1979年のプロ野球
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記憶があいまいなんだが、この年
後楽園球場の大洋戦で江川が救援登板して
最後に新浦が抑えた試合観戦した。 当時「江川投手 王選手を見習って」という横断幕が掲げられてたな >>572
王の人間性を知らんヤツが掲げていたんだな >>3
R.クルーガー(読売ジャイアンツ) | 個人年度別成績 | NPB.jp 日本野球機構https://npb.jp/bis/players/41343848.html
子供時代なので記憶にないよ
左投手だったかな?
29イニングスじゃ見れない確率高い ジャイアンツヴィンテージ江川特集パート1 江川初勝利で新浦寿夫 4点差で救援した
最速終速143キロq/h近代の初速ガンなら新浦も江川も150連発だな
>>571
> 記憶があいまいなんだが、この年
> 後楽園球場の大洋戦で江川が救援登板して
> 最後に新浦が抑えた試合観戦した。 日本シリーズ第七戦。9回裏、佐々木三振の後に近鉄に代打は残っていなかったのかな。 まずスタメンで
石渡 小川 マニエル 栗橋 有田 羽田 アーノルド 平野
途中出場で
梨田 池辺 藤瀬 吹石 阿部 永尾 佐々木恭
あと残ってるのは第三捕手の石山とあと一人誰か入れてるか入れてないか
くらいじゃないの
http://2689web.com/1979/buffaloes.html
あと石渡はなんだかんだ言って.280打ってキャリアハイのシーズン この年の今日、広島カープが球団創設後初の日本一を決める >>558
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/meikyu/1423307804/481-482
ちょっと前に「1978年のプロ野球」(↑参照)スレでも話題になったけど、
シーズン途中でも休養していたようだから、勇退していたと思う 広島ファンが江夏を見る目は今のソフバンファンが森を見る目と似た感じかな? あのヒョロ体型の小林繁、
あの太鼓腹の江夏、
今見るとどっちも異常 タブチのトレードをバカにするやついるけど
阪神とすれば
真弓、若菜、竹の内と3人レギュラー貰えたんだから
大成功だろ
小林の加入もあって前年歴史的最下位から5割復帰と大躍進だしなw 田淵のトレードで阪神が責められるのは
深夜1時過ぎのド深夜に呼び出した非常識さの部分も大きい >>585
あれ何をそんなに急いでたのかね。
マスコミ漏れを恐れたとか? スポーツ新聞の締め切りは過ぎたであろう時間帯だけどね 当時は掛布がかなり伸びてきて、人気もトップクラスになっていた
だから、田淵を放出するにはよいタイミングだった
獲得した真弓が人気選手になったから大成功だった >>575
> ジャイアンツヴィンテージ江川特集パート1 江川初勝利で新浦寿夫 4点差で救援した
> 最速終速143キロ?/h近代の初速ガンなら新浦も江川も150連発だな
→これは広島戦だよ >>309
45試合 15勝11敗
5セーブ 234回奪三振率8・49
79年の巨人投手陣において、先発左腕の勝利数は新浦一人の14勝だけに終わった。
ちゃんと調べたまえ!!15勝利しとる失礼だ! だから先発左腕の勝利数なんじゃない?
15のうち1勝はリリーフだからだなきっと。 後に日本シリーズ未勝利の200勝投手になる北別府は
この年にシーズン17勝、日本シリーズ初戦を任されてるが、
この年には既にエースという感覚だったでしょうか? 不動のエースって程では無かったよ。
初優勝時までのエース外木場は衰えがハッキリし、次を担うべき池谷、高橋里志も一発病に悩まされたりと不安定で、
先発の駒を揃えるべく、北別府と山根を抜擢せざるを得なかったって状況なんよね。
シーズン通してローテを守ったと言う点では確かに北別府なんだけど、夏場辺りから台頭して、カープの首位浮上並びに
9月以降の首位独走に大きく貢献し、防御率も最も良かった山根和夫が(シリーズでの好投も相まって)次期エースという
感じになっていた様に記憶している。 >>590
結果そうなったけど、もしこれで真弓が鳴かず飛ばずで終わったら
阪神としては大損だっただろうね 田淵で商売するとなった時、他球団からトレード打診が殺到したが
交換要員に真弓がいることが決め手になってライオンズとのトレードとなった 当時の阪神は若いスター選手の掛布が育ってきたため、田淵を出すことができた。
ストイックで練習熱心な掛布のほうが、練習嫌いで肥満体の田淵よりイメージもよかった。
阪神時代晩年の田淵はあまり評判はよくなかった。 >>597
意味は感じるだろ
そう解釈する理由が分からん 小林の対巨人8勝ってたぶん手を抜いていた部分はあったろうね巨人は 漫画江川と西本ではあのトレードはオーナーの強いお願いされる以前から
阪神側も小林をトレードで譲って貰えることを期待して江川を指名したなんて描かれてたが
本当にそんなことあるのかね 西武ライオンズの最下位なんてことになったら、この年以来のことだよね >>601
違うわ。
打たなければ自分の成績が下がるのにそんなことやるわけない。
小林は長年ベンチで主力打者の打撃見ていたから各打者の特徴弱点をしっかり把握していたからだ。
柴田高田王などV9戦士はこの年も主力だったが、
翌年から新旧交代が始まり、主力が中畑篠塚原など若手と入れ替わるようになとなって抑えられなくなった、
と生前の小林がインタビューで語ってるんだよ。 西武は真弓に加えて基も放出したので内野が酷いことになった
ロッテから来た山崎が5月から出場するようになったので、ようやくまともになった
もし山崎を取れていなかったら、恐ろしい状態になっていた >>605
ただ守りだけならセカンドに吉岡、ショートに広瀬とベテランを使えば
あそこまで酷い事にはならなかったと思う。根本監督は実績の無い
大原や金城になぜあの時期だけこだわったのやら。 日本シリーズに弱い北別府は、この年が始まりだったか 衣笠は地元の日本シリーズ第3〜4戦に一度も打席に立てず守備固めのみ
第5戦に至っては出場すらなし
で、第6戦まで10打数ノーヒット
この干されっぷりだったから
「お前が辞めるなら俺も辞める」は
江夏の気を鎮めるだけじゃなく本心だったのかも >>603
結局、この年以来の最下位が確定してしまいました 巨人のダウンスイングが小林の落ちる球に合わないと川上を批判したい
青田昇を筆頭に長嶋派のOBが言ってたな。 >>604
小林にとっては勝手知ったる連中がいなくなって、
なかなか結果に結びつかなくなったということか ❔❔❔❔❔❔❔❔❔❔❔❔❔❔❔❔❔❔❔❔❔ >>614
全て文字化けなので、何を書いているか全く分からん この年の今日、江川が阪神に入団
そして、小林繁との即日トレードで讀賣へ移籍 >>572
正確には「江川君 王さんをお手本に!」 >>572
正確には「江川君 王さんをお手本に!」 79年
堀内=菅野 衰えたエース
江川=堀田・山崎 リハビリ
鹿取=赤星 新人でまとまってる
角=高橋優 前年勝って今年ダメ
クルーガー=両外人 使えない
加藤初=山口 移籍時は良かったが干されそう
西本=戸郷 戸郷くらいは躍進してほしい
新浦がいない分79年よりひどいかも >>606
折角西武球場こけら落としで先発出場したのに、エラーを連発して、結局その試合がキャリア最終出場になった益川満育もひどかった。
山崎が骨折から復帰し、行沢が入ってきて、多少格好はついてきたが… >>606
当時のライオンズにとって、その2人は多少のエラーを我慢してでも
一人前にしたいと思えるような、身体能力抜群などの特徴があった選手なの? >>625
とてもそうは思えなかった。
プロ入りも、大原はドラフト外、金城も下位で、無理して使わなきゃいけない上位選手でもなかった。
他には、ドラ2で二年目で、新人年に先発経験のある山本隆造がいたけど、伸び悩んでたのか故障してたのか 巨人は当時のチーム構成と似てる。 若手野手に逸材がいない 開幕ダッシュするも7月から失速し、
結果はBクラスの5位
今年はこの年のリメイクになりそう。
それも開幕相手が奇しくも同じ中日 >>628
ヤクルトのスタートダッシュ失敗による最下位と広島の優勝はなさそう この年は、開幕8連敗以上したチームが両リーグで出た(西武とヤクルト)
このうち、ヤクルトは引き分けを挟んでいるので、今年の阪神が喫した
「開幕8戦8敗」はセリーグ初の屈辱 この頃の西武球場の映像って鮮やかでやたら綺麗に見える 「そして伊東」
9月6日、阪神に13失点の大敗を喫して首位広島とは8ゲーム差の5位に転落、この負けで勝ち無しの8連敗を許した小林繁に「戦いぶりを見てると
複雑な心境、巨人の船は沈んじゃったね」と言われた長島巨人の5年目は苦しかった。事あるごとに「江川問題」で電撃移籍の小林に牛耳られる
皮肉がクローズアップされた79年、しかしスタートは良かった。
4月は首位、5月も貯金を増やしてV2した77年のような独走の気配さえあった。張本勲とジョン・シピンが、平均5得点弱の打線を引っ張った。
投手陣は前年まで2年連続最優秀防御率の左腕エース新浦寿夫が6月に早くも4年連続となる2ケタ勝利に到達する活躍、チームが2位に3差を
つけていた時もあった。6月は頭から6連敗して中日に首位の座を譲るも、17日にプロ初勝利の江川卓が先発ローテーションに加わり、阪神とヤクルトを
除く4球団の混戦状態ながら7月頭には首位に再浮上していた。
チームの息切れは球宴明け、新浦の息切れからだった。というのも後半戦が始まって2週間、新浦は救援に回った事で調子を崩してしまい、先発に
戻っても勝てず冒頭の阪神戦での大敗まで4連敗、9月16日に後半戦初勝利を挙げた頃には既に首位と9ゲームの差がついていた。以後も3連勝
以上が無く閉幕まで7勝11敗、大洋と中日に抜かれて5位で終戦した。
主砲・王貞治が8月下旬から背筋痛で2週間近く先発を外れる事もあって33本塁打81打点、打率も4年ぶりに2割台で18年ぶりの打撃タイトル無冠
だった。張本も目の疾患で77試合の出場に留まり、プロ入り以来初めて規定打席に届かなかった。残るV9戦士の柴田勲、高田繁の衰えも目立って
きていた時でもあった。得点力低下が主力投手にも影響して加藤初と堀内恒夫は後半戦で1勝ずつしか出来なかった。
打者で中畑清、投手で江川と西本聖の頑張りぐらいが明るい話題だった79年は、優勝広島と2位大洋に勝ち越しながらBクラスの阪神とヤクルトに
負け越して借金4のいびつなシーズンだった。中でも阪神には小林に対する8連敗がそのまま対戦成績に表れ8つの負け越し、2022年の現時点でも
ワーストタイの対阪神戦17敗を喫した。この年に限っていえば「空白の一日」の代償が大きかったが、オフに長島は球団としては43年ぶりとなる
秋季練習を伊東市で17人の若手と行った。長島は勿論、日米野球やオープン戦にイベントを取り止めてでもキャンプを実施した球団の本気度も
かなり高かった。 (了) >>635
ウザいんだよオナニー作文野郎
雑談掲示板の空気を読め 巨人は王の衰えが明白になった年
本塁打王はもちろん、打点王も取れなくなった
張本も衰えて3割打てなくなり、新しいクリーンナップを作る必要があった 【誘拐】 吉田有希ちゃん、エプスタイン、統一教会
://mevius.5ch.net/test/read.cgi/baby/1576215830/l50
>>641
でもセのベストナイン一塁手は王で、三部門全てで王を上回った大島はかすりもせず。 王=坂本
序盤は堀内=菅野かと思ったけど菅野は持ち直してきた
戸郷=西本
山崎=江川 球数制限
大勢=角
赤星=鹿取
堀田=定岡 開花待ち
こんな感じか?
前年優勝逃し采配批判される原監督=長嶋監督
コーチがやめていく
黒江=石井琢朗
たぶん今年打撃コーチは切られそう。 村田修一=国松
阪神青柳に弱い=小林繁 >>643
前年も首位打者の水谷実雄が選出されず、
800号を打った王が選出。
翌年は首位打者の谷沢健一が選出も、打率30傑ビリの王が肉薄。
当時の記者投票での王忖度が酷すぎ >>645
水谷なんかMVPの若松より好成績だったのにな。
1980年も、かなりの僅差だったね。
谷沢が首位打者逃してたら、王が選ばれたに違いない。 >>643
当然、王忖度の要素が大きかったろうけど、前年までの大島が三塁、外野、一塁掛け持ちだった事から票が分散した
側面もあろうかと。 セゲヲのベストナインも最後の2年はひどかったけどね >>648
1974年はどう見てもボイヤーが相応しい。 >>648
あんなもん、讀賣への忖度以外の何物でもないよね ゴールデングラブ賞なんてボイヤーと長嶋折半だぜ
こんなのそれまでも今でも(無論メジャーでも)なかった異例選考
当時の記者ってとりあえず長嶋入れときゃいいんだろ感で別に野球詳しいわけじゃない ゴールデングラブ一塁手、何があっても王だったが、松原の方が絶対にうまかった。
いやまあ王も下手ではなかったけどさ。 ところでダイヤモンドグラブだろ 当時は
投手は判で押したように西本だった 投球面でライバルだった江川が守備ではほぼ立ってるだけで
さすがにいくら下駄をはかせても受賞させるのは無理だったからね 現在だったら、各チームはそんな江川の周辺に
セーフティーバントしまくるだろうな そうだったのね
どちらかと言えば、投げること以外は守備も含めて無頓着という印象があった やっぱり才能のカタマリで打ってもよし走ってもよしだったんだが
「手抜き」ってワードがそういうイメージを作ってしまうのかね >>659
プロ間もない頃、ライナーが飛んできて頭抱えたシーンが、よほど印象強かったのかも知れん。 >>660
打つ方は無頓着どころか、かなりのものだったけどね。
シーズン3本塁打を3回やってるし、1983年の打撃成績は素晴らしい。
大学時代から、野手顔負けのバッティングをしていた。 堀内がそうだったけど、エース級の投手は守備もうまい人が多い印象がある
パリーグだと阪急の足立、西武の東尾がうまかったね >>664
そうなの?
下手投げで上手い人って聞いたことないけど
足立とかリアルタイムで見たことことあんの?
「うまかったらしい」ならわかるが、
「うまかったね」とは… >>655
王さん自身は、打撃は散々語り尽くしているから
守備について語りたいようだったね
いつだったかの「球辞苑」を見た限りでは 前年復活したが、西武に代わって出場なく引退した奥宮捕手 >>666
足立は投球フォームがきれいで投げ終わった後の姿勢がよかった
だから、アンダースローだけど打球への対応が早かったんだと思う
上田阪急時代、日本シリーズでよく投げていたから、リアルで見ていたよ
猛抗議で試合が長時間中断した試合も足立が投げていた >>654
セゲヲが守備が上手いようには見えないけどね 長嶋は「守備を上手く見せるのが上手い」んじゃないか? >>672,673
20代半ばまでは抜群の守備範囲を誇る紛れも無い名手だったけど、30を前にして守備範囲がめっきり狭くなり、
只のパフォーマンスだけになっちまった(´・ω・`) 足立はプレーオフの最終戦で先発したのかなあ。うろ覚えだけど。大阪球場で近鉄が2勝し、西宮の第3戦で0ー0で9回表だったか10回表だかに2死からショートのエラーで決勝点。
これが現役最後の登板になった。 >>676
翌年は一度も一軍からお声が掛からなかった。
80年オフに近鉄移籍の記事も出てたけど引退。
もし近鉄移籍が実現していても厳しいどころか、1年で戦力外だったたろう。 >>678
>>676の時点で、既に>>671の状態だったのかも 「マニエルおじさんとフェイスガード」
「もうロッテのガムは噛まないよ」と近鉄のチャーリー・マニエルが怒った表情で話したのは、6月9日のロッテ戦で八木沢荘六から受けた
死球で右下顎を骨折して入院していた西宮の病院での事だった。近鉄は当時、2位阪急に6差の独走中で原動力マニエルの打棒は開幕から
猛威を振るっていた。前期打ちに打っていた中での死球は、内角攻めに苛立ち少々のボール球でも踏み込んで打ちにいっていたのが仇と
なったが、マニエルは「ニシモトの笑顔を見るために打つ。すぐオレは戻って来る」と西本幸雄監督に早期復帰を誓い、病室には自身の
レントゲンと八木沢の写真を貼って闘争心をかき立てた。
マニエルの離脱後3勝6敗2分けと失速したチームを、同時期9勝1敗1分けの阪急が一時は抜いた。だが西本に「マニエルおじさんの遺産を
道楽息子たちが食いつぶした」と言われた門下生が奮起、攻守に大活躍の平野光泰や井本隆、村田辰美らの頑張りで最後の南海3連戦に
2勝1分けで阪急を抜き返して前期優勝を決めた。
マニエルの骨折は全治2ヶ月と診断されていて「プレーオフに出られれば」といった所だったが、死球から19日後の6月28日に退院すると、
後期が始まって1ヶ月ほどした8月4日にアメフト選手顔負けのフェイスガード付きヘルメットを着用して復帰した。その試合ではいきなり代打で
2点適時打、3日後から四番で先発出場して後期も13本塁打を打ったばかりでなくナインに与えた勇気も大きかった。
フェイスガード着用という闘志を見せた大きな理由として西本への強い忠誠心があった。前年まで3年間のヤクルト在籍時に監督の広岡達朗
から厳しく扱われた反動もあったとは思われるが、西本とはとにかく気が合い通訳なしで1時間半話し合う事もあった。西本はプライドを尊重
してきたが、身振り手振りを交えてのコミュニケーションには、マニエルもすっかり感激していて「選手の心を知っている。グラウンドで力を出せる
よう大事に考えてくれるから大リーグでも監督の出来る人だ」と心酔し切っていた。
フェイスガード付きヘルメット着用については、患部を守る事や内角に臆せず打撃に臨む事も理由だったが、米マイナー時代にも顎に死球を
受けていて医師から「三度目の直撃は日常にも影響が出る」と忠告されていた事も理由の一つだった。
球団で用意したフェイスガードだったためサイズが少し大きく、上下して打ちづらくなり後期は少し成績が落ちたもののリーグ優勝に導いて
MVPを獲得したマニエルおじさんは勿論、道楽息子たちにしても西本親父をとにかく勝たせたい一心だった。 (了) 親父が近鉄のハリスに「ヘイ、チューインガム!」と野次ったがまったくウケなかったな >>647
どこか一つのポジションで固定されていればね… >>182
9年前の書き込みにレスするのもアレだが決起集会に来ない話は岡田も言ってたな
その分節制でもしてれば良かったんだが… >>53
開幕直前のTV番組でのシーズン予想で、フランク・オーテンジオが本塁打王候補に上がってたw フェースガード付きヘルメットはNPB発祥であると某スポーツライターが
書いてたが、どうやらデマだったようだ この当時、どの球団も耳当てなしヘルメット着用者が多かったが、近鉄の選手はほとんどが耳当てありだった。 >>687
こんなんで野球のボール防げるのかよと当時でも思った ソフトボールのフェースガードはもう少し位置が高くて目も細かかったぞ >>680
八木沢はワザとぶつけた、説に一票。
理由は、八木沢の出身高校が作新学院だから。
江川の先輩ならやりかねん! 八木沢が13年後ロッテの監督になるって予言してた人いる? 意図的か失投かは本人の自己申告でしかないから何とも言えない
ただ、顔面に当てるのはどっちにしてもダメ
これは投手が悪い
https://i.imgur.com/9KfGbIM.jpg >>694
さすがに、その時点ではいなかったと思う 藤沢公也は、完全にこの年だけだった。
数年前に突然姿をくらまして、消息不明になってしまった。 ああでも、新人年以外も勝ちはついてるな。
1980年の1勝15敗って、、、負け過ぎ >>701
個人で1シーズンに借金14なんて、そうそう無いよね >>704
1リーグ時代は、借金19の投手が2人いるけどね。
藤沢は、たった1勝ってところが切ない。 2リーグ時代だと、大洋の権藤正利が3勝21敗という年があったな 後の時代だと名古屋ドーム元年のチョコ前田が2勝13敗 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています