大きな成功としては、1997年頃、カザフスタンとのスポンジチタン取引が挙げられます。欧米市況でスポンジチタンの価格が一気に暴騰し、この波は必ず日本にも及ぶと判断。社長にも副社長にも許可を取らずに、一発で75億円もの商売を決めたのです。
それまで一度に買っていたスポンジチタンは1000トン程度、6億円ほどの商売でしたから、これは通常の10倍の取引。結果、私が予測したとおり市況は跳ね上がり、会社に7、8億円の利益をたったひとりでもたらすことができたのです。
ある役員からはかなりの顰蹙を買いましたが、社長は「合理的な判断である。やり方がやんちゃだっただけ」と擁護してくれました。
 もちろん、成功だけではなく大失敗した経験もたくさんあります。大阪の有名な石油商の泉井純一という人物がからみ、三菱石油と三井鉱山の訴訟にまで発展した石油業者間転売事件。
当時の私は石油部の部長を兼務しており、業績の上がらないこの部を何とかしなければと必死になっていたんです。
泉井氏の口利きで蝶理が間に入り、この空売りの仲間入り。あっという間に取引額が7億8000万円まで膨れ上がった頃、ある取引先がいきなり倒産。
6億円は何とか回収できましたが、1億8000万円は不良債権となって丸損です。私は責任を感じて辞表を用意しました。が、何と手形の落ちた2日後に、泉井氏から振り込まれるはずがない1億8000万円が振り込まれたのです。私は彼の男気に助けられたんです
わずか20年前の商社には、そんな切った張ったの商売に勝負をかける山師たちがたくさんいました。前向きな向こう傷は問わない文化があり、
失敗したらその倍を稼げばいいという世界でしたから。命までは取られないと勝負し続ければ度胸もつきます。山師にとっては本当にいい時代だった
。しかし、1990年代に土地バブルがはじけ、2000年初頭にITバブルが崩壊し、商社も儲からなくなってきた。銀行の貸し渋りも始まった。蝶理もご多聞にもれず経営が傾いて、事業の切り売りを決断。当時
、レアメタル部門の年商は170億円で利益も出ていましたが、その分、莫大な資金を必要とするんです。それもあって、レアメタル部門は外に出すと。55歳でリストラ勧告に遭うわけです