微妙な成績のレギュラー選手 Part2
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オリックスの塩崎真。
チームの先輩の小川博文の下位互換のような感じの選手で
内野でいろんなポジションを守れるぐらいしか特徴のない選手だった。
ついでに合併球団の近鉄の正遊撃手の阿部真宏も似たような感じの選手だった。 南海の山村
近鉄の石渡
ロッテの佐藤兼
日ハムの二村忠美
走攻守中途半端 近鉄 真喜志
阪急 福原
西武 奈良原
ロッテ 南渕
ダイエー 湯上谷
日本ハム 五十嵐 長内孝は常時260 15でしかもファーストで、よくレギュラーになれたもんだ
外人ではタラスコ 山村は兄と弟がいたな
山村兄は長打あるがエラー連発で湯上谷もビックリ >>9
暗黒期阪神外人なら、グレン、ハンセン、ジョンソンも微妙レギュラーだね
まあメンチやコンラッドと比べたら、彼らも当たり外人だが >>11
それ、微妙な選手じゃなくてジャンルは、ハズレ外国人では? >>14
グレン、クールボー、ハンセン、ジョンソン、タラスコは
一年レギュラーだったよ。だからスレタイに一応あってるのでは
完全に外れのペレスとかシークリストとかならスレ違いだけど 外人だと西武ブコビッチ、ジャクソン、
南海ドイル、
ハムデイエット
楽天リック
中日の李(2人とも)とか。 ハドラーはセカンドということを考えると優秀な選手では
あと桜井が桜井伸一のことを指すのなら微妙ですらないよ ハドラーは得点圏打率が高くて、恐怖の8番打者って言われてたな。
あとはクラーク(佐々岡をぶっ飛ばした奴)やデントナあたりが該当するか。
テータムやアンソニーも浮かんだけど
打数が少ないから除外した。 >>21
一時期はスタメンクリーンナップだったのにな、桜井広大
レフト金本、センター桜井、ライト林威助の最強外野陣よもう一度 >>18
その桜井は2軍に落ちると4番だったのを見て、
格差というものがあるんだなあとしみじみした。
池山と同期同学年の選手だったな。 >>18
90年代前半のヤクルトのセカンドは
レイ・パリデス・ハドラー・苫篠・土橋・桜井など
いろんな選手で回していた状態で
なかなかレギュラーになる選手が現れなかった。
94年から、ようやく土橋がレギュラーで定着するようになった。 ちょっと思ったけど
これ現役の選手も含めてもいいんだったら
今年の巨人の打者ほぼ全て該当するんじゃないか? 絶対的なレギュラーでもパッとしない年はあるからなぁ
このスレで扱うのはどちらかといえばもっと他に良い選手がいたらレギュラーがとれそうにもないのに
数年間レギュラー張ってましたって選手だと思う その大橋にベストナインを取られ続けた飯塚はなかなかよい成績 その大橋穣に日本シリーズMVPをもってかれた
阪急黄金時代のスター選手の面々の立場は って、やっぱこのスレのタイトルは「微妙な打撃成績のレギュラー選手」って感じだよな。
特に守備の人を打撃成績がへっぽこだから貶す風潮が多い。ファミスタ脳みたいな。 まあ目につく数字は率本点盗と攻めの数字ばっかりだからね
少し上の馬場なんて守備で言えばタイトルホルダーみたいなもんだし >>34
MVPじゃなくて1975年の打撃賞(首位打者)だね
19-7 .368 4打点 1本塁打
まあ短期決戦(この年は6試合)だし、そのときだけバカあたりしてるってのもままある 大橋といえば超当たり年でいの一番に指名された選手。
大学時代はスラッガー、当たれば飛ぶっていうタイプ、
決して非力ではないんだよね。 マネーボールで有名なアスレチックスは今は仰木・オリックス
みたいなことをやってんだな。たしかに猫の目打線みたいなことを
やったら、このスレでいう微妙なレギュラーが増えてコストも
抑えられるえわな。
http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/mlb/2014/06/13/post_114/index4.php >>30
そういう意味では西鉄黄金期の一塁・河野が当てはまるかと。
何よりも球団・首脳陣が河野の一塁レギュラーを気に入らなかったであろう事は、中谷(阪急から
移籍)、田中久寿男等と強打一塁手を獲得していた事からも伺い知れるが、ハエ取り紙と言われた
捕球力と、ここ一番で見せる悪球打ちの巧打力でレギュラーの座を維持し続けた。
>>40
本質6番打者タイプながらも、1番でもクリーンアップでも(所属チームが日本一に輝いた1974年
でも、アルトマン癌治療に依る長期欠場の間の4番を務めたり)イケるという万能タイプに徹する
事で長期間レギュラーを務める事が出来たって感じですな。
日ハムのコユキの二塁手版みたいな感じ。 ツープラトン用兵の元祖といえば1949〜1953のWS五連覇時のヤンキースだけど、ディマジオ
最晩年→引退&マントル覚醒前の世代交代期を選手取っ換え引っ換えの猫の目打線で乗り切った
という意味では、今年の巨人に限りなく近い............。 本屋敷って打率低かったがレギュラー
長嶋・杉浦と比べると・・・
でも大学の顔を立てて起用していたのかな 微妙軍(1995〜04)
1 (中)諸積兼司
2 (遊)小川博文
3 (一)高木大成
4 (指)キャリオン
5 (左)平塚克洋
6 (三)元木大介
7 (右)井上一樹
8 (捕)日高剛
9 (二)高木浩之 1 (中)諸積兼司…0.280 盗塁15
2 (遊)小川博文…0.275 盗塁10 犠打30
3 (一)高木大成…0.280 盗塁10 本塁打10
4 (指)キャリオン…0.250 本塁打15
5 (左)平塚克洋…0.270 本塁打10
6 (三)元木大介…0.290 本塁打8
7 (右)井上一樹…0.270 本塁打10
8 (捕)日高剛…0.260 本塁打5
9 (二)高木浩之…0.260 出塁率0.310
キャリアハイまでいかなくても、キャリオン除いて期待された数字をこなせば悪くないチーム。
長打力も、大成、平塚、井上の誰か一人が覚醒したら20本望めるしね。 元木にレギュラーの印象が全くないんだが…
そもそも規定打席に達したことあるか元木って 90年代末期〜00年代初めまではレギュラーといっていいだろう。
その時代の巨人の内野は、清原、江藤、二岡、仁志、外国人(ダンカン、マルティネス等)だったんだが、
不調、怪我、ハズレなんかで全員が出揃うことはまあ無かった。
で、どこでも守れる元木がどこかでスタメンだったイメージ。
控え仲間の後藤、鈴木、(老いた)川相よりは扱いが上だったしね。
二岡が怪我すりゃショート、仁志ならセカンド、清原が消えたら江藤が1塁に回ってサード、マルティネスが1塁ならレフト……
規定打席に達した年もあるが不動のレギュラーといえた年もポジションも無い。
結構、評価の難しい選手だと思う。 須藤大洋の清水
サードのくせに長打力もなく打率も低い
何でレギュラーで使われてたのか >>51
ライバルが小技や巧打に光るものがあったものの長打力が丸っきり無かった銚子(これでも大学時代
は、小早川を差し置いて不動の4番を務めた程の選手だった訳だが)だったり、田代の後の三塁レ
ギュラーとして大きな期待を掛けられたものの、真っ直ぐしか打てない大型扇風機に終わった大野
だったりとの状況に助けられたのと、「四月男」と言うべき春先の強さ(1991年4月の月間MVPを
獲得)や、意外にバントが上手かったりという器用さ辺りからの安全パイ的な起用だったかと。
俊足好打好守の石井琢にあっさり三塁を奪われたのも致し方なしではあるけど。 サードは打力と守備力要求されるから結果的に微妙なのが結構いるよな…
あと外野のレフト 須藤自体が毎日ではレギュラーか代打か微妙
巨人でもそうだった記憶 レフトは誰でもできるから競争過多になって逆にしょぼく見えるけど
出た選手累積するとけっこ売ってる場合が多い >>51
というより当時の大洋で微妙じゃないレギュラーって高木豊と外国人くらいだろ。 清水は完全に須藤のエコ贔屓といって過言じゃない
当時のチーム状況を知っているが
もともと強肩を買われて入団した進藤が
ファームでホームランも量産していた
サードは清水じゃなくて、絶対に進藤だって当時から思っていたよ
須藤が辞めてから進藤が台頭したが
別に、驚かなかったわ 清水は西武に移籍したら内野の控えだったな
実力的にはそのへんがちょうどいいのも悲しい でも清水って40歳近くなっても代走要員やって盗塁ばっちり決めてたよな
あの若さを保つ秘訣は何だったんだろ 二村忠美なんて、当時の日ハム以外だったらレギュラーになれない 1978年のオールスターゲームでファン投票で選抜されたのに、
辞退させられた菅野光夫 なつかしいね〜古屋と菅野だっけ、辞退したの
組織票うんぬんで 1989年だったか、オールスターの中間発表が何故か
微妙な選手ばっかりで話題になった覚えがある
その時点で一位だった選手が「馬鹿にされてるなら腹立たしい」とか
コメントするくらい異様な面子だった気がする
結局最終的には順当な面子に落ち着いたはずだけど、
「微妙な選手オールスター」とか見たかったなあ >>68
ああ、あの頃ってヤクルトおばちゃんの組織票とか言われて
ヤクルトの選手がファン投票でやたら強かったんだっけか
「腹立たしい」とかコメントした選手もヤクルトの選手だった気がする
確か内野手 >>65
>>66
1970年代後半のパの遊撃手は、
1976年のベストナインが規定未満の打率.191の大橋穣だったことでわかるように、
パの遊撃は全員が微妙な成績のレギュラー選手だったので、
菅野光夫は辞退する必要は全くなかった。
ちなみに、1978年のオールスターゲームのパの監督は前期最下位の広瀬叔功監督で、
コーチも監督経験のない徳武定祐コーチ(金田正一監督は、三度前年2位か3位だったが一度もコーチにならなかった)と
中田昌宏コーチ(上田利治監督がオールスター直前になって急病のために入院)と
暗黒パ・リーグ時代にふさわしい首脳陣だった。 微妙軍(2005〜14)
1 (遊)渡辺直人
2 (二)関本賢太郎
3 (三)草野大輔
4 (一)高橋信二
5 (左)大松尚逸
6 (指)ブランボー
7 (右)下山真二
8 (捕)石原慶幸
9 (中)清田育宏 う〜ん、強くはないが決して弱いわけでもない、ネタとしても楽しめない…
まさに微妙軍だな〜 >>71
なんかスマホの野球ゲームを非課金ではじめました的なオーダー >>60
フロントの介入もあったろうと
清水は社会人名門(当時)のスリーポンドからドラフト2位指名、
進藤は高卒ドラフト外 >>67
その年故障で一試合も一軍にいなかった湯上谷がショートで一位とかね
まだ政治オンリーじゃなかったころのテレ朝サンプロで引退したばかりの東尾が「こんなのは愉快犯」だと憤慨してたな 岡崎郁の成績って微妙すぎるなw
チャンスに強かった印象はあるけど >>71
直人・信二・大松を外して藤本・ハタケ・高山久がいいなぁ。 岡崎は数字の割に異常に存在感があった
得点圏打率はかなり上位だったような ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています