日本人のキリスト教徒が大嫌いなんだがどうしたらいいか?。
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日本人のキリスト教徒を見ると不愉快な気持ちになります。 >>454 はっきり言っといてやる 俺が関与する問題か? もはや、俺にメリットねえよ 日銀の国債引き受けでガッポリ稼いだんだろ じゃあ、それでどうにかすりゃいいだろ つか ここまでやられて 「それでも日本のためにこの身捧げます」 と言うとでも思ったのか? >>460 憲法改正はもう不可能なのでは? 自民党と憲法改正派がまとめて 国家破綻に巻き込まれて国賊扱いされることになる これは何を意味するかというと 憲法改正という旗印も国賊になるということ 国民感情なんてもんはそんな程度 ●仏教の場合 親鸞「おまいは私の言うことが聞けるか?」 唯円「もちろんです。親鸞聖人のおっしゃることなら、私は何でも行います。」 親鸞「それでは人を千人殺してこい。そうすれば極楽浄土に行けるぞ。」※ 唯円「ちょwww聖人様www。それはいくら何でも無理でございます。」 ※もちろん親鸞は千人殺せば極楽浄土に行けるとは本気で思っていない。 もし唯円が「かしこまりました。これから人を殺してきます」などと言ったら 「ちょwwwおまwww。」と親鸞は言って止めさせるだろう。 ●ユダヤ教・キリスト教の場合 預言者「おまいは私の言うことが聞けるか?」 信者「もちろんです。預言者様のおっしゃることなら、私は何でも行います。」 預言者「それでは人を千人殺してこい。そうすれば天国に行けるぞ。」 信者「かしこまりました。預言者様のおっしゃることならば、一万人でも一億人でも殺してみせます。」 これがユダヤ・キリスト教クオリティwwwww カナン、ギルガ、アモリ、ペリジ、ヒビ、エブス、ミディアン アイ、ヘブロン、ヤルムト、ラキシュ、エグロン、らは、 旧約聖書の神の側に侵略されないために頑張る豊かな地の民族です。 それを征服しようとするのが、旧約聖書の神の側の民族です。 その、抗争の記述なのです。 モーセやヨシュアが率いる軍団が、豊かな地を侵略しようとして侵入してくる、 それを撃退する、ということの繰り返しです。これは宿命的なものであり、 仲良く共存するという状態だったことはありません。 つねに「やるか、やられるか」という関係だったのです。 モーセやヨシュアは軍人であり統治者です。 ですから、戦争と統治の際に「敵」に対しては容赦しません。 真面目な軍人、真面目な政治家たらんとするなら、当然のことです。 戦で敵兵を殺すことに躊躇してはならず、やらなければならない義務です。 そして忠実な家来なら、それに従うのが当然の責務です。 正当化する為に「神」が命令した、と書いたのです。 モーセとその軍隊という過去の例をあげるまでもなく、わたしたちは、つい最近、 天皇と日本軍隊の行動を見たのであり、また麻原彰光とその弟子たちの行動を見たのです。 神の命令を自己の思い込み(良心)より上位に置く思想が存在する限り、 どの時代に生きていようと、この問題は存続するのです。 どんなに自分では殺人は良くないことだと思っていても、信仰者は、 それが神の言葉である聖書に書かれているというだけで、ありとあらゆる方法を考えて なんとかそれを正当化しようとするものです。 なぜ、信仰者は、自分の良心に逆らってまでも殺人を正当化せねばならないのか。 それは、信仰者にとって、善悪の基準が先にあって、その規準に従って 善なる神があるのではなく、むしろ、神が先にあって、その神の命令が 善悪の基準となるからです。したがって、 信仰者にとって、神の殺人命令が 善となるのは論理的必然なのです。 Re: タイトルなし > 昔、学生の頃に通っていた教会では、牧師のしゃべる言葉は全て神の言葉だ、 > 牧師の話しは全部神が話していると思って聞け、みたいな事を教えられていました。 > ですから、牧師の言う通りに従っていれば、絶対に間違いが無い、牧師の言うこと > には全て服従するように、牧師の言葉に逆らうことは神に逆らうことになるとも > 教えられていたのです。 > 当時、割と純粋に信じていた私もさすがに、牧師が話す言葉イコール神の言葉、 > というのはおかしいと感じていました。 私は、物心がつく前からキリスト教の中にいましたから、 教会で聞く話は全て神の言葉だと信じていました。 疑うとか、疑問を持つとか、幼いころはそういう発想が全くなかったのです。 中学生になった頃から、世間とキリスト教との矛盾を感じそうになりましたが、 それはサタンの誘惑だと思っていたので、 キリスト教への疑問は心の中にギュッと押しこめていました。 しかし、さすがに社会人になる頃にはその疑問を押しこめるのも限界になり、 ある時期を境目にあっという間に宗教観が180度変わってしまいました。 初めまして。 難しい事は全然分かりませんが、私は12年前にカトリック教会で洗礼を受けた者です。 実は、何と12年かかって、キリスト教が大嫌いになりました。 教会での差別的仕打ち、イジメ、そしてクソ真面目に聖書の教えを守ろうと必死にがんばって、 ハッキリ言って人生酷い目に会いました。 神父からも「ストレス発散の対象」ばりに冷たくされ、シスターからは「離婚経験者」ということで、ゴミクズのように言われました。 何か「福祉的」な活動にやたら駆り出された挙げ句、「あんたはこれやっててね、私はミサに出てくるから」と、教会の建物の外でミサの間中雑用。 そんな事がしょっちゅうでした。 さらに、散々お世話した「代母さん」が、老人施設に入ってしまったので、お見舞に行こうと思って施設に念のため電話したら、 「教会関係の人だからって、別に来ていいわけじゃありませんけど?」 ・・・他の信者さんは行ってるのに。 しかも、散々お世話したはずの自分が、「余計者」扱い。 馬鹿馬鹿しくて、ついにキレました。 キリスト教関係のもの(ロザリオ、絵、ミニチュアイコンなど)全て段ボールにしまって、今後一切キリスト教には関わりたくありません。 何か愚痴になってしまいました、ごめんなさい。 とにかく腹立つ。教えも、今となっては 「きれいごと言ってんじゃね〜よ、偽善者の集まり!!」 としか思えない。 自伝によると、M.ガンディーは少年時代はキリスト教が嫌いだったそうだ。一部抜粋する。 「私の父にはムスリム(イスラム教徒)やパールシー(拝火教徒)の友人がいて、よく父は彼らの宗教の話に耳を傾けていた。 しかし、私はキリスト教は嫌いだった。何故なら宣教師たちはヒンドゥーの悪口ばかり言っていたからだ。 キリスト教に改宗したヒンドゥーは西洋の服を着て、肉を食べるようになったので、キリスト教とは服を変えさせ、肉を食べさせる宗教なのだと思っていた。 こうして私の幼年期のキリスト教嫌いが出来上がった」 もちろん成人した後はキリスト教のよい点を認めるように なったのだから、さすがマハートマー(偉大なる魂)の尊称に相応しい。 一凡夫の私も子供時代、キリスト教に関しては不快な思い出がある。 小学三年生の頃、校門前で外国人のキリスト教宣教グループが 説教してるのを見かけたので、好奇心から近寄っていった。ちょうど下校時のためか、すでに大 勢の子供たちが集まっていた。外国人たちが掲げていたキリストの 磔刑や復活の絵は大きくて派手なので目を引いた。 彼らが何を説教したのかまるで記憶にない が、最後に言った文句だけは憶えている。 「みんなも地獄に落ちたくないでしょう?キリストを信じない人は地獄に落ちるからね」。 こう言った若い白人女の端正だが厳しい横顔は今でもはっきり思い出せる。 この人たちの言っている事はおかしい、間違っていると、強烈な嫌悪感を覚えたが、 悲しいことに 無知な子供ゆえ理を持って反論など出来るはずもない。とにかく不快でならなかったので、その場を離れるのが関の山だった。 「××を信じないと、地獄に落ちる」は宗教の脅し文句の常套手段なのだが、“マハートマー”の精神など皆無の私は未だにキリスト教の長所をほめる気にはなれない。 キリスト教が世界各国の植民地支配の前段階で宣教されていったのには 理由がある。それはキリスト教会の教えが服従の構造を生み出してくれるからである。 キリスト教は神、キリストへの服従、愛、受容 (または寛容)、忍耐を教える。これら一つ一つは素晴らしい道徳であり、これらを守り生活すればより豊かな人生を歩めるだろう。しかし、これは個人レベルの話しである。 民族とか国家という大きな枠組みでキリスト教の 教えを受け入れてしまったならば、それは悲劇をもたらすことになる。 支配者にとって被支配者はなるべく自分たちに従順であることが望ましい。 その次に望ましいのは不満を持ちながらもそれを爆発させずに反抗しない被支配者である。 キリスト教の教えは被支配者に服従の構造を与えてくれる。 たとえ、自分たちの支配者が自分たちに不利益な行いをしようと、愛と受容と忍耐を教え込まれた被支配者たちは、支配者たちに抵抗することは無い。 それは、抵抗することは教会が教える愛の精神に反するからである。殴られたら殴り返すのではなく、ただ無抵抗に耐えるのが教会が教える愛と受容と忍耐である。 また、この世での不満があっても、キリスト教は御国=天国という次の理想的な世界を教えてくれる。 この世が不条理であっても、死んだ後は何の不満もない理想的な世界が待っている。ならば、この世では不条理を耐え忍ぼう。 生きている限り我慢しよう。その様な精神を生み出してくれる。 キリスト教の教えは御国=天国という来世の餌をぶら下げることで、被支配者の現世での不満を抑え込む構造を持っている。 もう一つ、キリスト教は人間を超えた、神やキリストという存在を教える。 そのような教えを受け入れた信徒たちからすれば、この世で不条理な抑圧を受けても、その様な存在がいつかは自分たちを救ってくれる という淡い期待を持つ。これは心の治療薬であり、多少なりとも不満を和らげる効果がある。 これらの要素が絡まり、キリスト教は被支配者に服従の構造をもたらし、支配者たちにとって都合のよい 「良い被支配者」を作り出してくれるのである。 今、虐げられている自分たちを救ってくれる本当に強い王がいる、やがてその王が 支配者となって、わたしたちの敵を滅ぼしてくれる、という強い願いです。 王=救い主=油を注がれた者=メシア=キリスト、なのです。 なぜ「最強の王者」としての軍神なのか。なぜそのことが特に強調されるのか。 それは、長い間、強大なエジプト王国とメソポタミア(アッシリア王国・バビロニア王国) そして後のローマ帝国など強国に囲まれて、翻弄され続けてきた 弱小民族の立場がそうさせたのだと思われます。 Re: タイトルなし > 思い出したことを追加します。 > > ・(困ったことが起きた時)私は神の試練を受けている。 > ・神にゆだねる。 > ~自分で考え、行動することを放棄する勧めの言葉です。 良いこと言いましたね。 全くもってその通りです。 自分が考えられなくなると、「神に(主に)委ねましょう」などとごまかすのです。クリスチャンの常套句ですね。 震災が起こった時のローマ法王もそうでしたよね。「なぜこのようなこと(震災)が起こったのかわからない、しかし神は日本を愛しておられる」。 キリスト教では、「神」という言葉を出せば何でも正当化されてしまいます。 実に便利な宗教ですね。韓国でクリスチャンが増えた理由がよくわかります。 > ・教会は罪びとの集まり > ~素行の悪いクリスチャンを批判するとかえってくる言葉です。そうならば教会なんてなくてもいいのでないと思いますね。 まさにこれです。 私がネット上でクリスチャンの矛盾を指摘すると、決まってこういう類の言葉が返ってきます。クリスチャンでない人は「罪びと クリスチャンになった人も「罪びと」。 だったら、同じじゃん(笑)。わざわざクリスチャンになるメリットがありません(笑)。 > また思いついたことがあれば書き込むのでよろしくお願いします。 こちらこそ。 虐げられた者、弱き者、救いを必要とする者の神は、強い神であるほど理想的です。 救い主として神は苦しめてきた敵(悪)の力から救う力を 持っていなければならないからです。弱い神では、敵(悪)の神に負けてしまいます。 したがって、強い神をイメージすればするほど、自分たちが救われる確信が 高まります。そのために、神は<最強の王>なのです。 しかし、救ってくれる人類の絶対的支配者としての最強の王たる神は、同時に、 支配する神でもあります。救いの希望のために、無限に拡大してしまった神の力は、 今度は、生を支配する、絶対的支配者にもなってしまうわけです。 自らの無残な状態から解放してもらうために、解放者に多大の権力を預けるとき、 解放者との間の関係は、支配者と奴隷の関係に必然的に陥るのです。助けてくださる 有りがたい教祖様は、信者が従わなければならない支配者に必ず化けるのです。 ∧_∧ ( ´∀`) 神は日本を愛せておられるか?神にナショナリズムとか ( ) どの国が好きとか、そういう嗜好があるというのか。 | | | あんたらは自分で判断できないのか。 (__)_) ローマ法王の言葉を聞いて、これは全然聖書的ではないと… ∧_∧ ( ´∀`) キリスト教(徒)について、イエス(神)は ( ) 聖書中の書き込みで〜…こういっておられる | | | 「あんたらは唇では信仰するが、心は私から遠く離れている」 (__)_) 「…このようにして、人間的教えに置き換え、神の言葉をむなしくしている」 お前らはいいなあ 「やりたくなかった」 「不本意だった」 これさえ言ってれば、何しても許される 免罪符になると勘違いしている これで カネを受け取らなければ まとまる話もまとまらない カネってのは せいぜい、相手を納得させるだけのモノ 死んだ人間生き返らせろ と言って、それが可能か? というと不可能 >>478 「俺ら、神だからよ、何しても許されるんだわ」 と言ってる奴が 「やりたくなかった」 と言って、伝わるとでも思っているのか? ∧_∧ 今の世は「頭が真っ白で…」と ( ´∀`)記者会見でおばはんが横から ( )聞こえるアドバイスをしても | | |許される (__)_) 神は寛容である…?いえ、人間の理性が支離滅裂になっただけですその記者会見は…2008年か?最近も沖縄の議事長辞退を8日くらい繰り返し ながらその分の給与をもらってることが許される社会やで。神は寛容だ。 >>478 要するに甘ったれなんだろ 自分じゃ出来ないことを他人に望む んで、自分等が他人に嫌なことやるときは 「やりたくなかった」 こうやって言ってれば、反省する必要がない まあ、要するにまたやるんだよ こういう奴は んで、ここまでやっといて 「器が小さい」 これ言っとけば大丈夫 圧力かけりゃ許すから、 という甘ったれな考え方 そう動けば こっちはこう動かざるを得ない ゲームであれば、そも程度のことは もう理解していると思っていたが つくづく学習能力がない それでタメ張ってゲームしてるつもりかよ Re: 聖書によると全世界をクリスチャンにするのが目標では? > 桃栗さんお久しぶりです。お元気ですか?そうですねえ。僕が嫁さんに付き合って行ってた教会も クリスチャンは異教徒より優れた人間だ。みたいな感じでしたね。 だから全世界がクリスチャンになったら平和になるとかゆう発想になるんでしょうねー。 僕は逆に世界中がこんな排他的な人達ばっかりになったら戦争ばっかりになる様な気がしますけどね 全くその通りですね。 クリスチャンは、とにかく自分たちが特別な存在だと 思いたがっているのです。 まるで、雲の上から物を言うような人たちです。全人類がそんな人ばかりに なったら余計におかしくなります。 そもそも聖書を読んでみると平和だった時代なんて一度たりともありませんから。 キリスト教が最も反人間中心主義(アンチ・ヒューマニズム)である。 キリスト教は人間が原罪を持つとする。 よって人間が生み出したヒューマニズムに基づく文化や制度とは根本的に衝突する。 それがこの信仰の本質。 その闇が覆った中世から復興させたルネッサンスは、 ただ文芸の復興というものではなく人間性の復興だった。 しかし忘れてはいけない。 キリスト教は人間は生まれながらに罪の中に居ると教える。 そうである限り人間性を否定するのがキリスト教の根源であり、 それを多くの欺瞞的言辞と活動で覆い隠しているだけだ。 神に従わない者は抹殺して信徒だけの神の世界になるのを待望する本質は 何も変わっていない。 現代ではイスラムがやっていることと同じことをキリスト教が再開しても おかしくはない。本質はそうなのだから。 日本人のキリスト教徒は金持ちで特権階級意識があり差別的な人ってイメージがある Re: タイトルなし > ご利益宗教です。 > お試し期間を設けて、自分でやってみればいいんです。 > > 得したら続ければいいんです。 > 損したらやめればいいんです。 > それだけのことですよ。 ところが、キリスト教では人が神から離れることは大きな罪だと教えます。 そして罪を犯す者は神の罰を受けると洗脳されます。 そうして、人を教会から離れられなくさせてしまいます。 私が長い間信仰を捨てられなかったのは、 まさにこの教えが頭の中にあったからでした。 私はその「呪縛」から解放されるまでずいぶんと年月を無駄にしました。 Re: はじめまして。 > はじめまして、城戸崎と申します。 > 僕はキリスト教系の大学に通っているのですが、大学の必修科目だったキリスト教の授業がきっかけで、キリスト教に疑問を抱くようになってしまいました。 コメントありがとうございます。 キリスト教の大学のクリスチャン率がどのぐらいかは知らないのですが、 まさか、全員がクリスチャンではないですよね。むしろ、「普通の人」の割合の方が圧倒的に多いですよね? そんな普通の人がキリスト教の授業を受けたときに、本当に素直にキリスト教を受け入れられるのか興味がありました。 > その教授はどこかの牧師をやっているとかいないとか仰っていたのですが、アブラハムがイサクを捧げる場面の解説で > 「アブラハムはここで神の声を聞いたわけですが、ここで素直に神の声を聞いた、と読んではいけませんよ。本当に聞こえたら、それは頭のおかしい人ですからね」 > と仰ったんですね。 > 「それを言っちゃったら信仰も何も無いのでは…」と思いました。 出ましたね。クリスチャン特有の「言い逃れ」です。聖書の中の都合の良い箇所は、「聖書にこう書いてあるから」と文字通り解釈するのに、都合の悪い箇所は「文字通り解釈してはならない」と言い訳するのです。とにかく、その場その場の都合で聖書の記述を解釈するため、 聖書の解釈に一貫性がないのです。 これがクリスチャンの習性です。 > それ以降、キリスト教について自分なりに調べまくっている中、このブログにたどり着きました。 > 幼い頃からキリスト教に関わってきたわけではありませんが、記事がどれも的確なご指摘であるため、最初から読まていただくことにしました。 的確と言いますか、理論的に考えればそういう疑問が出るはずなのに、クリスチャンはなぜ気付かないのか不思議に思います。 > これからも、どうぞお疲れの出ませんように。 Re: レイプは神の祝福? > こんなニュースが報道されていました。 >http://topics.jp.msn.com/world/general/article.aspx?articleid=1479596 > レイプによる妊娠は「神の祝福」とでも言いたいのでしょうか。ロシアのポグロムでも、ロシア正教徒たちはユダヤ人少女たちを犯しまくったそう(国家権力と教会権力は黙認)ですが、・・・。 > 既に生まれた子供を洗脳して社会不適応者にするだけでなく、不幸な生い立ちの子供を作らせようとする非人道的な思想ですね。 情報提供ありがとうございます。 まったく、キリスト教の「都合の良さ」が分かる典型的な発言ですね。 レイプそのものも「神のご意志」ということでしょうか。 本人は、もしも自分が女性で、男性からレイプされたら、 「これこそ神のご意志です、ハレルヤ!」などと喜べるのでしょうか。 いいえ、絶対違います。 クリスチャンという生き物は、 自分たちに都合の良いことは何でもかんでも「神のご意志」にしてしまいますから、 本当に始末に負えませんね。 キリスト教が世界中に広まったのは、その教えが素晴らしいからではなく、 自分たちを正当化するのに都合が良かったからとしか思えません。 ∧_∧ レイプは神の祝福です ( ´∀`) ちなみに旧約聖書の ( ) モーセの十戒からしてあるように、 | | | 「汝、姦淫すんな」とある、レイプを (__)_) するなということである。これを破るのが、キリスト教である キリストは新約聖書でなんといっとるか。「律法を守りなさい。すなわち、 殺すな、姦淫するな、嘘つくんじゃねえ、父と母を敬え」とも言っている。 これを破るのが、キリスト教である。ではそれはなんなのか。 聖書と我々の間にある、仲介業者に過ぎない。 ∧_∧ は、はい。先生、では ( ´∀`) なぜキリスト教、クリスチャンというのは ( ) 聖書を一応読んでながら、そんなに逆のことを | | | する魔族になるんでしょうか。聖書は悪の根源ですか? (__)_) 「いいえ、聖書を読んで万人が理解し、悔い改めるなら 天国と地獄はいらねっつの、それを読んでも悟らず、それを守らず、 キリストの名をかぶって偽善を行う者どもがいるから、サタンだっつの。 そもそも、キリスト教の教義に問題があると思います。 人間はすべて生まれながらにして罪びとだとか、 信じない者は救われないから地獄に行くとか、 キリスト教は表向きには良いイメージなのに、 言っていることを文字通り解釈するとカルトだと思います。 こんなことを何も知らない子供に吹き込むのはやめてもらいたいです。 大人は経験上善悪の判断ができますが、 人生経験もない純真な子供たちは 「フィルターなしに」何でもかんでも素直に聞き入れるのですから。 新約聖書の結末であるヨハネの黙示録に描写されている神の「御怒り」 <未来のキリスト>の姿は、剣をもって殺して行ったり 火と硫黄の中に突き落として行ったりする軍神「王の王」です。 いくら旧約聖書の神が怒りの神であるとはいえ、これほど陰険な残虐さはありません。 新約聖書は激しい復讐心にかき立てられて書かれた<復讐の書>です。 自分たちの教えに反逆する者は、最終的に殺されて当然、神の目から見て正しい、 とする新約聖書(キリスト教)の教えそのものです。新約聖書の教えに そのまま盲目的に従えば、自分の生き方をキリストの生き方と同一視する者が、 自ら武器をもって、自分の教えを信じない者たちを大量殺人(最終戦争)で 処理しようとしても、なんの不思議もありません。 神の命令(聖書に書いてある)なら、神の命令である(聖書に書いてある) という理由で、たとえ人殺しのような命令でも、それを正しいこととして 認めるかいなか、というところにあります。 もしあなたがモーセの指導する古代イスラエルの民の一人であったなら、 聖書が述べているように、殺人行動に参加するのは神の目から見て正しかった、と 考えておられるのかどうかという問題なのです。 アンチジャパニーズクリスチャン 私も長らく鬱病に悩まされた時、プロテスタントの教会に足を運んだことがあります。 「彼らはなぜ純粋に神に祈ることができるのだろうか?」 もしかしたら自分の鬱打開になるかと思い、クリスチャンの友人の薦めに従ったのですが、どうも「自分の方が聖書を正しく解釈している」アピールが何かと鬱陶しい。 教会でも、キリスト教の歴史について勉強していると、 「そういうのを勉強すると、自分の信仰に疑いを抱いてしまうからやめた方がいい」 なるほど、自分にとって都合の悪いことから目を背ければ都合のいいことしか見えず、純粋に祈りを捧げられるようになるわけだ。 その後、そのクリスチャンの友人の独善的な面が見え始め、 「(私の身内の不幸に対して)それも神の定めた運命だ」 「(私を自殺寸前まで追い込んだことについて)これも神の愛だ!」 私がクリスチャンに対して懐疑的になったきっかけでした。 恨み言つらつら書いてしまいましたが… さて、人類全体がクリスチャンになったらですが…何も変わらないでしょう。 現在日本ではクリスチャンが少数派だから、 「人類全体がクリスチャンだったら」 なんて妄想するのでしょうけど、仮にクリスチャンが多数派になったとして、別な階級制度ができるのがオチです。 それとも、年季の入ったクリスチャンが、 「俺の聖書解釈が正しい!」 というヒエラルキーが生まれるのでしょうか。 それこそ先のてふさんが指摘されたことまんまのことが起こるでしょう。 【注目銘柄】(株)スタートトゥデイ[3092] 株価情報(ZOZOTOWN,WEAR) 【優良企業】 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/stockb/1538724763/ 前澤友作 「お客さまを神様だと思ったことは一度もないです」 身長 162.1cm http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20120424/231350/ph001.jpg https://i.ytimg.com/vi/owUEcOcQuZ8/maxresdefault.jpg WEGO/メタリカプリントキャミソール |METALLICA(メタリカ) - ZOZOTOWN http://zozo.jp/shop/wego/goods-sale/21307041/?did=40731067 【日本語訳】 Metallica - Creeping Death - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=2Lugb9XfRkA#t=4m20s 旧約聖書『出エジプト記』でモーゼが 奴隷として 使役されていた ヘブライ人を救うため、 ヘブライ人を連れてエジプトを脱出しようとしますが、エジプトの王であるファラオが追っ手を出します。葦の海で水が割れてヘブライ人が通った後、ファラオの軍勢が通ると元に戻るシーンは有名ですね。この曲中ではエジプトを出ようとしたモーゼを助けるために 神が 疫病を エジプトに送った ところが描かれています。 【メタリカのドラマー、バスキアの絵を手放す。】ロイター(2008年10/10) http://metallica.livedoor.biz/archives/51093314.html バスキア https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1495169300/ 19 虚構に値段をつけて、金を呼び込み、 胴元がもうけて、売り抜けたやつが設けて、 最後にババを引いたやつが、全額失う。 >>1 >>2 >>3 https://www.youtube.com/watch?v=2Lugb9XfRkA ↓ https://www.youtube.com/watch?v=2Lugb9XfRkA#t=4m20s メタリカ「Napsterを叩き潰したことを誇りに思ってるよ」 Re: タイトルなし > お久しぶりです。キリスト教を否定するのに聖書の記述を根拠にあげるのは少しおかしいと思います。 記事の内容を良くお読み下さい。 「キリスト教の世界では聖書に書かれているのは全て実話ということになっているので、ここでもそれを前提として話を進めます。 」 > 創世記の記述と言いますか、旧約の記述がすべて事実なんて思ってる人はクリスチャンでも少ないですよ。 なぜクリスチャンは人によっていうことが違い、しかも自分の解釈が正しいと思っているのでしょうか。 本当に不思議です。 私は幼いころから聖書に書いていることはすべて実話で、 科学者たちが言っていることは間違いだと教わりました。 そんな ことを言うと、こんな反論をするクリスチャンが決まって現れます。 「今どきそんな風に教える教会はない」とか 「そんな風に教えるのは○○派だけ」とか、 とにかく自分と 違う宗派や教派を否定するクリスチャンのなんと多いこと多いこと。 > 私は進化論を学校で習いましたし。 全人類がクリスチャンになったら平和になるかと言われれば、そんなことはないと思います。全人類がイエスを体現できれば平和になるかもしれませんが。 クリスチャンだって皆、弱い人間ですから日々反省です。 それでもイエスの様な生き方をしようと つとめるのですから…多少は平和になるんじゃないですかねー。 ですから、創世記の記述が事実だという前提なら、 全員がクリスチャンになっても平和になることは絶対にありません。 > キリスト教はたしかに大勢の人を殺してきました。だからキリスト教はダメだ、っていうんじゃなくて、そんな過去の過ちも受け入れて反省することが大事だと思います。 そして同じ過ちを犯さないようにしようと頑張っていくことが大事で、今のキリスト教はそのために日々頑張っていますよ。 いえ、キリスト教はダメです。 世界の治安にどう貢献したのでしょうか。 どういうわけかキリスト教圏に限って治安が悪く、 例えば中南米は クリスチャンが多いのにどこも著しく治安の悪い国ばかり。 アメリカでも銃撃事件が日常茶飯事ですよね。 日本に原爆を落としたことを絶対に謝罪しないくせに、 慰安婦の捏造話を信じて韓国の味方をして日本に謝罪しろと言ってくる。 ヨーロッパは 今や難民が大勢押し寄せ治安が著しく悪くなっています。 私がクリスチャン時代だった時にも 難民のための募金活動がよく行われていましたが、 あんな奴らのために募金していたのかと思うと腹が立ちます。 キリスト教があちらの社会にどう貢献しているのでしょうか。 むしろクリスチャン人口の極端に少ない日本の方が治安が良いです。 > なんせカインとアベルの話かを引き合いに出すのはちょっと暴論だと思います。それに50%じゃなくて25%ですよね。 アダムとエバの時代なら犯罪率100%ですよね。 Re: ちょっと考えてみた > >これは自分自身の願望や意見を、神の名を使って正当化しているだけではないですか。 > > そんな韓国人的思考性の人ももちろんいるけど、ほとんどの 信者は無意識に自分自身の正義を他人に強要していると思う。神の名を使ってやり込めると言うより、キリスト教のシステムに取り込まれたが故の思考がそう言わせてるんじゃないかな? > 逆に信仰心があっても 桃栗さんのように罪の意識に囚われる人たち、受け身の人たちの場合は神の名を使って他人に正義を強要しない傾向なのかもしれない。キリスト教でいう羊たち。悪い言い方だけど、羊は羊であって人でない。人でないから神にはならないのかも。 人が神に似て創られたとあるけど、形は人でも心が羊だと神の名を使わない気がする。 > > 神の名を使って正当化する人は、伝播する側、リーダー気質な人が多い気がする。こっちは羊飼いだし、人だから神と同化しやすい。 自分が話したことを神が自分に言わせてると思う人達。多分、羊から羊飼いに脱皮した人が多いんだろうけど。 > > 神の名を使って正当化した最初の人は、キリスト教に限ればイエスが最初なのかな? ま、イエスは神の子で特別だとしたら、やっぱりパウロが最初の人になるのかな。 間違いなくパウロでしょう。 イエスは、律法学者やパリサイ人のように信仰を押し付ける人を批判しましたから。 パウロなしでは現在の キリスト教は成立しません。 どういわけか、キリスト教の教義の多くがパウロの書簡から 採られていますから。 キリスト教ではなくパウロ教と呼ぶべきでしょう。 キリスト教は、霊感商法です。 疲れた者、重荷を背負う者はだれでもわたし(イエス)のもとに来なさい。 休ませてあげよう。(マタイ11章28節) 教会へ行くと、その疲れや重荷の原因がアダムとエバの原罪にあると教えられます。 重荷が降りるどころか、「罪の意識」という余計な重荷を背負う羽目になります。 こうして私たちがみな「罪びと」だという思想をわざわざ植え付けた上で、 「でも、キリストを信じれば罪から救われて永遠の命を与えられる」と説くのです。 キリスト教に出会いさえしなければ知りうることがない「原罪」の思想を植え付け、 「私たちは罪びとだから、このままでは地獄に落ちる。でも、キリストを信じれば 救われる」と、もっともらしく説くわけです。これは、霊感商法と同じです。 「あなたは呪われている、でも、この壷を買うと幸せになれる」と言うようなものです。 こうして、知らず知らずのうちに懺悔や献金という習慣を守らされる羽目になります。 このようなわけで、一人の人(アダム)によって罪が世に入り、 罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。 すべての人が罪を犯したからです。(ローマの信徒への手紙 5:12) 罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの 主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。(ローマ信徒への手紙6の23) 死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。 つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによって すべての人が生かされることになるのです。(コリントの信徒への手紙一 15の22) こうして、潜在意識の中に罪だの死だの罰だの暗い思想を植え付け、 その上で救いを説いているのです。 しかも、アダムとエバの原罪や、救いとは、実はイエス本人ではなく パウロの教えだったのです。パウロは、イエス死後、25年ほどあとに、 [ローマ信徒へ]や[コリント信徒へ]を書いたのです。 結局、アダム(とエバ)が犯した罪によって私たちに「死」が 入ったとか、信じれば永遠の命が与えられるなどと言う教えは、 パウロが作り上げた教えだったのです。 これを教会では「イエス様のありがたい教え」であるかのように説明しているのです。 こうして、永遠の命を得るために毎週日曜の礼拝に出席し、 懺悔や献金をする生活を守らされることになります。 これがいわゆるマインドコントロールです。 ∧_∧ ( ´∀`) まぁ、罪の意識・思い込みというより ( ) 私の場合は実際的に自分の精神的原因から | | | 生じた苦境を、何たるチア…と思って (__)_) いろいろ探ってるうちに、福音のみが答えを出したのです ∧_∧ 人間は生まれながらに罪びと、 ( ´∀`) とかいうわけじゃありません ( ) もっと本質的にイエスがいうことを言いますと… | | | まず神の生まれとサタンの生まれがいるわけですから (__)_) そして前者は責められてるんではなく、かりそめに滅んでしまったが ゆえに、オヤジなる神がイエスを遣わし、我々を助け出そうとしてるわけです、 それが穴に落ちた(大きな)一匹の羊のたとえです、 ∧_∧ >イエスはパリ祭や学者のように信仰を押し付ける人を批判しましたから ( ´∀`) はあ? ( ) >羊から羊飼いに脱皮した人もいるでしょうけど | | | はあ? (__)_) 無知、盲目、誤解、曲解、無理解、不毛… ∧_∧ とりあえず、自称クリスチャン寝るの ( ´∀`) みなさん…わからないならわからないと ( ) 言いましょうね、勉強もわかることと | | | わからないことを自分ではっきりさせることが (__)_) まずは何より先じゃないですか…わかりもしないで空想で議論して… 羊飼いってのはとりあえずイエスのことなんだし…それくらい記述そのものでわかるやろ 羊は羊飼いの声(イエスの福音・教え)を聞いてわかるものである、と書いてあるんやろ Re: タイトルなし > キリスト教の一番嫌な面は > 一面やさしい愛の神として現れますが、突如凶暴さを発揮します。 私も同感。 キリスト教が「愛の宗教」のイメージでアピールしても、 何かが起こった時には本性が現れるものです。 震災の時がそうでしたよね。 それから、他の方の受け売りになりますが、 クリスチャンが「神の御心」「神の導き」「神がそうおっしゃった」などと言うのは、 結局は「自分自身の意志」なんですよね。 それを「神の〜〜」と置き換えて正当化しているだけですね。 > ドイツ農民戦争で最初の民たちに優しかったルターは突如態度を変え?? > 「農民に味方して生命を失う者は、永遠に地獄の火に焼かれる。彼は神のみ言葉と服従にそむいて剣を帯びた者であり、また悪魔の輩下であるからである。…… > 、打ち殺すことが私の任務であり、その任務を遂行することが、あなた(キリスト)のみ心に沿うこととなる。そのために私は喜んで戦って死にましょう。こうして死ぬものこそ殉教者として天国に迎えられることとなる。 > これに反して悪魔は悪魔であるから、彼らは死ねば永遠に地獄の業火に焼かれることとなる。いい気味だ、とルターはアジる。」 > これがすべてを証明しています。 非常に興味深いですね。 出典が分かれば明示していただきたいです。 「ヨハネの黙示録」6章9〜19章21節、に描写されている <未来のキリスト>の姿は、剣で殺して行ったり 火と硫黄の中に突き落として行ったりする騎馬上の軍神「王の王」です。 ここに描写されている神の「御怒り」は、新約聖書「ヨハネの黙示録」の神です。 新約聖書は激しい復讐心にかき立てられて書かれた<復讐の書>です。 自分たちの教えに反逆する者は、最終的に殺されて当然、神の目から見て正しい、 とする考えは、新約聖書(キリスト教)の教えそのものです。 新約聖書の教えにそのまま盲目的に従えば、 自分の生き方をキリストの生き方と同一視する者が、自ら武器をもって、 自分の教えを信じない者たちを大量殺人(最終戦争)で処理しようとしても、 なんの不思議もありません。 ここに潜んでいる問題は、「何が正しいか」を、自分で判断せず、 神の判断(神の言葉、聖書、教祖の言葉)に従う、ことの危険性なのです。 Re: タイトルなし > 葬儀で「私たちキリスト教は、真の神様だけを礼拝します。ですから、死んだ方を礼拝しません。死者に手を合わせないでください」とプログラムに書かれていました「お別れ会」と称する、所謂一般で言う所の「お通夜」がありました。 > 滑稽千番です! 結局、これも日本の通夜に合わせたものですね。 > キリスト教は偶像礼拝をしません。他の宗教は偶像礼拝です。日本の葬儀はすべて、偶像礼拝です・・・・。は??? > キリスト教その物が、どう言う成立過程を経て今があるのか? > 歴史をよく調べたら、真理などと言う、唯一絶対の真の神様だ等と、口が裂けても言えない物であるはずなのに、ぺらぺらと毎週よくも嘘八百を述べ伝えていられるものだと、感心します!!! 全くその通りですよ。 冷静にクリスチャンを見てみると、 どういうわけか聖書に書かれている習慣を守らず、 書かれていない習慣ばかりを守っているのです。 > 事情があり、いまだに教会なるものに通わざるを得ない者ですが・・・・・。 ご愁傷様です。 くれぐれもそのことで心労をため込まないようお気を付け下さいませ。 アンチジャパニーズクリスチャン 私も長らく鬱病に悩まされた時、プロテスタントの教会に足を運んだことがあります。 「彼らはなぜ純粋に神に祈ることができるのだろうか?」 もしかしたら自分の鬱打開になるかと思い、クリスチャンの友人の薦めに従ったのですが、どうも「自分の方が聖書を正しく解釈している」アピールが何かと鬱陶しい。 教会でも、キリスト教の歴史について勉強していると、 「そういうのを勉強すると、自分の信仰に疑いを抱いてしまうからやめた方がいい」 なるほど、自分にとって都合の悪いことから目を背ければ都合のいいことしか見えず、純粋に祈りを捧げられるようになるわけだ。 その後、そのクリスチャンの友人の独善的な面が見え始め、 「(私の身内の不幸に対して)それも神の定めた運命だ」 「(私を自殺寸前まで追い込んだことについて)これも神の愛だ!」 私がクリスチャンに対して懐疑的になったきっかけでした。 恨み言つらつら書いてしまいましたが… さて、人類全体がクリスチャンになったらですが…何も変わらないでしょう。 現在日本ではクリスチャンが少数派だから、 「人類全体がクリスチャンだったら」 なんて妄想するのでしょうけど、仮にクリスチャンが多数派になったとして、別な階級制度ができるのがオチです。 それとも、年季の入ったクリスチャンが、 「俺の聖書解釈が正しい!」 というヒエラルキーが生まれるのでしょうか。 それこそ先のてふさんが指摘されたことまんまのことが起こるでしょう。 「イエスという方が罪の贖いとして十字架上で犠牲死した」「三日後に復活した」 「その後は父なる神のもとである天国に帰った」「永遠の命が与えられる」 科学や理性や常識に照らし合わせると、とても矛盾に満ちていて、荒唐無稽です。 自らの心を麻痺させるほどの何かがなければ、とても、そのまま事実であると信じることは できません。いったい、キリスト教の何が信者の良を麻痺させるのでしょうか。 それは、大きな見返り(救い)の約束であると、わたしは考えています。 それぐらいの見返りを得ることができるのでなければ、人はそう簡単に 自らの心を裏切って、信じることなど出来はしないと思います。 /三ミミソノ)\>犠牲史…いや死 そのような本質だとは福音書・聖書の /彡⌒ー-"⌒ヽヽどこにも書いておりません、パウロか誰かは使徒伝で (イ ミ iそう誰かに言っちゃってるのかもしれませんが… ||/ ̄ヽ / ̄ヘ||>三日後に復活 事実だからシャーない ||=・= ii=・=||>その後天国に帰った 二元論があるのだし、ダークマターや |( ノしヽ )|ダークエネルギーが存在するのだから、物質界と違う世界が g| i-=-i |g存在して、どこかおかしいか? >永遠の命が与えられる 永久の生命がないことについて、人間の尊厳に対して 疑問に思ったことはないのか?私は個人的にはあるな、死についてはおよそ 誰もが疑問に思う、死を惜しむ…いや命や価値を惜しむ。しかし一方で いつか死ぬのは当然、無になって当然という、それこそ根拠のない信仰もある /三ミミソノ)\ /彡⌒ー-"⌒ヽヽ>プロテスタント教会での自分の解釈こそが正しいアピール感 (イ ミ iそうです、人は私こそイエスに近い、私はわかる、といいたいものです ||/ ̄ヽ / ̄ヘ||実は外典とか死海文書と呼ばれるものの中にも、 ||=・= ii=・=||弟子たちがイエスに対してそういった感じな場面もあります |( ノしヽ )|正典のマタイ福音書でだって、真実の目からは当然のことでも、 g| i-=-i |g弟子たちがたびたびボケ突込みみたいな愚問みたいなことをいい、 そこでイエスがたとえを教えるとか…そういう場面は何ぼでもあるでしょう ただ、それでも、ただわかってないのかわかるふりを悪意を持ってするかで、 サタンの子か神の子かってことで…初めから本質が違う Re: 聖書によると全世界をクリスチャンにするのが目標では? > 桃栗さんお久しぶりです。お元気ですか?そうですねえ。僕が嫁さんに付き合って行ってた教会もクリスチャンは異教徒より優れた人間だ。 みたいな感じでしたね。だから全世界がクリスチャンになったら平和になるとかゆう発想になるんでしょうねー。 僕は逆に世界中がこんな排他的な人達ばっかりになったら戦争ばっかりになる様な気がしますけどね 全くその通りですね。 クリスチャンは、とにかく自分たちが特別な存在だと思いたがって いるのです。 まるで、雲の上から物を言うような人たちです。 全人類がそんな人ばかりになったら余計におかしくなります。 そもそも聖書を読んでみると 平和だった時代なんて一度たりともありませんから。 「ヨハネの黙示録」6の9〜19の21、に描写されている <未来のキリスト>の姿は、「自由人と奴隷、小さい者と大きい者」を 剣で殺して行ったり火と硫黄の中に突き落として行ったりする軍神「王の王」です。 ここに描写されている神の「御怒り」は、新約聖書「ヨハネの黙示録」の神です。 激しい復讐心にかき立てられて書かれた<復讐の書>です。 自分たちの教えに反逆する者は、最終的に殺されて当然、神の目から見て正しい、 とするオウムの考えは、新約聖書(キリスト教)の教えそのものです。 新約聖書の教えにそのまま盲目的に従えば、自分の生き方を キリストの生き方と同一視する者が、自ら武器をもって、自分の教えを 信じない者たちを大量殺人(最終戦争)で処理しようとしても、 なんの不思議もありません。 キリスト教の聖典である聖書の神自身が、殺人や戦争を実践したり 命令したりするのですから、キリスト教の歴史における頻繁な宗教殺人や宗教戦争は、 聖書の教えに忠実であったがゆえになされたと考えられます。 まあクリスチャンは自分から名乗らないけどな つーかキリスト教徒言うてもカトリック・プロテスタントの他にエホバやら朝鮮やらいろいろあるのに >>1 は情弱で知能低いから全部ひっくるめちゃうんだろうな とりま、論破したいなら哲学科専攻するか理系の底辺大学で知識集約せ 「義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。 あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」 マタイによる福音書 / 5章 10〜12節 キリスト教批判するとファビョって他宗教批判する奴がいるが、 神も己への迫害を喜べと言っているんだから、喜んだらどうだ? 何で不快感を露わにするんだ。 つまりおまいの信仰はその程度だということなんだよ。 「神道や仏教のような下等宗教ではなく、高等宗教たるキリスト教を信仰している自分はカッコイイ(キリッ」 って他人にマウントを取りたかっただけだろ。真剣に信仰する気なんぞないんだろ。 かの日本二十六聖人はイエスと同じ磔刑で、刑場がゴルゴタの丘に似ているということで大いに喜んだそうだぞ。 聖人のように死ねとまでは言わないが、偉大な先人に学んだらどうだwwwww 201名無しの権兵衛さん2018/08/05(日) 22:06:03.55ID:gaozl1XE 私も田舎暮らしでそんな桃源郷に憧れています。 しかし近辺の神社をちらっと横目で見ても正月以外は 出入りする人の人影一つ見当たりませんね。神社の敷地 内に人家があればいいほう?みたいな Out of TILOLU >江戸吉原 http://www.tilolu.com/yoshiwara/yoshiwara-1.htm 清純で処女のイメージで見られる巫女さんが実はこんなにエロかったとは…。 イメージの落差が恐ろしすぎる。出雲阿国もビッチだったんだな。 鎌倉時代や室町時代でも巫女も体裁のいい娼婦で、偉いお殿様は神社に 恭しくお参りすると見せかけて巫女と戯れたり気に入った巫女を側室にしたり とか…羨ましいですなあ(^ρ^) 202名無しの権兵衛さん2018/08/05(日) 22:07:46.10ID:gaozl1XE 「風俗嬢の原点 巫女さん」でグーグル検索したり 「昔の日本はエロかった 学校やマスコミが絶対に教えてくれない 『裏・日本民俗史』」という阿修羅の掲示板の文章を読んるうちに クリスチャンホームに生れ童貞を守ってきた私も無性にやりたくなってきた。 巫女装束と黒髪の組み合わせって確かにそそるなあ(;´Д`) あの巫女さんの白衣の下や袴の中はいったいどうなってるんだ? 聖書にも出てくる神殿娼婦は世界中至る所で見られた風習だそうで 俺もエロアニメみたいに巫女さんとセックスできるなら神道に改宗しても いいと思う。教会に奉げてきた什一献金を今後は巫女さんに回そうかな。 ↑結婚するまでセックスしてはならないと洗脳されたクリスチャンは 性犯罪者予備軍。宗教が異なる日本人女性の貞操が狙われています。 以下があれば極左宗教です。危険ですのですみやかに離れてください。 ・共産党など公安警察監視下の団体のビラなどが掲示されている。 ・特定の用語に必ずかっこ書きをつける。例:「満州国」 ←満州国なる存在は認めないゾ!という意味 ・漢字表記されるべき特定の用語について、必ずカタカナ表記する。例:アキヒト(天皇陛下のこと)、ヤスクニ(靖国神社のこと) ・聖職者が韓国籍である。 ・皇室や神道に対する異様なまでの敵視。 /彡⌒ー-"⌒ヽヽ (イ ミ iはい、長文です。イエスなら一行で格言、戒律、教え、 ||/ ̄ヽ / ̄ヘ||言います。彼らは、長く難しい言葉を語るが、 ||=・= ii=・=||イエスは、幼子のようなものこそ救われることを |( ノしヽ )|説いた、目が見えるというものが見えなくなり、 g| i-=-i |g見えないものが見えるようにするという、一見不思議な奥義 まあ大人が、当然のことを見失うとか認識できなくなるのと同じです /彡⌒ー-"⌒ヽヽ (イ ミ iクリスチャンは、そりゃ、特別な存在です ||/ ̄ヽ / ̄ヘ||雲の上の存在です ||=・= ii=・=||なぜなら選ばれるものは少なく、 |( ノしヽ )|自称クリスチャンで地獄行く人の方は、多いからです g| i-=-i |g特別な人が私は特別だ、というか私は神の子であるとか 選ばれしものであるとかイエスの弟子であるということは何の問題もない 問題ないが、その実は(結実した行いの中身は)あんたら自分で判断せよ 彼が悪しきことを行ってるなら、だれでもそれはわかり、指摘でき、論破できるはずである しかし悪しき者は、言い訳をなんだかんだして、それを改めたり認識はしないだろう /三ミミソノ)\ /彡⌒ー-"⌒ヽヽ (イ ミ iアーメン ||/ ̄ヽ / ̄ヘ||そうめん ||=・= ii=・=||僕つけ麺 |( ノしヽ )| g| i-=-i |g Re: タイトルなし > これはまさにその通りだと思います。 > > 私は父親がカルト信者であったため、一般家庭で育ったとは言えませんが、父親の信仰や活動に疑問を持ち、常に普通の日本人の感覚で父親の信仰について考えていたと思います。 カルト信者のお父様の元で成長されていながら、 客観的にその宗教を見る目をお持ちだったのですね。 うらやましいです。 私がそういう冷静な視点を小さい頃から持っていれば、 もっと早くキリスト教の矛盾に気付いてそこから抜け出せたのにと思います。 > なので、キリスト教の教えとはこういうものなんだよと友人に言われても、まさに「自分が身に付けた常識の範囲内で情報を処理して理解できる」んですよね。 それです。 大人になってからキリスト教を知った人は、 自分がそれまで一般社会の中で身に付けた常識の中で情報を処理するのです。 そういう能力の備わっていない子供たちに いたずらに宗教を押し付けるべきではありません。 それなら、お墓参りも七夕も初詣もダメなのかと突っ込む人がいるかもしれませんが、 それは宗教ではなく、伝統、習慣、風習だと私は解釈しています。 そういう日本古来のものは大切にしたいものです。 > クリスチャンの子供として生まれると本当に大変ですね…。私は父親の信仰するカルトに洗脳されなかったので、むしろ某カルトよりキリスト教のほうが子供への悪影響は強いのではないかと思いました。 > でもキリスト教は世間では割とまともな伝統宗教だと捉えられているので当事者の方は辛いでしょうね…。 そうですね。 日本ではクリスチャン人口が極端に少ないとはいえ、 キリスト教は一般的に良いイメージを持たれているのが悔しいですね。 > 私も父親の信仰には苦労したのでなんとなく管理人さんのお気持ちが分かります。 > ブログで思いや考えを吐き出すのも大変なことだと思います。 > どうぞ、ご自愛下さい。 ありがとうございます。 ∧_∧ ( ´∀`) 実際の教えとは違った人間的教義、ニセモノに ( ) 洗脳される人は、福音書の成句中において | | | 盲人が手引きする盲人とでもいうべきか。 (__)_) 二人とも、穴に落ちて死ぬ運命である。もし、彼が、聡ければ、 ウソを真実のようなまま認識はしないはずである…神の御手が、彼を救いだす で、あろう〜。 中学の時、学校で聖書配られていて読んでみたらそら理不尽で読んでいて気分が良くない内容ばかり。 その頃、色々な神話読み漁ってたけど聖書が一番胸焼けしたわ。カインとアベルの話、アレもナチュラルに人間見下し感凄くてどの小話も不快。 とにかく、胡散臭いねん一神教。クリスチャンじゃなきゃ救われないなら南無阿彌陀仏唱えて極楽行きますわ。 >>527 >キリスト教は世間では割とまともな伝統宗教だと捉えられている >キリスト教は一般的に良いイメージを持たれている いやいや、はっきり言ってキリスト教の評判は良くないぞ。 だいたいキリスト教の話題が出ると、 「百姓に論破されるザビエル涙目」のネタが 必ずといっていいほど出てくる。 だいたい高校で世界史を履修していれば、 カノッサの屈辱や十字軍等、増長しまくったキリスト教の悪行を嫌でも目にするはずだ。 「こんな宗教に誰が入るか!」と高校生たちは世界史を学びながら認識を新たにするだろう。 まだイスラム教の方が「ムハンマドが教祖で、後に後継者が大帝国を築いた」と素っ気なく記述されているのでマシな方だ。 「今日の食事がいただけることを天のお父様に感謝します」みたいなお祈りがあります。 キリスト教ではよくある食事前のお祈りです。しかし、この食事を作った人がいます。 その材料は農家や漁師の人たちの努力によって得られ、様々な流通関係者の手によって 届けられます。また、その食事をするためのお金は働き手が得たものです。つまり、 私たちの日々の生活は様々な人の活動によって支えられているわけです。 神に感謝するよりも、人に感謝すべきではないでしょうか。 三浦綾子氏は「旧約聖書入門(光文社文庫)」の中で、空には無数の星があり、 それらが一つの法則にしたがって運行している(これも造物主のなせる技)、 それに比べたら月に行ったと言っても大きな顔は出来ない、と言うようなことを 書いています。しかし、人類を月に送ったのはもちろんのこと、三浦氏が言及している 宇宙の星々の運行(さらに銀河の構造)を解き明かしたのは人間(科学者たち)です。 神も聖書も何も教えてくれず、何の手助けもしてくれません。このことを三浦氏は どう考えているのでしょうか。何もしてくれない神や聖書を持ち出して、 何かをなし得た人間を不当に低く評価する、私には非常に傲慢なことのように思えます。 Re: 横田早紀江 > 横田めぐみの母、横田早紀江は、娘、めぐみの失踪後に洗礼を受けたようです。 > >http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E7%94%B0%E6%97%A9%E7%B4%80%E6%B1%9F > > 酷いことを言うようですが、娘の代金として献金を払うから、返してくれよ、というつもりで洗礼を受けたというようにしか思えないですよね。 しかも、娘の失踪で落ち込んでいたときに、「ヨブ記」を読むように進められて、読んでみたところ感銘を受けた、というのですから、どうやらちょっと頭に隙間があるのではないかと疑われます。 > キリスト教徒だというのであれば、もうこの世では諦めます、となぜ言えないのでしょうか。 キリスト教を理解していれうのであれば、この世でひどい目に合えばあうほど、神の慰めは手厚いはずだと理解するはずです。 死ねば天国で親子仲良く過ごすことができるはずなのではないのでしょうか。 この世の苦しみは神のめぐみであると理解するはずなのに、実際はそのように考えることはできないようですね。 > > 一体何のために毎週教会へ行って説教を聞くのでしょうかね。 バカ牧師のたわごと聞きながら居眠りすると気持ちがいいから、とかだったりして(笑。 結局、人間は「困った時の神頼み」なんですよね。 それでもクリスチャンは世間の宗教を「ご利益宗教」 だとして見下し、 あくまでもキリスト教だけが特別だと主張する。 本当に排他的な宗教です。 ところで、横田夫人の旦那さんはクリスチャンではないようですが、 間違ってもキリスト教に入信しないで欲しいですね。 ∧_∧ >もうこの世では諦めます、(と、なぜ言えないのか) ( ´∀`) 聖書には、イエスがなした祈りの文句として ( ) 「御心の天にて行われるごとく、地にても行われますように」 | | | といわれているのをしらんのか (__)_) >ヨブ記 預言者の書のひとつですね、よく読んでないので今後読むとしよう 日本人は高齢化と少子化で人口減少が激しくなるから 自然消滅する。だから日本人のキリスト教徒もいなくなるから 喜べ。 日本から日本人がいなくなれば 移民が日本に住むから安心しろ すでに高齢化した日本は外国人労働者がいなければ 日本経済は崩壊する あと10数年後は60歳以上が5割以上になり 年金制度が維持できなくなるだろう。 日本の未来は先進国ではなくなり 移民が日本人よりも多い国になるだろう こんにちは。 先日は私のブログに来てくださってどうもありがとうございます。 キリスト教に疲れ、人生を狂わされている人も少なくないことを、 もっと広く知ってもらいたいですね。 私はクリスチャンの家庭に生まれ育ち、 普通の子供とは違う価値観を植え付けられてきたので、 学校生活では人付き合いにずいぶん苦労しました。 それを社会人になっても引きずったままで、 今、職場で人間関係に戸惑う毎日です。 本当に毎日逃げ出したくなるような気持ちです。 そんな時、自分の生い立ちが恨めしく感じます。 私がクリスチャンの嫌いなところは、 キリスト教に欠点があることを絶対に認めないことです。 私の体験談を話しても、 「それはあなたの信仰が足りないから」 と言われるのがオチです。 信仰でなんでも解決するなら苦労しません。 私の身近なところで、自殺したクリスチャンを知っています。 そういえば、長崎のスポーツセンターに押し入り、 銃を乱射させて多くの人を殺し、 挙句の果てに教会で自殺したクリスチャンもいましたよね。 にもかかわらず、クリスチャンはキリスト教の欠点を絶対認めない。 本当に腹立たしく思います。 キリスト教は、あくまでも世界中に多数ある宗教の中の 一つに過ぎないことを分かってもらいたいです。 一応は「罪を犯さない生活」せよ(そうしなければ罰せられる)と説いてきますが、 「罪を犯さない生活」を願ってではありません。そんなことはできないということを はじめから知っていて、わざと、「罪を犯さない生活」せよと説いてくるのです。 本当の意図は別にあって、実は、それを聞くものが「徳に絶望し、ついには 慈悲深いお方の胸に身を投ぜざるを得なくなる」ことを望んで、不可能と わかっておりながら、わざと「罪を犯さない生活」せよ(そうしなければ罰せられる) と説くわけです。 基本的に、説教も、ほとんどこの単純な考えの繰り返しと言って過言ではありません。 説教者は、神の律法と罰の厳しさに言及することによって、信者の罪悪感と絶望感を 呼び起こし(落とし)、そんな罪人も教祖を信じることによって救われるのだと 約束しては希望と感謝の気持ちを起こさせ(持ち上げ)、信者の教祖に対する従順 (信仰)が堅持されているわけです。 放っておいても日本人のキリスト教人口は激減するでしょう、 外国人留学生や移民のキリスト教徒は増えるかもしれませんが。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1529943635/169-172 >>551-552 あなたもたいへんな苦労されたのですね。私もそれらの文章を 読んで思い当たるところがあります。しかし、私は聖書の間違い、 意図的な書き換えを指摘するサイトを見てしまい、それに説得力を 感じ聖書は一言一句誤りを含まない書物ではなく、聖書の神様は信 用しきれない、キリスト教もたくさんの宗教の一つにすぎない と思うようになってしまったので、「慈悲深いお方の胸に身を投ずる」 ことが難しくなりました。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる