田淵幸一がもっと練習してれば王貞治を抜いてた!
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「田淵が現役時代にもう少し 体痛めつけて努力しとれば、ひょっとしたら王のホームラン記録抜いとったかもわからない」
・村山実 昭和62年 TV番組での話
「田淵さんは当時“法政の三羽ガラス”って言われてさ。足も速い、肩も強い、打つのもすごいって言われてたけど。さっぱり練習
しなかったと思う。 それだって480本くらいホームラン打ってんだから、ちゃんと練習すれば700本や800本は余裕で打ってたはずだよ」
・落合博満 平成25年7月 講演会にて
「もし田淵が王の半分でも努力しバット振っていれば、王の記録を抜けただろう。それだけの素質があった」
・野村克也 雑誌「Number」で田淵について
・「練習する(できる)」というのも才能の一つ
・練習しなかったおかげで使いべりせず、当時としては長命の38歳まで現役を続行できた
・Tさんとかそういう悪い先輩のおかげ
さてどうなんだろうね 捕手ということを考慮したら、スレタイは間違い
あと、飛距離ならそれこそ田淵
浩二は長距離砲ではない 他の練習はともかく
死球をよける練習だけはもっと力を入れておけば良かったかもしれない 700本も打てるわけない
でも打率は、もう少し上がったかも 現役時代「せめて王の半分練習したら」とよく言われていた ピーコよりも冨田よりも田淵がチーム1の俊足やと江本が言うとった。 プロ入りしてからしばらくの評価は
田淵>富田>浩司
だったよな >>9
それ、後の早稲田黄金時の、松本匡より足速かった山倉、岡田よりパンチ力あった山倉みたいw 毎年のように怪我に泣いていただけにハードな練習はできないと思う 山本浩との関係はまさにウサギとカメ。
通算ホームランで抜かれたことを聞かれると
「イヤなことを聞くねえ」と気にしている様子。 浩二は田淵にもっと練習するように助言しなかったのかね
当時は他チームの選手と自主トレとかなかったのかな 身体能力はNPB80年で最高レベル
田淵幸一 身長188 体重90
1978 ホームラン
https://www.youtube.com/watch?v=jiXf-STS--8
https://www.youtube.com/watch?v=Fb00dOFFctk
盗塁阻止率
1969 .534
1970 .552
1971 .541
1972 .519 >>13
ピーコの陰に隠れがちだけど衣笠にも通算ホームランで再逆転を許しているんだよな。 病気や死球禍、捕手としての貢献は考慮すべきだけど
71年までの成績は正直二流以下。
この頃までは人気先行だったんだろな 江夏の延長戦ノーヒットノーランの試合で
「田淵〜♪」と子供の声 1970年と71年は死球による長期欠場がもろに響いていたな
打率は確かに物足らないがリーグ打率も2割3分台と低く投手優位状況だったので
まあ平均前後といったところ まあ王よりも田淵のほうがロマンはあるよなー
清原なんかもそうだけど、その素質をもっと活かせればどれだけ打てただろうかって
まあ結局タラレバなんだけどw >>9
後藤クマも言ってたな
最初に監督やったときの田淵は強肩で足もけっこう速かったのに
次に監督やったときは別人のように守れん走れん選手になってたと 30歳になった頃からキャッチャーフライを見失うなど凡プレーが続出
強肩も見られなくなって捕手としてはもう使えないとまで言われるようになったよな
本人の体調不良の影響が大きかったようだが もし王の本塁打記録を抜いてたら当然 田淵も国民栄誉賞を受賞。「世界の田淵」と呼ばれ
アメリカやメキシコ、キューバなど世界各国で“Kōichi Tabuchi”の名を知らぬ野球人はいないくらい偉大な人になっていた…はず 王より打てるわけない。
868本ていうのは毎年
四十本以上を二十年以上打たないと達成出来ない。
田淵じゃなくても無理。
神の記録と言っていい。 でも田渕がもっと練習してれば毎年50〜60本ぐらい打てたかもしれないから
無理とは言い切れないっしょ (笑) >>28
田淵の性格だと、おそらく途中で、飽きて20年も打ち続けられないと思う 田淵も入団してすぐ王と同じファーストに転向すれば良かったかもね。
藤田平がファーストになったとき 「こんな楽とは思わなかった。王さんとかには悪いけどこりゃ打てますわ」 と笑ってた。 西武移籍後に指名打者に転向したのはうってつけのポジションかと思ったが
指名打者でも故障と欠場が多かったのは意外だった 柳田からのデッドボールがなければ軽く両リーグ本塁打王を
獲得できる成績だっただけに残念。 >>32
たしか、オールスター前に30本打って居たんだっけ?
日本シリーズで西本から打ったホームランといい、あのシーズンは、何か極意みたいな物を掴みかけていたような打撃だったな 死球欠場するまでの70試合で29本打ってたね。
130試合に換算すると53.9本で「王越えが狙えるか」とも話題になってた。
最後日本シリーズに間に合わす中で1本打って規定打席未到達で30本以上という
珍記録を達成したが、これもまたいかにも田淵らしい。 通算700本は無理でもせめて500本ぐらい打っとけば
金本に抜かれてトップ10から落ちることもなかったな 野村が西武の現役時代に「田淵は鏡の前でスタンスを確認しただけで打席に向かい、ホームランを
打ち込んだ。天才とは田淵を言うもんだと思った」と言っていたから、才能は本物だったんだろう。 >>36
ボールの下半分を叩くとか、晩年のインハイの捌き方を見ると、バッティングの技術は相当優れていたと思う
それが持って生まれた時からの天才なのか、それとも自身の努力によって身についたのかは知らん
しかしいずれにせよ、もっと努力すれば確実に700本位は打てたと、傍から見てそう思わせる選手だった >>37
晩年の美しいホームランの軌道だけ見ても、只者ではないと思ってしまう。 タブチがホームラン打てば負けないと言われてた。西武の不敗神話 田淵の場合、ケガや体調不良で欠場が多すぎるのと
本塁打を量産するにあたって王よりも条件が不利だったのが悔やまれる。
特に70年代前半の甲子園は、飛ばないボール使用の広島市民球場よりも本塁打が出にくかった。
以下、王と田淵の2人がセ・リーグ在籍時の後楽園と甲子園のPF
年度 後楽園 甲子園
1969年 1.120 0.656
1970年 1.460 0.723
1971年 1.324 0.663
1972年 1.143 0.613
1973年 1.208 0.785
1974年 1.161 0.667
1975年 1.002 0.672
1976年 0.932 0.823
1977年 0.883 0.840
1978年 1.112 0.750 田淵は練習しないのに物凄い打球を連発していた。
成績が同じくらいの選手はいるが、内容はまったく違う。
相手投手から見れば怖かったはず。 >>37
大学の時に高熱だして、病気明けであまり力が入らない状態で打撃練習した時に
いつもより打球が飛んで、飛ばす極意を掴んだと。 >>45
その話しは知っているが、それは自分の目指すべきバッティングの方向性を見つけただけであって、修得した訳ではないでしょう
それをモノにするには多分な努力があったと思われるが、その手の話しは本人から一切聞かないんだよな
それは多少なりとも謙遜があると思うが、もしかしたら本当にそれほど練習しなくても、その技術を簡単に体得してしまったのかも知れない >>46
だから本人が飛ばすのに力はいらないというのが判ったんだろ。 練習よりも食べる事に主眼を置いてた印象。
練習は大してしないのに食べる事には妙に執着していた。
ステーキ食べてもまだまだ足りないもっと太らねばとハシゴでレストラン巡り
してた。 何事も奥義というものは力の入れ方ではなく、
力の抜き方っていうじゃないか。 wikiとかに書いてあるけど、江夏に「お前のキャッチングじゃミットが流れてアンパイアがストライクに外角を取ってくれいない。」て言われて手首を強化したら副作用でホームラン数が激増したとか書いてある。
それが本当なら一応努力はしてたとは言えますなw >>54
田淵と言う男は、山の手出身のスマートな男で、努力とか根性とかいうイメージがつくのを好まないところがあるからなあ
謙遜もあるだろうし、たとえ死に物狂いの努力をしたとしていても、おそらく自ら努力したとは言わないだろうね >>36
あの努力の固まりのような榎本喜八にも、その時の田淵とほぼ同じ行動の後「今日はいい練習ができた」とつぶやいて試合に向かったというエピがあるからなあ
案外、有効なイメージトレーニングだったのかもよ。
いかにもノムらしく、ONに対抗してた大卒スターへのジェラシー発言ってとこじゃねw >>55
猛虎烈伝のインタビューで>>54のエピソードを自分で語ってたけどね。
鉄アレイで毎日鍛えて、相当頑張りましたよと。
あと「田淵は天才で長嶋タイプだ」というイメージがいつの間にかついちゃったから
そのイメージを崩さないように振舞った。ホントは努力もしましたとも言ってた。 田淵が超ストイックだったら それはもう田淵じゃないもんな >>60
素質はブチの方がかなり上だろ
三羽ガラスのうち、新人当時はブチ>富田>浩司だったな 食べる事だけは努力家だった。
食べて太らないとボールが飛ばないとレストランはしごしてた。
大盛りステーキ定食べてもまだまだ足りないと納得してなかった。
大変な努力家だったわけです。 田淵て死球で重傷を負ってデブになったんだろう?
それまではスマートだった。 西武時代はムシャムシャご飯食べてた。
食べるのも練習のうちと95キロ台に中々乗らないと悩んでいた。
痩せるのも難しいが太る事も案外難しかったようだ。 引退年の田淵は妙にスリムになったというか。
ちょっと病的な痩せ方だったね。
そこへぶくぶく太った江夏が入ってきたからちょっと何だかねって感じだったw
久しぶりの再会で2人とも大人で話さなくともお互い心が通じ合っている感じだったね。 >>66
今の江夏ならともかく、現役時代の江夏相手に、話さなくても解り合える人なんかいたのか? >>63
そのあと肝炎になって
薬の副作用でデブったんだろ デットボールの薬の副作用なんてのは甘えだと思うわ
昭和50年ぐらいの野球雑誌に選手の1週間朝昼晩の献立・食べたものが表になって載って
いたが。あったら画像みせてやりたいわ。他の選手と比較して田淵の量が断トツ。
あんだけ食っていたら誰でも確実にブクブク太るわ。 まぁCTスキャンも無いし検査も手術もされずに只寝かされていただけだから。
意識回復しなかったら死んでたわけで。
薬は今以上に過剰投与されてはいたようにも思う。今と比べても薬の質は良くない
だろうし。 >>67
キャンプでは和気藹々としてたね。
全体写真取る時も一緒に並んでたね。 ホームラン40本打つデブなら別に文句ない
おかわりやバースに痩せろとか誰も言わんだろ 田淵が打つと負けない不敗神話も強くなってからだね。 YouTubeの映像で見ると一人だけ化け物がいる感じだな。
松井秀喜も田淵と同じ位の体格だろうが、
松井の頃は清原とか同じような体格の選手がいた。
田淵以前では段違いの体格でまさに化け物と言える。 田淵は頭にデッドボール食らった後遺症で、首→肩→肘→手首と痛みの伴う違和感が年々起きて来て、
キャッチャーとしてのクイックスローが出来なくなったとインタビューで答えていた。 82年日本シリーズでの田淵のファースト守備は神。
日本一になりたいという執念が田淵の体を動かした。 西武に来た当事、小手指にタコヤキ屋なんてなかったよな。 スレタイのようになっていればダイエーの監督にはなっておらず、初優勝が三年早まっていた。 広岡が監督に就任してすぐの秋季練習で田淵はいきなり真面目にランニングと練習を始めて
周囲が目を疑ったらしいな。根本監督時代はチンタラしていたのに。
練習に参加しなかった大田なんかは広岡に落伍者扱いされた。
法大時代の田淵を見たことある広岡は、田淵は山本浩よりずっと素質があって
王以上の成績残せる選手だと思っていたみたいね。
江夏もそうだけど阪神でタニマチに甘やかされたんだね
田淵、江夏が巨人の川上みたいなところに入団したら、どうなっていただろうな 東京世田谷区のお坊ちゃんという大阪市民からもっとも嫌われるはずなのに、ミスタータイガースになった人徳者。 いや、そうとうな苦労はあったと思うよ
彼はそれを言わないけれど >>42
「俺より練習してるのは王さんだけだ」 じゃなかった 誰も書いてないけど外木場のあれで普通の選手なら終わってもおかしくない
フライ追うときは後遺症あったんだろあれの
運も実力のうちだがそっち系だよね 試合に勝っていてランナーがいない状況でも田淵が出てくるとピッチャーを
囲んだ輪が出来る事があった。
そういう打者って今ではさすがにいない。 田淵が打つとゲーム展開がガラっと変わるのを警戒したのかも知れない。
それだけ田淵の存在感は凄かった。 >>82
田淵の父親が兵庫県か岡山県の出身だったから、阪神ファンや関西のマスコミも親近感を持ってたんだろうね。 巨人に入って川上巨人の猛練習で鍛えられていたら、なんてのは現役の間中、色んなメディアを通して耳に入ってきた
71年の日米野球で圧倒的な強さを見せた、オリオールズのアール・ウィーバー監督が、ONを差し置いて
唯一アメリカに連れて帰りたい打者とマスコミに語っていたのが田淵だと、子供向けの野球教本にあった
その他に名前が上がっていたのが衣笠、大杉、長池だったな
ウィーバーはバント、盗塁、エンドラン嫌いで長距離打者が好きだったが、同時に鉄壁の守備も求めるタイプなんで
内野手にコンバートしたいとも後に言っていたとか ほとんどキャッチャーだったからファースト一筋の人間と比べるのはどうかと。 キャッチャーだからこそ一発狙いのバッティングが出来たとも言えるがね。
野手ならまずは打率が求められる。
それでも田淵くらいの選手なら野手でも適応できたとは思うが、
ホームランだけが人生だ、なんては言えないはず 外木場から頭部死球を食らってからしばらくは、和田に捕手を任せてファースト田淵てのも結構あった
死球前の盗塁阻止率の高さは、強肩プラス投高打低時代の阪神ならではというデータにも見える
投手陣は江夏、村山、上田を中心に失点は少なかった
それ以上に打てないチームだったが 田淵は1人だけ飛びぬけて打球に力があった。
外木場は1人だけ飛びぬけて球威があった。 田淵がホームランバッターとしては 歴代最高ぐらいの才能があったんでしょ 秋山よりも素質は上だろうし 松井との比較はわからないけど 真面目に練習したら常時45本ぐらいなんじゃないかな 田淵は打球に力があったというか、つべの映像を見てもホームランの打球の高さ、滞空時間の長さが出色だった
ダテにホームラン「アーチ」ストというポエムな表現が使われたんじゃないんだなと
>>98
81年に西武入団の秋山は、キャンプでは田淵の打撃練習を常に見ておけと、根本から指示されていた
一軍ベンチに一緒にいたのは84年だけだが、春のキャンプでは毎年、根本に付き添われて田淵の打撃練習を
見て何かを感じさせようとしていたとか そんなにフルスイングしてないように見えるのもポイント高い >>99-100
今映像見ると、今の体型でもデカい選手が昔の中に混じってやってるんだもの。
あれはズルいレベル。
打球の角度がまさにHR打者のそれ。 田淵の飛びぬけた凄さは球場に行って見るとよく分かった。 >>32
その時の近鉄柳田のコメント「あのくらいの内角球、避けろよ」だったな
西武時代の日本シリーズでは、当時の巨人2大エースだった江川と西本からホームラン打ってるのがいい
劇的な場面での一発じゃなかったが、シリーズ全体に及ぼした影響は大きかったかも
>>34
規定打席未到達で30本は、その時の田淵が初めてだっけ?
後のホーナー、ブライアント、デストラーデ等は、パワフルな外人だからで済まされるが
日本人ではなかなかできないだろうな 70試合 29本って凄いな やっぱり素材は一位
練習しなくても打てるなら普通 練習しないよ 当時はメジャーもないし 確かに 真面目に練習したら松井レベルだった もっと打つかもしれん 勝ってる回でランナー無しで田淵登場。
こんな場面でマウンドに円陣が作られるのは田淵くらいしかいない。 そんな場面でもピッチャーを囲んで円陣が出来るのは田淵を打たせると
流れが一気に変わってしまうからだ。
田淵が打つとチームが一気に生き返るのは不思議だったね。 5〜7点差のソロでも、ホームランは試合の流れを変える力があるからね 田淵は典型だが、アスリートの体じゃなかったな。おっさん体形。
トレーニングもせず、ナチュラルパワーだけでやってたんだろう。
この田淵イズムを悪い意味で引き継いだのが清原。 田淵は絶対 ウェイトしてないだろ ウェイトどころか普通の練習もたいしてしてないだろう まさにナチュラルパワー 一般人でも一切 トレーニングなしでも力の強い人はいるし 身体能力高い人もいる >>107
松井も練習嫌いだったろ
>>113
江夏の球をミットがぶれずに捕るために2キロ程度のダンベルで腕を鍛えていた程度だな
結果としてそれがバッティングにも良い効果をもたらしたらしい 田淵の恵まれた体格 現代の選手としても大きいで たった二キロ 田淵が現代に生まれて 現代のトレーニングをしたら凄かっただろう 今はだいたいやり方がわかってるし 田淵・清原・松井
共通しているのは皆希望球団に入れなくて悔しい思いをしている事。
反骨精神が彼らを突き動かしたのだろう。 いや田淵からは反骨精神は感じられなかった 史上屈指の才能に任せて のほほんとやってる感じ だから憎めない ケンちゃんが野球選手に会いに行く話は西武球団からしたらやや迷惑な
撮影だったかもねw 巨人に入れなかった悔しさは巨人に勝って晴らす。
田淵さん巨人戦では闘志をむき出しにしていたね。 >>116
松井は子供の頃から阪神ファンのアンチ巨人だったんだったな。 でも巨人志望で他球団からの指名を拒否る選手は多いが
アンチ巨人だから巨人上位指名を蹴る選手っていないよな
反骨といっても知れてる気がする。 巨人を蹴る人って巨人の選手層の厚さや社会的影響力のプレッシャーで入るの
ためらう人が多い。 清原はFAで巨人へ
松井はFAでメジャーへ
松井は阪神への未練はそれ程強くなかったのかも。
阪神よりもメジャーの方が憧れが強かったのかもね。 巨人でレギュラー獲ってやる!!巨人で有名になってやる!!
これくらいの気概の無い人は巨人に行かない方がいいだろう。
中途半端な気持ちで入って巨人で潰れた選手は多いからね。 清原、松井当時の巨人はゴールデン全試合全国放送だったから
国民的注目を浴びるわけで活躍すれば人気爆発だが
プレッシャーも半端なかっただろうな >>126
そんなもん当時だけとちゃいまんがな。
長島、王の頃からずっとだべさ。 松井は時代的にもメジャーへ行くべきして行った感じだな
日本のパワー型がどこまで通用するか見てみたかった人も多いのでは
あのタイミングで阪神行く言われてもなぁ 松井の中での阪神ってのは単にファンってだけで是が非でもプレーしたいと
までは思っていなかったのかも。
実際阪神に行くとなったら身の破滅だという事は馬鹿じゃないから分かって
いたのかも。 江藤も西武沿線で大の西武ファンだったけどFAで行ったのは巨人だったし。
西武に行く事になった時は余り嬉しそうな顔してなかったね。何かの縁ですねとは
話してたけど。やはりそれとこれとは違うんだろうね。 松井が阪神に入っていたら萩原みたいになっていたかもしれん 82年日本シリーズでの田淵のファースト守備は神。
田淵の優勝への執念が田淵の体を動かせた。
やれば出来る男だと思う。 田淵「みんなが田淵は練習しない練習しないっていってたけどね。
僕は隠れてやるタイプだったんですよ〜」
たぶんやってないなw 食べる練習は熱心だった。
体重が無いとボールが飛ばないから体重を増やさないととレストランを
熱心にハシゴしていた。
それは人前で堂々とやってたよw 単に食べるの好きだったんじゃ
確かに体重ないとホームラン打てんが 食べるのも仕事のうちみたいな事をよく話していたけど確かに実際には
道楽で楽しんで食べてた感じにも見えたねw 田淵とか江川とか美味いもん食ってんだろーなって体形だった。
江川とか通風だったしなw 江夏がリリーフカーに乗ると偉い重くなるって運転の女の子話してたw
名指しは避けてたけど聞いてた人皆あの日ハムの人でしょと笑っていたw
馬力の弱い電気自動車だったから重い人乗せると大変だったとかw 江夏は超甘党でパフェが大好物で喫茶店にいくと
普通の大人が1つ食べきれないほどの量のチョコレートパフェ5個をぺロリと平らげたという。
3分の2食べたところで次を注文すると切れ目なく食べれて丁度いいんだとか。
あの風体でパフェとか笑えるw 上野公園に王の手形があったので自分のと比べたら王を抜いた。 オールドファンなら分かると思うが江夏や田淵がいた頃の阪神て
試合前の練習なんか見ると
ホントみんな適当だったよ
短かったしね
巨人は全員よくやってたな 打者としての才能はともかく、王さんとは頑丈さがまるで違った
あれだけケガが多くては練習量を増やす事は覚束ない 確かにそう 才能は王より上だが 仮に練習しまくったら反対に怪我する DH制によって延命出来ただけなので。
それでもあの本数だし。 守備でリズム作らないと打撃も調子出ないという人でもなかったので。
だからDHにすんなり馴染んだんだろうね。
西部時代の田淵のDHはサマになってた。 "お前、もうちょっとよけ方うまくならんと、そのうちデッドボールくらうぞ。"
野村が田淵に言ってたらしい。外木場より以前にだよ。
デッドボール避けるのも才能のうちということか。 >>151
山本浩二
江本に言わせれば「浩二さんはやたらボールを怖がった」だけど スレ違いですけど、スポニチの山本浩二の連載「我が道」おもしろいっすね
田淵との関係も >>55
>たとえ死に物狂いの努力をしたとしていても、おそらく自ら努力したとは言わないだろう
長嶋や新庄タイプということか・・・ 少なくとも日本人で飛距離ではトップクラスというのが定説
ワンはとてもかなわない
よく「ボールの少し下を叩いてスピンかける」と田淵は言ってるが
ワン曰く「そんなことは不可能ですよ(笑)」
理論でなく才能で打ってた田淵がリップサービスの意味で後付けした発言だろうけど 田淵は本当に練習というか努力してなかったらしい。
昭和55年頃に調子がよかったとき、インタビューで好調の秘訣を聞かれて
「最近走り込んでいるので、それがいいんだろうと思います」と言ったが、
試合前に外野の定位置にいて、コーチがノックするイージーフライを10分
ぐらいチャッチするのを走り込みと言ったらしい。 天才なんだよね。
素質だけでホームランを打てる数少ない打者だ! 夜の街で日々豪遊してクラブのママさんを愛人に侍らせ、優雅な
生活をしながら片手間にバットを振ってホームランかっ飛ばして
いたのが田豚だった。天才だから練習なんか適当にしかしない。
更に天才だから劣化が早い。まあ全てが豪快な打者だったな。
とにかくボールのはじかれ方が他の打者のソレとは全く違う!
ソレイタ・カブレラの様な力で持っていくのではなく、ボール
の反発力を最大限に引き出す打ち方と言ったらよいのかな。 田淵は努力もしなかったし、何も考えずにプレーしていたらしい。
野村に「キャッチャーにとって一番大事なことは何だ」と聞かれて
「ボールを後ろにそらさないこと」と答えたという。
野村も、田淵というのは余程 考えるということを何もせずに野球を
している選手だと思っていたよ。
野村は昔 週刊朝日に連載していたとき、昭和56年秋に西武の次期監督に
広岡が決まった時「田淵もやっといい人にめぐりあえたな。広岡監督に
心酔しろ。今まで持っていた野球観は捨てることだ。もっとも野球観が
あったらの話だが」と書いていた。 >>161
さすがノムさん
このころは本当に適確だったよな 野村は、田淵という選手は余程練習しないと思っていた。
いつのことかわからないが、田淵に「プロに入ってから素振りをしたことが
あるか」と聞いたらしい。
また、週刊朝日に「田淵が王の半分でも素振りをしていれば、ホームラン王の
タイトルを王に独占されることはなかっただろう」とか「一流選手というものは
よく練習していて、手のひらが固いものだ。だが田淵の手のひらは一流選手
というには柔らか過ぎる」と書いていた。 田豚の素振り=ネクスト・バッターズ サークルで数回振れば充分!
2割8分も打てば絶好調と言われるほど打撃自体は雑でお粗末、だが
一旦当たれば、ボールは実に美しい放物線を描いて夜空に舞い上がり
スタンドに吸い込まれた。田豚のホームランには何度も感動した!! 反射神経が歴代のスラッガーに比べて、かなり鈍かったな。
バットスイングも外人に比べるとかなり遅かった。でも力で持っていった。 田豚が猛練習をして秋山体型になっていたら500はおろか
700台に到達していたな。50本も5年連続で打てたかも。
俺のいい加減な感は当たってるぞ! 田淵は元々痩せていて、大学時代は同僚の山本浩司(二)よりも足が速かった。 入団数年で面影は消失した。後楽園で巨人VS阪神戦の田淵、
ヒット性の当たりが悠々アウトになるんだからファンも
「走れ!田豚!歩くな!」ってヤジ飛ばしまくりだった。 負けてるランナー無しの場面で田淵が打席に立つとマウンドに輪が出来るなんて
今どころか当時でもちょっと考えられない事。
それだけ田淵を打たせると厄介だった。チーム全体が生き返ってしまう。 厳しい練習に耐え得る体力と精神力がなかっただけだしな
頭もあんまり良くないし 86年秋に日米試合があったとき、メジャーのキャッチャーが座ったまま
セカンドに矢のような送球をして日本のファンは驚いたが、田淵も若い
頃は似たようなことができたらしい。 身長あるのにビール腹でぼてっとした体型。
みるからに練習嫌いの体だったな 「練習すれば」は言ってみるだけのことば
長嶋一茂とか 飛距離ってやっぱり才能なんだよなあ
で、それを教えることもできない、と いち茂はダメだ!無理だ!アイツはヤクルトから巨人に移籍する
時には肩・肘に故障があってベンチプレス50kgも上がらない状態
で世田谷奥沢のメディテルモにリハビリに来ていた。その病院は
スポーツ選手のリハで有名な病院でリハビリのジムも持っていた。
実は、嫁がそこでリハ指導をやっていて聞いたのだが、いち茂は
リハビリすら真面目にやろうとしない超グータラでスタッフ一同
呆れ返っていたほどだった。そして、いち茂の故障の件は関係者
以外絶対に口外しない事になっていた。巨人で引退させるが茂雄
親父の夢だったから報道機関も記事にしなかった。
俺がトレーニングに行った時は女子バレーボールの中田久美が来
ていてが、生意気この上なく態度は悪いし、平気で煙草を吸って
注意されていた。超ヘビースモーカーで人相が悪い!あれは相当
後輩をいじめてきた顔だったな。 田淵はキャッチングの左手だけ鍛えて、右手は全く鍛えず
ひ弱だったらしいがそれでボールが上がるようになったと言ってたな。
鍛えなかったからホームランアーティストになれたんだとw
すごい後付け理論でわろたw 二年目で死球うけて、生死をさまよったときに、
大量の輸血をした。
このことで、体質がガラっと変わってしまったらしい。
以降は田豚と呼ばれることに。
六大学でも長嶋の記録を塗り替えた、ハンサム、長身痩身、運動神経
全て、揃ってたのに。
あの死球がなければ、とんでもねえ記録作ったんじゃないかな。 確かに、あの時の頭部への死球は観たがゾッとしたな。
ヘルメットは割れ、血へどを吐いて鼻からも出血していた。
ピクリとも動かなかったから逝ってしまったと思った。
それを思えば、よくカムバックしたなと田淵に敬服する。
アレが無かったら野球の歴史は変わっていたかもしれない。
REAL天才ホームラン・バッターだった!
そんな事件があったのに、躊躇せずに落合の頭を本気で
狙いにいってぶつけた盛田はマジキチだ。田淵の二の舞に
なる処だった。 いまさらながらジャンボ鶴田に相通ずるものがあるな
そしてこれまたいまさらながら
ダイエー球団はステップアップの大切な時期に
何を考えてあれを監督にしようとしたのか 投手は江川、打者は田淵だな
常に余力を残し才能の底が見えない感じ 日本のスポーツにおける練習という意味は特殊で、海外のトレーニングとは別物。
競技力を向上させるのが目的ではなく「人生における精神修行」の意味だからな。
だから練習は苦行でなくてはならないし、長時間やらなくてはならない。 >>183 いまだにいる、練習量信者
君は素人の馬鹿だな!スタートラインに着く為には練習ありき。
だが、そんなのは練習とは言わない。準備と言う!基本が出来て
から行うのを練習と言う。そこでの質と基礎能力と素質と向上心
が一流に行けるか二流で終わるかの差を生み出す。馬鹿が練習し
ても、それは練習とは言わない。目的意識の無いダラダラとした
時間つぶしに過ぎない。1+1が2になる練習をしないからダメ
なだけだ。君には分かるかな?20kmくらい走ってから考える
といいぜ!運動しないボンクラにお奨めだよ! >>185
プロ野球選手になってる時点で、スタートラインは 槇原は江川以上の身体的才能があった気もするが頭が悪いか 槇ちゃんは根っからのひょうきんで、人を悪く言わない騙されやすい
正直モノだったらコーチの指導にも「ハイハイ」二つ返事でやってた。
あそこでもう少し理性を働かせてやってたら相当の成績を残せたな。 田淵の知能では、効果のある練習を考えることは不可能 ホークス大好きな福岡県民は田淵が監督だったのを知らないフリします 体格は清原や松井らと身長体重はほぼ同じだが田淵の方が若干彼らより小さい
のではないか
95キロでかなりずんぐりしていたから
清原や松井は95キロくらいが一番均整が取れていた 生涯阪神だったら引退が早くなっていたかな?
ファーストにコンバートされて、
田淵、岡田、掛布の内野が完成したかもしれないが気分屋だけに無理だったかな >>193
ただそれだと掛布のスラッガーとしての成長はなかったと思われる
掛布自身も「田淵がいればそこまでホームランに拘らなかった」「自分は本来中距離打者」と言っていたが 王の記録は悪い冗談
まず野村を抜いてから、本気にすればいい 辻がいたにはいたが、ポジションほぼ与えられたも同然だった感じだったからな
意外と巨人に行って、川上にビシビシ管理され、森にイビられ
キャッチャーのポジション取れないでライトにでもコンバートされ
国松や末次と争って、甘やかさなかった方が良い通算残せたかも 本塁打打者だとは思うが、2割6分は御粗末過ぎる。3割1回は淋しい数字だな。ホームランの打ち損ないが安打と言った門田が、2割8分9厘だから、いかに田淵が低いか分かる。 門田はアキレス腱切ってなかったらHRは減ってたが3000本安打打ってたと言ってる。
果たしてそうか?
怪我する前の門田って駒田に毛が生えたような成績じゃん。
田渕監督に「もう練習はやめろ」って言われたくらい晩年でも猛練習してた。
そこまでして「ホームランの打ち損ないが安打」のレベルまで行ったのかもしれないが、
田淵はさしたる努力もなく「ホームランの打ち損ないが安打」だった
いろんな人が言うように天才だったんだろうよ。
自分は門田にほうが好きだけどね
通算では門田>田淵だけど、本塁打率は田淵>門田。
打率なんざ じゃあいい加減に練習していても400本打てたんだな 76年以降四死球の数が激減しているが周囲に強い打者が多くなると四球が減ると言うわかりやすい構図だな 田淵が現役の頃にWBCがあったとしたら、選ばれたとしても指名打者、あるいは捕手としての守備力を問題視され落選。まずマスクを被らせてもらえなかっただろうね。 82年日本シリーズでの田淵のファースト守備は神
日本一になりたいという執念が田淵の体を動かした 田淵の時代のスラッガーは打つだけが仕事
守備や走塁に高いレベルを要求されることなどなかった 打率280、120打点、60本塁打くらいの成績を20年連続で残せただろうね 王も田淵も最強チームに居なければあと3年は現役を続けただろう 捕手として、リードや守備も優れていたら、2割6分でも評価出来る。だが、単に球を捕るだけの人だから、評価が低い。監督時代のトンチンカンぶりを見ると、現役の頃に頭を使っていなかったかが証明された。 捕手はいわば「脚本家」なのである。
現に捕手出身監督は、ことごとく日本一になり、連覇も果たしてきた。
上田利治、森祇晶、そして手前味噌ながら私。この伝統をぶち壊したのが、田淵幸一と大矢明彦だ。
特に田淵は捕手の性格ではない。私は現役最晩年の2年間、西武で一緒にプレーしたことがある。
田淵がレギュラーで私が控え。ロッカーが隣同士だったので、ある日の試合後、「なんであそこでストレートを要求したんだ。根拠は何だ」と聞いたことがあった。
私は、捕手は「根拠のないサインだけは出してはいけない」と考えているし、どの球団でもそう教えてきた。
試合中も右目でボールを受けて左目で打者の反応を見ろ、漫然とサインを出しているようでは捕手失格だ、
理路整然と説明できるサインを出し、万が一それが打たれたなら仕方ない……そうやって考えに考えろと指導してきた。
そんな私に、田淵から返ってきた言葉は、「イヤだなノムさん、投げているのは投手じゃないですか」だった。
コイツはダメだと思った瞬間だった。 でも、アメリカじゃそんなものなんだよな
日米の最大の違いだ 阪神時代はホームが甲子園てのがかなり不利だが、それでも王と同じくらいの成績だったろう
シーズン平均48本 100打点 打率320くらい。
本塁打王8回、打点王5回。 >>209
古田や谷繁は兼任監督だからしようがないとして達川が失敗するとは思わなかった。
>上田利治、森祇晶、そして手前味噌ながら私。
上田は実績なんか皆無。根本も同様だよね。
森も横浜で味噌をつけた。
手前味噌の「私」も阪神時代は酷かったねえ。 達川や古田それに谷繁は、野村流にいえば目立ちたがりの性格が捕手向きじゃないそうだ
それをいうと、ノムさんもそれに当て嵌まりそうなんだけどなぁ… だが、「名選手、必ずしも名監督にあらず」。これにもしっかりとした根拠がある。
現役時代にスター選手だった監督、特にスラッガーだった監督は、攻撃野球を好む傾向が強い。
ホームランが何本も飛び交うような、素人が見てもわかりやすい、派手な野球が好みだ。
言い方を換えれば、ただ打って走るだけの才能と技術に頼った粗い野球である。
何かの間違いでハマれば確かに強いが、野球はそんなにうまくいくものではない。これでは到底、常勝チームなど作れない。
また、スター選手はその才能からデータを必要とせず、細かいチームプレーとも関係なくやってきた者が多いため、いざ監督になったら緻密な野球ができない。
そればかりか、その必要性や重要性をまるで理解しようとしない。
そのため有効な作戦が立てられないし、相手の作戦を読むこともできない。
そしてもう一つ。スター選手は自分ができたことは、皆もできると思い込んでしまっている。
それを言葉に発してしまう。「なんでこんなこともできないんだ!」という言葉が、どれだけの選手を傷つけるか。
思ったことは何でもできてしまうから苦労を知らず、そのため並の選手の気持ちや痛みがわからない。
自分のレベルで選手を見るためにうまく指導ができず、言葉より感覚を重視してしまいがちなのだ。
苦労を知らない選手は絶対にいい監督にはなれない。
私は2年半ほど二軍にいたことがあるが、これは今となっては良い経験だったと思っている。 二軍を経験して良かったことは、二度とここ(二軍)には戻りたくないと思えることだ。
お客さんがいないところで野球をやる虚しさ、打っても打っても自信のつかない不安。
昔の人は「若い時の苦労は買ってでもしろ」といういい言葉を残したが、まさにその通りで、苦労しているかどうかは、その後の人生に大きく生きる。
スター選手の代表格といえる王貞治、長嶋茂雄のONは確かに天才的な選手だったが、
その余りある才能ゆえに苦労を知らず、それぞれの哲学がなかった。だから監督としてはまったく怖くなかった。
ONに共通していたのは、目の前の試合に一喜一憂していたことだ。
味方がホームランを打つと、選手と同じようにベンチを飛び出してきていた。
恐らく心のどこかに、現役時代と同様の「自分が一番目立ちたい」という気持ちがあったのだろう。
私にはその心境が分からなかった。最近では原辰徳がまさにこれだった。
確かに自軍の選手がいいプレーをすれば嬉しいし、リードすれば「よし!」とは思う。
しかし、監督というものは「ではこの先どう守ろうか、どう逃げ切ろうか」が気になるのが普通だ。
子どものようにはしゃいでいるヒマはない。
現に、川上哲治(巨人)さんや西本幸雄(阪急など)さんが試合展開によって一喜一憂していただろうか。
監督が初めて喜びを露わにするのは、ゲームセットで勝ちを収めた時だ。
どんなに勝っても仏頂面だった落合博満(現中日GM)までいくともはや変人だが、まだONや原辰徳(巨人)よりはマシだ。 なにしろ原辰徳はグータッチで選手を迎える、お調子者監督だったからな。
しかもグータッチをグーパンチと勘違いしてた程の流行に乗り遅れまいと
必死だったTV映りを最も気にかけていた監督だった。
これ以上書くと 原君あるあるネタ♪ になってしまう。それは別スレで! 腹さんは(*^^*)顔芸が凄い。誰かまた張ってくんないかな 打数 HR タイトル
長島 8094−444 13
田淵 5881−474 1
スレタイに沿って仮想するなら、例えばもし当時の阪急に入ってれば
田淵も西本監督の下で嫌でも猛練習してただろうから
ノムさんを上回る超強打・強肩の名捕手誕生という事になる?
まあ現実味が余りに薄い妄想だが >>220
捕手として大成は厳しいのでは?
一塁手に転向して、加藤英が外野手になり、黄金期の一員になれたかもしれない。 >>221
いや、十分阪急の正捕手になれるだけの素材だっただろう
なにせ田淵は若い頃、強打強肩俊足だった
大学時代は、同期の山本浩司や富田よりも足が速かったんだからな 自分で >>220 で書いておいて言うのも何だけど
当時の阪急は田淵を指名しようとかは全く考えなかったのかな
まあ、もしそんな事をしたら山田が阪急に入らないという事になるので
日本の野球の歴史がかなり変わりかねないけどw >>222
肩はともかく、問題なのはリード面。西本監督や上田監督が、田淵捕手にガマンし続けるのは難しいと思う。 >>224
リードは教育しだいでどうにでもなる
昔は各球団、場合によってはベンチからサインを出す事も往々にしてあった訳だからね
西本近鉄時代も梨田がマスクを被る時は、当初はベンチからサインを出していた
そのベンチのサインの元は、有田の意見だったんだけどね 巨人に行きたがってたからね
阪神であんなに悲しんでるんだもん
阪急に決まったら下手したら自殺物だったかもw 山本浩二よりも脚が速かったって誇張してないか
浩二は100m11秒台だったはず
田淵は10秒台だったのかw >>219田淵は鴎外いなかったら本塁打王10回くらいはとれてたな
40本打っても王が毎年47ー48本打ってタイトルさらっていったから。 >>227
いや、これは本当の話。
田淵はもとより、浩司本人もテレビでそう語っていた。 ラジオ出演時の氏の発言をようつべで聞いてると面白いなぁ
(特に打撃の)センスの磨き方みたいなのが優れていると思う 1975年の田淵はOPSトップなのにWikipediaが太字になってない
遺憾だ 田淵は故障が多かった。
故障せずにフル出場して、2割8分、30本、90打点くらいの成績を
継続できていれば、それで十分だったと思う。 もっと練習しても
王を超える事は絶対無理。
清原の早熟性と落合の広角に打てる技術と松井のパワーと
兼ね備えていないとね。 プロ来るレベルの選手で、練習量と成績って相関あんのか? 昔の阪急や近鉄の選手って、西本監督以来の伝統の猛練習で
底上げされてたんじゃないかって思う。他のチームだったら
あまり活躍してなかったんじゃなかろうか。 マジレスすると田渕がどんなに練習しようが王は越えられなかったと思う
というかプロ野球で歴代の記録見るとほとんどが左利き。
あとは野手で犠打とか、試合数とか四球数とか投手で登板数とか
そこそこ努力で達成する範囲の選手が右利き。
もちろん田渕が練習法改善でよくなった可能性があるが王ら左利きを超えることは無理
これは同じ右打者の清原にも当てはまる
主なプロ野球歴代記録
http://search.yahoo.co.jp/r/FOR=ZZIvIAxV3iggEg3U0b4xPWOVINzzSvXrm
0LsDo6I6cl0ZZrjJH.MwJAl8YkjT03jjQSTfoF8AGkTg9WqsWgQ51a4NtD3xn5Y58dud
CQd4KZz5HaT1.6er9gxKUKSMkfk1CaoxzNGenRlg9CxenorQOWYH3vPB5z42oBqvDVr9dT
h__4zIHW7wZGc2.C.Su8QEnOjnkVeXw80K50-/_ylt=A2RA0m9hGuZWtRsAb4qDTwx.;_
ylu=X3oDMTBtNHJhZXRnBHBvcwMxBHNlYwNzcgRzbGsDdGl0bGU-/SIG=11e8ji55d/EXP
=1458021409/**http%3A//npb.jp/bis/history/ 王さんは練習もすごいけど故障が少なかった
一本足打法というある意味不安定な打ち方だったけど死球を避けるのが上手かった
田淵も足を上げる打法だが危険球を避けれなかった
シーズン半ばで王の55本を超えるペースでホームランを打ち続けた事も数回あったが
故障で1シーズン続かなかった
通算で超えられなかったことは言うまでもない >>240
すり足打法なのに死球を避けるのが上手くなかった清原… 星野がストライクゾーンでも当たるから田淵に投げるのは怖いと言ってたな
避けたら破綻するバッティングフォームなんだろうな
親友の浩二は避けるの上手かったのに BSフジの1983年・西武-巨人の日本シリーズ特集を観たけど、
タブチさんが江川と西本から放ったホームランカッコ良かったわ >>203
第1戦で平野のセーフティバントを好捕したね。
ワンバウンド判定されて、珍しく滅茶苦茶怒っ
てたが、ただならぬ勝利への執念をみた。 性欲や食欲が人並み外れて強い奴がいるでしょ。
スポーツにしてもどの世界にしてもトップに立つような人はそれと同じだと思うなあ。
フツーの人は途中でやめちゃうと思う。榎本も王もフツーじゃなかった。
榎本に言わせれば落合も「フツーのロボットでしょ。そこそこの人生で」扱いだからね。 榎本は評価されすぎ。
そんなに凄いならもっとタイトルいっぱい取ってるはず。
生涯記録は凡庸。 駒田は一本足打法に傾倒したせいで逆にアベレージヒッターの道を辿ることに 37歳で引退したけどあともう少し頑張ってれば500本は打ったのにね
84年はまだ諦めてしまうほどの成績でもなかった 当時は皆割とあっさり辞めてたからな。
同じ年に引退した山崎もレギュラー外れて即引退だし。
本数も長嶋越えは果たしてたし、そこまで拘りなかったんじゃない? もうしばらく現役を続けていれば、秋山・清原とクリーンナップを打つ
こともできた。
秋山・田淵・清原の三連続ホームランを見たかった。 83年の燃え付き症候群だったような感も
83年が無かったら打倒巨人に向けて恐らくまだ頑張ったかも 西武時代も頭によくぶつけられてた
阪神時代に死をさまよった田淵にそんな事を平気でするパリーグの投手の神経を
疑った >>213
あの頃のカープは誰が監督やってもダメでしょ >>213
同じく阪神だってそう
誰が監督やっても同じ
フロントがしっかりしないとね
星野さんはフロントを動かす力があった 田淵は筋力トレーニングを積んでればもっとやれた
ウエイトトレーニングでボールの飛距離は伸びるからね
田淵が打球と飛ばすトレーニングはそれとは全く異なっていた
そのトレーニング法とは食事を沢山食べる事だった
だからいつもレストランを食べ歩きしていた
そりゃ長持ちしないのも無理はない 昔は内角をとったから内角攻めは妥当
避けない田淵がわるい
死球が少ない右打者のミスター、ピーコ、落合は球を怖がりすぎるとう揶揄されたものだ 肩から上は駄目だ幾ら何でも
だから危険球一発退場のルールになったんだ 投手はバッターに腰を引かせたいわけだから避けたら術中にはまることになる
だから当たったとしても踏み込んでいく必要がある 竹之内や清原もそうだけど公式戦で東尾と対戦する機会があれば死球渦に悩まされずに済んだのかも。 たくさん食べて体重を増やすことで打球の飛距離を伸ばすというのは、まるで
力士の体作りのようだなと思った。
確かに、体重があったほうが当たったときのパワーが出るのだろうが、一方で
守備や走塁は衰えていくだろう。
野球選手としての総合力を無視したトレーニング法に見える。 阪神時代は全く記憶にないな
「がんばれタブチくん」で存在を知って(声は西田敏行だったか)ギャグ扱いの選手と認識
西武で82年83年の連覇で主軸で活躍してビックリ
もう終わった選手だと思っていたから 西田敏行で合ってるよ、俺もアニメのイメージしか無いわ、
DVDも買ったしたまに観てる、本人はアニメに怒ってるとか
あったが実際は気にしてなかったとか・・・一方相方扱いの
安田は松岡と劇場版観に行ったとか 82年は大した成績じゃなかったけど
主役みたいな顔でビールかけのインタビューに堂々と答えるのが
この人らしい。 >>260
今思えば、体格の割に、腕周りが細かったな。 西武球場の広さの事をよく口にしていた
広くて中々ホームランが打てないとよくぼやいてた
広島へ行く話も出ていたので西武でなく広島だったらもっとホームランを
打てていたかも知れない 浩二と衣笠と気分よくクリーンナップ打てたかも
只、当時の広島はというか今もそうだが守備重視のチームなのでどうだったか
確かにカープへのトレード話もあったが 数では王さんには到底適わない
僕の夢はボールをどこまでも遠くへ飛ばす事だから 田淵にカープへのトレード話があったんですか……。
田淵がカープに来たら水谷は放出でしょうな。 田淵が西武ではなく、広島へ移籍していたなら、捕手は田淵と水沼の併用に
なっていたのだろうか?
(田淵がスタメンで出場し、後半は水沼が守備固めで出場)
また、田淵獲得となると、広島も相当な選手を交換で出さなければならない。
投手なら外木場・池谷クラス、打者なら大下・三村クラスを要求されるだろう。 安打数に占める本塁打の割合が最も高いのも王?
田淵や西武中村辺りも高そうだが 西武時代も本塁打率高かったよね
規定不足で30本とか
西宮や藤井寺で量産したのか? ブチは1980年に43本打ったけどスーパーラビットを4球団も使ってたらしいからな
マニエル48本塁打
ソレイタ45本塁打
田淵43本塁打
門田41本塁打
レオン41本塁打
80年前後のパ・リーグの打撃成績は参考記録でいいだろ ググったら出てきた
田淵幸一(西武) 123試合43本塁打・・・2.9試合に1本塁打
ミズノ球採用試合 97試合39本塁打・・・2.5試合に1本塁打 130試合換算52本塁打
ミズノ球以外採用試合 26試合4本塁打・・・6.5試合に1本塁打 130試合換算20本塁打
典型的なラビッターだよ
広島の選手だったら20本前後だったろうね 田淵の打球音と飛距離は他の選手と全く違っていたよ。
(同一試合同じボール使用) 甲子園もラッキーゾーンがあった時代だからね
西武球場の中間の膨らみ113.7メートルは今の球場と比較しても決して恥ずかしくない広さ
今の横浜よりも広い
当時としてはかなり広く感じられたので田淵も西武球場の広さには苦労してたようだ ライナーで突き刺さるのではなく高い放物線を描くホームランなので
だから川崎のフェンスも意外と苦手にしてた
余裕で入る当たりが川崎のフェンスに当たってしまう事があってやり難そうだった 王や山本浩二が打っていない改装後の広島での
場外ホームランを田淵は打っている 山本浩二のほうが飛距離出てたような
https://www.youtube.com/watch?v=DuDHLSEiMlE
この神宮の特大のやつは市民だったら場外だろうな
田淵のホームランは大きく弧を描く美しいものだけど飛距離は出てたかなぁ >>284
川崎球場ってフェンスが高い分アーチ型の方がスタンドインしやすいでしょ。
寧ろ王・杉浦・秋山みたいなライナー型には鬼門。 >>285
あの西日よけシャッターが設置される前かな?
それだとしてもその飛距離は凄いね。 >>287>>288
結構上のほうにポコンと当たるのでホームラン結構ふいにしてる
川崎を得意にしてる感じでもなかった田淵は 若い頃は甲子園の上段まで飛ばしていたが
最後は行ったと思った打球がレフトフライになって引退した。 昔の選手の映像ってほとんど無いから柵越え本塁打とランニング本塁打と記録を分けるべき 長嶋は長打と俊足を兼ね備えているのでランニングホームラン王になれる。 ランニングホーマーなんて滅多に無いから分けてもしゃーないw 83年の年俸提示4千万円に涙潤ませていた
当時はそんな時代だったんですね まぁ3億4億貰っちゃったら完全に豚になっちゃうだろうからこの人も
それくらいで良かったのかなとも
当時の貨幣価値を加味しても1億くらいだろう 田淵の涙といえば、西武へのトレード深夜通告。
その後の記者会見で、「なんでわたしが・・」と人目を憚らず号泣していたw
当時子供心に、この人は純心な人だなぁと感じたよ >>295
寧ろスペの割には4千万も貰っていたと考えるべきだな。 東尾とかもそうだけど、この時代の選手は解説者で選手時代の年俸以上を稼いでたからね。
掛布も江川もそう。
今は選手の年俸は当時の何倍にもなったが、OBの仕事がメチャクチャ安くなってしまった・・・ 公称年俸自体が嘘っぱちだからな
博満がはじめて1億超えるかってときも記者連中はみんな失笑してたらしい
ON、ノムさん、コージ、サチは何億ももらってたことをみんな知ってたからね
金村が言ってたけど栗橋クラスでも1億前後もらってたとか 昔の選手はみじめな姿を見せる前に潔く引退して偉いなんて思ったものだけど
いま思えばやめた方が稼げる算段があったってだけなんだな
いまは引退後が厳しいから現役に固執するのは当然か >>301
それはセの人気球団の選手だけでしょ。門田や村田や大島等は現役に固執したじゃないか。 >>300
>栗橋クラスでも1億前後もらってたとか
鈴木啓示が海を見下ろす豪邸を構え食費に百万以上使ったとか、年俸で考えると有り得ないと思ってたがそういう訳ですか。 門田 33→31→18→6 本塁打二桁に届かなくなった年に引退
村田 10勝したのに引退 前年は最優優防御率
大島 チーム一の代打屋として3割を打つも大沢監督とともに引退
どれも固執してたとも思えんのだがね
むしろ掛布の方がズルズル引き延ばしてたとも ライブで見てない人がそう書いただけだと思う。
村田なんか今だったら引退させてもらえないよ。 西武はCM出演等の副業を認めてなかったのでやはりそんなには貰ってなかったとは思う
羽田が珍プレーで宇野並みに有名になって珍プレーでCM一本取れたよと喜んでたな 82年のプレーオフでテリーが逆転弾を打った時にテリーと抱き合って喜んでた
その時テリーが恐ろしく小さく見えたので田淵って思いのほか大きかったんだなとも
95キロ以上とは言われていたけどそれ以上はゆうにはあるようにも思う 100kg超えると恥ずかしいんだろうね
江川とかどうみても100kgくらいあったけど公称90kgだし 80年代は高額所得者ランキングがあって検索できるが、野球選手は他業種と比べ低かった
ランクインの常連がON,山本浩二、掛布、原、江川、
80年代の西武以外のパリーグで1億は無理だと思うな半端ないガラガラだもの 田淵は今の選手基準で見ても体幹がすごいな。江川とこの2人は。
これは今もそうだが、190cm超えてる選手は188とかで登録するのが多い。
駒田はもうごまかし切れなかった数値だったんだろう。 田淵は190以上あるよね
175cmの王と大人と子供位の差があったし
183cmの浩二よりもひとまわりでかい
江本も190以上あるし巨人バッテリーだったよ 田淵は190もないよ。
確か185ぐらいだったんじゃないかな? 江川が183しかなかったのは意外だったな
マー君(191cm)くらいに見えたもんだが
オーラででかくみえてたのか 公称186で実際は190以上だな
いまは加齢で少し縮んで187程度か
江川は山本浩二とほぼいいっしょだから183で間違いない
昔の野球選手は大きかったよな いや、田淵が高さも太さ(病気前の、プロの身体になった辺り)も抜けて大きいだけでしょ。
HR打ってお出迎えのシーン見たら外人以外、子供に見えるぞ。
現在の選手が1人だけタイムスリップしてプレーしてるみたいな体だ。 現役ホームラン数上位の身長(実寸)
中村剛也 171
松田宣浩 173
村田修一 172
松井稼頭央 170
山田哲人 176
平田良介 170
菊池涼介 168
180以上
筒香 新井 鈴木誠也 大谷翔平
田淵、山本浩二よりでかいのなんて翔平くらいだろ 新井さんも190くらいで田淵と同じくらいかな
20代の野手はドチビばっかだな 田淵は190も絶対ないよ。
江夏と並んでも十センチもないんだから。
185か186ぐらいだよ。 http://hanshintigers.jp/news/topics/info_3946.html
田淵のほうが10cm以上高く見える
江夏も実は180はありそうだったから田淵は190以上で間違いない http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=001-20130916-07
これは現役時代だけどやはり中学生と大人くらいの差があるな
江夏は実寸174の王よりも大きかった 巨人希望だったがもし巨人に入団していたら
森にイビラれて早く退団していたな、試合中に馬券買いに行かされてコーチにチクられるとか 巨人のような競争が激しい環境は田淵には合わないな。
田淵はのんびりした環境で、伸び伸びと才能を発揮するのがよい。
晩年にまだ選手層の薄かった新興球団の西武に移籍したのもよかった。 キャッチャーとしての観念が野村と違いすぎる
野村が布教したリード教が旬を過ぎ、12球団の捕手を苦しめている現在、球界は田淵の考え方に立ち返る時期だと思う
問:野村 答:田淵
キャッチャーにとって一番大切な事とは……→ボールをそらさない事
リードとは……→投げるのは投手ですから
練習は万能ではないし、才能には限界がある
リードの才能だけを見るから貧打でも起用する事になる。(その才能もチーム1というだけでずば抜けた才能ではないから普通に打たれる。生兵法。それでは意味がない)これが球界の現状
選手はまず、自分の一番の『野手としての』才能で自分を売り込み、それから、二の矢、三の矢としてリードを覚えるべきだと思う
リードだけがキャッチャーじゃない。練習だけが練習じゃない。もっと本質を見ようよ 土井が引退した年は打率も一割になってしまったしいよいよかなと思ったけど
田淵が引退した時はまだまだやれるのにとは思った ピッチャー任せの田淵のリードにノムさん怒ってたけど
田淵がいた頃の阪神は強かったよね >>326
最も競争の激しい広岡西武の下でも田淵は特別な存在だった
田淵はどこへ行っても特別なんだと思う
相手チームが中盤3点リードでランナーなしの場面で田淵が登場したらマウンドに輪が出来る
くらい打たれたらマズいそれだけ特別な選手だった >>319
体格偏重主義ではなくなったから
昔の野球というかスポーツ界の一番の課題は兎にも角にも体を大きくすること
だから体の大きい人は重宝がられた
今は体格偏重主義は幾分和らいだといった感じだね
小さい人の俊敏性も見直されるようになった だから馬場さんもどこからも引っ張りだこだった
今だったらそこまでみんな馬場さんに興味を示さないとは思う
興味を示すのは格闘技やバスケくらいではないだろうか 捕手の基本はキャッチングなんだから田淵の方が正論の気がするな。
殊更に捕手のリード、配球を重視する野村が与えた悪影響って結構大きいんじゃないのか。
大型捕手が生まれないのもそこも大きいと思う。
打てる捕手が見たい。それもHRが打てる捕手を。 江川によれば、捕手にとって最も大切なのはキャッチングだと言う。
自分は捕手がキャッチングするのは当然のことで、リードや配球こそ
が捕手の本領だと考えていたから、江川の話に驚いた。
だが、江川によれば、キャッチングは実は難しく、本当にきちんと
できている捕手は実は少ない。本当にできていたのは、ヤクルトの
古田と西武の伊東だけだった。だから、このふたりは長年活躍した
名捕手なのだ、と。
だとすると、田淵が捕手の主眼をキャッチングだとしたのは、実は
正しい考え方だったのかも知れないと思った。 キャッチングなんで出来て当たり前、そこから先だろプロなんだから いわゆるフレーミング込みでキャッチングが重要というのならわかるが
ボールを逸らさない事というのはプロとしては志が低いというか。 日本は子供のころにお前デブだからキャッチャーやれみたいな風潮があるから
いい人材がキャッチャーに集まらない
これはサッカーのキーパーにもいえることだが 広瀬哲郎がサード守備で外人の思いっきり吹っ飛ばされて脳震盪を起こしていたので
サードはやはり体の大きい人がやった方がいいのかなとも思った。
キャッチャーもあの体格のいい城島がメジャーでボロキレの如く軽々と吹っ飛ばされてる
のを見てキャッチャーもやはり体が大きい人がやった方がいいのかなと思った。 キャッチングで凄いと思ったのはマイク・ピアザ。
野茂のあのコントロールも悪く何処へ球が行くかも分からない荒れ球を体を張って
止めてた。
それは日本の野球界にも影響を与えて日本でもピアザのように体を張ってボールを
止めるキャッチャーが増えた。 広岡さんが最も嫌うタイプかと思いきやことのほか広岡さんは田淵の事を大事にした。
その分大田がとばっちりを受けてしまった。 >>339
そういえばピアッツァはイタリア系だからサッカーだとGKが花形ポジションだから野球だと捕手が花形ポジションになるのかな。 ピアザはコネ入団で捕手をやる条件で入れてもらった気がした。 日生や川崎では力みすぎて結構ホームランをふいにしていた 巨人に行ってたら槌田みたいになってたかもな。
あれも凄い逸材だったんでしょ? 巨人に行っていたら、森の控えになるから捕手としては出場できまい。
時々、外野を守ったり、代打に出たりで、まさに槌田のようになっていただろうね。 捕手はつぶしがきかないからなあ
正捕手が居座ってたらジエンド
野村は正捕手がいなかったから南海に行ったと 槌田は東京六大学の三冠王を獲得したほどの強打者だが
試合慣れさせないと活躍できない。
高井のように代打専門で活躍するのは難しい。 徹子の部屋 ゲスト予定
4月10日 月曜 星野 源 恋ダンスが社会現象に! 注目の多才人が素顔を
4月11日 火曜 梨花 脳梗塞で倒れた父からの手紙に涙‥
4月12日 水曜 田淵幸一&八田有加 掛け合い漫才!? タブチくんが夫婦で登場
4月13日 木曜 キャイ〜ン 仲良しコンビ!下積み時代を支えた恩人は‥
4月14日 金曜 石丸幹二 惚れ惚れ‥圧巻の歌声で日本の名曲を 756号を打ったころの王選手は、映画化までされたが、その猛練習が
心に残る内容だった。
「猛練習したから、世界の王になれた」というのが、当時の評判だったから、
あまり練習しない田淵は、野球ファンから対照的に見られた。 >>354
同期の浩二は通算記録で上位に名を残していますぜ、ダンナ 田淵の最終年の記録を見てたら開幕当初は絶好調だったんだな
今みたいにベテランを休ませながら起用する野球ならもう何年かやれたんじゃないか? その前に今なら一年だけの不振でまだ引退って空気にすらならないと思う
なんだかんだ300打席以上なんだね 徹子の部屋 ゲスト予定
5月29日 月曜 加藤和也&加藤有香 生誕80年…母・美空ひばりさんを偲んで
5月30日 火曜 草刈正雄&草刈麻有 60代で再注目!24歳の愛娘と登場
5月31日 水曜 田淵幸一&八田有加 掛け合い漫才!?あの「タブチくん」が夫婦で登場
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https://youtu.be/hjvdmI-9lFY?t=834
ハーフは美しい
徹子の部屋の八田有加さん
www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/img/photo/170531.jpg
しかしおばさんになるとみな同じ 田淵とジャンボ鶴田って本気を出せば凄いって思われている所が似ていると思う。 >>364本気出しても
王や馬場にはかなわないよ。
田淵が猛練習した所で、
シーズン五十本は無理だと思う。
鶴田がクーデターを
起こして、
全日の社長になったら、
すぐに倒産したと思う。
本気になったらとか、
潜在能力は凄いとかていうのは、
本気にならない、
いや本気になれない奴の言い訳だよ。 田淵と野村も対照的だからなー
よ田淵はあのく頭部死球がなければいわれるけど
野村は頭部死球くらって耳から流血しながらそのままダブルヘッダーやてたからな
王とか野村あのへんの精神力はやっぱ比較にならない化け物 田淵が引退するとき、王がコメントを出しているね。
「やめていく人に今さら言っても仕方ないが」と前置きした上で、田淵はもっと
練習していれば、自分は本塁打王をもっと田淵に取られていただろう、
と言っていた。
最後まで「練習しなかったこと」を、王にまで言われていて、スレのタイトル
通りの人なんだなあと思った。 巨人対阪神 巨人先発 全盛期の新浦寿夫
これから売り出す
三番 掛布と
四番 田淵
に対する新浦の本気モード
違うわ
配球を見れば 四番田淵>>>>>ブリーデン>>掛布
完全に見下して、田淵だけ真剣勝負
当時スピードガンがあれば田淵の時は他の雑魚より速かった筈
見た目でもわかる違い >>368王を抜いて
ホームラン王て難しいよ。
年間五十本近く打ってもなれない年も
あるからね。
バースやカブレラや
ローズやバレンティンが
王の現役時代にいたらね。 王さんと田淵、浩二のストライクゾーンは違ってたからな
かなり王さん有利だった
それは当時の審判も事実だと証言してるしな
星野さんも巨人に有利すぎると怒ってたよね 外国人がいないからね。
マニエルみたいな奴が
70年代のセリーグに
いたら、
王の三冠王二回はなかったんじゃないかな? なんとなくのイメージだけど
ハムの中田が田淵
西武の浅村が山本浩二
ってな感じ。
もしかすると浅村が30歳過ぎてから長打力がグンと増して本塁打王を連発するかも。 田淵の西武時代は結構ラビットボールに助けられてるな 田淵、江川、清原
能力を使い切ることなく終わった一流選手 田淵が怪我しないで、
王と同じくらい練習しても、
王の記録は抜けなかったよ。
通算は勿論、
年間55本も無理。
通算は600本、
年間最高は50本ちょうどぐらいじゃないかな?
ホームラン王は三、四回は取っただろうね。
三冠王は無理。
ホームラン王四回。
打点王三回。
MVPが二回とかだろうね。 ☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆ 俺より練習してるのは王さんだけだと言ったのは落合博満
>>84
> >>42
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> 「俺より練習してるのは王さんだけだ」 じゃなかった 頭部死球を受けた後に、ホームラン王を獲って
通算450本は凄いよ。
頭部死球後に力を失う選手が大半だから。 >>376
1流選手以外なら元木も
奴が能力を最大限に発揮出来たら原辰徳レベルにはなれたか? 元木は関係者全員があれだけ練習しない選手を初めて見たというレベルだからな。
並の選手程度でも練習していたらもっと凄かったんだろうが。 王が元木を見ての感想が迫力を感じない
プロで長距離打者として活躍するのは難しかったと思う すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
関心がある人だけ見てください。
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
HUEJZ と言ったのは落合博満
>>84
> >>42
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> 「俺より練習してるのは王さんだけだ」 じゃなかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています