1979年のプロ野球
そうだったのね
どちらかと言えば、投げること以外は守備も含めて無頓着という印象があった やっぱり才能のカタマリで打ってもよし走ってもよしだったんだが
「手抜き」ってワードがそういうイメージを作ってしまうのかね >>659
プロ間もない頃、ライナーが飛んできて頭抱えたシーンが、よほど印象強かったのかも知れん。 >>660
打つ方は無頓着どころか、かなりのものだったけどね。
シーズン3本塁打を3回やってるし、1983年の打撃成績は素晴らしい。
大学時代から、野手顔負けのバッティングをしていた。 堀内がそうだったけど、エース級の投手は守備もうまい人が多い印象がある
パリーグだと阪急の足立、西武の東尾がうまかったね >>664
そうなの?
下手投げで上手い人って聞いたことないけど
足立とかリアルタイムで見たことことあんの?
「うまかったらしい」ならわかるが、
「うまかったね」とは… >>655
王さん自身は、打撃は散々語り尽くしているから
守備について語りたいようだったね
いつだったかの「球辞苑」を見た限りでは 前年復活したが、西武に代わって出場なく引退した奥宮捕手 >>666
足立は投球フォームがきれいで投げ終わった後の姿勢がよかった
だから、アンダースローだけど打球への対応が早かったんだと思う
上田阪急時代、日本シリーズでよく投げていたから、リアルで見ていたよ
猛抗議で試合が長時間中断した試合も足立が投げていた >>654
セゲヲが守備が上手いようには見えないけどね 長嶋は「守備を上手く見せるのが上手い」んじゃないか? >>672,673
20代半ばまでは抜群の守備範囲を誇る紛れも無い名手だったけど、30を前にして守備範囲がめっきり狭くなり、
只のパフォーマンスだけになっちまった(´・ω・`) 足立はプレーオフの最終戦で先発したのかなあ。うろ覚えだけど。大阪球場で近鉄が2勝し、西宮の第3戦で0ー0で9回表だったか10回表だかに2死からショートのエラーで決勝点。
これが現役最後の登板になった。 >>676
翌年は一度も一軍からお声が掛からなかった。
80年オフに近鉄移籍の記事も出てたけど引退。
もし近鉄移籍が実現していても厳しいどころか、1年で戦力外だったたろう。 >>678
>>676の時点で、既に>>671の状態だったのかも 「マニエルおじさんとフェイスガード」
「もうロッテのガムは噛まないよ」と近鉄のチャーリー・マニエルが怒った表情で話したのは、6月9日のロッテ戦で八木沢荘六から受けた
死球で右下顎を骨折して入院していた西宮の病院での事だった。近鉄は当時、2位阪急に6差の独走中で原動力マニエルの打棒は開幕から
猛威を振るっていた。前期打ちに打っていた中での死球は、内角攻めに苛立ち少々のボール球でも踏み込んで打ちにいっていたのが仇と
なったが、マニエルは「ニシモトの笑顔を見るために打つ。すぐオレは戻って来る」と西本幸雄監督に早期復帰を誓い、病室には自身の
レントゲンと八木沢の写真を貼って闘争心をかき立てた。
マニエルの離脱後3勝6敗2分けと失速したチームを、同時期9勝1敗1分けの阪急が一時は抜いた。だが西本に「マニエルおじさんの遺産を
道楽息子たちが食いつぶした」と言われた門下生が奮起、攻守に大活躍の平野光泰や井本隆、村田辰美らの頑張りで最後の南海3連戦に
2勝1分けで阪急を抜き返して前期優勝を決めた。
マニエルの骨折は全治2ヶ月と診断されていて「プレーオフに出られれば」といった所だったが、死球から19日後の6月28日に退院すると、
後期が始まって1ヶ月ほどした8月4日にアメフト選手顔負けのフェイスガード付きヘルメットを着用して復帰した。その試合ではいきなり代打で
2点適時打、3日後から四番で先発出場して後期も13本塁打を打ったばかりでなくナインに与えた勇気も大きかった。
フェイスガード着用という闘志を見せた大きな理由として西本への強い忠誠心があった。前年まで3年間のヤクルト在籍時に監督の広岡達朗
から厳しく扱われた反動もあったとは思われるが、西本とはとにかく気が合い通訳なしで1時間半話し合う事もあった。西本はプライドを尊重
してきたが、身振り手振りを交えてのコミュニケーションには、マニエルもすっかり感激していて「選手の心を知っている。グラウンドで力を出せる
よう大事に考えてくれるから大リーグでも監督の出来る人だ」と心酔し切っていた。
フェイスガード付きヘルメット着用については、患部を守る事や内角に臆せず打撃に臨む事も理由だったが、米マイナー時代にも顎に死球を
受けていて医師から「三度目の直撃は日常にも影響が出る」と忠告されていた事も理由の一つだった。
球団で用意したフェイスガードだったためサイズが少し大きく、上下して打ちづらくなり後期は少し成績が落ちたもののリーグ優勝に導いて
MVPを獲得したマニエルおじさんは勿論、道楽息子たちにしても西本親父をとにかく勝たせたい一心だった。 (了) 親父が近鉄のハリスに「ヘイ、チューインガム!」と野次ったがまったくウケなかったな >>647
どこか一つのポジションで固定されていればね… >>182
9年前の書き込みにレスするのもアレだが決起集会に来ない話は岡田も言ってたな
その分節制でもしてれば良かったんだが… >>53
開幕直前のTV番組でのシーズン予想で、フランク・オーテンジオが本塁打王候補に上がってたw フェースガード付きヘルメットはNPB発祥であると某スポーツライターが
書いてたが、どうやらデマだったようだ この当時、どの球団も耳当てなしヘルメット着用者が多かったが、近鉄の選手はほとんどが耳当てありだった。 >>687
こんなんで野球のボール防げるのかよと当時でも思った ソフトボールのフェースガードはもう少し位置が高くて目も細かかったぞ >>680
八木沢はワザとぶつけた、説に一票。
理由は、八木沢の出身高校が作新学院だから。
江川の先輩ならやりかねん! 八木沢が13年後ロッテの監督になるって予言してた人いる? 意図的か失投かは本人の自己申告でしかないから何とも言えない
ただ、顔面に当てるのはどっちにしてもダメ
これは投手が悪い
https://i.imgur.com/9KfGbIM.jpg >>694
さすがに、その時点ではいなかったと思う 藤沢公也は、完全にこの年だけだった。
数年前に突然姿をくらまして、消息不明になってしまった。 ああでも、新人年以外も勝ちはついてるな。
1980年の1勝15敗って、、、負け過ぎ >>701
個人で1シーズンに借金14なんて、そうそう無いよね >>704
1リーグ時代は、借金19の投手が2人いるけどね。
藤沢は、たった1勝ってところが切ない。 2リーグ時代だと、大洋の権藤正利が3勝21敗という年があったな 後の時代だと名古屋ドーム元年のチョコ前田が2勝13敗