加藤英司
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>>154
近鉄時代は、阪急晩年で下降し、さらに広島に行ってすっかり狂ってしまった打撃が、帰阪しパ・リーグに戻ったことで再上昇し、昔の良い時
(インコースを左に流し、アウトコースを右に引っ張る)
に戻りつつあった時期
その後、それを見込んだ巨人に持って行かれて、戻りつつあった打撃はまた下降してしまった 個性で活躍した選手で
監督向きでは無いような
阪急黄金時代OBで言えば適性があったのは山田くらい
他だと強いて言えば中沢伸二 加藤が日ハムのコーチ時代に、小笠原らを指導している
小笠原のフルスイングは、加藤英司直伝なんだぜ どちらかと言うとバットコントロールの打者でしぶとくテキサスとかレフトへ犠牲フライとかのイメージが強くて、あのガッツをどう指導したのかイメージが浮かばん。
だが、同じ左打者だしタイミングの取り方だとかは直伝だったのかもしれん。
確かにツボにハマれば振り切って一発だった感じはある >>158
それは追い込まれた後、又は晩年の力が衰えた頃の加藤だな
若い頃の加藤は、それこそスイングスピードが抜群に速かった
まあ、スイングスピードが速いのは加藤に限らずで、青田コーチが就任して以降の、阪急の伝統ではあったのだがね
また加藤が日ハムの打撃コーチ時代に選手を指導したのは、自らがティーバッティングでお手本を見せて選手に説いていくやり方だった
その時加藤は現役を引退してしばらく経っていたが、指導のために見せたお手本のティーバッティングでは、そのスイングスピードが選手の誰よりも速く、皆が驚きの声を上げるのをスポーツニュースで見た事がある 小笠原は加藤の影響を受けたためか、アベレージヒッターでホームランも打てるが、その反面三振も多いな 左で一塁手の加藤は西本御大が自分の打撃理論を叩きこむのに恰好のモデルだったとか。
て、州べーに書いてあった。
青田が右で外野手の長池を作ったのに対抗しようとしたところもあるかもな。 全盛期はそうでもないが晩年は空振り三振が多すぎ
劣化選手スレでも揶揄されてる始末… 加藤は巧打者だと思っていたが2ストライクまでは
想像よりかなり粗かった 早いカウントではフルスイング
追い込まれてからはバットを少し短く持ってコンパクトスイング
野村が「加藤は最初ブンブン振ってくるから、追い込むまではストライク投げなくていい」と
述懐してたな そして、インコース低めの球を流してレフトスタンドへ。
アウトコースの球を引っ張ってライトスタンドへ放り込む。 追い込まれるまではフルスイング。追い込まれたら、軽打に切り替える。今の、柳田をソフトにしたタイプ? >>166
首位打者や打点王、30本塁打をマークした加藤秀に比べたら、現時点の柳田ではまだまだ足元にも及ばない。
まあ、今後の柳田に期待しましょう。 晩年の巨人時代のこの人に握手してもらったのは良い思い出になってる。
当時はパリーグ時代の物凄い実績とか知らなかったからありがたみがわからん子供だったなあ(笑) オイラ横浜出身だけど阪急の赤黒ツートーンの野球帽かぶってた
昭和50年前後のこと OB戦で加藤が阪急最終型ユニを着たら、阪急最後までいたかと勘違いしてしまうな。
山田や福本が阪急最後までいたから余計に。 山田はわざと甘い球投げたのか?
どんなコース球種?
>>123
> 確か山田久志がホームラン打たせてくれて2000本安打到達。山田に一礼してた。 巨人戦の中継か何かで
「先ほど南海の加藤選手が2000本安打達成しました」って映像挿入した速報が流れたの覚えてる 78年の阪急はゴールデングラブ賞が8人。一人蚊帳の外になったが、加藤が3割を打っていたら、9人独占だったかも? この歳にして中日の打撃コーチをやるらしい。巨人の内田コーチと同い年?
現役の時、広島移籍したら肝炎を患い、巨人へは確か家族で東京へ行ったが不振でともに1年限り。パに戻ったら打棒復活
していた。コーチで日本ハムに行った時期もあったが、お体に気を付けて欲しい。 日ハムで小笠原道大を育てた加藤英司
落合GMとの繋がりはその時以来かな 昔広島に来た時に誰か知らない人が水谷の代わりにファーストで3番打者売ってると思った
ライトルの6番付けて水谷と比べ物にならないくらい打たないし守備も別にどうってことないしスタメンからも消えた
あとで阪急で活躍した人と知ったが広島時代はそんな感じが微塵もなかった そうだな、ハムで加藤打撃コーチ・現役落合って時期があったな。97年で辞めたのかな? >>178
キャンプ情報で広島のユニフォームを着た加藤を見た時、あれっと思った。
とにかく似合ってない。高橋直樹もそうだったので嫌な予感がした。
近鉄や南海のユニフォームはそれなりに着こなしてる感じはしたが
巨人の時なんかは、もうコスプレみたいな違和感だった。 そうそう、まるで子供のパジェロみたいだったな(笑) >>181
パジェロ×
パシャマ〇
めんごf^_^; >>181
そう、特にビジターのユニフォームがパジャマ感一杯だったw
交換相手の水谷が、まるで10年前から阪急にいます
って感じで馴染んでいたのとすごい対照的だった。 加藤哲郎氏
「今の球界は、FA(フリーエージェント)やWBC(世界大会)の影響で
チームの垣根を越えて選手が交流する機会が増えた。そうすると
皆、仲良くなってしまって面白くない。実際、乱闘で前面に立つのは
責任者の監督か、外国人選手ばかりでしょ。
僕らの頃は職業意識が強かったから、打たれそうだったら
デッドボールをぶつけたり、89年の私の発言みたいな挑発的行為があって
もっと良い意味でギスギス、ギラギラしていた」
駒田氏
「加藤君の言う通りだ。野球のグラウンドはプロレスのリングと同じ。
乱闘だとか、怒りに任せてバットを折るだとか、人間味があったほうが
面白いに決まっている。今の選手にはもっと尖(とん)がってほしいね。
89年の後に加藤君と再戦していたとしたら、彼は僕にデッドボールを
当ててきたと思う。盛り上がったでしょうね。それくらいでいいんです。』
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160318-00506634-shincho-base&p=2 >>177
セ・リーグに行くと全く活躍出来ないところまで似てしまったな。 ミスター・レールウェイズともいうべき存在やな
準ミスターは加藤伸一と阪本敏三 今季はこれまでにも谷繁監督と加藤コーチが対立するなど、周囲にはピリピリムードが漂っていた。
落合GMから「昔の打ち方を教えてくれないか」と要請を受けて就任した加藤コーチだが、チーム関係者は
「谷繁監督とは年齢も離れているし、考え方にもギャップがあって、ソリが合わなかった」と証言。
別の関係者は「谷繁監督がいなくなって加藤コーチにとっては風通しが良くなったはずなのに…。
選手の間でも、加藤コーチの指導を『言ってることが古いというか、単純というか…』『右から左ですね』
とか言ってる。浮いてしまっている」という。
加藤コーチは試合前にスマホでゲームをしていたり、居眠りも目撃されるなど、首をかしげる関係者も少なくない。
最近は報道陣に対しても取材拒否を貫くなど、孤立状態 現二軍監督の小笠原を育てたのが当時の加藤打撃コーチなんだから言ってることにそんな違いが出るとは思えんのだがなあ 落合がプロ入りした時、当時のパ・リーグで最高の打者だった加藤英司(秀司)。
誰もが憧れ、そして参考にしていた打者だった。 >>188
昔の投手とは攻め方も変わってるから昔の打ち方しか指導できないコーチはいらない。
ずっと現場にいたコーチと違いm加藤の場合ブランクが大きい。
それに遅刻や居眠りはまずいだろ。 打ってる選手が加藤の指導に疑問符つけるなら分かるんだけど
今の中日の場合、揃いも揃って貧打だから正直言葉に困る >>190
ソースは?
そんなエピソード一度も話聞いたことないが。 >>193
少なくとも掛布は父親に加藤のフォームを真似しろと言ってたというのを読んだことがある。
あと、松永もプロ入りしてから左は加藤をお手本にしてたとか。 ひょっとして落合が加藤に憧れていた、と解釈したんじゃないの ロッテ入団当初、先輩の土肥を参考にしたというのは有名だが、敵チームながら加藤の打撃も取り入れている
無死、一死ランナー三塁で簡単に外野フライを打つから 加藤を初めて見た時、思っていたより粗い打者だと感じた。
水谷を初めて見た時、思っていたより巧い打者だと感じた。 >>194
掛布はルーティーンの後の腰の落とし方を真似したの? そういえば「加藤英司」という名前の小惑星があるよね
(小惑星番号10094、1991年2月20日発見) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています