実数は可算無限であることの証明
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整数部が0である実数は次のように数えられるのはないか。 この論理を否定する論理が知りたいです。 よろしくお願いします。 0.0 0.1 0.2 0.3 0.4 0.5 0.6 0.7 0.8 0.9 0.01 0.11 0.21 0.31 0.41 0.51 0.61 0.71 0.81 0.91 0.02 0.12 0.22 … 0.11111.....と0.2222.......がそれぞれ何番目に現れるかどうかは計算できないですよね? 無理やり計算しようと思うと、どちらも無限になるはずですよね どちらも無限桁あるから しかしながら、実際には違う数になっていてほしい 無限は無限でも大きさがあるとでも考えない限り、これは説明できない これはまさに、可算無限と非可算無限の違いとして現れているわけです 有限小数であれば、確かにあなたのいうように数えることは可能です しかし、実数には無限小数がありますからね、難しいです >>3 ご説明、ありがとうございます。 無限は奥深いですね。 しかし、完全には理解していません。 これから無限について考えて行きたいと思っています。 >>4 私は大きな桁から順番に数えられるのかなと思いますが、 3さんの論理を適用すると数えられないという答えになりそうですね。 まだまだ、私の考えは浅そうです。 その前に実数が非加算無限である証明の誤りを指摘しないといけないんじゃないの? >>1 の数え方がその「誤りの指摘」のつもりだったのでは。 まあ>>3-4 で速攻ツッコミ入ってるけど。 >>5 π/10がn番目に出てくるとして、nは何桁の自然数だと思う? >>8 約 log_10 n 桁でしょうか。自信ないです…… たぶん、そういうことを聞いてるんじゃないと思うよ。>>1 の数え方で、π/10がn番目に出てくるなら、π/10はn番目までの有限桁になる。πは無限桁なのにそれでいいのと聞いてるんじゃないの。 ある仮定から出発して矛盾が導かれたらどうするの。背理法とか言うんだっけ。普通、仮定が間違ってたとなる。この場合、任意のn番目に現れないことになる。つまり、π/10は>>1 のリストには現れない。>>1 のリストは整数部0の実数を数え上げてないんじゃないの。 >>3 私は次の式は正しいと考えます。 x < 2x (x→∞) そういう意味では無限に種類はあると考えます。 >>10 nを使ってnの桁数を表す方法を聞きたいんじゃなくて、単にnの桁数を具体的に(例えば10とか100億だとか)自然数で書いてみてってことを言ってる まあ真意としてはだいたい>>11 なんだけど もう一つ質問だけど、nの桁数の一の位は何だと思う? >>14 数学で扱う「無限」の概念には「集合の濃度が無限」の場合と「極限が無限」の場合の2通りの意味があってそれぞれ全く別の概念 極限の無限をx < 2x (x→∞)的な方法で分類すること自体には意味があるけど、可算非可算の概念は濃度に関係した概念だからそれとは無関係 >1のリストが全ての実数を番号付けできているのなら、 π/10もまた>1のリストに出現するはずである。 では、π/10は>1のリストの何番目に出現するのか? ・ π/10は>1のリストの10番目に出現するか?いやいや、10番目は有限小数なので、10番目ではない。 ・ π/10は>1のリストの100番目に出現するか?いやいや、100番目は有限小数なので、100番目ではない。 ・ π/10は>1のリストの1000番目に出現するか?いやいや、1000番目は有限小数なので、1000番目ではない。 ・ π/10は>1のリストの10000番目に出現するか?いやいや、10000番目は有限小数なので、10000番目ではない。 リストのどこを見ても、そこには有限小数が書かれているのみであり、π/10は>1のリストには出現しない。 ゆえに、>1のリストには少なくともπ/10が抜け落ちている。 >>16 nは有限ではないです。それは解ります。 nの1の位は0ではないでしょうか。 >>17 数学の深みを感じます。 >>1 の主張は、2^NをNで数えられるということではないでしょうか。 >>18 自然数の列は無限大に到達することもないと思います。 だから、「数える」ということによって、数の性質を表現するのだと考えています。 >>19 2^Nとは少し違うのかな。考えてみます。 >>22 のアンカーは>>21 が正しいです。細かいですが。 可算の正確な定義がわかっていますか。 単に数えられるでは曖昧だよ。 >>24 可算=数えられる、と考えていました。 お時間がございましたら、簡単に教えていただければと思います。 >>19 nの一の位が0だと思う理由は? 2^NのNって ℕのことか自然数Nのことかどっち? あと「無限に大きい自然数」みたいなものは存在せず、自然数は全て有限であるってことは言っておく >>26 ご指摘、ありがとうございます。 nは0.3141592…ですから、1の位は0だと思いました。 Nは自然数です。 私も自然数は無限に近づくことはあっても到達しないと考えています。 >>27 ごめん間違えてた >>16 で聞いてたのはnの桁数の一の位だった >>27 表現は難しいですね。 「無限に近づく」という表現は、無限は静的であることを意味しそうです。 「限りなく大きくなる」に訂正させて下さい。 >>28 いえいえ、気にしないで下さい。 nの桁数の1の位は、不定でしょうか。 >>30 つまり「桁数」というものが存在しない自然数があると思っているということ? 結論を言ってしまうと>>1 のような方法で自然数であるnは得られないのよ というのもそんなnが存在すればそれはどんな有限の自然数よりも大きいことになってしまう(つまりnが限りなく大きくなってしまう)から >>25 ある集合が可算であるとは、その集合と自然数の集合の部分集合の間に全単射があること。特に可算無限集合とは、その集合と自然数の集合の間に全単射があること。全単射とは上への1対1対応があること。したがって、ある集合が可算無限であるためには、その集合の元を一つ取り出せば、自然数が一つ決まるし、自然数を一つ取り出せば、その集合の元が一つ決まることを満足しないといけない。実数の集合が可算無限なら、実数を一つ取り出せば、自然数が一つ決まるし、自然数を一つ取り出せば、実数が一つ決まることが確認されないといけない。実数の集合がこれを満足しないなら、実数の集合は定義上可算無限とは言えないことになるよ。 >>1 >この論理を否定する論理が知りたいです。 対角線論法 >>19 >自然数の列は無限大に到達することもないと思います。 >だから、「数える」ということによって、数の性質を表現するのだと考えています。 何の返答にもなってない。>>18 では「>1のリストにπ/10は出現しない」と言っているのである。 これに反論したいなら、 「いや、>1のリストにπ/10は出現する。具体的には〇〇番目にπ/10が出現する」 という言い方をしなければならない。 「自然数の列は無限大に到達することもない」 「 「数える」ということによって、数の性質を表現する 」 といった的外れなレスでは、π/10が>1のリストに出現することが全く言えていない。 π/10が>1のリストに出現することを言いたければ、 「>1のリストにπ/10は出現する。具体的には〇〇番目にπ/10が出現する」 というレスの書き方をしなければならない。君はこのような書き方をしていない。 ちなみに、>1のリストにはπ/10は出現しないので、この時点で>1の方針は詰みである。 >>31 ご説明、ありがとうございます。 nは無限ですから、数えても永遠に到達しないと考えています。 そこから先のことは、少し考えさせて下さい。 π-3 は 0.14159265… だから …56295142 番目の実数だ 正確な値はスパコンが計算を終えるのを待ってくれ >>32 御丁寧にありがとうございます。 問題は、実数には冪根や超越数があるのに対して、 自然数にはそのようなものはないということでしょうか。 今後考えて行きたいと思います。 >>33 >>1 のリストの対角線は全て0ですが、適用できますか。 >>34 一理あると思います。 >>35 確かにその通りですね。π/10に関して、勘違いしていました。 >>37 >>>1 のリストの対角線は全て0ですが どゆこと? リストの対角線上の数が0なら1に、0以外なら0に変更してできる新たな無限小数はリストのどこにも無いはずですけど。 すなわち対象の実数すべてをリスト化できたと思ったのが間違いで実際はできていない。 >>38 >>1 のリストは対角線論法で見られるような昇順のリストではないです。 >>36 これは面白いですね。笑いました。 あと、>>37 の>35へのアンカーは>>36 へのアンカーが正しいです。 >>39 昇順だろうと何順だろうと「リストに無い」は成立しますよ? ていうか、無理数の昇順とは??? π-3の昇順で次の無理数って何ですか? >>42 >>1 のリストで対角線を取ってみて下さい。 π-3の順番は無限大ですが、敢えて言えば、∞+1のような表記が許されるならば、 それは0.241592…です。 >>42 通常の順序関係の昇順の無理数の話でしたか。すみません。 それは解らないと思います。そもそも最初の数から解りません。 >>44 いや、昇順の話は置いといて、結局対角線論法の何が不満なんですか? >>46 対角線論法は通常の昇順のリストにしか適用できないだろうということです。 >>47 1.通常の昇順とは? 2.なんで順序が関係するの? >>48 通常の昇順とは通常の順序関係で定義される昇順のことです。 無限の列を考える時に昇順の概念が必要になると思います。 >>49 まあ、そうおっしゃらずに、ご意見を頂ければと思います。 >>50 昇順の概念というより、順序の概念ですね。 実数が非可算無限であることの証明法の一例 ・ 対角線論法を使った有名な証明法 ・ Rの可算部分集合のルベーグ測度は0であり、 閉区間[0,1]のルベーグ測度は1であることを使った証明法 ・ 数直線の上を左右に往復するようにして収束列を取って矛盾を示す証明法 ご覧のとおり、別に対角線論法だけが唯一の手段というわけでもない。 >>51 >2.なんで順序が関係するの? は? リストに並べる順序に関係無く対角線論法は有効だと思うけど、そうじゃないと思う理由は? >>52 2番目と3番目は未知で調べてみましたが、3番目に関しては見つかりませんでした。 もし、お時間がございましたら、3番目について簡単に教えて頂けませんでしょうか? >>53 >>1 のリストの対角線要素は全て0ではありませんか? >>54 ↓この文献の最初のページの Proof(Cantor's first proof of uncountability of R) が該当する証明。 ttps://link.springer.com/content/pdf/bbm%3A978-1-4614-8854-5%2F1.pdf >>55 ありがとうございます! 時間のある時に、読んでみます。 >>54 対角線は0.1000…に見えるけど。 で、0.0111…なる実数はこのリストには無いですね。 なぜなら 小数第一位に着目して一つ目の実数と異なる 小数第二位に着目して二つ目の実数と異なる ・・・ 結局リスト内のどの実数とも一致しない ので。 これで「整数部が0の実数すべてをリストアップした」が偽であると言えませんか? >>49 > 加算無限じゃねえよハゲ > このスレ終わり そのとおりなんだが それで終わりじゃなくて なんでも自由に考えたほうがいい 間違っててもいいんだよ 考えることが大切なんだから >>57 このリストにないものは、自然数においても無限ではありませんか? >>58 親切にありがとうございます。 >>59 コツコツ学問していたらきっと良いことがあると思います。 それに学問自体も楽しいですから。 0.0111…なる実数は>1のリストには出現しない。 そもそも>1のリストには有限小数しか出現してない。 「自然数においても無限」は日本語として意味不明なので回答する価値もなし。 確認だけど ...2951413 のような桁数が無限の自然数は存在しないということは分かってる? >>62 不親切ですみません。 「自然数においても無限」とは「数えられない」というこです。 結局、以前の議論に戻りそうですね。 「数えられない」ということに種類は存在するか。 >>63 そのような形でも、222…という形でも、無限は自然数ではないと考えています。 >>62 >そもそも>1のリストには有限小数しか出現してない。 まあそうなんですが、どっちにしろ対角線論法で否定可能と言いたかった訳です。 >>65 そこの認識は正しそうでよかった 私は現状を把握しきれてないんだけど、あなたは今何を分かっていないの? >>1 の方法が実数が可算無限であることの証明になってないことは分かってる? >>1 のヤバイところは、 「π/10は>1のリストに出現しない」 「0.0111…は>1のリストに出現しない」 といったレスに対して 「π/10は>1のリストに出現する。具体的には〇〇番目に出現する」 「0.0111…は>1のリストに出現する。具体的には〇〇番目に出現する」 という形のレスを返してこないところ。そのかわりに 「自然数の列は無限大に到達することもない」 「 「数える」ということによって、数の性質を表現する 」 「自然数においても無限」 といった意味不明な日本語の羅列を返してくる。 コミュニケーションが全く成立していない。 数学以前に国語の問題。脳味噌バグってるんじゃないの。 >>60 >このリストにないものは、自然数においても無限ではありませんか? 「自然数もすべてリストアップすることはできない」と言いたいのですか? 自然数で付番された無限行リストという前提じゃないんですか? その前提なら自然数すべてをリストアップできますよ?第n行目にnを入れればいいだけ。 >>66 対角線論法では否定されないように私は考えています。 しかし、>>52 さんの挙げられたどれかで、 実数の非加算性は証明されると予想はしています。 >>67 まだ、52さんの挙げられた文献を読んではいませんが、 3さんや32さんなど皆さんの議論のおかげで、説明に穴はあると思っています。 しかし、対角線論法には疑問を感じてはいます。 >>68 解る人には、稚拙な議論だったと思います。 >>70 対角線論法のどこにどう疑問を感じているかを説明して >>70 >対角線論法では否定されないように私は考えています。 >しかし、>>52 さんの挙げられたどれかで、 >実数の非加算性は証明されると予想はしています。 まあ好きにやってちょw 過去にも「自分の考えこそ絶対で他人の言うことに一切耳を貸さない人」を見てきたのでw 対角線論法は間違いだあと叫ぶ人って何がどう間違ってるのかきちんと説明した試しが無いw >>63 >...2951413 >のような桁数が無限の自然数は存在しない 証拠は? >>73 対角線成分は全て0だからです。 >>74 そう思われたのであれば恐縮です。 私は寧ろ数学に詳しい人たちに教えて頂きたいと思っています。 >>75 通常の順序関係の昇順に並んだ実数等、使える場面はあるかと思います。 >>55 読みましたが、理解は難しかったです。 Since the indices j_n are all distinct, we can fix n with j_(n+1) > i. 特に、上記文のdistinctとfixの意味が解らなかったです。 多分、区間を細かく切ると、目的の実数を超えるみたいなことを 言っているのだと思いますが、よく解っていません。 もし、日本語のページをご存知でしたら、ご教授願いたいと思います。 >>77 日本語の解説らしきもの、発見しました。 私以外にニーズがあるかどうかは解りませんが、一応貼っておきます。 http://park20.wakwak.com/ ~ichikawa-clinic/2-Candiminiinterpretation.htm >>77 教えろっていうより自分で考えないとね まずは対角線成分が全て0だとなぜ対角線論法が無効になるのかを自分の言葉で説明してみなさいな >>79 ご尤もだと思います。 仮に2進数だとして、対角線成分である0.111…は数えられないからです。 >>80 「対角線成分である」は「対角線成分を否定する」が正しいです。 >>76 雑に言うと自然数の定義の一部として「数学的帰納法が成り立つこと」が含まれる 数学的帰納法によって任意の自然数は10進法で表したときの桁数が有限であることが証明できる こちらにも参考になりそうなテキストがありました。 まだ途中までしか読んでいませんが、カントールに対して批判的であり、 数学に詳しい方々とは意見を異にするかもしれません。 http://www.zg.em-net.ne.jp/ ~aurues/triage/room1/TortoiseAgainstCantor.pdf >>85 ではその対角線成分がすべて0であることがどう対角線論法への疑問につながるの? >>86 それは既に書きましたが、仮に2進数だとして、 対角線成分の否定である0.111…は数えられないからです。 >>87 つまり0.111...がリストに現れないということ? よくある勘違いですよね 対角線論法は間違っている なぜならば、仮定したこととは矛盾する結論が生じているから、その論法は間違っている 背理法をなにも理解していないのですよ >>1 のリストは次のリストと同じだよ。 1)0.00000... 2)0.10000... 3)0.20000... 4)0.30000... 5)0.40000... 6)0.50000... 7)0.60000... 8)0.70000... 9)0.80000... 10)0.90000... 11)0.01000... 12)0.11000... 14)0.21000... 15)0.31000... ...以下同様。 1)から15)までの対角線に並ぶ数字を取り出して並べると0.00000...になる。対角線論法では、対角線の数字を別の数字に置き換えるよね。例えば、対角線の数字が0なら1にし、0以外なら0に変えるとする。上記のリストの場合、対角線を取り出して並べた数が0.00000...だから、このルールに従うと、小数点以下の0を1に置き換えるから、0.11111...になる。これと1)から15)までの数を比較すると 1)とは小数点以下1桁目が違う。 2)とは小数点以下2桁目が違う。 3)とは小数点以下3桁目が違う。 4)とは小数点以下4桁目が違う。 以下同様に、 15)とは小数点以下15桁目が違う。 nを任意の自然数とすると n)とは小数点以下n桁目が違う。 つまり、対角線を取り出して並べた数をルールにしたがって置き換えた数は、このリストにおける任意の番号nに対応する数とはn桁目が違うことになる。したがって、この置き換えた数は、このリストの中には存在しない。一方、このリストと自然数の集合との間には全単射が存在する。なぜならば、このリストの左端に振った自然数との対応がその全単射になっているから。従って、このリストは可算無限集合。しかし、このリストにない実数(対角線を置き換えた数)が存在するから、このリストは実数の集合の部分集合だよ。従って、このリストから主張できるのは、実数の集合の部分集合の可算性。実数の集合の可算性を主張することはできないよ。 >>88 いえ、その前に、0.00…1なども現れないと思います。 >>91 今0.00...1の話はしてないから置いといて >>87 で言いたかったのは>>88 で間違いない? >>91 リストに現れないということは、数えきれてないということですね 実数は数えられないということがあなたはわかったわけです >>89 >>1 のリストは極めて縦に長いリストになりますよね。 本当に対角線論法は使えますか? >>93 狐につままれたような感覚ですが、確かにそうかもしれません…… >>90 かなり解りやすい説明でした。ありがとうございます。 しかし、0.111…は1ですよね。そこは気になります。 >>94 無限リストの任意の行は自然数で表される 無限小数の任意の位は自然数で表される どちらも自然数で表されるのになぜ使えないの? >>94 もしかして0.1は無限小数ではないという主張? 0.1=0.1000…だから無限小数でもある。 対角線論法が使えそうだという考えが多数派のように思いますし、 私もその考えに傾いていますから、 このスレッドは役目を終えたのかなと思います。 個人的には、カントールの区間縮小法を学びたいかなと思っています。 皆さん、どうもありがとうございました。 キミの主張は「対角線論法は使えない」じゃなくて「使い方が分からない」なんだねw >>97 >>98 確かにその通りだと思います。私の思い違いです。 1が最初に10進数で例をあげておきながら途中で都合よく2進数に話をすり替えているところは滑稽でしかないのだが、 その話に乗っかって元々2進数だった場合で考えたとしても、2桁ずつ元の数列と異なる成分をとって対角線論法を使えば元の数列にない実数を簡単に構成できる 2進数を使えば反論できるという考えはしょせん浅知恵にすぎない 終わったのか 今後数学を独学していくつもりなら「ディープな算数の教科書」や「数学ガール」などの数学読み物を一読することを勧める >>103 2進数にしたのは記述を楽にするためで、特に他意はありませんよ。 >>104 「数学ガール」は立ち読みで読んだことはあります。 ガロア理論とか不完全性定理とか扱う内容は高度ですよね。 本当に数学的に正確なのか少し不信に思い購入はしませんでした。 「ディープな算数の教科書」は知りませんでした。少し調べてみます。 >>105 他意がないなら最初に設定した10進数だけで話を続けるべき 2進数を持ち出した時点で誤魔化しを働かせようとしたと誰もが感じる 自分の不勉強はちゃんと認めて、自分の考えを隠さず、指摘も正直に受け止めて丁寧な回答をする 素晴らしい質問者様ですね どっかのスレに住み着いている安達なんとかさんも見習ってほしいものです >>107 ご批判はしかと受け止めました。なるべく誤解されない記述は大切ですね。 >>108 教えて頂いている立場ですから。 また、名無しさんかもしれませんが、機会があればよろしくお願いします。 >>106 正確性に関して誠実なものを勧めているつもり 「数学ガール」と同じ著者の「プログラマの数学」も勧めとく 「数学ガール」は高度なテーマの割には平易な方だと思う >>111 それは失礼しました。読み物として読めるのは嬉しいですね。 Masaki Koga氏のYouTube動画は私的にお勧めです。 >>113 どちらかと言うと、このスレッドにふわっと訪れた高校生や大学生にお勧めです。 まーたキチガイ馬鹿が喚き散らすスレかよ と思ったらただ不勉強なだけで、素晴らしい人間性を持った>>1 だった…… 実数は可能無限である 証明 ある実数a1をとりだす。この実数と10進法展開で「一桁だけ」ことなる数は可算無限ある。次にその「一桁だけ」ことなる実数a2を取り出すと、この実数と「一桁だけ」ことなる実数も可算個こある。この過程を無限に繰り返すとすべての実数が尽くせ、しかもそこには可算個の過程しか現れない。よって可算個しかない。 定理:オレオレ実数は可算無限濃度を持つ オレオレ実数は、次のような数全体である。 ある自然数nと、10^n未満の整数で10の倍数でないもの mが存在してm/10^nと表される。 証明は>>1 1.0 0.1 21.0 0.12 321.0 0.123 0と1との間の有限小数は自然数と同数あり 0と1との間の実数は有限自然数と無限大超自然数の和と同数ある事になるかな 濃度って言わなきゃ駄目? >>117 その過程では、全ての実数を尽くせないと思うよ。実際、a1の全ての桁で数字が異なる実数が存在する。その実数がこの過程のn番目に現れるとすると、n個の桁が異なるだけだから、全ての桁が異なるという条件に矛盾する。従って、この実数がn番目に現れることはできない。このことから、この過程は全ての実数を尽くすことはできないよ。 単に無知なだけ。 証明の間違いに気づかないのは、無能の証拠。 実数が可算でない照明は対角線論法以外にもいくつかあるし、どれも簡単だ。 ネタニマジレスカコワルイを地で行くバカがいますね(失笑) 3300 学コン・宿題ボイコット実行委員会@gakkon_boycott 9月1日 #拡散希望 #みんなで学コン・宿題をボイコットしよう 雑誌「大学への数学」の誌上で毎月開催されている学力コンテスト(学コン)と宿題は、添削が雑で採点ミスが多く、訂正をお願いしても応じてもらえない悪質なコンテストです。(私も7月号の宿題でその被害に遭いました。)このようなコンテストに参加するのは時間と努力の無駄であり、参加する価値はありません。そこで私は、これ以上の被害者を出さないようにするため、また、出版社に反省と改善を促すために、学コン・宿題のボイコットを呼び掛けることにしました。少しでも多くの方がこの活動にご賛同頂き、このツイートを拡散して頂ければ幸いです。 https://twitter.com/gakkon_boycott/status/1300459618326388737 https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) カントールは実数(無理数)を 3.14159265358979・・・・ とか 2.718281828459045・・・・ とか 無限小数の形で表わした。 1桁進むごとに許容範囲の幅が 1/10 に狭くなっていき、 やがて0に収束する。(縮小区間列と等価) その中には相異なる2数は入り得ない。 それなら 1つは必ず有るのか? それは神のみぞ知ることだった。(どちらにしても矛盾しない。) そこでコーシー[1]は「極限値はある」と仮定して収束判定法を導いた。 カントルやデデキントもこれと同値な命題を見つけて正当化を試みたが、 いずれも循環論法だった。 そこで、その中の一つ(デデキント[2]の切断、カントール[3]の基本列、etc)を公理として認めることにした。 これでコーシーの収束判定法が証明できる。 しかし、神は本当に「ある」とお考えだったのか? この不思議さ、気持ち悪さを、クロネッカーは「人造物」なる語で表わした。 Die ganzen Zahlen hat der liebe Gott gemacht, alles andere ist Menschenwerk. 参考文献 [1] A.L.コーシー:「解析教程」(1821) [2] J.W.R.デデキント:「連続性と無理数」(1872) [3] G.カントール:「集合論の一つの基本的問題について」(1890-91) そんなら 「有理数に近づくときに極限値があり、それ以外は極限値はない。」 と仮定してもいいわけで… すると「無理数」はない。 実数 (= 有理数) は 可算無限である。 自然数の比で表される数のことを無理数と呼べば無理数は可算個になるのと同じ >>1 よく、こういう「証明」かく人いるけど そういう人にとって、1/3は、実数じゃないんだなw えっ?、対角線〇〇みたいな数え方 するのか。普通に考えれば 0以上1未満の実数 ・小数2桁⇒0.00〜0.99∴100個 ・小数3桁⇒0.000〜0.999∴1000個 ・小数4桁⇒0.000〜0.999∴10^4個 ・小数n桁⇒0.000〜0.999∴10^n個 【以下、ワィの妖しげ論法】 ・小数∞桁⇒0.00…〜0.99…∴10^∞個 という訳で、色々考えたら π/10=0.3141592…は、 3141592…番目だろ。 対角線論法っていうのは、ぶっちゃけ 「実数の任意の可算列から、その中にない実数を構成する方法」 だから そんなものがあるんだから、実数が可算じゃないってことさ >>137 > 3141592…番目 円周率の無限小超実数部を標準部に引き上げようと 10^(無限大超自然数) 倍した積もりなんじゃろうが、 円周率は 10^(無限大超自然数) 倍した所で無限大超自然数には成り得んぞ。 超実数体さえ部分体として含む超現実数体の上で 10^(無限大超現自然数) 倍しても無限大超現自然数に成り得ん。 標準部が自然数と成る如何なる無限大の 10 羃 (=10の標準部が自然数と成る如何なる無限大乗 ) も 標準部が自然数と成る無限大には成らん。 再>>137 循環小数からして最終桁なんぞ現れようが無いじゃろ >>130-133 "Real number" が実はあまり reality のないものだ、 というのが面白い。 線が交わるというイメージを論理的に基礎づけしようとしたら実数が出てくる 実在から出発しているのではなくイメージから出発している 〔数の構成的定義〕 (1) その定義は、有限の長さの、意味のはっきり した文または式によって記述される。 (2) その記述に基づいて、その数値を、任意の 精度で有限時間内に算出できる。(時間さえかければ、 誤差をいくらでも小さくできる.) これを個々の数の 構成的定義 という。 (中略) 実数がこのように定義されるべきものと すれば、実数全体の集合 R とは、このように定義しう る個々の実数の総体と考えるべきであろう。しかしそう だとすると−−−実数全体は可算個しかない ということに なるのである。 ここで ある集合が可算個という意味は、次のとおりで ある。 その集合と、自然数全体の集合Nとの間に、一対 一の対応がつけられる。 野崎昭弘:"数はほんとうに「ある」のか” 〜数学者にとっての数とは〜 数学セミナー, 1978年 11月号 数セミ増刊「数の世界」, 日本評論社, p.8-14 (1982) >>143 略してはいけないところを略しているのではないか? >>143 の (中略) これを個々の数の 構成的定義 という。 ここで、我々がどんな実数を持っているか、考えてみ よう。π や e を既知とすれば、+ や √ ̄ などは計算方 法のわかっている数式であるから、 2π, √(π+3e), √{π + √(π + √π)} などはどれも立派な定義式で、どれもひとつの実数をあ らわしている。実数がこのように定義されるべきものと > 実数がこのように定義されるべきものと すれば、実数全体の集合 R とは、このように定義しう る個々の実数の総体と考えるべきであろう。 前提が間違っていたらどんな結論も導けると言うことだな >>143 >実数全体の集合 R とは、 >定義しうる個々の実数の総体 >と考えるべきであろう。 「べき」があやまり 「定義しうる個々の実数の総体 と考えてはいけない」 と脳味噌の中身を書き換えるべし つまり定義できない実数が存在する と知るべし 赤塚不二夫の作品に登場する架空のキャラクター。初出は『もーれつア太郎』。 名前の由来は、黒澤 明の『七人の侍』に登場する村の長老の台詞「やるべし」。 口癖も「べし」。 よくコマの隅におり、その場合はたいてい夜で、「夜は寝るべし」と発言する。 >>129 自然数は神が作り給うた。他のすべての数は人 為的なものである。 クロネッカー 数セミ増刊「100人の数学者」日本評論社 (1989) p.137, p.147 囲い記事 限定算術の研究を見てると自然数も人為的なものだと考えた方が良いと思う。 >>143 (続き) それは次のようにしてわかる。どの実数も、有限の長さ の文または式で記述されるのであるが それらの文字や式に 使われている記号の種類は有限個と考えてよい。 またかぞえやすくするために、たとえば ∞ Σ を Σ(n=1,∞) と n=1 書きかえることにすれば、文や式を「ひとつの記号列」 とみてさしつかえない。ところが、有限個の種類、たと えば 64種類の記号には、そのひとつひとつに異なった番 号をつけることができるから、ひとつの記号列を、ある 64進法による自然数表示とみることができる。このよ うにして 実数 ⇔ 記号列 ⇔ 自然数 という対応づけができる。 残念ながら、これらの対応は一対一ではなく、また洩 れのない対応でもない。しかしひとつの自然数に対応する 記号列は(桁数字0の処置をうまくしておけば)ただひ とつであり、ひとつの記号列によって定義される実数は もしあるとすればただひとつであることがいえる。 >>141 実数全体の集 合Rの中には、その数値を人間業では絶対に求められ ない実数xとか、記号列では名指すことさえできない 実数まで、暗に想定されている。集合Rに一部(多く?) の数学者がどんなに実在感を抱いていようと、それは中 味がガラガラの枠のようなものである。 ID:Clp5hM1J 必死チェッカーをかけたら荒らしだった 言うて今回の2レスは別に荒して無かろうが 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い理念で数学やっては遺憾 ID:TdUgk0Ufは粋蕎 ◆C2UdlLHDRIという頭のおかしい人 >>153 (続き) この議論のどこがまちがっているのだろうか? 実数 全体が可算個でないことは、とうの昔にカントールによ って証明されているではないか? しかし我々の議論に 誤りはない。我々の立場からすれば、カントールの証明 の方に問題がある。 我々は次のように考える。式 x = 0.a1' b2' c3' d4' e5' …… によって、実数 x が構成的に定義できた というところ が誤りなのである。 >>157 論理的に反撃できなきゃ風評中傷で反撃する奴の方が人間性に問題が有るけどな まぁ「実数は非可算無限なのに記号列で表される実数は加算無限個数、表せない実数があるとかいいの?」 って普通の数学科の学生なら誰でも思う疑問だわな ただそれで「おお、オレは現代すうがの矛盾を発言した」などと思わないだけで >>158 (続き) (構成的定義によらずに) 実数xが原理的に確定すると考 えてもよいではないか?−−そのように考えると、カン トールの論法が息を吹きかえし、実数は非可算個 (連続 濃度) あることになる。しかしその場合、実数全体の集 合Rの中には、その数値を人間業では絶対に求められ ない実数まで、暗に想定されている。集合Rに一部(多く?) の数学者がどんなに存在感を抱いていようと、それは中 味がガラガラの枠のようなものである。 (出典) 野崎昭弘:『数はほんとうに「ある」のか』 〜数学者にとっての数とは〜 数学セミナー, 1978年 11月号 数セミ増刊「数の世界」, 日本評論社, p.8-14 (1982) >>151 ピダハンには数の概念がない。 彼らは文法にも入れ子構造を持たない。 自己の体験と自己が会うことができる人間の体験のみをみとめる。 つまり繰り返しを認めない文化に住んでいる。 ガラケー使いにネットリテラシーが低いと言ってた時代から数年 ガラケー使いよりネットリテラシーが低い人間が増えたこと増えたこと ピダハン語 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%80%E3%83%8F%E3%83%B3%E8%AA%9E >>1 貴殿が🌍地球生命体ならスゴイ まっ我が星👾では、証明すら不要だ で、だから、モピロン >>1 論理の否定の論理は、👾星には 存在しない。 でも、でもでももももモモモ、モピロン >>1 論理の肯定の論理は、存在する ソレをココに怪説とする。と、 [0,1)の有限1桁小数は、10個 [0,1)の有限2桁小数は、100個 [0,1)の有限.N桁小数は、10^N個 10^N個もあると多すぎて数えられない でも、そんなときは常用対数だ。 [0,1)の有限Log(N)桁小数は、N個 有限Log(N)桁小数でもNを無限に飛ばせば、無限小数だ。 ∵1〜∞の1/xの積分値は∞らしい スナワチ、無限小数は高々可算無限個 おそらく、実数も、可算無限個 モピロンである。 でもこの話は、🌍地球生命体には 内緒🤭にしてほしい。 内緒にしない理由はなくもないからだ by 👾 其れを言ってしまったらモピロンじゃのうてバカモンじゃ 「俺の常識は世間の常識」って思っちゃうのは発達障害の典型 >>162 (続き) 一方、選択公理などが便利 に使われるようになってから、確実に「ある」といえる 実数の範囲と、多くの数学者が「見えると思っている」 実数の集合Rとも、かけ離れてしまった。そのため解 析学では、我々はしばしば、本来「ない」ものまで含め て語ることになる。それは「ある」ものだけについて 限定して語るよりも、あっさりと述べられることが多い からで、そのために選択公理は、たしかに便利な道具で ある。しかし選択公理は少し強力すぎて、本来「ない」 ものまで生みだしてしまい、そのために理論の美しさが 損なわれることもある。 実数全体の集合Rさえこのこのありさまであるから、R の部分集合の全体 2^R などがいかに茫漠としたものであ るかは、容易に想像される。 >>162 要するに定義可能実数は可算個ということだな 本当は、実数なんて存在しない。ピタゴラスが正しかった >>167 >無限小数は高々可算無限個 アウトw [0,0.999…]の要素である小数を考える このうち ・ある自然数nが存在し、n桁目から先の桁の値が全部0の小数を有限小数 ・任意の自然数nに対して、ある自然数mが存在し、m桁目が0以外となる小数を無限小数 という 有限小数は、自然数と自然な一対一対応がつけられる いっぽう自然数から有限小数∪無限小数への写像に対して 対角線論法により、写像の像の要素でない小数を見つけることができる したがって、自然数から無限小数への一対一対応は存在しない なお、自然数ではなく「10進数」つまり 「いくらでも大きい桁に0でない値を持つ数」 を考えれば、無限小数との一対一対応はつけられる しかし上記の「10進数」は非可算無限である つまり自然数から「10進数」への一対一対応は存在しない ●おわりに >>153 以下は、テューリングの「計算可能な数」の概 念についての私流の解説である。 我々におなじみの数 π, e, C, √2 等々のほ とんどは彼のいう「計算可能な数」であり、私が考える ところの 確実に「ある」といえる実数 はすべて「計算可能」である。 〔問題〕 3次元の空間全体を次のような3つの部分に分割 できるでしょうか? すなわち、その1つはx軸に平行などんな直線 とも高々有限個の共通点しか持たず、2つ目はy軸 に平行などんな直線とも高々有限個の共通点しか 持たず、3つ目はz軸に平行などんな直線とも高々 有限個の共通点しか持たない、というような3つの 部分です。 数セミ増刊「数学の問題」第(3)集, 日本評論社 (1988) ●87 * この問題はカントールの連続体仮説と同等らしい… (W.Sierpinski,1951) >>129 デーデキント 著 「数について −連続性と数の本質−」 岩波文庫(青924-1) (1961/Nov) 河野伊三郎 訳 163p. http://www.iwanami.co.jp/book/b247034.html よりも 遠山 啓 著 「無限と連続」 岩波新書(青版G-3) (1952/May) 194p.814円 http://www.iwanami.co.jp/book/b267428.html の方が読みやすそう… >>129 >>150 同じ無理数でも 整係数多項式の根である「代数的数」と、 解析的に定義された自然対数やe は生まれからして stranger なんだろうな。 ゲルフォント=シュナイダーの定理やベイカーの定理は このことを端的に示しているかも。 >>129 大部の「解析教程」の諸結論を導くためには この収束判定法(コーシー列は収束する)だけを認めれば十分だと。 実数の公理もない時代にそこまで追い詰めたのは コーシーの偉業だった。 と同時に、この収束判定法をどう扱うべきか(公理?) が以後の実数論 (デデキント、カントール) の課題となった。 コーシーの収束判定法を仮定しない解析学も可能だろうけど、 諸定理の大半が潰れるから砂漠みたいになる… クロネッカーもそこまではしてないと。 >>182 e^z「0はいらん」 (ピカール) むむむ、仲わるそう… >>182 解析的に定義された数 というのは ・「切断」や「基本列」を用いて存在が保証された数 ・それを用いて定義された数 かな。これらが超越数になるのか。 (切断公理などを否定すると消える…) (7) こうして自然を数によって尽くそうとするピタゴラスの企ては終わった。 超越数の発見、その範囲において、品種において、代数の無理数よりも 豊富であること、超越数は近代数学の最も基本的な量を含んでいること、 このことは代数学という有力な機関も、有理数の数論のように有限算法 しか扱かわないところに不十分な点がある。 しかし無限算法を正当と認めること、これら不思議なものを 有理数の算法と対等に認めることは、19世紀の厳格主義者にとっては、 ギリシアの厳格主義者にとってと同様に、嫌悪すべきものであった。 そのうち一段と声をあげたのは近代直観主義の父、レオポルト・ クロネッケルである。 彼は紛争の種を無理数の導入にあるとして、数学から無理数を追放 しようとした。 整数の絶対的本性を宣言して、自然数域と直接それに引き直される 有理数域とを 数学を建設するただ一つの地盤であると主張した。 「整数は神様がお作りになったもので、その他は人間わざである」 というのは彼の有名な文句である。 しかし時代は個人にかかわりなく進んだ。 デーデキント 著「数について」岩波文庫(青924-1) ☆☆ (1961) 解説 (河野伊三郎) p.160 たぶんカントールの対角線論法は選択公理を(密輸して)使っていると思うね。 実数の集合は無限集合だが、それが可算であると仮定して 実数のそれぞれに固有の自然数の番号を割り付けて、とやるのだが。 無限集合の場合にそれが可算であるからといって、各要素に対して 自然数の番号を割り付ける操作をいったいどうやって構成するのか は具体的には与えられず、そのような割り付け方が「存在する」 といって先に進んで矛盾をしめしているが、そのような割り付け方の 「存在」が仮定できるところに、選択公理を密輸してはいないだろうか? >>192 それはどちらかというと背理法に対する懐疑ですね たとえば、矛盾を出そうとして自然数と実数の対応表というものを作ることを 考える。1つずつコツコツと新しい実数を対応表に登録していくとする。 (つまり一辺にすべての実数を対応表に登録することまではしない)。 すると、どの段階においても、決して矛盾は起きないのだ。 (有限個の表ができているだけだから当然といえば当然だから)。 そうして、表が有限段階に収まるかぎりは、対角線論法は意味を持たない。 いったいどうやって、無限集合のすべての要素を対応付け作業が できるというのか。それをするのが、絵空事である選択公理だと思う。 数学的帰納法も自然数と対応させた手順になっていて、すべての自然数を 作りあげていく過程を示しているが、有限の段階ではそこまでの自然数 が現れるだけで、それを延々と永久に続けていても常に自然数全体は 得られないでそこまでの自然数が得られる。ただし限りがなく作り出されて いくから、そのようなもの全部を含めた集合というものを考えることに するならば、自然数の集合というものが出来ることになる。 任意にその集合の要素nをとってくれば、0から始めてペアノの公理に 基づいて1ずつ上昇していけば有限回の操作でnにたどり着く。 これは具体的な手順を示しているから選択公理は関係ないのだろう。 私は馬鹿を相手に真面目に答えてしまったようだ 失敗、失敗。 カントールの議論は、まず実数の集合というものがあるということを 暗黙の仮定として開始しているが、もしも実数の集合というものが 実は最初から存在していなければ、論理は空虚になり、証明は崩れる。 よって、まずは実数の集合というものの存在とそれの満たすべき 性質を示す必用があるだろう。 直感的に不加算だとうけど、カントール対角線論法は2^nをnと同列に扱ってるのは腑に落ちない。(「数学の無限」) 自然界は連続体だとしたら連続体仮設も検証しやすいかも。プランク長は最小単位とは限らないし 仮に最小単位としても数学的連続体は考えられるが現実自然界で実在すれば、わかりやすい。 あとカントールは平面幾何でも定理残してたんだな。 選択公理選択公理ってうるせーぞ 対角線論法の少数は選択関数を任意に取って整列してるから選択公理も整列可能定理も要らねーよ 言葉全然足りんかった 可算集合と非加算集合の濃度が違うことの証明 正方行列でもないのに対角線論法を使うのはおかしいと思ったが(数学の無限・カントールを超えて) 2^nや10^nの冪を持ち出すと、陰には超越数たるネイピア数eが隠れているから、代数的数と濃度が同じではない、ということかな。 構成可能な実数は、その構成法を指定する算法と対応して可付番であるから、 そのような構成可能な実数であって0と1の区間にあるものの小数表現を 表にして並べ、その対角線に並んでいる数字とは異なる数字を選んで並べた 小数表現の実数xが表に現れていないと主張するときに、 その実数xは「可付番の実数で0と1の区間にあるものの小数展開を 番号に沿ってならべて対角線に並べて一致しない数字を並べて作る」 という「構成法」で作った数であるから、表に現れているはずなのだが、 それが表に抜けているというのは、どこがおかしいのだろうか? >>205 「可付番の実数で0と1の区間にあるものの小数展開を番号に沿ってならべて対角線に並べて一致しない数字を並べて作る」という「構成法」 それが構成的でないというのが味噌ですね >>206 対角線論法のおかしな点はまさにそこ。 (発散の少ない)2進法で3桁までなら2^3で8個の小数点表示がある。 これに対角線論を導入すると上から3番目までに発言しない小数を導いたにすぎず、 「存在しない」と主張する小数は4〜8番目に存在する。 正方行列なら対角線論法は成立するがn行2^n列長方形行列(nが巨大だとほとんど縦直線) に適用するのはおかしい。 >>207 正方行列とか言い出している時点で馬鹿扱いされる じゃあ、まさかの長方形? あるいは、三角だったりする? 構成可能な実数の集合をR^{*} としてやれば、R^{*}はRの真部分集合であって 可算な集合になる。 R^{*} に対してカントールの対角線論法を適用すると、矛盾が生じる。 なぜならば、対角線論法は、実数が無限に並んだ表に対して、その 小数点以下の対角線上にある数字を並べて「構成した」数xは その表には含まれないという。しかし、一方でその数xは 構成的実数を元にして(小数点以下の数字を並べるという操作で)「構成された」 実数だから、それもまた1つのR^{*}の元であるはずなのに、どういうわけか 可算集合であるR^{*}の要素を並べた表には含まれていない、 ということになるのだ。 どこかなにかがおかしいでは無いか? カントールの対角線論法に対する疑念としての追加。 Rを実数の集合とするとき、Rの部分集合として(0,1)区間のものを とってきて、それが可算であると仮定して, r_1, r_2, r_3, .... と並べる ことができたとする。しかし、各実数r_kを小数展開したとして、 などとさらっと述べているが、どんな実数も小数展開 (小数点以下の任意の桁の数字)を与えることが出来るかどうかは怪しい気がする。 つまり、小数展開を与えれば実数が定まるというのは良いが、 その逆ははたして常に成立するのだろうか? 構成可能な実数に限定すればそのことは真なのだが。 表に出てくる実数r_kのそれぞれについて、小数点以下第k桁目の数字を集めて 実数xの小数表現を作るという作業の際に、r_kの第k桁目の数字を取り出す 方法がなければ、実数xを作れない(構成できない)だろう。 実数xが作れないとなると、対角線論法による背理法の矛盾にまで到達しない ことになる。 たとえば、実数sとして、たとえばその二進展開を sの小数点以下第k桁目がkが素数なら1、合成数なら0というルールで決めれば、 任意の第k桁目が0か1かはまあ原理的には有限の手間で求まる。 しかし、sの第k桁目がゲーデル数がkに対応する命題が真なら1、偽なら0という ルールで決めたときには、そのような実数sの小数点以下第k桁目の数は 確定しているはずだとはいえども、それを求める手段を構成できないので、 sの第k桁目を求められないから、対角線論法を実際に行って 対角線上に並んだ数字と一致しない数字を並べた小数展開の実数aを作る、 と述べているステップが実行不能になるはずだ。 >> 212 実数を無限の長さまで小数展開してから対角線論法に持っていくのが原因なので 小数展開は有限な桁数までしか行わないようにすればいいのです。 例えば 命題) 以下の(1) - (3) を認めれば、実数全体の集合は可算(可付番) な集合ではない。 (1) 実数全体集合には、通常の大小関係が定義される。 (2) 整数は10進展開可能 (3) カントールの区間縮小法は成立する。 補題 任意の実数αと任意の正整数 k に対して、α を小数第 k 位まで表現することができる。 補題の証明は略 命題の証明 実数全体の集合が可算(可付番) な集合と仮定して矛盾を導く。 実数全体の集合が可算なので、α_1, α_2, ... と並べることができる。 b_0 を 0 として、任意の正整数 k に対して、 b_k を以下のように定める。 ・ α_k の小数第 k 桁目の値が 9 と異なっていれば、b_k = 1, 9 と等しいならば b_k = 2とする。 β_k = b_0 . b_1 ・・・ b_k とおき、区間 I_k = [β_k, β_k + 10^k] とおけば、 I_1 ⊃ I_2 ⊃ ・・・ かつ |I_k| -> 0 (k->∞) なので、(3) のカントールの区間縮小法より、 ある実数βがただ一つ決まり、任意のk に対して、β∈ I_k。 βは実数なので、β = α_N となる正整数 N が存在する。 ここでα_N とβの小数第 N 位の値をそれぞれ a_N, b_N とすると、 b_N の定義より a_N と b_N は異なる。 さて、a_0 と b_0, a_1 と b_1, ..., a_N と b_N を比較して、 a_0 = b_0, ..., a_{k-1} = b_{k-1}, a_k != b_k とする。 a_N と b_N は異なるので、必ず k は存在する。 もし、a_k > b_k ならば b_0 . b_1 b_2 ・・・ b_{k-1} b_k <= β < b_0 . b_1 b_2 ・・・ b_{k-1} a_k <= α_N となって、α_N = β に反する。 同様にして b_k > a_k の場合も矛盾となる。 以上のことから、実数全体の集合は可算(可付番) な集合ではない。 >補題 任意の実数αと任意の正整数 k に対して、 >α を小数第 k 位まで表現することができる。 任意の実数として、整数部は0で、小数第k桁目が ゲーデル数kの命題が真なら1、偽なら0である二進展開を持つものを選ぶと、 計算量云々ではなくて、第k桁目を決定できる如何なる「算法」も存在しない。 つまり任意に与えたkに対してそのような実数を小数第k位まで表現することは 構成的には「不可能」なんだよ。カントールの対角論法の証明では、 対角線上の数字を並べて「構成した」実数が表に現れないので矛盾を引き起こす などといっているが、そのような「構成」をすることはできない。 だからおそらく、選択公理を密輸しているのじゃないかと思うのだよ。 >>216 もう一度言う 計算量理論と対角線論法は別物だ 計算の量ではない、計算不能(計算するアルゴリズム=手続が存在しない) といっているのだ。 その「実数」を使えば「実数」+1も計算できないから足し算もできなくなるな >>208 それ以前に「2^n行n列」の間違いだった。 正方行列の、いずれの行にも含まれない行ベクトルは対角線論法で求めることができるが、正方行列じゃないからおかしい。 無論、論理学的に「対角線論法はおかしい」=「実数は可算」となるわけではないが。 あと、視点を変えると2^√2のような演算は代数的に閉じていない(超越数)から「冪」であること自体が不加算かもしれん。 正方形じゃないと、長方形だったりすると、対角線がずれるんだよ >>221 行列といっている時点でおかしい 線形性は仮定されていない 1番目は1じゃない、2番目は2じゃない、…って完全順列を思い出させるな。無論並び替えではないので順列とは違うが、要素がn!個ですら対角線論法はダメダメだ。 0.99999…、2進法の0.1111…は無ということだけど、白玉を0、黒玉を1とすると 全部白玉(0.000…=0)は有で全部黒玉(0.1111…、10進でいう0.9999…)はダメという ことになってしまう。 数直線の1のすぐ左側の数を、超越数0.99999…としてはどうだろうか。1と0.9999…の中間数は当然 存在せず、隙間がないから実数の稠密性が担保できる。 電話は1番、カステラ2番、3時のおやつは文明堂♪ と謡って首に ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる