西武ライオンズの微妙な選手
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上田、原なんとか。(守備はいいけど、打撃はプロ未満の期待薄) 吉本
あいつもう少ししっかりしてくれてたら西武は82年でなく81年に初優勝してたよ。 トレンティーノ
西武の黄金期の外人にしては存在感が全く無かった 石井義人佐藤友亮上田浩明上田和明
後藤武敏坂田ジンター高木浩之 >>18
デストラーデの後釜で入団した選手。
何かにつけ>>18みたいにデストラーデと比較されて気の毒な選手ではあった。 外国人ならバークレオ。
ブコビッチは小柄だったため、かえって存在感はあった。 >>32タイロンを放出(テリー獲得に伴って)して獲ったけど
全く役ただつだったな。
後思いつくのは代走で一軍に出てた小沢 レフト軍団
吉竹、安部、苫篠が有名どこ
山野、山田潤、岡村が微妙 >>33
やる気を全く失ってましたからね。
今考えるとそんなに西武に行くの嫌かなとは思いますが。 行沢結構活躍しましたかね。微妙な域は一応出てるかなともw 行沢より大原
そして西武初期のザル内野陣 益川、広瀬、金城 吉岡も最初いたな。行沢とのトレードで日ハム行ったけど。
春日、徳山、慶元等も 広瀬新太郎
こんなの獲るならオッサンッと保さん出すなっての 駒崎幸一とか清家政和とか蓬莱昭彦とか
少しグレードは上がるけど安部理とか森博幸とか
決して主役ではなかった人たちがマスターズリーグでよく活躍していたのを見て往時の西武の層の厚さを感じた 五億円でスター選手一人雇う所を粒選手だと五億円で十人雇える。
星野さんは粒選手十人クビにしてでも一人のスター選手を取る人だったけど。
西武は粒選手を使うの昔から上手かった感も。 西鉄時代からそういう傾向はあったな
豊田売って外国人三人雇うとか >>44駒崎で思い出すのは、南海立石の隠し玉の犠牲者しか出ない。
珍プレー特集で、立石が隠し玉成功した後、近藤三塁コーチにボールを
トスすると近藤コーチは”この野郎”って感じでなげつけよう(格好だけだろうけど)
としてたけど、やめたって感じのシーンだったな。 >>47
広島はそれで20人雇おうとするから更にタチが悪いw >>50それだったらシアンフロッコ(同じ年にいた) 今のライオンズ微妙の集大成みたいだな
3番栗山・低打率の中村が4番とか
暗黒阪神の坪井・新庄クオリティじゃん >>50>>53
ブリューワと同じ年はパグリアルーロ(94年)。
シアンフロッコはマルティネスの後釜で99年に入った選手
一緒に入ったのがブロッサーで、両者とも不振のためジンター、
さらにポールが加入するも外国人が振るわず貧打に泣く。
翌00年フェルナンデスは活躍もジェファーソンは不振で途中退団
01年カブレラとマックレーンのツインバズーカでようやく打線が蘇る。 ブリューワもパグリアルーロも病気になったからとシーズン途中帰国して日本シリーズ
にはちゃっかり顔出してたな。
森監督は彼らをシリーズで使わなかったけど。 ヤクルトにいたブロスも西武にいたけど
たいしてかつやくせずに退団したな。 西岡
ゴールデングラブ獲ったが定位置獲得できず巨人に移籍した >>59
ヤクルト時代にノーヒット・ノーランを達成したのを忘れている人がほとんどだと思う。 >>65
巨人相手にノーノーだったから割とみんな覚えているのでは >>43
やくみつるの4コマにあったな・・・
やく「いいんですか?こちらの見返りはこんな(広瀬)んで?」
森「それがあちらさん強引で・・・広瀬⇔永射+片平じゃなかったら
この話御破算にするぞ、て譲らないんですよ」
「こっちは金銭だけでいい、て言ってるのに・・・」
これってかなり真相に近いと思うねw >>64
90年に移籍して来た大宮のリードでちょこっとだけ覚醒したな。 赤田も身体能力12球団で一二を争うって言われる割には、足も肩も言われるほど話題にならない。
というか微妙 >>72西武球場第一号本塁打の人しかイメージが無い。
根本管理部長がダイエーに引き抜かれた後の外人は
カブレラ、マクレーンが入ってくるまで2人活躍したイメージが無い。
ジャクソン、マルチネスと片方が活躍しただけ。
根本がいたらこんな選手取らなかっただろうってダメ外人が多かった。 最初からフロント候補という面もあったろうが高木大成 入れ替えが激しいから駄目な選手はすぐ出されるしねこのチームは。 立花、大田、西岡、テリー、金森…
黄金期前半は微妙の宝庫だった
これで華々しい後期と同等に評価されてる訳ですからね
玄人には堪らないチームでしょうな
晩年田淵・山崎等どこまで渋いんだ
後期黄金期は吉竹、森、安部程度だった 最近森友哉が活躍するたびに森博幸のことを思い出す自分 100いかないうちに清家も山野もペンバートンも出ていた…
白幡と田鎖はまだだな? 黒原・・・・・ヒゲの中継ぎ 1年間限定で輝いた
西本・・・・・広岡時代に先発で起用されていたがロッテ戦で恫喝され長い低迷期に
2年間、中継ぎで活躍した ロングリリーフできる
藤野・・・・・田辺、清家が故障したシーズン、開幕からスタメン起用された
おばちゃんみたいな顔している 大洋にトレード
山野・・・・・足が異常に速い 平野がデビュー戦でスタメンで起用されセフティーバントを決めた
前田耕・・・・ローテの谷間に時々先発したがストライクが入らねえ
ヤング・・・・・故障がちの郭の刺激剤として獲得。 球が速いがノーコン
帰国後も2004年(40才までプレーしていたらしい >>92
それ微妙じゃなくて全然ダメ
バークとか森山とか隠し球も当たりまくっていた頃だけにビビったが
本人には悪いけどハズレでホッとした
翌年の竹下も含めて帝国の翳りを感じさせたと言ったら大げさかな 少しズレるが大洋行ってほぼ守備専で活躍した秋元
蜂の一刺しもよそに行ったらあれぐらいやったんだろうか ウィッシュネフスキー、こっちで登録すれば良かったのに 一番バッターにダリンジャクソンが好きだったな
外国人が一番打つのも当時は新鮮だった
少ししかいなかったけどそこそこ活躍した 鈴木葉留彦はフロントで無能っぷり発揮しているが選手時代は微妙 80年代の黄金期はあのメンバーがお馴染み過ぎて微妙な選手が浮いてたっつーか、誰?みたいな
うーん >>107
保光・博之のどちらの事を指しているのかが気になる。 逆転サヨナラホームラン放って号泣する場面がカラオケ映像にも使われてる犬伏 >>92
長見ってプロ野球aiでヤクルトの二軍選手に混じって
人気投票上位にいたな。 相馬勝也
ヤジ将軍というポジションのおかげでずっと居座って
10年経ってやっとプロ初安打(生涯最後の安打でもあったが)
なんでこんなザコが大ヒーロー工藤と一緒にピョンピョン飛び跳ねていたのか理解に苦しんだ 控えの捕手って微妙なのが多いよね…
相馬はまだ伊東がいたから理解できるけど
同時期に燕にいた中西なんて秦と八重樫に勝てなかったキングオブザコだぞ 基本的にはキャッチャーは不動の正捕手であってほしいだろうからなぁ。
だけど、その正捕手がベテランでたまに休む必要があるとか、
万が一の怪我離脱のときのためには、
安定の控え捕手がいるいないじゃ、安心感が違うんだろうね。
そういう意味じゃ中西って巨人ファンからすりゃ、
グラッデンとの一戦がやたらと印象的なので、
そこそこの半レギュラー控え正捕手w って感じだよ。
実際、野村も「日本一の控え捕手と絶賛していたらしいがw
調べてみると自分の印象とは違って、たしかに
残る数字のない選手だあね(´・ω・`)
後年は秦、八重樫ときて、古田だしな。 相馬と同タイプのベンチにぎやかし要員だった大久保は移籍で運命が開けたね
相馬と違って二軍の二冠王だったから可能性はあったわけだが
88年の中日との日本シリーズで大久保がまるで自分が打ったかのように万歳して大騒ぎしてたのが印象的だった
こう振り返ってみると87年の相馬、88年の大久保と日本シリーズでしっかりベンチ入りしてるんだな 二軍の二冠王で思い出したが垣内はこのスレ向き?
一軍と二軍でそれぞれホームラン100本打ってるけど むしろ華と長打力がまったくない方の高木のほうがこのスレ向きかも 敗戦処理でよく投げてた内山
確か秋山と一緒にダイエーいった 高木大成は阿部くらいの数字残しても物足りないと思われただろうな。
それぐらい期待値が凄かった。 槍投げの人か
あの時期奇妙な名前西武にたくさんいたよな
おやふそこうや、かせだみちひさ いた年が悪かったという意味では、
ジャクソンと同様に一番バッターとして打率.290、18盗塁という成績を残したものの、
在籍が西武ライオンズ最初の年(1979年)だったがために1年でクビになったマルーフこそ一番悲惨… そういえば広島ではローテーション投手だった山根和夫も、
移ってきてからは完全にこのスレ向きになってたな… 大久保みたいに押しつけがましくて自己主張が強い奴の話し方は、
大抵の人にとっては胡散臭く感じるだろうが、誰かに依存したいタイプの人には
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WV87L やり投げの日月
本人のことは覚えてないが、姉の方はなぜか脳裏に焼き付いている 故障が無ければ、横田久則はローテの谷間で10勝していたかな? 真弓、若菜、忍=ホステスみたいな姓だった
基、柏熊、大慈弥、日月=珍名
鬼頭(監督)=変換注意
レオ・ドローチャー=幻の監督
実現してたら、3年早く『レオ軍団』と呼ばれていた!
訳ないか 93年のシリーズ最終戦で山野を使ったのは未だに納得できない
謙さんを見切ったのはわかるがそれだったら笘ぴょんか吉竹を
使うべきだった @古沢憲司
この人の場合、最初からトレードをやる時の交換要員として出す駒という意味合いで獲ったんじゃないかとしか正直思えなかった。
A山下律夫
この人も所沢移転の時点でトレードに出されてもなんらおかしくはなかった。 >>59
他球団の元エースクラスだと藤本修二 小野和義もいたな
小野は結構活躍したが >>151
藤本修二はダイエー時代に右足の内転筋を故障して以来ボロボロになってたからまだしも、
小野和義は近鉄時代に野茂や吉井や阿波野と同様に鈴木啓示と対立してたらしいからね。 初期の頃にいた、ほとんど印象に残ってない投手たち
・浜浦(2010年のライオンズクラシックには顔を出してたけどね)
・五月女(横浜大洋のイメージしかない…)
・玉井(チームのスタッフというイメージが強い)
・根本隆、鵜沢(基が交換要員だったんだからもっとまともな選手を獲ってほしかった)
・大川浩(全然記憶なし…) 山田潤
ヤクルトとの日本シリーズ第1戦でスタメン起用され石井一に3タコ
試合後、野村監督に“あの山田という選手がスタメンにいたのは助かりましたね”
と嫌味ったらしく言われて、その後2度と起用されるこよはなかった >>157
こういうことを言っていた野村監督の、
選手としてのライオンズでの2年間も十分微妙だったけどなw >>38
そもそもなぜ南海がたった一年で放出したのか?
一応ドラ1なのに、たぶん人気球団ならもっと下位なんだろうが。 キャッチャー仲田
伊東がキャンプで故障して開幕から出遅れたシーズンがあって
開幕スタメン、ラジオでアナウンサーが
「仲田が“シーズンの目標は年間10安打”と言っていました」と言ったら
それ聞いてた解説の豊田も苦笑いしてあきれ返ってきた。 小島瑠璃子さんへ
もう埼玉に来ないで人生を終えてください
あなたの出演している放送も見ません
あなたがCMに出ている企業の商品も買いません
絶対に埼玉に来ないで人生を終えてください
以上 >>156
五月女は大きな眼鏡をかけていて、時々手で眼鏡を直しながら投げていたのを覚えている
玉井は加藤初とのトレード相手で、「加藤初を出したのに、玉井(と関本)か!」と
思ったことがある スレタイ見た瞬間に岡村広橋駒崎蓬莱の4人が思い浮かんたが
>>1でそのうち3人入ってた 行沢、市村、清家とかその辺
初代燃えプロの代打陣でほぼ使われた試しのない方々 439 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/12/28(土) 11:57:26.31
>>435
さいたま新都心駅前には核廃棄物ドラム缶で3万本埋まってる
昔、汚染騒ぎもあったけど、今はその上にマンション建てて人住まわせるそうだ
意外と今の日本人はバカだから見て見ぬ振りすればなんとかなる 鈴木葉留彦は一塁手なのに、あまり打てなかった印象がある
引退後はフロントに入っていたので、実務力はあったのだろうか? 76年はシーズン後半レギュラーで
規定打数不足だけど3割売ったが。 鈴木葉は一塁手としては非力な印象があるな
左打ちだったので、右投手のときに5番一塁でスタメンに出ることもあったけど、
ハンセンとか土井とか田淵の影に隠れていた 大宮高校出身の鈴木治彦は埼玉に里帰り
大阪出身の山村兄は南海を経由して福岡に出戻り ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています