【1994】巨人時代の落合博満を語ろう【1996】
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あんなに何度もマウンドに行く選手だとは思ってなかったわ。
ピッチングコーチ不要だった。 アンチ巨人にめちゃくちゃ叩かれていた
あの時叩いていた中日ファンは今どうしているのやら 確か長嶋監督は2割7,8分 15本くらいと予想していた。 落合はほんとに長嶋監督に勝たせるためだけに巨人に行ったな。
他の監督なら巨人へは行ってなかっただろう。男気をみせた。 成績そのものは全盛期には遠く及ばないけれど、「あの落合」が4番に
控えているということで頼もしく思った。 >>7
同意。落合がチャンスに凡退しても、落合がだめならしょうがないと納得できた。
その感覚は原ではなかったことだ。 40歳超えてたのに2年目、3年目の成績が上がってたのが凄い 1年目はタラレバで言い訳させてもらえるんだったら
長冨から背中に食らった死球でおかしくなったと言っていた。 >>10
はぁ? チャンスで見逃し三振は致し方ないとして、
胸張って堂々と威張ってベンチに退く態度見て殺意湧いたわ。 >>13
凡退してしょげかえって涙目でベンチに帰る4番なんて頼りなくてみてられんけどな。
イチローも凡退したときこそ胸を張って悠々とベンチに帰る。そうしないと
相手投手にナメられると言ってるしな。 長嶋が直々に取りに行って獲得した選手だから
落合のことを悪く言ってはいけないような雰囲気がこの頃のメディアにはあった >>13
落合は敢えてそうやっていると愛甲が言ってるな
四番が打てないような素振りをしたら他の選手に影響がでるだろと >>17
松井がよく見逃し三振をして、天を仰いで「しまった」という
ポーズをしていたが、4番がああいう態度はやめたほうがいいと
よく解説者に指摘されていた。 96年の成績は8/31リタイアであの成績だからね...。
巨人時代、原との絡みはどんな感じだったんだろう?
原ファンとしては数値的には6月頃の復帰で
.290 14本と負けてないぞと思ったけど。 96年は後半戦は調子が下降気味だったから死球がなかったら93年パターンで
最終的には2割8分台で終わったかも。 落合の調子が落ちて来たときに松井が大爆発したんだよな
あの年の8月はスポーツ紙の一面が毎日松井だった印象 理想のオーダー。
95年10.8
3番松井・4番原・5番落合
原が打ちもらしたら落合よろ! 未だに96年終了時のデータで
パワプロプレーできなかったことが悔やまれるな。
メーカーが清原移籍でKK人気に便乗したさで
パワプロ4が97年開幕版のような感じに。
ポンポンと20S挙げたマリオ、前年より上り調子のマック、
そして落合が4番に。
一二塁間を抜けるボロゴテを打つ技術とか一級品。 インハイの速い球を脇畳んでライト前に持って行くのとか凄かったな
テレビで見てると一瞬どん詰まりの内野フライかと思うのに
画面切り替わると誰も届かないヒットゾーンに落ちていた >>27
テキサスの哲(戦後復帰直後や晩年の川上に付けられた異名)ならぬテキサスのオチか。
彼が中日監督就任に就任した際に、「ひょっとしたら川上ばりの(若しくは川上以上の)手堅い野球をやるかも。」と予感させた一つの所以かもなぁと。 確かに川上も落合も、理屈と信念で野球やってたタイプだしな
どこか野球観も似ていたのかも 97年に巨人に残っていたら、どうなっていたろう?
2割7分、10本くらいだろうか? >>25
1年前がナゴヤ決戦で、翌年が原引退試合
因縁だな >>31
必然的にシーズン終盤となる月日だからね。
他にも巨人にとって何かあった気がする。
96年優勝日だったかな...。
桑田の手術のための渡米が10月6日、
5月か6月頃にリタイアして原の引退式典にも出ず
何をやってたんだ...と未だに思うな。
去年のロペスの成績からみて
95年落合のような選手か?と思ったら
今年は一発屋になってた。 落合は、原→松井の生え抜き4番ラインのつなぎとしての役割を求められていた。
原が衰え、松井はまだ若く、巨人の4番としては心もとなかった。
そこへベテランの落合が4番としてのお手本をみせ、松井が成長してきたタイミングで
4番を引き継いで引退という流れがべストだったと思うし、そうすると思っていた。
そういう意味では、巨人が清原を獲ったのは裏切られた思いだった。
結果的に多くの巨人ファンを失った。 >>30
3年目の死球が致命的で巨人のままで数字残せたとは限らないけど
代わりに来た清原が一発屋だったから
落合が残ってたら...的な未練が残る。
まあ、FAの制度ができた時点で
いつかは清原の移籍があるとは思ったけど
安定的に.280 25本くらい残す選手として機能して欲しかった。 長嶋さんは清原別にとりたくなかったんだよな。
フロントが清原獲得に動いたからしょうがなくとっただけで 原の引退弾に続くヒットが渋すぎる
最終打席を終えた原を迎えることなく、打席に向かったと思いきや広島の野手にボールを要求して原に手渡し握手
こういうことをサラっとやってさまになる
数字以上の存在だったことは間違いない >>35
それを知ってたから落合が「起用で長嶋さんを困らせたくない。」
といって移籍したのか。腑に落ちたわ。 落合は清原を獲っても「コールズでもサードができるんだから
サード清原でいいだろ」と思っていたが首脳陣の考えは
「一塁・清原、代打・落合」だったので出番を求めて出ていったと。 清原は脱臼癖があったので、あの時点でのサード起用は無理だったろうね。
20代前半までなら、守備、走力も高レベルだったんだが。 落合が打席に入った時の独特の雰囲気が忘れられない。多分、すごいオーラが出てたよあれ。 >>40
あれが4番打者だと思う。チームの勝敗全てを背負った男のみがまとうオーラ。
いまはそういう打者はいないね。4番目の打者ばかりだ。 96年の3番松井 4番落合 5番マックは強力だった
正直落合故障してよくメークレジェンド完結したと思った 落合が醸しだす4番の風格。
今のバッターでこれに匹敵するのはいるだろうか? >>43
メイクドラマだぜ
レジェンドは2008
野口に当てられなければ
シリーズ出られてシリーズ勝てたんじゃないか と思うこともある >>41
完全に4番目の打者だったじゃんwww
まともに4番の働きをしてなかったから中日に追いつかれたんだろうがw 落合が原に引導を渡し、清原によって落合が追い出された。
まさに因果応報だな。 94年、成績がしょぼかったから、風格とか威厳とかで言葉を濁すしかなかったもんね で、ミーティングでは外様のくせに偉そうに説教垂れるから、
付いた仇名が「ミーじい」(ミーティングじじいの略)。 常日頃から残した数字が全てと言ってる落合からしてみたら
風格だ、存在感だとかで持ち上げられても嬉しくないだろ。
年齢を考えたらよくやったとは思うが球界日本人最高年俸を
もらっている以上は物足りない成績と言われても仕方ない。 年俸はベテランになってからピークになるから成績と直結しないよ。
それに、巨人に来てからも、中日時代の後半2年間と同等以上の成績を残しているわけで
年齢を考えても十分に期待に応えたといえるだろう。
逆にあの年齢で巨人が落合にタイトルに絡むような活躍を期待して獲得した
とすれば、巨人のほうが馬鹿というしかない。 >>51
長嶋監督は280.15でいいと言ってその通りだった
また落合は巨人一年目は選手としてはじめて個人成績以上にチームのために戦ったと著書で書いている その通り。誰も落合に全盛時代の数字など求めていなかった。
落合の存在感、4番としてのドッシリ感、こういうものが必要だった。
同時に当時伸び盛りの松井にとって手本となるべき存在、という意味合いも
あった。 誰も全盛期の成績なんか求めるわけないが、
せめて3割20本は打たないと。
95,96は良かったが94はカス。存在感とか風格とかでごまかすしかなかった。 巨人と長嶋の話を鵜呑みにするのがアホ。
立場上「獲得は失敗だった」とか「物足りない」なんて言うわけが無い。
だから見切りを付けて清原に鞍替えしたわけで。 >>58
清原獲りは単に巨人の意地ってだけでそ。
何でも1990年日本シリーズで惨敗した際に、余命幾ばくも無い務台に代わって、次期読売トップ
となるのが確実視された某氏が「どんな手段を使ってもあそこの4番を獲れ!」と厳命したのが、
読売がグループ挙げて球界内外(西武・堤オーナー含む)にFA制度導入への圧力を掛け始めた
切っ掛けと言われている位だし。
江川の「空白の一日」を突いた入団の筋書きを書いた人物とも言われている(つうか当の本人が
堂々と発言し、それを聞いた小林も苦笑したらしい)し、さもありなんと。
である以上、巨人は清原を引き取らざるを得なかったと(w)。
足を使った繋ぎ野球でチーム一新を図っていた当時の西武・東尾監督も「清原?出ていきたいヤツ
は出て行けば良い」と、半ば突き放した言い方で、実際、翌年松井稼、大友、高木大の1〜3番の
機動力を全面に押し出した野球でパ・リーグペナントを奪還した。 阪神のほうが獲得に熱心だったしな 実際清原も阪神のほうが金銭の条件はよかったと発言してるし
実際巨人はそこまで欲しがっていなかった
けども堤からナベツネによろしくとお願いされた >>59
>当の本人が堂々と発言し、
それは知ってる。三山だろw
調子に乗って原に対してでかい態度をとり始めたら、
原がぶち切れて辞任したきっかけを作った奴だよな。 94年の優勝決定試合で1億円ホームラン打って優勝したから
よかったものの、あそこまでもつれた要因のひとつが
後半の落合の不振だからな。
でもまあ結果的にドラマチックな結末になってプロ野球が
盛り上がったからよかったといえるのか。 長嶋があの試合負けて退陣したら落合も本当に引退したんだろうか 落合は知らないが長嶋は1994年負けてても絶対責任は取らなかっただろう
1997年1998年1999年優勝逃したシーズン後
コーチに責任押し付け、クビ切られても長嶋が何事もなく監督続けているのを見る限り、
1994年優勝できなくても監督続けただろうよ 当たり前のこと何言ってんだ こいつ
頭悪いのか 長嶋辞めさせてどうすんだよ 94年頃って長嶋茂雄がやったことにケチをつける大手メディアってなかったんだよね。
つけるとしたら、ゴシップ誌くらい。
だから長嶋が三顧の礼で取ってきた落合にもケチはつけられなかった。
どうみても4億円の働きをするとは思えなかったけど、それでもケチはつけられなかった。
1年目の94年なんて落合の成績はショボすぎたけど、4番の威厳や風格でごまかしてケチをよせつけなかった。
完全にあの頃の大手メディアは宗教状態。 落合が幸運だったのは10.8で自分の情けないエラーでケガして退場し、
その後チームが勝ったこと。
あれで負けて、自分が出て行った中日が優勝してたら、
おまえ何しにきたん?で終わってた 10.8での落合の打席での表情が凄すぎる。
ものすごい集中力だったんだろうな。
守備でケガして治療で引っ込んだときも
「俺は出るんだ!」と言い張ったらしい。 >>69
そりゃそうだろ。
あの試合打てなくて中日に負けたら落合がA級戦犯になるんだからw まあそれで11連敗中だった今中攻略したんだから
大したものだ
長嶋巨人にふさわしい話題性のある優勝で結果オーライ しかしまあ落合のあの股裂きエラーから大量失点してたらほんと戦犯だったな そうなってれば後年中日監督になった時名古屋のオチアン数は半減したかもなww >>65
97、98、99年は清原がV逸戦犯だろう よくそう言われるが落合にしろ清原にしろ広沢にしろ江藤にしろ
大体みんな前年の成績と対して変わってない 清原の一年目は前半酷すぎだったのは確かだが 清原もウンコだが優勝逃す原因は投手陣に尽きる
長嶋時代まともな抑え投手なんていなかったしw 広沢の1年目前半もひどすぎただろ
最後に帳尻を合わせたが ヒドかった気がしたけど
http://www.geocities.jp/osahru_bbd/yeardata/90/g1997.html
先発投手陣は大体防御率3点台で大崩れはなかったな。
まあ、ヒルマンが全く機能しなかったのと
斎藤雅がそれまで同様にエース級の活躍ができてればって感じか。 槙原が抑えに回った年だったな
ここから06年に尻が抑えに回るまで、まともなクローザーが存在しなかった 全盛期の槙原ならすごかっただろうけど晩年じゃなあ・・
それでもそこそこやってたが 落合のFA巨人移籍が持ち上がった時点では
槙原のFA残留で年俸高騰に落合入団の話が重なって
篠塚・原辺りがおもしろくない的に火種になって
報知かどこかの新聞の見出しが『巨人内乱』って感じになってた記憶。
それでも落合入団後に
ちゃっかり原が打ち方を教えてもらおうとしたら断られた
みたいな記述が出てきたw。
原・落合の関係はそれほど険悪ではなかったのか。 >>85
駒田は横浜に移籍して正解だったかなと。
2000本安打とマシンガン打線で優勝日本一味わえたし 原はFAで落合が移籍するのをあまりよく思っていなかった。
自分のポジションが脅かされるのと、労組・選手会で勝ち取ったFAの権利を
労組・選手会を脱退した奴が使うことをよく思っていなかった。 10.8で落合がリタイアした時に
原に聞こえるところで言ったのかどうか知らないけど
呻きながら『タツ、後は頼む』といった旨のことを言って
ベンチを後にしたようだけど
その時点でも不仲のままだったり浮いてる存在であったなら
『(いつしかリーダー気取りで)何様?』って感じだね。 >>80
巨人は先発完投の伝統にしがみついてたからね。
ストッパーを補強することは伝統に反すると。 >>89
ちゃんと見てたのか?補強はしてたろ
野村河本ペドラザなど
外国人投手も毎年のようにとってきてた、ミセリとか
ただ使い物にならなかっただけ 尻氏が抑えに回った年の尻氏自身の防御率悪かったけど
抑えに入る前の成績が響いてのことだっけ?
一応、単年では岡島・河原・林など
尻氏よりセーブ挙げる投手がいたけどね。 >>92
それもあるが、中日に胴上げを見せられた試合でボコボコにされたのが響いた
福留タイムリーとウッズグラスラ
あれがなければ3点台で収まってたはず >>89,91,95
事実上の初代監督となった藤本定義(1960年代の阪神監督としてその名を記憶しているオールド
ファンも多いが)の信念だった先発完投主義が後世まで影響したって感も。
中日・板東、広島・竜辺りに呼応した格好で、川上監督もいち早く宮田というリリーフ投手を育て
たりしているんだが、伝統が邪魔した格好で中日や広島の様なリリーフ王国とならなかったという
感じ。
無論、そんな弊害など吹っ飛ばす位の輝かしい伝統の礎となった名監督なので、藤本監督を悪しく
言う積もりも無いけど。 伝統が邪魔したというより、長嶋の前任の藤田時代に斎藤・桑田・槙原って完投能力の高い3本柱が揃ってたからだろ。
その前は鹿取とかいたし。 今の中6日ローテなら少なくとも1、2番手は球数120ぐらいで先発完投を目指してほしいな。
JFKみたいな中継ぎが80試合も投げるみたいなのは長続きしない。 中6日より間隔短いとか完投型が体がすんなり来る人いそうだよな
逆に低間隔完投になれた選手が分業になったらリズムが悪くてダメになったというのもいた
なぜNPBは横並びが好きなんだろ >>89
それに関しては合理的に見て正しいね
何か一つ空振りが取れる強力な変化球を持ってて
極度のノーコンとかじゃない
先発を転向させればいい
わざわざストッパー専任からとって無駄にお金かける必要もない >>99
NPBは月曜日が基本休みだから先発6人制を引くと綺麗に中6日で行けていいってだけだろうな。
投手の調整も一定間隔になるし。
昔、広島のチェコが中4日100球にこだわったせいで、他の選手のローテがチェコにあわせて変則的になるってボヤいたのを思い出した。
最近、日程の関係で中4日・中5日になると球自体は走ってるのに、制球が定まらない投手とか多くね?あれ疲れじゃなくてら間隔が変わったことによる調整不足だろ。
そのせいか昔はエース登板の試合が雨で流れたら確実にスライド登板だったのが、
次の投手がよっぽどの雑魚とかじゃないとスライド登板もしなくなったよな。
ローテをいじりたくないために。 280 15本って10・8負けてたら戦犯だったよな
後半戦極度の貧打だったし ほんっと94年はひどくて褒めるところがないから、
4番の風格だとかそういうところを褒めるしかなかった 長嶋監督がしきりに「あの四球の効果が大きいんですよ」と言ってフォローしてた。
当時は江藤や大豊といった他球団の主砲がうらやましくてしょうがなかったが。 取った落合と、落合を取ることで出て行った駒田1994
落合 .280 15本 68点 OPS.815 3.8億
駒田 .284 13本 68点 OPS.749 1.2億 結局、当時のマスコミは長嶋マンセーで(今もだが)
長嶋が三顧の礼で迎えた落合をたたけるはずもなかった。
だから、成績に表れない点を無理矢理評価した。 落合が成績上に評価された部分は、グラウンド上で監督をやってたからだろうな。
良いタイミングでマウンドに歩み寄って投手に一声かけたり、
ピンチで勝負するのか歩かせるのかベンチから指示がないからとベンチに判断を迫ったり。
野村監督が「グラウンドにもうひとり監督がおる」とぼやいてた事もあったな。 >>11
それとあれ、種田だったっけかなあ
ファースト守備で暴投気味の送球取ろうとしてジャンプしながら伸び上がってたところに
バッタランナーが突っ込んできて吹っ飛ばされて
トラックの荷台から転げ落ちた豚みたいに吹っ飛んだときの怪我
肋骨ヒビ入ってテイクバック取りづらくなった 3年目はよかったな
あの死球なければ300 30本も狙えてた
どうも日本シリーズはベストの体調で出れなかったな >>108
同じ成績でも駒田が4番では相手に対する威圧感が違う。 落合は巨人に来てチームメイトを持ち上げる発言してたよね・・あたりまえだが
原をたたくけど原より長年成績残してる選手って12球団の日本人で
俺くらいだよ、広沢と池山?冗談じゃないよとか言ってたね 落合は巨人の4番つとめて初めて大変さが分かったといってたしね
あのころは長嶋政権でただでさえ勝たないといけないという空気が充満してたし >>118
あの時点の巨人の4番でファンが納得できるのは落合だけだったな。
落合まで打席が回ってだめだったらあきらめがついた。 >>120
いやいや、移籍1年目は叩かれていたわな。
落合の打席の際の応援ボイコットとかも。
なりもの入りでホームラン15本は、さすがに期待外れ。 >>118
名前すら挙がらない石嶺、秋山、清原って一体・・・。 ホームランが少ないからダメ
最大のチームバッティングはホームラン
グラウンドの監督って何?野球のルール知ってる? 当時の巨人の4番というのは、全打席が全国テレビ中継され
ファンの目にさらされる。チャンスで凡退して負けたら全責任を背負わされることになる。
そのプレッシャーは他チームの4番とは比較にならない。
並みのバッターなら潰れてしまう。落合は年齢を考えると十分合格点だといえる。 >>121
前年17本だったし、普通に.280 15本位の予想だったけど
実際そうだったし >>124
年齢関係なく、巨人の4番は結果出ないと叩かれるよ。
長嶋や王ですら、晩年打てないと叩かれていたらしいし。
結果の残して当たり前で、凡退した打席への追求がハンパない。
そういうプレッシャーをはね退けたのは、近年だと2000〜2002年頃の松井くらいじゃない? 少なくとも放送技術の発展で欧米のメジャースポーツがブームを起こし
五輪競技から世界的スター選手が続々誕生し
Jリーグや格技などが日本でも人気を博すなど価値観が多様化して
プロ野球が国民的関心事から離れて久しい2000年以降の松井の時代の
巨人の四番のプレッシャーなど王や原に比べれば無に等しい 巨人の4番といえば叩かれポジションで損な役回りだからな。
その重責は実績十分の落合に任せて、あとの選手はそのプレッシャーから
解放させてある程度楽にプレーさせてやろう、という配慮もあった。 >>128
原のプレッシャーが一番だろう。
比較対象がONだった上に、視聴率的に注目度が一番あった時代。
それこそ野球に興味ないジジババでも原はチャンスに弱いといってたからw 江川 原 中畑がいたころが世間的には1番注目度高かった時代か
80年代は経済や娯楽も絶好調だもんね >>122
清原のことは原と言うほど変わらんとか言ってた。 石嶺は話題に
でなかった。記録みたが神戸に移転してから25本すら越えたこと
ないことが確認 秋山は福岡ドームの広さで強打者としては完全に消えたからね。
比較的影響小さそうな打者だと思っていたが。 秋山が飛ばし屋というイメージはあんまりないな
140m以上のHRは記憶にない。 原はコンスタントに結果を出した打者
通算成績はしょぼいが、
確変があった打者のほうが評価は高くなりやすい 94年の落合は巨人が優勝した中で最弱の四番打者でしょ ミーティングで説教ぽい講釈垂れるが誰も聞いちゃいなかった
ついたあだ名が「ミージイ」(ミーティングジジイの略)w 原以降の4番のそうそうたるメンツがショボイ成績だったから
原が再評価されたな。 当時、若手の投手が多かった横浜やヤクルトなんかは
全盛期の落合なんて知らないから、怖いもの知らずのノリで
バンバン胸元を攻めてた。
さすがに落合も「いい加減にしろよ」とばかりにブチ切れてたことがあったが。 >>96
>中日・板東、広島・竜辺りに呼応した格好で、川上監督もいち早く宮田というリリーフ投手を育て
デタラメぬかすなw
宮田のリリーフ専門起用が先で、広島中日が猿真似しただけだ大嘘つきが! 宮田のリリーフ専業登板は開幕前から藤田コーチ川上監督との面談ですでに決まっていたこと
広島中日は宮田の成功、8時半の男ブームに追随しただけ >>137-138
秋山の飛距離が落ちたのは腰痛の影響もあったはず 秋山、引退後に手術したら腰の痛みが全然無くなったらしいな。
これだったら現役中に手術すれば良かったって、後悔していたみたいだが。 >144
94年は内角直球がことごとく打てなかったので内角攻めは必然だったからな。 巨人は97年以降も落合を「清原のお目付け役」として残すべきじゃなかった?
コーチ兼任でもいいし、落合が残っていれば97〜99年も優勝できた。 オチが中日入団でガックリきて、さらに巨人入団でガーーーーックリきて、
日ハム入団で用無しだと思ったね。一生ロッテで村田と終えてほしかった。 落合はソープランドでアナルをどうしたんですか?
教えてください >>153
それは怪しい。
落合が引退直後の連載で
「コミッショナーは球界に一番貢献した人、王さんがなるべき」
と書いてて「あれ?」って思った。
そこは長嶋なんじゃないかと。
落合は憧れの長嶋のもとで実際にプレーしてみて「なんだ、この人?」って思ったんじゃないかな。 >>151
落合のケツの穴の小ささがキヨを駄目にした 日ハムでの落合は、結構気さくに若手選手に声をかける事も多かったそうだな。 >>157
長嶋は富士山だからな
遠くから眺めているのがよい
キヨの名言にもこうある
「富士山は遠くからみれば美しいが、近づくとゴミだらけ」
落合やキヨといった外様は巨人では冷遇される
生え抜きの松井やヨシノブとの扱いの違いにプライドはズタズタにされたのだろう 冷遇というよりその采配に「バカじゃないの、この人」って思ったんじゃない? それはないな。采配云々なんか外からみてりゃわかる話だし。
だれも長嶋を策士だ名将だなんて思ってないだろ。 >>71
A級戦犯が誤用されて久しいが、これは本来の意味でもA級戦犯のケースだな >>159
はぁ? 西浦から苛められてただろが wwwww >>162
長嶋の人間性に幻滅したんじゃないかね?
基本的に他人に興味がない人だと思うよ。だいたい選手の名前も覚えようとしない。
遠征先の宿舎でも選手と一緒に食事せず、ルームサービスだもの。
海老沢泰久の本じゃないけど、挫折を知らないから他人の心が分からない。 ロッテ時代を100とするなら中日が68で巨人が50でハムが15だね。
一気に劣化が早まった打者でもある。 完全に後出し意見になってしまうけれど、清原を獲るんだったら
落合を残しておいた方が100倍よかったんじゃないか。
ジャイアンツ内部の顕著なモラルの低下はあの時から始まっている。
色々言われはしても、野球には真摯な落合が残っていた方が
ずっとマシだったはず。 >>169
あっさりと巨人退団したのはあれで選手生命終わったという
自覚があったのかもね。そこで引退せずに
しれっと好待遇で日ハムに行くあたりはさすが落合だけど。 >>171
落合残しても代打要員でしょうね。素行抜きにして単純に戦力としてみても
清原いらないというのは当時の巨人ファンの普通の意見だったよ。
覚醒した松井を不動の4番に据えればなにも問題なかったから。 清原が巨人でまともに働いたのは01年だけだったなあ。 >>173
いやそれはさすがに言い過ぎ
四番は松井で良いにせよその前後に誰を入れるつもりなのよ 96年に松井が覚醒して落合が巨人時代最高の成績を残しても得点はリーグ4位だった。
当時の巨人は投手で持っていたチームだった。
清原も球界最高年俸で期待値が高かったせいで期待外れ感があるけど
97、98年は1年トータルでみればOPS.850だから無茶苦茶悪いわけでもない。
当時の巨人の外国人のスカウト力ならどうせ一塁の外国人みつけてきたところで
ロクなのを獲ってこなかっただろうし。 >>177
清原の巨人初年度って確か打率は低く三振は多かったが本塁打35、95打点ぐらいだっけ?
確かに悪くは無いんだけどヤクルトの4番だった古田が本塁打9で86打点で
清原に替わって西武の4番になった鈴木健が本塁打19で94打点だったから
清原の本塁打数を考えたら110〜120打点ぐらい無いとダメだわな オールスターなどでは確かによく打っていたが
シーズン中にここ一番で打っていたという印象はない
むしろ三振のイメージが強い。 もし、清原が阪神移籍か西武残留なら、巨人は落合を残したであろうか?
落合は残りたがるだろうけど、巨人側は落合のファーストでの守備範囲の狭さに
見切りをつけていたとも言われているし、8月末の野口の死球でかなり打撃能力も
落ちているのも見抜いていたならば、控えの広沢を1塁にコンバートとかも考えて
いただろうから、微妙ではあるけど。
落合は代打では嫌だと言っていたみたいだし。 少なくとも怪我するまでは、
巨人ではベストシーズンだったけどなぁ 何で96年に急にあんな本塁打と打点を伸ばせたんだろう >>164
西浦は不思議な選手だったよな〜
落合批判して実力でレギュラーを獲ったが、
活躍したのはその一年だけ。
クソ偉そうな落合への怒りが爆発して、
クソが消えたら気力も消えたのかなw こんな反日朝鮮守銭奴疫病神爺なんてFAで取る必要はなかった
大金をドブに捨てただけ 移動中のパシりにして、てめえが頼んだ雑誌、煙草を自腹で買って
てめえに提供した曲者元木に利子付けて全額返したれよ
この何処までもセコくド厚かましい朝鮮乞食一家(孫含む)が 知恵遅れの馬鹿餓鬼を球場に連れて来てみんなに迷惑を掛けたアナル糞満 篠塚に何でお前が背番号6つけてるんだよ
といったんだけ あのバカ息子 >>189
そう
松井には「おい松井、お前三冠王取った事あるのか?」 落合ってさ、契約更改の時に
「俺の成績を超えてから言え」
って言ってたらしいけど、
「落合さんの出来なかった二桁盗塁を記録しました」
「落合さんが獲れなかったゴールデングラブ賞を獲りました」
って言われたらどう答えてたんだろ。
今の中日に福本みたいな選手がいたら……
「あんた、打つだけやん」
って言ってやれば終わりじゃん。 >>191
そこでそう言えるくらい骨のある選手ならまた対応も違うんじゃないの? >>191
落合『俺はお前を認めないよ、○年連続して成績を残してから言え』とかイチャモンつけてくるだろうな。 97年も、5月終了時点で
.302 2本
敬遠されたり、かなり警戒されていたよ。 98年も、5月26日時点で
.310 2本
44歳で、凄くない? こちらを閲覧されている方にお願いがあります
おそらく1月にCS日テレG+にて放送されたジャイアンツタイムマシーン
の四番打者編にて落合のホームラン映像がかなり流れたと思われます
特に96年4月17日の今中から打ったホームランは、見たことがなくどうしても
手に入れたい映像です
再放送が4月にあるのですがレギュラーシーズンの試合展開によって
短縮されるようです
当方録画環境もなく・・・今はいろいろ厳しい時代ですが、もし1月に
録画していてパソコンに取り込んでいる方がいたのなら、何とかお譲りいただきたい
のです
無茶を言っていることは承知なのですが・・・何卒よろしくお願いします 原と落合が仲悪いと言われるけどそんなことないと思うけどね。
wbcで散々悪口いわても、
落合は講演とかで原監督のことを「タツ」と呼ぶ。
嫌いならあだ名で呼ばないでしょ >>167
いやぁ、最近でこそ金本なんかが40すぎて打ってたし、山本昌なんてのも
現れたから感覚鈍ってるけど、落合が巨人にいった時代なんて40代現役が
そもそもまずいない時代だろ。同じ時代にいた掛布なんか典型だけど
35歳くらいが選手の寿命だった気がするが。落合って、あの時代では
老化に一番耐えた部類だぞ。 落合曰く、巨人3年目に中日野口にデットボール食らって骨折したのが
劣化した原因だったそうな。
試合の局面と打順から考えて
「ここはぶつけてくるかもしれないからアウトサイドに立っておこう」と準備してたのに
避けきれなかった。
で骨折。 その後日本シリーズに間に合わせるために骨折完治しないまま
1日2000スイングしたら、完全におかしくなったとか言ってた 落合が移籍する前の93年の打線って酷かったの?
4番を打てる人材が居なかったけど原と駒田も不調で松井は育成中だったの? 酷かったね 1993年開幕前は長嶋復帰で松井とバーフィールド
で200発打線とか威勢の良い感じだったが、松井はOP戦打率0割台
これは高卒1年目だから仕方ないにしてもバーフィールドは扇風機、
原も確実に劣化した 後半活躍しはじめた松井の将来に注目して
いた感じ >>199
当時球界最高齢が落合だった記憶があります
門田も引退したあとだったし 確実なのは96年時には
最年長でしたね
>>200
野口のデッドボールは生放送で見てましたが本当に
残念でした ただ個人的に思うのは確かに骨折のダメージは
あったけど、日ハムに移ったときになぜか太ったことと動体視力
の衰えのほうが大きかったように思います
>>201
93年オフはFA元年でいろいろあった年でもありますねぇ
長嶋監督が頭を下げて落合を引っ張ったり、槙原の自宅に
花束持っていってFA引き止めたり・・・駒田が出て行ったり
結果論じゃないけど93年にいなかった打線の中核に落合が
座ったのはやっぱり大きかったように思います この年の野口は巨人戦では本当に謎の投手だったな
巨人相手にノーノーやって、落合の手首を粉砕して選手生命を終わらせて、
最後はジャーマンのキングのために松井を敬遠してブーイングを浴びる 93年の巨人打線はまず原が不振、駒田も駄目、優良助っ人だったモスビー不振
新外国人バーフィールドも外れで中軸が完全崩壊
四番岡崎郁が起きたのもこの年
投手陣におんぶにだっこだった藤田監督時代のツケが噴出したとも言えるな 落合が3割15本程度で4番でよくやってくれたって感じだから
ファンのハードルもすげー下がってたな 92年は何気にチーム打率NO1。 打撃コーチが中西太。
93年は打撃コーチが中畑チーム打率が最下位。 打撃コーチが悪いのかも
当初は長池を招へい予定だった・・・93年
落合は毎年三冠王を取るというけど94年だけは長嶋さんを胴上げするといった。
だから故障して休んで打順の流れを切るのが嫌で休養を辞退した。 91年かなんかに
脚故障した時は星野の要請を散々断り1か月休んだ >>199
94年ならぎりぎりでハム大島・阪神真弓・オリ佐藤かな。 大島と真弓は代打だけど >>210
前年の4番打者成績があまりに酷かったから、とにかく数字はそれほど残さなくていいから、
シーズン通して4番に定着してくれれば十分という感じだった。
原じゃ頼りないし、駒田は器じゃないし、松井じゃまだ可哀そうだし、外人は未知数だし、
岡崎じゃ悲惨過ぎるって具合。
そこそこの成績だった落合だが、ポイントではよく打ってくれたような印象がある。 落合は日ハムに移って、それまで打席に根を張ってるようなバッティングフォームからポンと落合の人形を打席に置いたような力感のないフォームになって
実際.260 3本という悲惨な成績に終わったが、記録を見るとしっかり四球を選んでるんだよね。
3割20本打ってた巨人時代にはパワプロで云う「威圧感」があったんだろうなあ。 >>213
あの年の姿には、落合が数字を捨てたらどうなるかを見せてもらった気がします。 >>211
落合って「野球選手は骨折かアキレス腱切る以外は試合に出るもの。オレはそうしていた」と言ってたけど・・・
中日時代肉離れしてた時有りましたよね。 その時かな。
>>214
日ハムの試合動画が落ちてて、落合の打席何度か見れた。
やっぱり相手が警戒したり、敬遠が多くて、存在感あるなあと思った。
反面、甘いコースを打ち損じる場面が多くて、衰えもあったかなと 松井のお手本もあったかも知れんけど、
結果的には↑でも書かれている存在感が大きかったと思うけどな。
駒田が抜けて一塁が空いたし、
効果的でちょうど良い補強だったという印象。
当時の巨人ファンで、当時の落合を非難する人は少ないと思うよ。
一方、清原とかはアンチが多かったんじゃないかなぁ。 94年の落合
03年の金本
単純に打撃成績の数字だけじゃ貢献度は測れないって典型だな >>218
駒田は横浜がFA関係なく欲しがってたね。 もしFAしなかったら大魔神と交換トレード
だったが打者補強したくて巨人が拒否した。 駒田を餌に同じ佐々木でも佐々木誠
ほしかった >>217
トシだから大して期待値はなかったな
重要な場面だけ仕事してくれって感じだったわ
94年
松井(20) .294 20本 66打点
落合(41) .280 15本 68打点
原 (36) .290 14本 36打点
95年
松井(21) .283 22本 80打点
落合(42) .311 17本 65打点
原 (37) .201 *6本 15打点 落合の凄さは中日で成績が落ちていったのに巨人で息を吹き返して最後は3割20本打ったってとこ。
OPS.924って大したもんだ 松井1000日育成計画の一環で落合とプレーさせる
狙い通り松井4年目で覚醒
ここまでは長嶋監督の策謀はキレていた 外野フライなりシングルでいい場面ならそれを狙う。1発しかない場面ならそれを狙う
どうでもいい場面ならぜんぜん走らないが、大事な場面なら1塁なりホームに激走する
ぜんぜん俺流なんかじゃなくてしっかりチームプレーをする選手だったというのがよくわかった2年間だった 勝つことが目標なら、そのために必要なことを実践できる人だったね。
稲尾監督に「(細かいシチュ忘れたけど)9回裏無死1塁2塁
(みたいな場面)でどうする?」と問われ、
「バントです」と答えたとかいう話からも分かる。
小久保みたいなキャプテンシーとは違うのかも知れんけど、
若手にとっては、やはり手本とすべき選手像の一つって感じ。 94年の夏場にまるっきり打てなくて、週ベで張本にもうおやめなさいみたいなことを言われてた。 週べといえば豊田泰光のコラムで開幕前「落合は出場できても年間80試合」とか
書かれてたな。 あー、ロッテに在籍してた頃、ノーアウトかワンアウトで、サードランナーがホームインできるゴロの練習をした話があったな。
で、監督になって、井端がサードランナーを返すゴロでアウトになったのを、誉めてたな。 >>227
94年に調子落とした理由のひとつに長富からのデッドボールのダメージがあったみたい
本人曰く2ヶ月間メシ食えない眠れないでどうしようもなかったとか
>>228
豊田さんって落合のこと認めたり認めなかったり
95年だかに打率3割打ってたときに
「つなぎはうまいから落合2番で使え」とか解説で言い出したときは流石に苦笑いしたよ
>>229
井端がホームラン打って大喜びしてるのを
ちょっとムっとした表情で見てたことあった
落合の目指す野球、求めているものと違ったのかね >>230
長冨のデッドボール食らって調子が悪かったときに、盛田にその痛めてる箇所を狙われて
デッドボール食らったときはヘルメット叩きつけてブチ切れてたな。 >>231
バケツに足を突っ込むと言われる、ボールを避けながら振るスイングしてるのに当たるのがね。
清原みたいに避けないスイングじゃないから、西本聖の徹底的なシュート攻めは当たらなかった。 松井から見たら風格風貌まさしく4番打者な落合
清原は・・独りよがりな4番打者 巨人時代の落合って、なんでぶつけられたんだろう?
悪役を演じてたのも影響したのだろうか。
広島の新井みたいに純情なキャラを演じてれば
あんなにぶつけられなくても済んだのに 風格があったらあんなに当てられないわな
巨人も黙ってなくて乱闘になってただろう頼れられてたなら
山本浩二は頭に当てられたときは即乱闘だったよ
落合は威厳はまったくなかった そりゃチームリーダーかどうかの差でしょう。
それとピーコはいなくなった時にチーム力がガタ落ちするほどの柱だった。
威厳とかそういうのを抜きにしても。 威厳とか風格は死球数に関係はないと思うけどなぁ
落合の通算死球数は63個
衣笠は161個
王は114個 よけるのが上手いと言えるのかも知れんぞ
金本(特に阪神時代)は、よく清原と比較されて
「よけるのが上手い」って言われてたし、
実際70個ちょっとだったみたいだけど、
風格や威厳は間違いなくあったでしょ。
落合も巨人時代にはすでに選手晩年だったのは
誰にも明らかだけど、個人的にはやはり風格はあったと思うな。
或いは原の全盛期よりあったかも知れんw
そういう意味ではあの成績でも優勝に導いてくれたので、
感謝してるよ。 印象に残ってるのは、94年の日本シリーズで
ケガしてんのにDH出てきたときに
セカンドゴロ打ったときに見せた鬼の形相かな。
結局その年のシリーズは1試合だけだったし。 落合や張本の死球数が少ないのはインコース打ちが上手いと思われていたからでしょう。張本が怖いからだったら笑うけど。 >>243
あれは西武のセカンド辻が、何故か走れない落合を1塁で刺さず、3塁をオーバーランした走者を刺そうとして悪送球、巨人に先制点を許した。
後年、落合は中日に辻を呼んだがこれは関係有るのかな(笑)
この年6月で貯金22まで行ったのに、7月から失速。札幌円山で山本昌に完封された試合後の札幌後楽園ホテルで全選手を集め、「お前らは力が有る。絶対やれるって!」と激を飛ばしていた。 96年は43歳で300 30本 100打点の可能性あったのに残念だった
あの骨折から急激に衰えたなあ >>246
後半になってからホームランペースはかなり落ちてた。
打率も骨折がなく出続けていれば3割切ってたかもしれん。 落合がコーチ兼任で残留していれば、97・98年の巨人はV逸しなかったんじゃないか?
清原も「落合さんの前ではみっともない姿は見せられない」と
3割30発ぐらいはクリアしただろうし。 清原に三割クリア求めるのはちょっと無茶かな
何より一塁清原にすると落合は代打しか居場所がないから残留自体が無理のある仮定にすぎない 落合は残留するつもりでいたんだろ。切ったのは巨人。 V逸の原因はどちらの年も投壊と外国人の失敗なんだから
清原が落合になったところで何も変わらんよ .280 35本くらいは期待したかな、正直。 >清原
清原も落合も勝負強いとは思うんだけど、
何だか質が異なっていた気がする、何とも上手く説明できんのだけど。
お祭りっぽいムードの時に派手に打つのが清原で、
正に真剣勝負のときに、チームにとって最低でも最低限の仕事、
良ければ最大の結果をもたらしてくれるのが落合という印象。 落合が言うには、巨人移籍時の清原はスイングがどうにもならないぐらい悪くなってたらしいね。
本人もそのことは理解してるけど、クセとして染みついてしまってるから直すのが難しいと。 >>155
デリヘル嬢にお尻の穴を舐めてもらうのが大好きって清原に暴露されて
プロ野球板で『アナル』って呼ばれるようになったよ
ナイスネーミング! >>252
94年 .279 26
95年 .245 25
96年 .257 31
今の中田よりはマシだけど、当時は「怪我さえなけりゃパの四番は石井だった」って感じ。それにいきなり.280 35本は難易度が高過ぎるよ 長嶋に4番松井は時期尚早だから清原を取った方が良いって進言したのは落合だけどな
その時はファーストオレ、サード清原って思ってたみたいだけど
清原がファーストしか守れずベンチを温める事が多くなるって言われたから
自由契約にしてもらって
自分の意思で退団したんだよ 落合は清原から逃げたんだよ。
清原と勝負しても負ける気がしないって言うなら清原から実力でポジションを奪えばいいだけ。
それを長嶋さんが悩む顔を見たくないとか理由をつけて… 石井浩郎は清原がFA取得する頃にはすでに選手として終わってたからな
怪我さえなきゃな〜。。。 落合は清原にはサードでもやらせるだろうとタカをくくってたんだろう
ところが清原が予想以上にポンコツだったと 落合は落合で死球で終わってたことを実証した97年だし仮に残ってても・・・ 一塁なんて広沢で十分だったし3塁は吉岡育ててほしかったな 吉岡は肩が弱くてサードなんてとてもまもれないんだけど
近鉄時代たまにサードやってたけど送球ヘロヘロだった ちょっとスレチな話題だがサンデーモーニングのスポーツコーナーに出ててびっくりした
絶対出ないだろうと思ってた番組だから序盤の一番いいところ見逃しちゃったよ・・・ >>264
監督復帰したいんでしょうね。
最後の監督依頼来たら考える発言は台本で用意されてた感じがしたし。
あれを言いに嫌いな張本と共演した気がする 最近、ネットニュースでも話題になってたけど、
監督復帰するとしたらやはり中日?
それともまさかの巨人というニュアンス? >>265
落合って別に張本嫌ってはないでしょ
そりゃ考えは合わなさそうだけど >>265
あれは落合が監督やりたいと意思表明をするためにセッティングされた場 >>267
金やんに酷評されたスイングを認めてくれて、山内監督に理想的なスイングだから矯正する必要はないと進言してるからな
悪い印象どころか、恩人だろうね あんなしょぼいスイングだったら普通は酷評するわな
山内さんにも酷評されとるし
ハリーは褒めて伸ばすタイプなんだろ 落合が露骨に嫌ってる球界の人間て金やんぐらいでしょ
意外と球界の中に会うことがタブーみたいな人間いないし
さしもの落合もルーキーの時には張本を恐れていたというか、近づきにくかったりしたんだろうか 落合が巨人の監督になって清原を打撃コーチに呼んで更生の機会を与えてほしい >>268
昨日テレ東の東京湾の魚の番組でナレーションやってた。 福嗣、ナレーション含めて声優として結構うまいよね
落合はプー太郎だった福嗣が声優に仕事が決まったとき
大泣きしたっていうし、もともと優しくて子煩悩なんだろうね >>274
清原が落合と距離置いてるから、断るでしょ 落合監督やんねーかなあ 巨人の
今の甘ったれた選手鍛えなおしてほしい フクシくんナレーションうますぎワロタ
これで一生食っていけそう 落合って病気なの?青白くて生気がないね。
ハリーのほうが生き生きしてる。 >>278ではない巨人ファンだが、
落合なら託してみても良いかなとも思う
厳しい言い方だが、由伸が監督やってる限りは
優勝できないんじゃないかと思う。
歴史上初の外様ではあるが、一応巨人OBでもある訳だし。
何つっても監督評価には厳しいらしい川上広岡が、
その手腕を評価しているみたいだし。
「勝つことが最大のファンサービス」という考えは支持する。
長嶋みたいな余計なパフォーマンスはいらん >>283
長嶋って人は選手としてはパフォーマンスしながら勝つっていうことができてしまったから目標が高いんだよ 落合って何気に選手として日本一経験したのはこの1994年の1度きりなんだな あの日の試合後の落合へのインタビューでは、交代の理由を聞かれて、
「個人記録より日本一」「一番確率の高い戦い方だから」「うちは一年間岩瀬でやってきたから」
と堂々と言い切っており、山井の申し出の話もマメの話も一切していない。
ところがこの投手交代がマスコミで大批判されて、中日ファンからも抗議されて、
数日後に実はあれはと言い出し、山井のマメが限界で申し出があったと言って、
山井の今後の投手人生を考えて交代してあげた、なんて説明に切り替えた。
本当の中日ファンは中日の情報は毎日見てるから、日ごとに説明変えたって全部お見通し。
冷たい上に嘘でごまかす人間性が露骨に見えて、ファンは肩入れできなくなって、離れていったんだ。 >>288
選手の故障情報は企業秘密っていう人だから最初は伏せた。
ただ、高校時代、大学時代に野球部を辞めちゃったように、我慢弱いとこもあるから、結局公表してしまった。
落合の経歴を知ってれば、しょせん落合ってこういうヤツだから、で終わる話。 >>290
嘘つきアナシン乙
山井ごときに完全試合をやらせたくなかったのと
岩瀬を胴上げ投手にしたかったんだよ >>291
アンチでもなんでもいいけど、そういう決めつけが狂信的で気持ち悪い すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
OQJ4X >>292
狂信的なのはお前らオチシンだろうがwww >>295
一生そう言ってればいいんじゃないかな。
お前の世界には信者とアンチしかいないんだろうけど、現実はそうじゃないからな? ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ >>304
一度も首都になったことがないのに「中京」と名乗る田舎者乙 落合さんは俺らがヘトヘトになりながらダッシュを繰り返してる横で
俺流とかってチンタラ歩いてるんですよ。それで引退したら
練習は裏切らないとかいってるんすからやってられないすよ
byもとき もときへのヒント
もときと同じ年齢での練習量と質。 >>306
落合はロッテ時代にバットが手から離れなくなるほど素振りした男だぞ
そもそも40代で若手と同じ練習してたら身体を壊すわ
そんなこともわからん奴がコーチで大丈夫なんかね >>306
まあ、それは中日時代から有名な話だからね。
当時、阪神にいたバースは落合の練習風景を見て、
「落合はろくに練習しないから、狭い川崎球場では三冠王を獲れてもセリーグでは三冠王は獲れないだろう」と断言されてたし、
他にも、中日キャンプを見学しに来てた島田紳助から
「みんながきつい練習をしてる中で、1人だけ適当に練習を流してる選手がいた」と皮肉られてたからね。
同様にハム時代も広瀬から練習量の少なさを皮肉られてた。 なんで人前だとちんたら練習してるんだろ。人前かんけいなく真面目に練習すればいいとに >>310
だって「人前で熱心に練習すればするほど、それ(練習内容)が苦手だと公言しているようなものだ」ってな考え方する人ですよ。 >>311
成る程、納得がいった
まぁ内角を流し打ちしてただけなのに、外角が得意とケム巻いてたぐらいだからねぇ >>225
ほんとそれ。
こんなに熱い人だとは思わなかった。 この人は「現役時代に1回くらい退場を経験してみたいな」と思って
わざと退場になったんだろう >>225
>よくわかった2年間だった
巨人在籍は3年だろボケっ 巨人2年目のオープン戦でやってた八重樫打法は調整のためにやってたんだっけ?
シーズン始まったら元に戻ってたよね。
それと、八重樫打法はイチローがオリックス時代にも取り入れている。
あれはなかなか理にかなった打ち方なんだよな。 >>310
ライバルを油断させるため
テストの前に全然勉強してないフリするやついたろ ロッテ時代に続き退場になっている
中日、日本ハムの選手時代はなし >>4
中日ファンはFA宣言して自ら退団した事に大歓迎だったぞ >>323
「名古屋を捨てた!」「よりによって巨人か!」って大騒ぎしてたけど? 両方真実だな
感情的に「裏切り者」とか叩いていた奴もいたけど
「あの衰えた老人をわざわざ高い値段で引き取ってくれて読売さんありがとう」みたいな意見もそこそこあった
中日球団自体も本音は後者寄りだったと思われ・・・
実際落合が去ったおかげで外野守備の不安な大豊を一塁に固定できたりもしたしね 実際当時中日ファンだった俺も
落合はこの辺で見切るのはやむなしと思っていたし
怪我もあったとはいえ92年93年あたりの打撃内容や40歳という年齢から見て
巨人ではさらに成績を落としてボロクソに叩かれる結果になるんじゃないかと予想していた
だから、1年目は優勝したもののイマイチだったが
95年96年とだんだん成績を上げたのは驚きだったな 金だけ、話題つくり、己の保身の為に長嶋の名前つこたんかなと、根っから落合ファンの僕も思ったけどちゃんと結果残したしな。
汚いのは長嶋、もっとちゃんと庇わんかい
清原とフェアに競わすべきやったな、
所詮はナベツネの犬...
落合の引退の日は長嶋引退の日と同じ.., でも清原入団落合退団の件に関しては
ナベツネは最初は落合も残す気だったと言われてるけどな
清原が来るのとセットで落合追放を画策したのは当時の巨人のフロント3人(深谷、石山、鯉渕だったかな)
で、落合がその動きを察してフロント批判を繰り広げたのがナベツネの逆鱗に触れ
その3人とともに喧嘩両成敗のような形で切られた
ただそのフロント3人は他の選手達からも評判は悪かったらしく、槙原も引退後にかなり強く批判している
長嶋は・・・
あの人は修羅場では何も出来ないというか
面倒なことや言いにくいことからは徹底して逃げまくる人だよ
張本を切ったときも自分からは言い出せずに、かと言って張本を残してくれと守ることもなく
ヘッドコーチに就任した青田昇に引導を渡す使者役みたいなのを頼んでいる >>329
ありがとう、そういう経過もあったんですね
組織管理者としてナベツネも適切に振る舞ったんやなぁ...。 そんなことあったのにナベツネは落合をやたら評価してたよな
一時期WBCの監督に推してたし 青田ってシーズン前に黒い交際発覚で辞任しなかった? >>332
青田は1979年秋からヘッドコーチに就任
張本が巨人を退団したのも79年オフ
晩年の青田は「地獄の伊東キャンプ」自慢をしょっちゅうしていたな
で、おっしゃる通り
1980年1月に黒い交際疑惑で辞任 八百長がなければ巨人6連覇は無理? 青田昇の危なすぎる爆弾発言/週ベ回顧
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191216-00000002-baseballo-base
これを読むだけでも青田がかなりヤバい人(面白いけど)なのはわかる
ただ上の記事が出たのは1969年だから、
その10年間でもコンプライアンス的な部分に変化があったのかもしれない
1969年なら「ワシは暴力団を知っとる」と公言してもそこまで問題にならなかったが
1980年になると状況が違ってきたということ
間に黒い霧事件もあったしね 落合との関連で言うと
青田は落合が巨人移籍する前に「落合なんてイラン。今さらあんなロートルを取ってどないするんや」と何度も吠えていた
で、移籍決定後
当時青田が出演中のズームイン朝の企画で落合記念館を訪れて落合に取材することになり
こっちは一体どんな感じになるのかと思ったら
「いろいろ厳しいことも言うたけど来たからには頑張れや」と青田が激励
落合も野球の話で普段よりにこやかでかつ饒舌な感じですごくいい雰囲気になっていた
それを見て
青田は毒舌だし黒い部分もあるけど、根は人に愛される性格なんじゃないかなとは思った ・確かに俺はヤクザとも付き合いがある。でも子供の頃から友達やったのにヤクザになったからと言って急に縁を切るというのは人として出来んわ
・大体ヤクザと交遊関係がある奴なんて野球界には山ほどおる。例えば山本浩二が共政会の連中に食事に誘われて断れるんかという話よ
・最近の記者は野球賭博の仕組みも知らんのか。よし今から俺が教えたる。ハンデの付け方というのはなあetc
青田が週刊誌の取材に答えた内容はこんな感じ
これはいくら昭和でもアウトだろ 青田はスレ違いなので落合の話に戻すと
96年前半の落合の打撃はロッテ時代の全盛期とまでは行かなくても
中日時代の好調期に近いぐらいの状態にあったと思う
特にブロスやチェコといった落合が元々あまり得意じゃない外人荒れ球速球派のストレートを
次々とスタンドに放り込んだのにはびっくりした
しかしオールスターを過ぎたあたりから少しずつ陰りが見え始め
率はあまり変わらなかったものの長打が減り、速球に差し込まれる場面も目立つようになってきていた
(ただこの年は打点だけは一貫してかなりのハイペースで稼ぎ続けていた)
だから野口の死球がなければ落合はまだまだバリバリやれたというのは個人的には少々疑問なんだよね 開幕5番をキャンプの時点で告げられてて気合入ってたんじゃね?
と言いたいけど42歳になるシーズンを気合だけじゃどうにもならないよねぇ・・・ 清原獲得に関しては長嶋さんは消極的だったと落合自身がのちにいってる
むしろ清原獲得を薦めたのは落合自身。 落合が清原を指導すのと
清原をサードコンバート案を提案した 落合は年齢的限界だったかもしれないけど
だからと言って清原を獲るのは悪手だったわな 広島ではカープの選手に迷惑がかからないようにヤクザは選手を避けると聞いたことがある
この発言で生前殿堂入りできなかったんだよな
オーナーはコミッショナーとカープと山本浩二に謝罪しに行ったんだろ 落合は巨人に残留して清原を指導してたら清原もおかしくならなかった
かもしれないし落合自身も初の生え抜き以外の巨人の監督になってたかもしれないな 失敗したね
まあ、日ハムでダメになっちゃったという現実があるからこそいろいろ想像しちゃうわね
その後の人生を
まあ、巨人の後半2年で落合のすごさを全国ネットで知らしめることはできた
幸せな野球人生だったよね >>334
何言ってんだかw
青田は阪急時代に八百長疑惑があって巨人に戻されたんだぞ
寺内大吉の著書にその経緯が書いてるわw
戦後リーグ戦再開して優勝候補の阪急が4位になった理由もな まあ終戦直後のプロ野球なんて八百長は日常茶飯事だろ
黒い霧事件というのは
むしろ八百長がだんだん減って来た時代に露見したというか
昔の名残みたいなもんだ この年は水不足が深刻だった 特に広島
広島はこの年の水不足がなかったら優勝していた >>350
それって本気で言ってるの?
根拠ある? 西日本中心に猛暑と水不足だったのは1994年だけど
この年は広島はむしろ水不足が顕在化した夏以降に猛スパートして巨人を追い上げたんだけどな
94年は10.8の印象が強いので巨人と中日の優勝争いだったように思われているが
実際は9月半ばぐらいの段階では巨人1位、2位は広島で
3位阪神、中日は4位だった(暗黒時代真っ最中の阪神にも実は優勝のチャンスがあった)
中日が2位に浮上して巨人を追う1番手になったのは
9月末のナゴヤで広島を3タテして以降
どっちにしろ水不足の夏に一番絶好調だったのは広島だから、気候が成績に悪影響を与えたということはない 広島が前半の独走から失速、巨人が逆転優勝したのは96年だが
この年の夏はむしろ天候不順で雨が多く水不足にはなってないはず 長嶋の.260 15本でいいという言葉を実践した男 ただ長嶋は落合不要論に対して
「落合は打率は.280ぐらいでもフォアボールを大量に選ぶから見えない貢献度が高いんですよ〜
フォアボールはヒットと一緒なんです。これは絶対チームにプラスです」と繰り返してたんだよな
当時は出塁率より打率打率みたいな風潮が多かったけど
長嶋はその辺の数字も冷静に見ていたのかもしれない 落合君には三冠王は望みません打率等は上記の数字でよいんです
むしろ4番落合という名前を最初に書いて打線の軸がほしいのと生き様を
内の選手見てもらいたいんですと伸子夫人にいった
それを聞いた伸子夫人は落合に巨人移籍を薦めた
落合獲得にはそれなりのテーマがあった。 広沢清原にはそれを感じない >>357
>フォアボールを大量に選ぶから見えない貢献度が高いんですよ
う〜ん、、それはどうかな?
星野に言わせるとそれが不満だったというね。
シチュエーションによるが、落合が四球選んで出ても、
鈍足だから交通渋滞起こして得点につながらないので、
それがストレスだったらしいけどね。 >>360
それは生で見ていた世代だから知ってるよ
落合には四球乞食的なところがあった
(特に不調時はどんな絶好機でも最初から四球狙いのように見えるときもあった)
でもトータルで見たら出塁率の高さはやはりプラスだよ ただ中日とソフトバンクの日本シリーズで
和田がチャンスに四球を選んだが後続が凡退して無得点
その時監督の落合が「フォアボールだけはやめてくれと思っていたのに選びやがった」みたいに言っていたのを聞いて
それをお前が言うかよ、とは思った
場面によっては多少無理してでも打ちに行って欲しいと思うときはあるね 落合は四球を選ばない打点マンのラミレスを高く評価してたからな
落合が選ぶ歴代ベストナインで自分を選んでないし現役時代の自分はそんなに評価してないんじゃないかな なお歴代の右打者ナンバーワンは俺しかいねーだろと豪語した模様 ラミレスの事は評価するのに松井秀喜の事は評価しない落合 >>361 >>364
好調な時は四球ばかり選ぶより積極的に打ってくれと思うこともあるが
不調の時も考えればやはり出塁率が高い方がいいよ
特に晩年に力が衰えてからは、選ぶ力があるかどうかで大分変わる
例えば王ほど四球を選ばない長嶋のラスト2年なんて酷いチャンスクラッシャーで
ネットのある今だったら「この老害、氏ね」とボロクソに叩かれていたはず
逆に王は全盛期は四球の多さのせいで打点が意外に少なかったりしたが
最終年は打率が2割3分台まで下がっても四球でチャンスをつなぐことが多かったので
そこまでブレーキにはなっていない 1974年は長嶋があまりにチャンスでブレーキになるので
川上監督は1番で使ったりしてたみたいね
当時の新聞縮刷版を見るとあの長嶋ですら結構批判されていた 別に長嶋を貶したいわけじゃないよ
ただどうしても過去の選手は美化されがちだけど
打てないこともいくらでもあったし
特に晩年はどんな名選手でも年齢には勝てず悲しい状態になるんだな、と そう考えると本当手首やらなかったら落合はどこまでやれたんだろうなあって思う48くらいまで頑張れたかな 1974年の長嶋の良かったところ
満塁時の打率 556
逆転打 長島 3本
王 0本 野口のデッドボールが無かったとしても
パリーグ移籍となると11年ぶりで
初顔合わせの投手ばかりになるので
ある程度対戦して、相手の特徴を掴んでから
結果を出す落合さんには厳しかったのではないでしょうか。 目が駄目になるからどのみち長くはもたない
イチローも致命傷になったのはそれだからね >>366
プロ野球にも松井派とイチロー派がいるからね
谷繁も松井怖くないとか言ってた 博満の我儘で牛島、上川、平沼、桑田が中日から去るハメになったのに、
たった7年で中日から出て行ったら4人が可哀想すぎてならん >>377
でもその4人って7年後平沼以外は現役じゃないやん 落合「長嶋さんは野村さん、森さん以上のマイナス思考。それはチームの編成を
見ればよく分かる。FA、トレード、逆指名で選手を集める。」 >>380
だからオリンピック予選の時のプレッシャーに負けたんだろうな。 >>379
無理。
仙一さんが監督やってるうちはトレードを含めた補強をガンガンやるから。
たとえ落合が来なくても別のトレードで出される。 >>362
出塁率詐欺の鳥谷に聞かせてやりたかった いまの選手の基準と落合の実績をみたらそれでも少なすぎるくらいだな 中日末期の1992年1993年の落合ってメディアじゃどんな扱いだったの?
タイトルに絡めてるわけでもなし巨人の4番でもなし
目立たない扱いだったの? もう記憶がかなり曖昧で自信はないが
91年は首位打者狙えるほど成績良かったし優勝争いしてたから扱いよかった
92年は最下位かつ成績ガクンと下がったからあまり話題にならなかった記憶が…
93年はチームは優勝争いするもさらなる成績低下で扱いは微妙
でもことFAに関しては話は別で去就がかなり注目されてた気がする 落合は成績が落ちても清原みたいな叩かれ方はしなかったな
三振が少ないのも理由としては大きいだろうな 名古屋のメディアってテレビも新聞も基本的に中日の選手には甘いのよ
まして主力となればほとんど批判しない
そのかわり出て行った瞬間からボロクソだけどなw
一方で東京のメディアは別にそこまで落合や中日に執着してない
だから成績が落ちても
92や93の落合が特に叩かれてる感じではなかったな 93年のオールスターで長嶋と落合が話してる姿がスポーツ紙で取り上げられて「FA行使で来期巨人確定!?」と賑わってた。 10.8の先制ホームラン。これだけで巨人が落合に払った給料はむしろ安いと思う。
長嶋も落合がきたら2割5分、15本って成績でしょうと語っていた。が大事な
試合でのひと振りに期待したのだろう >>391
3年中2年で3割を打ってくれたから期待以上だったよね 落合 巨人の3年間は、特に後半2年は誰も成績に文句言えなかった。
相当気合い入れてたんだろうな。 96はボールが急に飛ぶようになっただけだろ
落合でも東京ドーム中断に打ち込んでたし防御率も悪化した >>391
ホントそれだと思う
10.8と開幕戦
あの年は落合がいなければ、
三本柱フル回転をもってしても
優勝できなかったんちゃうかな
そして松井に四番打者像を植え付けたのも大きい 落合がいるとなんか安心できた。
これは原では味わえない心境 >>396
それを当時は本当にヒシヒシと感じた。
これが4番なのか、と。 巨人ファンにとっては巨人落合は良い思い出しかないのよ。 >>391
確かに開幕戦のMOアベックアーチも10.8の先制弾も価値は半端ないけど
自分的には10月2日にヤクルト山田からかっ飛ばした決勝2ランが一番価値あると思う
あの試合落としてたら首位陥落してたし、落合自身も「一度抜かれたら優勝できないと思ってた」
って言ってるしね >>394
セリーグの総本塁打数
1995年=790本
1996年=765本
96年はボールが変わったのではなくやはり松井が覚醒して、マークが分散されたのが
大きかったのではないかと思う。 チャンスで原が凡退すると「何やってんだ。ニヤついてんじゃねえ」
と腹が立ったが、落合が凡退すると「落合でだめならしょうがないな」と思えた 原は凡退してニヤついてることはなかったけどな。
年中しかめっ面の現役時代だわ。 このスレには、落合を神と崇める奴が1人ずっと張り付いているのか >>402
ポップフライ上げて苦笑いしてたけどな
まあ原ファンからしたらそれもしかめっ面に見えるんだろうな >>398
本当それな。
あの3年間は良い思い出しかない。
原には申し訳なかったが、やっぱり4番ってこういう働きするんだよな、と。 巨人時代の思い出は沢山あるが一番印象に残ってるのは2000本安打のとき
500、1000、1500は本塁打で決めたけど40歳超えて本塁打激減してたし
「さすがに無理だろ・・・」って思って見てたら見事なホームラン
めっちゃ鳥肌立ったわ >>406
ずっと狙ってたんだろうけど、その割には狙ってる雰囲気を感じさせなかったね。
なかなか2000本目が出なくてさ、落合でもプレッシャーあるんだな、と。
でもその間はあまりチャンスで回ってきてなかったんだろうな。
「あのやろう、狙ってたからあの打席はチャンスでポップフライ上げやがったんだな」とは思わなかったので。 よく節目節目でホームランとか誰から三振とか最初から狙ってた話聞くけど
そんなことできるんだったら全打席ホームラン打てるし全打席三振とれるはずじゃん 95年の月刊ジャイアンツ読み直してみた。
キャンプ時は二軍集めて『野球講座』やってたんだな。
落合が頼まれたのかな?
自分からやったのかな? それと、95年オフ、肉体改造やってたんだな。
正確には肉体復活計画かな。
三冠王の時の太ももが65センチ、94年は60センチに足りないぐらいまでに落ちてたと。
優勝旅行キャンセルして 山歩き、ダッシュ、ウエートトレーニング。
4番のライバルは松井だけではない。
新加入の広沢、ハウエル、シェーン・マック。
こいつらには負けないよ、と言ってるが、裏に負けちゃうかもしれないから何とか頑張らないと、ってのがあっただろうね。
巨人1年目はいつもと同じ練習さえしておけば大丈夫、という慢心があったとのこと。
それが95,96年の復活につながったんだろう。 旅行キャンセルだったとは初めて知った
かっこいいな 落合と優勝旅行ってなんか不似合いだし、良いんじゃないかな ウェイトトレーニングも取り入れてたのか
知らなかった どうせなら92年のシーズン終了から取り組んでほしかったなあ 93年は最多勝2人だしね
HR10本打点20ぐらい上乗せできてればもしかしたらと思えてくる
まあ優勝球団は貯金30の7ゲーム差で日本シリーズ優勝だから
このぐらいじゃ足りないかもしれないが… >>384
夢を与えるどころかバカバカしくなって夢を奪うわ
この時全盛期ならもっともらってもいいと思うけどそうじゃないだろ‥ 年俸がどんどん上積みするから
プロりはびらーみたいなベテランが出てくる
3冠王とったら10億でもいいが働かなかった年は0にしろよ セ・リーグ連続5シーズン本塁打数
野球神
王貞治(1963ー1967)
40 55 42 48 47 計232
山本浩二(1977-1981)
44 44 42 44 43 計217
松井秀喜(1998-2002)
34 42 42 36 50 計204
平凡な強打者
落合博満(1987-1990)
28 32 40 34 37 計171
原辰徳(1985-1989)
34 36 34 31 25 計160
池山隆寛(1988-1992)
31 34 31 32 30 計158 G3年目の6月末の東京ドームのヤクルト戦で吉井から打った左中間へのホームランが凄かった たしか同じく3年目の96年だと思うけど、東京ドームでフォークボールの地面スレスレの球を
前につんのめりながら左手一本でレフトスタンドに持っていったのがあった
あれには驚いたがどこ探しても映像がない・・・もう一回見てみたいな >>409
それができる相手とか球を絞るのよ
逆にそのために打席やイニングを捨てる場合もある >>422
横スタのちょこっと当ててライトスタンドってのも96年だっけ? >>424
なんかそれ見たような記憶がある
実況が驚いてた
打った落合本人もおいおい入っちゃったよみたいな顔してた >>424
調べたら96年の20号、米から打ったホームランだった
当時テレビ観戦してたけど、ベンチリポーターが打ったあとの落合がチームメートに
「今日はみんな打ち上げろ」と言ってると聞いて笑ったの覚えてる 日ハムでの最終打席も似た打ち方かね。
あれが2年前ならスタンドイン。 >>426
8月の今頃の時期だよね?? 確か水曜日でガルベスが先発でTBS中継で
確か早い回に打ったホームランだよね。
野口にノーノーやられた次の試合だった、火曜日は中止。
木曜の横浜戦はフジ中継でもつれて清水のタイムリーで落合が激走して
ホームインしたね。 中継終わってニッポン放送で聞いてたけど。
あの時の9回に川口を初めてリリーフで起用した >>430
まだ空が明るかったから早い回だったと思う
そこまではおぼえてる 湯船の外角高目ストレートを甲子園右中間に打ち込んだのも凄かった >>430
すごい記憶力。
そしてたしかにまだ明るかった。
スタメンデータベースで確認するに8月14日が濃厚だな。
先発は米にガルベス。
8月11日が中日戦で野口だ。
ちょっと前にYouTube落合のホームラン集で見かけたんだけどな。 >>434
初回の初打席だったか2打席目かまでは記憶してない。
確かガルベスは完投するのだが9回に2点くらいとられてこのころから
調子落とすんだよね。
巨人ファンとすればメークドラマの時の8月と92年の6月から7月のAS前までが
俺世代は一番面白かった。 ミレミアムとか原巨人より面白かった
このころは記憶してるんですわ
試合自体は次の試合のほうが面白いよラジオ聞きながらドキドキしてたわ
週末はヤクルトにドームで3連勝する あのホームラン20本になるのなら19号になるのかな??
野口のノーノーの前の日の今中から打った落合のホームランも見事だったよ
中日が先制して松井が逆転3ラン打つのだが終盤に今中が松井に集中して
打ち取って実況アナがあーとなってるときに初球狙い撃ちでレフトへホームラン
でまた騒ぎ出す
俺を忘れるなよという一撃。
ちなみにその前の週のドームでの阪神3連戦は欠場してる 落合 >>435
92年の6月〜7月と言えばデーブが来てモスビーが来て原がバット投げた時か。 >>437
抑えの石毛と小島
開幕前の弱点が一挙に埋まって走り出した 1 仁志(三) 率.270 本7 打点24
2 川相(遊) 率.232 本2 打点22
3 松井(右) 率.314 本38 打点99
4 落合(一) 率.301 本21 打点86
5 マック(中) 率.293 本22 打点73
6 清水(左) 率.293 本11 打点38
7 元木(二) 率.229 本9 打点35
8 村田真(捕) 率.208 本5 打点26 >>439
7元木 出塁率.294
8村田 出塁率.284
9投手、代打
1仁志 出塁率.333
2川相 出塁率.310
※セリーグ平均出塁率.336(投手込み)
前のランナーがこれで99打点稼ぎ出した松井凄いねw
ゴメス109、山崎107、松井99の3位
もちろん他のスタメンや代打の出塁とかもあるとはいえ >>440
ゴメスは97年加入したけどロペスでは? ベイス監督時代に落合がアポ無し訪問したり、この同学年の二人今でも仲がいい
最後にちょっと話してたがFA元年のゴタゴタについてはもうちょっと聞きたかったな 落合が真っ先にFAした事はどんでんにもネタにされてたなw 選手時代とは真逆でGMになったら理不尽に年俸削りまくり
その時の自分にとって最善を選ぶという部分は一貫してるが、前後の繋がりとか情とかを考えるとよく思わない人間がいてもまあ不思議ではない 村田の説明がわかりやすかったけど当人はできなかったって言ってるな…
実践は難しいのかな 一茂も教わったらしいからな。
うまく自分なりに昇華させることができたのはガッツと中村ノリぐらいって感じかね。
ノリは教わったのではなく、ビデオに撮って自分で研究したとのこと。 あとは古田もだ。
村田や一茂をはじめとして教わってるのはいるんだろうけど、なかなか実践は難しいのだろう。 巨人がドラフトで清原を取ってたら松井は取らなかっただろうし
落合も巨人には来なかっただろうからかなり歴史が変わってたな 当時野球少年だった俺は落合のライト打ちにすげえ感動した
あれを見れただけで価値はある >>411
あーそれがテレビの企画で息子と二人旅で行った伊豆の温泉か
番組で某球団時代に体のオーバーホールで来たと話してた 坂本が3000本打って巨人でキャリア終えたりしたら背番号6が永久欠番になりそう
篠塚引退で巨人の背番号6を落合が付けることができたときにすごく嬉しかったから微妙な心境 とにかく松井が四番になると使い物にならなかった。
そこに、しっかりと四番目の打者としての役割を果たした。チャンスにも滅法強かった。巨人時代は。 落合がいた3年間、巨人ファンとしては良い思い出しかないよ。
チャンスでしっかり結果を残してくれたし、ファーストを守りながら何度もマウンドに行ってアドバイスしてた。
正直、原とは格が違うな、と思ってしまった。 >>458
原ファンだけど全く同意
単純に残した数字だけではない効果があったよね >>453
獲るだろ。
右の清原に、左の松井とくれば最高のコンビ 原に関しては94年アキレス腱の故障がなかったら92年の成績は残せただろうね。
5番原を1年フルで見たかった。 宇都宮という寒い時期でOPなんて今やってないだろう??
落合は92年93年と比べて巨人時代は良いとこで打ってた。 あの死球がなければ
と思うわ 打撃専門とは言え、31才の坂本より42才の落合の方が打撃成績上なんだよな。 94年に首位独走してたのがマスコミに「落合効果」なんて言われてたね
原に関してはこの田尾とのトークの中で暗に認めてないような発言してるねぇ・・・
https://www.youtube.com/watch?v=yEKH4DADgq0
42歳(96年)は五番でスタートしたけど打撃絶好調で松井の不振もあって1ヶ月で四番復帰だったね
あの年に通算500本塁打&通算1500打点見られて嬉しかったな >>463
この落合のインタビューって98年の何月のものだ?
4月は3割超えてたから5月ぐらいのものかね?
今年はいけそうだぞ、という安堵感がある。しかし、この年で引退ね。 落合は巨人に移籍した時に原を評価してた気がする。 当時俺以外の日本人で
4番を10年務めてたのは原しかいないぞと言って記者が逆に失笑してたぞ
おまえらは原を過小評価してるけど
清原は俺の中ではまだ完成してない・秋山は成績的には良いが3番・広沢池山なんて
甘い。 そういう風に考えたら原を馬鹿にできんだろうと。
ヤクルトの評価が高いようだがエースいないよな。 川崎なんてあのシリーズだけ
まだ長期の活躍はないから評価は早いとか報知のインタビューでいってた 落合FA移籍した直後に松井と日テレにテレビ出てアナウンサーが来期のカギを握る
2人といったときに落合俺ら2人だけではだめカギは原と吉村篠塚。
あの3人が活躍しないとだめといってた >>466
その3人はほぼ活躍せずとも優勝したようなw 原は割と活躍したんちゃう
引退前の最後の一花みたいな 原は活躍したな
というか駒田を追い出してしまった負い目も感じて
原吉村篠塚という生え抜きスターに気を使って名前出したんじゃないかな
意外とそういう接待できるから落合 >>469
駒田に関しては落合関係ないと思う。 駒田とデーブのyou tube見てたら93年のシーズン
途中から駒田はやる気なかったみたいだし。 藤田前監督に相談してFAするか
トレード待つことを天秤にかけたときにトレードなら不調に終わって残留した場合
困るからFAのほうが良いよと言われたみたい
藤田さんが横浜の近藤監督に獲得を進言。 清原-佐々木対談で盛田の話になって
清原「お前凄いな、落合さんにぶつけて」
盛田「(平気な顔して)いや、またやっちゃいますよ」 当時の横浜の投手は若くてイキのいい投手が多く、斎藤隆や五十嵐なんかも
落合なんかにビビるかよと言わんばかりにガンガンインコース攻めてた
落合への厳しい攻めで何回か乱闘騒ぎになって落合も激怒してた 「おれが田淵さんみたいに避けるの下手だったら野球やってないよ」
みたいなこと対談記事かなんかで言ってて避けるのは多少自信あったみたい
まあ最後は野口に手首ぶっ壊されて終わるんだが
若いころだったらもう少し軽い怪我で済んだのかねえ >>473
よけることを第一優先したらあのフォームに行き着いたわけだからね。
痛いのが嫌だから、と言ってたけど、怪我して稼げなくなるのが嫌だったというのが本音だろうな。
晩年はボールが見えなくなってきてよけきれなくなった印象。 移籍したのは松井育成目的も関係あるのかな?
ミスターが俺と落合以外教えるなって発言したけど >>476
落合が「移籍した」ってよりも、
長嶋が「移籍させた」って感じちゃう? >>477
広沢もFA宣言前に長嶋から電話がかかってきて「広沢君ウチに来るよね?」って
言われたってYouTubeで言ってた
これ完全にタンパリングじゃないの?
落合なんて100l移籍するのを決めてたのに散々焦らして
スポーツ番組とタイアップして番組内で宣言したから クロマティーが王さんのことは絶賛していたが落合のことは小太りしたおっさん扱いしていてたいした評価はなかった。
セリーグに来てからは確かにそんな感じだった。 落合博満はもう67なんだな。
巨人に来たのが40だからな。
それよりも驚いたのが落合信子は76だとよ。
長生きするだろうけど。 落合痩せてきてたね
酒好きは直らないだろうけど長生きはしてほしいな 野口の死球が無くてシーズン30本塁打で日本シリーズで活躍しても
ポジションの被る清原を獲ったかな? 確実に獲りにいったと思う
43歳にしてはかなりの好成績だが夏場はバテるし当人の責任でないにしろ怪我もするし
仮に30本打ったとしても翌年も同じような成績を残せるとはまず思えない
もう後がない落合よりも清原の方が遥かに若いし
結果はだいぶ計算違いだったとは思うがまあそれでも9年やったしね さらば落合博満〜育成能力のない独裁者へ
人は監督時代の落合博満を称して「名将」と言います。
確かに8年間で優勝4回、すべてAクラスという成績だけを見ればそうかもしれません。
しかし、「名将」と言わしめる条件とは戦績だけなのでしょうか?
そこにはカリスマ性が求められるかもしれませんし、人柄を条件に入れる人もいるでしょう(人柄を言われたら落合はこの時点でハズレかも?)
私はそこに選手の育成、つまり「どれだけ選手を育てたか」という条件を付したいと思います。
それで改めて私は問いたいのです。落合博満は名将と言えるのかと。
とてもじゃないが私は肯定できません
落合博満が中日の監督に就任した時、彼は確かこんなことを言いました。
「右の四番バッターを育てたい」
自らの後継者を育てようという気概にファンは期待したものです。
その時の候補者の一人が、確か前年に入団したS選手。
しかし、結局落合は育てることができず、その後3年ほどでSは首になりました。
それなりの能力を見出したのならもう少し長い目で見てもよさそうなものなのに
落合政権下では入団後2,3年であっさり解雇される若者が異常に多かったように感じています。
はっきり言って、落合博満に選手を育てるという能力はないのです。
それどころか、野球選手としての素質を見極める能力すらほとんどないのです。
だから、監督として在籍した8年間、新たな戦力として台頭してきた選手はほとんど見当たらないのです。
あっさり選手を首にしてしまうのは、支配下に置いておけば「落合は育てられなかった」という悪評が立ってしまうので
それを防ぐためなのではないかと私は思います。
では、何故落合は好成績を残せたのか?それは「落合は選手を育てる能力はないが
一定水準にある選手という駒を使いこなすのがうまかったから」
そして「引き受けたタイミングが絶妙だったから」にすぎないのです。
監督のタイプを「人を育てるのがうまい」と「使いこなすのがうまい」という2つに分けるとすると
歴代の中日の監督で言えば、前者の代表は水原茂と星野仙一、後者は与那嶺要と落合博満と思います。
星野仙一の場合は、使いこなすのも巧みだったと言えるでしょう(その後のオリンピック等での醜態で評価は下がりましたが)
つまり、水原茂が育てた選手をうまく使いこなして与那嶺監督が昭和49年に20年ぶりの優勝を果たし
星野仙一が蒔いた種に山田久志が水をやって成長させた選手を落合がうまく使いこなして4回も優勝できたのです。
つまり、2000年代の中日黄金時代の基礎を築いたのは星野仙一であり、落合博満は天の時を得て
つまり星野仙一によって見出された選手たちが中堅、主力として円熟期を迎えるという絶妙のタイミングで監督になっただけなのです。
まさに「人の褌で相撲を取った」に過ぎないのです。
時機を見るのに巧みな落合博満は引き際も実に見事でした。
8年間の監督生活を経て、一応「解任」という形で監督を辞めたことになっていますが
真実はどうだったのでしょうか?実は落合本人も、名将の名に傷がつかないうちに辞めたいと思っていたのではないかと私は勘ぐっています。
つまり、主力選手がピークを迎え、新しい戦力も育っていないことを考えれば(前途ある浅尾投手もつぶしてしまった)
黄金時代もここまでという意識があり、このまま監督を続けていけば、2,3年後にはBクラスに転落することは予測できたと思います。
Aクラス監督でいたいという思惑があったところに球団からの肩たたき…落合にとってはまさに渡りに船だったでしょう。
GMとしてドラフトでの選手指名に権力を発揮しながら、戦力になったのはごく一部。
これなど、人を見る目のなさを露呈していますが、責任は谷繁監督に押し付けて知らん顔。
これでは誰からも信頼はされないでしょう。
落合に対しては「だったらおまえが監督をやってみよろ!」という声もあるようです。
しかし、如何に監督としての能力があろうと試合をするのは選手。計算高いこいつのこと。
必要な戦力も整っていない今のドラゴンズを引き受けようとは思わないでしょう。というより…
落合博満には二度と中日の監督をしてほしくない
中日ドラゴンズという組織にすらいてほしくない
とっとと出て行け!! 年齢の割によくやってるっていう但し書きがつく
4番としても年俸に見合う成績だったとはいえない
巨人が落合を獲ったのは戦力としてより松井を育てるためだった オチアンはスレタイも読めない程度に頭が悪いからオチアンなのだろうなぁ…… >>488
正にそれが最大の功績(+初年度に「長嶋さんを胴上げする」)で、
有言実行したんだから、意義があったよね
阪神でいう初年度の金本(数年後にキャリアハイを残すのは予想外だろうけど)
に似ているパターンだと思う
巨人の幾多のFAでもかなり上位ランクの補強だった
小笠原も同じくらいかな 落合、ガッツ、工藤あたりはファンにとってはかなりの満足度だったよ。
江藤の1年目とか、杉内とかも。 星野曰く、落合は「感情表現が苦手であまのじゃくなところがあるが、根はとても素直な奴」との事だったんだな。 落合が巨人残留していれば、97〜99年も連覇できたのでは?
97年は清原4番として、落合は5番で.280〜.300、15〜20本ぐらいは楽に残せたはずだ。
清原からしたら、「落合さんが俺の後ろにいれば大丈夫」とノープレッシャーで40本塁打は打てた。
98年は高橋由伸も入って、落合は6番で更にダメ押し打を打つ。
99年は救援で松坂から2打席連続本塁打を置き土産に引退。 落合が97年以降も巨人にいたら斎藤雅樹が200勝していたかもしれない。
小早川の開幕3発もなかったかもしれない。
斎藤が無双してるのは藤田監督の4年間と落合のいた3年間の計7年間。(91年は△だけども)
何度もマウンドに行ってアドバイスしてたからな。
槙原も当時、寂しそうな表情でインタビュー受けていて、投手陣にとって痛手、残念と言っていた。 元巨人の上原のyoutubeチャンネル面白いから割りと見てるんだが出てくる人で落合のこと話す人多いね
最近更新された村田真一なんて落合を尊敬というか単なるファンみたいになっててちょっと笑った 村田ってコミュ力に長けてたんだろうな。
長嶋や落合とかなり深く話せてるのは村田が一番なんじゃなかろうかね。
余命わずかな村田の父のために長嶋が会いに来てくれた話は泣けたぞ。
落合については高木豊のYouTubeチャンネルのほうでも話してたな。
拳で人を思いっきり殴ろうとしたときの体重移動。
キャンプ中に落合の部屋にいろいろ聞きに行ったらしいな。
村田真一の引退セレモニーでの「もっと上手くなりたかった」というのは落合の影響もあるんだろう。
「お前、もっと早く聞きに来てたらもっとうまくなったのにな」 あとは川相と落合も近い関係。
狙って流してライト前に打った川相に対して1塁ベース上で落合に「それじゃあバッティング崩れる」と言われた、と。まだ落合が巨人に来る前の話。 落合移籍が決まったときにインタビューで原が「優勝決定のときに4番原でいい」と発言してプライド見せてたけど
その後の行動・言動でかなり落合リスペクトしてるのが分かって嬉しかったな 日ハムでの落合は邪魔者扱い(真偽はわからん)
巨人での落合は選手からもファンからも神扱い >>506
実際に原は94年日シリで4番を打ってたね 打棒というよりは、むしろリーダーシップと優勝を期待されて
実際に有言実行したのだから、神よね シーズン通しての活躍も大切だけど
10.8決戦みたいな本当の勝負所で活躍できるのが一流なんだとまざまざと見せつけられた 巨人時代の落合はそれまでと打って変わってチームバッティングに徹していた
勝たせるのが4番の仕事と公言し実行してみせた >>319
フリーザの第三形態に匹敵するぐらい大衆への公開時間の少ない打ち方。
ボールが見やすくなる点がメリットかな。
もっと見てみたかったんだけど、開幕からもとの打ち方に戻したら結果オーライだったからね。 バティスタは思いっきり開いたまま立ってた。落合とは全く別。
八重樫は最初から開いて立って神主やりながらバットで天に向かって何度か交信しながらタイミングを合わせてた。
落合は最初からは開かないね。バットの使い方が八重樫っぽかったよ。
95年のオープン戦。 >>44
現代にヤクルト村上と言う選手が出てきました 村上は迫力あるけど結構穴が多い
穴を埋めれば松中信彦級になれる >>56
つまらねえ男だなお前
94年を95,96年で取り返したんだから今更むし返すなよ、カス 巨人での落合は気合いとか気力とか根性の人だったよな。
打席の中でも深呼吸したり肩を上下させたり必死だった。
それまで作り上げてきた落合博満像を捨てた。
長嶋、信子、巨人、体力の衰え、様々な要因があったかな。 オープンスタンスはボールが見やすくコツコツ当てやすいが腰が引けてるので遠くに飛ばない。
メジャーのスラッガー質がやるオープンスタンスはあれは完全なパフォーマンス。
インパクトの瞬間はきちんと踏み込む姿勢に戻っている。 長さんの前では憧れの人だったからか問題も起こさず大人しくしてた
落合が長さんにも噛みついてたら面倒な事になっていたかも知れない >>522
落合博満のオープンスタンスはボールを見やすくするためではない。
八重樫とは違う。
軸足にほぼ全体重乗せてるから投手寄りの足はどこに出しても落合打法になるのよ。
死球よけのためのオープンなんで。
実質的に投手が落合から見てサードとショーとの間にいるイメージで打席に立ってた感じかな。
正面打ちの練習について落合はいろいろ理由つけてるけど、実は試合中も正面打ちのイメージで打ってたのな。
オープンスタンスの影響もあってパワーは多少伝わりにくかったかもしれないけど、落合のパワーはメジャートップ級なので補えたわけだ。 中村ノリもそんな感じでしたね。あれも極端でしたが
メジャーの選手が目を丸くしてたのが印象的でした 巨人OBは落合獲得に反対したが長嶋が押しきったので
ますます「長嶋さんに恥をかかせられない」になったと思う
逆に清原獲得は巨人OBはみんな賛成したのに結果はあの惨状だった あの自分にしか興味のない落合が長嶋のためにチームバッティングに徹したからな
意外と任侠の男なんだな落合は 今は、
今の長嶋や監督時代の長嶋については一切語らないが、選手としての長島茂雄については今でも憧れだったことをよく話すからね。 長嶋がアテネ五輪の日本代表監督になったときに各チーム二人ずつ選出のルール破ろうしたのを
当時中日監督だった落合がそれはいけないよと諭したという話はしてたね 巨人時代の長嶋の采配についてきかれて半笑いで「どんなでたらめな采配でも選手は黙って従わないと
いけませんオレもバントでも盗塁でもなんでもやるよ」言ってたじゃん
ミスターの采配はでたらめだったと
落合は嫌いだけどこの意見には100パー同意
長嶋は松井を中途半端なバッターにしたし指導者になってはいけなかった人間
しょーもないお荷物球団の横浜あたりで客寄せパンダなら格別だけどさ しかし巨人最後の年
42~3歳で.301 21本 86打点って驚異的だね 清原が巨人を遠くから見ると綺麗だけど近くに行ったら
ゴミまるけだったって富士山に例えたけど
落合も長嶋をそう思ったんだろうな 長嶋は南海、王は阪神に入団する筈だったのに
土壇場で巨人が金を積んで掻っさらったからな >>531
松井が中途半端っつぅのが、随分とまた求めるレベルが高いですわね
個人的には長嶋の唯一の功績が松井だったと思っているが 松井に関してはソーサの影響で下半身主導の練習して失敗した期間は無駄だったと思うが
それ以外は素晴らしい師弟関係だったと思う
>>533
憧れの長嶋を優勝監督にしたいとは思ってただろうが三流以下の監督なのは背番号90時代とかも見てて知ってるから同じユニフォーム着て初めて失望したとかは無いんじゃない? 山本浩二が著書で書いてたけど日米野球でいっしょになったとき落合が「浩二さんは何度も優勝して羨ましい
オレは稲尾さんを胴上げしたくてしたくてでもできなかった悔しいですよ」と至極真面目な表情で
話したんだと >>532
落合は94年はたいして中日時代と変わらなかったが、95年から打球が上に極端に上がるようになった。
パワーの衰えには勝てなくて、技術で補った感じだな。
96年はさらに磨きがかかった感じ。
あとは左中間への打球が極端に伸びるようになった。 長嶋監督が程よく落合を休ませていた。
だから落合も疲労が溜まる事無く活躍できた。 >>537
引退間際になってやっとパワーヒッティングが出来るようになったが時遅しだった
ワールドシリーズMVPが最後の栄光となった >>541
95年の好成績は前年の怪我の治療も兼ねてのオフのじっくり筋トレリハビリがかなり奏功したのだと思う
94年と95年の体、特に腰回りの締まり方が全然違う
それプラス96年はバッターボックスでの立ち位置をちょっとサード側にしてインコースをさらに楽に打てるようになったのでホームラン増につながった
にしても、西本幸雄さんの言葉を借りると「41歳のときより42歳のときのほうが調子がいいって恐ろしいバッター」 94年の落合って三冠王を狙うということを言ってない気がする。
94年死球で肋骨骨折したそうだけど中日時代だったら休んでた
だろうな。そうしたら成績上がったと思う 移籍前数年の成績を見れば三冠王はまずないとは思っていたが、
巨人を優勝に導いたのは、やはり落合だと思った
大リーグならMVPでも良いくらい 94年も96年も落合いなかったら優勝できてないだろうね。
こんなにチームバッティングするとは思ってなかった。
原はチャンスで打てなくてがっかりすることが多かったが、落合はチャンスで何かしらのことはやってくれたイメージ。 YouTubeのコメント欄といい落合全肯定の信者はキモいな
あんな嘘吐きゲーハー爺に騙されるなよ
長冨からのデッドボールだって何年も経ってから
実は折れてたって言い出したんだし
大嫌いな星野を“仙さん”って言ったのも全て計算ずくだよ >>545
94年新春(収録は93年暮れ)のこの番組で言ってる
https://www.youtube.com/watch?v=JlDafJ0cWt8
実際は獲れるとは思ってなかっただろうけど、落合の矜持だろうね 阪神加入一年目の金本が個人成績を捨ててチーム打撃に徹してたとを見て巨人時代の落合を思い出した 巨人OBが総じて「なんで今更落合をとるんだ?」と反対したから見返したいのはあっただろうね 名古屋では裏切り者扱いされることに
監督でも若手育成放棄で中日は未曾有の低迷期に
落合嫌いな中日ファンは2タイプあるはず
来月39歳の僕は後者
年上ならFAで巨人入りしたのが原因に FA退団してくれた時は昔からのドラキチ🐉は大喜びだったぞ🙌
うざ爺が居なくなって大豊は2冠王になったし
トレードで来た時から歓迎されてないのを落合も実感していて
監督になってOBを無能呼ばわりして排除したのもその時の怨みから
とにかくこの爺は執念深いから 落合がトレードされたとき知ってるけど名古屋は大騒ぎだった印象
あるぞ。 星野なんてどや顔だったじゃん
巨人ファンとしては落胆したぞ来年もファースト中畑4番原かよって 星野「(年俸が)高いのに使えないやつとらなきゃよかった」 落合は選手会退会したのに選手会が勝ち取ったFAを行使したから
FAする資格ないとかドラゴンズのSNSで未だ批判されてる 落合博満と石井かな。
これが4番ってやつなのか、と思い知ったのはね。
原にはない信頼感というか、何かやってくれる感がすごかった。そして、実際やってみせた。
ただ、石井は巨人に来て数週間だけだったけどね。
落合はそれが3年続いた。 >>554
星野は亡くなる半年くらい前に落合獲ったの失敗だったと名古屋で言ってたよ
中日の低迷が落合のせいで連れてきた俺が悪かったと中日ファンへ謝罪 ナゴヤで落合叩くとウケるからね
特に星野シンパがいる場では 松井にとっては大きなプラスになったそうだから、それだけでも落合が来て良かったと思う 86年オフに
中畑と落合でトレード成立してたらと思う巨人ファン。
仮に落合があの時巨人行ってたら88年は優勝してないとなれば
星野の2次政権があったかも疑問。
星野が失格の烙印押されてたら96年からの監督は谷沢を迎えてたのかな? 中日時代末期の落合は、
どうしようもないゴミというほどではないが、高年俸に見合う成績ではなく
半ばお荷物扱いされてたんだよ
だから巨人にFA移籍が取り沙汰されても中日球団内や中日ファンに引き留める声は少なく
元々外様に冷たい土地柄もあってか「読売さんあんなロートルを高値で引き取ってくれてありがとう」
という雰囲気すらあった
が、10.8を見せつけられ、その後も落合が予想以上に巨人で活躍したことで
名古屋では「この裏切り者が」という空気に変化して行った
でも、移籍当初はもっとシラッとしていたというのが実情 >>552
勝ててなくて若手が育ってないならそれもわかるが
あれだけ勝った監督に「若手も育てろ」とか高望みにも程がある
コレだから名古屋人はって言われるのそういうとこだぞ >>559
石井は一瞬だったな。
小久保はギリギリ全盛期を巨人で過ごせて、異次元の活躍。
落合は低迷から復活して3年しっかり勤め上げた。腹立つわ~、って場面がほとんどなかった。
広沢は最初の2年は落合とかぶったしな。いなくなった3年目は良かった。
4年目も良かったのにケガでダメになった。
江藤も巨人来て2年連続30本超えしてるし成功した部類。
ガッツが4年間安定の3割30本で一番の成功者だな。後半の3年間はまるで別人になってしまったが。
落合を除いてみんな巨人に来てから全盛期を終了して衰えを見せて他チームへ。
落合はギリギリ巨人にいる間は衰えを見せずに日ハムに行った。 落合 打率 HR 打点 出塁率 OPS
40歳 .280 15 _68 .393 _.815
41歳 .311 17 _65 .414 _.895
42歳 .301 21 _86 .408 _.924
43歳 .262 _3 _43 .361 _.680
44歳 .235 _2 _18 .344 _.652
門田 打率 HR 打点 出塁率 OPS
40歳 .311★44★125★.429★1.062
41歳 .305 33 _93 .417★1.013
42歳 .280 31 _91 .387 _.923
43歳 .264 18 _66 .358 _.810
44歳 .258 _7 _23 .341 _.773
山崎 打率 HR 打点 出塁率 OPS
40歳 .246 39 107 .332 _.847
41歳 .239 28 _93 .303 _.749
42歳 .229 11 _48 .286 _.653
43歳 .209 _1 _13 .288 _.582
44歳 .210 _0 __7 .310 _.568 94年から96年の
落合と清原だったらどっちが良い打者だった? 断然落合
チームを勝たせるバッティングをしていた
それこそ森西武黄金期の清原のように 1997〜99年頃の巨人は、「落合残留・原現役続行」で清原加入がベストじゃなかったか?
清原自身、落合と原の前ならより身が入ったし
原も99年には2000安打を達成して有終の美だった。 1997年の巨人スタメンがこれなら最強だった。
1 9 清水
2 6 川相
3 8 松井
4 3 清原
5 5 落合
6 7 原
7 4 仁志
8 2 村田 97年はこれが見たかった
まあ現実的には色々な問題があって無理だったと思うけど
3(中)松井
4(一)落合
5(三)清原 落合はサード守る体力も技術もあったがプライドが許さなかった。 原は1675安打で引退したが、あと3年あれば2000本安打行けたのに。
長嶋は温情かけなかったのか? 監督になった原が衰えた坂本が2500打つまで温情をかけるかどうかが見ものだな >>579
あの頃は古いのよりイキのいい流行りものをFAで獲ることに今より相当夢中になってた時代。
長嶋が、というよりも球団が。
FA開始直後だったということと、松井ブームもあった。あと、落合意外とやるじゃーん、って流れだったので原自身がもう完全に居場所を失って戸惑ってて時代。 原も落合以上にやれるところを見せなきゃいけなかったのにそれはなかったよな
永年勤続でチャンスを与えるにしては1600本台では遠すぎる 晩年の高橋由伸のような起用法なら延命できた
それでも2000本は遠かっただろうし、当時はレギュラー張ってた選手がそういう形で延命するというケースはほとんどなかった まぁ試合数の関係もあったとは思うが、
駒田(ごとk)・・・いや何でもない
が2000本達成してるからねぇ
篠塚とかも同じくらいだし
篠塚<駒田とか、どう考えても腑に落ちんw 無事之名馬というからねぇ
原も篠塚も故障に泣かされた >>584
巨人時代の走れない、山なり送球の落合がサード守れるわけねーだろバカw
最後にサード守ったのは1990年の1試合だけなクソ無知w >>591
ピッチャーやったとき、いい球投げてたぞ。 >>593
96年ファン感謝デー
YouTubeにある
石毛に投げた時だけ本気モード。 巨人最期の年、ケガがなければ
.293 25 98
こんな感じか? >>595
怪我する前は3割切りそうになってたからそんな感じだろうね
残暑が和らいで少し復調したとして打点とHRの上積みはそのぐらいが妥当だと思う
まあ打率はもう少し低いかもしれないが 長嶋の本(野球は人生そのものだ)で原が故障がちで4番固定出来なかったので
落合を獲得したって書いてたな、1993年は貧打で12球団ワーストのチーム打率だったが 落合の評価は紙一重だった
もし94年巨人が最終戦に負けて優勝を逃したら落合に対する批判は凄かったはず
ギリギリ優勝したから本物の四番の存在感とか成績を超越したチーム貢献度と言われた訳で
あの独走状態から優勝出来なかったら巨人ファンは落合を許さなかっただろう 開幕戦と最終戦で結果を残すのだから、
やはり落合の精神力には感服する
原ファンだが、同じことはできまい
89年は似たような感じか 篠塚は緒方、元木がセカンドレギュラーになりきれず、それでも一本立ちさせたい状態だったからまだまだできたかもしれないけど、将来を見据えて引退勧告って流れだった。
長嶋が自ら自宅に行ってコーチ打診。 >>592
そりゃ全身使って自分のタイミングだけで投げられるんなら良い球投げられだろ
ゴロ捕ってすぐ送球とは違う >>602
篠塚は6に拘る落合の為に引退させられたっぽい
中日⇔ロッテのトレードに上川が入ったのも背番号が6だったから
長嶋も三顧の礼で迎えた落合にいつまでも60番を
着けさせるわけにはいかなかったのでは? 篠塚は持病の腰痛が悪化の一途だったから、引退するにはちょうどいい頃合いだったと思う
出場試合数も年々減ってたし、何年も規定打席に届いてなかったし 落合69のわりに老けたな
ドリキン土屋圭市が67歳だからな 古田が落合にオールスターの風呂で打法を教わり取り入れたのは有名な話になったが、宮本慎也も落合好きだったとはな。
落合打法の完成度はかなり高い。
真似てホームランまで打ってしまったからな。
野村には真似するなと怒られたらしいが、真似てたら大成してたかもしれんな。 >>609
広沢も右にホームラン打てるタイプだった。
古田と広沢で落合の話を聞きに行ったんだよな。
野村絡みが多いな。でも、野村は真似るな、と。
一茂も落合道場にこっそり入門していて、野村に怒られたんだよな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています