【1994】巨人時代の落合博満を語ろう【1996】
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ただ長嶋は落合不要論に対して
「落合は打率は.280ぐらいでもフォアボールを大量に選ぶから見えない貢献度が高いんですよ〜
フォアボールはヒットと一緒なんです。これは絶対チームにプラスです」と繰り返してたんだよな
当時は出塁率より打率打率みたいな風潮が多かったけど
長嶋はその辺の数字も冷静に見ていたのかもしれない 落合君には三冠王は望みません打率等は上記の数字でよいんです
むしろ4番落合という名前を最初に書いて打線の軸がほしいのと生き様を
内の選手見てもらいたいんですと伸子夫人にいった
それを聞いた伸子夫人は落合に巨人移籍を薦めた
落合獲得にはそれなりのテーマがあった。 広沢清原にはそれを感じない >>357
>フォアボールを大量に選ぶから見えない貢献度が高いんですよ
う〜ん、、それはどうかな?
星野に言わせるとそれが不満だったというね。
シチュエーションによるが、落合が四球選んで出ても、
鈍足だから交通渋滞起こして得点につながらないので、
それがストレスだったらしいけどね。 >>360
それは生で見ていた世代だから知ってるよ
落合には四球乞食的なところがあった
(特に不調時はどんな絶好機でも最初から四球狙いのように見えるときもあった)
でもトータルで見たら出塁率の高さはやはりプラスだよ ただ中日とソフトバンクの日本シリーズで
和田がチャンスに四球を選んだが後続が凡退して無得点
その時監督の落合が「フォアボールだけはやめてくれと思っていたのに選びやがった」みたいに言っていたのを聞いて
それをお前が言うかよ、とは思った
場面によっては多少無理してでも打ちに行って欲しいと思うときはあるね 落合は四球を選ばない打点マンのラミレスを高く評価してたからな
落合が選ぶ歴代ベストナインで自分を選んでないし現役時代の自分はそんなに評価してないんじゃないかな なお歴代の右打者ナンバーワンは俺しかいねーだろと豪語した模様 ラミレスの事は評価するのに松井秀喜の事は評価しない落合 >>361 >>364
好調な時は四球ばかり選ぶより積極的に打ってくれと思うこともあるが
不調の時も考えればやはり出塁率が高い方がいいよ
特に晩年に力が衰えてからは、選ぶ力があるかどうかで大分変わる
例えば王ほど四球を選ばない長嶋のラスト2年なんて酷いチャンスクラッシャーで
ネットのある今だったら「この老害、氏ね」とボロクソに叩かれていたはず
逆に王は全盛期は四球の多さのせいで打点が意外に少なかったりしたが
最終年は打率が2割3分台まで下がっても四球でチャンスをつなぐことが多かったので
そこまでブレーキにはなっていない 1974年は長嶋があまりにチャンスでブレーキになるので
川上監督は1番で使ったりしてたみたいね
当時の新聞縮刷版を見るとあの長嶋ですら結構批判されていた 別に長嶋を貶したいわけじゃないよ
ただどうしても過去の選手は美化されがちだけど
打てないこともいくらでもあったし
特に晩年はどんな名選手でも年齢には勝てず悲しい状態になるんだな、と そう考えると本当手首やらなかったら落合はどこまでやれたんだろうなあって思う48くらいまで頑張れたかな 1974年の長嶋の良かったところ
満塁時の打率 556
逆転打 長島 3本
王 0本 野口のデッドボールが無かったとしても
パリーグ移籍となると11年ぶりで
初顔合わせの投手ばかりになるので
ある程度対戦して、相手の特徴を掴んでから
結果を出す落合さんには厳しかったのではないでしょうか。 目が駄目になるからどのみち長くはもたない
イチローも致命傷になったのはそれだからね >>366
プロ野球にも松井派とイチロー派がいるからね
谷繁も松井怖くないとか言ってた 博満の我儘で牛島、上川、平沼、桑田が中日から去るハメになったのに、
たった7年で中日から出て行ったら4人が可哀想すぎてならん >>377
でもその4人って7年後平沼以外は現役じゃないやん 落合「長嶋さんは野村さん、森さん以上のマイナス思考。それはチームの編成を
見ればよく分かる。FA、トレード、逆指名で選手を集める。」 >>380
だからオリンピック予選の時のプレッシャーに負けたんだろうな。 >>379
無理。
仙一さんが監督やってるうちはトレードを含めた補強をガンガンやるから。
たとえ落合が来なくても別のトレードで出される。 >>362
出塁率詐欺の鳥谷に聞かせてやりたかった いまの選手の基準と落合の実績をみたらそれでも少なすぎるくらいだな 中日末期の1992年1993年の落合ってメディアじゃどんな扱いだったの?
タイトルに絡めてるわけでもなし巨人の4番でもなし
目立たない扱いだったの? もう記憶がかなり曖昧で自信はないが
91年は首位打者狙えるほど成績良かったし優勝争いしてたから扱いよかった
92年は最下位かつ成績ガクンと下がったからあまり話題にならなかった記憶が…
93年はチームは優勝争いするもさらなる成績低下で扱いは微妙
でもことFAに関しては話は別で去就がかなり注目されてた気がする 落合は成績が落ちても清原みたいな叩かれ方はしなかったな
三振が少ないのも理由としては大きいだろうな 名古屋のメディアってテレビも新聞も基本的に中日の選手には甘いのよ
まして主力となればほとんど批判しない
そのかわり出て行った瞬間からボロクソだけどなw
一方で東京のメディアは別にそこまで落合や中日に執着してない
だから成績が落ちても
92や93の落合が特に叩かれてる感じではなかったな 93年のオールスターで長嶋と落合が話してる姿がスポーツ紙で取り上げられて「FA行使で来期巨人確定!?」と賑わってた。 10.8の先制ホームラン。これだけで巨人が落合に払った給料はむしろ安いと思う。
長嶋も落合がきたら2割5分、15本って成績でしょうと語っていた。が大事な
試合でのひと振りに期待したのだろう >>391
3年中2年で3割を打ってくれたから期待以上だったよね 落合 巨人の3年間は、特に後半2年は誰も成績に文句言えなかった。
相当気合い入れてたんだろうな。 96はボールが急に飛ぶようになっただけだろ
落合でも東京ドーム中断に打ち込んでたし防御率も悪化した >>391
ホントそれだと思う
10.8と開幕戦
あの年は落合がいなければ、
三本柱フル回転をもってしても
優勝できなかったんちゃうかな
そして松井に四番打者像を植え付けたのも大きい 落合がいるとなんか安心できた。
これは原では味わえない心境 >>396
それを当時は本当にヒシヒシと感じた。
これが4番なのか、と。 巨人ファンにとっては巨人落合は良い思い出しかないのよ。 >>391
確かに開幕戦のMOアベックアーチも10.8の先制弾も価値は半端ないけど
自分的には10月2日にヤクルト山田からかっ飛ばした決勝2ランが一番価値あると思う
あの試合落としてたら首位陥落してたし、落合自身も「一度抜かれたら優勝できないと思ってた」
って言ってるしね >>394
セリーグの総本塁打数
1995年=790本
1996年=765本
96年はボールが変わったのではなくやはり松井が覚醒して、マークが分散されたのが
大きかったのではないかと思う。 チャンスで原が凡退すると「何やってんだ。ニヤついてんじゃねえ」
と腹が立ったが、落合が凡退すると「落合でだめならしょうがないな」と思えた 原は凡退してニヤついてることはなかったけどな。
年中しかめっ面の現役時代だわ。 このスレには、落合を神と崇める奴が1人ずっと張り付いているのか >>402
ポップフライ上げて苦笑いしてたけどな
まあ原ファンからしたらそれもしかめっ面に見えるんだろうな >>398
本当それな。
あの3年間は良い思い出しかない。
原には申し訳なかったが、やっぱり4番ってこういう働きするんだよな、と。 巨人時代の思い出は沢山あるが一番印象に残ってるのは2000本安打のとき
500、1000、1500は本塁打で決めたけど40歳超えて本塁打激減してたし
「さすがに無理だろ・・・」って思って見てたら見事なホームラン
めっちゃ鳥肌立ったわ >>406
ずっと狙ってたんだろうけど、その割には狙ってる雰囲気を感じさせなかったね。
なかなか2000本目が出なくてさ、落合でもプレッシャーあるんだな、と。
でもその間はあまりチャンスで回ってきてなかったんだろうな。
「あのやろう、狙ってたからあの打席はチャンスでポップフライ上げやがったんだな」とは思わなかったので。 よく節目節目でホームランとか誰から三振とか最初から狙ってた話聞くけど
そんなことできるんだったら全打席ホームラン打てるし全打席三振とれるはずじゃん 95年の月刊ジャイアンツ読み直してみた。
キャンプ時は二軍集めて『野球講座』やってたんだな。
落合が頼まれたのかな?
自分からやったのかな? それと、95年オフ、肉体改造やってたんだな。
正確には肉体復活計画かな。
三冠王の時の太ももが65センチ、94年は60センチに足りないぐらいまでに落ちてたと。
優勝旅行キャンセルして 山歩き、ダッシュ、ウエートトレーニング。
4番のライバルは松井だけではない。
新加入の広沢、ハウエル、シェーン・マック。
こいつらには負けないよ、と言ってるが、裏に負けちゃうかもしれないから何とか頑張らないと、ってのがあっただろうね。
巨人1年目はいつもと同じ練習さえしておけば大丈夫、という慢心があったとのこと。
それが95,96年の復活につながったんだろう。 旅行キャンセルだったとは初めて知った
かっこいいな 落合と優勝旅行ってなんか不似合いだし、良いんじゃないかな ウェイトトレーニングも取り入れてたのか
知らなかった どうせなら92年のシーズン終了から取り組んでほしかったなあ 93年は最多勝2人だしね
HR10本打点20ぐらい上乗せできてればもしかしたらと思えてくる
まあ優勝球団は貯金30の7ゲーム差で日本シリーズ優勝だから
このぐらいじゃ足りないかもしれないが… >>384
夢を与えるどころかバカバカしくなって夢を奪うわ
この時全盛期ならもっともらってもいいと思うけどそうじゃないだろ‥ 年俸がどんどん上積みするから
プロりはびらーみたいなベテランが出てくる
3冠王とったら10億でもいいが働かなかった年は0にしろよ セ・リーグ連続5シーズン本塁打数
野球神
王貞治(1963ー1967)
40 55 42 48 47 計232
山本浩二(1977-1981)
44 44 42 44 43 計217
松井秀喜(1998-2002)
34 42 42 36 50 計204
平凡な強打者
落合博満(1987-1990)
28 32 40 34 37 計171
原辰徳(1985-1989)
34 36 34 31 25 計160
池山隆寛(1988-1992)
31 34 31 32 30 計158 G3年目の6月末の東京ドームのヤクルト戦で吉井から打った左中間へのホームランが凄かった たしか同じく3年目の96年だと思うけど、東京ドームでフォークボールの地面スレスレの球を
前につんのめりながら左手一本でレフトスタンドに持っていったのがあった
あれには驚いたがどこ探しても映像がない・・・もう一回見てみたいな >>409
それができる相手とか球を絞るのよ
逆にそのために打席やイニングを捨てる場合もある >>422
横スタのちょこっと当ててライトスタンドってのも96年だっけ? >>424
なんかそれ見たような記憶がある
実況が驚いてた
打った落合本人もおいおい入っちゃったよみたいな顔してた >>424
調べたら96年の20号、米から打ったホームランだった
当時テレビ観戦してたけど、ベンチリポーターが打ったあとの落合がチームメートに
「今日はみんな打ち上げろ」と言ってると聞いて笑ったの覚えてる 日ハムでの最終打席も似た打ち方かね。
あれが2年前ならスタンドイン。 >>426
8月の今頃の時期だよね?? 確か水曜日でガルベスが先発でTBS中継で
確か早い回に打ったホームランだよね。
野口にノーノーやられた次の試合だった、火曜日は中止。
木曜の横浜戦はフジ中継でもつれて清水のタイムリーで落合が激走して
ホームインしたね。 中継終わってニッポン放送で聞いてたけど。
あの時の9回に川口を初めてリリーフで起用した >>430
まだ空が明るかったから早い回だったと思う
そこまではおぼえてる 湯船の外角高目ストレートを甲子園右中間に打ち込んだのも凄かった >>430
すごい記憶力。
そしてたしかにまだ明るかった。
スタメンデータベースで確認するに8月14日が濃厚だな。
先発は米にガルベス。
8月11日が中日戦で野口だ。
ちょっと前にYouTube落合のホームラン集で見かけたんだけどな。 >>434
初回の初打席だったか2打席目かまでは記憶してない。
確かガルベスは完投するのだが9回に2点くらいとられてこのころから
調子落とすんだよね。
巨人ファンとすればメークドラマの時の8月と92年の6月から7月のAS前までが
俺世代は一番面白かった。 ミレミアムとか原巨人より面白かった
このころは記憶してるんですわ
試合自体は次の試合のほうが面白いよラジオ聞きながらドキドキしてたわ
週末はヤクルトにドームで3連勝する あのホームラン20本になるのなら19号になるのかな??
野口のノーノーの前の日の今中から打った落合のホームランも見事だったよ
中日が先制して松井が逆転3ラン打つのだが終盤に今中が松井に集中して
打ち取って実況アナがあーとなってるときに初球狙い撃ちでレフトへホームラン
でまた騒ぎ出す
俺を忘れるなよという一撃。
ちなみにその前の週のドームでの阪神3連戦は欠場してる 落合 >>435
92年の6月〜7月と言えばデーブが来てモスビーが来て原がバット投げた時か。 >>437
抑えの石毛と小島
開幕前の弱点が一挙に埋まって走り出した 1 仁志(三) 率.270 本7 打点24
2 川相(遊) 率.232 本2 打点22
3 松井(右) 率.314 本38 打点99
4 落合(一) 率.301 本21 打点86
5 マック(中) 率.293 本22 打点73
6 清水(左) 率.293 本11 打点38
7 元木(二) 率.229 本9 打点35
8 村田真(捕) 率.208 本5 打点26 >>439
7元木 出塁率.294
8村田 出塁率.284
9投手、代打
1仁志 出塁率.333
2川相 出塁率.310
※セリーグ平均出塁率.336(投手込み)
前のランナーがこれで99打点稼ぎ出した松井凄いねw
ゴメス109、山崎107、松井99の3位
もちろん他のスタメンや代打の出塁とかもあるとはいえ >>440
ゴメスは97年加入したけどロペスでは? ベイス監督時代に落合がアポ無し訪問したり、この同学年の二人今でも仲がいい
最後にちょっと話してたがFA元年のゴタゴタについてはもうちょっと聞きたかったな 落合が真っ先にFAした事はどんでんにもネタにされてたなw 選手時代とは真逆でGMになったら理不尽に年俸削りまくり
その時の自分にとって最善を選ぶという部分は一貫してるが、前後の繋がりとか情とかを考えるとよく思わない人間がいてもまあ不思議ではない 村田の説明がわかりやすかったけど当人はできなかったって言ってるな…
実践は難しいのかな 一茂も教わったらしいからな。
うまく自分なりに昇華させることができたのはガッツと中村ノリぐらいって感じかね。
ノリは教わったのではなく、ビデオに撮って自分で研究したとのこと。 あとは古田もだ。
村田や一茂をはじめとして教わってるのはいるんだろうけど、なかなか実践は難しいのだろう。 巨人がドラフトで清原を取ってたら松井は取らなかっただろうし
落合も巨人には来なかっただろうからかなり歴史が変わってたな 当時野球少年だった俺は落合のライト打ちにすげえ感動した
あれを見れただけで価値はある >>411
あーそれがテレビの企画で息子と二人旅で行った伊豆の温泉か
番組で某球団時代に体のオーバーホールで来たと話してた 坂本が3000本打って巨人でキャリア終えたりしたら背番号6が永久欠番になりそう
篠塚引退で巨人の背番号6を落合が付けることができたときにすごく嬉しかったから微妙な心境 とにかく松井が四番になると使い物にならなかった。
そこに、しっかりと四番目の打者としての役割を果たした。チャンスにも滅法強かった。巨人時代は。 落合がいた3年間、巨人ファンとしては良い思い出しかないよ。
チャンスでしっかり結果を残してくれたし、ファーストを守りながら何度もマウンドに行ってアドバイスしてた。
正直、原とは格が違うな、と思ってしまった。 >>458
原ファンだけど全く同意
単純に残した数字だけではない効果があったよね >>453
獲るだろ。
右の清原に、左の松井とくれば最高のコンビ 原に関しては94年アキレス腱の故障がなかったら92年の成績は残せただろうね。
5番原を1年フルで見たかった。 宇都宮という寒い時期でOPなんて今やってないだろう??
落合は92年93年と比べて巨人時代は良いとこで打ってた。 あの死球がなければ
と思うわ 打撃専門とは言え、31才の坂本より42才の落合の方が打撃成績上なんだよな。 94年に首位独走してたのがマスコミに「落合効果」なんて言われてたね
原に関してはこの田尾とのトークの中で暗に認めてないような発言してるねぇ・・・
https://www.youtube.com/watch?v=yEKH4DADgq0
42歳(96年)は五番でスタートしたけど打撃絶好調で松井の不振もあって1ヶ月で四番復帰だったね
あの年に通算500本塁打&通算1500打点見られて嬉しかったな >>463
この落合のインタビューって98年の何月のものだ?
4月は3割超えてたから5月ぐらいのものかね?
今年はいけそうだぞ、という安堵感がある。しかし、この年で引退ね。 落合は巨人に移籍した時に原を評価してた気がする。 当時俺以外の日本人で
4番を10年務めてたのは原しかいないぞと言って記者が逆に失笑してたぞ
おまえらは原を過小評価してるけど
清原は俺の中ではまだ完成してない・秋山は成績的には良いが3番・広沢池山なんて
甘い。 そういう風に考えたら原を馬鹿にできんだろうと。
ヤクルトの評価が高いようだがエースいないよな。 川崎なんてあのシリーズだけ
まだ長期の活躍はないから評価は早いとか報知のインタビューでいってた 落合FA移籍した直後に松井と日テレにテレビ出てアナウンサーが来期のカギを握る
2人といったときに落合俺ら2人だけではだめカギは原と吉村篠塚。
あの3人が活躍しないとだめといってた >>466
その3人はほぼ活躍せずとも優勝したようなw 原は割と活躍したんちゃう
引退前の最後の一花みたいな 原は活躍したな
というか駒田を追い出してしまった負い目も感じて
原吉村篠塚という生え抜きスターに気を使って名前出したんじゃないかな
意外とそういう接待できるから落合 >>469
駒田に関しては落合関係ないと思う。 駒田とデーブのyou tube見てたら93年のシーズン
途中から駒田はやる気なかったみたいだし。 藤田前監督に相談してFAするか
トレード待つことを天秤にかけたときにトレードなら不調に終わって残留した場合
困るからFAのほうが良いよと言われたみたい
藤田さんが横浜の近藤監督に獲得を進言。 清原-佐々木対談で盛田の話になって
清原「お前凄いな、落合さんにぶつけて」
盛田「(平気な顔して)いや、またやっちゃいますよ」 当時の横浜の投手は若くてイキのいい投手が多く、斎藤隆や五十嵐なんかも
落合なんかにビビるかよと言わんばかりにガンガンインコース攻めてた
落合への厳しい攻めで何回か乱闘騒ぎになって落合も激怒してた 「おれが田淵さんみたいに避けるの下手だったら野球やってないよ」
みたいなこと対談記事かなんかで言ってて避けるのは多少自信あったみたい
まあ最後は野口に手首ぶっ壊されて終わるんだが
若いころだったらもう少し軽い怪我で済んだのかねえ >>473
よけることを第一優先したらあのフォームに行き着いたわけだからね。
痛いのが嫌だから、と言ってたけど、怪我して稼げなくなるのが嫌だったというのが本音だろうな。
晩年はボールが見えなくなってきてよけきれなくなった印象。 移籍したのは松井育成目的も関係あるのかな?
ミスターが俺と落合以外教えるなって発言したけど >>476
落合が「移籍した」ってよりも、
長嶋が「移籍させた」って感じちゃう? >>477
広沢もFA宣言前に長嶋から電話がかかってきて「広沢君ウチに来るよね?」って
言われたってYouTubeで言ってた
これ完全にタンパリングじゃないの?
落合なんて100l移籍するのを決めてたのに散々焦らして
スポーツ番組とタイアップして番組内で宣言したから クロマティーが王さんのことは絶賛していたが落合のことは小太りしたおっさん扱いしていてたいした評価はなかった。
セリーグに来てからは確かにそんな感じだった。 落合博満はもう67なんだな。
巨人に来たのが40だからな。
それよりも驚いたのが落合信子は76だとよ。
長生きするだろうけど。 落合痩せてきてたね
酒好きは直らないだろうけど長生きはしてほしいな 野口の死球が無くてシーズン30本塁打で日本シリーズで活躍しても
ポジションの被る清原を獲ったかな? 確実に獲りにいったと思う
43歳にしてはかなりの好成績だが夏場はバテるし当人の責任でないにしろ怪我もするし
仮に30本打ったとしても翌年も同じような成績を残せるとはまず思えない
もう後がない落合よりも清原の方が遥かに若いし
結果はだいぶ計算違いだったとは思うがまあそれでも9年やったしね さらば落合博満〜育成能力のない独裁者へ
人は監督時代の落合博満を称して「名将」と言います。
確かに8年間で優勝4回、すべてAクラスという成績だけを見ればそうかもしれません。
しかし、「名将」と言わしめる条件とは戦績だけなのでしょうか?
そこにはカリスマ性が求められるかもしれませんし、人柄を条件に入れる人もいるでしょう(人柄を言われたら落合はこの時点でハズレかも?)
私はそこに選手の育成、つまり「どれだけ選手を育てたか」という条件を付したいと思います。
それで改めて私は問いたいのです。落合博満は名将と言えるのかと。
とてもじゃないが私は肯定できません
落合博満が中日の監督に就任した時、彼は確かこんなことを言いました。
「右の四番バッターを育てたい」
自らの後継者を育てようという気概にファンは期待したものです。
その時の候補者の一人が、確か前年に入団したS選手。
しかし、結局落合は育てることができず、その後3年ほどでSは首になりました。
それなりの能力を見出したのならもう少し長い目で見てもよさそうなものなのに
落合政権下では入団後2,3年であっさり解雇される若者が異常に多かったように感じています。
はっきり言って、落合博満に選手を育てるという能力はないのです。
それどころか、野球選手としての素質を見極める能力すらほとんどないのです。
だから、監督として在籍した8年間、新たな戦力として台頭してきた選手はほとんど見当たらないのです。
あっさり選手を首にしてしまうのは、支配下に置いておけば「落合は育てられなかった」という悪評が立ってしまうので
それを防ぐためなのではないかと私は思います。
では、何故落合は好成績を残せたのか?それは「落合は選手を育てる能力はないが
一定水準にある選手という駒を使いこなすのがうまかったから」
そして「引き受けたタイミングが絶妙だったから」にすぎないのです。
監督のタイプを「人を育てるのがうまい」と「使いこなすのがうまい」という2つに分けるとすると
歴代の中日の監督で言えば、前者の代表は水原茂と星野仙一、後者は与那嶺要と落合博満と思います。
星野仙一の場合は、使いこなすのも巧みだったと言えるでしょう(その後のオリンピック等での醜態で評価は下がりましたが)
つまり、水原茂が育てた選手をうまく使いこなして与那嶺監督が昭和49年に20年ぶりの優勝を果たし
星野仙一が蒔いた種に山田久志が水をやって成長させた選手を落合がうまく使いこなして4回も優勝できたのです。
つまり、2000年代の中日黄金時代の基礎を築いたのは星野仙一であり、落合博満は天の時を得て
つまり星野仙一によって見出された選手たちが中堅、主力として円熟期を迎えるという絶妙のタイミングで監督になっただけなのです。
まさに「人の褌で相撲を取った」に過ぎないのです。
時機を見るのに巧みな落合博満は引き際も実に見事でした。
8年間の監督生活を経て、一応「解任」という形で監督を辞めたことになっていますが
真実はどうだったのでしょうか?実は落合本人も、名将の名に傷がつかないうちに辞めたいと思っていたのではないかと私は勘ぐっています。
つまり、主力選手がピークを迎え、新しい戦力も育っていないことを考えれば(前途ある浅尾投手もつぶしてしまった)
黄金時代もここまでという意識があり、このまま監督を続けていけば、2,3年後にはBクラスに転落することは予測できたと思います。
Aクラス監督でいたいという思惑があったところに球団からの肩たたき…落合にとってはまさに渡りに船だったでしょう。
GMとしてドラフトでの選手指名に権力を発揮しながら、戦力になったのはごく一部。
これなど、人を見る目のなさを露呈していますが、責任は谷繁監督に押し付けて知らん顔。
これでは誰からも信頼はされないでしょう。
落合に対しては「だったらおまえが監督をやってみよろ!」という声もあるようです。
しかし、如何に監督としての能力があろうと試合をするのは選手。計算高いこいつのこと。
必要な戦力も整っていない今のドラゴンズを引き受けようとは思わないでしょう。というより…
落合博満には二度と中日の監督をしてほしくない
中日ドラゴンズという組織にすらいてほしくない
とっとと出て行け!! 年齢の割によくやってるっていう但し書きがつく
4番としても年俸に見合う成績だったとはいえない
巨人が落合を獲ったのは戦力としてより松井を育てるためだった オチアンはスレタイも読めない程度に頭が悪いからオチアンなのだろうなぁ…… >>488
正にそれが最大の功績(+初年度に「長嶋さんを胴上げする」)で、
有言実行したんだから、意義があったよね
阪神でいう初年度の金本(数年後にキャリアハイを残すのは予想外だろうけど)
に似ているパターンだと思う
巨人の幾多のFAでもかなり上位ランクの補強だった
小笠原も同じくらいかな 落合、ガッツ、工藤あたりはファンにとってはかなりの満足度だったよ。
江藤の1年目とか、杉内とかも。 星野曰く、落合は「感情表現が苦手であまのじゃくなところがあるが、根はとても素直な奴」との事だったんだな。 落合が巨人残留していれば、97〜99年も連覇できたのでは?
97年は清原4番として、落合は5番で.280〜.300、15〜20本ぐらいは楽に残せたはずだ。
清原からしたら、「落合さんが俺の後ろにいれば大丈夫」とノープレッシャーで40本塁打は打てた。
98年は高橋由伸も入って、落合は6番で更にダメ押し打を打つ。
99年は救援で松坂から2打席連続本塁打を置き土産に引退。 落合が97年以降も巨人にいたら斎藤雅樹が200勝していたかもしれない。
小早川の開幕3発もなかったかもしれない。
斎藤が無双してるのは藤田監督の4年間と落合のいた3年間の計7年間。(91年は△だけども)
何度もマウンドに行ってアドバイスしてたからな。
槙原も当時、寂しそうな表情でインタビュー受けていて、投手陣にとって痛手、残念と言っていた。 元巨人の上原のyoutubeチャンネル面白いから割りと見てるんだが出てくる人で落合のこと話す人多いね
最近更新された村田真一なんて落合を尊敬というか単なるファンみたいになっててちょっと笑った 村田ってコミュ力に長けてたんだろうな。
長嶋や落合とかなり深く話せてるのは村田が一番なんじゃなかろうかね。
余命わずかな村田の父のために長嶋が会いに来てくれた話は泣けたぞ。
落合については高木豊のYouTubeチャンネルのほうでも話してたな。
拳で人を思いっきり殴ろうとしたときの体重移動。
キャンプ中に落合の部屋にいろいろ聞きに行ったらしいな。
村田真一の引退セレモニーでの「もっと上手くなりたかった」というのは落合の影響もあるんだろう。
「お前、もっと早く聞きに来てたらもっとうまくなったのにな」 あとは川相と落合も近い関係。
狙って流してライト前に打った川相に対して1塁ベース上で落合に「それじゃあバッティング崩れる」と言われた、と。まだ落合が巨人に来る前の話。 落合移籍が決まったときにインタビューで原が「優勝決定のときに4番原でいい」と発言してプライド見せてたけど
その後の行動・言動でかなり落合リスペクトしてるのが分かって嬉しかったな 日ハムでの落合は邪魔者扱い(真偽はわからん)
巨人での落合は選手からもファンからも神扱い >>506
実際に原は94年日シリで4番を打ってたね 打棒というよりは、むしろリーダーシップと優勝を期待されて
実際に有言実行したのだから、神よね シーズン通しての活躍も大切だけど
10.8決戦みたいな本当の勝負所で活躍できるのが一流なんだとまざまざと見せつけられた 巨人時代の落合はそれまでと打って変わってチームバッティングに徹していた
勝たせるのが4番の仕事と公言し実行してみせた >>319
フリーザの第三形態に匹敵するぐらい大衆への公開時間の少ない打ち方。
ボールが見やすくなる点がメリットかな。
もっと見てみたかったんだけど、開幕からもとの打ち方に戻したら結果オーライだったからね。 バティスタは思いっきり開いたまま立ってた。落合とは全く別。
八重樫は最初から開いて立って神主やりながらバットで天に向かって何度か交信しながらタイミングを合わせてた。
落合は最初からは開かないね。バットの使い方が八重樫っぽかったよ。
95年のオープン戦。 >>44
現代にヤクルト村上と言う選手が出てきました 村上は迫力あるけど結構穴が多い
穴を埋めれば松中信彦級になれる >>56
つまらねえ男だなお前
94年を95,96年で取り返したんだから今更むし返すなよ、カス 巨人での落合は気合いとか気力とか根性の人だったよな。
打席の中でも深呼吸したり肩を上下させたり必死だった。
それまで作り上げてきた落合博満像を捨てた。
長嶋、信子、巨人、体力の衰え、様々な要因があったかな。 オープンスタンスはボールが見やすくコツコツ当てやすいが腰が引けてるので遠くに飛ばない。
メジャーのスラッガー質がやるオープンスタンスはあれは完全なパフォーマンス。
インパクトの瞬間はきちんと踏み込む姿勢に戻っている。 長さんの前では憧れの人だったからか問題も起こさず大人しくしてた
落合が長さんにも噛みついてたら面倒な事になっていたかも知れない >>522
落合博満のオープンスタンスはボールを見やすくするためではない。
八重樫とは違う。
軸足にほぼ全体重乗せてるから投手寄りの足はどこに出しても落合打法になるのよ。
死球よけのためのオープンなんで。
実質的に投手が落合から見てサードとショーとの間にいるイメージで打席に立ってた感じかな。
正面打ちの練習について落合はいろいろ理由つけてるけど、実は試合中も正面打ちのイメージで打ってたのな。
オープンスタンスの影響もあってパワーは多少伝わりにくかったかもしれないけど、落合のパワーはメジャートップ級なので補えたわけだ。 中村ノリもそんな感じでしたね。あれも極端でしたが
メジャーの選手が目を丸くしてたのが印象的でした 巨人OBは落合獲得に反対したが長嶋が押しきったので
ますます「長嶋さんに恥をかかせられない」になったと思う
逆に清原獲得は巨人OBはみんな賛成したのに結果はあの惨状だった あの自分にしか興味のない落合が長嶋のためにチームバッティングに徹したからな
意外と任侠の男なんだな落合は 今は、
今の長嶋や監督時代の長嶋については一切語らないが、選手としての長島茂雄については今でも憧れだったことをよく話すからね。 長嶋がアテネ五輪の日本代表監督になったときに各チーム二人ずつ選出のルール破ろうしたのを
当時中日監督だった落合がそれはいけないよと諭したという話はしてたね 巨人時代の長嶋の采配についてきかれて半笑いで「どんなでたらめな采配でも選手は黙って従わないと
いけませんオレもバントでも盗塁でもなんでもやるよ」言ってたじゃん
ミスターの采配はでたらめだったと
落合は嫌いだけどこの意見には100パー同意
長嶋は松井を中途半端なバッターにしたし指導者になってはいけなかった人間
しょーもないお荷物球団の横浜あたりで客寄せパンダなら格別だけどさ しかし巨人最後の年
42~3歳で.301 21本 86打点って驚異的だね 清原が巨人を遠くから見ると綺麗だけど近くに行ったら
ゴミまるけだったって富士山に例えたけど
落合も長嶋をそう思ったんだろうな 長嶋は南海、王は阪神に入団する筈だったのに
土壇場で巨人が金を積んで掻っさらったからな >>531
松井が中途半端っつぅのが、随分とまた求めるレベルが高いですわね
個人的には長嶋の唯一の功績が松井だったと思っているが 松井に関してはソーサの影響で下半身主導の練習して失敗した期間は無駄だったと思うが
それ以外は素晴らしい師弟関係だったと思う
>>533
憧れの長嶋を優勝監督にしたいとは思ってただろうが三流以下の監督なのは背番号90時代とかも見てて知ってるから同じユニフォーム着て初めて失望したとかは無いんじゃない? 山本浩二が著書で書いてたけど日米野球でいっしょになったとき落合が「浩二さんは何度も優勝して羨ましい
オレは稲尾さんを胴上げしたくてしたくてでもできなかった悔しいですよ」と至極真面目な表情で
話したんだと >>532
落合は94年はたいして中日時代と変わらなかったが、95年から打球が上に極端に上がるようになった。
パワーの衰えには勝てなくて、技術で補った感じだな。
96年はさらに磨きがかかった感じ。
あとは左中間への打球が極端に伸びるようになった。 長嶋監督が程よく落合を休ませていた。
だから落合も疲労が溜まる事無く活躍できた。 >>537
引退間際になってやっとパワーヒッティングが出来るようになったが時遅しだった
ワールドシリーズMVPが最後の栄光となった >>541
95年の好成績は前年の怪我の治療も兼ねてのオフのじっくり筋トレリハビリがかなり奏功したのだと思う
94年と95年の体、特に腰回りの締まり方が全然違う
それプラス96年はバッターボックスでの立ち位置をちょっとサード側にしてインコースをさらに楽に打てるようになったのでホームラン増につながった
にしても、西本幸雄さんの言葉を借りると「41歳のときより42歳のときのほうが調子がいいって恐ろしいバッター」 94年の落合って三冠王を狙うということを言ってない気がする。
94年死球で肋骨骨折したそうだけど中日時代だったら休んでた
だろうな。そうしたら成績上がったと思う 移籍前数年の成績を見れば三冠王はまずないとは思っていたが、
巨人を優勝に導いたのは、やはり落合だと思った
大リーグならMVPでも良いくらい 94年も96年も落合いなかったら優勝できてないだろうね。
こんなにチームバッティングするとは思ってなかった。
原はチャンスで打てなくてがっかりすることが多かったが、落合はチャンスで何かしらのことはやってくれたイメージ。 YouTubeのコメント欄といい落合全肯定の信者はキモいな
あんな嘘吐きゲーハー爺に騙されるなよ
長冨からのデッドボールだって何年も経ってから
実は折れてたって言い出したんだし
大嫌いな星野を“仙さん”って言ったのも全て計算ずくだよ >>545
94年新春(収録は93年暮れ)のこの番組で言ってる
https://www.youtube.com/watch?v=JlDafJ0cWt8
実際は獲れるとは思ってなかっただろうけど、落合の矜持だろうね 阪神加入一年目の金本が個人成績を捨ててチーム打撃に徹してたとを見て巨人時代の落合を思い出した 巨人OBが総じて「なんで今更落合をとるんだ?」と反対したから見返したいのはあっただろうね 名古屋では裏切り者扱いされることに
監督でも若手育成放棄で中日は未曾有の低迷期に
落合嫌いな中日ファンは2タイプあるはず
来月39歳の僕は後者
年上ならFAで巨人入りしたのが原因に FA退団してくれた時は昔からのドラキチ🐉は大喜びだったぞ🙌
うざ爺が居なくなって大豊は2冠王になったし
トレードで来た時から歓迎されてないのを落合も実感していて
監督になってOBを無能呼ばわりして排除したのもその時の怨みから
とにかくこの爺は執念深いから 落合がトレードされたとき知ってるけど名古屋は大騒ぎだった印象
あるぞ。 星野なんてどや顔だったじゃん
巨人ファンとしては落胆したぞ来年もファースト中畑4番原かよって 星野「(年俸が)高いのに使えないやつとらなきゃよかった」 落合は選手会退会したのに選手会が勝ち取ったFAを行使したから
FAする資格ないとかドラゴンズのSNSで未だ批判されてる 落合博満と石井かな。
これが4番ってやつなのか、と思い知ったのはね。
原にはない信頼感というか、何かやってくれる感がすごかった。そして、実際やってみせた。
ただ、石井は巨人に来て数週間だけだったけどね。
落合はそれが3年続いた。 >>554
星野は亡くなる半年くらい前に落合獲ったの失敗だったと名古屋で言ってたよ
中日の低迷が落合のせいで連れてきた俺が悪かったと中日ファンへ謝罪 ナゴヤで落合叩くとウケるからね
特に星野シンパがいる場では 松井にとっては大きなプラスになったそうだから、それだけでも落合が来て良かったと思う 86年オフに
中畑と落合でトレード成立してたらと思う巨人ファン。
仮に落合があの時巨人行ってたら88年は優勝してないとなれば
星野の2次政権があったかも疑問。
星野が失格の烙印押されてたら96年からの監督は谷沢を迎えてたのかな? 中日時代末期の落合は、
どうしようもないゴミというほどではないが、高年俸に見合う成績ではなく
半ばお荷物扱いされてたんだよ
だから巨人にFA移籍が取り沙汰されても中日球団内や中日ファンに引き留める声は少なく
元々外様に冷たい土地柄もあってか「読売さんあんなロートルを高値で引き取ってくれてありがとう」
という雰囲気すらあった
が、10.8を見せつけられ、その後も落合が予想以上に巨人で活躍したことで
名古屋では「この裏切り者が」という空気に変化して行った
でも、移籍当初はもっとシラッとしていたというのが実情 >>552
勝ててなくて若手が育ってないならそれもわかるが
あれだけ勝った監督に「若手も育てろ」とか高望みにも程がある
コレだから名古屋人はって言われるのそういうとこだぞ >>559
石井は一瞬だったな。
小久保はギリギリ全盛期を巨人で過ごせて、異次元の活躍。
落合は低迷から復活して3年しっかり勤め上げた。腹立つわ~、って場面がほとんどなかった。
広沢は最初の2年は落合とかぶったしな。いなくなった3年目は良かった。
4年目も良かったのにケガでダメになった。
江藤も巨人来て2年連続30本超えしてるし成功した部類。
ガッツが4年間安定の3割30本で一番の成功者だな。後半の3年間はまるで別人になってしまったが。
落合を除いてみんな巨人に来てから全盛期を終了して衰えを見せて他チームへ。
落合はギリギリ巨人にいる間は衰えを見せずに日ハムに行った。 落合 打率 HR 打点 出塁率 OPS
40歳 .280 15 _68 .393 _.815
41歳 .311 17 _65 .414 _.895
42歳 .301 21 _86 .408 _.924
43歳 .262 _3 _43 .361 _.680
44歳 .235 _2 _18 .344 _.652
門田 打率 HR 打点 出塁率 OPS
40歳 .311★44★125★.429★1.062
41歳 .305 33 _93 .417★1.013
42歳 .280 31 _91 .387 _.923
43歳 .264 18 _66 .358 _.810
44歳 .258 _7 _23 .341 _.773
山崎 打率 HR 打点 出塁率 OPS
40歳 .246 39 107 .332 _.847
41歳 .239 28 _93 .303 _.749
42歳 .229 11 _48 .286 _.653
43歳 .209 _1 _13 .288 _.582
44歳 .210 _0 __7 .310 _.568 94年から96年の
落合と清原だったらどっちが良い打者だった? 断然落合
チームを勝たせるバッティングをしていた
それこそ森西武黄金期の清原のように 1997〜99年頃の巨人は、「落合残留・原現役続行」で清原加入がベストじゃなかったか?
清原自身、落合と原の前ならより身が入ったし
原も99年には2000安打を達成して有終の美だった。 1997年の巨人スタメンがこれなら最強だった。
1 9 清水
2 6 川相
3 8 松井
4 3 清原
5 5 落合
6 7 原
7 4 仁志
8 2 村田 97年はこれが見たかった
まあ現実的には色々な問題があって無理だったと思うけど
3(中)松井
4(一)落合
5(三)清原 落合はサード守る体力も技術もあったがプライドが許さなかった。 原は1675安打で引退したが、あと3年あれば2000本安打行けたのに。
長嶋は温情かけなかったのか? 監督になった原が衰えた坂本が2500打つまで温情をかけるかどうかが見ものだな >>579
あの頃は古いのよりイキのいい流行りものをFAで獲ることに今より相当夢中になってた時代。
長嶋が、というよりも球団が。
FA開始直後だったということと、松井ブームもあった。あと、落合意外とやるじゃーん、って流れだったので原自身がもう完全に居場所を失って戸惑ってて時代。 原も落合以上にやれるところを見せなきゃいけなかったのにそれはなかったよな
永年勤続でチャンスを与えるにしては1600本台では遠すぎる 晩年の高橋由伸のような起用法なら延命できた
それでも2000本は遠かっただろうし、当時はレギュラー張ってた選手がそういう形で延命するというケースはほとんどなかった まぁ試合数の関係もあったとは思うが、
駒田(ごとk)・・・いや何でもない
が2000本達成してるからねぇ
篠塚とかも同じくらいだし
篠塚<駒田とか、どう考えても腑に落ちんw 無事之名馬というからねぇ
原も篠塚も故障に泣かされた >>584
巨人時代の走れない、山なり送球の落合がサード守れるわけねーだろバカw
最後にサード守ったのは1990年の1試合だけなクソ無知w >>591
ピッチャーやったとき、いい球投げてたぞ。 >>593
96年ファン感謝デー
YouTubeにある
石毛に投げた時だけ本気モード。 巨人最期の年、ケガがなければ
.293 25 98
こんな感じか? >>595
怪我する前は3割切りそうになってたからそんな感じだろうね
残暑が和らいで少し復調したとして打点とHRの上積みはそのぐらいが妥当だと思う
まあ打率はもう少し低いかもしれないが 長嶋の本(野球は人生そのものだ)で原が故障がちで4番固定出来なかったので
落合を獲得したって書いてたな、1993年は貧打で12球団ワーストのチーム打率だったが 落合の評価は紙一重だった
もし94年巨人が最終戦に負けて優勝を逃したら落合に対する批判は凄かったはず
ギリギリ優勝したから本物の四番の存在感とか成績を超越したチーム貢献度と言われた訳で
あの独走状態から優勝出来なかったら巨人ファンは落合を許さなかっただろう 開幕戦と最終戦で結果を残すのだから、
やはり落合の精神力には感服する
原ファンだが、同じことはできまい
89年は似たような感じか 篠塚は緒方、元木がセカンドレギュラーになりきれず、それでも一本立ちさせたい状態だったからまだまだできたかもしれないけど、将来を見据えて引退勧告って流れだった。
長嶋が自ら自宅に行ってコーチ打診。 >>592
そりゃ全身使って自分のタイミングだけで投げられるんなら良い球投げられだろ
ゴロ捕ってすぐ送球とは違う >>602
篠塚は6に拘る落合の為に引退させられたっぽい
中日⇔ロッテのトレードに上川が入ったのも背番号が6だったから
長嶋も三顧の礼で迎えた落合にいつまでも60番を
着けさせるわけにはいかなかったのでは? 篠塚は持病の腰痛が悪化の一途だったから、引退するにはちょうどいい頃合いだったと思う
出場試合数も年々減ってたし、何年も規定打席に届いてなかったし 落合69のわりに老けたな
ドリキン土屋圭市が67歳だからな 古田が落合にオールスターの風呂で打法を教わり取り入れたのは有名な話になったが、宮本慎也も落合好きだったとはな。
落合打法の完成度はかなり高い。
真似てホームランまで打ってしまったからな。
野村には真似するなと怒られたらしいが、真似てたら大成してたかもしれんな。 >>609
広沢も右にホームラン打てるタイプだった。
古田と広沢で落合の話を聞きに行ったんだよな。
野村絡みが多いな。でも、野村は真似るな、と。
一茂も落合道場にこっそり入門していて、野村に怒られたんだよな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています