>>136に付け足し。

一茶が
「こじきにならずに五十歳の春を迎えることができてありがたい」と感じたのは、
もちろん、自分がこじきに身を落とす可能性があったから――少なくとも
一時期その可能性を感じたから――にほかならない。

一茶は俳諧師。今でいうところのレッスン・プロである。俳句指導をして
生活費を得ていた。実入りは不安定で、明日をも知れぬ人生である。

一茶の句が、雇用が不安定な現代の日本人の心に響くものがあっても
不思議ではない。

一茶の句には、そういう一般人、凡人の心情を反映したものが少なくない。
芭蕉にもそういう句はあるが、もっと淡いか、もっと微妙で、ストレートに
共感を誘うようなところが少ない。
与謝蕪村の句となれば、言語による美の極致ではあっても、蕪村個人の感慨を
うかがわせるものはまずない。
そういう次第で、一茶の人気が高いのも無理はないのである。