑑で子供心に「このオッサン、顔色悪いなあ」と思った。
どこかに死の予兆が出てたのかも >>620
日頃から高血圧、かつ50を過ぎても一晩でボトル一本空ける酒豪だった。
当時の新聞記事いわく、キャンプ前に身体作りはしていたものの、いまいち体調が優れない状態だったようだ。 一晩でボトル1本って、ムチャクチャだな
自ら死期を早めているようなもんだから >>622
貴ノ浪は一日に日本酒3升飲んでいた
そりゃ40代であの世に行くわな 「屈辱の一頁」
強力投手陣を擁しながら貧打に泣き、巨人にV5を許した69年の阪神を率いていたのが後藤次男だった。田淵幸一に新人王を獲らせ、江夏豊と
村山実の左右エースだけでなく権藤正利や若生智男のベテラン勢といった、ローテーション投手全員に救援との両用という起用こそあった後藤
だったが、総体的には特徴のある戦略や戦術は少なく「お人好し」「安全運転」のイメージが強かった。
現役時代は打率3割が4回、遊撃と投手以外どこでも断らず守り、愛嬌のある雰囲気と熊本市出身をかけ合わせて“クマさん”と言われていた後藤に
再び監督就任要請の声が掛かったのが77年オフだった。前任の吉田義男は選手に対し体質改善、チームプレーの重要性を説く厳しさを持ち球団に
物を言うタイプだったが、77年の成績不振で求心力を失っていた。後藤の就任は69年2位の実績もさることながら、球団に明るさと和を取り戻す事が
出来るのではないかという点と、野球に精通している点を評価されてのものだった。
前回はスター監督への“つなぎ”といったところだったが、この2回目は三年契約、瓦解したチームを一から立て直して64年以来となる悲願の優勝を
狙うはずだった。
5月に球団ワーストタイの9連敗と2度の4連敗、6月も7連敗で前半戦を終えて既に借金25を数え5位・広島と9.5差と散々だった要因は多々あるが、
中でも山本和行の先発転向で1回目の監督でも行った「全員先発、全員救援」はあまりに時代にそぐわなかった。役割分担が崩れた事で、防御率
リーグ2位で11勝20SPの江本孟紀以外の投手が苦しんだ。古沢憲司が16敗、上田次郎と期待の益山性旭もそれぞれ10敗ずつ、山本も最初は
連勝スタートだったが球宴明けは1勝も出来ず5連敗で5勝10敗という有り様だった。
野手陣はハル・ブリーデンとマイク・ラインバックの両外国人を共に開幕から左膝痛で欠くなど故障者が続出、田淵も腰痛、掛布雅之は死球禍、
中村勝広はアキレス腱とベストメンバーが組めなかった。
後半戦は先発に定着して終盤5連勝した池内豊の奮闘はあったが借金14を上乗せ、8月26日の敗戦で早くも24試合を残しながら前年更新した
ばかりだった最低勝率が確定した。全球団負け越しで特に大洋には甲子園で1勝も出来ず2分け11敗の体たらくで、優勝したヤクルトと30.5差、
5位・中日とも10.5差という球団初の最下位は、80敗に勝率.339という創設以来最低の数字となって表れた。
最終戦後「やっと終わったという感じ。結局ワシに力が無かったんだ」と話した後藤は2回目も一年で退任、“屈辱の一頁”をめくり終えた阪神は
68年以来の外様監督招聘と主砲のトレードに踏み切る大改造に打って出た。 (了) >>625
吉田監督の功績は強打の外人を入れて、田淵の前後の主軸が打てるようになったこと
掛布の抜擢、江夏の放出で投打ともに充実させたことだな
遠井が主軸を打っていた従来の打線も面白かったけどね 掛布の抜擢、そして台頭は大きかったよね
衰えるのも早かったけど だけど機動力を軽視し続け(これは村山時代から)チーム全体の盗塁数も少なく
さらに田淵を始めとするメタボ体型な選手も何人か目立ってたため
阪神部屋と呼ばれてた。
中村勝広や島野くらいしか走れる選手がいなかった。 >>629
野村談
要は、タニマチ球団なのだ。大阪だけでなく全国どこへ遠征に出かけてもタニマチがおり、
選手は連日、彼らに誘われ、夜の街へと出かけてしまう。遠征先のホテルに残っているのは、
いつもマネジャーと私だけだった。なぜ誰も不思議に思わないのだろう。
もちろん、プロ野球は人気商売だ。熱心に応援、後援してくれるファンあってのものである。
しかし阪神は、その一面に甘え切っていた。もし田舎の高校生だった私が阪神に入団していたら、
おそらく今はなかっただろう。 >>630
丹後のおイモちゃんにいきなりお声はかからんよ 何だかんだ言っても、この年は讀賣が優勝しなくて良かったよ 巨人は王・張本にやや衰えが見えてきた年だった
シーズン初めには荒川さんが「王の1000号は私が保証するよ」と語っていたんだけど
柴田・高田・土井のV9メンバーは健在だったんだけどね ザベストテン開始
暴れん坊将軍開始
大河黄金の日日
ピンクレディレコード大賞
キャンディーズ解散
未知との遭遇
スターウォーズ
さらば宇宙戦艦ヤマト
世良公則&ツイストひきがね10週連続1位
ブルートレインブーム
バンバンボールブーム >>625
ま〜たお前かwww
お前、「了」の意味も用法も知らんだろ?
了と書きながら同じスレでまたクソ作文投下したこともある阿呆w
そういうケースは最初の長文の後に書く文言は別の漢字2文字なんだがwww
まあ無知無学が背伸びしてるだけの作文野郎は一生知らずに死ねよw >>636
この年の王は、シーズン中に38歳を迎えた
もしかしたら、シーズン40本×5年とか本気で続けられると
思っていたんだろうかね >>636,641
大洋の本拠地が川崎球場からハマスタに変わったのも少なからず影響したとの評論も。
この頃の王さん、狭い川崎でホームラン量産しているってイメージだったからだろうな。 78年王ホームランスプリット
10号 20試合
20号 57試合
30号 100試合
39号 126試合 77年
10号 40試合
20号 73試合
30号 90試合
40号 106試合
50号 129試合 >>641
>>642
加齢に加えて、本塁打が出にくい環境であること
これはもう仕方がない 王、張本ともオールスターまではよく打っていた
オールスター後に成績を落としているんだよね
シーズン途中から衰えが出てきた感じ
翌年はさらに打てなくなった 83試合
王・・・.304 22HR
張本・.337 13HR
130試合
王・・・.300 39HR
張本・.309 21HR もし巨人が優勝していたら、日本シリーズは阪急が勝っていただろうな
51、52年でも勝てなかった巨人は53年の戦力で阪急に勝つのは難しい >>649
そうなると上田監督続投で近鉄の優勝もなかったかもか だからこそヤクルトが阪急を倒して日本一になった事は衝撃的で痛快だった。
江川事件が勃発するまではっきり言って阪急はヒールチーム扱いされてたし。 それって、あなたが讀賣のファンだから、それを破った阪急憎しという観点で言ってるわけじゃないよね? 阪急は常勝球団になったのに人気がなかった
そこが黄金時代の西武と違うところ
あれだけ一流選手がそろっていたのにね 八重樫が言うには「四タテだけは食らわないようにしないと」と始まる前は思っていたそうだ
選手間でも当時の阪急は最強チームと認識されていた 日本シリーズの第三戦(西宮)で足立がヤクルトを完封して勝った際に
ヒーローインタビューで足立が「シリーズは西宮で終わりますよ」と言ったのが
ヤクルト(特に大杉)を発奮させた。このあたりに当時の阪急の傲慢さが伺えた。 >>654
西武と違って田淵や清原みたいなアマチュア界の大スターが皆無だったからな まあ、西本監督による叩き上げ集団だったからね。その良さは玄人には分かっていたはず。
76年最終戦、足立の力投で初めて巨人を倒した後、NHKラジオで解説だった川上氏が「これで来年は西宮球場にもお客さんが増えるでしょう」と言ってたのははっきり記憶している。
77年は増えてたと思うが。
今のオリックスも弱いところからジワジワ増えてたね。 >>658
大矢が後に言うには第1戦逆転負けしたとはいえ、8回までに5失点とヨレヨレの山Qを9回も続投で完投させたのを観て、
「これなら少なくとも良い勝負出来るかも」と思ったんだそう。 >>661
第1戦もヤクルトに勝機は十分あったな。
安田を引っ張り過ぎた。 西宮の外野が人工芝になって、競輪バンクによる芝のハゲが解消された。
前年までは、外野手はゴロヒットの処理が厄介だったんじゃなかろうか。 ヤクルト優勝年の中日は、9分の8が5位以下
2位 1993
5位 1978 1995 2001 2015 2021
6位 1992 1997 2022