商業的にも失敗していったかについても丸谷才一はきちんと書いている。それは「遠慮がちなかたちであっても(左翼、ソ連、中国共産党、北朝鮮)を批判をすると、
一部の(日本共産党、ソ連、中国共産党、北朝鮮シンパの)執筆者および代々木(日本共産党)から文句を言ってくる。それに(岩波が)何か言い訳をする。その繰り返しだったらしい。僕はその過程を全部公開すればよかったと思う。
なぜやらなかったかというと、一つには(情報を公開することで陰湿な形で言論弾圧の圧力をかける左翼の実体が明らかとなることで)
左翼勢力を傷つけると思ったかもしれない。しかし、もっと大きいのはそういうやり方は商業主義であってよろしくない、悪しきジャーナリズムだと(岩波は)
思ったのではないでしょうか」という。これに応じて山崎正和は「かなり長い間、岩波には、(自分たちは正義を売り物にしているのであって)ジャーナリズムだという意識がなかったんじゃないかしら。
ジャーナリズムという言葉の中には、日本語では、誇りと同時に(売る為になら何でも書く下品な職業という)一種の謙虚が存在します。その場合の対語はアカデミーです。
ジャーナリズムの側には、誇りと同時にやや自己卑下、つまり、自分たちの限界をある程度認識している。ところが、岩波は違っていた」と述べている。この部分は私が崇拝する
山本夏彦描く『私の岩波物語』が下した戦後岩波書店の経営方針の欠陥「何よりも、よりも正義を愛し、正義を売り物にしたが故に、岩波書店は傲慢となり、やがて間違いを犯し、商業的にも失敗した」と重なる部分がある。
丸谷才一は浴びせかけるように「(雑誌)『世界』を読んでいて困ることは、愉快な読み物がないってこと。笑とユーモアがない。これは非常におかしいと思うんで、ああいう雑誌を作っている人たちは編集会議でも冗談なんか言わないんだろうな」
と岩波書店の連中を皮肉っている。ついでながら彼ら三人の岩波書店追求の手は「難解難渋晦渋な日本語を垂れ流した
日本語の破壊者岩波書店」にも及び、山崎正和は「岩波文庫でカントの翻訳を読む、天野貞祐の一番古い訳です。あれがすらすら理解出来た方がいらっしゃったら、私は本当に尊敬します。
あれは日本語として読めない。そのときに、もし私は(岩波文庫の)編集者だという人がいたら、その彼は読者の代表だという意識を当然もたねばなりません。そうしたら
、私には分かりません、先生ここを直して下さい、と言ったに違いない。それがジャーナリズムというものですよ。どうも岩波にはそれが欠けていたようで、当然「世界」もそうであったし」。
これにも丸谷才一が応じ「いや難解な文章で無邪気な読者をつるのは、岩波に限らず、日本ジャーナリズムの得意の芸ですよ。たとえば
小林秀雄だって、かなりの部分、分からないもの」と述べている。最後に話は再び左翼・日本共産党の言論弾圧に屈した岩波書店に戻り
「もしも『世界』がソビエト及び代々木との対立を公開して論陣を張っていたら、『世界』のアメリカ批判、自民党批判も説得力を増したろうし、
日本人の思考はそれに刺激されてもっと具体的で、厳密なものとなったろうし、それは評判を呼んで『世界』は商業的にも成功を収めたはずだ」と丸谷才一は締めくくっている