死にたいだから死にたくとも頑張って生きてる人に意見を聞きたい [無断転載禁止]©2ch.net
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私は生きる意味も希望もないのに生きている
私と同じ状況の人はどうやって生きているの? 特大バナナのようなウンコが出て肛門が死ぬほど痛かった >>86
いるけど人に悩み事とか話せない
みんなの前では元気な子だから 女性でしょ?
ならそのうち助けてもらえる
でもただ待っているより旗を振るなり狼煙を上げるなりして周囲に気づいてもらえる努力をした方が早い
男性なら無理
てめえで何とかするしかない >>98
もっと自分のことを全てさらけ出せる様な信頼できる相手はいますか? >>100
そうですよね。男性は優しい方が多いですからもしかしたらこんな私でも、拾って下さる方がいるかもしれません。しかし、そうして拾って下さったその人をしっかり信じてあげられるかわかりません。なので拒んでしまいます。この気持ちは時間が解決してくれるのでしょうか。 >>102
いないです…
いたけどいなくなってしまい本当に1人です… >>104
そうでしたか…
でも変わらなきゃならないのは、いつだって自分からなのです。あなたも私も自分から先に誰かを信じなきゃ誰にも信じてもらえないのです。簡単なことではありません。もの凄く時間もかかります。乗り越えると自分を信じて頑張って下さい。 >>105
本当にありがとうございます。貴重なご意見ありがとうございました。 めんどくさいから死んでないだけ。
生きていたいと思わない。 死にたいくらい辛かったけど、外に出てちょっと頑張ってみたら、なんとか少し元気になった
死ぬほど外に出たくなくても出れるなら出た方がいいかもね。 (問) ということは、再生は強制的だということですね。
(答) 強制的という言葉の意味が問題です。誰かから「再生しろ」と命令されるわけではありません。
地上で学ばねばならない教訓、果たすべき仕事、償うべき前世の過ち、施すべきでありながら施さなかった親切‥‥などを明確に意識するようになり、
今こそそれを実行するのが自分にとって最良の道だと自覚するようになるのです。
(問) これまで何回も地上生活を体験していることが事実だとすると、もう少しはましな人間になってもいいと思うのですが‥‥。
(答)物質界にあっても聖人は聖人ですし、最下等の人間はいつまでも最下等のままです。
体験を積めばすぐに成長するというわけにはまいりません。要は悟りの問題です。
(問) 死後、霊界に行ってから地上生活の償いをさせられますが、さらに地上に再生してからまた同じ罪の償いをさせられるというのは本当ですか。
神は同じ罪に対して二度も罰を与えるのですか。
(答)償うとか罰するとかの問題ではなくて、要は進化の問題です。
つまり、学ぶべき教訓が残されているということであり、「魂の教育と向上」という一連の鎖の欠けている部分を補うことなのです。
生まれ変わるということは必ずしも罪の償いのためとは限りません。
欠けているギャップを埋める目的で再生する場合がよくあります。もちろん、償いをする場合もあります。
前世で学ぶべきでありながらできなかったことを、もう一度学びに行くという場合もあります。 平気で詐欺をやりまくる借金まみれの幸前正美(牡:淀川区加島1丁目に巣窟のドチビ)の図太い神経を見習え 精神病で高齢者になって生保確実に貰えるとわかって自殺する気はなくなった。 生きてるっていうより生かされてるって感じが正解
急に何もかもが面倒くさくなって
考えるのも面倒くさくなって
死にたいと思っても死ねないので、考える事をやめた >>118
自分もこれ。生きる希望を見つけることも、死のうとすることにも疲れて、思考停止した。
だらだらと生き続けている >>118
あら偶然、私もソレだわ。
確かピークで死にたいと思ってたのは30代前半までだったかな?
そのあとは・・・死ぬのも面倒だから寿命で死ぬまで
とりあえず生きてくのだろう的な感じ。 ついでに余談だけど
死にたがりな人はネコを飼うといいと思う。
ネコのために働いて生きようと思えるし
落ち込んだ時はネコを抱っこしてると癒されるし
ネコが日向ぼっこして眠ってる姿なんてみてると
なんか不思議とホッとするのよね。
でもネコを飼えない家庭環境に居る人は
たまにネコカフェに行くといいと思うわよ。 死ぬのが怖いけど生きてるよりは...って思う時がある。
ハッと気づくけど。
気づかなくなったらヤバイと思う そういやガキの頃親が厳しくて娯楽は一切禁止で何も選択権がなくかといって教育熱心ですらなく塾通いも許されず全て禁止されてた頃は毎日砂漠で砂を噛むような思いで生きてたな
って今思い出した
自己責任で自己選択するようになってからは毎日楽しい
つらいことがあっても前向きになれる
全く参考にならなくてスマン 生きる理由を見つけたらいい。
俺も死にたい…っつーか消えたいとかよく思ってたけど、死ぬ事はいつでも出来るからね。どうせ人生なんて死ぬまでの暇潰し!ラフに生きてけばそれなりに楽しく生きてけるさ。
って、楽天的に考えないとどんどん追い込まれるからそう考えるように俺はしてる おまえら、自死は止せ。
だれだって1度は死ぬ。急ぐことはあるまいw
上松煌(うえまつあきら) 作
★「赤い絵」(作者の体験+フィクション)★
http://slib.net/71137
『作品紹介から』
わたしたちは常日ごろ、安易に「死ぬ」ことを口にしますが、本当の「死」とは
とてつもない絶望感をともなう究極の自己破壊・自己破滅であり、ゾッとするような
苦痛・恐怖・無力・失望・戦慄の集大成なのです。
「死にたい」などと言っているみんな、せめて、この作品の6〜8項を見てください。
とくに、7項は具体的にどうなるかがわかると思います。
実体験+フィクションですが、自殺したいと思っている人などは後悔しかない
のが「死」です。
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7項(本文抜粋)
『静かにしてくれ。おれは死ぬのに忙しい』
だれかが言ったこの言葉も、正確ではない。
死は苦しむのに忙しいのだ!
(中略)
死にはなんの発展も希望も、自由も満足もなかった。
死に意味づけするのは生者の不遜な気休め、こうあって欲しいという切ない願望、
はかない恐怖の克服にほかならなかった。
すべての生きとしいけるものは、死に対して圧倒的に無力だったのだ。
死にむかっての、あらゆる肉体と精神の破壊、崩壊、断裂、分離、絶縁はとどまる
ことのないドミノ倒しのように進行し、文字通り、すべてを葬りつくす。
死に魅入られたものの末路は、毛細管現象で水が浸透するように死が自分を
食い尽くすのを、あらがいようもなく受け入れることしかない。
彼が最期に知覚したのは、その深淵を見るような絶望感だった。
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怖ぇえ〜〜〜〜〜!!!
みんな、生きろ! 生きてるほうが楽だwwww
プロフィール ←自殺とかイジメはいけないとかけっこう意識高いぜ。
http://slib.net/a/21610/ じりじりと首がしまってる。
希望の光が見えない。
生きていると苦しみしかない。
生きていると恐怖しかないけど、気晴らししては耐え続けて一日一日が過ぎ、また首がしまる。
たまに嬉しいことが起きて気力が上がり、また現実に潰される。
そうして8年が過ぎた。
そろそろ終わりにしたい。
疲れた。 お金に余裕があるときは、感じなかったが貧乏がこんなに苦しいとは。
欲を消しても普通に生活するだけで金がかかる。
金がないと生きてもいけない。 これまで仕事中心で何度も死にたくなった。
転勤を機会にその考え方を改めた。
家族が一番、自分の健康が二番、カネのことは三番、仕事は四番に降格。
出世とかどーでも良くなった。精神的に大分楽になったよ。 自分もだけど、自分ではどーにもならないことに苦しみ悩むことない世界になれば良いね。
キリキリと心が痛むことなく穏やかに笑顔で生きられたら、それが幸せ。
見えないものに怯えるのはもう嫌だ。
皆さんに幸せあれ。 昔顔面神経麻痺になり顔の右側が動かなくなった。3割は回復しないらしいが、運よく3か月で見れるほどには回復したけど、直らない人もいる。
特に女性だと辛いと思う。
それでも生きてる。
苦しみがわかるから生きててください。
きっと良いことは起こるよ。 とりあえずアドレスを貼るのみで、当スレからは立ち去りますが、
もし興味ある方は読まれて下さい。
『救済的真理の伝達・証明』
《神・転生の存在の科学的証明》
http://message21.web.fc2.com/index.htm
美味いもの食いたいなって思ってるうちは、とりあえずしんどくても生きようかなと思ってる
唯一の楽しみな食べることにすら興味が湧かなくなったら、その時は死ぬかもしれないけど いつ死んでも悔いない。
明日逝っても本望。
家族に迷惑さえかけなければよい。
来世に期待してる。
全てから解放されて死ねるのを楽しみに生きている。
きっと満悦の笑みで死ねるよ。 諦めるな!まだ時間はある。魂が消えるまで
まだ時間はある! (シルバーバーチの霊訓より)
(問)「なぜ魂は肉体に閉じ込められたのでしょうか?」
(答)「種子が暗い土の中に埋められ、そこから勢いよく成長するための養分を摂取するのと同じです。
人間の生命の種子も霊的生命を勢いよく成長させるための体験を得るために、肉体という暗い身体に閉じ込められるのです。
人生体験も大きな生命機構の一環なのです。
およそ有りがたいとは思えない体験 −悲しみ・辛い思い・嘆き・苦しみ・痛み− こうしたものは魂にとっては貴重なのです。
しかしそれを体験している最中にはそうは思えません。
こちら(霊界)に来て地上生活を振り返り部分的にではなく全体として眺めた時に初めて、人生の価値が鮮明に理解できるのです。
逆境の中にあってこそ性格が鍛えられるのです。
悲哀を体験してこそ魂が強化されるのです。
私たちは人生を物質の目ではなく霊的生命の知識に照らして眺めます。
その次元では完全な公正が行われるようになっているからです。
ですから賢明な人とは全ての体験を魂の成長にとって有益となるように受け止める人、試練にしりごみせず誘惑に負けることなく困難に正面から立ち向かう人です。
そういう心構えの中においてこそ人格が成長し強化されるからです。」 とりあえずはっきりいえることは
ボランティアはやらない
福祉、奉仕関係など
ドナー登録献血も一切やらない
電車で妊婦がいても席は譲らない
寝たふりなんてしないで普通に譲らない
自分が疲れてるのにカップルや妊婦がいても
「つかれてるけどこの人たちの愛のためにかわってやろう 」
「自分にいいことないけどカップルの人たちやそのほかの人たちのためにできることが何よりの幸せで す 」
ベビーカーに足をひかれても相手には楽しい幸せがあるから
我慢しよういやむしろ感謝しようなんて考えもしたくない 死が怖いのではなく、それまでの過程(痛み、苦しさ)が嫌なだけで、楽にいけるならとっくにいってるよ。 (シルバーバーチの霊訓より)
主人を失い、失意のあまり自殺まで考えた婦人が次のような質問を寄せ、それがシルバーバーチに読んで聞かされた。
(問)みずからの行為によってそちらの世界へ行くことは許されることでしょうか。 たとえば最愛の伴侶を奪われた人の場合です。
(答)許されません。 あくまでも摂理にしたがって寿命を全うしなければなりません。神の摂理はつねにその働きが完璧だからです。
完全な愛によって、つまり全存在に宿り全存在を通じて働いている神の意思によって支配されているからです。
その摂理の働きに干渉する権利は誰にもありません。 もし干渉して与えられた寿命をみずからの手で切り上げるようなことをすれば、
それに対する代償を支払わされます。 たとえばリンゴを熟さないうちにもぎ取れば、リンゴの美味しさは味わえません。
それと同じで、霊的に熟さないうちに無理やり次の世界へ行くようなことをすると、(地上での悲しく苦しい期間よりも)永い期間に
わたって辛い体験を支払わされることになります。 おまけに、せっかく一緒になりたいと思った愛する人にも会えないことにもなり
ます。 その摂理に背いた行為が一種のミゾをこしらえるからです。 いつ死んでもいいと思ってるのに死ぬ勇気がない
躁うつで急に気力がなくなる
自分が壊れそうだ 僕はだいぶ前に、
大事な恩人を乳ガンで亡くしました。
その人は優しくて明るくて、
人の役に立つのが好きな人でした。
生きてさえいれば、
僕なんかよりよっぽど、
多くの人を笑顔にできる幸せにできる
そんな人でした。
悲しいことに
世の中には彼女のように、
もっと生きていたいと願っていても
死ななければならなかった人達が
たくさんいます。
失恋は辛いです
死にたくなるのも分かります。
でもあなた達はこの先もまだ
ずっと生きることができます、
生きることができるあなた達が
自らの手で生きることをやめるのは
生きていたくても
死ななければならなかった人たち
からすればもったいない事だと思います。 友達がPCで稼げた情報など。人生相談というか参考までに。
⇒ http://bibieur734ww.sblo☆jp/article/181868206.html
興味がある人たちのために書きました。
(☆を.に変えるとみられます)
EVNFQZLKA6 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています