加藤英司
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阪急時代の加藤をリアルタイムで見ていた人なんていないだろ。
例えば>>2なんかも、ず〜と後年に記録などを見て知ったんだろうな。 5年ほど前に兵庫県内のパチンコ店で5回ぐらい目撃した 鈴木啓示が300勝達成した試合最後の打者は、当時近鉄加藤秀司ファーストフライだった。
プロ野球ニュース試合解説は350勝の米田哲也。後輩の300勝投手誕生凄く嬉しそうだった。
しかし投手鈴木啓示ファースト加藤、解説米田は超豪華ですね。
>>7
一行目の日本語がおかしい。
私はその状況を良く覚えているので、何を言っているのかは分かりますが。 >>3
阪急時代の加藤英司のプレー、しっかりと球場で見てまっせ。
スポーツ板に限らず、2ちゃん懐古系スレの年齢層は思ってる以上に
高いんだよ。いまや50代の書き込みだって珍しくない。 近鉄の攻撃最終打者が加藤で鈴木がその次に相手抑えて300勝達成?
それとも加藤のサヨナラ打?
西宮球場でロッテファンからよく野次られてたな。
>打てば三振
守れりゃエラー
アホーアホーアホの加藤♪ >>3
思い込みだけでうっかりそんなことを書いて
おっさん住人はショックを受けてるぞw >>15
現実にこのスレで今まで阪急時代の加藤に付いて触れられていませんが。
自称見てましたはいるけどさ。 >>1
前スレは総レス数 107
実績のある大物なのに書き込みが少ないw
阪急V戦士の中では長池、福本、山田らに比べると
イマイチ知名度というか影が薄いのかねえ >>16
阪急の加藤は在籍最後の2年間くらいは辛うじて覚えてるよ。
でも正直言ってあんまり印象に残ってないな。
>>17
広島や巨人でも活躍してれば少しは違ったんだろうけど。 >>17
>前スレは総レス数 107
今回もすぐに消えそうだなw
話題にするエピソードが少ないのか。
阪急系スレの古顔住人は何やってんだ。
記憶が曖昧だけど、75年頃?ヒゲ生やしていた時なかったっけ? ヒゲは阪急が4連覇目の78年じゃなかったっけ?
この年はチームは4連覇だったけど、加藤本人は不振の年だった。 >>23
昔の「あぶさん」でヒゲ時代の加藤が出てたような 阪急には「加藤英治」ってのもいて、まぎらわしかったな。 影が薄いって・・・そんなことないでしょ
二冠王の頃は、パリーグで一番すごかった左打者だよ 加藤の2冠王の年も監督が上田だったら5連覇だったろうな。 >>26-27
三冠王の可能性もあった。
マニエルが死球で休んでいる間にホームラン部門でも追い上げて終盤一時並んだんじゃないかな。
当時の
3番加藤
4番長池
は脅威だったな
よく打順組むときに「3番最強論」が出るけど
その話が出ると、「最強の3番=加藤」を思い出すよ
加藤英や鈴木啓示なんかの解説聞いてると
精神論しか言えない川藤の解説がいかにクソなのかがヨク解る。
因みに、当時下品でガラの悪さで定評のあった
大阪球場の南海ファンの野次に切れて
バッターボックスから睨み返してたのが加藤英で
スタンド付近迄、歩み寄って怒鳴り返してたのが近鉄平野。
逆に何を言われても薄笑いを浮かべて怒りを表に出さなかったのが南海門田とロッテ落合。 川藤なんて阪神ブランドで解説者をやってられるだけだから。 広島では肝炎かなんかであんまり試合に出てなかったよね。 西本監督時は攻撃時のサインが覚えられなかったという
なのでフリーで打たせていた 病気で後半欠場した広島では2割7分台で15本塁打ってとこだったかな
>>26
パのファン以外には意外に知名度は低かったんだよ。
実績はあるのにくやしかったな。 日本シリーズではどうだった?
あんまり活躍した印象がないんだけど。 プレーオフも含めて短期決戦に弱かった印象があるね。
79年のキャリアハイのときの近鉄とのプレーオフでも確かあまり打ってないよ。 不動の三番打者だったのにトレードされたのはフロントから何か不興を買ってたのか?
一時福本との仲がこじれたとかいう記事は目にしたけど >>36
>パのファン以外には意外に知名度は低かったんだよ。
あの時代は加藤に限らずパの他球団の主力も一般層での
知名度は低かったよ(福本の知名度は特別)
80年代はパリーグの注目度もだいぶ上がっていったけどその頃加藤はもう下り坂だった。 阪急は地元の盛り上がりが無さ過ぎた極めて特殊なチームだからしょうがない。
しかも優勝を続けても一向に客が増えないし、マスコミの露出も増えなかったからな。 >>41
有藤なんかはパリーグの打者にしては知名度あった気がするけど。 78年が散々な成績で79年、確かこの年に改名、選手名鑑に「俺がいなけりゃダメだってことを証明してやる」ってコメントが出てた。
そしたらあわや三冠王の大活躍。 最初は強振、追い込まれるとミートに徹するのが極端だった >>47
そのとおり。
66年のセンバツに揃って出場し、ドラフトでともに指名されたな(秀司は入団拒否)。 >>44
カネやん1次政権時代の主軸打者で全盛期だったからな
あの時代のロッテはカネやんのお陰で知名度はそこそこあったしw 昔、別スレで書いたもんだけど、
2000本安打を達成したのが1987年
その年の開幕時点での通算安打数が、ちょうど1987本 これほど見た目と能力のギャップが大きかった選手もいないな。
短足・がに股でランニングフォームは若い頃からまさにオッサン。打撃フォームはスマートさのかけらもなく、何せ失礼ながら顔立ちがそもそも…w
ところが実際のプレーぶりには目を見張ることばかりだったな。 弟子の小笠原そっくりだよな
高卒社会人
上田監督
3割30本デフォの左打ち
打点王本塁打首位打者ばらけて取ってる
守備がうまいのか下手なのか微妙
2000本境に人生激変
意外とシーズン20盗塁してる 山田、福本、加藤、簑田とかいるのに観客が少ないだなんて関西には野球好きが
少ないという証明だわな。
関西人は阪神は好きだけど野球はそんなに好きじゃないという事なんでしょう。 2ストライクを取られるまではひたすらフルスイングでHR狙い
追い込まれたら3塁頭上越えの単打狙いに替える
わかりやすい打者だった 客観的な記録からも、PL学園OBでは"最巧"の打者でいいだろう。 同意
新井、立浪も技術的には大差ないレベルだが、やはりインパクトからも加藤が上。 何が理由で阪急から放出されたの?
曲がりなりにも3番打者だったのに ブーマーを採ったからじゃないかな。82年オフは阪急と広島がベテラン一掃して大幅な若返りを図った。その一つが加藤英−水谷のトレードだったが。 >>8
79年に改名
理由は前年に椎間板ヘルニアで打率が急降下(3割常連が.255)したので
心機一転のため、とのこと 81年頃までは、谷沢、若松、門田等よりも
格上の存在だった。 成績の割りに評価が低過ぎるけど
テレビでのみ見ている人は高評価
実際に見た人は警戒度や迫力が無く低評価? >実際に見た人は警戒度や迫力が無く低評価?
晩年の姿はしょぼかったという意味かな? 巨人に移籍した頃の
晩年の悲惨さといったらなかった
140キロ台の球を投げられたら
バットにかすりもしなかったもんな 通算犠飛が歴代2位(1位はノム)
恵まれた1,2番(福本、大熊・簑田・住友)のおかげってあるね 阪急黄金時代は
福本が出塁→盗塁→蓑田がランナーを進める→加藤英で確実に返す
というパターンがはまったいたからな 巨人にいたから顔結構知られてるよな。有田もそうだけど。 巨人ではあんまり試合に出てないし。
むしろ阪急で何度も日本シリーズ出て
巨人と対戦したからだろ。 http://www.youtube.com/watch?v=gRrQRLU2hSE (0:33あたりから)
津田の動画で偶然に見つけた
巨人時代の応援歌の生演奏
晩年の加藤英に見られた
140キロの球には必ず空振りのシーンもw 広島で駄目だったけれど、近鉄に移って少し盛り返したんだよな。
近鉄で終えられたら、通算打率をそれほど落とさずに
2000本安打達成できたんじゃないかな。
近鉄、巨人、南海移籍の時は全部金銭トレードだったかな。 やっぱり最低45歳以上じゃないと打率3割打っていた頃の加藤は知らないんだろうな。 現役最後の南海のシーズン序盤は門田とDH併用だったな。 意外に足が早いんだよね。
確かシーズン25盗塁ぐらいしてたと思う。 >>83
あんたそれリアルタイムで見ていた印象?
それとも記録を見て言ってんの? >>78
その頃の加藤くらいのベテランが代打でいきなり速球派投手と対戦するのは酷だって。 2000本安打は山田久志からホームラン打ったんだよね。 PL学園OBだと知って最初は関西あたりの出身かと思ったけど中学校まで静岡県
の海に面した田舎に住んでたんだという事を後になって知った 静波11丁目出身。
川崎小学校、榛原中学、榛原高校。
現:牧之原市。田舎、は余分だ キャプテン→プレイボールの墨谷二中→墨谷高校の
加藤のモデル
左打ちの一塁手で同じ顔。 初めて見に行ったプロ野球でHR打ったな、神宮球場だった。 セリーグでは全くだめだった人
広島巨人では1年でお払い箱にされたが巨人の時はどうしても2000本
打ちたくて西本のコネで南海移籍で達成したがその反動で通算打率3割切った 福本の犠牲フライに頼っていたため
以外と伸びなかった アホ!アホ!アホの加藤!
打てば三振!守ればエラー!
アホ!アホ!アホの加藤!
これって、加藤が打席に立つと野次られてたらしいんだけどホント? 86年にジャイアンツに入団したとき、
中畑が一塁にいるのにどこを守るんだ?とかオープン戦でサンチェがバントをさばいて一塁に剛速球を投げたとき、
なんと捕ることができずにグラフにかすって後逸してしまい、加藤の守備のことよりも
「サンチェ一塁にものすごい剛速球!これは本物だ!」とまで言われてしまっていた。
この年の最後の方で広島と競ったときも、代打ですら全く使ってもらえずベテランの経験を生かす術がなかったのが残念。
もうダメで見切りをつけられていたんだろうな。 加藤→一塁、中畑→三塁、原→二塁、篠塚→遊撃、という構想もあった。
実際にそういう場面もあった。 加藤は成績を見て凄い選手だとおもったが実際に見ると
打撃も守備も粗い選手だった。
投手が福本に気を取られているから打てたのだろう。 >>98
後になって考えればこれは落合獲得への布石だったんだろうな…
87年にも実現しそうだったが星野の横槍で一旦は折れたが… >>96
本当だよ
昔、西宮球場で阪急対ロッテの試合でロッテファンから思いっきり野次られていた 俺は加藤英をいつも首位打者候補No,1
にしていた! >>99
福本だけじゃなく
阪急黄金期前半は不動の四番長池を軸に前後に
燻し銀の阪本大熊ヒゲの森本
後半は簑田島谷マルカーノと対戦相手は気が抜けんw >>79
近鉄を放出されたのはチームで浮いてたから 南海時代。
加藤がDHに入ると門田が久々に守備についてくれた。
その点がちょっと嬉しかったけどね^^ 「打てば三振・守ればエラー・歩く姿はボケの花・アホ!
アホ!アホの加藤」コールが大阪球場だけでなく
パリーグアワーを通じてお茶の間に届く
晩年南海に来たときは複雑な気持ちだった 元々あまり守備がうまくなかった上に近鉄ではずっとDHだったしなぁ。
巨人で中畑の代わりにスタメンに入った時もあったけど
(広島戦で3ランを放った時期だと思う)
守備のあまりのひどさゆえ、代打専門になっちゃったね。 >>108
86年の中畑は自打球禍で前半戦不調だったからな 小中学生向けの野球指導で巨人のユニフォーム着て参加してたのには萎れた 中畑と加藤英ポジション争いとか言ってたけど話にならなかったな。 水谷は僅差試合でのチャンスに強かったが
加藤はチャンスに弱かった。 英じい、新外国人のベタンコートをベンタコートベンタコート言っててワロタw なんか巨人にいた時はおじいちゃんみたいだったな。
今のキムタクや中居より年下とはとても思えない。
有田も凄いおっさんぽかったし。なんでかね? わしが300達成した試合に最後の打者がファーストフライ。。。
ファーストが近鉄に移籍した秀ちゃんだよ
阪急にいた秀ちゃんだよ
不思議な縁だね
晩年秀ちゃんも近鉄で2000安打達成したし‥まさか一緒にやるとは阪急時代思わなかった〜 >>115
2000安打を達成したのは南海でのこと 加藤英司が巨人で成績残せなかったのは
憧れのユニフォーム着たプレッシャーと2000本のプレッシャーに年齢的なものも重なったため 広島と近鉄と南海で成績残せなかったのは
憧れのユニフォーム着たプレッシャーのため 広島時代、加藤が代打に出て
相手チームが左投手にスイッチすると
代打の代打が送られて、加藤がトボトボとベンチを下がる姿は
さすがに物悲しかった (遊)高橋
(右)山崎
(一)加藤
(左)山本
(三)衣笠
(中)長嶋
(二)木下
(捕)達川
これで、打線も守備も左右のバランスも
完璧になるはずだったんだよ
加藤さえ働いていてくれれば・・・ 彼の母校ではあるが、PL学園はサッサと廃校にされるべき! 確か山田久志がホームラン打たせてくれて2000本安打到達。山田に一礼してた。 >>121
セカンドは木下よりアイルランドではないかと もういなかったっけ? 1983年出場試合数
加藤75
アイルランド96
木下114 結果的には阪急のボロ儲けトレードだったが
三人いる右の大砲のうち一人出して、左打者を獲得した広島の意図は間違っていない 水谷は僅差の時よく打っていた
加藤はチャンスに弱かった つくづくあの死球は痛かった・・・
阪急はあのせいで5番打者に苦労してたからね。 前年、あまりに打つもんだから
シーズン途中からブーマーにかわって4番を打っていたもんな 水谷はあの死球が無くその後も怪我故障が無ければ2000安打は無理でも300HR 1000打点は到達してたろうな
打撃術は衣笠よりも上だったし
引退後は山内 中西 長池ら名打撃コーチの系譜に入れてもよい位のコーチになった 水谷実雄はやっぱかっけえわ。
衣笠に替えてベストナインに入れよう。 担架で運ばれるとき「サインと違う…」と呟いたらしいね ブーマーが土屋にぶつけられて
颯爽とマウンドに走って殴りかかったことがあったが
この水谷の件と関連があるのか? 一説によると衣笠派の江夏を放出したので、浩二派の水谷も放出したとか >>136
コースを絞って思い切って振る
スタイルだったらしいが、キャッチャーミットでも見てたんか むしろ、当時
このトレードは、阪急側が感情トレードだと言われた
上田監督と加藤との確執があって
移籍後も加藤は事あるごとに上田批判をくりかえしていたらしい
それでも、ボロ儲けしたのは、阪急の方だけど
まあ、後に二人は和解して
上田のもと加藤がコーチやったりしているけどな >>140
上田との確執と云えば長池が有名で
阪急〜オリの監督候補に挙がらないのは
上田が妨害してた風評もあったがw
加藤は長池と仲が良かったからその辺りの風評を消す意味合いもあっての和解と起用かな 同時期の長池は名打撃コーチとの定評があったが >>141
上田の場合、功をなしたベテランにも非情に徹することができる人だったってだけだろ 山田久志・福本 『上田さんは人の気持ちがわからない人だったよね』 >>134
あの頭部へのデッドボールで、平行感覚を掌る機能に障害が残ってしまったんだよな
それ以降はボールの距離感が掴めなくなったばかりか、常に目が回っているような状態で、吐き気を催す事もしばしばあったとのこと
あれがなければ2000本安打はもちろんのこと、本塁打も350本は達成しただろうに、残念 山田、福本、長池、加藤がオリックスの監督をしないなんて バファローズやブルーウェーブの監督になれないのは至極当然にも思えるが。
でも上田が自分の長期政権を守るために遠ざけたと思われる長池は惜しかったな。
秋山幸二や佐々木誠をモノにした実績もあるしいい指導者になる可能性あったのに。 加藤 長池て
張本 大杉のナンチャッテ版みたい
永淵 土井もな
門田 野村は違うかな
他にも有藤 江藤 山崎 東田 竹之内 藤井
それにしても当時のパリーグはしっかり固定された和製の強打者が多くて面白かった >>140-142
加藤英司と水谷実雄。
ほぼ同年代の二人だが、阪急野手陣の親分格であり、お山の大将になって練習量も減ってきた加藤は下り坂、対する水谷は浩二・衣笠と言うた目標があり、練習も熱心でもまだまだ上り坂だった。
西本幸雄門下で、何かと扱い難い加藤英よりも、若い頃広島で自らが鍛えた水谷の方がいいと判断してもおかしくない。 高校卒業時も含めて合計3回ドラフトにかかってんだな >>149
古葉監督と上田監督は、広島で苦楽を共にした兄弟分みたいなもの
友情トレードだな 巨人時代しか知らないけど近鉄から引退寸前のロートルなんて獲ってどうすんねんと思ってたら、良いバッターで驚いた マジで近鉄時代の印象がない。阪急出たあとは広島-巨人-南海と思ってたよ… >>154
近鉄時代は、阪急晩年で下降し、さらに広島に行ってすっかり狂ってしまった打撃が、帰阪しパ・リーグに戻ったことで再上昇し、昔の良い時
(インコースを左に流し、アウトコースを右に引っ張る)
に戻りつつあった時期
その後、それを見込んだ巨人に持って行かれて、戻りつつあった打撃はまた下降してしまった 個性で活躍した選手で
監督向きでは無いような
阪急黄金時代OBで言えば適性があったのは山田くらい
他だと強いて言えば中沢伸二 加藤が日ハムのコーチ時代に、小笠原らを指導している
小笠原のフルスイングは、加藤英司直伝なんだぜ どちらかと言うとバットコントロールの打者でしぶとくテキサスとかレフトへ犠牲フライとかのイメージが強くて、あのガッツをどう指導したのかイメージが浮かばん。
だが、同じ左打者だしタイミングの取り方だとかは直伝だったのかもしれん。
確かにツボにハマれば振り切って一発だった感じはある >>158
それは追い込まれた後、又は晩年の力が衰えた頃の加藤だな
若い頃の加藤は、それこそスイングスピードが抜群に速かった
まあ、スイングスピードが速いのは加藤に限らずで、青田コーチが就任して以降の、阪急の伝統ではあったのだがね
また加藤が日ハムの打撃コーチ時代に選手を指導したのは、自らがティーバッティングでお手本を見せて選手に説いていくやり方だった
その時加藤は現役を引退してしばらく経っていたが、指導のために見せたお手本のティーバッティングでは、そのスイングスピードが選手の誰よりも速く、皆が驚きの声を上げるのをスポーツニュースで見た事がある 小笠原は加藤の影響を受けたためか、アベレージヒッターでホームランも打てるが、その反面三振も多いな 左で一塁手の加藤は西本御大が自分の打撃理論を叩きこむのに恰好のモデルだったとか。
て、州べーに書いてあった。
青田が右で外野手の長池を作ったのに対抗しようとしたところもあるかもな。 全盛期はそうでもないが晩年は空振り三振が多すぎ
劣化選手スレでも揶揄されてる始末… 加藤は巧打者だと思っていたが2ストライクまでは
想像よりかなり粗かった 早いカウントではフルスイング
追い込まれてからはバットを少し短く持ってコンパクトスイング
野村が「加藤は最初ブンブン振ってくるから、追い込むまではストライク投げなくていい」と
述懐してたな そして、インコース低めの球を流してレフトスタンドへ。
アウトコースの球を引っ張ってライトスタンドへ放り込む。 追い込まれるまではフルスイング。追い込まれたら、軽打に切り替える。今の、柳田をソフトにしたタイプ? >>166
首位打者や打点王、30本塁打をマークした加藤秀に比べたら、現時点の柳田ではまだまだ足元にも及ばない。
まあ、今後の柳田に期待しましょう。 晩年の巨人時代のこの人に握手してもらったのは良い思い出になってる。
当時はパリーグ時代の物凄い実績とか知らなかったからありがたみがわからん子供だったなあ(笑) オイラ横浜出身だけど阪急の赤黒ツートーンの野球帽かぶってた
昭和50年前後のこと OB戦で加藤が阪急最終型ユニを着たら、阪急最後までいたかと勘違いしてしまうな。
山田や福本が阪急最後までいたから余計に。 山田はわざと甘い球投げたのか?
どんなコース球種?
>>123
> 確か山田久志がホームラン打たせてくれて2000本安打到達。山田に一礼してた。 巨人戦の中継か何かで
「先ほど南海の加藤選手が2000本安打達成しました」って映像挿入した速報が流れたの覚えてる 78年の阪急はゴールデングラブ賞が8人。一人蚊帳の外になったが、加藤が3割を打っていたら、9人独占だったかも? この歳にして中日の打撃コーチをやるらしい。巨人の内田コーチと同い年?
現役の時、広島移籍したら肝炎を患い、巨人へは確か家族で東京へ行ったが不振でともに1年限り。パに戻ったら打棒復活
していた。コーチで日本ハムに行った時期もあったが、お体に気を付けて欲しい。 日ハムで小笠原道大を育てた加藤英司
落合GMとの繋がりはその時以来かな 昔広島に来た時に誰か知らない人が水谷の代わりにファーストで3番打者売ってると思った
ライトルの6番付けて水谷と比べ物にならないくらい打たないし守備も別にどうってことないしスタメンからも消えた
あとで阪急で活躍した人と知ったが広島時代はそんな感じが微塵もなかった そうだな、ハムで加藤打撃コーチ・現役落合って時期があったな。97年で辞めたのかな? >>178
キャンプ情報で広島のユニフォームを着た加藤を見た時、あれっと思った。
とにかく似合ってない。高橋直樹もそうだったので嫌な予感がした。
近鉄や南海のユニフォームはそれなりに着こなしてる感じはしたが
巨人の時なんかは、もうコスプレみたいな違和感だった。 そうそう、まるで子供のパジェロみたいだったな(笑) >>181
パジェロ×
パシャマ〇
めんごf^_^; >>181
そう、特にビジターのユニフォームがパジャマ感一杯だったw
交換相手の水谷が、まるで10年前から阪急にいます
って感じで馴染んでいたのとすごい対照的だった。 加藤哲郎氏
「今の球界は、FA(フリーエージェント)やWBC(世界大会)の影響で
チームの垣根を越えて選手が交流する機会が増えた。そうすると
皆、仲良くなってしまって面白くない。実際、乱闘で前面に立つのは
責任者の監督か、外国人選手ばかりでしょ。
僕らの頃は職業意識が強かったから、打たれそうだったら
デッドボールをぶつけたり、89年の私の発言みたいな挑発的行為があって
もっと良い意味でギスギス、ギラギラしていた」
駒田氏
「加藤君の言う通りだ。野球のグラウンドはプロレスのリングと同じ。
乱闘だとか、怒りに任せてバットを折るだとか、人間味があったほうが
面白いに決まっている。今の選手にはもっと尖(とん)がってほしいね。
89年の後に加藤君と再戦していたとしたら、彼は僕にデッドボールを
当ててきたと思う。盛り上がったでしょうね。それくらいでいいんです。』
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160318-00506634-shincho-base&p=2 >>177
セ・リーグに行くと全く活躍出来ないところまで似てしまったな。 ミスター・レールウェイズともいうべき存在やな
準ミスターは加藤伸一と阪本敏三 今季はこれまでにも谷繁監督と加藤コーチが対立するなど、周囲にはピリピリムードが漂っていた。
落合GMから「昔の打ち方を教えてくれないか」と要請を受けて就任した加藤コーチだが、チーム関係者は
「谷繁監督とは年齢も離れているし、考え方にもギャップがあって、ソリが合わなかった」と証言。
別の関係者は「谷繁監督がいなくなって加藤コーチにとっては風通しが良くなったはずなのに…。
選手の間でも、加藤コーチの指導を『言ってることが古いというか、単純というか…』『右から左ですね』
とか言ってる。浮いてしまっている」という。
加藤コーチは試合前にスマホでゲームをしていたり、居眠りも目撃されるなど、首をかしげる関係者も少なくない。
最近は報道陣に対しても取材拒否を貫くなど、孤立状態 現二軍監督の小笠原を育てたのが当時の加藤打撃コーチなんだから言ってることにそんな違いが出るとは思えんのだがなあ 落合がプロ入りした時、当時のパ・リーグで最高の打者だった加藤英司(秀司)。
誰もが憧れ、そして参考にしていた打者だった。 >>188
昔の投手とは攻め方も変わってるから昔の打ち方しか指導できないコーチはいらない。
ずっと現場にいたコーチと違いm加藤の場合ブランクが大きい。
それに遅刻や居眠りはまずいだろ。 打ってる選手が加藤の指導に疑問符つけるなら分かるんだけど
今の中日の場合、揃いも揃って貧打だから正直言葉に困る >>190
ソースは?
そんなエピソード一度も話聞いたことないが。 >>193
少なくとも掛布は父親に加藤のフォームを真似しろと言ってたというのを読んだことがある。
あと、松永もプロ入りしてから左は加藤をお手本にしてたとか。 ひょっとして落合が加藤に憧れていた、と解釈したんじゃないの ロッテ入団当初、先輩の土肥を参考にしたというのは有名だが、敵チームながら加藤の打撃も取り入れている
無死、一死ランナー三塁で簡単に外野フライを打つから 加藤を初めて見た時、思っていたより粗い打者だと感じた。
水谷を初めて見た時、思っていたより巧い打者だと感じた。 >>194
掛布はルーティーンの後の腰の落とし方を真似したの? そういえば「加藤英司」という名前の小惑星があるよね
(小惑星番号10094、1991年2月20日発見) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています