【決定論?】運命を信じますか?【自由意志?】 [無断転載禁止]©2ch.net
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現在の自分が置かれている状態は、こうなることがずっと以前から決まっていた、
つまり「運命だった」と考えたことがある人は少なくないと思います。
運命を否定する立場の人も参加OKとしたいのでスレタイは「信じますか?」としましたが、
個人的には運命はあると考えています。
人生色々な時期があるものだとは思いますが、今現在私はあまり幸福ではありません。
健康状態も経済状態も芳しくないのですが、こうなった原因を遡って考えては、
「あのときこうだったら…」などと思ったり、「いや、これは運命だったんだ」と自分に言い聞かせたりしています。 ありがちなパターンなので詳細までは割愛しますが、
私は、裕福ながら情緒面でちょっと問題のある両親の元で過保護と虐待が折衷したような育てられ方をし、
色々いい思いもできたけど、大人になるにつれ段々無理が出てきた、という人間です。
診断を受けたことはないですが、たぶんアスペルガーでもあります。
親や兄弟を見ていてもその気がありそうな感じで、おそらく遺伝的なもので、それを引き継いでいると考えています。
少なくとも与えられた環境の一部については「運が悪かった」と言え、
そして文字通りそれは「運命だった」「自分を含め人間の力で『切り開く』ことはできないものだった」と考えています。 精神病院なんて 30万円で入院できるだろ
あんた通信制だろ? ここからは物理や哲学の話に近くなりますが、私が言う「運命」は「決定論」を意味しています。
宇宙のあらゆる時空間の状態は物理法則に従って発生しているものであり、
人間の行動も含めて全ての現象はそれ以外の状態になる可能性はなかった、というものです。
宇宙でも世界でもいいですし、それに始まりがあったのかも分かりませんが、
予め決まっているストーリーから全く逸脱することなく、これを淡々と消化しているだけ、というのが現実だと考えています。
量子論的な確率依存の現象発生については色々な解釈の仕方があるとは思いますが、
物事の因果(原因と結果)は「必然」と「偶然」のどちらかで決まるものであって、
少なくとも「自由」なる第三の因果律を想定することはできません。 こう考えると、世界がとても虚しいものに思えてきますが、
逆に「自分の人生は大失敗だった」と絶望する必要がないようにも思えてきます。 その理屈で言うなら、個人レベルでの幸不幸の影響が、やがて衰え行く太陽活動とそれに伴う地球上の生物の死滅の観点からみれば何も関係なくて誤差の範囲だよね。 運命は信じられないかな...
神も仏もいないんだとなんとなく思うよ 困った時に助けてくれる人間に都合のいい神様が居たらいいよね
実際の神様は人間を苦しませる疫病神に等しい存在 人格者が言うのは、運命と宿命があって、運命は変えられるが宿命は変えられないとね、遺伝的なものは宿命だろうね、因果応報(原因と結果)(自業自得)の法則は必然っぽい、宇宙の法則はあるが人間は逆らえる、だが逆らうとろくな事がない、従う方が利口、そんな感じ この世界の法則(宇宙の法則)(自然の摂理)は逆らおうとしても逆らえない、が正しい見方かも知れない、人間が苦しんでる時は大抵それに逆らったから、が原因としてどこかにあるように思う、ただし宿命を除く 原因と結果の法則は、逃げても心にずっと残ってる、その間は何をしても気持ちがスッキリしない、これが原因からくる結果なんでしょう、どう処理すればいいか迷ってるのが今の私の立ち位置です。宿命なら諦めて気持ちもスッキリするかも、運命は私にも責任があるのかな 例えば仕事に熱中して忙しくしてる間は忘れてるが、それも結局逃げで、いつか追い付かれる、その時に自分が原因から逃げていた事を確信する、やっぱり原因→結果は必然っぽい、そもそも気持ちがスッキリしてない状態では何も成功しないとも思う、そんな気がする 上記以外なら決定論と考えている方が、スッキリとした気持ちで生きて行けるような気がする 「宿命」という言葉はあまり使ったことも意識したこともなかった
今ググってみたら「『運命』とは違って、生まれる前から決まっていて変えることができないもの」
みたいな感じで説明してあった
こう定義してしまうと「運命」という言葉の存在意義自体がなくなってしまうし、
一般的にはその「宿命」の意味で「運命」という言葉を使っているだろうね
「宿命」という言葉を知ったのは、たぶん「北斗の拳」でだったと思うけど、
「運命」の方には諦め感があって、「宿命」の方には「与えられた使命」みたいな印象があった 決定論で決まってるなら、私が悩むのは無駄、初めから神様に私を使って頂くのです 「偶然」というものは存在しません
物質的なことは勿論、精神的・霊的なことにおいても
全て「因果律」の完璧な連鎖により生じております
たまたまそうなった、運良く・運悪くそうなった という
ことは絶対にありません
人生に関しては過去世で蒔いてきた種により、大枠
としての運命というものは存在します
善の種を蒔いてきた結果を受け取り、悪の種を蒔いて
きた結果を償うという形でのおおよその運命です
人間には一定の範囲内での自由意志の行使が許され
ており、その選択した行為がまた一つの原因となって
次の結果が生じ、その結果に対してまた責任が生じる
ということです
因果律の完璧な連鎖により必ず刈り取らねばならない
大枠の運命があり、さらに自由意志による選択如何で
変化してゆく未来・来世・運命というものがあります
人生における因果律は
「自分が蒔いた種は自分が刈り取らねばならない」
「人は自分自身に出会う」 ということになります
参考文献:シルバーバーチの霊訓 >>16
過去世で蒔いてきた種か
今世で蒔いた種か
分かる方法はありますか? >>18
善悪いずれにせよその結果を見て自分の過去の行為
に思い当たるものがあるか、心の状態が同様であれば
今生で蒔いた種かもしれません
しかし全く思い当たるふしがない、自分はその様な人間
ではないという事態に直面したならば、過去世で蒔いた
種を今刈り取っていることになると思います
因果律の結果はすぐ出る場合もあれば来世で出る場合
もあり、正直者が苦しんでいたり悪人が楽しんでいたり
する不公平感も、これが原因です >>19
ありがとう御座います。
微妙なんですよ、こうなる前に私に何が出来た?ってね、どちらであろうと気持ちがスッキリする方へ行くしかないんでしょうね。業なのか宿命なのか、どちらも原因は私なんでしょう 運命は自分の行動しだいで変えられて、宿命は生まれ持ったものだから変えられないと聞いたことがある
自己分析して自分の出来る範囲を把握すれば、自分の行いにたいする結末も納得出来るようになりそう
潜在能力ありきで変動することもあるかもしれない
でも結果論にしかならないことの方が多すぎて
最初から何もかも決まってるとは思えない
人それぞれ生き方に限界があるのはよく実感してるのだけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています